あきらです さん プロフィール

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あきらですさん: あきらでブログ
ハンドル名あきらです さん
ブログタイトルあきらでブログ
ブログURLhttp://korewaisee.cocolog-nifty.com/akiraight/
サイト紹介文学校教育の内と外で稀有な経験をしている者の不定期ブログ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供102回 / 365日(平均2.0回/週) - 参加 2016/07/06 02:51

あきらです さんのブログ記事

  • 「障害者」から「障がい者」になった社会
  • ことばの文化についてである。ラジオで「障がい者」ということばを聞いて、以前よりも受け取る印象が変わったと感じた。私が学校で聞くもっとも嫌いなことばの一つに「しんしょう」がある。10年余り前のことであったが、赴任していた小学校で、こどもたちが事あるごとに「しんしょう」ということばを使うので、最初は何のことだかわからずに、戸惑った。それが「身障」であり、つまりは「身体障害者(当時)」のことであることを [続きを読む]
  • 観察したいもの〜子どもの目〜
  • どのように指導をすればよいか、の前に関することである。そう述べながら、最初に指導について触れる。教師主導型の授業を考えると、言えることが2つある。1つは、教師主導型の授業は、よほど威圧的に授業を進める場合を除いて、子どもたちの反応が多種多様に見られるということである。そこにあるものは、授業を自分を中心に進めたい教師からすれば「邪魔なもの」でしかないのだろう。教師は子どもたちの言動を「窘める」ことば [続きを読む]
  • 肩の力を抜く〜子どもを信じる心〜
  • なまじ少しばかり勉強ができたせいで、教えることはたやすいことだと考えてしまっていた。そういう私を待っていたのは、何がわからないのかわからない、という状態だった。思い返せば、中学、高校と進学するにつれて勉強することが好きになったのだが、小学校時代はまったく勉強が嫌いで、授業もほとんど楽しいと感じたことはなかった。当然、成績も、0点のテストを何回も取ったので、小学校時代は6年生になるまでほとんど底辺状 [続きを読む]
  • 授業中の音〜教室に響き合う子ども〜
  • 大学時代に教育方法の先生から「響き合う授業」という考え方を紹介された。子どもたちの授業中の言動が相互に結びついて相乗作用を生むというもので、授業分析で子どもたちの言動を事後に考察すると、授業中には気づかなかったものがわかってくる。子どもたちの言動の「響き合い」があふれる授業は、「望ましいものだが、それを生み出すのは難しい」と教わった。子どもたちたちの「響き合い」を妨げている教師の言動を「少しでも減 [続きを読む]
  • 学校内での服装〜自由なら気を付けるべきこと〜
  • ジャージ姿でほとんどすべての授業をしている教師は、昔も今も少なくない。ウインドブレーカーを着たまま授業をしている人もいるので、これはどうかと思う。小学校でも制服のある学校では、教師の服装についても何らかの申し合わせのようなものがある。また地域や時期や日程などによっては、やむを得ないときもあるかも知れない。ジャージや体操服のようなものが児童の制服のようになっている学校もある。そこには利点も多いのだろ [続きを読む]
  • 授業の始まりと終わり〜時間を守ろう〜
  • チャイムが鳴る学校では、チャイムで授業を始めて、チャイムで授業を終えることが望ましい。望ましいと言うのは、子どもたちの学習への意欲によっては、チャイムよりも早く授業が始まることもあるからである。それでも、終わりは、チャイムに合わせたい。次の授業への準備が子どもたちができるようにするためにである。小学校の場合は、担任がチャイムの代わりをすることがある。それはそれで仕方のないときもあるが、それでも、最 [続きを読む]
  • 懐かしい方から「励まし」のコメントをいただいて
