カトリック情報 Catholics in Japan さん プロフィール

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カトリック情報 Catholics in Japanさん: カトリック情報 Catholics in Japan
ハンドル名カトリック情報 Catholics in Japan さん
ブログタイトルカトリック情報 Catholics in Japan
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/catholic_info
サイト紹介文聖人伝、教会史、格言、みことばなどを掲載します。フェイスブックのカトリックグループにも投稿しています
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供956回 / 365日(平均18.3回/週) - 参加 2016/07/09 05:15

カトリック情報 Catholics in Japan さんのブログ記事

  • 聖伝の傍証
  • わが子よ、イエズス・キリストにある恩寵において自分を強めよ。そして多くの証人の前で、あなたが私から聞いたことを他人に教えられる忠実な人々にまかせよ。ティモテオへの第二の手紙 2章1-2節 [続きを読む]
  • シュステル枢機卿 − 模範的な司牧者 8、修道名を理想の的
  • 『シュステル枢機卿 − 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著◆8、修道名を理想の的 かれは、決定しました。そして、16才のときに修練者となって、修道名をもらいました。イルデフォンソという名です。この聖人こそ、かねてから、かれがよく理解し、もはんとしてあおいでいた人です。 この聖人は、スペインのトレド市の司教で、あの当時聖母の祝日を決定するために、656年の司教会議でよく働きました。そして [続きを読む]
  • 聖アッカ司教
  • 聖アッカ司教              記念日 10月20日 アッカはイギリス北部のノーサンブリアで、ヘクサムのウイルフリド司教に仕え、彼に従ってローマに行ったこともあった。ローマでは。教会の組織について自分の国では到底学ぶことのできない貴重なことを学んだのであった。その後ウイルフリド司教が死去した時、アッカがあとを継いで司教となった。アッカはイギリスの教会にローマの習慣を取り入れる必要性を感じて [続きを読む]
  • シュステル枢機卿 − 模範的な司牧者 7、信仰深い母
  • 『シュステル枢機卿 − 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著◆7、信仰深い母 よく訪れてくる母と妹に少年は、自分の召しだしをうちあけてみました。「お母さん、ぼく修道者になりたいのです。でも、そうすれば、お母さんの老後はどうなるのでしょう」 母は「口をつぐんで、ひとこともいいません。いいえ胸がいっぱいで、いえなかったのです。でも、家に帰ってから、手紙が来ました。「神さまが、おまえを召し [続きを読む]
  • アンチオキアの聖イグナチオ司教殉教者 St. Ignatius E. et M.
  • アンチオキアの聖イグナチオ司教殉教者 St. Ignatius E. et M.  記念日 10月17日 古い伝説によれば聖イグナチオは聖ポリカルポや聖パピアスのように、使徒聖ヨハネの弟子であったと言う。そして子供の時既に聖主のお選びを蒙ったと伝えられている。即ち聖福音書に、ある日イエズスが弟子達に謙遜を教え給うた時「人もし第一の者たらんと欲せば一同の後となり、一同の召使いとなるべし」と仰せられ、更に一人の幼子を呼び寄 [続きを読む]
  • 3-12-5 武帝の周囲
  • 『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年12 太后と皇帝5 武帝の周囲 こうして武帝は何人もの兄をさしおいて、皇帝となった。しかし、まだ少年である。 そのうしろには母の王太后がひかえていた。 また武帝が帝位につくのに何よりも力になった人、伯母の館陶(かんとう)長公主が、厳としてひかえていた。 その娘、つまり武帝の従妹(いとこ)は、いまや皇后である。実家の姓をとって陳皇后という。 そうして、こ [続きを読む]
  • シュステル枢機卿 − 模範的な司牧者 6、聖パウロ大修道院の付属
  • 『シュステル枢機卿 − 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著◆6、聖パウロ大修道院の付属 寄宿学校で小学校をおえたシュステル少年を前に、母は苦しみました。あまりにも貧之で、これはど優秀な息子を進学させられないことが、つらかったのです。でも、すでにこの家族を助けていた聖ビンセンシオの婦人会が、それに気づいて、少年の進学にひとはだぬいでくれました。 これから、少年の学校は、聖パウロ大修院 [続きを読む]
  • イエズスの聖テレジアおとめ教会博士  St. Theresia ab Avila V.
