遊歩 さん プロフィール

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遊歩さん: 青草のやうに
ハンドル名遊歩 さん
ブログタイトル青草のやうに
ブログURLhttp://aokusa856.blog.fc2.com/
サイト紹介文人事句を中心に、自作の俳句に拙い文ですが俳句のことなどを書き綴っています。
自由文俳句の出来や用意をできる写真、いつまで質を保てるか分かりませんが、続けられるだけやってみようと思っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供167回 / 225日(平均5.2回/週) - 参加 2017/03/07 01:33

遊歩 さんのブログ記事

  • 穴惑ひ
  •       約束の一年は過ぎ蛇穴に      穴惑ひ最終便が出てしまふ愛知県に住む小学6年生、夏休みに近くの公園の清掃ボランティアに参加した。自らの意思ではなく母親に言われてである。 その日、すぐ隣に80歳くらいのおばあさんが、テンポよく楽しそうに草を取っている。 「この年になると草にも生命を感じてくるの。だから楽しくやらないと草がかわいそう」と言う。 言葉は理解 [続きを読む]
  • 赤とんぼ
  • ネット画像     赤とんぼいつも思ひ出つれてくる     赤とんぼ置かれたやうに竿の先     夕焼け小焼けの赤とんぼ おわれてみたのはいつの日か      山の畑の桑の実を 小かごに摘んだはまぼろしか      十五で姐やは嫁にいき お里の便りも絶えはてた      夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先 この「赤と [続きを読む]
  • 唐辛子
  •       昨日より今日の淋しさ唐辛子       こころまで閉ざしておらず唐辛子俳人、辻桃子さんの教え。よい句を作るにはまず、もっと勉強すること。先人の句をたくさん読むこと。読んで、たくさんの型を身につけること。 そうしないとどんなによい発想があっても、自由に言い表せない。 またたくさん読めば自然によい句とだめな句を判別できるようになる。どんな句が新しい句かもわかる [続きを読む]
  • 秋の灯
  •       どの家も帰るひと待つ秋ともし      秋灯下十七文字に夜の更けて素直に徹する作句 余韻や余情は、読み手がその句を読んで感じとるものであり、詠み手がそれを表現できない点に大きな特徴がある。 これは例えば絵画を見て、どこが素晴らしかったかを表現する際に、絵画そのものがその点を一切語っていないのと同様である。 これが短詩型である俳句の大きな特徴の一つであり、俳 [続きを読む]
  • 山頭火忌
  • ネット画像      耕畝の忌北を指さない古磁石       かなかなの中へてくてく山頭火  既掲今日10月11日は、種田山頭火の忌日である。 自由律俳句を代表する俳人といえば、種田山頭火の名前がまず挙げられる。 定型や季語にとらわれない自由な俳句は、最初は戸惑うこともあるかもしれないが、読み慣れると癖になるような魅力を持っている。 昭和15年、1940年に58才で亡 [続きを読む]
  • 夜長
  •       それぞれに居場所の違ふ夜長かな      長き夜の闇にみしりと軋む音夏至を過ぎると夜は一夜ごとに伸び、冬至には最も長くなる。反対に昼は短くなるが、「夜長」は秋、「日短」は冬と使い分けるのは、秋は暑い夏を越して涼しい夜が長くなるのが嬉しいからであり、冬は暖かな昼間が短いのを惜しむからである。 「日永」を春、「短夜」を夏とするのも同じ。 「夜長」「日短」「日永」「短 [続きを読む]
  • 糸瓜
  •  子規庵      子規庵に日暮の早さ糸瓜棚へちまは、インド原産のウリ科の一年草。江戸時代に渡来したと言われ、蔓性で巻ひげで他に絡みつきながら生長する。果液は化粧水として用いられ、繊維質が発達した果実は束子となる。子供の頃に水に漬けておき腐らせると繊維だけになる。それを束子として、入浴の際などに体をこすった記憶がある。俳句、短歌に革新的業績を残したホトトギス派の祖、正岡子規は34歳の若さで、糸瓜を詠 [続きを読む]
