池山 さん プロフィール

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池山さん: 意拳の研究(意拳練功一得会)
ハンドル名池山 さん
ブログタイトル意拳の研究(意拳練功一得会)
ブログURLhttp://ichitokukai.seesaa.net/
サイト紹介文健身、自衛、理論のそろった意拳という素晴らしい武術について縷々考察していこうと思っています。
自由文武術・武道は素晴らしい文化です。それらの多くには内的な力を養成する方法論があると思いますが、意拳は、直接それを練功する素晴らし体系を持っていると考えています。心ある方々にご理解いただけば幸甚です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供110回 / 190日(平均4.1回/週) - 参加 2017/04/05 17:36

池山 さんのブログ記事

  • 稲を引っ張って伸ばそうとしない
  • 最初はばらばらで意味の分からないと思える動きでも、あれやこれやと考えつつ稽古を進めていくと少しずつ纏まりを持つようになってくる。自らも一段階成長したと感じ、その時の満足を味わう。更にそれを深めていくと、なぜかふたたび心身に統一されていないところが多く発見され、再度いろいろな試行錯誤をする段階に至る。そしてそれを繰り返す。それらの全ての過程において站?や試力がヒントを与えてくれる。この過程をしっかり [続きを読む]
  • 站?の松緊
  • 站?の中に松緊がある。いろいろ参考になる感覚があって、例えば不動中の動であるし、上に行くときに下に抑えられる感じでもあるし、全身各所に濃淡があるし、絶対値にはならずに相対的な感覚があるし、芯から力が出る感じなどが入口になるのではないかと思う。 [続きを読む]
  • 非ず、非ず
  • すでに何度も書いているところであるが、「松而不懈,?而不僵,似松非松。内?摸到后,外形自相似」ということについて再々度理解しておきたい。リラックスはだらけた状態ではないし、緊と言ってもこわばった形ではない。リラックスに非ず、緊張に非ず。力を模索して内勁を知れば自ずと外形は整ってくる。それに時間をかける。 [続きを読む]
  • 注目するところを変えてゆっくり
  • 同じ動きであっても、意念に注目することと形の原理原則に注目することを入れ替えつつ稽古してみる。例えば、手を回し猫洗顔の動きをしたとする。肩架を比較的動かさず、柔らかく手首を使い、後ろの手に身体を隠すようにし、各関節に三角を意識する。形に意識を向けるとそのようなところが観点となる。一方、右手で内側に捲き込もうとするときに阻力を感じ簡単に動かないという感覚を得ると、逆に身体が動き始めるところとなるが、 [続きを読む]
  • 癒着を剥がす
  • 連通ということを考えた場合、身体運動の中にある動作の癒着を修正することが重要である。動作が癒着するというのは、ひとつの動きをするときに必ず他の動作を行っているということで、あちこちに見られる癖というかパターンと考えてもらえばわかりやすいかもしれない。拳を打ち込むときに、前腕を螺旋的に捻り込む動きに肘を上げる動きがくっついてしまう。右拳を出す際に、左手と引き合う意識が強すぎて体が開いてしまう。上下の [続きを読む]
  • 直拳も要は站?