  • イエズスの聖テレジアおとめ教会博士  St. Theresia ab Avila V.  記念日 10月15日 アヴィラの聖テレジアは、やはり同名で知られた聖女、イエズスの小さきテレジアと区別するため、時に大テレジアと呼ばれる事があるが、実際彼女はその名に値するほど類稀な大聖女で、聖会の為、また宗教の為、抜群の功績をたてたのであった。 大テレジアは1515年3月28日、スペインのアヴィラ市に産声を挙げた。両親は信心深い貴 [続きを読む]
  • 3-12-4 景帝の後宮
  • 『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年12 太后と皇帝4 景帝の後宮 文帝が死んで(前一五七)、皇太子が即位した。すなわち景帝である。 その母は皇太后となって竇(とう)太后と称せられ、いよいよ宮中に勢力をふるった。 黄老の説も、ますますさかんであった。 しかし、このころ知識人のあいだでは、ようやく儒学がさかんになっている。 儒学は秦の始皇帝によって、きびしい弾圧をこうむったが、漢代になって [続きを読む]
  • すべての希望は神のうちにある 聖アウグスティヌス
  • すべての希望は神のうちにあるさて、わたしのすべての希望は、あなたの大きなあわれみにかかっている。あなたの命ずるものを与え、あなたの欲するものを命じてください。あなたはわたしたちに節制を命ぜられる、「わたくしは神がそれを与えられないなら、何びとも節制を持つことができないのを知っている。それゆえそれがだれの賜物であるかを知ることも、一種の知恵である」(知書8:21)と聖書にいわれている。じっさい節制によっ [続きを読む]
  • シュステル枢機卿 − 模範的な司牧者 5、小学校時代
  • 『シュステル枢機卿 − 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著◆5、小学校時代 シスターたちが経営する幼稚園を卒園した坊やは、いよいよ、市立小学校にかようことになりました。もう坊やではありません。少年は、学者になったつもりで、たびたび出かけていっては、ローマの遺跡を熱心に勉強しました。しばらくすると、お友だちをつれていって、説明するほどになりました。この小さな研究家たちの視察団にくわわ [続きを読む]
  • 聖カリスト1世教皇殉教者  St. Callistus Pap. M.
  • 聖カリスト1世教皇殉教者  St. Callistus Pap. M.      記念日 10月14日 キリスト教の初代に聖会を統治された教皇方は、殆ど皆殉教されたが、217年から222年までペトロの聖座に在ったカリストも、同様の運命を免れることが出来なかった。 彼はローマ人に最も蔑視されていた奴隷階級に生まれたが、幸いにも主人はキリスト信者で、自分も聖教を奉じて人となった。その中でユダヤ人に邪宗門の信者と訴えられた [続きを読む]
  • 秋田の聖母  1973年10月13日
  • 愛する娘よ、これから私の話すことをよく聞きなさい。そしてあなたの長上に告げなさい。前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、御父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのとき御父は、大洪水より重い、今までにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって、人類の多くの人々が死ぬでしょう。善い人も悪い人と共に、司祭も信者と共に死ぬでしょう。生き残った人々には、死 [続きを読む]
  • シュステル枢機卿 − 模範的な司牧者 4、子どものあそび
  • 『シュステル枢機卿 − 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著◆4、子どものあそび かわいくて、無邪気なシュステル坊やのミサ仕えがはじまります。あの当時ミサ仕えするものは、大きなミサ典書を祭壇に左から右へ移すことになっていました。でも、4才の坊やには、いっしょうけんめい、爪立ってみても、手がとどきません。「あのね、坊や」と、あるとき、香部屋係のシスターがいいました、「届かないなら、足の [続きを読む]
  • 聖エドワード2世王証聖者   St. Eduardus II. C.
