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大陸旅遊倶楽部的日記
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2017/01/15

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  • 宝頂山石刻10

    毘盧洞に続いて父母恩重経変相(ぶもおんじゅうきょうへんそう)。父母恩重経変相は高さ7m、幅14.5m。南宋代(1174-1252年)のもので、子供を育てる父母の恩を子宝を祈願する場面から11シーンで現している。「孝」という儒教的思想が仏教に混じったのは初唐の頃らしい。身近な思想を含めた方が布教し易かったのか。変相とは、仏教の浄土や地獄をビジュアル的に表したものらしい。宝頂山石刻10

  • 宝頂山石刻09

    孔雀明王の隣が毘盧洞(びるどう)。入口の上部には「毘盧道場」とある。毘盧洞は高さ6.9m、幅8m、奥行5m。大仏湾にある石窟の一つで、窟内には287の仏が現存しているらしい。▼入口左脇の菩薩窟中央の塔亭には大日如来説法像がある。▼大日如来周囲の壁に穿たれた仏は、大日如来の説法に聞き入っている。内部の仏は結構色が残っている。以前は煌びやかな窟だったんでしょうねぇ。入口の上には飛天。大仏湾の窟はここの他、円覚洞(えんかくどう)があり、そちらの方が広くて素晴らしそうだが、この年は改装中で見学できなかった。宝頂山石刻09

  • 宝頂山石刻08

    釈迦の頭の左側には九龍浴太子図がある。九龍浴太子図はお釈迦様が生まれた時に、その沐浴の為に、天から9匹の金龍が降りてきたと言う話が元になっている。インドでは九匹の蛇らしいが、中国では蛇の印象が悪いので、龍に置き換えられたそうだ。龍の下では赤ん坊のお釈迦様が手を合わせて水に打たれている。まるで滝行…。九龍浴太子図に続いて孔雀明王。孔雀は害虫や毒蛇を食べることから神格化され孔雀明王は「災厄や苦痛を取り除く」功徳があるとされる。この像は孔雀の首が蛇に見えて、説明を見るまでは何やら判らなかった(笑)。良く見ると孔雀の羽がある。宝頂山石刻08

  • 宝頂山石刻07

    第11号龕「釈迦牟尼涅槃図」龕の長さ32m、高さ6.8m。上半身を露出させた釈迦牟尼像が頭を北、顔を西に向けて横たわっている。仏前には、二十数人の弟子と菩薩、護法(神霊)などの像が並んでいる。仏の下半身を彫らないことで無限の広がりを表しているということだ。顔を大きく彫りすぎた、ということではないらしい(笑)。▼第11号龕を上から見るとこんな感じ宝頂山石刻07

  • 宝頂山石刻06

    華厳三聖像の先は社殿に覆われた千手観音像。ここ宝頂山の千手観音像は縦8m、横12m。世界最大で、孔雀の羽のように広げた手は無限の救済を意味するらしい。ここの千手観音は830の腕を持つという。近年修復されて、すっかり綺麗になったが修復過程で、120年前、300年前、500年前等、過去8回に渡って修復されていた可能性が考えられるらしい。金箔が8枚重なっている部分があったことから判ったそうだ。昔の金箔も使える物は再利用して、800年の深みある色を出しているとか。社殿に覆われた暗い中、圧倒されるような輝きが目に飛び込んでくる。中国人の好きそうな感じだよね〜。うーん。ありがたい感じがする。けど、ついさっき見た普賢菩薩のが好きだな。宝頂山石刻06

  • 宝頂山石刻05

    続いて、華厳三聖像。仏龕の高さ8.2m、幅15.5m、奥行2m、南宋の淳熙〜淳祐年間(1174〜1252年)に造られた。手前から、文殊菩薩、毘盧舎那仏、普賢菩薩。三像の高さは7m。▼文殊菩薩▼毘盧舎那仏普賢菩薩のお顔は一際優しく綺麗だった。峨嵋山が近いからか、四川は普賢菩薩推しな感じがする(笑)。▼普賢菩薩過去の経験でいうと、こちら(↑)の方が文殊菩薩の雰囲気。普賢菩薩の隣には塔柱がある。仏の足下では鬼(?)が支えている。宝頂山石刻05

  • 宝頂山石刻04

    続いて六道輪廻図。密教はインドからチベットと中国(漢民族)に伝わり発展した。中国ではチベットに伝わった密教を蔵密、漢民族に伝わった密教を漢密という。ついでにいうと空海が日本に広めた密教は東密。唐の武宗(840〜846年)が仏教を弾圧した為、華北では密教がほとんど途絶え、信仰は地下に潜む。唐末から宋にかけて中央の影響が薄い四川盆地の大足一帯で漢密が発展したという。大仏湾は当時の状態が完全に揃った漢密道場だそうだ。へーーーーっ。▼六道輪廻図密教は曼陀羅(マンダラ)を使い教義を説くそうだ。曼陀羅は「悟りを得た場所、道場」を意味する。へーーーーっ。六道輪廻図の中心に居る仏は大日如来らしい。牛のような鼻をした輪廻図を咥えた鬼が無常大鬼。六道輪廻図は結構大きい。宝頂山石刻04

  • 宝頂山石刻03

    大足の石刻は宝頂山、北山、石門山、南山、石篆山(せきてんざん)の五つの山に分布し、最も規模の大きいのが宝頂山。宝頂山石刻は大足市街の北東約15キロ、宝頂山にあり、石刻像は一万体以上。中でも大仏湾は規模が最大で保存状態も良いという。入場料を払って見学するのはこの大仏湾だ。大仏湾は、谷を囲んだ全長500メートルのU字型の岸壁で様々な石刻が広がる。涅槃の大仏があるから大仏湾かな。▼第30龕「牧牛図」僧・趙智鳳(ちょうちほう)により南宋の淳熙年間から淳祐年間(1174~1252年)まで、七十数年にわたり造営された。第30龕(がん)「牧牛図」は、30メートルの龕内に10人の牛飼いと10頭の牛の日常描かれている。▼第30龕「牧牛図」牛が心で人が修行者を意味する仏教説話図らしい。▼第30龕「牧牛図」全景この辺はなんだかよく判...宝頂山石刻03

  • 宝頂山石刻02

    大門を抜けて橋を渡り、石刻博物館を過ぎやっと宝頂山の目印を見つけて進んだが…宝頂山の入場口はまだ遥か彼方(笑)。カートを利用することを想定している作りだ。▼この道の先に宝頂山の入場ゲートが有る入場券を見せてやっと宝頂山石刻入口。観光客がまばらで良いなぁと思っていたが、石刻には既に団体観光客がいた…。この団体客、どこから来たんだろう。▼「宝頂」と穿たれている下には「福」と「寿」最初の仏像は目を閉じていた。微笑む仏はふくよかで女性的。見ていると癒される。宝頂山石刻02

  • 宝頂山石刻01

    駐車場を抜けると瑞相橋(ずいしょうきょう)。瑞相橋を渡って、牌坊を抜けると大門の右側が宝頂山の旅行センターでチケット売場が有る。宝頂山の入場券は115元で当日限り。宝頂山+北山石窟の入場券は140元で2日間有効…と言っても、宝頂山、北山共に入場できるのは一回だけど。北山石刻の入場料は70元なので、宝頂山と北山の連票を買った方がお得。▼宝頂山+北山石窟の連票有効期限が翌日の23:30…閉まってる時間じゃん。門の扁額には「天下大足」と有る。大足は「大いに足る」。水がふんだんで作物がよく実る、と言うことらしい。▼石柱は象が支えている宝頂山石刻01

