カトリック情報 Catholics in Japan さん プロフィール

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カトリック情報 Catholics in Japanさん: カトリック情報 Catholics in Japan
ハンドル名カトリック情報 Catholics in Japan さん
ブログタイトルカトリック情報 Catholics in Japan
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/catholic_info
サイト紹介文聖人伝、教会史、格言、みことばなどを掲載します。フェイスブックのカトリックグループにも投稿しています
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供961回 / 365日(平均18.4回/週) - 参加 2016/07/09 05:15

カトリック情報 Catholics in Japan さんのブログ記事

  • 3-2-3 殷周の革命
  • 『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年2 殷より周へ3 殷周の革命 周の文王は、いよいよ中原に兵をすすめたが、陣中で没した。 よって征服の事業は、その子の発(はつ)にひきつがれた。これが、武王である。 武王のひきいる周の軍は、殷の都にせまった。 そして都の西南、牧野(ぼくや)において、天下わけ目の決戦がおこなわれ、ついに周が勝った。 殷の軍は総くずれとなり、紂王(ちゅうおう=帝辛)は宮殿 [続きを読む]
  • 聖ザビエルの見た日本人 
  • 神のことを聞く時、特にそれがわかるごとに大いに喜ぶ。私は今日まで旅した国においてそれがキリスト教徒たると異教徒たるとを問はず、盗みについて、こんなに信用すべき国民を見たことがない。獣類の形をした偶像などは祭られていない。大部分の日本人は、昔の人を尊敬している。私の知り得たところによれば、それは哲学者のような人であったらしい。国民の中には、太陽を拝む者が甚だ多い。月を拝む者もいる。しかし、彼らは、皆 [続きを読む]
  • 第4章 異端と教父たち
  • 「第4章 異端と教父たち」『聖会史のはなし』浦川和三郎司教16教会は迫害を免れてから、長らく平和を楽しむことができましたかいいえ。外からの敵がいなくなりますと、間もなく恐るべき敵が内から起こってきました。内からの敵とは、異端者と離教者であります。キリストの授け給うた教理の中から勝手な選択をし、その欲する所を知り、他はこれを投げ棄てるか、変更するか、するものが異端者で、離教者とは、正当な牧者である教 [続きを読む]
  • カスチアの聖リタ修道女     St. Rita de Cascia
  • カスチアの聖リタ修道女     St. Rita de Cascia          記念日 5月 22日 1377年イタリアのロカポレナで農民の家に生まれた若きリタは、修道女になることを願ったが、両親の願いに従って結婚した。彼女の夫は、凶暴で放蕩であることがわかり、彼らの二人の息子はますます彼を真似するようになっていった。祈りによって支えられながら、彼女は多くの年月の間愛情あふれた妻また母であり続け、最後に夫も [続きを読む]
  • 3-2-2 周族の興隆
  • 『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年2 殷より周へ2 周族の興隆 「周」の開国にまつわる物語も、また伝説につつまれている。 その始祖たる后稷(こうしょく)の母は、帝嚳(こく)の正妃であった。 ある日、野にでて巨人の足あとを見つけ、よろこんでふむと、たちまちみごもった。 そして男の子をうんだ。不吉の子として、せまい巷(ちまた)にすてたが、馬も牛も避けて通った。 氷の上にうつすと、鳥がきて [続きを読む]
  • 小さな掟 聖書
  • あなた方に言っておく。天地の続くかぎり、律法の一点一画も消え失せることはなく、ことごとく実現するであろう。だから、最も小さな掟の一つでも破り、またそうするように人々に教える者は、天の国で最も小さな者と呼ばれる。しかし掟を行い、それを教える者は、天の国で偉大な者と呼ばれる。マタイによる福音書 5章18-19節 [続きを読む]
  • 第3章 キリスト教帝国内における聖会(紀元313年−476年)
  • 「第3章 キリスト教帝国内における聖会(紀元313年−476年)」『聖会史のはなし』浦川和三郎司教11迫害の幕を閉じたのは誰でしたか。迫害の幕を閉じたのは、コンスタンチヌス大帝でした。時にコンスタンチヌスはガリア(今のフランス)におり、ローマにはマクセンチウス帝がおりまして、互いに天下を争いました。紀元312年、コンスタンチヌスは兵をひきつれてローマに進軍しました。その途中、燦然たる十字架が太陽面 [続きを読む]
  • カンタリチオの聖フェリクス証聖者    St. Felix a Cantalicio C.
