たら さん プロフィール

  •  
たらさん: れきし手帳
ハンドル名たら さん
ブログタイトルれきし手帳
ブログURLhttp://rekishitabi.cocolog-nifty.com/blog/
サイト紹介文日本各地を車でめぐる旅ブログ
自由文『日本の隅々まで観光してみよう』

これが今の目標。

最初は『日本100名城を中心にお城めぐりをしよう』
だったが、お寺や神社に移築門が多く残っていることを知り、
『ついでに社寺めぐりもしちゃおう』になった。

更に古戦場跡やら寺跡にも行くようになり
気付いたら『日本の隅々まで』と大それた目標になっていた。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供36回 / 66日(平均3.8回/週) - 参加 2016/07/24 11:32

たら さんのブログ記事

  • 豊姫が眠る恵明寺(長野県長野市)
  • 象山地下壕に向かう途中、目に入ったお寺。 何気なく立ち寄ってみると、あらビックリ。松代藩3代当主真田幸道の夫人のお墓を発見。夫人は宇和島藩伊達家の豊姫。15歳で松代まで嫁いできたのだ。その時、宇和島から杏の木を持ってきて、後年、この杏が薬用樹として松代の殖産興業の1つとして栄えたんだって。そんな事が説明板に書いてあった。何かの始まりって些細なことなんだな…と思った。自分が豊姫の存在を知ったのも、このお [続きを読む]
  • 佐久間象山邸跡にある象山神社(長野県長野市)
  • 松代藩出身の幕末の有名人と言えば、佐久間象山。その象山の家があった場所は現在、象山神社になっている。 本殿など建物の多くが、国の有形登録文化財。その他、象山の別棟の高義亭や佐久間象山屋敷跡、神社前には佐久間象山像が建っており、佐久間象山をこれでもかと感じることが出来る。 移築されてきた高義亭(長野市指定文化財) どこもかしこも象山、象山。唯一、ここだけ象山とは違う史跡だった。神木がある場所。初代藩 [続きを読む]
  • 有名な人だった山寺常山邸(長野県長野市)
  • 山本山…を連想するような屋敷。 長さ22メートルある長い長屋門象山地下壕へ向かう途中、ここは何だろう…と気になり、立ち寄ってみた。ここの正体は松代藩の中級武士、山寺家の屋敷。幕末、山寺常山という人を輩出し、佐久間象山、鎌原桐山と共に藩政を助け松代の三山と称えられた人。無料で中を見学できる。  江戸時代末期築と推定される表門と、昭和期に建てられた書院が残っている。山寺常山。何かの呼称だと思ったが、人名 [続きを読む]
  • ほぼ完全な状態で残る旧横田家住宅(長野県長野市)
  • 松代城から南へ数百メートル。松代藩の江戸末期の様子を今に伝える古民家が現存している。 中級武士の旧横田家住宅(国重文)だ。表門(1842年築)、主屋(1794年築)、隠居屋(1820年築)と2つの土蔵、菜園で構成されている立派な古民家。  奥に菜園があるのが、当時の暮らしぶりをリアルに想像できる。城下町の一角にほっこりとした空間。お城と対照的な雰囲気なのが、更に良さを増している気がした。メモ住所…長野県長野市 [続きを読む]
  • 松代城下町散策、白井家表門(長野県長野市)
  • 松代藩の藩校文武学校の向かい。一際長い門がある。ズッシリと重量感がある長屋門。1846年築の白井家表門(長野県指定文化財)だ。長さ約20メートル。門の背面に3部屋ある門と部屋が一体化した珍しい門。白井家は松代藩中級武士で、普請奉行などを務めていた家柄だそうだ。ちなみに。門は別の場所にあったのをここに移築。現在、門の内側は無料休憩所&案内所となっており、ボランティアの方々が周辺の案内をしてくださっている。松 [続きを読む]