  • 成都東駅〜大足南駅〜宝頂山石刻

    翌11/20、7:42成都東発G8541次で大足南駅へ。大足南までの所要時間1時間16分。沿線の田園風景を楽しみにしていたものの一面の濃霧で何も見えなかった。こんな霧じゃ高速道路は通行止めだろう。大足行きをバスでなくて高鉄にしてよかった。大足南駅には定刻通り8:58に到着。大足に着くころには霧もすっかり晴れていた。大足南駅は大足市街からかなり離れているので先ずは206路で大足市街へ。9:04発、6元(約96円)。1時間以上乗るので、日本の感覚では安く感じるが、中国の路線バスで6元は高い。さすがは世界遺産路線。そう言えば麦積山行きも6元だったか…。206路には買った布団を担ぐ人、生きた鶏が顔を出すズタ袋を持って乗り込んで来る人、田舎らしく、昔懐かしい中国の風景が残っていた。1時間10分で市中の大足印象に到着、ここ...成都東駅〜大足南駅〜宝頂山石刻

  • 峨眉山から成都へ

    五顕崗から峨眉山バスセンター(峨眉山旅遊客運中心)へは20分程だった。售票処(切符売場)に入ると次の成都行きは10分後の13:00。窓口で切符を買おうとすると自販機で買えと促されてしまった。パスポートじゃ買えない、と言おうとしたところに成都行き居ないか!!とおじさんが入って来た。成都便の客引きか?と思いながら、はいっ!!成都行きます、と手を上げた。切符持ってるか?これから買います!おじさんに手招きされて、自販機の前へ。早く買え!もう直ぐ出るぞ!!いや、外人だから自販機じゃ買えない!と窓口の女性に向かってパスポートを掲げやっと切符を売ってもらえた。峨眉山旅遊客運中心→新南門客運站は46元(736円/2018年は1元16円で計算)。驚いたことに、私を急かしていたおじさんは成都行きバスの運ちゃんだった。▼成都行きバス...峨眉山から成都へ

  • 五顕崗へ

    清音閣に戻ってバス乗り場の有る五顕崗(ごけんこう)方面へ。途中、白蛇と青蛇が闘ったという闘龍壩(とうりゅうは)があった。…ただの河原だけど。川劇の白蛇伝では、白蛇が峨眉山を下る途中、青蛇に見初められ青蛇は白蛇を我がものにせんと戦いを挑んだがあえなく返り討ちにされてその子分になった。闘龍壩の先には良寛さんの碑が有る。「娥眉山下橋」と刻まれた柱が浜に流れ着きそれを見た良寛さんが峨眉山と李白の詩に思いを馳せて七言絶句を詠んだ。そんなこともあって、日中友好で良寛さんの碑が建っているらしい。▼橋の欄干の猿ものすごく愛嬌の有る石猿が欄干に乗っている橋を石猿を眺めながら渡ると、そこは金亀壩(きんきは)。伝説によると、金亀壩ではその昔金色の亀石が掘り出されたとか。この辺りの売店では、猿除けの棒が売っている。凶暴猿が出てきたらこ...五顕崗へ

  • 磨崖石刻

    清音閣の脇を黒龍江に沿って一線天方面へ10分ほど行くと磨崖がある。黒龍江は黒水の上流。名前とは違って流れる水は少ない。春夏は水量が増えるのかな?磨崖には唐の太宗(李世民)や清の康熙帝(こうきてい)の彫像が有る。▼唐太宗李世民は秦王の頃に成都に巡察に来た折峨眉山で李氏の先祖という老子(李耳)を祀ったらしい。清の康熙帝は峨眉山の寺院を手厚く保護した。▼康熙帝磨崖から黒竜江の更に上流洪椿橋方面に10分ほど歩いてみる。凶暴なチベットモンキーを見に行こうと思ったのだが、まだまだ遠そうな感じ。そろそろお昼になろうかという時間なのでどうしようか考えていると、生ぬるい風が吹いてきた。中国文学ではトラの出る前触れだ(笑)。見上げると、雲の隙間にあった青空も見えなくなり、雨でも降りそうな黒雲が湧いてきた。凶暴猿はあきらめて下山、下...磨崖石刻

  • 清音閣

    接王亭の右側の階段を上がり橋を渡ると清音閣。清音閣前では輿屋さんが寛いでいた。歩き疲れたら、輿屋さんを雇って移動できる。清音閣は牛心嶺の麓、黒水と白水の合流点に有り晋代の有名な学者、左思が糸竹を言わず山水に清音ありと謳った事から、清音閣という名がついた。清音閣

  • 双橋清音

    白龍洞前の山道を降って行くと、黒水と白水の合流する「双橋清音」に到る。双橋は黒水と白水を跨ぐ二つの橋、清音は水の流れる音をさす。▼双橋清音双橋清音

  • 白龍洞

    入山料(2日間有効)160元雷洞坪バス往復90元金頂ロープウェイ往復120元万年寺バス往復40元万年寺ロープウェイ上り65元峨眉山の諸経費は締めて475元。これ以外に各寺の入場料10元程度必要。…楽に観光しようとするとそれなりにかかる(笑)。▼峨眉山の入場券赤枠部分に名前とパスポートNo.が記載されている。万年寺参道の階段を下り、更にその先を下って白龍寺方面へ。階段の途中にアーチ型のゲートが現れる。ゲートをくぐって振り返ると脇に大峨楼という石碑が建っていた。峨は山が険しく高い様子らしい。夏に行った武夷山にもこんな雰囲気のところがあったっけ。山はやっぱり上りの方がいい景色が見られる。泰山然り、武夷山も然り、中国の山道は石段で整備されている。途中ある売店も、昔から有る風情で趣がある。程なく白龍洞(白龍寺)に到着。伝...白龍洞

  • 万年寺

    ロープウェイを下りて少し行くと、道沿いに売店向かって右に上り階段、左に下り階段が現れる。右側、階段を登ると万年寺らしい。万年寺山門まではかなり長い階段を登る。…ロープウェイで楽して来たから元気だけど。▼万年寺山門▼万年寺山門の扁額山門を入って階段を上がると弥勒宝殿。万年寺は峨眉山八大寺院の一つで漢代の薬草採りの蒲公が仏を拝んでいた処がその始まりと伝えられている。寺の創建は東晋の隆安五年(401)で当時の名は普賢寺といったそうだ。唐代は白水寺、宋代は白水普賢寺と修復される毎に改称されて、明代には神宗賜額の「聖寿万年寺」から万年寺になった。▼弥勒宝殿元は七重の殿宇がある広大な伽藍群だったが興廃を繰り返し、1946年の大火で明代の無梁磚殿を残して焼失。現存の二重の殿宇は1954年に再建されたもので、山門、弥勒宝殿、観...万年寺

