末永能登守14611514 さん プロフィール

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末永能登守14611514さん: 土芥の一類〜奥州葛西家臣末永氏一族〜
ハンドル名末永能登守14611514 さん
ブログタイトル土芥の一類〜奥州葛西家臣末永氏一族〜
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/notnokami14991006
サイト紹介文君の臣を視ること土芥の如く、臣の君を視ること寇讎の如し、と評されし末永一族の闇に埋もれた叛骨の歴史。
自由文時は鎌倉時代から戦国時代、現在の宮城県北から岩手県南にかけて蟠踞した武家の一族葛西氏の家臣末永氏。我が母方の先祖とされるこの一族、時に主君に謀叛を起こしながらも家老にまで立身を遂げた叛骨気鋭の武者ぶりを、様々な視点から論じ、滅びし者達の声無き声を明らかにするブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供201回 / 365日(平均3.9回/週) - 参加 2016/09/03 00:53

末永能登守14611514 さんのブログ記事

  • 第十章62母衣のお墨付き・日本中央史としての葛西氏、最後の光芒
  • 1344年(北康永3年、南興国5年)後醍醐天皇(皇族)大和吉野にて崩御、享年52歳護良親王(皇族・37歳)渕辺義博に殺害されたと見せ掛けて牡鹿郡に落ち延びる?北畠顕家(公家)摂津阿倍野で戦死、享年21歳新田義貞(武家)越前藤島で討死、享年37歳足利尊氏(武家・40歳)天竜寺上棟式に臨む斯波家兼(武家・37歳)兄高経が越前国を再び平定葛西清貞(武家・54歳)香取神宮の財殿と二の鳥居の造営を任される閏2月4日、玄法尼土用若 [続きを読む]
  • 第十章59母衣のお墨付き・葛西氏の南朝離脱
  • 1343年(北康永2年、南興国4年)後醍醐天皇(皇族)大和吉野にて崩御、享年52歳護良親王(皇族・36歳)渕辺義博に殺害されたと見せ掛けて牡鹿郡に落ち延びる?北畠顕家(公家)摂津阿倍野で戦死、享年21歳新田義貞(武家)越前藤島で討死、享年37歳足利尊氏(武家・39歳)4男基氏が誕生斯波家兼(武家・36歳)兄高経が越前国を再び平定葛西清貞(武家・53歳)弟武治没、南朝離脱、北畠顕信を日和山城から追放北畠顕信は葛西清貞、 [続きを読む]
  • 第十章58母衣のお墨付き・押領に悩む土用若、高清の決断
  • 1342年(北康永元年、南興国3年)後醍醐天皇(皇族)大和吉野にて崩御、享年52歳護良親王(皇族・35歳)渕辺義博に殺害されたと見せ掛けて牡鹿郡に落ち延びる?北畠顕家(公家)摂津阿倍野で戦死、享年21歳新田義貞(武家)越前藤島で討死、享年37歳足利尊氏(武家・38歳)4男基氏が誕生斯波家兼(武家・35歳)兄高経が越前国を再び平定葛西清貞(武家・52歳)第三次三迫大会戦に敗れ、北畠顕信と共に日和山城に退却第三次三迫大会 [続きを読む]
  • pv5463とβ版
  • 昨日アクセス解析見たらpvが何故か凄いことになってた。5400ってどんだけなんだか。今迄の最高が1000くらいだったのを鑑みれば、何でこんな数!?と吹き出した。或る時間帯に或る記事にすんげぇアクセス集中したらしい。該当記事は見てないし、編集画面開きながら居眠りしてた時期だ(笑)だから今日という今日はホライゾンに屹立するカリン塔になってた。今度こそ。そんな不可思議で予期しない、ほんのちょっぴり嬉しい出来事と併 [続きを読む]
  • 第十章57母衣のお墨付き・遠征軍になれなかった大会戦
