カトリック情報 Catholics in Japan さん プロフィール

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カトリック情報 Catholics in Japanさん: カトリック情報 Catholics in Japan
ハンドル名カトリック情報 Catholics in Japan さん
ブログタイトルカトリック情報 Catholics in Japan
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/catholic_info
サイト紹介文聖人伝、教会史、格言、みことばなどを掲載します。フェイスブックのカトリックグループにも投稿しています
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供863回 / 365日(平均16.6回/週) - 参加 2016/07/09 05:15

カトリック情報 Catholics in Japan さんのブログ記事

  • ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父17 中国での司牧
  • 『愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 17 まず上海のサレジオ学校におくられ、中国語の勉強をしなければなりません。外国語のタレントに恵まれていたかれは、おどろくばかりの進歩をとげ、1か月後は、早くも中国語で最初の教理レッスンをしました。祈りの協力を願い、母によく便りをしていたかれは、この喜びを次のように書きました、「おかあさん、あなたのお手紙に答 [続きを読む]
  • ハンガリーの聖ステファノ王証聖者  St. Stephanus Rex C.
  • ハンガリーの聖ステファノ王証聖者  St. Stephanus Rex C.  記念日 8月16日 諸聖人の中には王侯も数多見出されるが、わけても有名な一人にハンガリア王ステファノがある。 王は980年の誕生であった。当時ハンガリーの住人はまだキリスト教を知らず西の方オーストリアやドイツに外征を試みなどしたが、933年及び955年の両回にわたり敗北を喫した。ハンガリーの国にようようキリスト教が伝来し始めたのはこの頃からで [続きを読む]
  • 日本と聖母マリア
  • 「日本と聖母マリア」カトリック中央協議会 日本に初めてキリスト教を伝えたのは、イエズス会の宣教師「フランシスコ・ザビエル」です。 1549年8月15日に鹿児島の海岸に上陸しました。日本に着いた日が、ちょうど聖母マリアの被昇天の祭日に当たっていたこともあって、ザビエルは、日本を聖母マリアに捧げました。 日本と聖母マリア他人が、ひとの国を誰かに勝手に捧げるとはけしからんと怒る向きもあるかもしれませんが、当人 [続きを読む]
  • 神に対するには 十字架の聖ヨハネ
  • 神は理解しえないもの、近づきえないものです。ですから、意志は、愛の働きを神に向かわせるためには、それを欲求によって触れられるもの、理解されるもののうちに置いてはならず、欲求の理解しえず把握しえないもののうちに置かなければなりません。このようにすれば、意志は、知性の理解によって感じうるいっさいのものを越えて、感情の空虚と暗黒のうちに、理解しうるいっさいをこえて信じ愛しつつ、確実なものを真実に、信仰の [続きを読む]
  • 聖母の被昇天の大祝日    Assumptio B. Mariae V.
  • 聖母の被昇天の大祝日    Assumptio B. Mariae V.           大祝日 8月15日 聖会の一年間には聖母の祝日が決して少なくない。が、中でも我等にとり最も喜ばしく、また最も懐かしいのは聖母被昇天の大祝日であろう。この日記念されることは主として二つある。聖マリアの実に清らかな御臨終と、その天主における比類ない御光栄がそれである。 聖母があのペンテコステの日に、御弟子方と一座して御聖体とその賜 [続きを読む]
  • 3-6-5 商鞅の変法
  • 『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年6 戦国の乱世5 商鞅(しょうおう)の変法 魏の文侯は治世五十年にして死去し(前三九六)、その後は武侯をへて、恵(けい)王が立った。 恵王をたすけて宰相の位にあったのが、公叔座(こうしゅくざ)である。 この公叔座をたよって、衛の国からわたってきた一人の男があった。 衛の王室の出身で、公孫鞅(おう)という。 公叔座は鞅を召しかかえると、たちまちその賢明 [続きを読む]
  • ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父16  カルヴァリオ神父の召命
  • 『愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 16「カリストくん、きみは何を祈るの?」「ぼく、イエズスさまにお願いしてるんです。聖アロイジオのように清くして、りっぱな神父さまにしてくださいって」「ふうふうむ!」院長さまは、感心してしまいました。そして、かれを志願者として、ヴァルドッコのサレジオ会中学校に送ることにしました。それにしても、あまりにも貧乏な家 [続きを読む]
  • 3-6-4 名君と賢臣
  • 『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年6 戦国の乱世4 名君と賢臣 さて晋の国の三分(さんぶん)から八年後、魏の国では文侯が立った(前四四五)。 文侯は、さきに知伯をほろぼした魏桓子の孫にあたる。 在位すること五十年、内治にも外征にもすこぶる大きな業績をあげ、魏の全盛時代をきずきあげた。 その二十二年には韓や趙とともに、周の王室から諸侯に列することを認められている(前四〇三)。 名実とも [続きを読む]
  • ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父15  カラヴァリオ神学生