  • 直拳の形は単純であるから難しい。それを表現する方も工夫がなされてはいるが、やはり矛盾に満ちた表現が多くなる。形曲力直であったり、手と手が引き合うといいつつ手が合わさるともいい、前三後七から前七後三とし直後に元にもどると言ったり、拳で打つのに手を動かさないとしたり、打って伊いるのに急ブレーキを掛けているようであるなどと表現したり。瑣末の表現はいくつもあり、できるようになってしまえば当たり前の言い表し [続きを読む]
  • お互いを支える
  • 横の力は縦や前後の力である。お互いがお互いを支え合っている形となっていて、それを六面力ということについては更なる言葉を必要としない。意拳の体系はそもそもそういったことを基本とする。それ以外、それ以上、それ以下の方法論を提示しているものではない。というような一般的によくわからないと思われることを言っても、わかる方にはわかると信じられるのが自分の妄信でもある。 [続きを読む]
  • ひかりはたもち、その電燈は失われ・・・
  • 形を保ちつつ柔軟で力の緩んだ様態とする。矛盾することのように思うかもしれないが、目指すところはそういったものであると思っておけば間違いはない。それが整体であるといってよい。ただ、緩むところだけを目指してできるものではないこともまたしかり。ひかりはたもち、その電燈は失われ・・・みたいな感じか。新編宮沢賢治詩集 (新潮文庫) - [続きを読む]
  • 站?の整理
  • 意拳站?の目的は模勁である。意訳すれば、先天のものとしてある内勁を、探し、感じ、強めるということになろうか。そのために必要な要素がリラックスであり自然呼吸であり精神集中である。また、意拳はイメージを使って鍛えるというようなことを言われるが、イメージを使うのは内勁を感じやすくするための手段のひとつと考えるべきだろうと思う。以前書いたことがあるけれど、站?は様式、やっていることは模勁、求めるのは整体、 [続きを読む]
  • 横の力
  • 意拳の基本的な形は、大きく脇を開いているように見えるかもしれない。しかし、脇を開けるというより、肩を落とし、背中を自然に開き、胸を収め、肘を張るという形である。別の言い方では、肘は肋を離れずという言い方もされるところであり、脇にボールを挟んだようなイメージをもつことでそれらが実現されるところだ。横の力を意識するために肘に注目する。 [続きを読む]
  • 形をつくるいくつか
  • 形をつくるいくつかの覚書。あらゆる関節に三角があり、出入の動きに螺旋や捲き込む方向があり、どこを固定してどこを主に機能させるかということがあり、手や腕は不動の意識とし一塊の体幹を動きの主体とする。どこかが上がればどこかが下がる。どこかが右に行けば平衡をとって左に動くところがある。全身が一塊になって動く。まあ、そのあたりから確認していけば入り口を間違うことはないと思う。まずは各部のひとつひとつ丁寧に [続きを読む]
  • 止めるわけではないが止まった感覚
  • 打拳においては、急ブレーキを掛けたような感覚が重要だとされる。熱した鉄板を打つ感じとも言われる。これらの感覚の基本は手を動かさないところにあるわけで、決して動作を途中で止めているわけではない。止めるわけではなく、止まった感覚とでも言おうか。これも外観ではなくて感覚の問題である。 [続きを読む]
  • 意拳を学びたい方へ
  • 意拳練功一得会は、毎週日曜日に飯田橋、九段下の施設等で稽古を行っています。 入会希望の方は、下記内容を記載のうえメールでご連絡下さい。 詳細については折り返し連絡差し上げます。 なお、見学についても同様にご連絡下さい。【送信先メールアドレス】  toikeyama_103@yahoo.co.jp   担当:池山 稔美(意拳練功一得会)【内容】・氏名・年齢・住所・メールアドレス・武術・スポーツ歴 [続きを読む]
  • 先達から励まされる
  • 「意拳論」が、王薌齋先生の著であるかどうか議論があるところとされる。ただ、当該論文の示唆するところ・・・少なくとも自分が練功を進めていくうえでそこに書かれているような感覚が非常に参考になるかどうか・・・・という観点で考えてみると、本当に優れた文章であると思えてならない。四如、形曲力直、七三互換、身無定勢、三尖協調、不動之動、争力等々、ただ単に昔から言われていることのいくつかを適当に盛り込んでおけば [続きを読む]
  • 阻力を元に学ぶ
