tarou さん プロフィール

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tarouさん: 綺麗なもの見つけた(街角探検隊)
ハンドル名tarou さん
ブログタイトル綺麗なもの見つけた(街角探検隊)
ブログURLhttp://webtarou.blog.so-net.ne.jp/
サイト紹介文このブログには、風景、花などの写真をフォトムービーにして公開しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供184回 / 365日(平均3.5回/週) - 参加 2016/07/15 15:39

tarou さんのブログ記事

  • 宝塔寺(ほうとうじ)
  •  寺名は日像が京都の七口に建立した題目石塔の1つを日像の廟所に祀ったことによる。平安時代に藤原基経の発願により創建され源氏物語にも言及される極楽寺が前身である。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 宝塔寺には多くの塔頭があり、大雲院・円妙院・直勝院・玉泉院・霊光寺・慈雲院・自得院が参道の両脇に立ち並んでいます。他に参道には日像上人の「荼毘(火葬)処」のを石標や、明治の廃仏毀釈で廃寺 [続きを読む]
  • 石峰寺(せきほうじ)若冲の五百羅漢
  •  宝永年間黄檗6世千呆禅師の創建で、寛政年間に画家伊藤若冲が当時、草庵を結び禅境を好み仏世の霊境を化度利益する事を願い、七代蜜山和尚の協賛を得て安永の半より天明初年まで前後10年余をかけて裏山に五百羅漢を作った。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 若冲の五百羅漢は磊落な筆法にて下絵を描き石上に彫らせたもので釈迦誕生より涅槃に至るまでを中心に釈迦の一代記を描いたもので、長年の風雨を得 [続きを読む]
  • 伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)
  •  私たちにとって、もっとも身近な神社といえる「お稲荷さん」 全国に30,000社あるといわれ、全国各地で老若男女を問わず親しまれている、その総本宮が伏見稲荷大社です。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 稲荷山は、東山三十六峰の最南端に位置し、標高233m、3つの峰(一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰)が連なる、この山々「お山」を中世には「下ノ塚」「中ノ塚」「上ノ塚」と呼び、奥社奉拝所の先にある山々を巡拝 [続きを読む]
  • JR京都駅(京都駅ビル)
  •  「京都は歴史への門である」という設計主旨から、平安京の都市の特徴である条坊制(碁盤の目)を取り入れ、玄関口としての象徴である「門」を烏丸通と室町通に配しています。また、中央コンコースを谷に見立てた段丘を東西に延ばし、中央部はガラスと金属でカバーされたアトリウム。空を映し出した壮大な内部空間と空に溶け込む外観を作り出しています。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 京都の条坊制のマ [続きを読む]
  • 道頓堀(どうとんぼり)
  •  松竹座にカニ道楽、そしてグリコの看板などによって象徴される道頓堀は、大阪・ミナミの代表的な繁華街。道頓堀の名は、1612年に私財をなげうって川を開削した安井道頓(やすい・どうとん)の名前に由来し、その後、幕府の都市計画によって道頓堀の南側に大坂中の芝居小屋が集められ、47軒の水茶屋が許可されて長らく日本の芝居の本場として栄えた。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 芝居に大勢の人が集ま [続きを読む]
  • 通天閣(つうてんかく)
  •  なにわのシンボルの展望塔「通天閣」は、1912年に新世界のシンボルとして、凱旋門をモチーフとするビルディングの上にエッフェル塔風の鉄塔が建てられた。高さ64mという当時東洋一の高さを誇ったこの鉄塔は、「天に通じる高い建物」との意味で、明治初期の儒学者・藤沢南岳により「通天閣」と命名された。その後、火災に遭って解体されたが、1956年に市民の要請を受けて再建され、2代目の通天閣は103m、初代より39m高い。画像の [続きを読む]
  • 四天王寺(してんのうじ)
  •  1400年前の推古天皇元年(593年)、物部守屋と蘇我馬子の合戦に勝利したことを受けて、聖徳太子が四天王を安置するために建立したと伝えられている。日本初の本格的な仏教寺院、その伽藍配置は大陸の影響を色濃く受けた「四天王寺式伽藍配置」といわれるもので、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式、日本では最も古い建築様式のひとつだそうです。画像の続きはフォトムービーでお [続きを読む]
  • 大阪城天守閣の展望
  •  現在の大阪城天守閣は、陸軍用地であった旧本丸一帯の公園化計画に伴って、市民の寄付金により1931年再建、建物は徳川大坂城の天守台石垣に新たに鉄筋鉄骨コンクリートで基礎を固めた上に、鉄骨鉄筋コンクリート構造を吊り下げ工法を用いて建てた。高さは54.8メートル、5層8階、復興天守の中は博物館となっている。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 外観は『大坂夏の陣図屏風』を基に設計、大坂城の天守は [続きを読む]
