琥珀のウイスキー さん プロフィール

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琥珀のウイスキーさん: 「琥珀の夢」と鳥井信治郎
ハンドル名琥珀のウイスキー さん
ブログタイトル「琥珀の夢」と鳥井信治郎
ブログURLhttp://kohakudream.seesaa.net/
サイト紹介文日経新聞連載「琥珀の夢」(伊集院静)に関する話題
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供22回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2016/07/09 01:31

琥珀のウイスキー さんのブログ記事

  • 琥珀の夢 単行本
  • 伊集院静「琥珀の夢」が単行本になり、集英社から10月5日に発売されています。上下2巻で、鳥井信治郎が明治〜昭和を駆け抜けた姿が生き生きと描かれています。上巻は、両替商の次男として生まれた信治郎が、薬問屋小西儀助商店(今のスリーボンド)に丁稚奉公に入り、修行する日々。下巻は、鳥井商店の開業、赤玉ポートワインの完成、そして何よりも、今のサントリーを築いた国産ウィスキー作りへの情熱が伝わるストーリーです。 [続きを読む]
  • 琥珀の夢(412)信治郎死す
  • 昭和37年2月20日早朝、鳥井信治郎は永眠した。享年83だった。翌21日に密葬が行われ、25日に大阪四天王寺で社葬が行われた。葬儀委員長は国分商店社長、国分勘兵衛、喪主は鳥井信一郎、弔事は総理大臣池田勇人から始まり、社員代表で作田耕三取締役が涙ながらにのべた。弔電2000通、会葬者は5000人を超えた。葬儀から4ヶ月後、敬三は社内にビール営業部を新設した。府中のビール工場は急ピッチで進んでいたが、競合他社の攻勢は目 [続きを読む]
  • 琥珀の夢(403)サントリーオールド
  • 昭和25年4月1日、寿屋の最高級ウイスキー「オールド」が発表された。そのボトルの形状、色の妙味から「ダルマ」と呼ばれ話題になったオールドである。一番の注目は価格だった。社内にもあった反対を押し切って、信治郎はそれまでの日本のウイスキーで最も高い価格で売れと命じた。(余談:今はこんなプレミアム品「ひょうたんボトル」も。)サントリー オールド ひょうたん型ボトル 特級表示 43度 720ml全国の問屋・特約店も驚いた [続きを読む]
  • 琥珀の夢(391)進駐軍
  • 「昨日まで『鬼畜米英』言うて、アメリカはんを鬼のように言うていたオヤジが・・・」納得のいかない敬三に信治郎の声が聞こえた。「敬三〜、敬三は〜ん。どこへ行きよったんや、あいつは」敬三はゲストであふれている応接間に向かった。信治郎の隣に小林一三の姿があった。敬三は揚げたばかりの大海老の天ぷらが山盛りになった大皿を渡され、進駐軍の将校に出すように言われた。「敬三、ゲストはんのウイスキーがないで。早うしな [続きを読む]
  • 琥珀の夢(371) 吉太郎
  • 信治郎はこの夜も、インドシナに向かう戦艦に乗る海軍士官の壮行会を南地の「大和屋」で催していた。それは単なる海軍贔屓ではなく、彼らから正確な戦況の情報を得るという目的があった。更に大切なことは、昨年あたりから物流統制が厳しくなり、大麦の入手が困難になり始めていたという事情であった。将来の寿屋の宝であるウイスキーの仕込みを、1年でも途絶えさせることはできない。大麦の確保は寿屋の死活問題だった。イギリス [続きを読む]
  • 琥珀の夢(370) 国家総動員法
  • 1939(昭和14)年9月、ドイツのポーランド侵攻をきっかけに英仏がドイツに宣戦布告し、第2次大戦が始まった。この影響を受けて、2年前から始まっていた日中戦争で優勢だった日本に対し、アメリカとイギリスが中国からの撤退を要求した。世界の中で孤立しつつあった日本は、アジア諸国をヨーロッパ列国から独立させて、国家連合を作る方向に進み始めた。そのために日本は国内では国家総動員法などを制定し、戦時体制の統制経済政策 [続きを読む]
  • 琥珀の夢(170)小樽へ
  • 出航の朝、信治郎はホテルから家族に絵葉書を出した。小樽まで仕入先の見分に行って参ります、と書かれたはがきを見て、驚いた母のこまが喜蔵を呼んだ。「信はん、小樽へ行くそうやで」「小樽って、あの北海道の小樽でっか?」喜蔵も初耳の話だった。絵葉書には豪華客船の写真が印刷してあった。まさかこの船に乗って小樽へ、というこまに、それは無理だと喜蔵は言った。こんな豪勢な船に信治郎が乗れるはずがないと聞いて、こまは [続きを読む]
  • 琥珀の夢(356)やってみなはれ