  • 万年寺へ

    翌朝、峨眉山大酒店から景区路二段を挟んだ南側にある峨眉山旅游客運中心(バスセンター)から峨眉山中腹の万年寺バスターミナルへ。▼峨眉山旅游客運中心峨眉山旅游客運中心からは雷洞坪、万年寺行きの観光バス及び他都市への長距離バスが発着している。昨日買った峨眉山の入山チケットを出して万年寺往復(中山段往返)のバスチケットを追加。バスセンター→万年寺/五顕崗→バスセンターと峨眉山の中腹ルートを往復できる。40元。山頂往復(全山段往返)だと90元。バスセンター→雷洞坪→零公里→万年寺/五顕崗→バスセンターと山頂へ行ってから中腹を回って戻れる。昨日峨眉山駅から乗ったルートと同じ。価格も同じ。8時半に出発したバスは五顕崗を経由して9時過ぎに万年寺バスターミナルに到着。▼万年寺バスターミナル(駐車場)万年寺方面へはここからロープウ...万年寺へ

  • 報国寺

    伏虎寺から歩いて報国寺へ戻る。報国寺は全国重点寺院。重点寺院とは中国国務院が歴史が有ると認めた寺。一山亭広場や駐車場に至近な為か、重点寺院だからか、団体がわんさか押しかける。入場券を買おうと列に並んでいたら、団体ツアーのガイド二人に横入りされた。36枚、42枚…券売りのお姉さんも数えるのが大変。毎日の事だろうから、別に窓口を作るべきでは…。ブルーのウインドブレーカーは団体客。報国寺は明の万暦年間(1573—1619)の創建で元の名は会宗堂で伏虎寺の川を挟んだ対岸にあったそうだ。元は道観だったのね。清の初めに現在の位置に移設されたらしい。現在、峨眉山仏教教会の所在地で峨眉山仏教活動の中心地だそうだ。…百度でも説明が短かい(笑)。佇まいは趣が有るけど観光客多し。▼どう見てもスティッチ。モデルか(笑)?報国寺

  • 伏虎寺 その2

    伏虎寺は山門を入ると枢軸線上に、弥勒殿、菩提殿、大雄宝殿、五百羅漢堂と続く。階段をどんどん上がって行く感じ。▼大雄宝殿一番奥まった五百羅漢堂内には、羅漢像が五百体安置されているらしい。内部は撮影禁止だったが、あまり魅力的でない羅漢さんが五百体は居そうな感じだった。▼五百羅漢堂▼四川省のお獅子はこんな感じで四角い顔してる。境内の建物は昔のまま修復されていないのでとても趣のある佇まい。都市部の歴史ある寺は整備されてしまっているので往時の面影もないから、こういうところは落ち着く。80年代の寺はどこへ行ってもこんな感じだった。11月末だからか、伏虎寺は本当に観光客の姿なし。団体客のルートに入っていないからかな。帰って来てから判ったことだが、ここは尼寺らしい。(百度の観光情報を参照した。)弥勒殿に戻って天井を見上げて見た...伏虎寺その2

  • 伏虎寺 その1

    ▲一山亭広場と広場の壁面に造られた塑像▼峨眉山最大の伽藍の一つ伏虎寺は、一山亭広場から虎渓(こけい)沿いに約2km、布金林(ふきんりん)と呼ばれる林の中にある。峨眉山の山門にあたる伽藍。虎渓を渡る虎浴橋は屋根のついた橋で伏虎寺の観光スポットの一つ。▼虎浴橋途中、果物やきのこを売る地元民が居た。▼伏虎寺の牌坊石段を上がると伏虎寺の山門がある。入場料6元。▼山門前のお獅子「峨眉山志」によれば、伏虎寺は晋代(265〜420年)の心庵和尚の庵に始まり、虎が伏したように見える伏虎山の麓にある為、その名がついた。唐代になると雲安禅師に再建され、その後規模が拡張される。明末清初の戦乱で荒廃したが、順治年間に貫之禅師を始めとした僧たちが修繕し、約20年かけて「虎渓禅林」を復元したそうだ。▲弥勒殿の四天王▼▼弥勒さま伏虎寺その1

  • 峨眉山大酒店

    接引殿から雷洞坪の道はすっかり踏み固められてアイスバーンのようだった。下りの面々はあちこちで転んでいる。用心してゆっくり歩いたが、私も二度滑った(笑)。▼リス出没バスで下ると山は初秋の風情。13時に雷洞坪を出たバスは14時に中腹の万年寺バスターミナルに着いた。万年寺で下りてそのまま徒歩で山を降ろうかと思っていたが、時間が遅いので明日に回す。バスは五顕崗バスターミナル経由で14:30に報国寺近くの旅行センター(旅游中心)に着いた。旅行センター〜万年寺間は約30分。▼峨眉山大酒店この日は景区路二段沿いの峨眉山大酒店を予約した。道を挟んだ斜め前に長距離バスセンターがあり、報国寺にも近いので便利。ダブルルーム、朝食付き一泊6000円弱。▼景区路二段の対面にある長距離バスセンター峨眉山大酒店

  • 報国寺

    報国寺報国寺

  • 下山

    金頂周辺の景色が見たくて、強風の中凍えながら30分ほど待ってみたが、霧は一向に晴れず。寒さに負けて下山する。▼高所恐怖症には酷な階段のはずが…霧のおかげで怖くない(笑)▼多分ここも千尋の谷象に守られた階段を下り食堂街にさしかかった頃には太陽が出始めた。…帰ると決めると晴れるのね。来た時は往復式ロープウェイという数十人乗れる巨大なゴンドラだったが帰り道、標識をたどって着いたのは循環ロープウェイという名称で四人乗りだった。晴れつつある霧の中を下山する。もう少し山頂で粘れば良かったかな?下山

  • 華藏寺と金頂

    十方普賢の後ろには華藏寺の大雄殿。中国人は仏教信者が多いのか、どこのお寺でも熱心に参拝している人を見る。大雄宝殿から更に階段を上がると「金頂」の扁額がかかる金殿。ここが金頂で一番高い所のよう。▼金殿にも参拝者峨眉山の山頂の一つ、金頂は3077m。風が強く、屋根の走獣も凍り付く寒さ。華藏寺と金頂

  • 十方普賢

    ロープウェイで上がって行くと、濃霧で先が見えない。3000mを越える山なので霧なのか雲なのか…。ロープウェイを降りても金頂へ向かって上がって行く。食堂街や金頂飯店の脇を抜けて、朝拝大道へ。途中、景観台があっが濃霧で先は見えず。参道の最後は幅広の階段だった。金頂周辺はいろいろと工事中。濃霧のお陰で、まだ趣はあるかな。階段の両脇には象が並んでいた。流石は普賢菩薩の修行場。階段を登りきると、そこには十方普賢と呼ばれる巨大な十一面観音が現れた。説明を見ると「十方」は普賢の十大行願と東南、南、西、北、東南、南西、東北、西北、上、下の十の方角を現しているそうだ。普賢の十大行願は調べたけど判らなかった(笑)。▼風が強いので時々霧が晴れて薄日が差す▼十方普賢前の獅子寒さに耐えてる感が半端ない▼十方普賢脇に1列に並んだ象十方普賢