  • 松代藩の藩校、文武学校(長野県長野市)
  • 水戸の弘道館にならって松代藩が建てた藩校。1855年に開校し、その時の建物がほぼそのまま残っている貴重な藩校。国の史跡に指定されている。 藩校の名称と言えば、水戸の弘道館のように『○○館』というのが多い中、文武学校という名はシンプルだな…と思う。剣術、槍術、文学など目的に応じた建物たちを見れるのが、この学校の特徴ではないだろうか。剣術所&槍術所&柔術所  弓術所 剣道や弓道など、今の部活と雰囲気が重なる [続きを読む]
  • 松代城下町散策、旧樋口家住宅(長野県長野市)
  • 松代藩の目付け役、樋口家住宅。 1862年に修理された記録が残っているので、それ以前の建物なのは確か。長野市の文化財に指定されている。  どっしりとした外観に、風通しの良さそうな間取り。無料で見れるので、城下町散策で訪れたい場所だ。ちなみに。樋口家の6代当主が樋口角兵衛。真田太平記に登場する真田幸村の従兄弟と同じ名前。角兵衛のモデルとなった人なのだろうか。メモ住所…長野県長野市松代町松代202-1駐車場…松 [続きを読む]
  • 義母のため、自分のための真田邸(長野県長野市)
  • 松代城から南へ徒歩数分。真田氏の住宅へ。 幕府の参勤交代が緩和され、藩主の妻子が国元に返されるようになった1862年。松代藩9代藩主真田幸教が江戸から戻ってきた義母(貞松院)のため、1864年に完成した館。松代城と一緒に国の史跡に指定されている。  トイレやお風呂など、日常的な部屋も。  庭園が広く、土蔵がたくさんあるのが特徴。  せっかく義母のため、退屈しないように庭園を広く作り(おそらくだが)、、たく [続きを読む]
  • 筆頭家老、矢沢さんちの表門(長野県長野市)
  • 真田宝物館から東へ歩くこと数分。松代藩筆頭家老、矢沢家の表門が残っている。 さすが筆頭家老。城門を思わせるような立派な門だ。1792年築で長野市指定文化財に指定されている。おそらく。真田丸にも登場した矢沢頼康(三十郎)の矢沢家だと思う。ここまで足を運ぶ人は少ないが、ここは押さえておきたい文化財だろう。メモ住所…長野県長野市松代町松代駐車場…なし滞在時間…5分その他 ①駐車場はないので、門前に止めて見学 [続きを読む]
  • 海津城は松代城(長野県長野市)
  • 日本100名城の1つ。1622年、真田幸村の兄真田信之が松代藩主となり、以後、明治維新まで真田氏の居城となったお城。国の史跡に指定され、2004年に多くの建物が復元されている。お城南側の橋詰門&太鼓門 北の櫓門&北不明門  門の位置を見る限り、本丸エリアは大きな屋敷サイズ。さほど広くはない。平城なので高低差もほとんどない。ここだけ見ると、強固なお城とは到底思えないのが不思議なところ。 ちなみに。松代城と呼ばれる [続きを読む]
  • 日本人形がいっぱい淡嶋神社(和歌山県和歌山市)
  • 加太港近くにあり、海沿いに立つ神社。創建はとんでもなく古く、16代天皇仁徳天皇の時代と伝わっている。 場所的に海の守り神的な神社かと思いきや、人形供養が有名なんだって。本殿を囲むように、ものすごい数の日本人形が並んでいる。夜、1人じゃ見ることが出来ないだろう。ここじゃなきゃ見れない光景だ。一番のお目当ては宝物殿。しかし、限られた日しかやっていなく、入れなかった。港近くだからか、神社入り口には海鮮系を [続きを読む]
