博 さん プロフィール

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博さん: 人生哲学の並木道
ハンドル名博 さん
ブログタイトル人生哲学の並木道
ブログURLhttp://sgi.blog.jp
サイト紹介文人生の学びに終わりはなし。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供75回 / 365日(平均1.4回/週) - 参加 2016/09/09 00:49

博 さんのブログ記事

  • 人生の実りのとき
  • 春、種をまく。三日で育てといっても無理である。やはり、実りは秋を待つしかない。これが道理である。人生の秋は四十代、五十代、六十代である。四十代以降に花が咲けばよい。実がなればよい。それまでは全部、修行である。全部、忍耐である。むしろ若いときこそ、苦労していく環境が必要なのである。 [続きを読む]
  • 創価学会批判の淵源(2)
  •  創価学会に対する、批判中傷は、喜ぶべきことだと、戸田から聞かされた会員たちはキョトンとしていた。果たしてそうであろうかと、内心疑っている表情を見て取ると、戸田は御書を取り出して話を続けた。 「こうしたことは、今に始まったことではない。大聖人御在世の時は、三類の強敵が全部出そろって、あのような法難に遭われたのだ。『種種御振舞御書』を拝読してみれば、当時の道門増上慢が、どういうものだったか、はっきり [続きを読む]
  • 創価学会批判の淵源
  •  昭和29年頃、創価学会の会員が、全国規模で激増し、毎月一万世帯前後の入会者を数えるようになると、世間は、いわゆる「折伏」を問題にし始めた。 使命感に生きる会員の救世の情熱は、惰性に沈んでいた既成宗教には、とうてい理解されるところではなかった。 また、宗教活動を営利的に利用することを事とした、戦後、雨後のタケノコのように発生した新宗教も、創価学会の華々しい折伏によって、自宗の教勢が、日に日にそがれ [続きを読む]
  • 楽観主義は限りない希望
  • 楽観的な人は、「悪い状況は一時的なもので、すぐに終わる」と考える。また、悪い出来事がすべてに当てはまるとは、とらえない。それゆえ「自分にはできる!」「自分には変えられる!」という希望をもてる。楽観主義とは、限りない「希望」のことである。どんな困難を前にしても、強き一念で必ず乗り切ってみせるという「信念」である。 [続きを読む]
  • 努力はウソをつかない
  • 芸術の世界でも、スポーツでも、企業でも、トップに立つ人は、「努力!努力!努力!」である。努力はウソをつかない。苦しんで、努力して、真剣に戦い抜いた人が勝つ。これが人生の鉄則であり、道理である。 [続きを読む]
  • 笑う者には笑わせろ
  • 人間、だれでも、何かコンプレックスをもっている。「あの人が・・・・」と思うような人でももっている。要は、それに「負けない」ことだ。どんなコンプレックスがあっても、それをバネにし、じっとこらえて、「今に見ろ!」と自分を励ましながら進むのだ。だれが何を言っても気にしてはいけない。笑う者には笑わせておけばいい。一生懸命やっている人間を笑う人間なんて、くだらない人間だ。くだらない人間に、いくら笑われたって [続きを読む]
  • 何の苦労もない幸福などない
  • 人生の目的は何か。「勝利者」になること。「幸福」になることだ。では「幸福」とは何か。その中身は「充実」だ。充実のうえに、自分なりの満足の栄冠を勝ち取ることだ。では「充実」とは何か。「苦難」と戦うことだ。苦難がなければ充実はない。何の苦労もない幸福など、どこにもない。 [続きを読む]
  • 青年よ国士たれ
  •  昭和29年、水滸会の第1回野外研修を終えた戸田は、あらためて青年の育成が急務であることを痛感した。 ”青年たちに、確たる目標を与えて、大きく飛躍させなければならぬ” 戸田は、思索した。 そして、その思索の結晶を、十月一日発行の『大白蓮華』の巻頭言に、「青年よ国士たれ」と題して発表したのである。 巻頭言の冒頭で、彼は、創価学会が信奉する日蓮大聖人の仏法が、科学的批判に耐え得る哲学性をもち、法理的に最 [続きを読む]
  • 女性に迷ってはいけない
