jamal さん プロフィール

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jamalさん: 蝸牛庵日々録
ハンドル名jamal さん
ブログタイトル蝸牛庵日々録
ブログURLhttp://zdd.at.webry.info/
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参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供46回 / 345日(平均0.9回/週) - 参加 2016/12/09 12:28

jamal さんのブログ記事

  • アラン・クレイソン他・『オノ・ヨーコという生き方』
  • まず目次を追ってみると次のようになっている。1 ビフォア・ジョン ジョンと出会う前の人生 1末裔 2少女 3花嫁 4寡婦 5ヴィレッジ住民 6訪問者2 ジョンとヨーコ 1未完成の絵とオブジェ 2ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ3平和を我等に4プラスティック・オノ・バンド5無限の宇宙6空間の感触7ハート・ブレイク3 アフター・ジョン 1未亡人 2実業家 3魂を宿す者4 芸術と音楽 1イエス オノ・ヨーコ 2... [続きを読む]
  • 宮本輝『慈雨の音』
  • 宮本輝「流転の海」シリーズ第六部として書かれた『慈雨の音』は、一家が大阪に住み、熊吾は明治の男の破天荒な生き方を保ちながら老いのかたちも見せるようになった。 中学生になった信仁は思春期を迎えるが、相変わらず身体が弱いため、父の命令で幾種類ものビタミン類の静脈注射をして丈夫な身体になる。 印象的な場面として、一つは浦辺ヨネが亡くなった時、ヨネの遺言によって遺骨を余部鉄橋から撒くことになる。その時信仁 [続きを読む]
  • 宮本輝『血脈の火』
  • 五十歳になって初めて生まれた息子信仁の健康と妻房江のためそれまでの事業を捨てて生まれ故郷南宇和に帰った松坂熊吾だったが、長閑な田舎生活のなかにも小さな波乱が親子三人の平和な生活に待ち受けていた。なかでも「わうどうの伊佐男」こと増田伊佐男というならず者が熊吾にまだ若年のときに負わされた怪我がもとで左足を生涯引きずって歩かねばならない身となったことを恨み続け、熊吾が郷里に戻ってからも再び現れ不気味につ [続きを読む]
  • ジークムンド・フロイト『モーセと一神教』
  • この著を読む動機となったのは所謂「中東問題」の根底にあるものについて知りたかったからに他ならない。 心理学者フロイトが最晩年に論考したもので、彼としては短期間に研究した結果を表した者である。 しかしこの論についてはいまだ認められてはいない。というのもモーセの謎とフロイトの謎が二千年の時空を越えて荒縄のように直結してしまっている。しかも直結していながらそこに意外な捩れと断絶と計画がはたらいていたのだ [続きを読む]
  • 『旧約聖書 ヨブ記』
  • 一回目を読み終わり二巡目に入っているところだが、この書は理解するというよりあらゆる人間の持っている要素の機微を「味わう」もののように感じた。感じたのであって思索したのではない。思索は解説書『旧約聖書一日一章』にゆだねた。 [続きを読む]
  • 石川公彌子『<弱さ>と<抵抗>の近代国学』
  • 相変わらず石川公彌子『<弱さ>と<抵抗>の近代国学』と小林秀雄の『本居宣長』を読み進めている。どちらが主かと言えば石川の方を基底としながら、関連する著述を漁っているという具合なのだが、今石川著では保田輿重郎の章を読んでいるところである。一方小林の方は宣長の「もののあはれ」論を記述した部分を読んでいる。この二つは符合し逢う。所謂『源氏物語』や『土佐日記』に嚆矢する「もののあはれ」は既に人口に膾炙した [続きを読む]
  • 山本七平『小林秀雄の流儀』
  • 山本七平の『小林秀雄の流儀』のなかのタイトルになっている文を読み終えた。後もう少しで読みきれる。 この一文にトルストイの「家出問題」のことが書かれてある。 僕の生活はモーツアルトやゴッホと同じで、今の境遇はトルストイやソクラテスと同じだ。 そんなこと言ってももわかる筈もない者と暮らしているのだから共感など得られる生活など得られる筈もない。 そんな偉人の実生活と比べるのはおこがましいことではあるが、 [続きを読む]
  • ジャン・コクトー『恐るべき子供たち』
