ひょうすんぼ さん プロフィール

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ひょうすんぼさん: ひょうすんぼ
ハンドル名ひょうすんぼ さん
ブログタイトルひょうすんぼ
ブログURLhttp://hyousunbo.hatenablog.jp/
サイト紹介文宮崎県の田舎町都農町について 民俗、歴史、観光の話し
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供47回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2016/09/04 00:48

ひょうすんぼ さんのブログ記事

  • 永友司日記①
  •  定期更新が途絶えてしまい、申し訳ないです。 可能な限り長く続けられるよう2週に一度の更新を目安にしばらくは続けていきたいと思います。  都農神社のホームページで永友司日記が読めるようになっている。http://w01.tp1.jp/~sr09697901/tunoookamisaidpage22.html プライベートについての日記というよりは、業務日誌のようなものとなっている。 ホームページの紹介にある通り、永友司は都農神社の神主を務めたがもと [続きを読む]
  • 定期更新休止
  •  週に一度毎週土曜日更新という形で続けて来ましたが、記事のネタ不足に困っており、しばらく休止したいと思います。 今後は不定期更新という形をとります。夏には都農にいくため8月中にはまとまった内容をかけるかなと思っています。 もし楽しみにしていた方がいらっしゃったら申し訳ないです。 コメントのチェックは行うので、気兼ねなくコメントしていただけたらと思います。   [続きを読む]
  • 竜神
  •  都農の明田の浜に竜神様が祀られている。 場所はわかりにくいが、リニアモーターカーの実験線をくぐって海にでて海沿いを北に歩いたところにある。  以前紹介した浦島太郎伝説と関わりがあるようで、浦島太郎がこの地に上陸したことが由来となっているそうである。(つの町ふるさと物語) 航海の安全と豊漁がご利益となっている。 辺鄙な場所にあるが、信仰を集めているようで、広報つのによれば竜神会主催のもとで神事が [続きを読む]
  • 塵添壒囊抄 考察
  •  2週に渡って紹介した塵添壒囊抄の説話はどのような経緯で生まれたのであろうか。 説話から伺われることは、大きく5つある。①都農神社成立の権威付け 神功皇后の遠征において勧請されたという形で権威づけをしている。②航海の安全というご利益 船の守り神として勧請されていることを見るに航海の安全というご利益があったと思われる。おそらく近隣の航海や漁にあたって尾鈴山が目印となっていたのであろう。③疱瘡 [続きを読む]
  • 山の背くらべ
  •  いざ「塵添壒囊抄」を現代語に訳してみると、どこかで見覚えがあるような気がした。気になって柳田国男の著作を漁ってみると、「日本の伝説」という著作にほぼ同じエピソードが載っていた。 「日本の伝説」日本に伝わる伝承や伝説をある程度類型化してまとめて掲載したもので1940年に発行された。おそらく「日本伝説名彙」(伝承の辞典)をすでに企図していたのであろう。青空文庫で読めるのでリンクを貼っておいた。 柳田 [続きを読む]
  • 塵添壒囊抄 訳
  •   塵添壒囊抄に都農神社についての記述が存在する。度々取り上げてがいるが、訳を作っておきたいと思う。塵添壒囊抄の説明については最期に引用する。古文は苦手なので修正点があれば指摘してください。 原文 日向國古庚郡、常ニハ兒湯郡トカクニ、吐濃ノ峯ト云フ峯アリ。神ヲハス、吐乃大明神トソ申スナル。昔シ神功皇后新羅ヲウチ給シ時、此ノ神ヲ請シ給テ、御船ニノセ給テ、船ノ舳ヲ護ラシメ給ケルニ、新羅ヲウチトリテ帰 [続きを読む]
  • 民譚
  •  私は民俗学に関心をもっている以上、柳田国男の「遠野物語」や宮本常一「忘れられた日本人」のような民俗説話に関心はもっている。 今までこのブログではそういった民俗説話は扱って来なかった。説話それ自体が個人情報に該当する部分もあり、また私の文体がやや硬めで説話に仕立て難かったのがその理由である。 しかし個人情報がわからないようにごまかしながら、伺ったお話しを説話として書いてみようと思う。試験的なもので [続きを読む]
  • 都農と津野③ 問題点
