挂甲の武人 さん プロフィール

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挂甲の武人さん: 週末は古墳巡り
ハンドル名挂甲の武人 さん
ブログタイトル週末は古墳巡り
ブログURLhttp://kofunmeguri.hatenablog.com/
サイト紹介文趣味で週末に東京近郊の古墳を巡っています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供225回 / 365日(平均4.3回/週) - 参加 2017/04/10 20:06

挂甲の武人 さんのブログ記事

  • 丸塚古墳 下野市国分寺
  • 国分寺愛宕塚古墳の北東にある丸塚古墳。栃木県を代表する大型の円墳。二段築成。墳丘第一段の径66m、墳丘第二段の径42m、周溝を含めた径は約85m。7世紀初め頃の築造。東から。南側に横穴式石室が開口する。西から南側の周溝。周辺の古墳の築造順は摩利支天塚古墳→琵琶塚古墳→吾妻古墳→甲塚古墳→国分寺愛宕塚古墳→山王塚古墳→丸塚古墳と推定される。にほんブログ村 [続きを読む]
  • 愛宕塚古墳 下野市国分寺
  • 吾妻古墳の南、国分寺愛宕神社の社殿の裏側にある国分寺愛宕塚古墳。前方後円墳。全長78.5m、周溝を含めた全長は101m。二段築成。6世紀終わり頃の築造。南側のくびれ部に国分寺愛宕神社の社殿があり、一部が削られている。社殿の右奥が後円部。北東から後円部。後円部の墳頂から前方部。くびれ部に祠を祀る。くびれ部の墳丘の上から南側の社殿裏を見下す。南西から前方部と社殿。周辺の古墳の築造順は摩利支天塚古墳→琵琶塚古墳→ [続きを読む]
  • 飯塚35号墳 小山市飯塚
  • 飯塚天満宮のすぐ近くに飯塚35号墳はある。前方後円墳。前方部は削平されている。全長40mを超える。後円部は径31m、高さ4.5m。盾持ち人物埴輪が検出されている。東から後円部。北側は道路で、南側と西側は住宅で削られている。西から。後円部。電柱のあたりがくびれ部で前方部は住宅で削平。にほんブログ村 [続きを読む]
  • 飯塚古墳群 小山市飯塚
  • 琵琶塚古墳の西にある飯塚天満宮の周辺に分布する古墳群。南北1.5km、東西0.4kmの範囲に100基以上の古墳が分布していたと考えられているが、その大半は削平されている。天満宮。社殿の南側。飯塚52号墳。社殿の北側に飯塚51号墳と50号墳。社殿の裏側に飯塚57号墳。飯塚54号墳と55号墳。飯塚57号墳?飯塚31号墳。帆立貝形古墳。全長29m。後円部径24m。6世紀前半の築造。畑の中に墳丘の一部が遺存する。にほんブログ村 [続きを読む]
  • 琵琶塚古墳 小山市飯塚
  • 琵琶塚古墳は摩利支天塚古墳の北に隣合う前方後円墳。全長123.1m、後円部径74.2m、高さ11m、前方部幅64m、高さ8.5m。三段築成。第一段目に幅4m前後の平坦面を持つ。周溝は二重に巡り、周溝を含めた全長は200mを超える。摩利支天塚古墳に続く6世紀前半頃の築造。南東から。右が後円部、左が前方部。北東から。右手前が後円部、左奥が前方部。後円部の周溝。後円部の墳頂。後円部の墳頂から前方部。前方部の墳頂から後円部。南西から [続きを読む]
  • 摩利支天塚古墳 小山市飯塚