  • ブログの処理の仕方を考えながらぐずぐずしていたところ、コメントをいただいた。以前にもコメントをいただいた方で、登録してあったのでどちら様かすぐにわかった。それで気が変わって、ブログの趣旨を変えて残すことにした。お騒がせした上に身勝手なことで気になさっていた方には申し訳ないことと考えている。コメントをいただいた方がご健在で何よりであった。今も以前のブログの装いを変えてご活躍のなのかも知れないと、ふと [続きを読む]
  • そのうち「徴兵令」が出そう〜小さな声で「さよなら」を〜
  • 災害時に国民のために捨て身になって救助救援復旧作業してくれるのはありがたい。以前から「国際救助隊」という名前にすればいいのではないかと思っていた。あの人形劇の世代の一員である。高校が無償か補助されるようになり、卒業したら、心身ともに未来の日本を支えるために2年間の「修行」を強制される。それを終えると高等教育に進める。ただし、特別に能力があると認められるものは免除される。能力のなかには、親の財力や権 [続きを読む]
  • 三重大附属小第38次(2)公開研究会の見どころは学校マネジメント
  • 以下はあえて情報操作をした記述である。2018年2月3日に公開される三重大学附属小学校の第38次2年次の授業研究会のテーマは「主体的・対話的で深い学びを実現する授業デザイン」である。小さい文字で記された「研究の基本的な考え」の末文には「子どもたちがこれからの社会で多様な問題に直面した時に必要な力をつけることにつなげたいと考えています。」とある。附属小学校のPTA会長は、珍しく立候補した者が今年度に続いて来年度 [続きを読む]
  • 中学校の授業放棄と小学校の授業崩壊
  • 学校崩壊は組織力の問題であるが、学級崩壊は教育力の問題である。しかし、その要因になっているのは、各授業の崩壊である。ワークの空欄を埋める作業に追われる中学校は、最初から教員が授業を放棄している。その原因や背景は「同情」できるものがあるにしても、それを何とかして授業にするのが教員の仕事だろう。教科書を進めることと業者テストをこなすことを考える小学校は、教員が授業を創ることができない。最初から用意され [続きを読む]
  • 先生を教材にする学び合い〜沈黙させられる羊たち〜
  • かっこつきの学び合いではない。これ以上「かっこ」つけなくてもいい。教員の募集要項に、小中学校間の異動があることを明言しているところはかなり以前からある。問題提起をして、それをみんなで調べさせてみればわかることだ。怖いのは、先生の言うことを鵜呑みにしている人たちが増えること。進路指導がその教員や塾の講師の「業績」であることは周知のことだから、生徒も保護者も調べてみればいい。どこの教育委員会のホームペ [続きを読む]
  • シンプルな教育改革の「仕方」
  • まず、一人ひとりの子どもに向き合うことをもう一度きちんと実践することだろう。どうしても、一部の子どもたちと授業を進めてしまい、その傾向は以前よりも強くなっているように思われる。「手のかかる子」や「望ましい言動をする子」ばかりに振り回されて一日が終わる教室では、多くの子どもが見捨てられたままになっている。次に、教材研究をする努力をすべきだろう。特に気になるのは、授業のねらいが教室全体のものにならない [続きを読む]
  • 排他的か、挑発か〜失敗学から学ぶべきもの
  • どちらかと言えば組織力を重視し、その機能の改善を主張していると思われる立場が、組織の構成員であるはずの同僚、あるいは、同業者に警鐘的な文言をぶつけるとき、何を読み取るべきか。児童・生徒・学生の立場になれば、罵られ、自己否定を強いられた教師が、やけくそに居直って授業時間を「こなす」ようになるのは、ただの不幸でしかない。それをお前が言えるのか、と言われればもともこもないが、簡単に言えば、児童・生徒・学 [続きを読む]
  • 「発達障がい」は「種の進化」と真剣に考えてみる
  • 確かに、集団学習になじめない様子の子どもが増えているようである。学習規律という面では、教師の指導技術の自己研鑽である程度は改善できるのも確実なようではあるが。漠然としたまとめかたで「発達障がい」とされる子どもたちは、一人ひとりが別の人格を持った人間であることは明白なことである。ところが「個に応じた指導」がなされているとは限らず、基本的には集団の学習のなかでの「支援」は「定式化」し、実際のところ「形 [続きを読む]
  • 歯切れの悪い「部活論」は仲間意識?