  • 聖エドワード2世王証聖者   St. Eduardus II. C.    記念日 10月13日 エドワードというイングランド国王は数名あって、中にはエドワード6世の如くカトリックを忌み嫌い、これに迫害を加えた者もあったが、またその反対に聖教を熱愛し徳を修め聖人と崇められるようになった英君も二方ある。それはエドワード1世及びその甥に当たるエドワード2世で、本日記念するのは後者の方である。 彼は1013年エテルレッド [続きを読む]
  • 3-12-3 文帝の一代
  • 『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年12 太后と皇帝3 文帝の一代  文帝の母は薄(はく)氏の出身であった。 かつて高祖に愛され、一子をうんだが、その後はかえりみられなかった。 そのために呂太后からもにくまれることなく、子が代王となるや、宮中から出て代(自分の領地)におもむいた。 代王は、その位にあること十七年にして、呂太后が死んだ。 呂氏一族はほろぼされ、群臣は、代王の徳望と、薄氏の仁 [続きを読む]
  • シュステル枢機卿 − 模範的な司牧者 3、聖母に見守られて
  • 『シュステル枢機卿 − 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著◆3、聖母に見守られて かれには、聖母の取りつぎによる恵みが目立っています。子どものとき、もう一つ大きな恵みを受げました。あるとき、完全に失明しましたが、聖母にお願いして、奇跡的に癒され、'不思議にも、ずいぶん年をとってからでさえ、一度も眼鏡を使う必要がありませんでした。 あるときは、家の前で遊んでいるところを、さらわれて連 [続きを読む]
  • パリの聖ディオニジオ司教と同志殉教者
  • パリの聖ディオニジオ司教と同志殉教者     記念日 10月9日 フランスの保護の聖人の一人聖ディオニジオはイタリア人で、250年頃6人の宣教師と共にパリへ派遣された。その中には大胆なエレウテリオとルスティコが居た。宣教師達の非常な努力によって多数の市民が改宗した。これを見たローマ総督フェスチェンニヌスは3人を捕らえて牢獄に入れた。彼等は長い間牢獄の中で乏しい生活に苦しめられたが、275年頃、首を [続きを読む]
  • 3-12-2 呂氏の天下
  • 『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年12 太后と皇帝2 呂氏の天下  すでに丞相の蕭何(しょうか)は死去していた(恵帝二年)。 かわって丞相に任ぜられたのは、曹参(そうさん)である。 曹参は将軍として大功を立てた。 よって大名にとりたてられたが、もとより学はない。 かねてから黄帝(伝説上の帝王)や老子の説をこのみ、政治の道は清静(せいせい)をたっとぶことにあり、と信じていた。 そこで丞相 [続きを読む]
  • シュステル枢機卿 − 模範的な司牧者 2、母の信仰
  • 『シュステル枢機卿 − 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著◆2、母の信仰 父が亡くなると、母はすぐさま、ふたりの子どもを連れて、ラテラン大聖堂にもうで、自分の家族を聖マリアにささげました。 でも、長男は生まれつき体が弱く、まもなく、病気になって、医者がもうだめだと、見放すはどになりました。「いいえ、この子のために、聖母がいます」と母は、子どもを聖母のこ像の前において、回復の恵みを受 [続きを読む]
  • 聖デメトリオ殉教者
  • 聖デメトリオ殉教者     記念日 10月8日 テサロニケのデメトリオは歴史と伝承の偉大な「軍人の聖人」の一人である。彼は多くの弟子達を信仰の為に必要ならば殉教するように励ました。ある時ネストルという人はガレリアヌス皇帝の率いる剣闘士と戦うために闘技場に投げ込まれた。不幸にして、ガレリアヌス皇帝の選手はネストルに殺されたので、怒った皇帝はネストルばかりでなく、彼の教師デメトリオまで捕らえて死刑にし [続きを読む]