  • 雷洞坪

    高鉄の峨眉山駅から雷洞坪(らいどうへい)までは直行バスで2時間ほどらしい。………遠いなぁ箱根のような山道を走り50分ほどで一度トイレ休憩。その後、だいぶ上がってきたな~と思っていたら突然雪景色になってビックリ。雷洞坪バスターミナル(駐車場)へは約1時間50分で到着。バスは雷洞坪止まりなので、ここからロープウェイ乗り場のある接引殿まで徒歩で上がる。既に2500m近いので少し足が重い。酸素足りないんだなぁ。目の前の一団が着ている赤いコートは沿道でレンタルされているもの。何の用意も無く上がって来て、雪に驚いてもレンタル用品で事足りる。峰の間から見える下界に雪は無い。まだ新雪なので滑らないけど、我々が踏み固めた後、帰り道は滑りそう。しかも降りだし…。雪対策として日本で靴の上から被せるスパイク(Amazonで980円)を...雷洞坪

  • 成都東駅から峨眉山へ

    双流空港第二ターミナルから太平園乗り換えで成都東駅へ。成都もやっと地下鉄が空港に乗り入れて移動が楽になった。本日の宿は成都東口側の成都瑞峰公寓酒店(レイフォントホテル)。素泊まり3泊で470元と激安。入ってみるとビジネスホテル。例の如く枕はオヤジの頭皮臭がするが、それ以外は特に問題なし。翌11/18日曜日。C6253次成都東6:18→峨眉山7:23で峨眉山へ。城市快速(高鉄)の始発で峨眉山まで1時間5分。峨眉山も行きやすくなりました。日帰り出来そう(笑)。定刻より数分早く峨眉山駅着。朝7時過ぎだけど北京時間なので、西の四川省はまだ暗い。トイレで用を足して出て来ると、改札前に乗客が溜まっている。……なんで?と見に行くと、改札先のドアに鍵が懸かっていて誰も出られない状態。これは初体験。中国在来線の駅は24時間業務だ...成都東駅から峨眉山へ

  • 2018秋の旅〜峨眉山・大足編

    今回は雪の峨眉山を見てみようと、上海経由で成都へ。以前だったら当日中の上海経由なんて選択しなかったが、最近は中国の航空会社も割と遅れなくなったので、レッツトライ(笑)。東方航空東京羽田8:40→上海浦東10:40上海航空上海虹橋14:50→成都双流18:25羽田発浦東行きは20分遅れて9:00過ぎに離陸…。東方航空の朝食は見た目親子丼か天丼だったけど、卵の下はサケだった。味はご想像の通り。個人的にはサケは塩焼きが一番だと思う。上海浦東には10分遅れの10:50着。浦東は着陸後の移動が長い。しかも沖停め…。バスの移動と長かった。しかも入国審査に外国人が長蛇の列。そうだった、浦東は時間がかかるんだった。乗り継ぎ時間4時間はギリギリかもしれない…。12時前に出られれば何とかなると思っていたところ、12時ちょっと過ぎに...2018秋の旅〜峨眉山・大足編

  • 五丈原2000

    2000年の写真もあった(笑)。この頃は地元民が境内で普通に生活していた。▼五丈原の碑の裏に占い師が居て、石畳の上にはトウモロコシを広げて乾かしている▼境内にせっせとトウモロコシを広げているおばあさん▼五丈原山門前の階段を降りた脇にある集落には諸葛亮延命の祭壇址がある▼お祭りなのか影絵芝居を鑑賞中▼諸葛亮延命祈願の祭壇址らしい五丈原2000

  • 五丈原'87 その弐

    献殿左側の扉が諸葛亮の画で塞がれていた。こういう画好きなのかな?当時こんな感じの画が至る所にあったけど。この頃の孔明先生はまだ黄金のマスクではなく人間ぽかった(笑)。黄月英殿はまだ作り始めたばかり。五丈原'87その弐

  • 五丈原'87

    1987年の五丈原(諸葛亮廟付近)です。前の丘の上が諸葛亮廟。周りは畑しかなかったですねぇ。バス通り(路線バスなし)も未舗装でした。丘に上がっていくとやっぱり畑しかない。諸葛亮廟の一段低いところにお墓(?)らしきものがあったりして。諸葛亮廟の脇から下界を見るとこんな感じ。かろうじて村があります。2017年の下界は、田舎の町だけど工場が出来てる感じ?五丈原'87

  • 五丈原'97 その弐 献殿の壁画

    ▼1997年当時の献殿。現在よりシックな感じ。▼献殿の壁画、右側に座っているのは関羽、その左が曹操。この画には写っていないが、下に赤兎馬がいる。▼壩陵橋の関羽▼長坂坡の趙雲▼東呉に諸葛亮を迎えに行った趙雲▼馬超五丈原'97その弐献殿の壁画

  • 五丈原'97

    1997年秋の諸葛亮廟麓の村には階段が整備されて、中腹に道観も出来ていた。(2017年は工事中で行けなかった側)道観前の階段下には諸葛亮の八角井戸が作られていた。新規なのか修理したのかは不明。道観内には諸葛亮も神として祀られている。ついでに三兄弟も居た(笑)。諸葛亮廟麓の農村。諸葛亮廟正面。シックでいい感じ。▼1988年の諸葛亮廟正面。勉県の武侯祠みたいに鄙びた雰囲気が最高だった。87年は周瑜の呪いでカメラが無かったので翌年行った友達からもらった。五丈原'97

  • 五丈原2017 おまけ壱

    ▼山門内側の魏延▼山門内側の馬岱山門を入った右にある三義槐(さんぎかい)。木の根元に来歴の札があったけど、、、内容は忘れてしまった。▼三義槐中国では高官になると庭に槐(えんじゅ)を植えたそうだ。三公にあやかりたいということか、「高官になると」というのが「三公になると」ということなのか。周時代、朝廷の庭に三本の槐があり三公がこの槐に対座して執務にあたったことから、槐が三公を意味するようになったらしい。周代の三公は太師・太傅(たいふ)・太保で前漢は丞相・太尉・御史大夫、後漢は太尉・司徒・司空。曹操が実権を握ると前漢の丞相制を復活させた。丞相制の方が丞相に権力を集中できると昔何かの本で読んだ。そういえば諸葛亮も丞相だったねぇ。五丈原2017おまけ壱

  • 五丈原2017 その⑧諸葛廟 衣冠塚と落星石

    正殿の右斜め後ろに諸葛亮の衣冠塚がある。87年当時は無かったが、97年に行ったら出来ていた。▼お馴染みの衣冠塚衣冠塚の左に行くと将星園。こちらもお馴染みの、諸葛亮の死に際して落ちたという隕石がある。なんてファンタジー(笑)。ファンはこういう眉唾シリーズに喜んでしまう。…諸葛亮ファンじゃないけど。落星石と書いた碑の後ろに隕石という触れ込みの石が埋まっている。将星園、とてもキレイに整備された。落星石の亭を囲むように文臣廊と武将廊があるが、塑像の出来はあまり良くない。▼諸葛亮の奥さん、黄夫人を祭った月英殿黄夫人像もガラスで保護されてしまった。線香を焚くからかな?五丈原2017その⑧諸葛廟衣冠塚と落星石

  • 五丈原2017 その⑦ 諸葛廟 正殿の配殿

    正殿の左右には小さい配殿があり、左に姜維、右に楊儀像が安置されている。▼向かって右の配殿配殿内はかなり暗い。そして楊儀の顔がかなり怖い…。塗装の剥げ具合の問題?ここの塑像は結構こまめに塗りなおしてもらっているが、埃のコーティングっぷりも結構なもの。内部が暗くてもこの明るさで撮れるのはデジカメの御陰…特にiPhoneに感謝だなぁ。▼楊儀…凶悪すぎる…▼向かって左の配殿こっちは姜維。楊儀の配殿より明るかったので比較的写真も撮りやすかった。でもうっかりするとピンボケる暗さ。▼姜維五丈原2017その⑦諸葛廟正殿の配殿

