よなたん さん プロフィール

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よなたんさん: いちじくの木の下で2
ハンドル名よなたん さん
ブログタイトルいちじくの木の下で2
ブログURLhttp://underthefigtree.blog.fc2.com/
サイト紹介文聖書について思うことを書いてみようと思います
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供89回 / 365日(平均1.7回/週) - 参加 2016/11/29 21:39

よなたん さんのブログ記事

  • サンタクロースの日
  • カトリックの暦では、今日12月6日は聖ニコラオ司教の記念日となっています。「聖ニコラオ」って言われてもなかなかピンときませんが、ギリシア語でニコラオスラテン語でニコラウススペイン語でや英語ではニコラスセント・ニコラスです。つまりサンタクロースの記念日です。こんな日があるとはまったく知りませんでした。手元にあるフランシスコ教皇の本を開いたら、たまたまこんなページにあたったので、ちょっと読んでみることに [続きを読む]
  • 赤い人の手紙
  • なかなか更新できてなくて申し訳ありません。「赤い人の手紙」をご存知でしょうか。アメリカ開拓時代にインディアンの酋長が大統領にあてて書いた手紙です。ちょっとだけご紹介したいと思います。ワシントンの大統領のお便りによれば、我々の土地を買い上げたいとのこと。友情と好意のおことばも添えてあります。あなたがたの申し出を考慮させていただきます。われわれが売らなければ、白い人は銃をもってわたしどもの土地を取り上 [続きを読む]
  • 自由とは
  • 自由とはいったいなんでしょう。「自由とは向かうべき目的地を選べること」と表現する人もいるのですが、どうもしっくりきません。ゴールを自分の都合だけで選べるような気がしないのです。好き勝手に振る舞うことができることが自由でないことは知っています。自由に行動することによって、将来起こる事柄に対して責任を持たねばならないことも知っています。ということなら、将来起こるであろうことに対して確実に責任をとれる能 [続きを読む]
  • 完全な喜び
  • アシジのフランシスコという方をご存知でしょうか。1200年ごろの聖人でフランシスコ会の創立者です。フランシスコの祈りは有名ですのでご存知の方も多いでしょう。その聖フランシスコが「完全なよろこび」について述べています。・・・わたしたち修道士が、どんなに清い行いをして全世界にお手本を完全に示そうとしても…その中には、完全なよろこびはありません。・・・わたしたち修道士が、目の見えない人の目をあけたり、歩けな [続きを読む]
  • 愛を示す
  • フランシスコは四旬節の書簡で愛は所有するすべてのものを分かち合い、コミュニケーションによってそれを啓示します。と述べられました。愛について、わたしたちはもっと考えてみるべきなのかもしれません。愛するためには相手が必要です。当たり前のことですが、それすら分かっていないのかもしれません。一人でどれだけ頑張っても、一人で愛を実現することはできません。自分の考えだけで相手を愛することはできないのです。つま [続きを読む]
  • 神に近づく
  • フランシスコ教皇、一般謁見の中での言葉です。神から、教会から、遠く離れていると感じる人、自信がなかったり無関心だったりする人今さら変われないと思う人に言いたいことがあります。主は、あなたが神の民の一部となるように招いておいでです。わたしたちはやらないといけないことを知っていますが、その目的と自分との間に線を引いてしまいました。その線は垣根となり、次第に高い塀となって超えることが難しくなっています。 [続きを読む]
  • マザー・テレサ 〜二つの聖体拝領
  • マザー・テレサの講演の内容なので、ご存知の方も多いかもしれませんが、内容を簡単に書き記しておこうと思います。「わたしは毎日二つの聖体拝領で生きています」という話です。「一つは朝、祭壇からパンの形でいただいています。」  これがカトリックや聖公会が行うミサの中で与えられるご聖体です。「二つ目は町中で貧しい人の中でいただいています。」  ・・・これはいったい何のことだろうと思うのですが、こういうことで [続きを読む]
  • 運命 いのちをはこぶ
  • 今日、粕谷神父さまの本を読んでいたら、「運命」という言葉が出てきました。「いのち を はこぶ」と書いて「運命」です。別に「いのちをはこぶ」と読まなくても良いのかもしれませんが、その時その文字を見た瞬間、そう読めてしまいました。粕谷神父さまはほんの中で「めいをはこぶ」という観点で考えておられたのですが、わたしは、「いのち」を「運ぶ」ことがどうして運命なのだろうかと考え出しました。「運命」を辞書で調べて [続きを読む]
