梨野礫・エッセイ集 さん プロフィール

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梨野礫・エッセイ集さん: 梨野礫・エッセイ集
ハンドル名梨野礫・エッセイ集 さん
ブログタイトル梨野礫・エッセイ集
ブログURLhttps://nasino.muragon.com/
サイト紹介文古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供224回 / 365日(平均4.3回/週) - 参加 2016/06/23 11:16

梨野礫・エッセイ集 さんのブログ記事

  • 続・「衆院選2017」の《構図》
  •  「衆院選2017」は首相Aと副首相A’の暗躍・私闘によってもたらされた茶番劇である。彼らはおのれの私欲(権力欲)のために国政を私物化しているのである。Aが衆議院を解散したのは、「今なら勝てる」とA’にそそのかされたためであり、A’には首相の座からAを引きずり下ろす魂胆があったことは、すでに述べた。  それから1週間余りがすぎたが、情勢はA’のもくろみとは裏腹に、Aの優勢が伝えられている。気の毒な [続きを読む]
  • 続・「頭が痛くなる」話
  •  〈医師は薄笑いを浮かべ「要するに、MRI検査を受けて異状がないと確認し、安心したいわけですね」と言う。「その通りです」「では、予約しましょう。いつがいいですか」とコンピューター画面のカレンダーを提示する。「一番早ければ、いつになりますか」「10月12日です」「では、それでお願いします」〉ということで、10月12日にMRI検査を受け、今日その結果がわかるということである。診察室に入ると、医師は「で [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・37
  • ホ 辞より除外すべき受身可能使役敬譲の助動詞  辞すなわち助動詞は、過程的構造についていえば、概念過程を持たない語であり、その表現性からいえば、詞が客体的なものの表現であるのに対して、辞は主体的なものの直接的表現であるといえる。詞は第三者のことについて述べることができるが、辞は主体的なものしか述べることができない。詞と辞の意味的連関についていえば、詞は包まれるものであり、辞はこれを包むものである。 [続きを読む]
  • 秋日和
  • ◆心友の便り途絶えて秋の暮れ ◆名月や果てなく続く獣道 ◆素泊まりの旅も終わりぬ秋の暮 ◆恩師吟ず「山川草木」秋の夜 ◆秋日和今日の迷いに鍼を打つ (2017.10.13) [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・36
  •  「あり」に辞としての用法があるという考え方によって、「なし」にも、辞としての用法がある。「なし」は元来、形容詞であって、詞に属すべきものだが、それが次第に肯定判断に対立する否定判断を表すようになってくる。本来、否定判断は「ず」あるいは「あらず」を用いるのが普通である。 ● 水流る→水流れ(ず)  ● 山高し→山高(からず)  しかし、 ● その事と(なく)て ● その人とも(なく)て ●思しまぎ [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・35
  •  「あり」に存在詞としての意味と、判断辞としての意味が存在することは、「て」「に」と結合する場合にも現れてくる。「て」と「あり」の結合。この結合が口語に「た」となった時、 ● 昨日見(た)。 ● あなたに送っ(た)本。  上のような「た」は、明らかに辞としての用法だが、 ● 少し待っ(た)方がいい。 ● 尖っ(た)山。  のような「た」は、「・・・である」の意味であり、詞としての用法である。  現 [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・34
  •  再び形容詞連用形接続の「あり」について考えて見ると、そこには詞としての「あり」と、辞としての「あり」の二通りがあると思われるが、「暖いです」「暖うございます」の「です」「ございます」は明らかに辞としての用法だが、次のような場合はどのように考えればよいだろうか。 ● 殿下は中将であらせられる。 ● 殿下は中将でいらっしゃる。 ● 殿下は中将にておはす。  上のように用いられた場合、「彼は中将だ」と [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・33
  •  次に、形容詞の連用形に結合した「あり」がある。 ●この冬は暖かり(く・あり)き  この例においては、すでに零記号の陳述が加わった「暖かく」に「あり」が結合したもので、その形式は「学生で」に「あり」が結合したものと同じである。 *山田孝雄氏はこの「あり」を形容存在詞と命名し(「日本文法学概論」)、「日本文法論」で以下の説明を与えられた。 〈第一種の場合(存在概念を表す場合)と同じく事物に対してのあ [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・32
