yukemuriのブログ さん プロフィール

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yukemuriのブログさん: yukemuriのブログ
ハンドル名yukemuriのブログ さん
ブログタイトルyukemuriのブログ
ブログURLhttps://yukemuri.muragon.com/
サイト紹介文コント(掌編小説), いろはカルタに纏わる思い、人情の機微に触れる江戸川柳色は匂へ、趣味の5・7・5
自由文玄冬期に入って、遊行ライフを執筆と読書で過ごしています。俳句108句、掌編小説108本を推敲編集して整理を終わりたいと思っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供354回 / 365日(平均6.8回/週) - 参加 2016/09/11 16:08

yukemuriのブログ さんのブログ記事

  • 江戸を見れば76  芭蕉35歳 「桃青三百韻付両吟二百韻」刊行
  •  1678年延宝6年戊午(つちのえうま)芭蕉、桃青の俳号になって積極的に本を刊行。「江戸三吟」を京都の本屋寺田重徳から刊行。すぐに、江戸の本屋山内長七から「桃青三百韻付両吟二百韻」を刊行。  着実に宗匠としての地位を確立していく。  蕉風俳諧の確立までにはまだしばらくを要する。蕉風俳諧の理念としてよく言われる「不易流行」「わび」「さび」「しをり」「軽み」などの中でも「軽み」はこの辺りから談林風とし [続きを読む]
  • 江戸川柳 色は匂へ  「ね」の2 猫
  • 猫好きも男の方は金がいり      男の好きな猫は猫でもネ。 猫に十本多いのが嫁の芸      3+10=13絃(琴) 三味線は3絃。 縁遠さ三味線もたけ琴もたけ    時間も金もかかるよなあ。 その猫をくれさっせへと村こども  西行がもらった銀の猫がほしい。 猫をなでるを里の母見て帰り    猫なで声は、後で化けるのかなあ。 竹を書くからは猫ではないと見へ  虎ですよね。虎だよ。そうかなあ。 参 [続きを読む]
  • 江戸を見れば75  芭蕉34歳 水道工事の事務を担当
  •  1677年延宝5年丁巳(ひのとみ) 本年より向こう4年間江戸小石川の水道工事に携わる。事務の仕事のようである。  京都より東下の伊藤信徳を迎え、信徳、信章、桃青で「三吟百韻二巻」を興行する。 芭蕉(当時は桃青)は、俳諧宗匠として立机(りっき)したと考えられる。立机とは、俳諧師が宗匠となること。  34歳の句を3句紹介  あら何ともなきやきのふは過ぎてふくと汁   桃 青  ふぐ汁を食って、あたり [続きを読む]
  • 花かるた 色は匂へ 「き」の2 菊(秋)
  •     菊の香や奈良には古き佛達     芭  蕉                季節の花300より    菊を切る跡まばらにもなかりけり  其  角    黄菊白菊其外の名は無くもがな   嵐  雪                季節の花300より      手燭して色失へる黄菊かな    蕪  村                 季節の花300より  花言葉は 「思慮深い」(菊)「 真実、元気 [続きを読む]
  • 江戸を見れば74  芭蕉33歳 「江戸両吟集」を出版
  •  1676年延宝4年丙辰(ひのえたつ)春、山口信章(素堂)と両吟百韻二巻を巻いて天満宮に奉納し、「江戸両吟集」として出版する。 立句(たてく) 此梅に牛も初音と鳴つべし   桃 青 脇句      梅の風俳諧諸国にさかむなり  信 章 天満宮の見事な梅の花に鶯はもとより、きっと牛までも初音せんものと鳴くことであろう。  季語は「梅」で春。   天秤や京江戸かけて千代の春   桃 青  京と江戸の初 [続きを読む]
  • 江戸を見れば73  芭蕉32歳 宗房より桃青と改める
  •  1675年延宝3年乙卯(きのとう)5月、東下中の談林派の総帥、西山宗因歓迎の百韻を興行。  立句(たてく)「いと涼しき大徳也(なり)けり法の水」宗因。  立て句とは、俳諧で連句における発句(ほっく)のことで、単独の発句(=俳句)と区別するための呼び方。  この年に松倉嵐蘭(らんらん)29歳と服部嵐雪(25歳)が芭蕉(桃青)に入門する。芭蕉が俳諧師として頭角を現してきた証であろう。  日本古典文学 [続きを読む]
  • 江戸を見れば72  芭蕉31歳 俳諧師として自立
  •  1674年延宝2年甲寅(きのえとら)3月17日に京都の季吟より連俳秘書「埋木(うもれぎ)」の伝授を受けて、これより俳諧師として立つ。連俳秘書は俳諧師として立つ上の卒業免状のようなもの。 季吟先生は、「枕草子曙抄」を完成させる。 この年に榎本其角(14歳)が芭蕉に入門する。  2月に幕府は焼失した内裏の再建を伏見奉行を総奉行とし岡山藩に助役させた。竣工(落成)は翌年11月。  天皇家や公家は元和元 [続きを読む]
