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  • 宗隆寺古墳群 (再訪) 川崎市高津区溝口

    宗隆寺古墳群を再訪した。宗隆寺の墓所から宗隆寺古墳群への登り口は施錠されていた。 にほんブログ村

  • 間際根横穴墓群 川崎市高津区新作

    影向寺の北方約800mの沖積地にむかって東方に張り出した丘陵先端部に位置する間際根(まぎわね)横穴墓群は、文献[1]によれば、急傾斜地崩壊対策工事が契機となり、1984,85年(昭和59,60年)に7基の横穴墓を調査、また調査区域外にも1基を確認、標高19m〜22m、幅55mの範囲に凝灰岩層を掘削して2段に造営。 カメさんと遺跡 川崎の古墳15 間際根横穴墓群 文献 [1] 田村良照 1994 「川崎市間際根横穴墓群」『第1回考古学講座ー横穴墓とは何か』神奈川県考古学会 [2] 間際根横穴墓群発掘調査団 2002 『神奈川県川崎市高津区間際根横穴墓群第3地点発掘調査報告書』間際根横穴墓群発掘調…

  • たちばなふれあいの森 高津区野川

    たちばなふれあいの森(高津区市民健康の森)を散策。 高津区市民健康の森を育てる会 にほんブログ村

  • 影向寺 (再訪) 川崎市宮前区野川本町

    影向寺を再訪したら、太子堂の位置が変わっていて驚いた。さらに移転先が2017年6月に参加した現地説明会の発掘調査の場所だったので2度驚いた。 影向石 移転前の太子堂(2022年3月撮影) 川崎市教育委員会:影向寺 \おかえり聖徳太子像 その1/宮前区の #影向寺 には、大工や畳屋などの職人さんたちがつくる太子講が発願した聖徳太子堂があり、聖徳太子像が祀られています市重要歴史記念物の聖徳太子像と、厨子の修理が終わり、安置作業が行われましたhttps://t.co/vv4MO8NPZ0 pic.twitter.com/kAccwlbc05 — 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) …

  • 橘樹官衙遺跡群 (再訪) 川崎市高津区千年

    史跡公園の整備中の橘樹官衙遺跡群の橘樹郡家[郡衙]跡 (千年伊勢山台遺跡)を再訪。飛鳥時代の復元倉庫はすでに完成していて、芝の養生中で、5月にオープン予定。 #史跡橘樹官衙遺跡群 飛鳥時代の #復元倉庫 は完成間近!建物の新築・修築の記録・記念に、関係者や建築年月日を記し、屋根裏の高所に取り付ける #棟札 を作成しました✨板の繊維にチョークの粉を入れこむことで文字がにじみにくくなると聞いて実践中… pic.twitter.com/QVLX2ELImP — 川崎市文化財課 (@Kawasaki_bnkzai) 2024年1月12日 \ #史跡橘樹官衙遺跡群 の復元倉庫に #棟札 を取り付け!/#…

  • 橘樹学連続講座「橘樹官衙遺跡群成立前夜の古墳」(3/16) 川崎市高津区役所橘出張所

    3月16日に川崎市高津区役所橘出張所2階大会議室で開催され令和5年度 第3回橘樹学連続講座 古代橘樹を知り、活用する!! 「橘樹官衙遺跡群成立 前夜の古墳」に参加(聴講)した。「橘樹学」は、古代の役所跡や寺院跡が発見されている川崎市初の国史跡である橘樹官衙遺跡群に関連した内容をテーマに講義を行う講座で、今回は、青木敬氏(國學院大學文学部教授)・小林孝秀氏(専修大学文学部准教授)・新井悟(教育委員会事務局文化財課学芸員)を講師とし、橘樹官衙遺跡群成立前夜の「古墳」について取り上げ、どのような経緯で古代の役所を橘樹という地に設置したのか知り、古代をより身近に感じる機会として開催された。定員の倍の応…

  • 古墳時代の謎の木の道具たち 木更津市郷土博物館金のすず

    木更津市郷土博物館金のすずで開催中の春の企画展「古墳時代の謎の木の道具たち」を鑑賞した。本展では、菅生(すごう)遺跡と松面(まつめん)古墳周溝から出土した古墳時代の木製品などを紹介する。菅生遺跡は自然堤防上に位置した遺跡で旧小櫃川の流路変更の工事に伴う発掘調査で確認された幅1.8〜5mの大溝から多量の木製品(鍬・鋤・砧・槌といった農工具や弓、琴など)が出土。松面古墳は古墳時代終末期(7世紀前半)の方墳。2014年度の発掘調査で、墳丘は一辺約45m、二重周溝を含めると約84mで千葉県で3番目の大きさの方墳と判明。古墳内側周溝の墳丘側端部で横倒しになった修羅(しゅら)の一部が出土。修羅は大きな石な…

  • 久保平賀古墳 松戸市小金きよしヶ丘

    藤花塚公園の一画に保存されている久保平賀古墳。教育委員会の標柱が立つ。文献[1]では、「円墳、径16.5m、遺存度◯」 久保平賀古墳 墳頂部は後世の攪乱によって変形が著しい。昭和初期に東大で発掘調査を行なつたが明確な内部主体は見られず、わずかに土師器片が出土したに過ぎなかつたという。 平成11年3月 松戸市教育委員会 玉屋(小金宿の旅籠) 鈴木家 此処の街道は水戸街道で有名であるが、成田街道でもあり旅籠が多く鈴木家は代々惣右衛門を名乗り、玉家の屋号で徳川時代後期の旅籠の原形を留めている。 当時の小金では鈴木、月見里、綿貫、湯浅、芦田、安蒜、大熊、が役職に従事していたが、未だ姓は現存している。 …

  • 流山ガード 松戸市上総内

    小金1号墳の近くのJR常磐緩行線の流山ガード。手前の煉瓦造の部分は、1896年(明治29年)に日本鉄道が土浦線(田端-土浦間)を開業したときの橋台で、奥が、1913年(大正2年)に馬橋-北小金間を複線化したときに増設された部分。 にほんブログ村

  • 小金1号墳 松戸市小金

    取手市埋蔵文化財センターの企画展を鑑賞する前に松戸市で古墳巡り。最初に訪れたのは小金1号墳。松戸市立博物館の2017年の企画展のパネルによれば「市の北部に位置する小金古墳群は、かつて前方後円墳1基、円墳6基が存在」していたとされ「現存するのは、1号墳のみ」「径23mの円墳」「埴輪が採集」「北武蔵の埴輪との関係」が指摘され「6世紀初頭から前半頃の時期」が考えられるとのこと。同展では、小金1号墳出土の円筒埴輪を展示。 小金宿 小金宿 小金地域は約3万年前の旧石器時代にはすでに人が住み、約6千年前の縄文時代には、当時の人たちが緑豊かな台地で暮らした大きな集落があったことが幸田貝塚から推測されます。 …

  • 中妻貝塚 取手市小文間

    取手市埋蔵文化財センターで企画展を鑑賞していたら、この日は11時と14時に展示解説があると知り、少し時間があったので、その間に、中妻貝塚を訪れた。文献[3]で、縄文時代後晩期の多数合葬・複葬例として中妻貝塚の事例が紹介されている。 市指定史跡 中妻貝塚(なかつまかいづか) 中妻貝塚は、小貝川から広がる沖積低地を望む標高約23メートルの台地上に位置します。貝塚の規模は、推定直経約150メートルの範囲におよび、縄文時代後期から晩期にかけて形成された厚さ1〜2メートの貝層からなる利根川流域最大の環状貝塚です。 中妻貝塚は、古くからその存在を知られており、大正三年(1914)の東京人類学会による遠足会…

  • 「祈りのかたち-出土品から見る先史時代の祭祀-」 取手市埋蔵文化財センター

    取手市埋蔵文化財センターで開催中の第52回企画展「祈りのかたち-出土品から見る先史時代の祭祀-」を鑑賞した。写真撮影はNGだったので撮影はせず。職員による展示解説に参加した。本展は、市内遺跡発掘調査の出土品のなかから、祭祀遺物にスポットをあて、先史時代に生きた人びとの精神性や生活のすがたを紹介する。縄文時代では、中妻貝塚や神明遺跡出土の土偶、ミニチュア土器、注口土器、西方貝塚出土の有孔鉢型土器、石棒などを展示。古墳時代では、糠塚1号墳・3号墳出土の朝顔型埴輪・人物埴輪・盾型埴輪・鶏型埴輪・須恵器(平瓶)、市之代3号墳出土の朝顔型埴輪・人物埴輪・馬型埴輪・埴輪棺(円筒埴輪)、仏島山古墳出土(延命…