  • カンタリチオの聖フェリクス証聖者    St. Felix a Cantalicio C.   記念日 5月18日 16世紀は人も知る如く、ルター等がいわゆる宗教改革の美名に隠れて様々の異端説を唱導し、欧州の宗教界を収拾し難い混乱に陥れた悲しむべき時代であったが、他方には新大陸アメリカに布教の開拓が行われ、また東洋にも宣教が盛んになった外、数多の聖人も輩出するという喜ぶべき現象も少なくなかった。本日祝う聖フェリクスなどもそ [続きを読む]
  • 3-2 殷より周へ
  • 『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年2 殷より周へ1 殷王の権力 殷王のしごとは、まず巫(ふ=神がかり)や卜(ぼく=うらない)によって神意をたずね、これにしたがって祭祀(さいし)や政治をおこなうことであった。 はじめのころ、殷王は巫師(ふし)の長であり、その下に卜師(ぼくし)があった。 ところが殷代の末期になると、王みずから卜(ぼく)をおこなうようになる。 つまり王は、巫と卜とを独裁す [続きを読む]
  • 米国上院での祈り
  • 天の御父よ、私たちはこの日、御身の御前に近づき御身の赦しと識別を乞い求めます。私たちは聖書のこの句を知っております。「悪を善と呼ぶものは呪われよ!」と。それを私たちはしてしまいました。私たちは価値評価を全てひっくり返しました。それを告白致します。私たちは御身の福音の絶対の真理をあざ笑い、私たちはそれを「多元主義」と呼びました。私たちは他の神々を拝み、それを「開かれた文化」と呼びました。私たちは道徳 [続きを読む]
  • 第2章 異教帝国内における聖会(紀元64年−313年)
  • 「第2章 異教帝国内における聖会(紀元64年−313年)」『聖会史のはなし』浦川和三郎司教8なぜローマ帝国はキリスト教を迫害しましたか。ローマ帝国は、紀元64年から313年まで、250年間の間、10回もキリスト教を迫害しました。その原因はいろいろあります。(1)まず、ローマの民衆は、キリスト教もその道徳をも知らないで、キリスト教徒はロバの頭を拝むだの、幼児を殺してその血をすするだの、夜中集会して忌 [続きを読む]
  • 聖パスカリス・バイロン司祭      St. Paschalis C
  • 聖パスカリス・バイロン司祭      St. Paschalis C.        記念日 5月17日 今や全世界公教徒の待望の行事となった御聖体大会はおよそ115年ほど前にイタリアではじめられたものであるが、1897年この大会その他御聖体に関係ある事業の保護者には、どの聖人を選ぶかが問題になった際、多くの人々は、御聖体の殉教者と呼ばれる聖タルチシオを期待したにかかわらず、時の教皇レオ13世は一般の予想を裏切っ [続きを読む]
  • 第1章 使徒時代の聖会 (紀元30年ー70年)
  • 「第1章 使徒時代の聖会 (紀元30年ー70年)」『聖会史のはなし』浦川和三郎司教1使徒たちは聖霊をこうむってから、何を致しましたか。使徒たちは聖霊をこうむるや、たちまち室内を飛び出しました。そして、聖ペトロは一同にかわり、むらがるユダヤ人に向かって口を開き、イエズスキリストが約束の救い主にてましますことを聖書によって証明し、皆に痛悔を勧めました。聴く人はいずれも大に感じて信仰を起こし、洗礼を請う [続きを読む]
  • ネポムクの聖ヨハネ司祭殉教者    St. Joannes de Nepomuk M.  