  • この小説に登場するダルジェロに自分の兄をみつけ、ジェラールやアガートに妻をみつけた。  この小説の中に自分にとって「宿命的」な存在を見いだすかも知れない。そして人は幼いときに既に宿命的な存在を見いだすものなのかも知れないとも思った。  僕には二歳年上の兄がいる。彼は危険で冒険的な子供であった。その危うさはいつも重大で英雄的で神秘的な現実=子供の現実を持った種族だった。それは多かれ少なかれ子供の部類 [続きを読む]
  • 小林秀雄『モーツアルト』
  • 小林秀雄は真実正直で嘘のない裸の批評家だといっていいだろう。これに対比する物書きのことを云々すことは避けよう。語っても馬鹿馬鹿しいだけだ。 『モオツァルト』のなかに「裸の」という言葉が頻繁に出てくる。モオツァルトを評するにこの言葉を使った小林自身が裸であったことを実感する。裸でなければ「骨」かもしれない。 人間の真実は骨であると言った人がある。死者を荼毘して残った骨こそが人間の正体だということだ。 [続きを読む]
  • ドストエフスキー『罪と罰』上
  • 漸くドストエフスキー『罪と罰』上巻を読み了えた。いつも思うのだが、こうやって読み終えた本を書棚に戻す時、満足感ではなく、抜け殻になった気分で骨壺を棚に納めるような気分になる。そして毎年読んだ本を一冊ずつ記録しているのだが、予め書いてある書名に単に(読)と記すだけの呆気なさに報われない気持ちを抱いてしまう。その記述を呆然と暫し眺めているのがせめてもの弔いのように思っているのだ。熱を籠めて読み進めた大 [続きを読む]
  • 鴨長明『方丈記』
  •  日本三大随筆のひとつとされる鴨長明の『方丈記』に今日は遊んだ。というのもバブル崩壊後の自民党政権の凋落ぶり、そして小泉政権によって復権したかにみえた後、第一次安倍内閣から政権交代劇にいたるまでを振り返る番組をみながら、平成ならぬ平安期から武士の世界に移り変わる大変動の歴史を重ねてみたからでもある。 長明の生きた時代を詳らかに且つ歴史認識を深めるのなら寧ろ慈円の『愚管抄』が適当であろうが、保元、平 [続きを読む]
  • 長谷川時雨『近代美人伝 (上)』
  • この一文を書くのにやや躊躇があって、他の読みかけの本を読もうか、それとも仕入れたばかりのエアブラシで遊ぼうかとなるたけ遠巻きにして考えていた。どうも気が重い。今まで書いた白蓮や九条武子にせよ、これほど燃えさかる情熱で身を焦がし我が儘極まりない「女優」の破天荒ぶりには書き手の僕にして(いや実際は時雨が書いたのだが)「厭な奴」はなかったからだ。我が儘で気位の高い女優は今だってざらにいるのだろう。その趨 [続きを読む]
  • 長谷川時雨『近代美人伝 (上)』
  • この一文を書くのにやや躊躇があって、他の読みかけの本を読もうか、それとも仕入れたばかりのエアブラシで遊ぼうかとなるたけ遠巻きにして考えていた。どうも気が重い。今まで書いた白蓮や九条武子にせよ、これほど燃えさかる情熱で身を焦がし我が儘極まりない「女優」の破天荒ぶりには書き手の僕にして(いや実際は時雨が書いたのだが)「厭な奴」はなかったからだ。我が儘で気位の高い女優は今だってざらにいるのだろう。その趨 [続きを読む]
  • 長谷川時雨『近代美人伝』下巻
  •  何の切っ掛けか柳原白蓮こと燁子に異常に興味を抱いてしまった。 石炭王伊藤伝右衛門に二度目になる再婚をし、何不自由ない生活だが、愛のない不毛な生活から逃れ宮崎という年下の活動家のもとに嫁いだ数奇な人生。 これは長谷川時雨が書いた『近代美人伝』上下巻の下巻のなかに綴られていたのを今になって読み返した。これがkindle版でそれぞれ個人別になっているのをみつけ、本編からの抜粋であることがわかってなんだという [続きを読む]
  • 与謝野晶子『私の生い立ち』
  •  ほぼ定期的に松岡正剛「千夜千冊」を遊興をするのだが、先日は中勘助の『銀の匙』から始まった。幼心がテーマということになろうか。 『銀の匙』のところはもう何度も読んでいたので、そこから繋がるものを探していた。 「けなげ」という言葉にひっかかって北野耕也『近代日本少年少女感情史考』にぶつかった。  書き出しに与謝野晶子の『私の生い立ち』のなかから「竹中はん」というのが出てくる場面がある、というので晶子 [続きを読む]
  • 泉鏡花『吉原新話』
  • 本を読むとりわけ文学などを読んだ後、「面白かった」と感想を述べることが日常だが、これは女性がよく使う「かわいい」と同様、何でもかんでも一緒くたにして発する感嘆の言葉である。 これをしかめっ面しく分析する暇もないが、色んな層にわかれているのだろう。 [続きを読む]