  • 1342年(北康永元年、南興国3年)後醍醐天皇(皇族)大和吉野にて崩御、享年52歳護良親王(皇族・35歳)渕辺義博に殺害されたと見せ掛けて牡鹿郡に落ち延びる?北畠顕家(公家)摂津阿倍野で戦死、享年21歳新田義貞(武家)越前藤島で討死、享年37歳足利尊氏(武家・38歳)4男基氏が誕生斯波家兼(武家・35歳)兄高経が越前国を再び平定葛西清貞(武家・52歳)北畠顕信と共に三迫大会戦に臨むかつて屯ヶ岡から蛇田山にかけて伸びる [続きを読む]
  • 第十章56母衣のお墨付き・第三次三迫大会戦
  • 1342年(北康永元年、南興国3年)後醍醐天皇(皇族)大和吉野にて崩御、享年52歳護良親王(皇族・35歳)渕辺義博に殺害されたと見せ掛けて牡鹿郡に落ち延びる?北畠顕家(公家)摂津阿倍野で戦死、享年21歳新田義貞(武家)越前藤島で討死、享年37歳足利尊氏(武家・38歳)4男基氏が誕生斯波家兼(武家・35歳)兄高経が越前国を再び平定葛西清貞(武家・52歳)北畠顕信と共に三迫大会戦に臨む三迫大会戦の背景を一瞥すると、色んな [続きを読む]
  • 鬼のやうなる大河論・第6回「江」
  • 19000ヒット記念第2弾は、鬼のやうなる大河論の6回目、江〜姫達の戦国です。戦国時代の勝利者は徳川家康って言えば、家康が嫌いな人でも万人が認めるだろう。では女性なら?って聞かれたら、お市ないしお江じゃないかって言われてる。何故なら徳川家康なみに日本のセレブ層に多くの子孫を遺しているから。そんな訳で題材としては決して悪くない、父親の浅井長政も中々魅力的な武将だ。後の話だけど、高橋一生さんがブレイクしたの [続きを読む]
  • 遠祖末永能登守宗春公御命日&同安芸守清連公謀叛記念日
  • 11月3日は遠祖末永能登守宗春公の504回忌、翌11月4日は遠祖末永安芸守清連公享年57歳とその長男末永孫七郎清元公享年32歳、次男末永孫八郎清久公享年29歳、清元公の長男末永孫二郎清次公が兄で主家の葛西11代太守伯耆守持信公に叛逆し、中途討死を遂げてより551周忌に相当します。よってここにつつしんで、特に追悼はしませんが、記念の更新を致します。ふと気付いたらその4日後の11月8日は末永能登守宗春公の従兄弟であり、ライバ [続きを読む]
  • ご訪問者様のべ19000ヒット達成しました!
  • 10月25日をもちまして当ブログはのべ19000ヒットを達成いたしました。この場をかりまして厚く御礼申し上げます。余談となりますがβ版というものに、申し込んでみた。選ばれるかどうかわかんないけど。もし先行で受かったら?何を書くかはなーんも考えてない。歴史ものでもいいんだけど、いっそ文学的だが極め付けにいかがわしい恋愛小説とか官能小説なんて、駄目かな?炎上した挙句、コメント欄が荒れまくってさ、ソッコーブログ [続きを読む]
  • 第十章55母衣のお墨付き・葛西高清の上洛
  • 1342年(北康永元年、興国3年)後醍醐天皇(皇族)大和吉野にて崩御、享年52歳護良親王(皇族・35歳)渕辺義博に殺害されたと見せ掛けて牡鹿郡に落ち延びる?北畠顕家(公家)摂津阿倍野で戦死、享年21歳新田義貞(武家)越前藤島で討死、享年37歳足利尊氏(武家・38歳)4男基氏が誕生斯波家兼(武家・35歳)兄高経が越前国を再び平定葛西清貞(武家・52歳)北畠顕信と共に日和山城から多賀城を狙う、甥清明を誅殺4月27日、北朝元 [続きを読む]
  • 第十章53母衣のお墨付き・第一次、第二次三迫大会戦
  • 1341年(北暦応4年、南興国2年)後醍醐天皇(皇族)大和吉野にて崩御、享年52歳護良親王(皇族・34歳)渕辺義博に殺害されたと見せ掛けて牡鹿郡に落ち延びる?北畠顕家(公家)摂津阿倍野で戦死、享年21歳新田義貞(武家)越前藤島で討死、享年37歳足利尊氏(武家・37歳)4男基氏が誕生斯波家兼(武家・34歳)越前国を逐われた兄高経が脇屋義助を美濃国へ逐い払う葛西清貞(武家・51歳)南朝軍の司令塔として三迫大会戦に臨む葛西 [続きを読む]
  • 第十章52母衣のお墨付き・葛西一族の多賀城攻略計画
