「ブックオフ」や「ブックセンターいとう」などの古書店で閉店するところが増えてきている。オンライン古書店が登場し
スペイン留学記・スペイン旅行記・サンティアゴ巡礼1,000kmの旅、五街道歩き旅、そして・・・
若いころにスペインに魅入られ、以来繰り返しスペインを訪れてきた夫婦。スペインの魅力は?と問われても、私たちの答えは「太陽」ではありませんし、ましてや「闘牛とフラメンコ」でもありません。相性とでも言えばよいのでしょうか。スペインの空気、街、人、食。何と言うこともない日常。そこに身を置くと、ほっとするのです。 これからもスペインと日本を行き来しながら、できれば中南米にも足を延ばしたいと思っています。
「ブックオフ」や「ブックセンターいとう」などの古書店で閉店するところが増えてきている。オンライン古書店が登場し
3年ぶりに吉祥寺に行った。2020年1月に映画を見に行ったのが最後。その後はパンデミックになった上、特に用事も
本書の帯には、次のように記されている。 「生き方マニュアル」として誕生した教えが「宗教」として制度化する中で変
http://dosperegrinos.net/2023/01/12/14939/
国立西洋美術館で開催中の「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」を観てきた。ベルクグリューン
原田マハの画家シリーズとも言うべき作品の一つ。この作品はゴッホを題材としたもの。パリで浮世絵を主に扱う画商の日本人二人と、ゴッホとその弟を主な登場人物として、ゴッホを支え振り回される弟の動きを通してゴッホの作品の誕生を描いている。
正月三が日、東京は快晴続きで、日向は温かく気持ちの良い毎日だった。近くの公園では家族連れや子供たち、お年寄りや若い人、毎日様々な人たちがやってきて遊び、散歩し、ランニングに汗を流し、飼い犬と戯れていた。2~3組の親子連れが凧揚げをしていたが、彼らには残念なことに風がほとんどなく、糸を持って走っても5mほどの高さまでしか上がらず、風に乗せられるまでに至る人はいなかった。そのせいか、毎年見られる木にかかった凧の姿もなかった。
94歳の叔母が初めてスマートフォンを持った。一人暮らしで何かと心配なので、携帯電話を持つようにと長いこと頼んでいたのだが、ペースメーカーを入れているので危険、固定電話で十分などという理由で持つことを拒んできた。しかし今回、急病で倒れて入院し、連絡手段が限られてしまい、病院に面会に来た者ともコロナによる面会禁止で話すことができなかったことで、ようやくスマートフォンを持つ気になってくれた。医者が勧めてくれたのも大きかった。
Cuarta Peregrinación 帰国後に関する報告(コロナ感染)
帰国の翌日、PCR検査を受けたら、幸い二人とも陰性だった。そこでさらに翌日には入院した伯母を見舞い、退院後の準備をするために、名古屋に行った。病院では、最初はコロナ感染防止のため面会はできないとのことだったが、担当医が自分の携帯電話で会話できるようにしてくれた。さらに叔母を廊下に連れ出して、5mほどの距離で面会できるようにしてくれた。
今朝も快晴。
箱根仙石原にあるポーラ美術館で開催中の「ピカソ 青の時代を超えて」を観るために箱根に1泊2日で出かけた。
Cuarta Peregrinación 巡礼証明書・距離証明書
今回入手した「巡礼証明書」です。氏名(もちろんアルファベットで記入して)と発行の日付(2022年11月3日)はサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼事務所で手書きで記入してくれます。
Cuarta Peregrinación 9+5(11/08・09 Alcalá de Henares~Barajas~Doha~成田空港~自宅)
6時半起床。シャワーを使い、荷物の最終整理。朝食がわりに修道院のお菓子を食べようとするが、早くもカビている。セビージャで作られてマドリーで売られていたもので、夏場ほどのカラッカラの乾燥ではないにしても、決して湿度が高いわけではない。無添加手づくりだからか。最後に少しだけ残っていたマフィンとファンタオレンジをお腹に入れ、荷物は置いたまま近くのBar"Gato Verde"に行って朝食。