  • 阻力を元として感得したいもののひとつに、水中にいるときに感じるような各所に働く反対方向への力がある。両腕を大きく広げ前に手を動かすときには、当然ながら身体は後ろに動く力を感じる。逆に後ろに手を動かすときには身体は前への力を感じる。あまりにも当然なこの感覚ではある。この感覚を前提にいろいろな動きを検討してみたいところだ。更にためしにということで、本当に水に浮いたまま一般的なパンチを出してみると、なか [続きを読む]
  • 体感を言葉にするときでも
  • 先日とある講義で、ストレスが心身に与える仕組みを説明したときのこと。例えば自律神経系の交感、副交感の各神経は、ずっとどちらかに傾き続く場合において心身に悪い影響を及ぼすのだけれど、本来は生体が生命維持をするために必要な働き。大切なのは、動的なバランスというようなことをお話した。そこまではいいのだが、話の弾みで、やはり陰至れば陽に転ずるんですねなどと繋げたところ、その瞬間、やはり皆さんポカン顔になっ [続きを読む]
  • 捉え方によって
  • 意拳においては、明暗化という言葉を伝統的につかっているわけではない。が、一得会では、その意味合いが発達過程の説明として有効だと思えるところから、稽古するなかでよく取り上げているところだ。要は、心身の感覚というものと、動作と・・・・更に、心理状態を含めて表現されるものであるという表現になろうか。一般的には、発達の段階を表す場合、練功の方法論を表す場合、表面的に現れた動きを表す場合というものが混在して [続きを読む]
  • 後天の問題を知り、先天を強調しすぎない
  • 後天のものを、やみくもに付け加え鍛え増やしていく場合には、どこか全体の平衡のとれないものになる場合が多いように思う。が、一方で、現代社会の日常生活中に先天のものを生かすだけの様態が整っているかというと、これまた疑問なしとしない。運動量が足りなかったり、座るばかりだったり、食生活がいびつであったりすることもあるから、その前提で先天とだけいうのも自然体ではないかと。身体を使うことととそれを整えることの [続きを読む]
  • 練功のネタ
  • 手を動かすときに反対の手や身体全体は逆の動きをする。試力では、必ず阻力を感じるようにするというのはそれを身体の部分個々の言葉ではなくて全体としてあるということを端的に表している。ただし、手と身体の動きが逆になるというだけでは・・・やってみればすぐにわかるが・・・効かない。まずは、練るときにしっかり練った上で、それを思い切り使ってみる。自分の今できるものを存分に発揮してみる。そうすると、求められてい [続きを読む]
  • ひとつひとつの経験が
  • 本来、非常にシンプルであるところの意拳の理論体系が難解だと思われている方も少なくないようだ。用語が含意するところのものとかが我々の生活の中で習ってきたものと違うとか、同じひとつの点についていろいろな視点から説明しているところがあるところとか、更に、分かることとできることがほぼ一致していて、微細な感覚であっても必ず心身で実感する必要があるというのがその理由のようだ。繰り返しにはなるが、身体感覚を伴っ [続きを読む]
  • 行き過ぎたるは
  • ケリー・マグガニゴルさんの本を読んでいて、現在の状況の行き過ぎについて引き戻しをかけているところが非常に興味深かった。曰く。健康心理学や意思の研究をする中で、社会に対し、ストレスの害について言い過ぎたのかもしれない。ストレスと一言で言っても、動物の本能として物事に対し先んじて心身が対応しようとする準備状態が悪いというようなイメージを与えてしまっていたのかもしれない。もちろん大きすぎたり長すぎたりす [続きを読む]
  • 手を動かさないこと
  • 意拳におけるあらゆる動きは、全身の法と整理されている。稽古当初から行っている、手は動かさずに身体を動かすというものは、その入口となる。手や腕は簡単に動かすことができるがゆえに、たやすく自由気ままに動かせてしまう。それは全身の法とは異なるものになってしまう。それを矯正するよなつもりでじっくりやるのがよいかもしれない。が、金科玉条のごとく表面的に手を動かさないということでは使えるものではない。動かさな [続きを読む]
  • 調子が悪いときに得られるもの
  • 前回の続きである。例えば、自律訓練法の考え方の中で、同じことを繰り返しているから現在の自分の状況が分かるというということが大切ということがある。調子が上がらなければ上がらないなりに同じことをやってみる、調子がよければ調子がよいなりにやってみる。今日は調子がよいからやらないということがつづけば、やらないときは調子が悪いということを心身に学習させてしまうことになる。それを続けていると、本番になってそも [続きを読む]