  • 千本塚古墳 旭市鏑木

    鏑木古墳群の続き。千本塚古墳。 にほんブログ村

  • 御塚古墳 旭市鏑木

    茨城県鹿嶋市から千葉県横芝光町への道中、千葉県旭市の鏑木古墳群の2基の古墳で途中下車。 御塚古墳(円墳、市指定史跡) 指定文化財一覧 - 旭市公式ホームページ あさひ公民館だより 第72号(令和元年9/1)「旭市にある古墳(鏑木古墳郡)」 御塚古墳 千葉県旭市鏑木 - 墳丘からの眺め 千葉県旭市鏑木 御塚古墳 古墳探訪記 にほんブログ村

  • 大堤2号墳 山武市松尾町大堤

    大堤権現塚古墳の説明板の地形図に記されていた大堤2号墳を探索した。 にほんブログ村

  • 大堤権現塚古墳 山武市松尾町大堤

    高谷川低地遺跡見学会の後で山武市の大堤権現塚古墳を訪れた。この日は、鹿嶋市の鹿島神宮と宮中野古墳群、横芝光町の高谷川低地遺跡、山武市の大堤権現塚古墳を訪れて、この地域の豊かさが実感できた。 千葉県指定史蹟 大堤権現塚古墳 所在地 大堤四七九番地 指定年月 平成二年三月十六日 大堤権現塚古墳は古墳時代に(今から約1500年前)築造されたもので現在松尾地域に確認されている128基の古墳の一つです。この古墳は、外ぼり、外堤を含めて長さ155メートル、横幅100メートルを測る山武地方最大の 規模を誇る前方後円墳であることから、考古学上、この地方を統治した首長の墳墓であろうといわれています。 昭和三十一…

  • 殿部田古墳群15,19号墳 横芝光町殿部田

    殿部田古墳群は、栗山川を東に望む台地上に位置する古墳群で、前方後円墳5基、円墳21基、方墳1基が確認されている。圏央道建設により3基の古墳が調査された。昨年3月に発行された『房総の文化財』vol.62に古墳群東側に所在する15号墳と19号墳が紹介されているので、現地を訪ねた。15号墳は全長約35mの前方後円墳。19号墳は径約14mの円墳。 化粧木の由来 工事中のトンネルの入り口には化粧木(けしょうぎ)と呼ばれる反り返った木が飾られており、これは、伊勢神宮本殿の屋根の飾り木が元となっています。その起源は山の神に対する信仰心と安全祈願にあり、 三尺六寸分(約1.2m)の太い松やヒノキを横にして、両…

  • 高谷川低地遺跡 横芝光町牛熊

    高谷川低地遺跡出土遺物見学会の後で、高谷川低地遺跡の現地を訪れた。圏央道を絶賛建設中。一枚目の写真の中央左の赤白の鉄塔の右辺りが高谷川低地遺跡。 高谷川の対岸から にほんブログ村

  • 鹿島神宮 鹿嶋市宮中

    特別展「鹿嶋の古墳を歩く」を鑑賞した日は、早起きして、ミニ博物館ココシカの開館前に、中宮野古墳群を散策。そのあと鹿島神宮を参拝。 大鳥居 鹿島神宮御由緒 御祭神 武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ) 社格 勅祭社・別表神社・ 常陸国一之宮・旧官幣大社 創建 皇紀元年(紀元前六六〇年) 例祭日 九月一日 境内地 二十一万坪 御由緒 神代の昔、天照大御神(あまてらすおおか)の命を受けた武甕槌大神は香取の経津主大神(ふつぬしのおおかみ)と共に出雲国へ向かわれ、国譲りを成就し皇孫の国たるべき日本の建国に挺身された。 とりわけ東国における神功は大きく、関東開拓の礎は遠く大神にさかのぼる。 初代・神武天皇…

  • 夫婦塚古墳陪塚と箱式石棺 鹿嶋市宮中

    夫婦塚古墳の後円部の東側に隣接する2基の円墳と、付近の古墳から移設保存された石棺を見学した。 箱式石棺 宮中野古墳群の発掘調査でみつかったもの遺体を安置する石の棺です。 宮中野古墳群は北浦に面した須賀の台地にあり、前方後円墳や方墳・円墳などな「さまざまの古墳が120基以上もありました。 この石棺は筑波山産出のホルンフェルスとよばれる石を板状に切り出して箱形に組合わせたもので、つくられた年代は6世紀後半から7世紀頃と考えられています。 鹿島町文化財愛護協会 【陪塚(ばいちょう)】夫婦塚古墳後円部東側に近接し、寄り添うように2基の円墳が位置しています。規模は北側 の古墳が径17.5m、高さ1.25…

  • 千年塚 鹿嶋市宮中

    中宮野古墳群の散策の続き。稲荷塚古墳の北50m分岐を東に250m進むと千年塚。 千年塚 千年塚は6世紀頃に造営されたとされる鶴来(かくらい)古墳群の一つです。東西32.6m、南北は20.8m、高さ3.4mの長方形の古墳ですが、削られているので詳細は不明です。この塚は伝え話によりその名を残しました。 昔、鹿島神宮に卜部活麿(うらべのいくまろ)という神官がいて、彼は非常に鶴を可愛がっていました。あるとき彼は鶴の背に乗って北の方に飛び去っていきました。3年経って鶴の背に乗って帰って来た活暦を、人は天人とか鶴の化生と言って尊敬しました。 皆が驚くほど長生きした活麿の死後、彼の霊を祀った塚は「千年塚」と…

  • 稲荷塚古墳 鹿嶋市宮中

    中宮野古墳群の散策の続き。 中宮古墳群の南東に分布する鶴来(かくらい)古墳群の稲荷塚古墳。 稲荷塚古墳 稲荷塚古墳は6世紀頃に造営されたとされる鶴来(かくらい)古墳群の中で、もっとも大きい円墳(南北径32.5m、東西径34.5m、高さ6.1mです。墳頂にはこの土地の開拓者が、穀物の神である保食命(うけもちのかみ)を祀った鶴来稲荷大明神の石の祠(ほこら)を建てています。稲荷塚古墳の呼び名はこれに由来します。 2015年10月1日 鹿嶋神の道運営委員会 にほんブログ村

  • 夫婦塚古墳 鹿嶋市宮中

    特別展「鹿嶋の古墳を歩く」を鑑賞した日は、早起きして、ミニ博物館ココシカの開館前に、中宮野古墳群を散策。そのあと鹿島神宮を参拝。 中宮野古墳群の主墳、夫婦塚(めおとづか)古墳。文献[2]によれば中宮野古墳群で現存する古墳は40基程。 夫婦塚古墳附陪塚(めおとづかこふんつけたりばいちょう) 鹿嶋市指定史跡 指定日 平成12年5月20日 北浦を望む台地上に分布する宮中野(きゅうちゅうの)古墳群は、6〜7世紀頃の鹿島地方の首長層の墳墓で、前方後円墳17基を含む100基以上の古墳を有する県内最大級の古墳群です。そのなかでも、夫婦塚(おとめづか)古墳は宮中野古墳群中最大規模を誇る前方後円墳です。主軸方位…

  • 等々力渓谷 世田谷区等々力

    等々力渓谷3号墳を再訪したら、昨年から等々力渓谷公園のかなりの部分が通行止めになっていた。倒木の恐れのある危険木約50本を順次、剪定・伐採作業を進める予定で、全ての作業が終わるまで数年かかる見込みとのこと。昨年7月に発生した倒木被害は、昨年夏の異常な暑さで急速に樹勢の衰退が進み自重で幹折れしたとのこと。ということで、当分、等々力渓谷3号墳には近づけそうにない。 ゴルフ橋 等々力渓谷公園 世田谷区ホームページ 「ふるさと納税」で等々力渓谷保全 世田谷区が寄付活用検討 https://t.co/aOOHmbtBdu 緊急で伐採が必要な「危険木」が50本以上見つかり、昨夏から大部分で立ち入り禁止…

  • 野毛大塚古墳 (再訪) 世田谷区野毛

    野毛大塚古墳を再訪。野毛大塚古墳のある世田谷区立玉川野毛町公園では、東側の国家公務員宿舎の跡地の一部(約2.8ヘクタール)を利用して、昨年10月から公園の拡張整備中で、3月30日に一部区域の開園イベントを開催予定。 東京都指定史跡 野毛大塚古墳(のげおおつかこふん) 所在地 世田谷区野毛1-36 指定 昭和50年2月6日 野毛大塚古墳は全長82メートル、後円部の高さ10メートルの帆立貝式の前方後円墳で、前方部に近接して小さな造出部が付設されている。墳丘の周囲には馬蹄形の周濠が掘られており、周濠を含めた全長は104メートルである。三段に構築された墳丘は全体が河原石で覆われ、円筒埴輪がそれぞれの段…