  • 江戸を見れば71  芭蕉30歳 井原鶴永、西鶴と改号
  •  1673年寛文13年癸牛(みずのとうし)9月21日に延宝元年となる。 時の権力者として、大老の酒井忠清の一人舞台となる。  6月に井原鶴永(かくえい)(32歳)、西鶴と改号して大坂の生玉南坊で万句俳諧を興行して、生玉万句を出版する。  大坂談林の雄、井原西鶴が浮世草子の第一作「好色一代男」に筆を染めたのも天和元年(1681年)西鶴40歳のときである。  一方芭蕉は、29歳で江戸に出て、2,3年で [続きを読む]
  • 教育の基本 10  教育の壁をどう乗り越えるか
  •  退職をして20年が過ぎた。教育界とは全く関係が無くなった。しいていえば退職教員の会、それに大学の同窓会が辛うじて情報交換程度の付き合いである。  それも80歳を過ぎると多くの先輩や後輩と別れてしがらみというものがかなり薄れて、割と自由な気分で素直に思いを語ることができるようになったと思う。  そうはいってもいざとなるとなかなか本音をありのままに語ることは難しいものである。努めて本音に挑戦して最後 [続きを読む]
  • 花かるた 色は匂へ  「さ」の3 山茶花(冬)
  •      山茶花は靜な花よ晝の月    柴沼忠三                  季節の花300より    山茶花は散り敷く時をよしと思ふ    松尾いはほ                  季節の花300より     山茶花の散りのこしてや紅に雪      掌                  年に一度の雪かな     花言葉は「困難に打ち勝つ、ひたむきさ」 [続きを読む]
  • 江戸を見れば70  芭蕉29歳  芭蕉江戸へ下る
  •  1672年寛文12年壬子(みずのえね) 芭蕉は親類・縁者の後援を得てかねてより計画していた江戸に出た。江戸に出るにあたって芭蕉は「貝おほひ」という作品を完成させて、これを上野の菅原神社(天満宮)に奉納した。  29歳の芭蕉の決意と覚悟が処女出版の「貝おほい」に籠められていた。  発句合わせの「貝おほひ」には流行歌謡や流行り言葉が縦横に駆使されたこれまでにない斬新な発句合(ほっくあわせ)であった。 [続きを読む]
  • 教育の基本 9  歓迎のあいさつ
  •  4月のはじめに新採用教員の地教委への受け入れに教育長と学校代表として、二人で県の教育事務所へ出向いた。  教育事務所長の挨拶と教育長の挨拶が終わって、学校の教職員を代表して歓迎のあいさつをした。 「私の好きな川柳を2句紹介します。    子には子の悲しみがある虫の墓  みなさんこの句を共感をもって理解できるような教員になってください。この句を理解できない人は教育の仕事には不向きでしょう。  次に [続きを読む]
  • 教育の基本 8  思い出の恩師
  • 「私は数学の専門ではないのですが、高校時代の恩師の授業がとても私の数学の力をつけたように思います。よろしかったら、その方法を取り入れてみませんか。」  私は数学の授業が成立しないクラスの数学担当教師に声をかけた。 「ぜひお願いします。よろしかったら校長先生も私の授業に参加していただけませんか。」  とても純粋な生真面目な数学担任の人柄に解決も時間の問題だなと確信した。「純粋で生真面目な」授業に問題 [続きを読む]
  • 江戸を見れば69  芭蕉28歳 仙台藩の御家騒動に裁断
  •  1671年寛文11年辛亥(かのとい)藩主伊達綱宗は所行紊乱(びんらん・ぶんらん)のために隠居させられ、幼年の綱村が跡を継ぎ、一族伊達兵部が実権をとり藩政を掌握した。所領争いで兵部らは処罰され、綱村は藩領を安堵された。  御家騒動は大名家の相続争いや家臣間の権力争いが発端となり、一夫多妻制の習俗や嫡長子相続性が原因となる。  仙台藩の家臣団での寄子付を禁止する。寄子付とは封建社会に特有の擬制的親子 [続きを読む]
  • 江戸川柳 色は匂へ  「そ」の2 袖の下
  • 袖の下たびかさなりてほころびる   ほころぶとぼろが出るぞ 袖の下=人目を忍んで渡す賄賂 むつかしい顔をうっちゃる袖の下   もらったな、このニコニコ顔 袖の上から出したので取りにくい   空気がよめん奴だ 袖の上から取ったのは怖くなし    政治献金だよと金庫へ 袖の下やらぬとばゞあ長座する    遣り手へも壱歩はね  ブログに投稿した作品をホームページに整理。 「平成ダンチョネ」「いろは随想」 [続きを読む]
  • 江戸を見れば68 芭蕉27歳 本朝通鑑(つがん)成立