  • 『愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 15 司教叙階後1年たって、ヴェルシリア司教は、サレジオ会本部に行かねはなりませんでした。この機会を利用しておよそ1年ほどヨーロッパに止まりました。それはサレジオ会経営の諸学校や諸司教区の神学校で講演し、布教地の召し出しを促進するためです。もっと熱心だったのは、とくに若い神学生でした。なかでもいちばん燃えていた [続きを読む]
  • 聖ヒッポリト司祭殉教者
  • 聖ヒッポリト司祭殉教者         記念日 8月13日 ヒッポリトは3世紀の最も重要なローマの神学者であったが、同時に最初の「対立教皇」であったので、なぜこのような人が聖人になったのか不思議に思われるかもしれない。彼は教皇ゼフィリノの教えに反対して、ゼフィリノの後継者のカリスト教皇の時、離教して対立教皇として独立した。しかし、彼を再び教会に立ち帰らせたのは、マクシミヌス皇帝の迫害であった。ヒッ [続きを読む]
  • 3-6-3 予譲の復讐
  • 『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年6 戦国の乱世3 予譲(よじょう)の復讐 知伯の家来に予譲(よじょう)という者があった。 はじめ范氏および中行氏につかえたが名声あがらず、去って知伯につかえたものである。 晋陽の敗戦の後、ひとり山中にのがれた。そこで知伯が殺されたこと、さらに趙襄子が知伯の頭蓋に漆(うるし)をぬって飲器(いんき=さかずき)したことまで聞いた。 「ああ、士はおのれを知る [続きを読む]
  • ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父14  司教聖別
  • 『愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 14「とんでもありません、この布教地の発展は、他の宣教師たちの努力がみのったのです」といって、かれは、断ろうとしました。そのときは、ちょうどこの地方に内乱が起きて、教会は難民でごったがえしていた時期だったので、なおさらです。 かれは、6か月ためらった後に、自分をそれにふさわしくないと思いながらも、教皇さまの決 [続きを読む]
  • 最高の至福 聖アウグスティヌス
  • それで、神の国の最高善は、永遠で完全な平和であるので、死すべき人間が出生から死へと通過するような平和ではなく、もはやいかなる敵対者を耐える必要もなく不死なる者としてそこにおいて存続する平和なのである。これが最高の至福の生であることをだれが否定するであろうか。また、その生と比較するなら、この世における現実の生は、それがどれほど魂と身体や外的事物の善に満たされていようとも、まったく悲惨であるとだれが判 [続きを読む]
  • 聖エウプリオ殉教者
  • 聖エウプリオ殉教者                  記念日 8月12日 ディオクレチアヌス皇帝の迫害の時代、304年にシチリアのカタニアでエウプリオという助祭が貧しい人々に福音を読んでいるところを発見された。早速、総督のカルヴィシアヌスの前に連れ出されたエウプリオは、以前から信仰のために死ぬことを予期していたので、「自分は殉教の覚悟をしている」と言った。 エウプリオが四福音書を手に持っているのを [続きを読む]
  • 3-6-2 晋陽の攻防
  • 『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年6 戦国の乱世2 晋陽の攻防 日の出の勢いの知伯瑤は、韓氏と魏氏に対して、土地の割譲(かつじょう)を求めた。 韓氏の当主である康子(こうし)も、魏氏の当主たる桓子(かんし)も、この申しいれに憤然とした。 拒絶しようとしたが、重臣のすすめにしたがって、ひとまずは知伯に屈し、それぞれ土地を差しだした。 ついで知伯は、趙氏にも土地を要求した。しかし趙氏は与 [続きを読む]
  • ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父13  司教区分割
  • 『愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 13 ヴェルシリア神父は、地図を前にして、ある日、カントンの司教から相談をうけていました、「カントンのひじょうに広いこの司教区を、聖座は二つに分け、一つをサレジオ会にまかせたいといっています。わたしは大喜びです。以前パリシッション会は、ここに8つの教会を建てていました。でも今では5人の宣教師しかいなくて、とても [続きを読む]
  • 聖ラウレンチオ助祭殉教者   St. Laurentius M.
  • 聖ラウレンチオ助祭殉教者   St. Laurentius M.          記念日  8月10日 258年ローマ皇帝ヴァレリアノがキリスト教弾圧の新法を設けると、信徒に対する官憲の迫害は急に峻烈になり、その翌年には教皇シクスト2世もカタコンブでミサ聖祭を献げようとしておられる所を捕縛され、すぐさま斬首の判決を下された。彼が引かれゆく時、助祭のラウレンシオは涙ながらにその後を追い「父よ、子の私を捨てて何処へお [続きを読む]
  • 3-6-1 晋室の没落
  • 『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年6 戦国の乱世1 晋室の没落  野の国といえば、文公が覇者となって以来、ときに消長はあっても、つねに中原の大国であった。 北方の覇者としての地位も、おおむね保ってきた。 しかし前六世紀となって、文公の死から百年あまりもすぎれば、さしもの大国にも、ようやく没落のきざしがあらわれてくる。 「晋は、もはや末世であります。民はつかれ、道には行き倒れがつづいてい [続きを読む]
  • ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父12  身売りを防ぐ
  • 『愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 12 サレジオ会がまかされた地方には、よくない習慣がありました。迷信や貧乏のため、娘を売る親が少なくなかったのです。未信者だけではありません。まだ信仰の深い信者も、娘を売りました。 さて、ヴェルシリア神父は、ここに来て2年目を迎えていました。その頃になると、苦しむ人を助けるかれの噂も広まっていたのです。ある信 [続きを読む]