  • 中川低地の河畔砂丘群 桑崎砂丘 羽生市桑崎

    利根川右岸(南岸)の古墳巡りの〆に中川低地の河畔砂丘群の桑崎砂丘を訪れた。 埼玉県指定天然記念物 中川低地の河畔砂丘群桑崎砂丘 (記念物 天然記念物 埼文指第556号 平成29年3月24日) 利根川の旧河道沿い(中川低地を含む)には、 川が運んだ榛名山・浅間山の噴火による噴出物などの土砂がたまったのち、それらが平安〜室町時代の寒冷期の強い季節風によって吹き溜められ、砂丘が形成されました。 桑崎砂丘は、羽生市から越谷市にかけて点々と分布する中川低地の河畔砂丘群の中では、最上流部の位置にあります。 指定地にある桑崎三神社は、長さ450m、幅50mの砂丘上にあり、本殿の北側では砂丘の高まりを観察する…

  • 愛宕塚 羽生市上新郷

    利根川右岸(南岸)の古墳巡りの続き。 愛宕塚、円墳、墳頂に愛宕神社、文献[1] 松並木 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「 埼玉県古墳詳細分布調査報告書 」 にほんブログ村

  • 浅間塚 行田市須加

    利根川右岸(南岸)の古墳巡りの続き。 浅間塚、前浅間塚の北170m、円墳、径20m、塚の可能性あり、文献[1] 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「 埼玉県古墳詳細分布調査報告書 」 にほんブログ村

  • 前浅間塚 羽生市上新郷

    利根川右岸(南岸)の古墳巡りの続き。 前浅間塚、円墳、墳頂に浅間神社、文献[1] ほ場整備竣工記念碑 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「 埼玉県古墳詳細分布調査報告書 」 にほんブログ村

  • 愛宕神社古墳 行田市荒木

    利根川右岸(南岸)の古墳巡りの続き。 愛宕神社古墳、円墳、径20m、墳頂に愛宕社、文献[1] 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 大稲荷4号墳 行田市須加

    行田市の北部、利根川右岸(南岸)の古墳巡りの続き。 大稲荷4号墳、円墳、規模不明、埴輪、雷電社を祀る、文献[1] 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 酒巻古墳群 (その3) 行田市酒巻

    酒巻古墳群の続き。 酒巻3号墳、円墳、規模不明、土師器、横穴式石室、文献[1] 酒巻1号、前方後円墳、全長46m、直刀・刀子・鐔・鉄鏃・耳環・土師器・須恵器・埴輪、横穴式石室、文献[1] 酒巻2号墳、円墳、規模不明、埴輪、文献[1] 酒巻15号、前方後円墳、全長34.2m、埴輪、横穴式石室、周堀確認、文献[1] 酒巻15号墳 酒巻15号墳は、6世紀後半に築かれた直径約34.2mの前方後円墳です。太刀形埴輪、靭形埴輪、鞆形埴輪といった武具の形をした器財埴輪6点が、石室入口前面の周溝からまとまって出土しました。そのほかにも、人物埴輪、円筒埴輪、土器などが数多く出土しています。 出土した器財埴輪は残…

  • 酒巻古墳群 (その2) 行田市酒巻

    酒巻古墳群の続き。 酒巻8号墳、前方後円墳、全長27m、埴輪・土師器・須恵器、横穴式石室、墓前祭祀跡検出、文献[1]、交差点の先の道路上で前方部を手前に向ける 酒巻8号墳 酒巻8号墳は、6世紀前半に築かれた全長約27mの前方後円墳です。 前方部と後円部の境目付近から、須恵器の甕や土師器の高杯などの土器がまとまって出土し、ここで何らかの儀式が行われたと思われ ます。古墳の一部でこうした儀式を行う行為を墓前祭祀と言います。 酒巻8号墳の墓前祭祀の様子は、行田市郷土博物館で復原展示されています。 酒巻6号墳、円墳、径15m、鉄鏃・埴輪、横穴式石室、文献[1]、交差点の右の道路上で後円部を左に向ける …

  • 酒巻古墳群 (その1) 行田市酒巻

    利根川右岸(南岸)の田んぼの下に保存されている酒巻古墳群を探索。 酒巻古墳群 酒巻(さかまき)古墳群は、利根川右岸のここ行田市酒巻地区に、今から1400〜1500年前の6世紀初頭〜7世紀前半頃(古墳時代後期)に築かれた古墳群です。これまでに前方後円墳3基、帆立貝型前方後円墳1基、円墳19基の計23基の古墳が確認されていて、ほぼ確認された順に酒巻1〜23号墳とされています。 古墳は古代の権力者・有力者の墳墓で、その大きさが古墳を築いた権力者の力の大きさを表していると考えられています。酒巻古墳群は、全長(墳丘長) あるいは直径(周溝内径)が9〜46mの小型・中型の古墳からなる古墳群で、宅地遺跡など…

  • 斎条1号墳(剣神社古墳) 行田市斎条

    何日か前の「観光物産館さきたまテラス」の続き。さきたま古墳公園をあとにして、行田市の北部、利根川右岸(南岸)の古墳を探索。 斎条1号墳(剣神社古墳)、円墳、径40m、埴輪、墳頂に剣神社、文献[1] ぎょうだ歴史系譜 100話 - 行田市/行田の神々⑳ 剣神社(斎条) 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 下野谷遺跡 西東京市東伏見

    鈴木遺跡の現地説明会の前に西東京市の下野谷遺跡公園に寄り道。 国史跡 下野谷遺跡(したのやいせき) 躍動の舞台 下野谷遺跡の昔と今 下野谷遺跡とは 武蔵野台地のほぼ中央、石神井川の南岸の高台にある、3万年近く前の旧石器時代から近代に至る長い歴史が刻まれた遺跡です。 下野谷遺跡の発見 戦前から土器が見つかっていましたが、正式な発掘調査は1973年から行われました。その後の調査・研究の結果、今から5,000年から4,000年前の縄文時代中期には、石神井川流域の拠点となるような大集落が1,000年間にもわたり、存在していたことがわかりました。 下野谷遺跡の範囲と2つの集落 「双環状集落」 下野谷遺跡…

  • 小金井公園 梅園 小金井市関根町、桜町

    鈴木遺跡の現地説明会の前に小金井公園の梅園とSLに寄り道。 豊後(ぶんご) 見驚(けんきょう) 江戸東京たてもの園 SL展示場 にほんブログ村

  • 鈴木遺跡 現地説明会 (3/9) 小平市回田町

    鈴木遺跡保存管理等用地(旧農林中央金庫研修所跡地)確認調査の現地説明会に参加した。鈴木遺跡は日本における後期旧石器時代の代表的な遺跡の一つで、2021年3月26日に国史跡に指定され、2023年3月に国史跡鈴木遺跡保存活用計画が策定された。鈴木遺跡保存管理等用地は、貴重な鈴木遺跡の保存・保護と活用を前提に、2014年3月に、農林中央金庫から旧研修所の北側部分(研修棟、テニスコート、プール跡地)を寄付された。 鈴木遺跡は、武蔵野台地のほぼ中央を東西に流れる石神井川の最上流部に位置する後期旧石器時代遺跡(約38,000年前〜16,000年前)で、石神井川のかつての谷頭部、標高約75メートルに立地する…

  • 「装飾付大刀の刀装具」 明治大学博物館

    明治大学博物館の考古部門のミニ展示、明大コレクション56「装飾付大刀の刀装具を鑑賞した。鉄製大刀は弥生時代中期に日本列島に伝わって以来、武器としてだけではなく、威信財など様々な意味を持つものとして扱われてきた。古墳時代には「装飾付大刀」と呼ばれる、柄や鞘に装飾が施された大刀の一群が出現する。本展示では、明治大学博物館が所蔵する古墳時代の刀装具に注目し、装飾付大刀の系譜とその盛衰、古墳時代における大刀の社会的な役割について紹介する。会期は2024年1月13日(土)~4月13日(土)。 明大コレクション56「装飾付大刀の刀装具」 開催のお知らせ 明治大学 考古部門コレクション展「装飾付大刀の刀…

  • 榧園好古図譜 國學院大學博物館

    神奈川県立歴史博物館から國學院大學博物館にハシゴして、開催中の企画展「榧園好古図譜ー北武蔵の名家・根岸家の古物(たから)ー」を鑑賞した。「榧園好古図譜」は「ひえんこうこずふ」と読む。根岸武香の蒐集品に関する図譜で、昭和30年代を境に行方不明だった。本展では、近年、再発見されたこの図譜を現物資料と共に初公開。 根岸武香とその父・友山は、北武蔵冑山村(現 埼玉県熊谷市)の名家「根岸家」当主で、著名な好古家(こうこか)として知らる。武香は、県会議員、貴族院議員として活躍する傍ら、好古家としても活動し、明治10(1877)年に黒岩横穴群を発掘。明治20(1887)年に東京帝国大学の大学院生坪井正五郎と…