  • 身に入む
  •       身に入むや嫁せし娘の痩せ加減       身に沁みて作者不詳の辞世の句「秋の寒さ」の感じ方は、冬に向かう季節とあって段階をふみながら寒さを表現する季語が多くある。 季語によっては体に感じる寒さの実感ばかりでなく、心情を代弁させることのできるものがいくつかある。 「冷やか」  朝夕ひえびえとしてくること 「秋寒」   秋に入って [続きを読む]
  • 花芒
  •       かはたれの闇の中なる花芒      風のたび揺らめく千の花薄俳句を詠むということに限らず、創作にはスランプというものがある。 まして、いつまでにいくつとかなるとなおさらである。趣味で始めたものがノルマ付きの仕事みたいになってくることがある。 ある先生は、調子が悪くどうしても出来ないときはあせらずに、身の回りにある一本の草、一本の木、一匹の虫などをじっと見ていよう [続きを読む]
  • 水澄む
  •       一片の言の葉さがし水澄める2017年9月26日朝日新聞夕刊(関西版)に「100歳の俳人、終わらぬ創作」と 題して、俳壇の最高賞蛇笏賞、詩歌文学館賞など、数多くの功績をお持ちの 俳人、後藤比奈夫さんを讃える記事が掲載されていた。 記事の中ではないが、ご本人の弁に、「振り返れば私の俳句生活は言葉探しの 旅であった」というのがある。 [続きを読む]
  • 威し銃
  •       老農の眼にちから威銃       黙々と村人放つ威銃鳥獣などを追い払うためにたてる大きな音をいう。実際に銃を撃つわけではなく、空気を圧縮して銃に似た音を立てる。長閑な田園に一定間隔で爆発音が響き渡る。 今でもあるにはあるが、鳴子や案山子で稲田荒らしの雀をおどしていたのは、すでに以前のこと。 今はカーバイトを使用して爆発音を発する自動威銃がそれにかわっ [続きを読む]
  • 花野
  •       夕づくや花野の中の岐れ道      又一人失せもの探し来る花野花野は、萩、薄、桔梗、吾亦紅など秋の草花が咲き乱れる野原のこと。 本義は、広々とした野や高原を指している。花々が澄んだ光のなかで揺れ、明るく広大な野だ。 そこにはどことなく秋ゆえの淋しい感じも漂っており、秋風に吹かれる花々には哀れをさそう趣がある。 花野とはいかにも文芸的な詩語 [続きを読む]
  • 曼珠沙華
  •       岐れ道どちらにゆけど曼珠沙華      ベクトルを失ひ白の曼珠沙華「曼珠沙華」暗い感じの句が多い中で、それとは違う金子兜太さんの句への、参考になる評論がある。       曼珠沙華どれも腹出し秩父の子   金子兜太 曼珠沙華は、別名「死人花」「捨子花」などとも言われており、墓場に群生したりしていて、少なくともおめでたい花ではないようだ [続きを読む]
  • 唐辛子
  •       唐辛子刻みし指の火宅めく      謀反めく一途な赤へ唐辛子「唐辛子」はなかなか味のある季語で私たちにも人気がある。 たくさんの句が作られており、それだけに唐辛子をどう表現するか、普通に詠んでいても共感は得られない。 俳人諸先生方は、どう表現されているのか拾ってみた。 即戦力といふちから/ 高齢といふ反抗期/ けんかを売りにや [続きを読む]
  • 秋の雨
  •       なにゆえに不揃の椅子秋の雨      秋霖のくすり一錠また増えて秋雨、「しゅうう」ともいい、秋に降る雨を総称していう。春の雨にくらべて寂しい風情がある。 秋の雨はよく詩歌の題材になるが、和歌では多く「秋の雨」と用い、一時期「もの寒く」「夕暮れ」などという背景をともなって詠まれた。 今は「秋雨」も「秋の雨」も両方つかわれている。 秋の雨にしをれて [続きを読む]
  • 吾亦紅
  •       生家なく墓がふるさと吾亦紅      ふる里を遠くに妻ととろろ飯前にも書いたが、私は転勤を繰り返す仕事についてきた。 その間に両親を亡くし、お墓のある地に生活を戻す基盤がなくなってしまった。 こういうことは、いまの時代に生きる私たちにはあることだが、哀感でもある。      迎火焚く先祖の知らぬ町に住み  既掲 [続きを読む]