  • ニ 辞と認めるべき「あり」および「なし」の一用法  現行文法書の助詞および助動詞は、私のいう辞に合致するものだが、なお幾分の出入りを認めなければならない。  その一は、一般に動詞として詞に属すると考えられている「あり」およびその一群の語である。 ● ここに梅の木がある。 ● これは梅の木である。  上の例で、「が」に接続する「ある」が存在の概念を表し、「で」に接続する「ある」は判断的陳述を表してい [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・31
  • ハ 詞辞の下位分類  詞と辞の二大別の原理は、詞辞の下位分類においても厳重に守られなければならない。詞の中には絶対に辞の概念を含めてはならないのである。詞と辞の意味的関係は、「雨が」という連語を取りあげて見ると、「雨」および「が」という各々の単語は《「雨」(が)》という図が示すように、辞(が)が詞(雨)を包む関係になっている。主体が客体を包んでいるのである。分離された詞は、それだけについて見れば、 [続きを読む]
  • 「衆院選2017」の《構図》
  •  Aが番頭役Nおよび先輩A'にそそのかされて衆議院を解散した。その目的は、低下を続ける内閣支持率を回復し、(身内の防衛産業を促進して)「私腹を肥やす」ことにある。しかし、この解散はA'がAを陥れるために打って出た窮余の一策であったことにAは気づいていない。A'は秘かにAの失脚を謀っているのでる。なぜなら、内閣改造でA'とはソリが合わないAの側近Sを排除するように迫ったがAは応じなかった、さらにAが [続きを読む]
  • 「頭が痛くなる」話
  •  8月末から「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年・550ページ)を精読開始して1カ月余り経ったが、体調に異変が生じた。いわゆる「頭皮神経痛」という症状らしい。頭皮がピリピリ、時にはズキズキして、文字を追うことが苦痛になった。  現職時代(54歳頃)、私は「無症候性脳梗塞」を発症しているので、念のため当時のカルテが残っている大学附属病院・脳神経外科を受診した。午前10時過ぎ、受付で診察券 [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・30
  • ロ 詞辞の意味的連関  詞は概念過程を経て成立したものであるから、主体に対立する客体界を表現し、辞は主体それ自身の直接的表現である。これを図に表せば次のようになる。               C(詞)   A(主体)→B(辞)?            ?              D(詞)  「花よ」という詞辞の連結を例にして考えると、感動を表す「よ」は客体界を表す「花」に対して、志向作用と志向 [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・29
  • 《二 単語における詞・辞の分類とその分類基礎》 イ 詞・辞の過程的構造形式  単語は、その過程的形式の中に重要な差異を認めることができる。 一 概念過程を含む形式 二 概念過程を含まない形式  一は、表現の素材を、いったん客体化し、概念化してこれを音声によって表現する。「山」「川」「犬」「走る」等である。また主観的な感情を客体化し、概念化すれば「うれしい」「悲しい」「喜ぶ」「怒る」等と表すことがで [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・28
  • 《第三章 文法論》 《一 言語における単位的なもの ・・・単語と文・・・》  言語研究で、単語が言語の単位であるとしばしばいわれるが、単位とはどのような事実をいうのかを考えてみる必要がある。しかし、単位とは何であるかに答えることは容易ではない。一般に使用される単位の概念には以下の区別がある。 一 量的単位 三尺、五升という時の尺、升。与えられた量を分割するための基本量の意味である。(厳密にいえば [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・27
  • 《三 文字の記載法と語の変遷》  文字は言語表現の一段階であり、思想伝達の媒介に過ぎない。また文字は、異なった社会にも隔たった時代にも媒介の機能を持つので、言語の変遷に及ぼす力は大きい。  例えば、ミモノ→見物→ケンブツ、モノサワガシ→物騒→ブッソウのように漢字的記載を媒介として新しい語が成立することもある。「シロタヘ」を「白妙」と記載した結果、タヘは布の意味に過ぎなかったが、「妙」を表意的に理解 [続きを読む]
  • 「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・26