  • 華ひらく律令の世界 神奈川県立歴史博物館

    神奈川県立歴史博物館で開催中された「令和5年度かながわの遺跡展 華ひらく律令の世界」を会期の最終日に鑑賞した。最終日の直前に川崎市の白山古墳出土の三角縁神獣鏡が展示されていると知り、慌てて日程調整してなんとか最終日で滑り込みで鑑賞することができた。残念だったのは、好評だった無料頒布のパンフレットが最終日の早い時間で品切れとなり貰えなかったこと。PDFで公開予定とのことで期待している。 川崎市の白山古墳は4世紀後半頃に築かれた武蔵国でも最も古い大形の前方後円墳。全長87m。1937年に発掘調査され、遺体を安置した主体部からは鏡類・玉類・鉄器類など多量の副葬品が発見された。多摩川流域では唯一の「初…

  • 高谷川低地遺跡出土遺物見学会 (2/17) 千葉県教育振興財団横芝作業所

    千葉県埋蔵文化財センター主催で2月17日に横芝光町高谷川低地遺跡出土遺物見学会に参加した。圏央道建設に伴う発掘調査で、栗山川上流の高谷川(たかやがわ)右岸に位置する標高約4mの低地に形成された高谷川低地遺跡から2か所の丸木舟集中地点が検出され、全体の分かる丸木舟が合計15艘出土。今回の見学会では、11艘の丸木舟が検出された北部丸木舟集中地点SX-001の丸木舟108を展示。丸木舟108は4分割されて大きなトロ箱で水に浸けた状態で保存されていた。この後、化学的な保存処理が施されるとのこと。また、丸木舟のほか約3,500年前の縄文時代後期(加曽利B式)の土器や、漆塗りの櫛や、樹皮を巻きつけた弓など…

  • 公開シンポジウム「土偶研究の新展開~資源利用史と土偶祭祀~」 明治大学グローバルホール

    明治大学 駿河台キャンパス グローバルフロント1階 グローバルホールで、3月2日に開催され明治大学資源利用史研究クラスター(研究代表者:阿部芳郎 文学部専任教授)主催の研究成果公開シンポジウム「土偶研究の新展開~資源利用史と土偶祭祀~」に参加(聴講)した。 資源利用史研究クラスターは、2017年4月に特定課題研究ユニット日本先史文化研究所を母胎として組織され、ヒトが自然物をどのように有用化(資源化)したのかという視点を設け、資源利用史というキーワードを用いた学際的研究を進めているとのこと。本シンポジウムでも「ヒトの人化」が一つのテーマになっていた。プログラムは8件の発表と、総合討論で、発表者の…

  • 観光物産館さきたまテラス 行田市佐間

    昨年4月にオープンした「観光物産館さきたまテラス」に、初めて営業時間に訪れて、昼食をゲット。秩父屋のお稲荷さん美味しかった。 観光物産館さきたまテラス 埼玉県行田市観光ガイド - 行田市観光NAVI さきたまテラスはオープン前から気になっていた。 ここは以前、『元祖 田舎っぺ さきたま古墳店』があった場所 朝早く公園に着いたので、朝日を浴びた公園の写真を撮影。 公園と浅間神社までの通り(古墳通り)の歩道の装飾。 にほんブログ村

  • 将軍山古墳 (再訪) 行田市埼玉

    将軍山古墳と将軍山古墳展示館を再訪。 将軍山古墳 全長90mの前方後円墳です。明治27年(1894年)に横穴式石室が発掘され、多数の副葬品が出土しました。この石室には、千葉県富津市付近で産出する「房州石」が用いられており、古墳時代の関東地方における地域交流を考える上で重要な古墳です。 周囲には長方形の堀が中堤をはさんで二重に巡り、後円 部と中堤には造出しと呼ばれる張り出しがあります。稲荷山古墳・二子山古墳と同じ形態です。古墳の造られた時期は、出土した遺物から6世紀後半と推定されています。 平成21年(2009年) 3月 埼玉県教育委員会 菜の花 将軍山古墳 - 埼玉県立さきたま史跡の博物館 に…

  • 天王山古墳、ボッチ山、他 行田市埼玉

    天王山古墳(埼玉1号墳)跡と円柱の標識(埼玉7号墳?)を再訪。ボッチ山の跡地を探索した。 天王山古墳(埼玉1号墳)の跡地? 円柱の標識(埼玉7号墳?) ボッチ山の跡地? 二子塚の前方部の先に「将軍塚/稲荷山/ボッチ山」「入口」と刻まれた石標がある。 (右側) 﨑玉村 (正面) 史蹟 将軍塚/稲荷山/ボッチ山 入口 (左側) 昭和十四年六月建立 にほんブログ村

  • 旧藩主松平家の墓

    天祥寺の墓地にある旧藩主松平家の墓をお参り。 行田市指定文化財 旧藩主松平家の墓 昭和47年11月9日指定 ここ海東山天祥寺は、忍城主松平下総守家の菩提寺で、文政6年(1823)に松平家が桑名城より忍城に移った後にこの地に移転されました。 この墓地には、向かって右側から松平家9代忠堯(ただたか)、11代忠国(ただくに)、12代忠誠の3代の忍城主の墓が並んで建てられています。 9代松平忠堯は、忍城に移った時の当主で、桑名から天祥寺、東照宮などを移転し、天保7年(1836)には藩校進修館を再興するなど、家と家臣団の忍城への移転を見事に遂行しました。 11代松平忠国は、天保13年(1842)に幕府の…

  • 瓦塚古墳 (再訪) 行田市埼玉

    瓦塚古墳を再訪。 外堀・中堤・内堀 造出し・内堀・中堤・外堀・ブリッジ 瓦塚古墳 全長73mの前方後円墳です。他の前方後円墳と同じく周囲には長方形の堀が二重に巡り、墳丘のくびれ部には道出しと呼ばれる張り出しがあります。また、造出し正面の外堀には、通路と見られるブリッジ状の掘り残しがあります。 整備に先立つ発掘調査の結果から、その周辺の中には、縁を弾く男子、踊る男女、武人などの人物埴輪、盾形埴輪、家型埴輪など多種の埴輪が立て並べられていたと推定されています。 「墳丘内部は未調査であるため、埋葬施設の形や大きさ、副葬品の内容など詳しいことはまだ分かっていません。古墳の造られた時期は、出土した遺物か…

  • 中の山古墳 (再訪) 行田市渡柳

    中の山古墳を再訪。 中の山古墳 墳丘全長推定79m、6世紀末から7世紀初頭の前方後円墳で、埼玉古墳群で造られた最後の前方後円墳です。発掘調査の範囲が限られているため、墳丘の規模や埋葬施設、周堀の範囲などが定かではありませんが、二重の周堀が巡り、南側の外堀は戸場口山古墳の外堀に壊されていることが明らかになっています。また、かつて墳丘から石棺が発見され たという伝承も残されています。 埼玉古墳群の前方後円墳の中では唯一、須恵器生産の方法でつくられた底のない壺のような形をした埴輪が古墳の周りに並べられていました。これらの須恵質埴輪は、全国的にも例が少ないもので、埼玉古墳群から約30km離れた埼玉県北…

  • 鉄砲山古墳 (再訪) 行田市埼玉

    鉄砲山古墳を再訪。 鉄砲山古墳 墳丘全長107.6m、横穴式石室をもつ6世紀後半の前方後円墳で、埼玉古墳群では3番目の規模を誇ります。古墳の名前は、江戸時代に忍藩が砲術訓練場(角場)として墳丘を利用していたことに由来しています。 墳丘は二段築成で、中段のテラスなどには最大で9条の突帯をもつ大型の円筒埴輪が並べられていました。墳丘の周囲には、他の古墳と同様に方形の二重周堀が巡ります。さらに、外堀の北西側では古墳の堀とみられる遺構も確認されています。また、外堀の南西側は、鉄砲山古墳よりも古い時期に造られた奥の山古墳の外堀に接するとみられています。古墳が密集し土地が限られていても、他の古墳と同じよう…

  • 奥の山古墳 (再訪) 行田市渡柳

    奥の山古墳を再訪。 奥の山古墳 - 埼玉県立さきたま史跡の博物館 奥の山古墳の前方部の先のエリアが拡張工事中 ヤブツバキ ヤブツバキ 河の辺の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は 春日蔵首老(巻①五六) にほんブログ村