  • 大坂城(おおさかじょう)
  •  徳川氏の大坂城は豊臣氏の大坂城の石垣と堀を破却して、全体に高さ約1メートルから10メートルの盛り土をした上により高く石垣を積んだので、豊臣大坂城の遺構は地中に埋もれた。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 大坂城の城郭の大きさは豊臣時代の4分の1の規模に縮小されたものの、天守はその高さも総床面積も豊臣氏のそれを越える規模のものが構築され、二重に廻らせた堀割は江戸城をしのぐ規模のものと [続きを読む]
  • 大阪水上バス「アクアライナー」後編
  • 大阪城・中之島めぐり 中之島公園は、都心部の貴重な公園で、バラ園が有名です。大川沿いには、趣ある建築物や多くの橋が架かっています。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 川面から眺める、大阪の街(中之島・天神橋)は、また違った風情を感じました。大阪府大阪市中央区大阪城2番地JR環状線、大阪城公園駅◆動作確認はWindows7/Internet Explorer 11でしています。 [続きを読む]
  • 大阪水上バス「アクアライナー」前編
  • 大阪城・中之島めぐり 大阪の中心街を流れる「大川」は、趣ある建築物と緑の木々が共存する、とても素適な空間でした♪画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 川面から眺める、大阪の街(大阪城港・桜ノ宮)は、また違った風情を感じました。大阪府大阪市中央区大阪城2番地JR環状線、大阪城公園駅◆動作確認はWindows7/Internet Explorer 11でしています。 [続きを読む]
  • 海の公園(うみのこうえん)横浜市
  •  約1kmにわたる砂浜では、春は潮干狩り、夏は海水浴で賑わい、波が穏やかで遠浅の海では、カニなどの海の生物を見られ、バーベキュー場からは海が一望できます。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ バーベキュー場は、横浜八景島が目の前の見晴らしの良い公園内にあり、手ぶらでもBBQが楽しめます。神奈川県横浜市金沢区金沢シーサイドライン、海の公園南口駅◆動作確認はWindows7/Internet Explorer 11でし [続きを読む]
  • 高麗郷民俗資料館(こまごうみんぞくしりょうかん)
  •  埼玉県日高市にある高麗郷民俗資料館(こまごうみんぞくしりょうかん)は、高麗地方における明治から戦前にかけての農業・林業・川漁業に関する資料を展示、解説しています。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 農業に関しては稲作・畑作・養蚕・茶をとりあげ、一昔前に行われていた農作業を再現しています。また、林業が盛んだったころの道具や炭焼きの資料、高麗川で行われていた代表的な漁法、川の流れ [続きを読む]
  • 巾着田曼珠沙華まつり
  •  日高市内を流れる清流、高麗川(こまがわ)の蛇行により長い年月をかけてつくられ、その形がきんちゃくの形に似ていることから、巾着田(きんちゃくだ)と呼ばれるようになりました。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 直径約500メートル、面積約22ヘクタールの川に囲まれた平地には、秋の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)群生地は、一面が真紅に染まり、まるで赤い絨毯(じゅうたん)を敷き詰めたようです。埼玉 [続きを読む]
  • 毛越寺(もうつうじ)
  •  寺伝によると、850年慈覚大師が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、一面霧に覆われ一歩も前に進めなくなり、ふと足元を見ると、地面に点々と白鹿の毛が落ちておりました。大師は不思議に思いその毛をたどると、前方に白鹿がうずくまっており、大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、やがてどこからともなく、一人の白髪の老人が現われ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げたのがれが毛越寺の起こりとされています。画像 [続きを読む]
  • 中尊寺(ちゅうそんじ)
  •  中尊寺は850年比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれ、その後、12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡公によって大規模な堂塔の造営が行われた。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 鎌倉時代以降、大きな庇護者をうしなった中尊寺は次第に衰退し、1337年の火災で惜しいことに多くの堂塔、宝物を焼失しましが、国宝建造物第1号の金色堂をはじめ、建築、絵画、書跡、工芸、彫刻 [続きを読む]