  • 若い独身の男性は、いずれ結婚という問題にぶつかるだろうが、決して女性に迷ってはいけない。好きか、嫌いかだけを判断の基準にしていたら、必ず過つものだ。好きという感覚も、時がたち、別の縁に振れれば、たちまち嫌いということになる。こんな当てにならない基準はない。女性なるもののすべてを知っている人は少ない、そのために、とんだ見当ちがいをすることがある。だから、親や周りの人の助言を参考にすることが大切だ。子 [続きを読む]
  • 職業選択の迷いについて
  • 職業選択の基準。それは価値だ。好き嫌いにとらわれて、損得を忘れるのは愚である。損得にとらわれて、善悪を無視するのは悪である。好き(美)であり、得(利)であり、善である仕事に就くのが、誰にとっても理想である。しかし、実社会は、残念ながら考えるほど甘くない。希望通り、理想的な職業に就く人は、極めて少ないだろう。思いもかけなかったような仕事を、やらなければならない場合のほうが多い。さて、そこでどうすべき [続きを読む]
  • 苦難にぶつかったとき
  • 不幸をバネに、よりいっそう強くなり、よりいっそう大きく勝利してみせる。・・・そういう心をもつかどうかである。思いがけない悲しみや悩みにぶつかったとき、新たな挑戦の時が来た!と腹を決める。「苦に徹すれば珠と成る」(吉川英治)という言葉があるが、苦労を乗り越え、波乱万丈の人生を生き抜いてこそ、深みのある本物の人物ができるのである。その揺るぎない境涯にこそ本当の幸福もある。 [続きを読む]
  • 法華経は無知の者には縁がない?
  • 法華経譬喩品に「無知の人の中にして、この経を説くこと莫(なか)れ 若し利根(りこん)にして 智慧明了(ちえみょうりょう)に 多聞強識(たもうごうしき)にして 仏道を求むる者有らば 是の如きの人に 及(すなわ)ち為めに説く可し」と、あるが、この文を読むと、法華経は無知の者には縁がなく、知識階級にだけしか通用しないようにも読み取れる。そうだとすると、広宣流布などということは、全く遠い遠い未来のことにな [続きを読む]
  • 中等部第1期生
  • 中等部が結成されて、きょうで53周年になる。53年前のきょう、私はその中等部第1期生として、晴れの結成式式場にいた。東京の日比谷公会堂で開催された、「少年少女の集い」が、結成式であったと記憶している。この「少年少女の集い」には、当時の秋谷青年部長が、先生のメッセージをもって参加していた。この結成当時の中等部員は、支部で1名の代表が選ばれての中等部員だった。選抜の基準は、朝晩の勤行がきちんとできていること [続きを読む]
  • わが子との午後のひと時
  • 幼い日に刻んだ良き思い出は、「生涯の宝」であり、「心の糧」だ。孤独のときには友となり、苦難のときには支える力となる。ささやかな思い出であっても、本当に心と心が触れ合ったものなら、年月を経ても朽ちない。思い出は、親子の絆の結晶とも言える。 [続きを読む]
  • 入会とは名ばかりの会員への激励
  •  勤行をしている形跡すらない、こうした名ばかりの会員宅が多い地区の、新任の地区部長が、自分の指導力のないことを嘆き、戸田先生に指導を受けた時の模様。「先生、私は地区のなかを、一軒一軒、回り始めたのですが、驚いたことに、御本尊様をお返ししたり、持っていても、お巻きしている人たちが意外に多いんです。これから回っていっても、そういう家があると覚悟していますが、いったい、こういう人たちを、どのように指導し [続きを読む]
  • 人間の尊厳を支える座標軸
  •  ニュートンが万有引力を発見したのは、物理的な一現象からであった。万有引力という物質の世界の法則は、宇宙とともに、実在していたものだが、その法則を彼が発見したのは、わずか三百年余り前のことである。 仏法という、生命についての法則もまた、宇宙とともに実在していたものだが、それが人類に明確に示されたのは、釈尊の出現によってである。しかし、物質界の法則と違って、その対象が生命というものであるだけに、把握 [続きを読む]
  • 功徳の本質とは