  • 二子山古墳 (再訪) 行田市埼玉

    二子山古墳を再訪。墳頂の盗掘坑を塞ぐ土嚢は見えなくなった。処置済み? 二子山古墳 全長138mの前方後円墳です。かつての「武蔵国」(埼玉県、東京都、神奈川県の一部にあたる)で最大の古墳です。 周囲には、長方形の堀が中堤をはさんで二重に巡り、墳丘くびれ部と中堤には造出しと呼ばれる張出しがあります。現在遊歩道になっている高まりが中堤にあたります。内堀は、今は水堀になっていますが、古墳が築造された当時は水はなかったと考えられています。 本格的な発掘調査はされていないため、埋葬施設の形や大きさ、副葬品の内容など、詳しいことはまだわかっていません。出土した埴輪の形から、古墳の造られた時期は、6世紀初め頃…

  • 浅間塚古墳 (再訪) 行田市埼玉

    浅間塚古墳を再訪(4回目の訪問)。毎回、見逃してしまう若王子古墳の石室の石材を使用したという忠魂碑をやっと見学した。 前玉神社の石鳥居/行田市 浅間神社 前玉神社 行田市指定文化財 石燈籠 昭和42年3月10日指定 この石段の登り口にある高さ2m、2基一対の石燈籠は、元禄10年(1697)10月15日に、地元埼玉村(現在の行田市埼玉地区)の氏子一同が奉納したものです。 本殿に向かって左側の石燈籠には、「前玉之 小埼乃沼尒 鴨會翼霧 己尾尒 零置流霜乎 掃等尒有斯(前玉の小埼の沼に鴨ぞ翼きる 己が尾に降り置ける霜を掃うとにあらし)」と『万葉集』9巻-1744の「小埼沼」の歌が、右側の石燈籠には「…

  • 北大竹遺跡 行田市若小玉

    愛宕山古墳発掘調査見学会の前に時間あったので、行田市若小玉の北大竹遺跡を訪れた。 第18次調査のA区(調整池)は、調整池の工事が佳境だった。 大量の勾玉が見つかった第18次調査のB区は、水路と道路を整備中だった。 C区は?塀の内側?外側? 北大竹遺跡第18次 (行田市) 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 令和2年度 遺跡見学会 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 北大竹遺跡特別公開 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 文献 [1] 公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 2022 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書477:北大竹遺跡』公益財団法人埼玉県埋蔵文化財…

  • 愛宕山古墳発掘調査見学会 (2/10) 行田市埼玉

    2月10日に開催された埼玉(さきたま)古墳群の愛宕山古墳の発掘調査の現地説明会に参加した。写真撮影は個人利用に限りOKでSNSへの投稿は禁止とのことなので、差し障りのなさそうな写真に限定する。 愛宕山古墳 全長53m、埼玉古墳群の中でもっとも小さな前方後円墳です。 最小ではありますが、他の前方後円墳と同じく、周囲には長方形の堀が二重に巡ることが、発掘調査により確認されました。墳丘内部は未調査であるため、埋葬施設の形や大きさ、副葬品の内容など詳しいことはまだ分かっていません。 出土した遺物は、円筒埴輪のほか、人物・大力・盾・蓋(貴人の傘)などを表現した形象埴輪があります。円筒埴輪は、高さが40c…

  • YELL いきものがたり

    卒業シーズンなので、いきものがたりのYELL。歌詞が沁みる。 いきものがかり YELL 歌詞 - 歌ネット 2月5日のふーちゃんのしょるむ見た人だけわかる投稿。 こんなに幸福感しかないクリスマス初めてかも....今からレッスンだからクリスマスらしいことは何も出来ないけど、世界一幸せなクリスマス過ごしてます本当に。ラフり隊のみんなありがとう🥹🤍#ラフラフ3rdワンマン #ラフラフ pic.twitter.com/3aGH7BO6OX — 佐々木楓菜(ふーな) (@sasaki_fuuna) 2023年12月25日 そういえばワンマン前に結構髪の毛短くなったんだよー!気づいてくれた人いたかな?✂️…

  • 古凍古墳群(No.156古墳、東町1号墳) 東松山市古凍

    古凍古墳群の続き。 古凍19号墳(東町1号墳)、円墳、径15.5m、文献[1][2] 古凍30号墳(No.156古墳)、円墳、径10m、文献[1] 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会 にほんブログ村

  • 古凍古墳群(かんべ塚古墳、No.333古墳) 東松山市古凍

    古凍古墳群の続き。 古凍25号墳(No.333古墳)、円墳、規模不明、文献[1] 古凍26号墳(かんべ塚古墳)、円墳、規模不明、文献[1] 土器片?埴輪? 辻切り? 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会 にほんブログ村

  • 古凍古墳群(根岸裏12号墳、 No.144,146古墳、山下9号墳) 東松山市古凍

    古凍古墳群の続き。 古凍12号墳(根岸裏12号墳、亀塚古墳、亀ノ甲塚)、円墳、規模不明、周堀確認、文献[1] 古凍16号墳(No.146古墳)、円墳、径11.4m、文献[1] 古凍17号墳(山下9号墳)、円墳、規模不明、文献[1] 古凍18号墳(No.144古墳)、円墳、規模不明、文献[1] 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会 にほんブログ村

  • 古凍古墳群(根岸裏4,14,15号墳) 東松山市古凍

    根岸稲荷神社古墳の次に古凍古墳群を探索。古凍古墳群は、松山台地が南に大きく突き出し、西に都幾(とき)川、東に市野(いちの)川をのぞむ舌状台地に所在する古墳群で、12基が現存する(文献[2])。 古凍4号墳(根岸裏4号墳)、円墳、31m、土師器・埴輪、周堀確認、文献[1][2][3][4] 古凍14号墳(根岸裏14号墳)、円墳、15.8m、馬具・土師器・須恵器、墳裾土壙から壺鎧出土、周堀確認、文献[2][3][4] 古凍15号墳(根岸裏15号墳)、円墳、規模不明、埴輪、文献[2] 文献 [1] 公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 1984 『埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書37:古凍根岸裏2…

  • 根岸稲荷神社古墳 (再訪) 東松山市古凍

    根岸稲荷神社古墳(古凍20号墳)を再訪。前回は前方部の方角を把握していなかったので、今回は、前方部を意識して観察したが、なかなか難しい。 吉祥寺 八幡宮 根岸稲荷神社古墳 富士山 土器片?埴輪片? 東松山市「根岸稲荷神社古墳」。現状は20mの方墳。短い前方部がつくらしい。前方後方墳だが見てもわからない。吉ヶ谷系の壷形土器が出ているので東松山市で最古。埼玉県で最古かも知れない。三角縁神獣鏡と関連する高坂8号墳と墳形も似ている。東松山市の前期古墳の伝統が続いているのかな。 pic.twitter.com/6FqGv7F0kD — 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年9月18日 …

  • 特別展「鹿嶋の古墳を歩く」 ミニ博物館ココシカ

    茨城県鹿嶋市の鹿島神宮の大鳥居のすぐ近くのミニ博物館ココシカにて開催中の特別展「鹿嶋の古墳を歩く」が2月25日までということで、急遽、訪れ鑑賞した。どきどきセンター所蔵の遺物が展示。 ミニ博物館ココシカ 鹿嶋の古墳を歩く : ココシカ日記~茨城県鹿嶋市~ 12月23日~2月25日特別展「鹿嶋の古墳を歩く」鹿嶋市どきどきセンター提供 pic.twitter.com/DEodOR9YRm — ミニ博物館ココシカ (@minicocoshika) 2023年12月24日 ミニ博物館ココシカにて特別展「鹿嶋の古墳を歩く」が行われており、どきどきセンター所蔵の遺物が展示されています!2月25日まで。皆様…

  • 山王樋管 川島町正直

    長楽用水路の山王樋管。 山王樋管 埼玉県川島町 山王樋管。 水辺の土木遺産 長楽用水路 ②(埼玉県川島町) - 四季・めぐりめぐりて にほんブログ村

  • 山王1号墳 川島町正直

    川島町正直の日枝神社の社殿裏に山王1号墳(円墳、規模不明、自然堤防・神社境内、文献[2])がある。川島町正直は、市野川と都幾川の間の低地に位置する水田地帯。自然堤防上に集落が存在。正直は雑色(ぞうしき)の当て字で、地名は雑色(律令制の下級役人)が居住していたことに由来するとのこと。 山王1号墳 文献[4]によると「1979(昭和54)年、熊野神社古墳の荒川をはさんだ対岸低地、川島町正直字山王日枝神社前町道下で農業用水管埋設工事が行われ、地下約3mの地点から碧玉管玉の工程品106点、碧玉釧の工程品1点、勾玉凹面研磨用砥石1点が出土」とのこと。2019年に土浦市立考古資料館で開催された企画展「常陸…

