彰篠宮 さん プロフィール

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彰篠宮さん: 日本史大歳時記
ハンドル名彰篠宮 さん
ブログタイトル日本史大歳時記
ブログURLhttp://nihonshi.info/
サイト紹介文「日本史大歳時記」では日本の歴史上の様々な事件や出来事を、日めくりカレンダーの様に毎日ご紹介します。
自由文blogでの記述は、大学入試や日本史検定にも使える様に出来る限り定説に基づくものとなる様に心がけています。日本史の雑学を日々楽しんで頂ければ幸いです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供331回 / 365日(平均6.3回/週) - 参加 2016/09/30 19:24

彰篠宮 さんのブログ記事

  • 11月10日 <「国民精神作興ニ関スル詔書」が発せられる(1923年=大正12)>
  • 1923年(大正12)のこの日、「国民精神作興ニ関スル詔書」を大正天皇の名で摂政宮(皇太子裕仁、後の昭和天皇)がお発しになられました。これは大正時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 「国民精神作興ニ関スル詔書」は日本史の教科書などには出てこない事柄です。大正時代後期に、国民精神の振興と国家の興隆を国民に呼びかけた詔書で、国本涵養に関する詔書とも呼ばれてい [続きを読む]
  • 11月9日 <東京湾でタンカー衝突(1974年=昭和49)>
  • 1974年(昭和49)のこの日、東京湾・浦賀水道で、LPGタンカー第十雄洋丸とリベア船籍の貨物船パシフィック・アレスとが衝突し、タンカーは爆発、両船とも炎上し33人が命を落とす大事故が発生しました。これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 1974年(昭和49)のこの日は、東京湾は曇天で視界は4kmほどであたそうです。同日13時37分頃、日本船籍のLPG・石油混載タン [続きを読む]
  • 11月8日 <後水尾天皇退位(1629年=寛永6)>
  • 1629年(寛永6)のこの日、後水尾天皇は江戸幕府の同意を求めずに突然、譲位を宣言しました。これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 後水尾天皇は鬱々とした日々を送っていました。というのも、1629年(寛永6)7月に紫衣事件が起こっていたのに加え、腫れ物にも悩まされていたからです。おまけに同年5月に表明した譲位の意向に対しての幕府の返答も先延ばしにされて [続きを読む]
  • 11月7日 <緒方洪庵、大坂古手町に除痘館を開設(1849年=嘉永2)>
  • 1849年(嘉永2)のこの日、緒方洪庵は大坂古手町(現・大阪市中央区道修町)に「除痘館」を開設し、牛痘種痘法による切痘を始めました。これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 緒方洪庵といえば、受験日本史においては大坂で私塾適塾を作った…ということで取り上げられる人物ですが、今回の記事はその洪庵の日本の近代医学の祖としての側面のことです。 その前に… [続きを読む]
  • 11月6日 <北陸トンネル内で炎上事故発生(1972年=昭和47)>
  • 1972年(昭和47)のこの日、福井県敦賀市の北陸本線北陸トンネル(全長13.87km)内で、大阪発青森行の急行「きたぐに」の食堂車付近から出火し、死者30名を出す大事故が発生しました。これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 1972年(昭和47)のこの日の午前1時過ぎ、福井県敦賀市の北陸トンネル(総延長13,870m。北陸本線敦賀駅〜南今庄駅間)内を走行中の大阪発青 [続きを読む]
  • 11月2日 <水俣漁民、チッソに突入。水俣病(1959年=昭和34)>
  • 1959年(昭和34)のこの日、熊本県不知火海沿岸の漁民約1,500人が、水俣病を放置している新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場へデモ行進を行い、そのまま工場に乱入し、警官隊と衝突しました。これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 第2次世界大戦後の経済の高度成長期、各地で様々な工業化が進みました。そのあまりにも急速な変化は、地域社会に深刻なダメージを [続きを読む]
  • 11月1日 <新聞「万朝報」創刊(1892年=明治25)>