  • 国産初の本格ウイスキー「白札」も、日本人に少しはなじみのあるはずの「オラガビール」も売れ行きは低調だった。大日本麦酒、麒麟麦酒、日本麦酒鉱泉の3社体制にあったビール市場に、安さで挑んだ信治郎だったが、既存勢力は容赦なくつぶしにかかっていた。「オラガビール」は他社の古瓶を使って詰めていたため、一社が商標権侵害の訴えを起こしたのである。問屋筋も心配したが、信治郎は「それだけビールの商いは宝の山というこ [続きを読む]
  • 琥珀の夢(352)サントリーウイスキー
  • 「サントリー」ブランドの誕生!僧侶から日輪の話を聞いた信治郎は大阪に戻ると、神戸のセレース夫人に電話を入れた。「奥さん、太陽はSUNでよろしゅおましたですかいな?」はい、太陽はSUNです、と言った夫人は、常々鳥井さんは太陽のような人だと夫婦で話していると笑った。信治郎は小紙にトリイサンと書いてみた。しかし商品名にトリイサンはおこがましい。昨日の延暦寺の僧の顔が浮かんだ。「一番上で日輪がしてくれます」そう [続きを読む]
  • 琥珀の夢(323) 竹鶴政孝
  • マッサン登場!信治郎はウィスキー造りにかかる費用の目算をしてみた。出てきた数字を見て大きくため息をついたが、すぐに思い直した。「まだ何ひとつしてへんうちからタメ息なんぞ零(こぼ)してからに、福がにげてまうで」後にも先にも信治郎が何度もため息を零したのはあの時だけだった、と後年クニが述懐している。商品ができるまで5年、10年という時間を要するウイスキー作りを成功させるきっかけが、信治郎にはまだ見えてい [続きを読む]
  • 琥珀の夢(302)トリスウヰスキー
  • 「トリスウィスキー」という名前は「サントリー」の社名より先にできたという話。(なつかしい「アンクルトリス」↓)『洋酒天国』とその時代 (ちくま文庫) (文庫) / 小玉武/著信治郎が新しいウィスキーの名前を考えていると、クニと吉太郎が帰ってきた。並んでいる「赤玉」「向獅子」「ヘルメス」を指差して、吉太郎が「トリイ、トリイ」と何度も繰り返した。吉太郎がいなくなった後も、信治郎の耳に「トリイ」という声が響いた。 [続きを読む]
  • 琥珀の夢(289)工場
  • 「赤玉」の出荷が増え始め、製造が店だけでは追いつかなくなっていた。しかし他所の工場を借りた葡萄酒造りでは、「赤玉」の品質管理が信治郎は心配だった。ところが、新しい工場を建てるには肝心の資金がなかった。番頭格の栄助も信治郎の心中を測りかねていた。しかし信治郎は決断した。「一年、いや半年でこさえようやないか」信治郎は今が勝負時だと思っていた。 [続きを読む]
  • 琥珀の夢(262)クニ
  • 「ところで大阪からの荷は届いてますやろか」信治郎は主人への土産を別に送らせていた。裏にあると言われが信治郎が荷を解きに立ち上がると、主人はクニという若い女性に手伝うように言った。裏手に行くと、羽織が汚れるから自分がするというクニを制して、信治郎は自分で荷を開け、中から「赤玉」を取り出した。「船に酔わなんだか」と包装紙を優しくなでる信治郎を見て、クニがクスッと笑った。自分の赤ちゃんみたいに話しかけて [続きを読む]
  • 琥珀の夢(254)寝ても覚めても
  • 何かの力が、その人に発見なり、新しいものを見出させるのは、当人が寝ても覚めても、そのことと対峙し続けていたからだろう。信治郎は作業場の扉に錠をかけさせて丸二日こもった。奉公人が心配して釣鐘町の喜蔵のところに相談に行った。信治郎にはいつものことだ、と思いながら喜蔵は、しかし商談に来ている問屋を放ってはおけないと言って、明日にでも信治郎に話してみると言った。喜蔵が翌朝家を出て、信治郎の裏木戸から入ると [続きを読む]
  • 琥珀の夢(247)看板
  • 寿屋洋酒店の看板は今も数点残っている。それは今でも十分通用する素材とデザインだ。「大将、このくらいでかんにんしたってもらえまへんか」木工屋の職人は本当に泣きそうだったと、後に語っている。それほど信治郎の第一号の看板へのこだわりはすさまじかった。しかしそのおかげで、職人にはあれと同じ看板をという注文が一気に増えた。もっとも、信治郎が費やした資材、染料、手間賃を聞いて皆あきらめたそうだが。 [続きを読む]
  • 琥珀の夢(186)
  • 三池丸が横浜港の桟橋に近づくと、イギリス公使を迎える軍楽隊が勇壮な音楽で迎えた。進次郎は馬車で日本大通りにあるホテルに入り、すぐに日本大通りをあるき出した。「何や、この道幅のおおけさは・・・」信治郎は道幅や英米領事館などの周りの建物に驚いた。そして、洋酒を扱う店に入って行った。 [続きを読む]
  • 琥珀の夢(185)横浜港
