池山 さん プロフィール

  •  
池山さん: 意拳の研究(意拳練功一得会)
ハンドル名池山 さん
ブログタイトル意拳の研究(意拳練功一得会)
ブログURLhttp://ichitokukai.seesaa.net/
サイト紹介文健身、自衛、理論のそろった意拳という素晴らしい武術について縷々考察していこうと思っています。
自由文武術・武道は素晴らしい文化です。それらの多くには内的な力を養成する方法論があると思いますが、意拳は、直接それを練功する素晴らし体系を持っていると考えています。心ある方々にご理解いただけば幸甚です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供157回 / 365日(平均3.0回/週) - 参加 2017/04/05 17:36

池山 さんのブログ記事

  • 上体を残さず全身協調
  • 薄氷を踏むように動くという要諦がある。勢いに乗ってばらばらな動きをするのではなく、じっくり身体の連通と体重の移動とを感得していく。その際、上体が残っていしまうのは不可である。あくまでもしっかり平衡をとり足先だけで半円を描くことをしない。これもまた全身協調する。 [続きを読む]
  • 逆回り
  • 神亀出水は、例えば右足前ならば、左斜め後に向かって動き始めることが基本である。後ろに、横に、下に、横に、前に、上に・・・連綿と続け斜め円を描くように身体が動く。これでしっかり形を作り上げ、感覚を醸成することで応用につなげていける優れた練功である。では、逆回りはできないかといえばさにあらず。感覚を保ったまま動くことはできるし、いつもと違う自由度も感じられるかもしれない。ただ、基本とされるにはそこから [続きを読む]
  • 守破離の思想
  • 武道、芸事にある守破離の思想を意拳にあてはめたらどうなるのかと考えてみた。一般的に型を厳格に学ぶことが守とすれば、站?や試力の基本的な形をしっかりと学び、内力の養成を行う方法論を知り、技撃で気合や胆力を養うといったところであろうか。それが進み一定の基本が堂に入ったとき、そして正しく内力の養成の入口に入り動きが無意識化、自動化され力が発揮できるようになった段階が破ということになろう。そもそも意拳には [続きを読む]
  • 実際にものをもったら別のもの
  • 紙の球を持つとか鉄の球を持つというようなイメージを使って心身を練っていくことと、実際に物を持つということは全く別のものと考えてよい。少なくとも感覚を研ぎ澄まし、逆にできるだけ力を抜いているという状態を求めているわけであるから、何かを持った段階で違ったものになってしまうのは当たり前のことである。物を持つことが別の目的で行われるのであればそれはそれであるけれど。 [続きを読む]
  • 外形から心に気づく
  • 当方も道半ば。学びも継続しているところであり、細部に関していつも先生に指摘されるところだ。特に「結果を焦って求めてはいけない」。しかり、しかり。特に見た目を求めるあまりに小さく学んでしまうことの問題点は、実は技術ではなくて性格的なものととらえたほうがよいと強く感じる。外に見えるところから内的な・・・内勁だけではなく性格的心理的精神的なものも見えてしまうのかと思うところだ。生力、技より内勁。そして心 [続きを読む]
  • 久々の来訪
  • この日曜日の稽古に大阪から飯尾さんが参加された。氏は空手等の武道を経てから大阪の渕田先生のところで長く学んでおられ、最近独立して修行を続けられている。武道歴としても40年を超え、ますます意気軒昂である。今までも数度、当方らの稽古に参加され学びと親交を深めているが、今回も充実した時間を過ごしていただけたのではないかと思う。稽古後にいつもどおり食事をし、武術の追求への遍歴を聞かせていただくとともに、これ [続きを読む]
  • 首の位置取りから考える
  • 頭が上に吊り上げられるようにという要諦がある。首筋を伸ばすとか、耳が上に引き上げられるという言い方もあるだろう。虚霊頂頸というのも同様であると考えているし、アレクサンダーテクニークの首の位置取りも参考になるかもしれない。積み木を重ねて手で支えるみたいになどと表現した人もいた。ことほど左様に手でを変え品を変えいろいろな表現でその在り様を表そうとしている。それらを考えるときにも、やはりどこかどこかに力 [続きを読む]
  • 常に向かう方向
  • 全身で張ったり支えたりするが、最初は、少なくともどの方向に力を出すかということが重要なポイントになる。相手の鼻面に紐がつながっていて両手でそれに力を出しているというのが最初にもつイメージかと思う。特にこの内容は技撃で使われる。推手で力を出すのは相手の腕の力の方向ではなくて中心に向けてということになるがこれも前記の内容と同様になる。常に相手の中心に向けて意識を向ける。 [続きを読む]
  • よーい
  • 神松意緊をいうとわかりにくかもしれないが、100メートル競技の、「位置について」「よーい」の状態と言えばすぐにわかると思う。技撃?で、相手を想像した瞬間、その感じになれるかどうか。人によってではあるが、鳥肌が立つことがあるけれど、そういった激発感覚が心身ともに作れるかどうか。 [続きを読む]
  • 医者に診てもらうということ
  • 養生訓の中に、「医師を選ぶ」というような項がある。体調が悪い場合にはちゃんと医者に診てもらうということであり、まったく当然至極のことが書かれている。養生法の大家でありこれだけの養生をして心身の健康をたもっているのだから医者に行くことはないなどという頭も固いことを言わない。それはそれで当然健康維持のために必要なひとつと考えている。とかく西洋式はよくて東洋式は古いとか、またその逆を声高に主張する意見も [続きを読む]
  • 站?に還る