  • 五丈原2017 その⑥ 諸葛廟 正殿

    「英名千古」の扁額が掛かる正殿。正殿中央は諸葛亮像、左に王平、関興、右に張苞、廖化の塑像かが配置されている。ここは来る度に塗りなおされていて、いつもキレイになっている感があるが、、、(いや、十数年周期で来ているからたまたまってことか…?)正殿は過去最高に綺麗。物凄い意気込みで観光地化しようとしているから、気合入った修復っぷりか。(ただし、献殿の壁画を除く…)何と諸葛亮の顔が金色に…!!!いや、神々しすぎる(笑)。うーーーん、柱、扉、軒下もキレイ。▼正殿向かって左の入口▼王平と関興▼王平▼関興印綬を持ってる▼正殿向かって右の入口▼廖化▼張苞五丈原2017その⑥諸葛廟正殿

  • 五丈原2017 その5 諸葛廟 献殿(けんでん)

    献殿内部は扁額と対聯で埋め尽くされている。扁額の内容は武侯祠ではお馴染みのものです。献殿上部の壁には三国演義後半の名場面が描かれている。…その昔、かなり撮影したので今回はズームで撮らなかった。かなり薄く退色しているし…。後日昔の写真をUPします。献殿の奥の中庭には八角亭、その奥が諸葛亮の正殿になっている。▼八角亭の天井とその奥に正殿の諸葛亮像が見える五丈原2017その5諸葛廟献殿(けんでん)

  • 五丈原2017 その④諸葛亮廟壱

    諸葛廟に入る前に、先ずは境内前の階段を下りてみる。90年代後半に整備された階段で、以前はこの下にと集落と道観があった。道観を横目にさらに下ると、麓の村に着く。麓から諸葛廟に至る正規ルートはこっちの階段だったと思うけど…。長い階段を下りた先は、工事中で重機が蠢いていた。コンクリートで出来た岩があって通路の整備中といった感じ、ここから先は危なくて下りられなかった。この岩の感じといい、この先の斜面を滝にするつもりか???残念な開発だけど、滝が出来たら見てみたい。…多分栄えないだろうから、滝が見えるのはオープン時期の一瞬だよね。▼写真中央より少し上に見える高架は高鉄(新幹線)階段を戻ってみると、五丈原の碑が着色されていた。石が黒で文字と上部が金で刺し色に赤が入ってる。………なんか、お習字の墨みたい中国人的にはいいんだろ...五丈原2017その④諸葛亮廟壱

  • 五丈原2017 その③五丈原臥龍瀑計画?

    ▼五丈原(諸葛廟)と岐山、蔡家坡駅▼この丘の上に諸葛廟があるここのタクシー、なんだか知らないが物凄くぶっ飛ばしてくれた。岐山站から丘の上の諸葛廟までタクシーで10分弱、20元(約340円)。観光地価格か…。抗議したら10元になるかもしれないが(笑)。この年の夏に行った劉家峡(炳霊寺)はここの半分の距離で5元だった。あの街のタクシーは擦れてなくて良かったなぁ。▼五丈原観光センター広い駐車場が出来ていた…丘の上は整備されてて昔の面影なし。当然入場料も取られる。さすが観光地化されただけのことはある。35元(約595円)…微妙に高い。諸葛廟まではお土産物屋が並んでいるが、シーズンオフの平日だからか全て閉まっていた。そして所々まだ工事中…。開発途中の仮の仕切り壁には五丈原の開発完成図があった。なんと、高鉄の駅前から観光地...五丈原2017その③五丈原臥龍瀑計画?

  • 五丈原2017 その②幻の諸葛廟専線

    西安北站から岐山站へは約45分。高鉄の車次よっても変わるけどだいたい50分弱と思えばいい。………いやー、近いな五丈原▼岐山站ホームから見た五丈原周辺岐山というと、五丈原より周原、周王朝のイメージですねぇ。高鉄(新幹線)が開通する以前は在来線で蔡家坡(さいかは)站下車、蔡家坡までは特急で2時間ちょっと、客(各駅停車)だと4時間以上かかりました。昔、中国の列車の切符を取るのは半日がかりの大仕事。当時はまだ実名制では無かったので、外人が集まる観光地の駅にはダフ屋がたむろして居ました。外人料金(人民料金の1.75倍)なんてのがあった時代ですからね。ダフ屋は少額の手数料さえ払えば、安い人民料金で切符を取ってくれるので、時間とお金の節約になり重宝されてました。西安駅のダフ屋は英語を話してたから結構インテリです。初回の五丈原...五丈原2017その②幻の諸葛廟専線

  • 五丈原2017 その①一路岐山へ

    含元殿後ろの博物館を出ると10時半過ぎだった。………やっぱり、五丈原チャレンジだ!!!昨日から気になって仕方ない工事中の諸葛廟。昔は一日がかりだった五丈原も、新幹線が出来てから半日で行く気になれる近さだ。と言ってもそれほど本数がある訳ではないので、とりあえず12時台の切符がとれたら行くことに決めた。一番近い西門(右銀大門遺址)を出て、地下鉄一号線の龍首原站(りゅうしゅげんえき)から西安北站へ。11:40着。幸い12:12分発の切符が取れた。ラッキー!!G2023次12:12発西安北➡岐山二等40元(約680円)五丈原2017その①一路岐山へ

  • 含元殿遺址

    丹鳳門の後ろは広大な広場になっていて、その遥か彼方に大明宮の正殿、含元殿(がんげんでん)の址がある。含元殿の址を見るためには入場券が必要だった。大明宮の入場料は60元(当時約1020円)。▼大明宮公園の入場ゲート▼含元殿の模型▼含元殿遺址▼含元殿遺址から望む丹鳳門▼中国の新市街はどこも高層ビルだらけ…しかし、広大すぎる。▼紫宸殿址▼含元殿後ろにある博物館▼唐の宴会風景のジオラマ▼武則天含元殿遺址

  • 丹鳳門

    大明宮は長安の北西にあった宮殿で、唐の太祖(李世民)が父李淵の為に建設を始め、三代目高宗(武則天の旦那)が大規模な改修をして太極宮から移り住んだ為、以降政治の中枢となった。現在は大明宮跡が発掘され、公園として整備されている。▼この先が大明宮公園丹鳳門(たんほうもん)は大明宮の正門で、現在復元されている。さすがに大唐の都、長安の皇宮。大明宮の南門は超巨大だった。丹鳳門の前を行きかう人と比べればその圧倒たる巨大さがわかろうというもの…。超巨大な門には5つのゲートがあった模様。この楼閣では宴会が開かれることもあったらしい。最初は門の上で宴会??とも思ったが、実際見てみると宴会も出来そうな規模だ。う~~~ん、素敵!!!!丹鳳門の内部は博物館になっている。丹鳳門内は発掘跡が保存されている。丹鳳門