  • 信治郎は目の前にひろがる横浜港の大きさに目を見張った。日本一だと思っていた神戸港をはるかに上回る光景がそこにあった。「三池丸」も日本有数の船だが、それ以上に大きな客船が何隻も浮かんでいた。特に大きなのは上海行のイギリス客船だと正吉から知らされた。三池丸が向かった桟橋は、すべて鉄製だった。日本一の大桟橋だった。横浜港は今や神戸を追い越して日本一の港になろうとしていた。元々はちいさな漁村だった横浜村は [続きを読む]
  • 琥珀の夢(129)
  • 儀助は「蜂印香竄葡萄酒」を一口飲んでしばらく目を閉じていたが、風呂へ行くと言って立ち上がり、「お前も飲んでみい」と言って部屋を出た。信治郎は問屋の主人の無礼な態度にまだ腹をたてたまま、葡萄酒を茶碗に注いだ。一口飲んだ信治郎は目を開いた。二口、三口と、儀助に教えられたとおり葡萄酒を口に含んで口の中に葡萄酒が広がるようにした。「これや、この味や」信治郎は大きくため息をついて声を上げた。「この味を探しと [続きを読む]
  • 琥珀の夢(125)
  • 儀助と信治郎は店に入った。「大阪の小西儀助が来たと伝えてくれるか」儀助に言われた丁稚が下がると、しばらくして洋装の男が現れた。「さあどうぞ、奥へ奥へ」と言われたがその場に立っていた信治郎を、儀助が一緒に来るように促した。奥にはずらりと商品が並んだ棚に囲まれた楕円形の机の上に、さまざまな形のガラスの瓶とグラスが並んでいた。すぐに銀製の盆を手にした女性が現れ、どうぞ一杯と言って「電気ブラン」を2人に勧 [続きを読む]
  • 琥珀の夢(124)
  • 信治郎は、東京の問屋の店半分が畳敷きではなく、机をはさんで客と対応しているのに驚いた。また電話が何台も四六時中鳴り響いているのも小西屋とは大違いだった。儀助が出てきた。店の主人から勧められた日本銀行のほぼ完成した建物を、信治郎は儀助と一緒に見た。大阪の日銀の何倍もの大きさだった。清國から多額の賠償金を取ってさぞお金があるのだろう、と儀助は言い、2人は次の問屋に向かった。大伝馬町に入ると、その店には [続きを読む]
  • 琥珀の夢(122)伊集院静氏に紫綬褒章
  • 儀助の言葉が信治郎には理解できなかった。この国の一番は大阪ではないのか?信治郎は首をかしげてもう一度皇居を見た。東京の様子は大阪とはいろいろ違っていた。洋装の男衆、女衆が多いこともそうだったが、橋のたもとに物乞いがいないことも目立った違いだった。商家が目に見えて多くなったあたりで、「恵比寿ビール」の看板が目に入った。「信吉、あれが明日訪ねる『国分』はんや」東京で一番の問屋だという。問屋の商いもこれ [続きを読む]
  • 琥珀の夢(120)富士山
  • 信治郎は初めて乗る汽車の旅に興奮して眠れなかった。信治郎の耳に、父母の会話がよみがえった。どうして丁稚の信治郎がそんな遠くに行かねばならないのかという母のこまと、いや、小西屋の旦那に信治郎はそれだけ見込まれているのだという父の声だった。浜松を過ぎると、5月の星空を円錐形に切るようにしている山影が見えた。初めて見る富士山の姿だった。「鳥井信治郎の商いの夢をどうか叶えさせとくれやす・・・」そして大磯を [続きを読む]
  • 琥珀の夢(117)
  • 旅支度のために久しぶりに実家に戻った信治郎に、家族は感心しきりだった。母のこまは不安がったが、兄の喜蔵は心配するなと話した。こまは大阪から東京に旅立ったまま消息を断った何人もの家族、男衆の話をした。大阪人にとって、東京はまだ別の土地だった。父の忠兵衛は年の初めから床に伏すことが多くなっていた。信治郎の目にもその衰えははっきりわかった。喜ぶ忠兵衛に、信治郎は「帰ってきたらみやげ話をぎょうさんしますよ [続きを読む]
  • 琥珀の夢(107)
  • 儀助は信治郎の話を聞いていた。「赤門印には甘みの加減が足らんのと違いますか」信治郎がそう言うと、儀助は目を大きく開いて信治郎を見つめた。儀助は驚いていた。自分が何年も探しているものを、まだ1年も経たないうちに丁稚の信治郎が口にしたことに感心した。「どや、わてと2人で、その甘味をこしらえてみよか?」物事はあきらめたら終わりだ。そのことを儀助は忘れかけていたが、信治郎のおかげで思い出したのだった。「信吉 [続きを読む]
  • 琥珀の夢(105)
  • 居留地に行くと、やはり苦情はあの外国人だった。中から以前と違う中国人の執事が出てきた。信治郎は栓の取れた葡萄酒の替え1本に加え、2本の葡萄酒と、伊助から渡されていた銭の入った封筒をその執事に渡した。執事は笑って自分の名はヤンだと言った。店に帰ると信治郎は儀助の手伝いに、いつもより早く呼ばれた。作業場で待っていた儀助の機嫌が悪いことが、信治郎にはすぐわかった。「信吉、今朝居留地へ『赤門印』の苦情で出 [続きを読む]