  • ネポムクの聖ヨハネ司祭殉教者    St. Joannes de Nepomuk M.      記念日 5月 16日 ネポムクの聖ヨハネの肖像は、大抵黒の司祭服の上に小白衣とストラとを纏い、右手に十字架を持ち、左手に口を閉ざす様に描くのが常である。その理由を知るにはローマ殉教録を見るがよい。そこには彼に就いて次のような記事が見出される。「ネポムクの聖ヨハネは、告白の秘密を漏らせと強要されたのを断固拒絶した為、モルダヴ河中 [続きを読む]
  • ロザリオの効果  ファティマの聖母
  • 神父様、ご覧ください。私達の生きるこの最後の時にあたって聖母はロザリオを唱えることに新しい効果を与えてくださいました。たとえそれがどんなに難しくとも、この世的なあるいは、特に霊的な問題、私達一人一人の個人的な生活上の問題、家族の問題、この世のすべての家族の問題、修道会の問題、民族の問題、国家の問題などなど私達がこの聖なるロザリオの祈りによって解決できない問題などありません。ロザリオを唱えることによ [続きを読む]
  • 使徒聖マチア              St. Matthias Ap.
  • 使徒聖マチア              St. Matthias Ap.          祝日 5月14日 ある日聖ペトロが使徒達を代表して「主よ、私共は一切を棄ててあなたに従いました。その代わりにはどんな報酬が得られましょう?」とお訊ねすると、聖主は「我に従うた汝等は、世あらたまって人の子がその光栄の座に就く時、同じく12の座に就いてイスラエルの12族を審くであろう。」とお答えになった(マテオ19・27−28 [続きを読む]
  • ファティマの聖母
  • ファティマの聖母         記念日 5月13日ポルトガル中部の丘陵地帯コパ・ダ・イリアの近くで聖母は1917年5月13日から10月13日までの間に、6回にわたって3人の田舎の子供たち、ルチア・サントス、ヤシンタ・マルトとその弟フランシスコに現われました。出現のときにマリアは子供たちに、聖母の無原罪の宿りをたたえるための行列を行い、罪の償いを行い、ロザリオの祈りを唱えるよう信者たちに知らせるようにと言い、 [続きを読む]
  • 3-1-5 伝説より史実へ
  • 『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年1 伝説の時代5 伝説より史実へ 殷の始祖を契(せつ)という。その母は帝?(こく=五帝のひとり)の二番目の夫人であった。 あるとき妹たちといっしょに水あびをしていると、玄鳥(つばめ)が卵をおとして飛びさった。 それを呑むと、みごもって、一子を生んだ。それが契であった。契は成人すると帝舜(しゅん)につかえ、禹(う)をたすけて治水にあたった。 そして舜から [続きを読む]
  • 聖イシドロ農夫         St. Isidorus C.
  • 聖イシドロ農夫         St. Isidorus C.          記念日 5月11日 天主は社会のあらゆる階級、あらゆる方面の人々に、それぞれ模範となり保護者となるようなさまざまの聖人を起こし給うが、本日祝う聖イシドロは生前農業を生業としていた所から全世界農民の保護者と仰がれている聖人であって、4月4日のくだりに述べたあのイシドロとはもとより別人である。即ちこの二人は奇しくも同国のスペイン人では [続きを読む]
  • 3-1-4 夏という王朝
  • 『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年1 伝説の時代4 夏という王朝 禹は、黄河の治水をなしとげて天子の位につき、王となった。天下をおさめること十年にして死去する。 いったんは家臣に位をゆずったが、禹の子の啓(けい)がかしこく、天下の人望をあつめていたので、諸侯はみな啓のもとにおもむいた。 そこで啓は天子の位についた。 禹のひらいた国の名を「夏(か)」といったが、こうして夏は王位を世襲( [続きを読む]
  • 異端者が聖体を拝領すると 聖アウグスティヌス
  • それゆえ、キリストのからだの一性のうちに、すなわち、キリストの肢体であるキリスト教徒の結合体のうちにいる者は、そのからだの秘跡を信仰者は祭壇において分かちあうならわしであるが、そのような者は、真にキリストのからだを食べ、キリストの血を飲むといわねばならない。したがって、このからだの一性から離れた異端や分派は、同じ秘跡を受けることはできても、かれらの益にはならない。そればかりか、かえって害になる。解 [続きを読む]