  • 秋の海
  •       踏切の閉じる音する秋の海青く澄む空と呼応するように色が深まった秋の海。 秋空の下に広がるさわやかな海や、浜辺もそこに寄せる波も、夏に比べるとピュアである。淋しい感じがするけれど、私もそうだが、だから好きだという人は多い。 猛々しい太陽光にさらされ、にぎやかな人間につき合った季節が過ぎ、海は海としての日常を取り戻す。 生まれた波が [続きを読む]
  • きのこ飯
  •       淋しさに釜いつぱいのきのこ飯       この秋はとうとう二人きのこ飯1句目は、わが家の長女が嫁ぎ、長男が独立をして行ったことを、詠んだものである。 これを出句した句会の講評者から次のような評をいただいた。 「食べることは生きることですが、それは淋しさを癒してくれます。きのこ飯が具体的で、この淋しさも癒されること間違いなし・・・・・・・・・・・。」 2 [続きを読む]
  • 赤のまま
  •       赤のまま母は叱らぬひとでした 犬蓼 子季語/犬蓼の花/赤のまま/赤まんま/花蓼 タデ科の一年草。山野や路傍に自生する。初秋、小粒の穂状の紫紅色の花を咲かせる。この粒状の花をしごき取り、赤飯にみたてて、ままごとに使って遊んだことから、「赤の飯(まんま)」とよばれる。 犬蓼という名は、蓼に似ながら用をなさないことに由来する。 [続きを読む]
  • 猫の秋
  •       いつからか行方の知れぬ猫の秋      天高し妻似の猫とすれ違ふ    再掲 猫の句を並べてみると、いかに猫が人間の暮らしに溶け込み、密接な関わりを 持っている動物かがよくわかる。 昔から犬は人につき、猫は家につくと言うが、これは犬、猫を飼ったことのある人には、よく実感されていることだろうと思う。 家につくと言われる猫、ゆえに猫のいる情景 [続きを読む]
  • 月白
  •       月白の音なく落つる砂時計月白、月が昇る前に、東の空が白々と明らむことをいう。 芭蕉にも「月代や膝に手を置く宵の宿」があるように、名月の出を待つ心がこもる。名月の前日の待宵には、十四日の月を「小望月」としてめでて翌日を待ち、十五夜となれば、月の出を今か今かと待ちわびるのである。                           角川大歳時記      月代や少し [続きを読む]
  • 満月
  • ネット画像 ET            満月のさあどの道を帰ろふか 歳時記、季語による月の移り変わり 「初月」 陰暦8月の初めごろに見える三日月ほどの月をいう。 傍題、初月夜   ほのぼのと渚は近江初月夜  阿波野青畝 「三日月」 本来は陰暦8月3日の月のこと。一日の月を新月、二日の月を二日月という。 一般に月初めの細い月を三日月と呼んでいる。  [続きを読む]
  • 虫の秋
  •       雨音の止みていつしか虫の秋      更けゆくも酔へぬ酒くむ虫の秋 俳句を作るということは、無限に近い言葉の組み合わせの中から、ぴったりの言葉を捜すこと。そのことを私の先生は、「俳人は言葉を探す旅人」と表現されている。その作業に脳の血流は言語脳(左脳)とイメージ脳(右脳)そして前頭葉を駆けめぐる。 俳句を楽しむことは、大脳全体の活性化につながることになる。 [続きを読む]
  • 草の花
  •       うつむけば似たものどうし草の花      丁寧におじぎしてゐる草の花      小さくば摘まれもしまい草の花 「草の花」秋に咲く草々の花のこと。よくぞ咲いている、という思いがありそこから、しみじみ、可憐、地味、はかないという思いが湧く。春や夏にも花をつける草は多いが、秋に咲くものはやがて枯れてゆく、そこに人は思いを重ねて見てきたのであろう。 子季語 草花/草 [続きを読む]
  •       ひとりゐて鰯のわたの苦きこと 暖流に乗って大群で近海に押し寄せるため、海の色が変ることもある。漁獲量が多く値も安い。背は濃藍色で腹は銀白色、体に七つ星の黒点がある。秋が旬で鱠や塩焼で食す。 歳時記       鰯焼く母の呼ぶこゑ父のこゑ 鰯はたくさん捕れ安いが定説であったが、10年ほど前にはマイワシの不漁が続き、1匹で1200円までになった。 [続きを読む]