唯識 さん プロフィール

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唯識さん: 唯識とショーペンハウアーから
ハンドル名唯識 さん
ブログタイトル唯識とショーペンハウアーから
ブログURLhttps://schopenhauer.muragon.com/
サイト紹介文唯識とショーペンハウアーの研究
自由文instagram toshi33303
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供153回 / 365日(平均2.9回/週) - 参加 2016/11/25 19:19

唯識 さんのブログ記事

  • 手をつないで
  • 手をつないでいっしょに歩いて行こう などという健全な手をつなぐではなく 軽くつないでただ触りあうだけなのです そこにはさまざまな触れ合いがあることでしょう 手は人間の重要な外部認識の触覚ですから あまりに敏感でそんなことはしないでしょうが メスとオスの昆虫が触覚で触りあうようなイメージです [続きを読む]
  • 直観と概念 その二 自分
  • 自分の体は直観であり、五感も直観である 自分の精神は主に概念である。 感情はおもに概念によって作られた記憶の集まりが作り出す疑似の直観である。 記憶の集まりには五感と感情の記憶も含まれる。 感情と概念には密接な関係がある。 客観である自分の体と精神の存在が分かるのはそれらが 直観的に意識されるからでこの直観を主観と言う。 [続きを読む]
  • くちづけ
  • 二人のくちづけは 欲望の始まりでもなく 情熱でもなく くちびるとくちびるのふれあいのただそれだけ 自分の体自体が触覚ですから 皮膚感覚はもっとも存在の確かさを確信させ 二人はそれをくちびるで確かめるのです 世界が愛に満たされているから それだけでいいのです [続きを読む]
  • 衆生済度
  • 自分が救われる前に他を救おうというのは 心構えを言っただけでそんなことができる訳もない 小さな親切はともかく他人の精神の苦しみを救うことなどはできない 衆生済度の衆生とはたった一人で自分でしかない [続きを読む]
  • 世界に愛が満ちていれば
  • 世界が愛に満ちていればなどというのは ほんとお節介なことでどうでもいいのです こういう考えというのはほとんど間違いであって あり得ないとか不可能だからというのでもなく 本人が何かしら誤動作をおこしているのです これは自分に愛がないことを世界に反映しているだけなのです ですから自分に愛が灯れば世界に愛が満ちるのです 世界に愛が満ちればそれはもはや愛でもなく 世界は今あるようなこのままなのです [続きを読む]
  • 愛撫について
  • わたしはあまり経験がないのでよく分からないが 愛撫というのは普通はおもに男がするものではないかと思う 手が体を触り〇〇したり○〇したり◎〇するのではないかと思う どんな感触かおんなにからだ全体を愛撫されてみたい といってもよほどの人でないとそんなことはしてくれないだろう どこかそういうところはあるだろうが愛がないと おとこはおんなの本当の愛を求めている アマゾンのプライムビデオで100円だったので [続きを読む]
  • 美の概念の範疇
  • おんなを抱いてその肌をいつまでも味わっていたいのは 心地よい音をいつまでも聞いていたいとか 美しいものをいつまでを見ていたいということと同じであり 又おいしさかぐわしさと同じであり 各、五感の「美という概念」と同じ範疇だろうとわたしは思う これは感情や知性における認識とはまったく違うものであり 五感においての表象の実在を表すものである [続きを読む]
  • 飽きられて
  • セックスの後で 男は女から離れてしまいたくなるが 女はしばらくは抱いていて欲しいらしい わたしは好きなことは飽きずにいつまでもやっているので というのは女の肌をいつまでも味わっていたいので セックスしないでいつまでも抱いていると さすがに女も飽きてきて わたしから去って行ってしまう これは象徴的なたとえ話だが わたしの失敗はこのようなものである [続きを読む]
  • 自己実現について
  • 自分の内と外があって 自己実現というのは普通は 自分の外が叶うことをいうが 自分の外が叶うことが自己実現の訳がないだろう それは自己じゃないのだから [続きを読む]
  • えいえんのおりひめとひこぼし
  • 別の宇宙のかわいいおりひめは自分で歌を作り美しい声で歌う その世界のひこぼしは美しいものや面白いものを見るのが好きだ 二人はこころから愛し合っていたが会ったことがなかった 互いの存在を知っていて言葉をかわしたことがあってもそれは文字だった ひこぼしは様々なものをいつまでも見続けることができる ただ美しすぎるものは見続けることができなかった ひこぼしは様々な因果がそのまま永遠であることを知っている [続きを読む]
  • 直観と概念 その一
  • 直観と概念の明快な区別は哲学にとって重要であると思う。 そしてこの区別は単純に難しい。 その難しさの理由として哲学というのがすべて概念によって記述されるというところにある。 直観について考えるというときに直観が概念になってしまうのである。 であるから概念は概念のままでいいが直観については対象を見なければならない。 だから哲学者は本を読むのではなく世界を見なければならないのである。 なぜならば世界の [続きを読む]
  • 人生に大切なもの
  • まずは物質、体も含む世界は物質であるように見えるから その次は時間と空間、その中ですべてが変化していくように見えるから この二つは関係している それから言葉、これは自分が何を考え語るか あと意志、自分が何をするか この二つも関係している そして無、上の四つが無いかのように自由に生きたいから [続きを読む]
  • あのひと