Cuarta Peregrinación 9+4(11/07 Alcalá de Henares)
明け方4時過ぎに電話が鳴る。発信番号不明、数回の呼び出し音で切れたので放置。1分後にまたかかって来たが、発信番号は表示されるものの既知の相手ではないので放置すると、今度も数回の呼び出し音で切れた。日本時間ではお昼ごろ。間違い電話か業者の売り込みかと思った。その10分ほど後に従妹から電話。出てみると名古屋で一人暮らしの叔母(94歳)が病院に入ったとのこと。意識はあるとのこと。数分後に今度は名古屋の病院から電話。叔母は意識はあるが、このところ動くと息が苦しくなっていたのが、今日はじっとしていても息苦しいため来院したとのこと。急変する心配はないとのこと。従妹に病院から電話があった旨を知らせる。その数分後に救急隊員から電話で、叔母を日赤病院に移すとのこと。連絡先は私でいいかとのことだが、海外滞在中なので従妹の電話を教え、そちらに連絡をお願いする。
Cuarta Peregrinación 9+3(11/06 Madrid~Alcalá de Henares)
7時過ぎに起床。ホテルの部屋で昨日持ち帰った少しのパンと持ち歩いていたマフィン、チョコレートで朝食がわり。
Cuarta Peregrinación 9+4(11/07 Alcalá de Henares)
明け方4時過ぎに電話が鳴る。発信番号不明、数回の呼び出し音で切れたので放置。1分後にまたかかって来たが、発信番号は表示されるものの既知の相手ではないので放置すると、今度も数回の呼び出し音で切れた。日本時間ではお昼ごろ。間違い電話か業者の売り込みかと思った。その10分ほど後に従妹から電話。出てみると名古屋で一人暮らしの叔母(94歳)が病院に入ったとのこと。意識はあるとのこと。数分後に今度は名古屋の病院から電話。叔母は意識はあるが、このところ動くと息が苦しくなっていたのが、今日はじっとしていても息苦しいため来院したとのこと。急変する心配はないとのこと。従妹に病院から電話があった旨を知らせる。その数分後に救急隊員から電話で、叔母を日赤病院に移すとのこと。連絡先は私でいいかとのことだが、海外滞在中なので従妹の電話を教え、そちらに連絡をお願いする。
Cuarta Peregrinación 9+2(11/05 A Coruña~Madrid)
7時起床。8時半からホテルで朝食。ビュッフェ。朝食代9€という値段からすれば充分。
Cuarta Peregrinación 9+1(11/04 Santiago de Compostela~A Coruña)
今日はもうCaminoを歩かないので、7時に起床。
Cuarta Peregrinación 09(11/03 Sigüeiro~Santiago de Compostela)
6時半起床。暖房がよく効いて気持ちよく夜を過ごせた。
Cuarta Peregrinación 08(11/02 Hotel Barreiro~Sigüeiro)
6時半起床。7時40分朝食。
Cuarta Peregrinación 07(11/01 Betanzos–(Taxi)–Mesón-Museo Xente no Camiño~Hotel Barreiro)
目覚ましを30分早めていたため、6時半起床。昨日買っておいたクロワッサン、リンゴ、オレンジジュース。部屋にあるコーヒー、お茶で朝食。
Cuarta Peregrinación 06(10/31 Betanzos~Mesón-Museo Xente no Camiño~Betanzos)
寝る前に暖房が効きすぎて暑くなったため、窓を少し開けていたからか、明け方には寒くなった。暖房はタイマーで夜中に切れるようになっているようだ。設定の仕方がわからないので、プログラム通りに運転するしかない。
Cuarta Peregrinación 05(10/30 Miño~Betanzos)
冬時間になったせいか、6時に目が覚めてしまった。7時に目覚ましが鳴るまでベッドの中にいたが、身体は夏時間で動いているようだ。