  •  都農の地名の由来ついて漢字と読みの両方から以前考察したが、これには問題点がある。以前考察したときから考えてはいるが結論が出ないので、とりあえず整理しておく。 吐濃(トノ)→都農(トノ)→都農(ツノ)←津野(ツノ)都農と津野① - ひょうすんぼ都農と津野② - ひょうすんぼ そもそもこの考察の出発点は、「都農」を「ツノ」と読むということに疑問を感じたところにある。しかし用例は多くないが、「?」は「ツ [続きを読む]
  • 都農参り
  •  江戸時代にたびたびお蔭参りと呼ばれる、伊勢神宮参拝が流行したことはよく知られている。同様の現象は出羽三山など有名な寺社でも発生している。 高鍋藩という狭い範囲ではあるが、都農参りとでも呼ぶべき現象が発生していたようである。1776年近年猥に霧島代参大勢差師起に付ご停止尤も右代り都濃社尾鈴社へ勝手次第可参被仰出續本藩実録4意訳:霧島参りが盛ん過ぎるため、停止する。そのかわりに都農神社、尾鈴神社 [続きを読む]
  • 国司巡視記
  •  809年に編纂されたという「国司巡視記 日向土産巻之」に都農神社についての記述があった。都農社 諸県郡  祭神 大己貴命日向一ノ宮是也 何ノ時代ニ一ノ宮ト祭ル事ヲ知ラズ国司巡視記 日向土産巻之 上記記述によれば、都農の祭神は809年には大己貴命で、すでに日向の一宮として撰定されていたことがわかる。都農の祭神、一宮としての由緒がどこにあったのかについて考える際に参考になりそうではある。 しかし [続きを読む]
  • 尾鈴山系
  •  以前いただいたコメントによって尾鈴山系という観点に気づいた。(詳しくは以下のリンク参照)呪術信仰という観点 いただいたコメントを中心に考察 - ひょうすんぼ 尾鈴山は尾鈴山系と呼ばれる山系の中で最も高い山である。そのため尾鈴山に対する信仰は何も都農に限られない。現に尾鈴山の裏手である東郷町出身の歌人若山牧水も「ふるさとの 尾鈴の山の かなしさよ 秋もかすみの たなびきてをり」と尾鈴山について詠んでい [続きを読む]
  • 民俗学と郷土研究
  •  恐らく郷土研究を行っている人は江戸時代からいたであろうが、流行を見せたのは1930年代に入ってからである。国家主導のもと郷土愛を育み、愛国心を育てるために推し進められた。 そういった地方の郷土史家達の研究をまとめあげたのが、民俗学者の柳田国男である。「日本伝説名彙」として辞書的に各地の伝承をまとめあげ、比較することを可能とした。 しかしこうした柳田を中心とした民俗学は柳田の死とともに衰退し、現 [続きを読む]
  • 都農の歴史を調べるにあたっての課題
  •  今まで度々触れてきたと思うが、都農の歴史を調べるにあたって大きな壁が存在する。それらについて整理したい。1、大友宗麟による焼き討ち(1578年) 島津氏に日向を追われた伊東氏を助けるべく日向に入った大友宗麟は狂信的なキリスト教信者であり、侵攻地の寺社を焼き払った。 都農もその例外ではなく、都農神社が焼き討ちにあっている。恐らく都農神社以外の大小の神社も焼き討ちにあっていただろう。焼き討ちは徹底 [続きを読む]
  • 呪術信仰という観点 いただいたコメントを中心に考察
  •  いろはすさんから尾鈴山についての記事にコメントをいただいたのでが、興味深い内容であったため個別の返信に加えて記事として取り上げたい。 コメントは大歓迎ですので、すこしでも何かコメントしたいことがあればコメントしていただけると幸いです。尾鈴山について 再考⑤−2 尾鈴神社と廃仏毀釈 - ひょうすんぼなるほど。おもしろい考え方ですね〜。古代史の見方はいろいろだと思うけど、興味深いものの一つに、932年の平 [続きを読む]
  • 都農の地形
  •  最近ブラタモリなどに代表されるように地形ブームが到来している。(?)私も地形は好きで、城や古墳の建つような見晴らしの良い台地が好きである。今回は都農町の地形について触れたい。 都農町の東部は宮崎平野の北端を占める。しかし平野部は狭く町の6割以上が山地となっており、平野といっても隆起によって洪積台地(平野が隆起した台地)となっている。そのため海岸からすぐは急な勾配となっている。(日豊本線のあたりま [続きを読む]
  • 都農の太鼓台
  •  都農の夏祭りといえば太鼓台であるが、その太鼓台の由来についてはわからないことが多い。www.youtube.com都農の祭り - ひょうすんぼ 各保存会では江戸末期ないし明治期に瀬戸内や上方から移入したことを言い伝えている。香川県大原野町や豊浜町ではチョウサ祭りといい、太鼓台を担いで町内を練り歩くとき「チョーサ、チョーサ」と叫ぶ(『長浜曳山祭総合調査報告書』滋賀県長浜市教育委員会・平成8年)が、宮崎県内の太鼓台伝 [続きを読む]
  • 西都原考古博物館 特別展、鹿野田神社