  • 吹塚古墳 川島町吹塚

    桶川市の原山古墳群の次に川島町の吹塚古墳を訪れた。吹塚古墳は、氷川神社の境内にあり、墳頂に祠を祀る。文献[1]によると「吹塚古墳(御嶽山古墳)、方墳、一辺35m、自然堤防・畑・神社境内」 富士山 JA埼玉中央 川島農産物直売所 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 [2] 塩野博 2004「埼玉の古墳 比企・秩父」さきたま出版会 にほんブログ村

  • オーディションが繋いだ心友『TopYellNEO2023〜2024』

    本ブログは墳活(古墳巡り)のブログとして7年前にスタートした。昨年の今頃、YouTubeきっかけで、あるアイドルグループの推し活を始めた。そのアイドルグループは、テレビプロデューサーの佐久間宣行さんがプロデュースする「ラフxラフ」という9人組のグループで、私の推しは佐々木楓菜さん。昨年12月28日発売の雑誌『TopYellNEO2023〜2024』にラフxラフの佐々木楓菜さんとPeel the Appleの 広島世那さんのグループの垣根を超えた対談企画が掲載されたので購入。とてもエモいお話のなでブログで紹介する。 〔掲載情報🪄〕12月28日(木)発売「TopYell NEO 2023-2024…

  • 日本武道館 千代田区北の丸公園

    日本武道館に寄ったら「赤えんぴつin 武道館」をやってた。バナナマンのコントから誕生したフォークユニット。初の武道館2日間公演の初日。 旧江戸城田安門 重要文化財 旧江戸城田安門 昭和36年6月7日指定 江戸城は、長禄元年(1457)に太田資長(道灌)によって創られたとされる。天正18年(1590)德川家康の居城となり、文禄元年(1592)から大規模な改修が実施され慶長12年(1607)に天守閣が、寛永13年(1636)に総構が完成し、大城郭としての形が整えられた。その後、明暦3年(1657)をはじめ、数度の大火に見舞われものの、城郭の規模は幕末までほぼ維持された。 田安門は、北の丸北部に位置…

  • 千鳥ヶ淵さんぽみち 千代田区北の丸公園

    半蔵門の英国大使館から、千鳥ヶ淵さんぽみちをお散歩。 半蔵門 半蔵濠 「千鳥ヶ淵さんぽみち」のご案内|皇居外苑|国民公園|環境省 「千鳥ヶ淵さんぽみち」を歩いてみよう! : 皇居外苑 一般財団法人国民公園協会 千鳥ヶ淵陣地九八式高射機関砲台跡 「千鳥ヶ淵高射機関砲台座跡」(千代田区・千鳥ヶ淵) – 東京地評 旧近衛師団司令部庁舎 閉館しました Closed 東京国立近代美術館工芸館は2020年2月28日で東京での活動を終了し、2020年夏、石川県金沢市へ移転します。 42年間、誠にありがとうございました。工芸館は、通称・ 国立工芸館として新たに活動がはじまります。 旧近衛師団司令部庁舎 -…

  • 英国大使館 千代田区一番町

    英国大使館の付近を散策した。 英国大使館 サトウ公使植桜の地 サトウ公使植桜の地 アーネスト・サトウ(1843〜1929)はイ ギリス出身の外交官です。幕末に通訳官・書記官として来日し、流暢な日本語を生かして討幕派だけでなく佐幕派とも広い交友関係を作りました。明治維新後、1870年(明治3年)に東京のイギリス公使館に赴任し、その後、バンコクやモロッコなどで公使を務め、1895年から1900年(明治28年〜33年)には日本公使に任じられました。 1898年、サトウは英国公使館(現在の英国 大使館)前の空地に桜の木を植え、東京府に寄付しました。のちに、それが見事な桜並木となり多くの人々に親しまれま…

  • 英国大使館跡・遺跡見学会 千代田区一番町

    昨年12月に「英大使館跡地から弥生時代の集落 説明会開かずマンション建設へ」と報じられて議論になった東京都千代田区の英国大使館の南側「英国大使館跡」の発掘調査の遺跡見学会に参加した。縄文時代から近世までの複合遺跡。発掘対象は1区から3区に区間を分け、昨年12月に「縄文時代のものも含めこれまでに竪穴住居跡が28棟確認」「弥生時代後期前半(1~2世紀)の竪穴住居跡は21棟」「遺跡として現地に残すことは難しい見込み」「調査後に埋め戻されてマンション建設が始まる予定」「現地説明会も開かれない」と報じられたのは、1区の調査で、調査はすでに終了して埋め戻され、現在調査中の2区と3区の調査で発生する掘り返し…

  • 原山古墳群 (その5) 桶川市川田谷

    原山古墳群の続き。 原山9号墳、円墳(径35m、埴輪、主体部不明、文献[1]) 2022年に桶川市歴史民俗資料館で開催された企画展示「川田谷古墳群と栗原司氏の足跡」の資料に加筆。 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 原山古墳群 (その4) 桶川市川田谷

    原山古墳群の続き。 原山7号墳、円墳(径11m、主体部不明、文献[1]) 原山8号墳、円墳(径61m、主体部不明、文献[1]) 原山6号墳、円墳(径12m、主体部不明、文献[1]) 2022年に桶川市歴史民俗資料館で開催された企画展示「川田谷古墳群と栗原司氏の足跡」の資料に加筆。 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 原山古墳群 (その3) 桶川市川田谷

    原山古墳群の続き。 原山5号墳、円墳(径30m、埴輪、石材露出(横穴式石室)、文献[1]) 2022年に桶川市歴史民俗資料館で開催された企画展示「川田谷古墳群と栗原司氏の足跡」の資料に加筆。 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 原山古墳群 (その2) 桶川市川田谷

    原山古墳群の続き。 原山2号墳(左)、4号墳(右) 原山2号墳、円墳(径14m、横穴式石室、文献[1]) 原山4号墳、円墳(径13m、石材露出(横穴式石室)、文献[1]) 原山1号墳、円墳(径13m、横穴式石室、文献[1]) 原山3号墳、円墳(径13m、横穴式石室、文献[1]) 2022年に桶川市歴史民俗資料館で開催された企画展示「川田谷古墳群と栗原司氏の足跡」の資料に加筆。 文献 [1] 埼玉県教育委員会 1994「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」 にほんブログ村

  • 原山古墳群 (その1) 桶川市川田谷

    権現遺跡・二ノ耕地遺跡見学会の前に桶川市川田谷の川田谷古墳群の北部にあたる原山古墳群を探索した。 川田谷古墳群は、6世紀から7世紀にかけて築かれ、かつては70基以上の古墳があったとされる北足立地方では最大級の古墳群で、江戸時代の地誌である 『新編武蔵風土記稿』 の記述にも古墳の存在を示す記事が見られ、明治28年に地元住民によって発見された埴輪が学会に報告されている。これらの古墳の多くは消滅し、現存する古墳は原山古墳群などわずか。 原山古墳群 所在地 桶川市川田谷 桶川市川田谷地区の荒川に面する台地の上には、かつて多くの古墳があったが、その多くは開墾され畑などになり、その姿を消してしまった。 し…

  • 三ノ耕地遺跡 (再訪) 吉見町久米田

    権現遺跡・二ノ耕地遺跡見学会の後で、三ノ耕地遺跡を再訪。 正面の丘陵に山の根古墳群が所在する。 県道の拡幅工事中 三ノ耕地遺跡(さんのこうちいせき) 三ノ耕地遺跡は吉見丘陵の眼下に広がる沖積地内の自然堤防上に立地しています。発掘調査は土地改良事業に伴い平成8〜9年度の2ヵ年にわたり実施されました。 ここで発見された水場遺構は、縄文時代晩期(約2,500年前)のもので全国的にも発見例の少ない貴重な遺構です。その規模は南北13.5m、東西7.3m、深さ1.8mの細長い楕円形を呈しています。主に木の実(トチノミ・クルミ・クリ)など堅果類の虫殺し・アク抜きのための“水さらし”を行った場所です。多量の木…

  • 権現遺跡・二ノ耕地遺跡見学会 吉見町久保田

    埼玉県教育委員会、(公財)埼玉県埋蔵文化財調査事業団主催の令和5年第4回 遺跡見学会に参加した。見学会で公開された遺跡は吉見町の権現遺跡第2次調査(第3地点)で、主要地方道東松山鴻巣線の拡幅に伴う発掘調査が行われている。古墳時代前期の溝跡から土師器が出土していた。ニノ耕地遺跡第3次調査(第3・4次地点)はすでに発掘調査は終了して埋め戻されていた。予約した時間より少し早めに受付したら1つ前の回に参加することができて、なんとオヤコフンさんと同じ回だった。写真撮影はOKだけどSNSへの投稿はNGとのことだったけど、吉見町議会議員さんが写真をXにあげている。特別に許可出てるのかな?説明してないのかな。…