  • 髪に触れた あのひとは髪に触れた手を感じた 髪に触れた手を感じたあの人を感じた 頬に触れた あのひとは頬に触れた指を感じた 頬に触れた指を感じたあのひとを感じた くちびるに触れた あのひとはくちびるに触れた指を感じた くちびるに触れた指を感じたあのひとを感じた [続きを読む]
  • 夏味噌をつけただけで食えるもの
  • 男の一人暮らしだとあまり味噌汁つくらない。 ま、味噌とかつぶしと刻みねぎとか昆布とか入れてお湯を注ぐという手もあるが そもそも夏は熱いもの食べたくない。 日本人なので少なくとも一日一回は米のメシと味噌汁食わないと元気がでない。 味噌をつけただけで食えるもの きゅうり野菜はこれである。 ご飯も味噌をつけただけで食える。おにぎりにすればほんとおいしい。 あと豚肉の焼肉。これも結構うまい。簡単でやすい。 [続きを読む]
  • そうめん
  • 一人暮らしが続いて食事にかなり手を抜くようになった。 昔からきちんとした性格ではなかったが 家族がいたときはご飯を炊いて味噌汁を作ったような気がする。 冬は鍋など作るのだが夏は作り置きなどできないので ご飯も炊くことはなくほとんど外食と弁当と惣菜になっている。 実際ご飯を除けばそのほうが費用も安い。 あとカット野菜と野菜ジュースだ。 それでも夏になると食べやすくなるのに豆腐とそうめんがある。 もち [続きを読む]
  • 内なる神について
  • 内なる神とは何だろうか。 それは外なる神に対するものだが 外なる神はただ神と言ってよいのだから 神に内なるをくっつけたのである。 内なる神は自分の根底にある。 内なる神は無である。 内なる神は全てを創造している。 内なる神は認識することはできない。 しかしそれがすべてを認識している。 内なる神は実在する。 内なる神は自分の精神をそのまま見つめて受容する。 そして作り替えることができるという意味で全 [続きを読む]
  • こういうこと書くの止めたい
  • 昨日まだ雪が残る山に行ったとき 肉がまったく駄目で魚しか食べられないという 性格も地味でそれでいて何か思いを秘めている女性のような 可愛い花があちこちに咲いていた。 はじめは山桜かなと思ったが木が小さいのでそうではなかったが 桜の種類ではあるのだろう。 どうにもならないのでこういうの書くの止めたい。 [続きを読む]
  • 人生の深み
  • 人生で体験した深みとか妙味 それを説明するとき科学的になどというのを持ち出すと 何の意味もないものになってしまう。 それは主観的なものが実在であるのに対して 客観的というのはただの命題の証明であって 実在していないからだ。 これの弊害は真理だけが実在だと思いこむことによって 本物の実在がどうでもよくなってしまうことだ。 真理がどんどん増えていっても 実在にたどり着くことはあり得ない。 科学は実在な [続きを読む]
  • 自分の体は物質ではない
  • 五つの感覚は物質ではないだろう。 ここで自分の体とは何かと考えて見ればただの感覚でしかないだろう。 それは主に触覚であってこれが自分の体の特徴である。 世界は触りでもしない限り主には視覚である。 ところで物質とは何かといえばそれは頭で考えられたものである。 頭で考えられたものならばそれは紛れもない観念である。 自分の体がただの感覚なのだから勿論宇宙も感覚である。 人間の、世界や自分の体は物質である [続きを読む]
  • 意志と表象としての世界とは何か その二
  • アプリオリな認識はわれわれの経験はそれによってなされるということであり、それに ついて多くの思索がされている。 カントが偉大なのはそれを始めたことと、世界をそれによって洞察したことであり、先駆者に個々の間違いはあって当然である。 アプリオリな認識には、直観についてと概念についてがあって、概念については一つの文章に多くのアプリオリな総合命題があることを指摘している。 アプリオリな総合命題というのは科 [続きを読む]
  • 意志と表象としての世界とは何か その一
  • 西洋でルネサンスから始まった新しい学問は最初から科学的であった訳ではない。その先駆者も今から見るといろいろおかしなことを言っている。哲学においては独断論である。 科学というのは世界や精神をよく見て結論を出すということで、その哲学的な表れがジョンロックやデビットヒュームであり、これらはアビダルマに似ているのではないかと思う。それはアビダルマも人間の精神をよく観察したものだからである。 ヒュームの哲学 [続きを読む]
  • 涼しい風の五月に
  • 本当の愛があるとすれば それは永遠の愛なのだから 一切の生々しさとは無縁であるはずで 愛撫、抱擁、口づけは愛をすぐ終わらせ 残るのは妄想だけなのだから 永遠の愛にもっとも近いのは 彼女とわたしが誰もいないところで ただ黙ってベンチに座っていて 五月の涼しい風が吹いてくる というそのようなことだろう [続きを読む]
  • 個の尊厳について
  • 個の尊厳というのは対処の価値であって普遍的なものではない。 個というのはそもそも生命が個として与えられざるを得なかったことに起因するが 悪というのはすべてそこから生まれる。 よく見れば善や慈悲というのは個の否定であることが分かるだろう。 動物では性欲は闘争、食欲は殺し合いでありそれが感情の起源である。 人間ではその上に複雑な思考の、嫉妬、恨み、瞋りがあって 感情が思考の原因であるが道徳でカモフラー [続きを読む]
  • 眠りについて
  • 時間もなくわたしは眠り続けていたが そこには楽しみも苦しみもなかった。 あるとき時間と肉体が与えられてわたしは目覚めた。 そこは苦しみと混乱の世界で死の恐怖とわずかばかりの楽しみと希望があった。 死の恐怖と楽しみと希望がその世界を作っていたが、 楽しみと希望というのは残酷な虚偽の仕掛けであった。 心ある人も偽善者も詐欺師も、 楽しみと希望を広げようとしていたが所詮虚偽であった。 これでは生きていけ [続きを読む]