  • 北大街から安遠門

    翌2017年11月24日金曜日。一晩ぐっすり寝て、やっと復調した。思い返すも恐るべし麦積山…。西安観光は今日1日のみなので、夏に行けなかった大明宮遺址と阿房宮にでも行こうと考えていた。朝食をさっさと済ませて北大街を北に向かう。今回は鐘楼の側に宿をとったので、ホテルを出ると北大街だ。北大街は鐘楼から真っ直ぐ北に延びる大通りで、旧西安城壁の北門安遠門(あんえんもん)に続く。▼鐘楼から北に延びる北大街朝8時の北大街沿いは、軽食の屋台で賑わっていた。出勤途中の面々が立ち寄って朝食を買い求めている。西安の屋台を久しぶりに見たが、全体的に小奇麗になっていた。昔から変わらない軽食も多いが、道具や屋台はかなり進化している。その昔、ドラム缶で作った窯に炭や練炭の燃料で焼いていた小餅(シャオビン)は、今では屋台には不釣り合いな見た...北大街から安遠門

  • 天水南→西安 ちょこっと三国志

    3路のバスは50分ほどで天水站に着いた。天水站から天水西站へは1路のバスで20分ほど、3元(約51円/2017年11月時点のレートは約17円)。天水站に着いて安心したのか、1路で椅子に座ったら急に頭が重くなり、ついでに吐き気が…。二日酔いの朝みたい。15時少し前に到着した天水南站の内部はまだ建設工事中。幸い、15:30の西安行きが取れた。慌ただしくホームに入って、滑り込んで来た高鉄に乗る。1時間ほど爆睡した後、ふと目覚めると左手の丘が目についた。なんか見覚えがある…。丘には二機のクレーンが経っていた。まさか、五丈原の諸葛廟か????乗っていた列車は岐山に止まらないので、一瞬で通り過ぎたが嫌な感が働いた。そう、百度地図で五丈原の諸葛廟は、高鉄の駅から歩いて行ける程近いのだ。▼後日激写した諸葛廟がある丘クレーンが立...天水南→西安ちょこっと三国志

  • 麦積山 おまけ

    ▼麦積山入口前の掲示写真第43窟「寂陵」の菩薩寂陵(じゃくりょう)は西魏・文帝の皇后、乙佛(おつふつ)氏の元陵墓。何でこんなところに皇后の陵墓があったのかといえば、乙佛氏は皇后を廃されたから。時代は隋が建国される半世紀ほど前、北魏が東西に分かれた後。文帝が即位して数年、西魏と東魏が北魏の正統性を争っているとモンゴル高原の遊牧国家、柔然(じゅうぜん/蠕蠕(ぜんぜん)の方がなじみ深い気がする)が南下して来た。東魏と争っている中、柔然と敵対する訳にはいかないので文帝は柔然の王女を妃として迎えることになり、乙佛皇后は出家して息子の居る泰州(現天水周辺)に移り住んだ。12人も子を生した(多くは夭折)ことからも判るように文帝と乙佛皇后の夫婦仲は良かったが、露骨に下克上の時代。宇文泰に実権を握られた傀儡皇帝に選択肢は無かった...麦積山おまけ

  • 麦積山 その捌 高所恐怖症系に酷な石窟

    麦積山は麦積崖(ばくせきがい)ともいい、切り立った崖に仏やが参道(桟道のが正しいかも…)が貼り付いている。▼参道はまるで蟻の巣のよう▼この大仏はなかなかのデフォルメっぷり参道の階段なんて間隔を置いて板が渡してあるイメージなので宙に浮いてるかの如く、死ぬほどスリリング…。去年、敦煌・莫高窟で知り合った青年が、麦積山に寄って来たというので、参道はどうだったか聞いてみたところ、ハンパ無く怖かった!!と言っていた。実際に行ってみないとこの怖さは伝わらない(?)かと思うが、マジで、本当に、ハンパ無く、超〜怖かった!!!!!!!!!!今思い出しても吐きそう。高所恐怖症ぎみでなくても結構怖いと思うので、マジ、腹をくくって行くべし。麦積山その捌高所恐怖症系に酷な石窟

  • 麦積山 その漆

    昨日ぼやいた通り、他の石窟同様に麦積山も非公開窟が多く、この石窟一美しいと思っている第44窟菩薩も非公開。………第44窟を見に来たのに。有料でいいから見せてほしい。莫高窟は別料金払えば見られる窟があるが…。入場券売場ではそのような情報は無かった。私が知らないだけなのか?▼第147窟北魏時代(A.D.386〜534)そんな中で、開放窟に素敵な像を見つけると嬉しくなる。第146、147窟の菩薩(仏?)さまと侍女(信徒の女性?)はとても美しかった。……でも鮮卑族の仏像って口角がすごく上がっている…そう、口元が上がりすぎなのでアルガイックスマイルとはいい難い。神秘的というより、親しみやすい笑顔。笑い過ぎ?目鼻立ちは少し怖いけど、この引きあがった口元が親しみやすさを醸し出している。鮮卑族って大らかな感じだったのかな?▼第...麦積山その漆

  • 麦積山 その陸

    第4窟左側の力士の脇に第5窟への入口があるが、仕切りの壁をくりぬいた穴のようで、屈まないと通れない。▼写真左下の穴を抜けた向こうが第5窟▼第4窟(右側)と第5窟(左側)第5窟には三つの仏龕(ぶつがん)があり、隋代に開削し初唐に完成したそうだ。中龕(ちゅうがん/中央の仏龕)脇の天王像が牛を踏んでいる為、「牛児堂(ぎゅうじどう)」とも言われている。▼向かって右側の仏龕▼この天王像が牛を踏んでる天王像は胸の下辺りを鉄の帯で固定されているが、何だか縛られている感が半端ない…。中龕は開放されていなかったが、内部には隋代の代表的な塑像一仏、二弟子、四菩薩があるそうだ。2017年秋の麦積山…いい窟はだいたい非公開です。左右の仏龕にある一仏二菩薩は初唐の作らしい。▼左側の仏龕初唐の仏様らしい感じ▼第五窟から下に降りるにはこんな...麦積山その陸

  • 麦積山 その伍

    第9窟の階層から第3窟の「千仏廊」に上がる急階段。前を行く中国人団体客付きガイドさんの説明では、1600年以上経った開削当時から使っている階段、ということだ。急勾配で段が高く上部(踏む部分)が狭い。中国にありがちな階段。この国の階段ってはるか昔からこういうものなのね。……まあ、昭和30年代の東京の二階建家の内階段もそうだったけど(笑)▼第3窟千仏廊千仏廊を抜けて階段を上がると第4窟がある。第4窟は「上七仏閣」、「散花楼」とも言われる。下の写真の左上の七つの窟が第4窟「上七仏閣」。右側の中央の桟道が千仏廊。千仏廊の下にも仏は彫られている。千仏廊の下にある建物が第9窟。▼第4窟「上七仏閣」または「散花楼」第4窟は麦積山入口にある説明書きによると北周の大都督、李允信(りいんしん)が亡父の為に建立したもので中国に現存す...麦積山その伍

  • 麦積山 その肆

    東崖大仏の右側面を上がって行くと第9窟「中七仏閣」に行き着く。第9窟は北周代(557〜581年)に造営され、現在は外壁で覆われた回廊になっている。回廊に連なる仏龕(ぶつがん)と内部の塑像群は圧巻で、ここに来て、勇気を出して麦積山に来て良かったと思う程。▼回廊▼仏龕内の菩薩その1▼仏龕内の菩薩その2仏龕毎に塑像の造形が異なり、見ていて飽きない感じ。▼主仏▼阿難(アナン)さんと迦葉(カショウ)さんが侍立する仏龕主仏の上部にガルーダが描かれている龕もチラホラあります。麦積山その肆