  • 掘る女 縄文人の落とし物

    CINEMA Chupki TABATAで映画「掘る女 縄文人の落とし物」を上映中。 先日まで映画「縄文にハマる人々」を上映していた。 2月4日のトークゲストは、、、わたくしでございます🤗なにをお話ししようかな🤔土器とか移植ゴテ持っていっちゃおうかなー。 https://t.co/8WCxybRPeY — 今井しょうこ@新刊「マンガでめぐる考古遺跡・博物館 (@tanu_ima) 2024年1月16日 pic.twitter.com/vm9ssWirie — ぶじん(かんれき) (@kufunmeguri9) 2024年1月17日 2月1日から、「掘る女」上映となります。縄文祭りですね😍! —…

  • 祝🎊 SLIM再起動

    月面着陸のときに太陽発電パネルが西を向いて発電できずにバッテリーが0%になる前に電源オフで休眠状態になっていたJAXAの小型月着陸実証機SLIMが再起動したよ。SLIMの太陽発電パネルに西陽が届いた。 SLIMからの電波を、AMSAT-DL(ドイツのアマチュア衛星通信協会)が日本時間1月29日午前4時11分12秒から午前4時32分36秒まで捉えたそうです!復旧したかどうかはJAXAから発表がないとわかりませんが、楽しみですね! https://t.co/aSqKOC5mMr — 藤井大地 (@dfuji1) 2024年1月28日 昨晩SLIMとの通信を確立することに成功し、運用を再開しました!…

  • 祝🎉 月面ピンポイント着陸

    JAXAの小型月着陸実証機SLIMが、100m精度のピンポイント着陸技術を実証。めでたい🎉🎉🎉 タカラトミーとソニーが開発したLEV-2(SORA-Q)が撮影したSLIMの写真は感動的。マルチバンド測定の成果も楽しみ。 小型月着陸実証機 SLIM 科学衛星・探査機 宇宙科学研究所 小型月着陸実証機 SLIM ISAS/JAXA 変形型月面ロボット 今夜、日本の小型月着陸実証機SLIMがいよいよ月面に着陸します。着陸場所はテオフィルスとキリルスという、雪だるまのようにくっついたクレーターの首元にある、シオリ・クレーター(ピンク色の点の位置)付近です。1月20日0時頃から降下を開始し、…

  • 半導体の歴史学 Newsweek(2023/8/29号)

    ニューズウィーク日本語版の2023年8月29日号の特集『半導体の歴史学』を読了。 スペシャルレポート「半導体を知るためにはその歴史を学べ」では、1957年のスプートニク・ショックに端を発し、宇宙開発競争の開始、コンパクトで信頼性の高い電子部品として半導体開発が加速、1969年にアポロ11号が月面着陸、1973年のオイルショック、ベトナム戦争で米軍が南ベトナムから撤退、1980年代までに半導体製造で日本がアメリカを抜き世界一に、プラザ合意(1985年)による円高、日米半導体摩擦・日米半導体協定締結(1986年)、台湾TSMC創業(1987年)、日本のバブル崩壊(1991年)、ソ連崩壊・冷戦終結(…

  • 半導体有事 湯之上隆

    文春新書「半導体有事」を読了。筆者はジャーナリストの湯之上隆さん。2023年4月発行。帯には「米中戦争の引き金になる!」「日本は再び失敗を繰り返すのか?」とセンセーショナルな煽りが並ぶ。まだ、記憶に新しい2021年に世界的な半導体不足により自動車の製造ラインが止まるなど社会問題となり、突然、世間が「半導体」に注目するようになった。日本では、台湾のTMSCの工場(28nm/22nm)を熊本に誘致、新会社「ラピダス」を設立して北海道で2nmの先端半導体の量産を目指すなど、にわかに半導体ブームが起きている。本書は、1章で米国が2022年10月に発表した対中輸出規制、その背景として2020年にTSMC…

  • 篠田館長スペシャルトーク(1/13) 国立科学博物館

    1月13日に国立科学博物館で開催された篠田館長スペシャルトークを聴講。演題は「ゲノムが解明する日本人の成り立ち」で、2018年から2023年に実施された研究プロジェクト「ヤポネシアゲノム」の成果を紹介。日経サイエンス2024年2月特大号の特集「DNAが語る古代ヤポネシア」で紹介された内容を解説していただいた。質疑応答で、核ゲノムの完全なデータまで解析できたのは縄文人5体(89体中)、弥生人0体(92体)とのことで、縄文人より弥生人の解析が困難な理由はとの質問に、日本列島の土壌が酸性であること、縄文時代はアルカリ性土壌の貝塚から人骨が出土すること、稲作を伴う弥生時代遺跡は、縄文時代遺跡に比べ温暖…

  • 特集「DNAが語る古代ヤポネシア」日経サイエンス2024年2月特大号

    日経サイエンス2024年2月特大号を購入。特集「DNAが語る古代ヤポネシア」の5本の記事を読了。 2024年2月特大号 - 日経サイエンス 特集:DNAが語る古代ヤポネシア - 日経サイエンス 縄文人の痕跡を現代人に探る - 日経サイエンス ゲノムで見る躍動の弥生時代 - 日経サイエンス アズキ 日本から大陸に渡った作物 - 日経サイエンス 古墳に眠る人々の家族関係 - 日経サイエンス 縄文犬とニホンオオカミの深い関係 - 日経サイエンス 「縄文人の痕跡を現代人に探る」では文献[1]の研究を紹介。日本の現代人ゲノムから縄文人に由来するとみられる変異の保有率で日本本州の各地域差異を調べた。縄文人…

  • カウントダウンプロジェクト 東京都北区

    渋沢栄一の新一万円札発行まであと175日。 新一万円札発行カウントダウンプロジェクト|東京都北区 カウントダウンプロジェクト – 東京北区渋沢栄一プロジェクト にほんブログ村

  • ASUKAYAMAセレクション25 北区飛鳥山博物館

    昨年5月27日から6月25日に北区飛鳥山博物館で開催されたスポット展示「ASUKAYAMAセレクション25」のパンフレットを入手。スポット展示は残念ながら鑑賞していない。ソノシート懐かしい。西ヶ原貝塚出土の異形双口土器(縄文時代後期前半)が気になる。 飛鳥山博物館で報告書等の無料配布中。 https://t.co/Y7tu2uYWCf pic.twitter.com/h06X4DSA6P — ぶじん(かんれき) (@kufunmeguri9) 2024年1月5日 スポット展示「ASUKAYAMAセレクション25」(北区飛鳥山博物館)|東京都北区 \本日から!/本日より開館25周年を記念したスポ…

  • 「来て、見て、知って!昔のくらし」展 北区飛鳥山博物館

    北区飛鳥山博物館で開催中の小学3年生対応展示「来て、見て、知って!昔のくらし」展を鑑賞した。博物館が収集してきた資料のうち、大正・昭和と北区地域に暮らしてきた人々が使用したさまざまな生活用具を約70点と地図、写真などを展示。 令和5年度 小学3年生対応展示「来て、見て、知って!昔のくらし」展(北区飛鳥山博物館)|東京都北区 小学校3年生対象展示「来て、見て、知って!昔のくらし」展2022年度(北区飛鳥山博物館)|東京都北区 【本日から!】小学3年生対応展示「来て、見て、知って!昔のくらし」展オープン!🎊本日は一般公開日です🎊https://t.co/HMaT1qi1r8#くらし展 #昔の道具 …

  • 2023年の古墳巡りのまとめ

    昨年のブログ記事のストックがはけたので、昨年(2023年)の古墳巡りをまとめておく。2023年は、5月の新型コロナ5類移行で、コロナ禍明けが演出され、規制もなくなったが、臆病な私は警戒態勢を解けず、外出時のマスクは手放せない。それでも参加した現地説明会等21件、鑑賞した企画展51件は欲張りすぎ。トピックスは5月の二子塚古墳見学会(山梨県中央市)と及川伊勢宮遺跡第3地点の見学会(神奈川県厚木市)。 一昨年(2022年)末から昨年(2023年)の年始のBA.5の再燃による第8波は、BA.5から派生したBQ.1.1(ケルベロス)や、遺伝子組換え体のXBB(グリフォン)、XBB.1.5(クラーケン)に…

  • 埼玉縄文カード 埼玉県立歴史と民俗の博物館

    埼玉県立歴史と民俗の博物館で埼玉縄文カードの<通常カード001>から<通常カード006>の6枚をゲット。埼玉縄文カードは、 埼玉県立歴史と民俗の博物館で開催中の特別展「縄文コードをひもとく―埼玉の縄文土器とその世界―」の関連事業として、埼玉県立歴史と民俗の博物館と県内7市町の展示施設で各館オリジナルの縄文土器のカードを配布中。 #埼玉縄文カード は配布施設によって配るカードが異なります。歴史と民俗の博物館では特別展をご覧になった方を対象にお配りします。お一人1種類につき1枚まで、つまり6枚までお持ち帰りいただけます。枚数に限りがありますので、お早めに! pic.twitter.com/IaGF…