Cuarta Peregrinación 04(10/29 Pontedeume~Miño)
今日は距離も短いのでゆっくり起きようと思っていたが、7時に目覚ましが鳴ってしまった。8時半から下のBarで朝食。親子4人の家族連れと他に二組の宿泊客がいた。
Cuarta Peregrinación 03(10/28 Neda〜Pontedeume)
4時過ぎにベッドに入ったが7時には目が覚め、8時に予約してあった朝食を9時過ぎに変更してもらった。
Cuarta Peregrinación 02b 緊急事態(10/27~28 Neda )
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Cuarta Peregrinación 02 (10/27 Ferrol〜Neda )
6時半起床。雨。支度を済ませ、8時に下に降りてホテルのBarで朝食。
Cuarta Peregrinación 01(10/26 Ferrol)
外は真っ暗だが、人々が活動を始めた気配で7時前に起床。ゆっくり支度をすませ、まだ暗いが出かける。昨夜の通りの一つで朝食メニューを出していたBarに入る。
Cuarta Peregrinación 0(10/25 Madrid~A Coruña~Ferrol)
目が覚めたのは8時近かった。Ferrol行きの8時の切符を買っておかずに良かった。
Cuarta Peregrinación 00(10/23・24 自宅~成田空港~ドーハ~MadriM)
3年ぶりの海外旅行。22時30分の便なので、自宅を出たのは15時過ぎ。時間に余裕があるのでいつもとは違う経路で成田空港に向かったが、乗り継ぎが悪く時間が予想以上にかかって少々疲れた。
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「ブックオフ」や「ブックセンターいとう」などの古書店で閉店するところが増えてきている。オンライン古書店が登場し
3年ぶりに吉祥寺に行った。2020年1月に映画を見に行ったのが最後。その後はパンデミックになった上、特に用事も
本書の帯には、次のように記されている。 「生き方マニュアル」として誕生した教えが「宗教」として制度化する中で変
国立西洋美術館で開催中の「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」を観てきた。ベルクグリューン
原田マハの画家シリーズとも言うべき作品の一つ。この作品はゴッホを題材としたもの。パリで浮世絵を主に扱う画商の日本人二人と、ゴッホとその弟を主な登場人物として、ゴッホを支え振り回される弟の動きを通してゴッホの作品の誕生を描いている。
正月三が日、東京は快晴続きで、日向は温かく気持ちの良い毎日だった。近くの公園では家族連れや子供たち、お年寄りや若い人、毎日様々な人たちがやってきて遊び、散歩し、ランニングに汗を流し、飼い犬と戯れていた。2~3組の親子連れが凧揚げをしていたが、彼らには残念なことに風がほとんどなく、糸を持って走っても5mほどの高さまでしか上がらず、風に乗せられるまでに至る人はいなかった。そのせいか、毎年見られる木にかかった凧の姿もなかった。
Covid19で渡航が難しくなっていたスペインを3年ぶりに訪れた印象をまとめてみる。
94歳の叔母が初めてスマートフォンを持った。一人暮らしで何かと心配なので、携帯電話を持つようにと長いこと頼んでいたのだが、ペースメーカーを入れているので危険、固定電話で十分などという理由で持つことを拒んできた。しかし今回、急病で倒れて入院し、連絡手段が限られてしまい、病院に面会に来た者ともコロナによる面会禁止で話すことができなかったことで、ようやくスマートフォンを持つ気になってくれた。医者が勧めてくれたのも大きかった。
帰国の翌日、PCR検査を受けたら、幸い二人とも陰性だった。そこでさらに翌日には入院した伯母を見舞い、退院後の準備をするために、名古屋に行った。病院では、最初はコロナ感染防止のため面会はできないとのことだったが、担当医が自分の携帯電話で会話できるようにしてくれた。さらに叔母を廊下に連れ出して、5mほどの距離で面会できるようにしてくれた。