  •  西都原考古博物館の特別展「豊と日向 日出る国の考古学」(18日まで)に行ってきた。 西都原考古博物館は豊日文化圏というものを想定しているようで、今回の展示はそれに則って行われたものだと思われる。豊日文化圏とは現在の大分県と宮崎県が古代においては同一の文化圏に属していたという考え方で、あまりメジャーな考え方ではない。詳しい内容については「古代日向の国」(西都原古墳研究所所長 日高正晴、1993年、 [続きを読む]
  • 高鍋城(舞鶴城)
  •  高鍋城は高鍋町の中心部である平野に突出した台地の上に立っている。 高鍋藩を治めた秋月氏の居城であるが、もともとは平安時代末期に日向国一帯で権勢を誇った土持氏の居城であり、その後伊東氏、島津氏の所有を経ている。 高鍋の地はもともとは財部と呼ばれていたが、秀吉によって高鍋に改められたという。(おそらく当て字) 高鍋城は舞鶴城と呼ばれており、看板でも舞鶴城と呼称されているが、舞鶴の由来は上空から見た時 [続きを読む]
  • 尾鈴神社
  •  尾鈴神社に行ってきた。 尾鈴神社は木戸平あたりから東九州道をくぐってすぐの山の上にある。(恐らく荒崎山)ふもとから車で約40分だが、道が狭い箇所や岩が落ちている箇所が多々あり、道から落ちる車が何台もいるということなので、訪れるのはあまりおすすめしません。 尾鈴神社は山の中にある割には社殿も立派で、整備も行き届いている。今ではあまり訪れる人もいないが、戦前は多くの人が訪れていたという。 尾鈴山を [続きを読む]
  • 生目
  •  宮崎市の市街地からほど近くにある生目地区を訪れた。①生目神社 生目という名から明らかなように眼病にご利益があるとされている。平日に訪れたのだが、参拝客が他に幾人かおり、信仰を集めていることが伺えた。 宇佐神宮の荘園管理のため八幡神を勧進したのが始まりとされるが、明治に入るころに八幡神は祭神ではなくなっている。生目の由来については藤原景清の眼を祭ったという説や眼病のご利益があるからなどいくつかの [続きを読む]
  • 都農神社と熊野
  •  尾鈴山は古来から修験者の修行の地となっており、都農神社は修験者の拠点となっていた。 寛正二年(一四六一)二月二五日の旦那売券(熊野那智大社文書)には日向菊池氏の一族が重代相伝してきた先達職の内容に、臼杵の「つのゝミや」などがみえ、当社は所属する臼杵郡とともに菊池氏の影響下にあった。天文年間(一五三二―五五)の神事日記(新名爪八幡宮文書)によれば、天文四年一〇月二九日、日向一宮での奇瑞に対して新 [続きを読む]
  • 何故都農神社が一宮なのか②
  • 『日本三代実録』天安2年10月22日己酉条(858)授二日向国従五位上高智保神。都農神等従四位上。従五位上都万神。江田神。霧島神並従四位下。神道・神社史料集成 日本三代実録によれば9世紀半ばには既に、都農神社と都萬神社の間に差がついている。11世紀、12世紀から日向国の有力者は土持氏へと移っていくが、9世紀時点での有力者は妻を拠点とする日下部氏である。 以上でみてきたのように一宮の選定理由はわかっていな [続きを読む]
  • 何故都農神社が一宮なのか①
  •  都農神社が一宮であることは一つ大きな問題である。 都農の属する日向国では古代から近世まで現在の西都市妻のあたりを中心に栄えていた。西都原古墳群の規模は全国有数であり、都農の古墳群は比較にならない。国府や国分寺なども妻におかれ、戦国時代日向を支配した伊東氏も妻からほど近い丘にある都於郡城を本拠とした。しかし妻にある都萬神社が二宮で、都農にある都農神社が一宮なのである。  まず一宮の存在とその選定理 [続きを読む]
  • 都農と似た地名
  •  島根県江津市に都農郷とよばれた郷があったという。完全に都農町と同じ漢字と読みである。 現在でも地名は残っており、都野津駅という駅が山陰本線にはある。2年ほど前に通ったことはあるが、爆睡していたので覚えていない。 都農との交流は確認出来なかった。Google マップ 高知県には津野町という自治体がある。津野という地名は以前都農にも存在した。都農と津野② - ひょうすんぼ こちらも同様に都農との交流は確認出 [続きを読む]
  • 大己貴命と大国主命
  •  都農神社の祭神は大己貴命(別名 大国主命)ということになっている。日向国一之宮都農神社公式ホームページ  大己貴命と大国主命を単純に同じ神として考えてよいのかという問題がある。古事記には大国主命の一名として大己貴命があげられていることを根拠とすることが多いが、名前が異なるというところにスッキリしないものを感じていた。しっくりくる解釈に出会ったので紹介したい。 世界としては、イザナギ・イザナミが [続きを読む]