  •  1670年寛文10年庚戌(かのえいぬ)『本朝通鑑』(ほんちょうつがん)は、江戸幕府により編集された漢文編年体の歴史書。寛文10年(1670年)成立。全326巻。林家の林羅山、林鵞峯(春斎)父子を中心に編纂された。幕府の立場に立った儒教的合理主義がみられる。  神代から後陽成天皇(1586-1611在位)の代までを記している。倫理的な判断を避け、史実を書くことが方針とされているという。  岡村正辰 [続きを読む]
  • 江戸を見れば67 芭蕉26歳  公共事業に諸大名は費用負担
  •  1669年寛文9年己酉(つちのととり)2月に幕府は淀川の浚渫(しゅんせつ)川底浚い(さらい)に大名に費用負担をさせる。諸大名に費用を負担させることが幕府の基本政策の一つであった。  芭蕉も一時期、浚渫(川浚い)の公共事業を請け負っていた記録がある。おそらく藤堂家の口利きであったと考えられる。いくつの時かもう少し詳しく調べてみたい。  芭蕉26歳の句が日本古典文学全集にのっていないので、寛文年間の [続きを読む]
  • 教育の基本 7  全校の雰囲気 2:6:2の原則
  •  どんな集団にもマイナスの雰囲気が2割、プラスの雰囲気が2割を占めるという。あとの中間層の6割がプラスになびくかマイナスになびくかが良い集団になるか、悪い集団になるかの分かれ目であると。  全校の雰囲気が良い方向へ流れていた。いじめ問題について特別な指導に入ろうとしたときに学級担任から連絡があり、いじめの側の保護者といじめられる方の保護者が一緒に校長先生に会いたいということであった。  学級担任と [続きを読む]
  • 花かるた 色は匂へ 「あ」の4 蘆(あし)の花(秋)
  •     乳を出して船漕ぐ海士や蘆の花     北  枝                  季節の花300より      この邊に住みても見たし蘆の花   星野立子                   季節の花300より      水靄(もや)の動きにも揺れ蘆の花  成嶋瓢雨 ・「あし」は、「浅(あさ)」の変化ともいわれる。(水の浅いところに生える) ・葉や花穂が片側に寄って傾くものもある。「片葉の [続きを読む]
  • 教育の基本 6  一人ひとりの幸福論を
  •  6月に入って幸福論も盛り上がったある日。廊下で3年生のグループが声をかけてきた。 「校長先生、幸せですか。学校は楽しいですか。」 「幸せです。楽しいなあ。」 「どんな時に幸せや楽しさを感じますか。」  さすが3年生、いいところをついてくる。  私は、立ち止まって大きく息をした。  妻がいて娘(こ)がいて我に新茶あり  それにね。学校でみんなと幸福論を話し合うときが最高だな。  みんな納得とうなず [続きを読む]
  • 教育の基本 5  役割と個性を考えて「声かけ」を
  •  生徒指導主任(生徒指導主事)に。 「不登校傾向にある全校生徒の実態の資料をもってきてください。」 「1日の無断欠席の場合は、午前中に家に連絡をして確認してください。3日以上の欠席理由がはっきりしないものや不審に思われる点がある場合は家庭訪問をして直接、保護者や本人に確認するように学級担任に知らせてください。」 学年主任に。 「学年を見渡して、気になる落差のある学級についてその様子を知らせてくださ [続きを読む]
  • 江戸を見れば 66 芭蕉25歳  隠(かくし)売女を取り締まる
  •  1668年寛文8年戊申(つちのえさる) 隠売女を取り締まり捕らえられたものは刑罰として吉原に送られた。抱女郎は散茶(さんちゃ)と呼ばれた。散茶はひき茶に由来し煎茶のように振り出すこともなく、吉原在来の遊女のような意気もなく客を振らないという意味である。  左様せいの家綱将軍のもと、補佐の保科正之(家康の孫)と大老の酒井忠清、老並の松平信綱が時の権力者として藩政を取り仕切っていた。  芭蕉25歳の [続きを読む]
  • 教育の基本 4 校長は積極的に行動を起こそう
  •  学校で決定権を持つのは学校長一人である。  校長が行動を起こさなくて誰が行動を起こすのであろうか。  特別な行動はいらない。日常的に学校長としてやっていることに行動を起こす視点を与えるといい。  例えば、週に1回か少なくても月に1回は生徒や教員に改まって面と向き合って話す機会がある。また、学期に1回は保護者に対しても対面して話をする機会がある。  この対面してメッセージを送る機会を生かすだけで充 [続きを読む]
  • 花かるた 色は匂へ 「あ」の3 朝顔(秋)
  •     出勤の日々の朝顔汚れなく     清水徹亮                 季節の花300より      朝顔の昔の色の濃むらさき   寺谷なみ女                  季節の花300より       朝顔のしづかにひらく折目かな  片岡片々子                        季節の花300より     花言葉は「平静」「はかない恋」「固い絆」「愛情」 花名の朝顔 [続きを読む]