  • 思川と姿川の合流点から北に約1kmの台地上にある摩利支天塚(まりしてんづか)古墳は隣接する琵琶塚古墳とともに栃木県を代表する大型の前方後円墳。全長120.5m、後円部径71.1m、高さ10.9m、前方部幅82.5m、高さ7.9m。二段築成。周溝は二重に巡り、内側の幅が20〜30m、外側の幅が7〜8m。周溝を含めた全長は約197m。後円部に摩利支天社を祀る。5世紀末から6世紀初頭の築造。古屋敷古墳から北に徒歩12分。南東から。前方部の主軸に鳥居 [続きを読む]
  • 古屋敷古墳 小山市飯塚
  • 境町の毘沙門塚古墳から小山市の摩利支天塚古墳に向かったら、途中で明らかに古墳の上に鎮座する御社があったので立ち寄った。墳丘の上に七面大明神を祀る。あとで、古屋敷古墳という名前を知った。円墳。径18m、高さ3m。北東から。南から。にほんブログ村 [続きを読む]
  • 毘沙門塚古墳 境町横塚
  • 壬生町の愛宕塚古墳の現地説明会に参加する前に国道4号線で利根川を渡った茨城県境町の毘沙門塚古墳を見学した。帆立貝形古墳。残存長54.4m、復元長約60m、後円部径45〜46m。5世紀後半から6世紀前半の築造。円筒埴輪が検出されている。南から。北東から。後円部の墳頂から前方部。にほんブログ村 [続きを読む]
  • 吾妻古墳 壬生町藤井
  • 車塚古墳の西を流れる黒川を4km下ると栃木県最大の前方後円墳の吾妻古墳がある。6世紀後半の築造。二段築成。墳丘第一段(基壇)の幅が広く、この地域の特徴を示す。全長127m、周溝を含む総全長は162m。北から、周溝の奥に後円部が見える。前方部の周溝。北の基壇面から、後円部。北西から。左手前が後円部、右奥が前方部。南から前方部。大きく陥没しているあたりに横穴式石室石室があった。石室は幕末に盗掘を受け、凝灰岩の玄門と [続きを読む]
  • 牛塚古墳 壬生町壬生甲
  • 車塚古墳と道路を挟んで向かい合う牛塚古墳。帆立貝形古墳。全長約60m。南から。東から。右が後円部、左が前方部。南東から。左手前が前方部、右奥が後円部。南西から。左奥が後円部、右手前が前方部。南から。左の木立が牛塚古墳、右の木立が車塚古墳。にほんブログ村 [続きを読む]
  • 車塚古墳 壬生町壬生甲
  • 愛宕塚古墳から北に徒歩11分の車塚古墳。古墳時代終末期で最大級の円墳。三段築成。墳丘は葺石に覆われていた。墳丘直径84m、第二段直径46m、第三段直径32m、墳頂部直径12m、周溝底面からの高さ12.5m、二重目の周溝を含めた総全長130m。2014年、2015年、2016年に発掘調査と現地説明会が行われている。西から。西側の周溝。南側に開口した横穴式石室。凝灰岩の一枚石を使用。玄門。手前は前室。築造時は前室の前に前門があり、その [続きを読む]
  • 愛宕塚古墳 現地説明会 (9/8) 壬生町壬生甲
  • 9月8日に栃木県壬生町の愛宕塚古墳の現地説明会に参加しました。壬生町では2014年から車塚古墳、牛塚古墳、愛宕塚古墳の発掘調査を5年計画で実施していました。今年が最終年度で昨年に引き続き愛宕塚古墳の調査を実施しました。愛宕塚は古墳時代後期の6世紀後半に築造された前方後円墳で、車塚古墳、牛塚古墳に先行して造られました。南から。愛宕神社の鳥居。南から。前方部に愛宕神社を祀る。今回の調査で墳丘の全長は82mに拡大 [続きを読む]
  • 諏訪山7, 8, 9, 10, 13, 52, 14, 15, 16, 17, 26, 27, 34号墳 東松山市西本宿
  • 諏訪山7号墳。円墳。諏訪山29号墳の西側の畑隅にある。諏訪山8号墳。円墳。諏訪山7号墳の北側の道路隅にある。諏訪山9号墳。円墳。径12.5m。諏訪山8号墳の西側に隣接。諏訪山10号墳、13号墳、52号墳は諏訪山9号墳の西側に隣接する林の中にある。円墳。10号墳は径15m。13号墳の径は不明。52号墳は径10.7m。諏訪山14号墳。円墳。径11.5m。どこだろう?諏訪山15号墳。円墳。径11.5m。横穴式石室が検出されている。諏訪山16号墳。円墳 [続きを読む]