  • 奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)
  •  十和田湖東岸の子ノ口(ねのくち)から北東に、焼山までの約14kmにわたる奥入瀬川の渓流です。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 渓流沿いにはいくつもの滝が点在し、この道は「瀑布街道」とも呼ばれている。十和田湖への魚の遡上を阻止してきた魚止めの滝でもある銚子大滝をはじめとして、阿修羅の流れ、雲井の滝等多くの景勝地があります。青森県十和田市JR花輪線、十和田南駅◆動作確認はWindows7/Int [続きを読む]
  • 十和田湖 グランドホテル
  •   国立公園内十和田湖畔にたたずみ、十和田湖を一望するホテルで、近くには奥入瀬(おいらせ)渓流もあります。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 湖畔の遊歩道を歩けば、十和田神社や乙女の像に出合えます。青森県十和田市JR花輪線、十和田南駅◆動作確認はWindows7/Internet Explorer 11でしています。 [続きを読む]
  • 十和田神社(とわだじんじゃ)
  •   十和田湖には二つの半島が突き出ており、中山半島の西側が「西湖」、日暮崎の東側が「東湖」、その間が「中湖」と呼ばれています。十和田神社は中山崎の付け根・休屋の奥に位置し、流造の様式をたたえる本殿と、どっしりとしたしつらえの拝殿は、細部までこだわりが見て取れる彫刻など、重厚な建築美に荘厳さを感じます。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 祭神として日本武尊(やまとたけるのみこと)が [続きを読む]
  • 十和田湖(乙女の像)
  •  国立公園指定15周年記念事業として、十和田湖や奥入瀬を世に広く紹介し、国立公園指定に功績のあった、文人大町桂月、当時の青森県知事武田千代三郎、地元村長の小笠原耕一の3氏を称え、1953年に十和田湖畔・御前ケ浜北端に建てられた。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 作者は「智恵子抄」で知られる高村光太郎で、互いに左手を合わせる形で向き合う高さ2.1mの2人の裸婦像には、病弱だった妻・智恵 [続きを読む]
  • 十和田湖(とわだこ)
  •  日本の湖沼としては、最大水深は326.8mで第3位、面積では12番目、東岸には、十和田湖の水が唯一流れ出る奥入瀬川があり、北東に約14kmにわたり奥入瀬渓流が延びる。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・十和田湖周辺はブナ林やダケカンバ林が広がり、クマタカやイヌワシ、ツキノワグマといった野生動物や森林性の野鳥(シジュウカラ、ゴジュウカラ、アカゲラ、コゲラなど)が生息するし、水鳥(ホシハジロ、 [続きを読む]
  • 発荷峠展望台 (はっかとうげてんぼうだい)
  •  秋田県側の発荷峠の途中にあり、十和田湖を代表する展望台で、正面に十和田カルデラの外輪山、その彼方に南八甲田が望めます。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 十和田湖にはほかにも、湖をぐるりと取り囲むように展望台があります。秋田県鹿角郡小坂町十和田湖発荷峠 JR花輪線、十和田南駅◆動作確認はWindows7/Internet Explorer 11でしています。 [続きを読む]
  • 殺生石(せっしょうせき)
  •  殺生石は那須岳の丘陵が湯本温泉街にせまる斜面の湯川にそったところにあります。大昔、中国やインドで悪行をつくした「九尾の狐」伝説にまつわる史跡です。狐が化身したといれる大きな岩の国指定名勝史跡「殺生石」の周辺では、今なお独特な硫黄の香りが漂っています。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 俳人松尾芭蕉もこの地を訪れ「奥の細道」には、「殺生石は温泉の出づる山陰にあり。石の毒気いまだ滅 [続きを読む]
  • 大内宿町並み展示館(大内宿本陣跡)
  •  大内宿の本陣は、会津若松と日光今市を結ぶ下野街道の拠点のひとつとして江戸時代初期に建てられ、会津藩の初代藩主・保科正之、二代藩主・正経が江戸参勤のためにこの街道を利用し、ここで昼食をとったという記録が残っています。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 現在ある建物は、同じ街道の糸沢宿、川島宿の本陣を参考に設計し、昭和59年に復元したもので、大内宿町並み展示館として復元したもので、大 [続きを読む]
  • 大内宿(おおうちじゅく)福島
  •  会津若松と日光今市を結ぶ下野街道の宿場町として整備され、今も約500メートルの往還に江戸の風情が残っています。寄棟造りの建物が道路と直角に整然と並べられていることが特徴で、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定さています。画像の続きはフォトムービーでお楽しみください・・・・ 街道を突き当りまで歩くと左手に階段があり、登った先には子安観音堂があり、子宝や子供の成長を祈願するお堂で、その先に進むと大内宿 [続きを読む]