  • 麦積山 その参

    階段を上がって行くと東崖大仏(とうがいだいぶつ)の足下に出る。▼岸壁に貼付いた階段と東崖大仏東崖大仏(13窟)は麦積山最大の塑像で、主仏は全長15.7m。1982年の修復時に主仏の右顔から手書きの「金光明経」が出土したらしい。この大仏は足下と側面からじっくり眺めることができるが、大きすぎて見にくいので、やはり遠景からの長めが良いなぁ。主仏はなんとなく小林亜星を彷彿とさせる…。麦積山その参

  • 麦積山 その弐

    ▼麦積山石窟地図こう見ると入口から乗ったカートってあまり意味が無い…。坂道を石窟方面に曲がらずにそのまま進むと、麦積山を一望できる観景台があるらしい。現地では気付かなかった。瑞応寺の脇を抜け麦積山石窟の入場ゲートで検票して、いよいよ石窟へ。麦積山石窟のことは学生時代にテレビ番組で知った。当時は今と違って日中友好!!中日友好!!だったので、中国の紀行番組や石窟を扱った番組が多かった。その番組中で見た哀しい王妃をモデルにした美しい仏像が忘れられず…大同の上華厳寺の露歯菩薩の次に見てみたい仏像だった。ただ、天水は交通の便が良くなかった上、自身高所恐怖症気味なので断崖絶壁の石窟に来る勇気がなかった。この夏(2017年)、西寧→蘭州と回った後、天水か銀川か迷ったが、やはり断崖絶壁に恐れをなして、銀川を選択してしまった。蘭...麦積山その弐

  • 麦積山 その壱

    34路は天水駅発で終点は麦積山(ばくせきざん)。運賃は5元(約85円)。観光路線の為か高い…。9:05に駅を発車した34路は9:54、麦積山に着いた。麦積山石窟も麦積山風景区として広大な公園に整備されていた。麦積山景区の入場料は90元(約1530円)。石窟の入場料込み。石窟を観光しない場合は25元(約425円)。麦積山景区入口から石窟方面に行くカートは片道8元、往復15元。▼麦積山景区入口疎らな観光客はみな寒そう▼麦積山景区の入場券カートで坂道を上がり、1分ほどで着いたところは軽食や土産物の屋台が並ぶ広場だった。シーズンオフの為か、まだ10時前だからか開店している店はなさそう。▼軽食や土産物の屋台カートを降りても石窟に向かうにはまだまだ坂道を上がる。観光客はあまり見当たらない。前を上がっていくのはここのスタッフ...麦積山その壱

  • 漢口から天水へ

    漢口駅は昔通り、発車20分前に検札開始。シーズンオフの上、発売当日に予約したからか、大同に続いてまたも1番ベットだった。漢口駅からの同居人は無しかと思っていたところ、発車直前に20代半ばと思しき中国人女性が一人、スーツケースを押して入ってきた。室内を見まわしてスーツケースの置き場所に困っている様子。ここに置けるよと下段ベッドの間のテーブルの下のごみ箱を退けた。軟臥の荷物置き場は天井に近い棚で、コンバートメント入口の直ぐ上、場所的には廊下の天井裏にあたる。女性が重いスーツケースを持ち上げるのはかなり大変だ。下段ベットの下が収納スペースになっていればいいのだが。そんな訳で、スーツケースを携帯している時はいつもこのテーブルの下を狙っている(笑)。彼女は西安まで。今回、軟臥初体験で少し興奮しているそうだ。暫くすると友達...漢口から天水へ

  • 漢口站〜Z292で天水へ〜

    2時間は観光するには短く、待つには長い。漢口駅近くにある武漢博物館なら時間を潰せるがネットで工事中という口コミがあった。クラシックで素晴らしい漢口の駅舎周りを、観察しつつ散歩してみたが30分もすると飽きてしまう。後1時間は時間を潰さないと…。▼新幹線モチーフの献血ルームケンタもマックも満席なので、バスに乗って時間を潰すことにした。中国はバスの運賃が安いので、駅で半端な時間が空くとバスに乗って時間を潰すことがある。駅には始発路線があるので必ず座れるし、街中の景色を楽しむにはうってつけ。ちょうど来た561路で晴川閣方面へ、2元(約34円)。列車の発車時刻まで1時間半なので、30分程度乗ったら降りて、また同じ路線で戻ってくる。▼駅前に戻ってくるバス漢口駅に戻るとほぼ17時。だいぶ日が傾いてきた。夜行はZ292次(漢口...漢口站〜Z292で天水へ〜

  • 武漢天河国際空港~地下鉄リベンジ〜

    離陸時の到着予定時刻は日本時間で14:40(現地時間13:40)。何と、定刻通り武漢天河国際空港に着陸できそう。LCCは何かと遅延でネットニュースになるので、春秋航空で検索したら欠航や大幅な遅延がヒット、覚悟をしていた。が、今回は超スムーズ。LCCを侮っていて申し訳ない。▼天河国際空港ガスってる地方空港の為か、滑走路からサテライトへの長距離移動も無く、何と!!!!13:50には飛行機を降りていた。入国審査もあっという間に抜けられた。地方空港万歳!!!!荷物は機内持ち込みのバックパックだけなのでターンテーブルで荷物を待つことも無い。北京と浦東は入国審査に1時間はかかるよね~。現場の段取りも悪いよね~。旅客が多すぎてさばききれないのは判ってるんだから人を増やすなり、何か対策を取っていただきたいものです…。乗り継ぎの...武漢天河国際空港~地下鉄リベンジ〜

  • 2017秋の旅〜春秋航空で武漢

    2016秋の旅の後は、続きの2017年秋の旅にしようと考えていたが丁度、2018夏の旅が終わった直後だったので、武夷山の話を先にと始めてしまった。が、更新も滞り気付いたら既に冬、しかも年明け…ということで、2018夏の旅の途中ですが、先に2017秋の旅を。…最近すぐ忘れるので早く書こう。(備忘録なので。)始まりは2016年9月、11月の全日空武漢便が異常に安かったので行く当てもなく予約。…だって、往復25,900円だったから。行きの武漢着が22:00過ぎ、帰国便が特定日だったけど、なんでこんなに安いのかと思って調べてみたら、LCCが同じ曜日に武漢便を飛ばしてた訳ですよ。全日空よりも良い時間帯に。成田▶︎武漢/水曜10:00▶︎13:55武漢▶︎成田/日曜15:05▶︎19:30自国の航空会社には良い時間帯を割り...2017秋の旅〜春秋航空で武漢

  • 宝石山から西湖を一望

    三公園から断橋を通り過ぎて、北山街へ。北里湖周囲は未だに古い佇まいをもった建物が点在している。内部がリフォームされて博物館やスタバに変身している建物もある。▼西湖の北、北里湖と宝石山北里湖北岸に沿った道、北山街(路)は30年前は路線バスが時折、本当に時折通るだけだった寂しい道だったが、現在は路線バスや長距離バス、観光バス、タクシー、マイカーが往来する賑やかな通りになった。日没後の北山街は、渋滞した車のテールランプが西湖を彩るイルミネーションのようで結構綺麗ですよね~。三公園方面から西湖越しに見るとgood!です。▼北山街/北里湖の向こうに白堤が見える▼葛岭(かつれい)/7、27、51、117、118路の停留所北山街のバス停、葛岭(かつれい)を過ぎると宝石山に入る道がある。この道、駐車場の手前で分かれ道があり、分...宝石山から西湖を一望