  • ダルマがいっぱい達磨寺(群馬県高崎市)
  • 寺名の通り、ダルマゆかりのお寺。高崎を代表する観光名所。  総門から一直線に階段を登り、鐘楼門が中間地点にある。更に登って行くとたくさんのダルマがいる本堂に到着。 参拝客を待っていたかのように、たくさんのダルマがお出迎え。隣の達磨堂には色んなダルマが展示され、まさにダルマづくし。縁起だるま発祥の地は伊達じゃない。正月の高崎だるま市での賑わいも想像できる…気がする。見どころはダルマだけじゃない。寺内 [続きを読む]
  • 文化財の本堂が残る大福寺(秋田県五城目町)
  • 良いことがありそうな名前のお寺。ここに江戸時代に建てられた本堂(五城目町指定文化財)がある。 境内はアスファルトで整備され、本堂のみがポツンとある。裏に墓地があるが、シンプルな境内だ。本当にここがそうなのか不安だったが、本堂前に説明板がったので、間違いではないだろう。1つしか建物がないせいか、どっしりと重量感を感じた。メモ住所…秋田県五城目町大川東屋布138駐車場…無料?あり滞在時間…5分その他 ①お [続きを読む]
  • 森林資料館の五城目城(秋田県五城目町)
  • 1度聞いたら忘れられないお城の名前。『城』が2個ついていらるからだ。 築城年代は不明だが、戦国時代、安東秋田氏に仕えていた藤原秀盛が城主だったと言われている。その後、藤原氏は五城目氏を称した。安東秋田氏の移封に伴い、五城目氏も移ったため、廃城になった。資料が乏しく、謎が多そうなお城だ。遠目から見えるように、建てられた立派な天守閣。五城目町森林資料館として営業されている。森林資料館なので、お城の発掘品 [続きを読む]
  • 今も倉庫の野田郷倉(秋田県五城目町)
  • 秋田道沿いにある小さな神社、野田神社。 小さな神社の奥。ポツンと小さな小屋が建っている。 江戸時代の備荒庫、野田郷倉(五城目町指定文化財)だ。郷倉(備荒庫)とは、凶作に備え作物をストックしていた倉庫のこと。もともと年貢米を一時保管していた倉庫だったが、いつの間にか用途が備荒庫になっていたらしい。覗いてみると、今は農具が置いてあった。さすがに。これを観光目的に見に来る人って、そうはいないだろう。地元 [続きを読む]
  • 現存する最古の天守閣、丸岡城(福井県坂井市)
  • 別名、霞ヶ城。1576年、柴田勝家の甥、柴田勝豊が築城した。明治に入り、天守閣以外の建物が破却され、現在は天守閣のみが残っている。 1576年築。最古の現存天守閣(国重文)(諸説あるが)と言われている。豪雪に備え、石瓦を用いているのが特徴。シャチホコまで石製…と思いきや、昭和の戦時に銅が手に入らず、石で造ったモノらしい。天守閣内は非常にシンプル。この素朴さが現存のいいところ。  天守閣を支えている石垣たち [続きを読む]
  • 国宝がある瀧谷寺(福井県坂井市)
  • 『たきだんじ』と、読み方が難しいお寺。長く緩やかな坂道の参道の先にお堂がある。 1375年に創建。歴代領主の庇護を受け、火災に遭ったことがないというお寺。戦国時代、この地で朝倉氏が滅亡したり、柴田勝家が自決したりと、このお寺を庇護した人たちの人生が壮絶だったのに、火災に遭わなかったのは、小山のような立地と織田信長から「陣取放火」の禁制状を受けたことが、大きな理由なんだと思う。そのおかげか、多くの文化財 [続きを読む]
  • 新田義貞が眠る称念寺(福井県坂井市)