  • 毛塚12, 13, 15, 16号墳 東松山市毛塚
  • 今年2月の高坂館跡・高坂二番町遺跡の見学会の後で、ぺんの古墳探訪記のぺんさんとまわった毛塚古墳群、諏訪山古墳群のレポートの続きです。毛塚10号墳から南西に100mの墓地のあたりに毛塚12, 13, 15, 16号墳(すべて円墳)があったようです。墓地の東側の林を東側から見た様子。毛塚13号墳か? 毛塚13号墳は径17.5mの円墳。墓地から東側の林を見た様子。このあたりが毛塚12号墳か?墓地の北東の角にある祠。このあたりが毛塚15号墳 [続きを読む]
  • 狐塚古墳 目黒区碑文谷
  • 目黒区碑文谷(ひもんや)のマンションに囲まれた狐塚古墳。植込みにしか見えない。『東京都遺跡地図』では目黒区の遺跡番号25として「方墳?」と記載され、『都心部の遺跡』では「一部遺存」「円墳」「墳丘下部が高さ50m程、残るのみ」と記載される。目黒区で古墳の可能性があり、一部でも残っているのはここのみ。目黒寄生虫館あたりに大塚山古墳があったとされるが調査されるともなく消滅した。にほんブログ村 [続きを読む]
  • 福昌寺 阿弥陀石棺仏 渋谷区東
  • 國學院大学博物館から南に徒歩10分の福昌寺にある阿弥陀石棺仏。古墳時代中期後半頃の家型石棺の蓋を利用して仏像を彫り込んで路傍に立て礼拝の対象とされた。立像の阿弥陀石棺仏は珍しい。和歌山県名賀郡から運ばれたと伝わる。石棺蓋の石材は播磨竜山石と考えられる。石棺仏が彫られたのは南北朝時代と推定される。石棺仏は関東では珍しく、深谷市の大日石棺仏と福昌寺の阿弥陀石棺仏の2例しかないとのこと。区指定文化財 | 渋谷 [続きを読む]
  • 姉崎二子塚古墳 市原市姉崎
  • 姉崎古墳群の姉崎二子塚古墳は、姉崎周辺の海岸平野の浜堤上にある前方後円墳。全長114m。三段築成。中段と下段に円筒埴輪列が確認されている。5世紀前葉の築造。1947年に國學院大学考古学会が調査を実施。後円部と前方部の主体部周辺から国の重要文化財に指定された石枕を始めとする多くの副葬品を発見。それらは國學院大学博物館に収蔵されている。北から後円部。北から前方部。西から前方部。南西から前方部。南からくびれ部。 [続きを読む]
  • 金鈴塚古墳 木更津市長須賀
  • 小櫃川下流域にひろがる沖積平野にある、浜長須賀と呼ばれる標高約5.5mの微高地上に所在する金鈴(きんれいづか)古墳は、1950年の調査で金鈴が出土し、名付けられた。それまでは二子塚と呼ばれた。6世紀末頃に築造された前方後円墳で、全長約90m、墳丘の周りに二重に溝が巡り、外側までの長さは約140mと推定される。現在は横穴式石室がある後円部の一部を残すのみ。南東から。現存の石室は1951年に復元された。石室は富津磯石(軟質 [続きを読む]
  • 打越北上原3号墳 袖ケ浦市打越
  • 袖ケ浦市遺跡発表会「袖ケ浦の古墳」で発表を聴講した打越北上原(うちこしきたうえはら)3号墳を見学しました。打越北上原3号墳は久留里線横田駅から南に1kmの小櫃川中流域の台地の「サカタのタネ」の育種場にある。前方後円墳。全体44.5m、前方部幅24m、後円部径24.5m、高さ5m。1940年頃にアメリカ進駐軍将校マッコード少佐らによって調査が行われ、後円部に横穴式石室が確認されたが、調査記録は数枚の写真が残るのみで詳細不明だ [続きを読む]