今朝も快晴。
箱根仙石原にあるポーラ美術館で開催中の「ピカソ 青の時代を超えて」を観るために箱根に1泊2日で出かけた。
今回入手した「巡礼証明書」です。氏名(もちろんアルファベットで記入して)と発行の日付(2022年11月3日)はサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼事務所で手書きで記入してくれます。
6時半起床。シャワーを使い、荷物の最終整理。朝食がわりに修道院のお菓子を食べようとするが、早くもカビている。セビージャで作られてマドリーで売られていたもので、夏場ほどのカラッカラの乾燥ではないにしても、決して湿度が高いわけではない。無添加手づくりだからか。最後に少しだけ残っていたマフィンとファンタオレンジをお腹に入れ、荷物は置いたまま近くのBar"Gato Verde"に行って朝食。
明け方4時過ぎに電話が鳴る。発信番号不明、数回の呼び出し音で切れたので放置。1分後にまたかかって来たが、発信番号は表示されるものの既知の相手ではないので放置すると、今度も数回の呼び出し音で切れた。日本時間ではお昼ごろ。間違い電話か業者の売り込みかと思った。その10分ほど後に従妹から電話。出てみると名古屋で一人暮らしの叔母(94歳)が病院に入ったとのこと。意識はあるとのこと。数分後に今度は名古屋の病院から電話。叔母は意識はあるが、このところ動くと息が苦しくなっていたのが、今日はじっとしていても息苦しいため来院したとのこと。急変する心配はないとのこと。従妹に病院から電話があった旨を知らせる。その数分後に救急隊員から電話で、叔母を日赤病院に移すとのこと。連絡先は私でいいかとのことだが、海外滞在中なので従妹の電話を教え、そちらに連絡をお願いする。
7時過ぎに起床。ホテルの部屋で昨日持ち帰った少しのパンと持ち歩いていたマフィン、チョコレートで朝食がわり。
明け方4時過ぎに電話が鳴る。発信番号不明、数回の呼び出し音で切れたので放置。1分後にまたかかって来たが、発信番号は表示されるものの既知の相手ではないので放置すると、今度も数回の呼び出し音で切れた。日本時間ではお昼ごろ。間違い電話か業者の売り込みかと思った。その10分ほど後に従妹から電話。出てみると名古屋で一人暮らしの叔母(94歳)が病院に入ったとのこと。意識はあるとのこと。数分後に今度は名古屋の病院から電話。叔母は意識はあるが、このところ動くと息が苦しくなっていたのが、今日はじっとしていても息苦しいため来院したとのこと。急変する心配はないとのこと。従妹に病院から電話があった旨を知らせる。その数分後に救急隊員から電話で、叔母を日赤病院に移すとのこと。連絡先は私でいいかとのことだが、海外滞在中なので従妹の電話を教え、そちらに連絡をお願いする。
7時起床。8時半からホテルで朝食。ビュッフェ。朝食代9€という値段からすれば充分。
今日はもうCaminoを歩かないので、7時に起床。
6時半起床。暖房がよく効いて気持ちよく夜を過ごせた。
6時半起床。7時40分朝食。
「ブックオフ」や「ブックセンターいとう」などの古書店で閉店するところが増えてきている。オンライン古書店が登場し
3年ぶりに吉祥寺に行った。2020年1月に映画を見に行ったのが最後。その後はパンデミックになった上、特に用事も
本書の帯には、次のように記されている。 「生き方マニュアル」として誕生した教えが「宗教」として制度化する中で変
国立西洋美術館で開催中の「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」を観てきた。ベルクグリューン
原田マハの画家シリーズとも言うべき作品の一つ。この作品はゴッホを題材としたもの。パリで浮世絵を主に扱う画商の日本人二人と、ゴッホとその弟を主な登場人物として、ゴッホを支え振り回される弟の動きを通してゴッホの作品の誕生を描いている。
正月三が日、東京は快晴続きで、日向は温かく気持ちの良い毎日だった。近くの公園では家族連れや子供たち、お年寄りや若い人、毎日様々な人たちがやってきて遊び、散歩し、ランニングに汗を流し、飼い犬と戯れていた。2~3組の親子連れが凧揚げをしていたが、彼らには残念なことに風がほとんどなく、糸を持って走っても5mほどの高さまでしか上がらず、風に乗せられるまでに至る人はいなかった。そのせいか、毎年見られる木にかかった凧の姿もなかった。