  • 日蓮大聖人の「御義口伝(おんぎくでん)」には、「功徳とは六根清浄(ろっこんしょうじょう)の果報なり」「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(御書862p)とある。功徳とは、わが生命を浄化することであり、悪の力を滅し、善の力を生み出していくことが、功徳の本質的なものとして示されている。日々、仏法を実践した結果、人間としての境涯の変革が起こり、それが実生活に向上をもたらし、自他共の幸福をめざす [続きを読む]
  • 宗教の正邪の判断
  • 日蓮大聖人の御書に、「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」(御書1468p)とある。宗教というからには、まず、基本となる経典がなければならず、経典に説かれている教義は、道理に適ったものでなければならない。そして、その教えを実践した場合に、そこに説かれた通りの現証が現れるかどうかが、宗教の正邪を判断する何よりの基準となる。 [続きを読む]
  • 目的は明快に
  • 目標の大切さは言うまでもないが、前進の原動力となる目的観の重要性を忘れてはならない。”何のため” という目的が明快な人には、張りや歓喜がある。目的を見失えば、行き詰った時に再起する力が湧かない。 [続きを読む]
  • 勝利と幸福につながるもの
  •  時代の混乱の原因の一つには、「知識」と「知恵」の混同がある。 学んだ「知識」を何に使うか。それが「知恵」である。「知恵」のない「知識」をいくら集めても、価値は生まれない。習った「知識」を記憶しているだけでは観念である。 それに対し、「知恵」は、生活であり、生きる力であり、生き抜く源泉だ。「知恵」こそが、勝利と幸福につながる。「知識」だけでは幸福につながらない。 「知識」は「知恵」を生むものです。 [続きを読む]
  • 衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく)
  • 昭和28年11月22日に開催された第9回本部総会における戸田先生が講演された一部抜粋〜「八歳の子どもが十貫(37.5キログラム)の荷を持って八里(約32キロメートル)の山道を歩くとすると、その子どもは、どんなに苦しいことでしょうか。 しかし、力士が同様にして山を越すとすれば、秋の景色を眺めながら、悠々と越すにちがいありません。 今、世の中を見ると、家族八人もの荷、商売不振の荷、重病などの荷を負って、よたよた歩 [続きを読む]
  • 夫婦の絆
  • 夫婦にとって何より大切なのは、”感謝する心”と”共通の目線”ではないかと思う。もとは他人同士のふたりである。一緒に生き抜いていくと決めた、いわば共同体としての”責任”と”信頼”と”励まし合い”が、自然のうちに、心と心を結ぶ。美しくも強い絆となっていくのではないだろうか。真実の夫婦の在り方は単純ではない。環境によって決まるものでもなければ、状況によって左右されるものでもない。富や平穏が気持ちを引き離 [続きを読む]
  • 一年の計、一生の計の根本
  • 「『一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ』この御聖訓を日夜誦して、きょうよりも明日、今月よりも来月、ことしよりも来年と、いよいよ信心強盛に励むことが、一年の計の基本、一生の計の根本となるのだ。まず、腹を決めよ!決まったら、勇ましく進め!」 [続きを読む]
  • 小さな心から大きな心へ
  • わが人生を開くためには、わが境涯を開くことである。人間、いつも自分のことだけを考えていると、しだいに「小さな心」「小さな自我」に固まっていってしまう。世の中のため、人のためという、開かれた、大きな目的に向かって働けば、その「一心の妙用(心の不可思議な働き)」によって、「大きな心」「大きな自我」が築かれていく。「大きな心」は即「大きな幸福」を味わえる心であろう。そうすれば、「小さな心」には重圧であっ [続きを読む]
  • 本当の愛情
  • 本当の愛情は、もたれ合いではない。確固とした「自立の個人」の間にしか生まれない。浅く安っぽい人間には、浅く安っぽい恋愛しかできない。本当の恋愛をするなら、本気で自分をつくることだ。それは、相手に合わせることでもなく、見栄を張ったり、表面を取り繕うことでもない。素晴らしい恋愛は、誠実で成熟した「自立した個人」と「自立した個人」の間にしか生まれない。ゆえに自分を磨くことが大切なのだ。恋愛に逃避しても、 [続きを読む]