  • 新田義貞と明智光秀ゆかりのお寺。 新田義貞は鎌倉幕府を倒した南北朝時代の武将。明智光秀は織田信長を打った戦国武将。新田義貞は鎌倉幕府を滅ぼした後、足利尊氏と対立し、北陸まで落ち延びたが、この地で戦死した。遺体がここに運ばれ弔われ、お墓が今も残っている。新田義貞のお墓(福井県指定文化財)戦国時代に入ると、朝倉氏に仕えようとしていた明智光秀が暮らし、寺子屋を開いていたそうだ。皮肉にも2人の共通点がとん [続きを読む]
  • ゴツゴツ岩の東尋坊(福井県坂井市)
  • 福井を代表するビュースポット、東尋坊。 東尋坊という名前は、昔の僧の名前。とんでもない怪力の持ち主で、それを武器に好き勝手&わがままだったらしい。そんな東尋坊を同僚の僧たちがここで酔わせて、突き落とした場所。そのままの名前で、国の名勝として、観光名所になっている。崖から眺める景色も良いが、遊覧船がおススメ。船から見た屏風岩の迫力は桁違い。  ゴツゴツした岩。日本海の荒波に鍛えられ、東尋坊の力が宿っ [続きを読む]
  • 朱色に染まる広島東照宮(広島県広島市)
  • 徳川家康を祀った全国各地にある東照宮の1つ。 東照宮と言えば日光東照宮をはじめ、カラフルな建物が多い。関ヶ原前あたりからの陰湿な家康の性格。それを覆すような鮮やかさなのだ。偶然なのか。意図的なのか。真相はわからない。ここは朱色を中心にした彩りで、原爆の被害を免れた創建当時の建物が残っている。(上の写真の本殿&拝殿は戦後に再建されたもの)手水舎(1648年築)&本地堂(1648年築) 共に広島県指定文化財だ。 [続きを読む]
  • 広島藩の大名庭園、縮景園(広島県広島市)
  • 1620年、広島藩主浅野長晟が造営させた庭園。国の史跡に指定されている。 広島市街地にあり、塀で囲まれた庭園。塀の中だけ、江戸時代のまま時間が止まっているかのようだ。とは言え、原爆の被害を受け、現在の建物は戦後再建されたもの。清風館&明月亭&夕照庵  中央に大きな池があり、周辺をグルット楽しむ池泉廻遊式庭園池の中央にアーチ状の石橋がある。 近代的な形をしているが、1786年に造られた石橋、跨虹橋(ここうきょ [続きを読む]
  • 負の遺産、原爆ドーム(広島県広島市)
  • 広島に来たら、訪れたい場所。広島平和記念公園にある原爆ドーム 1915年に竣工した窓が多い建物。それが倒壊を免れた理由の1つに挙げられている。予想していたより小さい。小さい建物だけど、何か大きなものが伝わってきた。メモ住所…広島県広島市中区大手町1-10駐車場…広島城周辺のパーキング滞在時間…15分その他 ①広島平和記念公園の中にある [続きを読む]
  • 歴史が詰まっている広島城(広島県広島市)
  • 1589年、毛利輝元が三角州の地形を利用して築城したお城。広島市街地に城跡がある典型的な平城だ。 二の丸から入城。御門橋、表御門、多門櫓、太鼓櫓など一式が復元されている。  築城当時の建物が残っていたが、原爆投下により、すべての建物が倒壊している。これらは戦後に復元されたものだが、見た目からか、昔からあるかのように見えてしまう。二の丸は馬出となっていて、建物が密集している。お城好きには堪らないエリアだ [続きを読む]
  • 赤穂浪士の意地を感じた明星院(広島県広島市)
  • 広島市内にある小さなお寺。 敷地は狭いが、戦国時代は毛利輝元の生母の位牌所で、江戸時代は浅野長政夫妻の位牌を安置していた由緒あるお寺なのだ。一番の見どころは忠臣蔵でお馴染みの赤穂浪士の木像だ。 左右に表門部隊と裏門部隊に分かれて勢揃い。奇跡的に原爆の被害を免れ、47体すべてが残っている。赤穂浪士たちの意地というか、男気と言ったらいいのか、彼らの想いみたいなのを感じた気がした。メモ住所…広島県広島市東 [続きを読む]