Covid19で渡航が難しくなっていたスペインを3年ぶりに訪れた印象をまとめてみる。
94歳の叔母が初めてスマートフォンを持った。一人暮らしで何かと心配なので、携帯電話を持つようにと長いこと頼んでいたのだが、ペースメーカーを入れているので危険、固定電話で十分などという理由で持つことを拒んできた。しかし今回、急病で倒れて入院し、連絡手段が限られてしまい、病院に面会に来た者ともコロナによる面会禁止で話すことができなかったことで、ようやくスマートフォンを持つ気になってくれた。医者が勧めてくれたのも大きかった。
帰国の翌日、PCR検査を受けたら、幸い二人とも陰性だった。そこでさらに翌日には入院した伯母を見舞い、退院後の準備をするために、名古屋に行った。病院では、最初はコロナ感染防止のため面会はできないとのことだったが、担当医が自分の携帯電話で会話できるようにしてくれた。さらに叔母を廊下に連れ出して、5mほどの距離で面会できるようにしてくれた。
今朝も快晴。
箱根仙石原にあるポーラ美術館で開催中の「ピカソ 青の時代を超えて」を観るために箱根に1泊2日で出かけた。
今回入手した「巡礼証明書」です。氏名(もちろんアルファベットで記入して)と発行の日付(2022年11月3日)はサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼事務所で手書きで記入してくれます。
6時半起床。シャワーを使い、荷物の最終整理。朝食がわりに修道院のお菓子を食べようとするが、早くもカビている。セビージャで作られてマドリーで売られていたもので、夏場ほどのカラッカラの乾燥ではないにしても、決して湿度が高いわけではない。無添加手づくりだからか。最後に少しだけ残っていたマフィンとファンタオレンジをお腹に入れ、荷物は置いたまま近くのBar"Gato Verde"に行って朝食。
明け方4時過ぎに電話が鳴る。発信番号不明、数回の呼び出し音で切れたので放置。1分後にまたかかって来たが、発信番号は表示されるものの既知の相手ではないので放置すると、今度も数回の呼び出し音で切れた。日本時間ではお昼ごろ。間違い電話か業者の売り込みかと思った。その10分ほど後に従妹から電話。出てみると名古屋で一人暮らしの叔母(94歳)が病院に入ったとのこと。意識はあるとのこと。数分後に今度は名古屋の病院から電話。叔母は意識はあるが、このところ動くと息が苦しくなっていたのが、今日はじっとしていても息苦しいため来院したとのこと。急変する心配はないとのこと。従妹に病院から電話があった旨を知らせる。その数分後に救急隊員から電話で、叔母を日赤病院に移すとのこと。連絡先は私でいいかとのことだが、海外滞在中なので従妹の電話を教え、そちらに連絡をお願いする。
7時過ぎに起床。ホテルの部屋で昨日持ち帰った少しのパンと持ち歩いていたマフィン、チョコレートで朝食がわり。
明け方4時過ぎに電話が鳴る。発信番号不明、数回の呼び出し音で切れたので放置。1分後にまたかかって来たが、発信番号は表示されるものの既知の相手ではないので放置すると、今度も数回の呼び出し音で切れた。日本時間ではお昼ごろ。間違い電話か業者の売り込みかと思った。その10分ほど後に従妹から電話。出てみると名古屋で一人暮らしの叔母(94歳)が病院に入ったとのこと。意識はあるとのこと。数分後に今度は名古屋の病院から電話。叔母は意識はあるが、このところ動くと息が苦しくなっていたのが、今日はじっとしていても息苦しいため来院したとのこと。急変する心配はないとのこと。従妹に病院から電話があった旨を知らせる。その数分後に救急隊員から電話で、叔母を日赤病院に移すとのこと。連絡先は私でいいかとのことだが、海外滞在中なので従妹の電話を教え、そちらに連絡をお願いする。
7時起床。8時半からホテルで朝食。ビュッフェ。朝食代9€という値段からすれば充分。
今日はもうCaminoを歩かないので、7時に起床。
6時半起床。暖房がよく効いて気持ちよく夜を過ごせた。
6時半起床。7時40分朝食。