  • 《二 国語の文字記載法(用字法)の体系》  用字法の体系とは、主体的用字意識の体系に他ならない。  言語主体が文字によって何を表そうとしたか、どのような用意があったか等の主体的な表現技術及び意図を探ることになる。  国語の文字を分類すると次の二つに分けられる。 一 言語における音声を表そうとする表音的記載法 二 言語における意味を表そうとする表意的記載法  漢字が輸入された当初、国語はすべて漢字 [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・25
  • 《第二章 文字論》 《一 文字の本質とその分類》  文字の本質は言語過程の一段階である。それは二つの側面からいうことができる。その一は、文字は、「書く」「読む」という心理的生理的過程によって成立する。音声が発音行為によって成立するのと同じで、文字は書記行為であるといえる。文字は主体的所産であり、活字についてもいえる。音声における拡声装置に似ている。文字を書記行為として捉えると、筆写体と活字体、草書 [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・24
  • 《五 音声の過程的構造と音声の分類》  自然的音声の分類基礎がもっぱらその物理的条件にあるということは、音響の本質がそこにあるからである。これに反して、言語の音声は、それが成立するためには、主体的な発音行為を必要とする。主体的意識としての聴覚的音声表象は、発音行為の一段階として現れるものに過ぎず、音声はその外に口腔の発音器官の参与と物理的過程とを含むものである。音声の成立条件としては一般に物理的構 [続きを読む]
  • 「国語学言論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・23
  • 《四 音声と音韻》  リズムによって音節が規定され、音節を構成する機能に従って母音と子音が区別されるが、これらの音をさらにその発生的条件によって類別したものが単音である。単音の概念は、純粋に生理的心理的条件を基礎にした概念である。言語の音声は、言語主体の心理的生理的所産であり、主体を離れて客観的に存在するものではない。このことは、音声を他の音響と区別する重要な契機である。   松風の音も、言語の音 [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・22
  • 《三 母音子音》  音節の分節を規定するものは、リズム形式であり、具体的には調音の変化によって経験的音節となる。音節の内容(要素)は、単音及び単音の結合により構成されている。音節を構成する単音は、母音子音の二つに類別される。母音子音の類別を、音節構成の機能上から説明したい。それは私のリズム観の第二の発展である。   母音子音の概念は、音響学的概念ではなく、音声構成における単音の結合機能に基づく概念 [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・21
  • 《二 音節》  言語の表現は、リズム的場面へ音声を充填することにより、音の連鎖が幾個かの節に分けられて知覚されることになる。これを表出における型と考えれば、そこにリズムの具体的な形式を認めることができるが、もしこれを充填された音に即していえば、音節として知覚される。音節はリズムを充填する内容であり、リズムは音節によって具象化された形式であって二者別物ではない。これが私のリズム観に基づく音節観である [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・20
  • 《第二篇 各論》 《第一章 音声論》 《一 リズム》 イ 言語における源本的場面としてのリズム  私は言語におけるリズムの本質を、言語における《場面》であると考えた。しかも、リズムは言語の最も源本的な場面であると考えた。源本的とは、言語はこのリズム的場面においての実現を外にして実現すべき場所を見出すことができないということである。それは、音楽における音階、絵画における構図のようなものである。このよ [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・19
  • 《十二 言語の史的認識と変化の主体としての「言語」(ラング)の概念》  言語の史的認識は、観察的立場においてなされるものであって、主体的立場においてはつねに体系以外のものではない。主体的言語事実を、排列した時、そこに変化が認められ、しかもそれが時間の上に連続的に排列される時、そこに歴史的変遷を認識することができる。歴史的認識は方言的認識に対立するものであり、後者は時間に対して方処的に認められる変化 [続きを読む]
  • 「国語学原論」(時枝誠記著・岩波書店・1941年)精読・18
  • 《十一 国語及び日本語の概念 附、外来語》  国語の名称は日本語と同義である。国家の標準語あるいは公用語を国語と称することがあるが、それは狭義の用法である。  国語は日本語的性格を持った言語である。  日本語の特性は、それが表現される心理的生理的過程の中に求められなければならない。我々の研究対象とする具体的言語に具備する心理的生理的過程は、その過程的形式にこそ日本語的性格が具現されているので、日本 [続きを読む]