  • 站?は意拳の中核をなしている。本当は站?そのものだと言いたいところであるが、自分もまだ道半ば。言うにはおこがましいところもあるので少し謙遜して言ってみる。とにかく、迷ったら站?に還る。そこから試力を見直す。そうする中で見えてくるものがある。 [続きを読む]
  • 単練と対人練習
  • 意拳は、一人で行う基本の中に身体を強くしていく方法論や発力するための形がすべて含まれていると言ってよい。ただ、それだけで強くなれない場合が非常に多いのは、実際に試してみることがないとやすやすと妄信の世界に入ってしまうからであろう。一方、対人で繰り返すだけでも本当に目指すものが実現できず、むしろその段階の身体意識で無理やりに実現しようとする癖が染みついてしまうことにもなりかねない。この癖は身体に強く [続きを読む]
  • 空中遊泳とか水中遊泳とか
  • 空中遊泳とか水中遊泳という表現がある。すこし抽象的な表現に聞こえるかもしれないが、要するに一動無不動ということである。どこかが動けば反対方向に動くところがあり、その2点と拮抗して反対に動くところがあり、更にそれらとバランスをとって動くところがあるというように、どこまで行っても全体が動くということに他ならない。それを学ぶひとつの感覚として阻力があり開合がありと整理しておくことができる。もしかすると更 [続きを読む]
  • 眼の稽古
  • 眼についての練功がいくつかある。目の前に柔らかな布をパッと出しても目を閉じない練習がひとつ。視線を不特定の場所にパッと移して意識を集中する練習がひとつ。前方を見るが特定の一点ではなく全体を見るようにする方法がひとつ。古い先生の示してくれるものには、目から対象物に光の線が出る意識をもつなどというものもあり本当に興味深い。いずれにせよ、実作をモチーフにしてどこに集中するかをしっかり意識しておきたい。 [続きを読む]
  • 京大式おもろい勉強法
  • 京大の山極寿一先生が書かれた「京大式おもろい勉強法」を読んだ。おもろいという思想の話、problemではなくてsolutionであるという考え方、やりたいことを突き詰めること、孤独のすすめなど、学ぶための方法論について腑に落ちるところしきりであった。そのために、自分だけが面白いと思うばかりではなくて、「それおもろいな」と分かってもらうための対人力も大事であるともあった。うーむ。意拳についてもう少しわかりやすく紹 [続きを読む]
  • 気概と実感
  • 例えば三不打。打たないということではなくて気持ちを入れて打つということを教えてくれる。初心のうちは気概とか気合のことと捉えていてよいのではないかと思う。練功が進み心身の一体感が醸成されてくると何か腹が坐ってくるような感覚になってくる。実感になってくるといってもよいかもしれない。人によるのかもしれないけれど。 [続きを読む]
  • あいだがあいた理由
  • 「ブログの更新がされないが、何かあったのか?」とのご意見をいただいた。いつも読んでいただいている方らしいが、気にしていただいたようだ。ありがたいことだと思う。が、なんのことはない。単に仕事が忙しかったのと、9月9日に国家試験を受けたのでその準備やらなにやらでばたばたしていただけのこと。また折に触れていろいろ書いていこうと思っている。 [続きを読む]
  • 淵田先生が稽古に参加
  • 23日の稽古に意拳修養拳学舎の淵田先生が参加された。例年、おおむね年末に上京し一緒に稽古するのを恒例とされているが、今回は所要で急遽の上京。連絡をいただきいつもどおりということで参加していただいた。今回も3時間しっかり汗を流し、練功にいそしみつつ親交を深めた。稽古後の食事の際にも、技術論、練功論から、いろんな方々の動向などを話しつつ、いろいろあるなあなどと楽しく時間を過ごした。最初に淵田先生に会った [続きを読む]
  • 成果を捨てて形をとってしまうこと
  • 基本的な試力の話。初めの段階としては、手や腕を引いてくるときには上体は前に進む感じになる。この感覚が一般的な運動様式と異なるかもしれない。特に頭部の感覚としては、手の中に隠れるようなという言い方もできる。同時に全身は手や腕と同時に後に引かれる。これは上達にともなって、後ろに引く感覚をもちつつ前後に自在に動くことができるし、内部の感覚は複雑だけれども動きは柔らかく単純になってくる。が、初めからこの形 [続きを読む]
  • 外形の発達過程を飛ばさないための気持ち
  • もしかすると、意拳の基本的な形や動きは、コンパクトに小さくまとめられた完成形に近いものように思われる方がいるかもしれない。もちろん、基本の形とはいえ必要十分な要諦がしっかり入っているから最初は少しとっつきにくく、小さく動いているように感じるかもしれない。それが完成形と想像してしまうのも無理はない。また、力の養成がともなっていないと使いにくいから、そう思うのもしかたのないところだ。ただ、稽古していけ [続きを読む]
  • 形に関する要諦
  • 力を強くしていくためには外形を整えることが近道である。そのために形に関する要諦があり、重要な要諦は全身に適用される場合が多い。コツを学んだら、他の部位にも適用できるかを考えてみる。特に、力を入れないで形をとったときの感覚に注意をはらってみる。 [続きを読む]
  • 蓄と発
  • 「発力は拳法の訓練の中でとても重要な地位を占める。意拳の発力動作できわめて小さく、時間はきわめて短く、速やかで力強い力を出すことが必要になる。発力は火薬の爆発に似通っていて、先輩方はこれを爆炸力と呼ぶ。発力する前は力を蓄える過程があり、エンジンに着火するときに、システム的に1つの圧縮があるかの如くである。」薄先生の文章の一部訳であるが、蓄から発という一連が読み取れるところだ。さて、基本動作の中でど [続きを読む]
  • 着地したときのような
  • 全身に良い感じでしっかりと力が入っている状態は、高いところから飛び降りて着地した時のような感じと表現されることがある。各所が力まず、かといって脱力しているだけではない状態というところか。 [続きを読む]