  • 1892年(明治25)のこの日、東京・京橋の朝報社から「万朝報」が創刊されました。これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 明治時代を通じて新しい文化は国民の間に徐々に広まって行きましたが、その浸透に大きく貢献したのは新聞・雑誌などのジャーナリズムの発展でした。ジャーナリズムは江戸時代から庶民の間に広まっていた読売瓦版(よみうりかわらばん)、あるい [続きを読む]
  • 10月31日 <昭和天皇、初の公式記者会見(1975年=昭和50)>
  • 1975年(昭和50)のこの日、昭和天皇・皇后両陛下は皇居内で行われた初の公式記者会見に於いて、訪米の印象や在位50年の間のお喜びやお苦しみなどについてお語りになられました。これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 1975年(昭和50)のこの日、昭和天皇・皇后両陛下は皇居内で行われた初の公式記者会見に於いて、訪米の印象や在位50年の間のお喜びやお苦しみなど [続きを読む]
  • 10月30日 <尾崎紅葉、他界 (1903年=明治36)>
  • 1903年(明治36)のこの日、明治期の文壇で活躍あいた尾崎紅葉が胃癌により他界しました。享年37歳でした。これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 先日、泉鏡花が尾崎紅葉に弟子入りした日のことを記事にしましたが(10月19日 <泉鏡花、尾崎紅葉に弟子入り(1891年=明治24)>)、今回の記事はその尾崎紅葉に関するものです。1890年代の文壇の主流を占めていた [続きを読む]
  • 10月29日 <自由党解党の決議なされる(1884年=明治17)>
  • 1884年(明治17)のこの日、同年9月に起こった加波山事件によって党内統制の自信を喪失していた自由党は、大阪・北野の大融寺で行われた同党大会に於いて解党を議決しました。これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 自由党という名前の付く政党、あるいは名称に自由が入る政党は、我が国のみならず世界に数多く存在します。現代においても小沢一郎率いる「自由党」 [続きを読む]
  • 10月28日 <萩の乱発生(1876年=明治9)>
  • 1876年(明治9)のこの日、元兵部大輔前原一誠は山口県萩の明倫館に集結した不平士族の同志332人とともに挙兵しました。同月起こった神風連の乱・秋月の乱に呼応した士族の反乱でした。これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 今回の記事もまたまた士族の反乱です。1874年(明治7)の佐賀の乱、1876年(明治9)神風連(敬神党)の乱・秋月の乱・萩の乱は、政府の新政 [続きを読む]
  • 10月27日 <秋月の乱発生(1876年=明治9)>
  • 1876年(明治9)のこの日、福岡県の旧秋月藩士磯淳・宮崎車之助が士族とともに挙兵しました。秋月(あきづき)の乱と呼ばれる出来事で、その3日前に起こった神風連の乱の乱に呼応した士族の反乱でした。これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 今回の記事は、この時期に各地で頻発した士族の反乱についてです。1874年(明治7)2月、佐賀の乱が起こると、旧秋月藩士磯 [続きを読む]
  • 10月24日 <神風連の乱発生(1876年=明治9)>
  • 1876年(明治9)のこの日、神風連(じんぷうれん。敬神党とも)に結集していた170余名の熊本士族が蜂起し、熊本鎮台を襲いました。同年3月の廃刀令に対する不満が引き金となった士族の反乱でした。これは時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 明治新政府はあらゆる分野に対してあまりにも急速な近代化政策を推し進めたこともあり、その変化は国民の実情を無視したものでした [続きを読む]
  • 10月23日 <第一次読売争議が発生(1945年=昭和20)>
  • 1945年(昭和20)のこの日、読売新聞社従業員は組合を結成して経営方針を巡って経営者側と対立し、組合は生産管理闘争に入りました。これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 読売新聞社の社内では、従業員の間で、正力松太郎ら経営者の戦争責任を明らかにし、民主主義的な改革をすすめるための研究会を発足させようとの気運が盛り上がっていました。ところが、このよ [続きを読む]
  • 10月19日 <泉鏡花、尾崎紅葉に弟子入り(1891年=明治24)>