  • 秋の武侯祠 その三 ゆっくりお茶ができる

    恵陵の大門を出て左方向に、最近お土産屋さんができました。そして、お土産屋さんの中庭は昔懐かし茶館スペースになっておりました。おーーーっ!!何十年かぶりに武侯祠でお茶をしましたよ。昔の茶館は巨大なヤカンを持った服務員さんが徘徊してお湯を足してくれましたが、現在はお茶を頼むと湯の入ったポットも一緒に持ってきてくれます。公孫樹の黄葉を愛でながら、ボーっと過ごす贅沢な時間です。私が好きなのは龍井か寧強雀舌ですが、数日前に峨眉山に行ってきたのだから、ということで竹葉青(ちくようせい)を注文。竹葉青はちょっとお高い35元(約600円弱)…茶葉も揃っていてきれいな深い緑色、そして強い感じですが、最近の竹葉青はやっぱり青臭い…。うーん、西湖龍井が正解だったかも…。実は前日は西湖龍井(35元)を注文してました。鉄板の美味さでした...秋の武侯祠その三ゆっくりお茶ができる

  • 秋の武侯祠 その二 武侯祠は明るくなった

    ここ数年ですが、武侯祠各殿の内部はかなり明るくなりました。下の写真、漢昭烈廟の左右(東西というべきか…)の配殿ですが共に配殿の内部からiPhoneで撮りました。カメラ側の能力も向上しているとは思いますが、以前は真っ暗で肉眼ではガラスケースの中のみ見えるといっても過言ではなかった。中に入ってしばらく目を凝らしていると殿内のしつらえが判るといった感じ。(関羽と張飛の殿は季節的に明るさが変わる可能性もあるのか…?)▼漢昭烈廟の左の配殿(張飛殿)▼漢昭烈廟の右の配殿(関羽殿)武侯祠本殿は、以前閉じられていた壁上部の明り取りの窓がオープンになってから格段に明るくなりましたね~。明るくなってから以前の陰気臭さがなくなりました。▼武侯祠本殿の左側天窓▼武侯祠本殿の右の天窓(写真は梁で隠れちゃってるけど…)▼三義廟は最近の建築...秋の武侯祠その二武侯祠は明るくなった

  • 秋の武侯祠 その一 黄葉がきれい

    三連休+有給消化で成都を拠点に峨眉山、大足に行ってきました。▲恵陵(劉備の墓)の内門黄緑っぽく写ってますが、実際は下の写真のように黄色です。秋の武侯祠は公孫樹(いちょう)がの黄葉がとてもキレイでした。▲恵陵参道の石像過去春・夏・冬に来たことはありましたが、秋は今回が初めてなので知らなかった…。新しい発見にちょっと感動!!武侯祠は秋がお勧めかもしれません。▼武侯祠博物館は引き続き工事中ですついでに、過去書いていなかったので恵陵と武侯祠博物館の間にある溝にかかる橋を紹介。この橋の側面は三国演義の名場面がレリーフになっています。図柄は上海人民出版の連環画ですね。▼恵陵と武侯祠博物館の間にある水路にかかる橋▼阿斗さまと趙雲▼劉備と曹操▼呂布と貂蝉秋の武侯祠その一黄葉がきれい

  • 西湖2018

    2018夏の旅は大足の石刻に行こうと思って、8/10上海in8/19上海outの航空券を取っていた。…が、7月に入ると余りの暑さに遠出をする気力がなくなった。中国の三大竈、重慶経由で大足なんて…早々に予定を変更。最近は過去訪れてないところへ行く方針なので武夷山で筏下りと岩茶の旅にしようと考えた。▼湖畔居そばの西湖ネットの口コミを見ていると、筏下りのチケットは取りにくいということなので、武夷山4泊5日。翌日がダメでも2日~4日後の券なら取れるだろうと考えて。(実はこれも甘い考えだったと後々判明…。)この旅の目的の半分は杭州で龍井茶を買うことだったので、先ずは杭州にやってきたが、昨夜速攻で龍井茶の買い付けは済ませてしまった。龍井茶は台湾の高山茶に比べれば、出来不出来の差が出にくいように感じていたが、今年はあんまり出...西湖2018

  • 杭州友好飯店2018

    G7521次上海虹橋16:47発、温州南行は3分遅れて16:50に発車。ほぼ満席の高鉄は検札開始から約6分で発車した。…あれだけの人数が数分で乗り込んだなんて凄い(笑)。途中3駅停車して、杭州東駅に着いたのは18:00過ぎだった。▼地下鉄1号線(赤線)と西湖十景西湖の北東方向に位置する杭州東駅から地下鉄1号線で龍翔橋(りゅうしょうきょう)へ。要時間は15分ほど。3元(約50円)。龍翔橋駅から、今回宿泊する友好飯店は歩いて5分ほどの距離。金、土、日の宿泊で、一泊朝食付き10000円強。週末価格なので少々お高め。でも一応レイクビュー(笑)。デポジット500元。▼部屋から見える西湖/13階なのでそれなり▼平海路/奥のタワーが友好飯店杭州友好飯店2018

  • 上海虹橋➡杭州東~楽あれば苦あり

    入国審査は数人並んだ程度ですぐに終わったが、指紋を取られるようになっていた。去年来た時には指紋は取られなかったはず。ターンテーブルで荷物を受け取るのに、15分程待たされたが、空港の建屋から外の長~い渡り廊下を渡って地下鉄の駅に着いたのは12:30頃だった。日本と変わらず、上海も酷暑で焼け死にそう。虹橋第一ターミナルから上海虹橋站へは、地下鉄10号線で4分ほど。運賃は3元(約50円)。地下鉄を出て二階の出発階へ、長いエスカレーターを上がる。手荷物検査の行列を経て、待合室へ。▼手荷物検査の列/ここまで整然と並んでいるのは珍しい。この反対側の入口はカオス状態だった。杭州行の新幹線の切符を取ろうと、複数ある切符売り場の一つに並ぶこと45分。取れる切符は最短で16:47発だった(笑)。………えーーーっ、マジですか!!一瞬...上海虹橋➡杭州東~楽あれば苦あり

  • 2018年夏の旅~世の中には幸運もあった

    2018/8/10、10:05発のNH969で羽田から上海虹橋へ。自動チェックインは済んでいるので、手荷物優先カウンターに荷物を預けに行き、ビジネスクラスにアップグレードされていると知らされた。……えーーーっ、マジですか!!と心の中で叫ぶ。学生の頃、座席のダブルブッキングが原因でアップグレードされビジネスクラスになったという話を聞いたことがあったが、海外旅行を始めて30年以上、そんな幸運な体験はしたことがない。この世の中にそんなうまい話は無いだろう都市伝説(?)に過ぎないのではなかろうか、と思っていたが。▼羽田のチェックインカウンター/流石に夏休みは混んでる予約時、NH969はボーイング787だったが、途中で機材変更になり指定した座席が変更されてしまった。まあ、たまにあることで座席変更のお知らせが来ても、指定し...2018年夏の旅~世の中には幸運もあった

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