近・現代詩をめぐる批評的な文章をつづりながら、世間の風に吹かれるあれこれも時たま書きたいと思う
最初は以前に書いた近代、詩人論をアレンジしながら、現在の目で読み返す事から始めたいと思う。 若いときとは気分も考えも恐らくずぶん変わっているにちがいないとおもう。けだし、そんなに進歩的ではないかもしれない。 成るようにしか成らない暮らしの中で、書くことの楽しさをじっくりあじわえればいい。そんな他愛もない文章を誰が読むか!と思いながら、書き継ぎたい。
中也が三歳の記憶を二十代の終わりに書いているが、子供の頃は親の期待に応えようと、何でもよくやった優等生でそして早熟だったようだ。前回につづき子供の頃の...
指をつたうてびおろんにながれよる 昼の憂愁、 然り、かくて縺れる昼の憂愁 一の処女をsといい二の処女をfといい 三の処女をyといい 然してこれ...
口語自由詩の芽は山田美妙のによって提唱され発表された。次のような詩が「伊良都女」に発表。 一 こどもよまなべ おもちゃをしまへ ...
山村暮鳥が群馬での生活を離れて東京築地聖三一神学校に入学したのは明治三十六年。入学の経緯については曖昧ながら、親しかったウオールの世話であったようだ。本...
暮鳥の詩論である「言葉に非ず、形象である。それが真の詩である。」を引用しながら朔太郎はそこに疑問を呈している。「私はこの説似たいしては七分通り賛成三分透...
北原白秋は大正三年九月に発刊の『地上巡礼』に暮鳥は、朔太郎、犀星とともに詩を発表することになるが、翌年三月には第二巻第二号で終刊となってしまう。その後...
*以前もこの場で発表した文章ですが、今日はあらためてかきうつします。山村暮鳥が、萩原朔太郎、室生犀星と 「人形詩社」を設立したのは大正六年三月のこと。『文...
八月の石にすがりてさち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。わが運命を知りしのち、たれかよきこの烈しき夏の陽光のなかに生きむ。 運命? さなり、あゝわれら自ら孤寂な...
原田憲雄は次のように述べている。 「そこにうたわれた『昔のひと』を、藤村とみたてても、さまで検討ちがいとはなるまい。藤村は その死を『春の若草が萌え...
「彼は詩集を出す時、いつも題名に非常に苦心するのが常だった。『夏草』のもとの名は「朝顔・その他」だし、河出書房の現代詩人全集に入れる時、考えた名は「光耀...
「発想は暑く烈しく無ければなりませんが表現においては沈着暢達でなければいけないと思います。〈略〉私自身『わがひとに与ふる哀歌』から『春のいそぎ』 へ...
伊東静雄の詩集は『わがひとに与ふる哀歌』と『夏花』のうちの数編を頂点とし、戦争詩とみなされる七編の作品を含む『春のいそぎ』を詩的達成とは別に、底辺に置く...
伊東静雄の詩業が近代詩の流れの中でどのような位置におかれてるのかについて私はしらない。で、始まるかなり古い文章(一九七九年三月発行・「ルパン詩通信」)が...
(8) 一九九〇年一〇月、第八詩集として上梓された最終詩集『星闌干』(集英社刊)には四十九編が収められている。そのタイトル詩の中に、次のような詩行がある。...
(7) さて、本題の井上靖の詩の世界に限ってみていくと、詩集『地中海』に、「少年」という作品がある。 少年はフェーン現象のため大火が多いことで知られる東...
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