  • 独善的偽善者
  • 教皇フランシスコの説教の中に「つねに他の人を批判する必要を感じている独善的偽善者」という言葉がありました。こういう人たちは罪びとを見て「わたしは彼らのようではないことを神に感謝します」と祈る人たちのことだと指摘しています。(ルカ18:11を参照してください)ちょっと強烈な言葉で、「ドキッ」とします。たしかに人を批判することによって自分を守ろうとする人がとっても多いようにも思えます。人を批判することによ [続きを読む]
  • 悲しむ人々は幸い
  • マタイによる福音書5章4節には悲しむ人々は、幸いであるその人々は慰められるという聖句があります。この聖句に限らずそうなんですが、いくら読んでみても意味が分からない。この聖句について言えば、悲しいのに何で幸いなんだと思い、何か裏を読まないといけないんじゃないかとかいろいろと頭をひねって考えてしまいます。ただ、時折、日々の出来事によって、「あっ、そうか」と気づくことがあります。悲しい時のことを考えてみま [続きを読む]
  • 赦す一瞬
  • 高山貴久子(こうやまきくこ)さんという方の「赦す一瞬」という詩がなんだか心に引っ掛かっています。特に最後の部分起こしてしまったことを責めることは当たり前のようだけれど起こしてしまったことを赦す一瞬は永遠にかえてあまりあるという部分です。わたしたちはとにかく相手の失敗を責めてしまいます。そんな時、とにかく一瞬たりとも赦すことはできないと頑なになってしまうのですが、一瞬でいいから相手を赦してみるという [続きを読む]
  • 30聖書は生きるための教科書②
  • そんな失敗ばかりの人間であっても神さまは見捨てたりはしません。聖書の中の失敗ばかりする人間に対してもいつも神さまは手を差し伸べ、優しく接してくださっていることが分かります。わたしたちの実生活の中であっても、神さまがどのようにしてわたしたちに接しているかを深く考えてみると、いつもわたしたちに寄り添ってくださっていることを知ることができます。どんなに辛いときでも、わたしたちが倒れてしまわないように支え [続きを読む]
  • 30聖書は生きるための教科書①
  • 聖書にはいろんな人が登場します。罪を犯した人、葛藤に苦しんだ人、苦難に悩む人、約束を守れない人、挫折する人、裏切った人などさまざまです。それらの悩みや苦しみはわたしたちの苦しみそのものであったりします。成功した人の話はあまりありません。ヨブのような人であっても悩み苦しみました。ダビデも失敗をし、ソロモンも苦悩したのです。エリヤも死を望むほどに苦しみました。成功した人の話よりも失敗した人の話の方が学 [続きを読む]
  • 29みことばを心に留める③
  • みことばを毎日ひとつ心に留めて行動してみましょう。自分の心が少しずつほぐれていくのを実感できると思います。違った視点を導き出してくれることもあります。日頃悩んでいたことが、こんなところに道があったのかと気づかされることも多いのです。好きなみことばを選んでもいいでしょうし、なんとなく惹かれる言葉を選んでもいいと思います。苦しい時に聖書を開いたら、なんとなくそのみことばが目についたというものでもいいで [続きを読む]
  • 29みことばを心に留める②
  • こんなにわからないことだらけなのに、そこには心を惹きつける何かがあります。「話にならない」とか「ちんぷんかんぷん」だとか「さっぱりわからない」と言って、切り捨てることのできない権威と魅力がその言葉には満ちあふれています。わたしたちにできることは、そのイエスさまの言葉を心に留めておくことぐらいです。ずっと心にとどめておくと、実生活の中でふと気づくことがあります。わたしたちの視野が狭すぎて、何も見てい [続きを読む]
  • 29みことばを心に留める①
  • 新約聖書を読んでいても、イエスさまの言われる意味がよくわからないことがあります。尋ねた人の質問に対する答えになっていないのではないだろうかと思うこともありますし、なぜこのような問いかけになってしまうのだろうtかと思うこともあり、ずいぶんと悩まされます。しかし、「これはおかしいでしょう」とは反論できない権威に満たされており、逆に深く考えさせられてしまいます。そして、考えれば考えるほど、分からなくなる [続きを読む]
  • 28一人ひとり違う聖書②