  • 1891年(明治24)のこの日、泉鏡花は尾崎紅葉を訪ね、入門を許されました。これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 1873年(明治6)に石川県金沢市に生まれた泉鏡花は、本名を鏡太郎といいます。後年「高野聖」で文学史上に名を残す鏡花も、若い頃は苦労もあったようです。その鏡花が文学を志すのは、1889年(明治22)に友人の下宿で尾崎紅葉の「二人比丘尼 色懺悔( [続きを読む]
  • 10月18日 <東条英機内閣成立(1941年=昭和16)>
  • 1941年(昭和16)のこの日、第3次近衛内閣の総辞職のあとを受けて、東条英機内閣が成立しました。これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 1941年(昭和16)10月半ばになり、近衛首相はなお開戦をためらい、中国からの撤兵問題ではアメリカに譲歩しても、日米交渉を継続しようとしましたが、陸軍大臣の東条英機は撤兵に強く反対し、交渉打切りを主張して譲らず、つい [続きを読む]
  • 10月17日 <十月事件が発覚し、首謀者逮捕(1931年=昭和6)>
  • 1931年(昭和6)のこの日、軍人内閣樹立のクーデターを計画していた桜会の橋本欣五郎中佐らが検挙され、計画は未遂に終わりました。これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 1930年代に入ると、ロンドン軍縮問題・満蒙問題の切迫・農村の疲弊といった内外の危機に触発され、日本国内では革新の気運が高まり、軍部の青年将校や民間の右翼・国家主義団体による急進的な [続きを読む]
  • 10月16日 <後醍醐天皇、親政を始める(1321年=元亨元)>
  • 1321年(元亨元)のこの日、後醍醐天皇は鎌倉に下っていた乳父の吉田定房を通じて幕府と折衝し、天皇親政の了解を得ました。これは鎌倉時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 1221年(承久3)に起こった承久の乱後、朝廷では上皇による院政が行われていました。皇位の継承と治天の君として院政を行う上皇の認定とに、幕府は深く関与していました。北条泰時の後押しによって即 [続きを読む]
  • 10月14日 <政府、祝祭日を定める(1873年=明治6年)>
  • 1873年(明治6)のこの日、明治政府は従来の五節句を廃止して国の祝日と祭日とを定めました。これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 この祝祭日というもの、古くは宮中祭祀の五節會(ごせちえ)、武家社会の五節句(ごせっく)などが重んじられました。明治政府は、1873年(明治6)のこの日、「年中祭日祝日等ノ休暇日」を布告し、広く国民が祝うべき国家の祝日およ [続きを読む]
  • 10月13日 <薩摩藩に倒幕の密勅(1867年=慶応3)>
  • 1867年(慶応3)のこの日、倒幕の兵を動かすための名分としての宣旨を求めていた薩長両藩のうち、薩摩藩主父子に対して倒幕の密勅が出されました。長州藩主父子へは翌14日の日付で密勅が出されました。これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 1867年(慶応3)10月8日、薩摩・長州・芸州三藩の倒幕派首脳は京都に集まり、さて、いよいよ倒幕決行!と決意を固めました [続きを読む]
  • 10月12日 <江戸幕府、間引き禁止令を発布(1767年=明和4)>
  • 1767年(明和4)のこの日、江戸幕府は間引き禁止令を発布しました。これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 間引きは、もともとは、植物の苗が密植した状態であった場合、生育を十分にさせるために少数の苗を残して残りを抜いてしまう作業のことを言います。今回の記事にある間引きは、それとは違い生まれたばかりの子を窒息もしくは圧死させ、子供の数を人為的に調 [続きを読む]
  • 10月10日 <カッパ・ブックス刊行開始(1954年=昭和29)>
  • 1954年(昭和29)のこの日、光文社は伊藤整の「文学入門」、中村武志の「小説 サラリーマン目白三平」をカッパ・ブックス第一弾として刊行しました。これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。これは2分程度で読める記事です。広告1.解説 1954年(昭和29)のこの日、光文社は伊藤整の「文学入門」、中村武志の「小説 サラリーマン目白三平」をカッパ・ブックス第一弾として刊行しました。これ以降、大衆の要求をい [続きを読む]