  • 1340年(北暦応3年、南延元5年)後醍醐天皇(皇族)大和吉野にて崩御、享年52歳護良親王(皇族・33歳)渕辺義博に殺害されたと見せ掛けて牡鹿郡に落ち延びる?北畠顕家(公家)摂津阿倍野で戦死、享年21歳新田義貞(武家)越前藤島で討死、享年37歳足利尊氏(武家・36歳)4男基氏が誕生斯波家兼(武家・33歳)越前国を逐われた兄高経が脇屋義助を美濃国へ逐い払う葛西清貞(武家・50歳)多賀城攻略を提案和賀郡岩崎城主(北上市和 [続きを読む]
  • 第十章50母衣のお墨付き・薄衣合戦、吉野先帝御菩提碑
  • 1339年(北暦応2年、南延元4年)後醍醐天皇(皇族)大和吉野にて崩御、享年52歳護良親王(皇族・32歳)渕辺義博に殺害されたと見せ掛けて牡鹿郡に落ち延びる?北畠顕家(公家)摂津阿倍野で戦死、享年21歳新田義貞(武家)越前藤島で討死、享年37歳足利尊氏(武家・35歳)後醍醐天皇を弔う寺院の建立を思い立つ斯波家兼(武家・32歳)兄斯波高経が脇屋義助に越前国を逐われる葛西清貞(武家・49歳)長男高清が薄衣氏と合戦、後醍醐 [続きを読む]
  • 第十章49母衣のお墨付き・後醍醐天皇崩御
  • 1339年(北暦応2年、南延元4年)後醍醐天皇(皇族・52歳)吉野にて崩御、享年52歳護良親王(皇族・32歳)渕辺義博に殺害されたと見せ掛けて牡鹿郡に落ち延びる?北畠顕家(公家)摂津阿倍野で戦死、享年21歳新田義貞(武家)越前藤島で討死、享年37歳足利尊氏(武家・35歳)葛西高清と会見斯波家兼(武家・32歳)斯波氏の家宰氏家道誠が相馬氏の軍功を書状にしたためる。葛西清貞(武家・49歳)元良郡の領有を巡り、北朝幕府軍と合 [続きを読む]
  • 遠祖末永能登守公謀叛518年記念日
  • 本日10月6日は土芥の家臣登米郡善王寺館主末永能登守宗春公が、寇讎の主君牡鹿郡門脇日和山城主葛西第13代副太守武蔵守宗清公に謀叛の兇刃を向けてより518年の正当にあたります。よって慎んで記念の更新を致します。伊達氏から日和山葛西氏に養子入りした宗清は、他所者かつ分家の身でありながら葛西氏本宗の実権を簒奪し、それに反撥した薄衣氏、江刺氏等の抵抗勢力を圧伏し、恐らくその討伐に加担した最大の勢力、ないし蜜月の協 [続きを読む]
  • 第十章45母衣のお墨付き・葛西氏の亡母供養、武治の帰還
  • 1338年(北暦応元年、南延元3年)後醍醐天皇(皇族・51歳)北畠顕家に続き、新田義貞も失う護良親王(皇族・31歳)渕辺義博に殺害されたと見せ掛けて牡鹿郡に落ち延びる?北畠顕家(公家)摂津阿倍野で戦死、享年21歳新田義貞(武家)越前藤島で討死、享年37歳足利尊氏(武家・34歳)征夷大将軍に任官斯波家兼(武家・31歳)藤島の合戦で兄高経と共に新田義貞を討ち取る葛西清貞(武家・48歳)母親(?)が亡くなり、弟(?)武治 [続きを読む]
  • 第十章44母衣のお墨付き・北畠顕家の記憶、新田義貞憤死
  • 1338年(北暦応元年、南延元3年)後醍醐天皇(皇族・51歳)北畠顕家に続き、新田義貞も失う護良親王(皇族・31歳)渕辺義博に殺害されたと見せ掛けて牡鹿郡に落ち延びる?北畠顕家(公家)摂津阿倍野で戦死、享年21歳新田義貞(武家・37歳)越前国足羽郡藤島灯明寺畷にて斯波高経・家兼兄弟に討ち取られる。享年37歳足利尊氏(武家・34歳)征夷大将軍に任官斯波家兼(武家・31歳)藤島の合戦で兄高経と共に新田義貞を討ち取る葛西 [続きを読む]
  • 第十章43母衣のお墨付き・決死の覚悟の諌奏文、北畠顕家の最期
  • 1338年(北暦応元年、南延元3年)後醍醐天皇(皇族・51歳)北畠顕家遠征軍への合力を南朝方諸将に催促するも不発に終わる護良親王(皇族・31歳)渕辺義博に殺害されたと見せ掛けて牡鹿郡に落ち延びる?北畠顕家(公家・21歳)後醍醐天皇に諌奏文を上奏の後、摂津国東成郡阿倍野で戦死、享年21歳新田義貞(武家・37歳)鯖江の合戦で斯波高経に勝利足利尊氏(武家・34歳)北畠顕家遠征軍討伐を北朝方諸将に命令斯波家兼(武家・31歳 [続きを読む]