  • どんなに頑張っても人それぞれ個性を持って生きているのですから、まったく同じものが見えるようになるとは思えません。人それぞれ視点も、視野も違うのですから、違うものを見ていることをお互いに認め合えばそれで済む話ではないのだろうかと思うのです。人間の生き方の正解は一つではないのです。同じ生き方など一つもないのですから、理解の仕方も人それぞれ違うはずなのです。ただ、視点が違うことを認めて、お互いに分かち合 [続きを読む]
  • 28一人ひとり違う聖書①
  • ときおり、聖書に書いてある解釈に対して個人的な見解の違いを議論し、正しいのはどちらだと論争する人がいるのですが、それは本当に必要なことなのでしょうか。わたしたちが聖書を読んで理解しようと思うと、心の窓を開いて読まなければいけません。わたしたちは聖書のことばを心の鏡に映してしか見ることができないのです。ところが、鏡の周りは深い霧に覆われ、鏡は曇り、しかも歪んでいるのです。こんな鏡を通してみていては、 [続きを読む]
  • 27理解できない聖書②
  • 人間の頭はたくさんのことを一度に処理できないようになっていることをいつも思い知らされます。普通の本ならそんなことをしなくても順に言葉を拾っていけば、頭の中に全体をイメージして理解して行けるのに、聖書だけはそういう訳に行かないのです。不思議なことですが、言葉を順に拾っていくだけでは理解できないのです。全く理解できなかった最初のころと、今と何が違うのだろうと考えてみたとき、以前は頭で読み、論理的に考え [続きを読む]
  • 27理解できない聖書①
  • 考えながら読むことのむずかしさをいつも痛感します。考えていると言葉が頭に入ってこないし、読むことに集中すると、考えていたことを忘れてしまいます。しかも書いてある言葉とは関係のない思いまで湧き上がってくるので、思いに集中すると、先に進めなくなります。以前は読むことに集中するようにしていたのですが、最近では考えることを優先するようになっています。それでもいつまでも考えているわけにもいかないし、時間がく [続きを読む]
  • 26お勧めの箇所を探してみる⑤
  • 大事なことは自分の気持ちをちゃんと知って読むことだと思います。無理をして読んでも何も残りません。量的なことも考えておきましょう。100ページを超えるイザヤ書のような書もあれば、ヨハネの手紙3のように、1ページで終わる書もあるのです。読みたいとか考えたいという気持ちの強さに合わせて読む箇所を選ぶことも考慮しておきましょう。80年かかりそうなこの計画も意外に早く終わりを迎え、気が付いたら2回目の通読にチャレン [続きを読む]
  • 26お勧めの箇所を探してみる④
  • 聞いたことのある名前の人が書かれている書を選ぶ方法もありますが、一書を通して一人の人に焦点を当てていることは少ないので、これだと途中で興味を失うかもしれません。しかし、その場合でも○章×節〜△章×節を読んだことと、そのときに思ったことを書き留めてはさんでおきましょう。旧約39書、新約27書、続編13書なので、1年に1度機会が訪れると79年で通読できることになります。でも通読が進むうちに通読に失敗した書にもう [続きを読む]
  • 26お勧めの箇所を探してみる③
  • 次の機会がいつ来るのかは誰も知りません。本人すら分かりません。翌日やって来るかもしれませんし、一週間後かも一ヶ月後かもしれません。1年後かも3年後かもしれませんが、その時が来たらまた一書選んで読んでみましょう。その時、読みやすいものを選ぶのがよいと思います。どれがお勧めかは読んだことのある人しか分かりませんので、聖書を通読したことのある人を見つけて質問してみましょう。「聖書の中でどれがおもしろいと思 [続きを読む]
  • 26お勧めの箇所を探してみる②
  • でもやっぱり読んでみたいという気持ちが少しでもあるのなら、チャレンジしてみることは大事なことだと思います。まずは、自分が日頃どれくらいなら頑張れるか、考えてみましょう。一年なら大丈夫という人もいれば、大体は三日坊主という人もいます。全体で3時間が精いっぱいという人もいるかもしれません。でもそんな人でも、創世記だけなら読むことができるでしょう。連続した3時間でなければもっと気が楽です。ただ、読んだ後は [続きを読む]
  • 26お勧めの箇所を探してみる①
  • 一生に一度は聖書を通読してみましょうと勧められても、なかなか読み通せるものではありません。「わたしはクリスチャンだから」という義務感だけでなかなか読めるものではなさそうです。普通の人なら、いやクリスチャンでも分厚い聖書を目の前にしただけで「もう無理」と弱音を吐いてしまいそうです。しかも量が多いだけではありません。その量の多さに加えて難解さもあります。多くの聖書学者が奮闘して取り組んでも、まだ良く分 [続きを読む]