  • まずは、部活の指導方法にも「まずいものはまずいものがある」と言うべきだろう。どんな部活であろうとも、学校教育の一環のなかでやっているのだから、誰がやろうとも、差別やいじめや、生徒の人権を踏みにじるようなことはあってはならない。このことが大前提である。教師が多忙だから、とか、部活が学生生活のなかで意義あるものだから、などのようなことを全面に言うようなことで、部活指導の根本的な課題を解決できるだろうか [続きを読む]
  • 歴史は作られる、から、歴史を作る、へ
  • 歴史は作られる、ということは誰も疑わないだろう。「史実」とか「史料」とか「遺跡」「遺構」、「発掘」「発見」・・・・。坂本龍馬が好きだ。司馬遼太郎が好きだ。歴史は作られる。「考察」「解釈」「研究」、「焦点」「誇張」「脚色」・・・・。私が「発見」した明治期のこの地の音楽教育の創始者である「金津鹿之助」は、あの『のぼうの城』で有名になった「忍藩」の「飛び地」の出身である。論文を書いているとき、てっきり近 [続きを読む]
  • 子どもたちの歌声
  • 子どもたちの歌声で考える。私は音程と発音と声質に気を配る。楽譜に書いてある音程で、歌詞がきちんと聞こえるように、無理のない歌声で歌を歌うことができることは、重要な学力だと考えてきた。今も変わらない。声質をそろえようと思わないことも、今も変わらない。強弱や速さなどを工夫する表現については、歌う人の個性だと考える。ただし、表現にはいろいろなものがあることを子どもが気づくことは学力だと考える。基本的な教 [続きを読む]
  • ひどい中学教師を守る組織とおびえる保護者によってつぶされる生徒たち
  • 関東地方に住む友人の子どもの話である。その子が生まれたときから知っているので、それから15年たった今、家にひきこもってゲームばかりしているという年月を重ねているのが痛々しくもあり、腹立たしくもある。そのようになった原因は、中学生になってから入部した野球部の30歳ぐらいの顧問によるあまりにもひどい指導のためである。その顧問の指導は、3年生の部員を一人だけ、必ずレギュラーからはずすということを毎年行うと [続きを読む]
  • 私、失敗しないので〜『ドクターX』を見習って〜
  • 今年は再び、教育現場にもどる可能性が非常に高くなってます。緊張しながら準備を進めています。まるで初任にもどったような気分です。けれど、まがりなりにも、それなりの実践者として、一時は多くの方に認めていただいた経験のある私です。今回のきっかけを作ってくれた人も、火中の栗を拾うような英断で、私に声をかけてきてくれていることを理解しています。それほどに、今の学校現場は「大変」です。たまたま、有名なドラマ『 [続きを読む]
  • 学習塾の「教育課程」は開かれているという仮定から考える学校教育
  • とりあえず「学習塾」というものも「経営」してみた者の考えることである。私は経営能力がなく、保護者のニーズに応えられるようなものは、どうもできないようだという結論に達したところだ。近辺の学習塾は、フランチャイズのところも、個人経営のところも、多くが「ちゃんとしている」。周囲の方々から私がよく言われてきた「口コミ」の重要性もとてもうまく活用しているようだ。それにも増して、大切なことは、コース内容や教材 [続きを読む]
  • 「東大異才発掘プロジェクト」と「発達障害」から考えること
  • マスコミが「障がい」関係の話題を好むあまりに、とんでもない詐欺の片棒さえかついでしまうことがあるのは、「偽作曲家」を持ち上げた番組を作ってしまった例が有名である。マスコミも「世間」も、「異端」に対して好奇心の目を向ける。これは学校教育のなかでも日常的に起こることで、その元凶は残念なことに教師側にあり、それをきっかけとして、子どもたちや保護者たちの集団心理にも混在している「異端」をの排除が「いじめ」 [続きを読む]
  • 再び「学校現場」を考える〜反省から再生へ〜
  • 日々学校の中で教育活動をしている皆様には大変申し訳ない話です。まずはご苦労様と言いたいと思います。学校教育やその組織から離れて4年近くになります。保護者として、地域の住民として、関係する子どもたちやそのご家族の傍らに立つものとして、学校教育を「外から」見てきて、知らなかったこと考えてもみなかったことをいっぱい味わってきています。これをこれからの日本の教育のために少しでも役立てる方法はないのか。それ [続きを読む]
  • 『天才キッズ全員集合』「ピアノ対決」〜使い捨ての危険〜
  • ものすごく久しぶりの記事がものものしいことで恐縮する。ブログ休止状態の日々のあわただしさは、もはやどなたもご興味ないと思う。まして、これから書く内容も大した価値もないことだとも思われる。たかがバラエティ番組のことであるが、ここにきて、やはり番組制作者の見識というものがいかにあからさまにご都合主義であるかということを、ささやかながら具体例で示しておきたくなった。さらにはインターネット情報の不確かさに [続きを読む]
  • なんとかせねば
  • 先日、初任の学校で同僚で若く熱く教育実践を競い合った仲間が管理職となっている学校に招かれた。その学校で、本当に偶然に、私が大学教員をしていたときの学生が、正規採用となっている教師と出会った、というか、再会した、というか、遭遇した。「伊東先生の授業が懐かしい。内容の幅が広くて実践的で今でもとても印象に残っている」などと、うまく話すその「先生」の、学生時代よりもはるかに落ち着いて「教師らしく」なった姿 [続きを読む]