  • 博物館裏方探検隊 埼玉県立歴史と民俗の博物館

    昨年末、埼玉県立歴史と民俗の博物館で毎週土曜日に開催している博物館裏方探検隊に参加した。普段は見ることの出来ない博物館の裏側を学芸員さんに案内していただいた。普段は13:30から30分程度。この時は特別展開催中だったので14:30からだった。 イベント情報 - 埼玉県立歴史と民俗の博物館 休館中ブログ - 埼玉県立歴史と民俗の博物館 今年3月に横浜市歴史博物館のバックヤードツアーに参加していたので、両館のバックヤードを比較できて面白かった。博物館のバックヤード機能は基本的に同じだった。埼玉県立歴史と民俗の博物館は、昨年12月5日から今年10月13日まで約10ヶ月間、改修工事のため休館だった。博…

  • 干支「芝アート」 荒川区立宮前公園

    今年も荒川区立宮前公園干支「芝アート」を見てきた。 🎍謹賀新年🎍新年あけましておめでとうございます。本年も引き続き、綺麗なガーデンと公園の維持管理に日々努めて参ります。本年も「荒川区立 宮前公園」をどうぞ宜しくお願い致します。宮前公園 管理事務所 pic.twitter.com/w0uSgPxUGh — 荒川区立宮前公園 (@miyamaepark) 2023年12月31日 にほんブログ村

  • 見沼の龍 (再訪) さいたま市緑区大崎

    今年もよろしくお願いします。新年最初のブログ記事は、干支にちなんで見沼の龍。見沼の龍は、昨年5月28日の鴻巣市の宮前遺跡見学会の前に訪れて3代目の龍神・彩を拝見したが、昨年3月11日に開眼式を行った8代目の龍神・マルコは気が付かず見逃した。そこで、昨年12月9日の真福寺貝塚の現地見学会の前に再訪した。 見沼代用水 緑のヘルシーロード・水と緑のふれあいロード 見沼代用水東縁用水路の原型保全区間 見沼代用水路にかかる五斗蒔橋から総持院橋を経る区画には、水路に沿って「緑のトラスト保全第1号地」に指定されている「見沼田圃周辺斜面林」が広がっています。水路の底は土のままで深みを配置するなど水辺の生態系に…

  • 飛鳥山1号墳 (再訪⑤) 北区王子

    年の瀬に飛鳥山1号墳を再訪した。 飛鳥山公園の古墳 飛鳥山1号墳 古墳時代後期の直径31mの円墳。平成元年の調査で周囲には幅 3.8mの周溝が廻ることが確認された。また、平成5年の埋葬施設の調査で、切石を使用した横穴式石室が確認されている。石室は玄室の左側壁の最下段と床石の一部が原位置を留めている他は、大きく壊されていた。石室の形態は残された側壁から「胴張型横穴式石室」と判断できた。石室内からは天力や力子の破片、鉄鏃・耳環・管玉・切小玉・ガラス小玉が出土している。公園内では他にも古墳の周溝が確認されており、古墳群が形成されていたようである。 墳丘に咲く赤い花はサザンカ 冬の季節の #飛鳥山公園…

  • 座王4号墳 石室(移設) かすみがうら市千代田公民館

    かすみがうら市の墳活野続き。かすみがうら市千代田公民館に移設保存されている座王4号墳の石室を見学。 座王古墳群第4号墳 横穴式石室 座王古墳群(発調査時は栗村古墳群)は、かすみがうら市北西部の高倉地区にあり、恋瀬川左岸の台地上に、前方後円墳1基、円慣5基が分布しています。 この石室は、座王古墳群中最大の古墳である4号墳(直徑約30mの円墳)から移築復元したもので羨道部(入口通路)が短く、石室が横長になる特色をもっています。 石室の内部は、板石のしきりにより、中央と左右に区面がつくられ、右脇区から直刀と勾玉が左脇区から直刀が出土しています。左右の阪脇区それぞれに副葬品が納められていたことから少な…

  • 狐塚古墳 かすみがうら市下志筑

    大塚古墳群の狐塚古墳は、現在、墳丘の一部を残すのみで、古墳の形状をとどめておらず、墳形や規模についても不明。埴輪の出土が伝えられているが、所在は不明。市指定史跡。 狐塚古墳 かすみがうら市公式ホームページ にほんブログ村

  • 大塚古墳 かすみがうら市下志筑

    少し前になるが、石岡市立ふるさと歴史館の企画展を鑑賞したときに、かすみがうら市の大塚古墳と狐塚古墳で墳活。 大塚古墳は、県最大の100基程の古墳で構成される大塚古墳群の中心的な古墳で、古墳群の中央に位置する。径37m、高さ3.8m、周堀の幅10mの円墳。市指定文化財。 墳頂から 大塚古墳 かすみがうら市公式ホームページ にほんブログ村

  • 縄文コードをひもとく 埼玉県立歴史と民俗の博物館

    埼玉県立歴史と民俗の博物館で開催中の特別展「縄文コードをひもとく―埼玉の縄文土器とその世界―」を鑑賞した。本展は、埼玉県教育委員会が収蔵する、埼玉県内の発掘調査で出土した縄文土器のうち、時代や地域を特徴づける優品を一堂に展示。縄文土器のはじまりから終わりまで、土器の文様と、隠された縄文人の観念や思想(縄文コード)に注目することで、埼玉の縄文時代に迫る。会期は1月14日まで。 特別展「縄文コードをひもとく」を開催します - 埼玉県 特別展 縄文コードをひもとく - 埼玉県立歴史と民俗の博物館 特別展「 #縄文コードをひもとく ー埼玉の縄文土器とその世界ー」が始まり1週間が経ちました。今回の特別展…

  • 有吉南貝塚 千葉市緑区おゆみ野中央

    「おゆみ野の森」の次に訪れたのは有吉南貝塚。 千葉県重要遺跡百選の内の一 有吉貝塚 この貝塚は直径約100mの典型的な馬蹄形をなしその周辺に縄文時代の原始集落を埋蔵する重要な遺跡である 昭和45年3月31日 千葉市教育委員会 有吉南貝塚 所在地 千葉市緑区おゆみ野中央5丁目2番 有吉南貝塚は、村田川が流れる谷からわかれた2つの谷に挟まれた標高約40mの台地の上にあります。大小8ヶ所の貝層が円形に連なった直径約130mの馬蹄形の貝塚です。近くには、北側約200mのところに有吉北貝塚が有ります。遺跡の一部は、平成8年から平成13年にかけて(財)千葉県文化財センターによって発掘調査が行われ、その様子…

  • 上赤塚古墳群 千葉市緑区おゆみ野中央

    「おゆみ野の森」には上赤塚貝塚だけでなく上赤塚古墳群の2号墳から7号墳が分布する。上赤塚古墳群の1号墳は、径約31mの円墳で、1990(昭和55)年度に実施した千葉東南部地区土地区画整理事業に伴う記録保存の発掘調査で、2基の主体部と、主体部内より石枕・立花・各種農工具類等の副葬品が検出された。上赤塚2号墳 上赤塚3号墳 上赤塚4号墳 上赤塚5号墳 上赤塚6号墳はこの辺り? 上赤塚7号墳 文化財 上赤塚古墳群 上赤塚貝塚の南側には約1,500年前に造られた古墳が7基ありました。台地の南西端にあった最も大きな円墳からは、彫刻文のある石の枕や太刀など多くの副葬品が出土しました。 ※発掘調査済みです。…

  • 上赤塚貝塚 千葉市緑区おゆみ野中央

    月ノ木貝塚の次に訪れたのは「おゆみ野の森」の上赤塚貝塚。 上赤塚貝塚 千葉市史 第1巻 原始古代中世編 空撮 上赤塚貝塚・古墳群 (1988) −千葉市緑区南生実町字上赤塚 千葉市の貝塚を見に行く おゆみ野案内-おゆみ野の遺跡 おゆみ野ほたる会 #おゆみ歴史探訪 番外2 #おゆみ野ふれあい公園(#上赤塚貝塚、#上赤塚古墳群)その1ここからは、下見をしたもののコースには入れられなかったおゆみ地区の史跡をいくつか紹介します。出発地の京成学園前駅の東口を出て右手にゆくと、すぐ南におゆみ野ふれあい公園に着きます。(菅)#千葉市立郷土博物館 pic.twitter.com/BN5fqiAA13 — …

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