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  • 丸谷才一『女ざかり』(文藝春秋)

    大新聞に所属する女性の論説委員・南弓子が、あるコラムをきっかけに政府与党から圧力がかかり、「閑職」に飛ばされそうになる。そこで女性論説員は恋人や親戚の力を総動員しこの圧力に抗するが、はたしてその結末どうなるか。 筋の要約だけだとこれで終わる。これで終わってもいいのだけれど、ここは僕しか書かない様なことを頑張って書くべき場所なので、こんな文庫本裏の紹介文をそのまま写した様なもので満足するわけには、いかない。どうしても。 読中読後、第一に、丸谷さんの小出しに決めてくる新奇絶妙の造詣に余程吃驚した次第。文人墨客の揮毫がなぜ政治家に重宝されるのかを分析する件、御霊信仰に基づいて西郷隆盛の銅像化を論ずる…

  • 別役実『淋しいおさかな』(PHP文庫)

    むかし読んだ本で、著者は皆目忘れてしまったけれどたしか、「青年が美しいのは、彼らが決して終わらない問題のために真剣に悩むことができるからだ」というふうな文言があって、それがずっと奥歯に挟まったシシャモの小骨みたいに記憶されているので、しばらく一考を差し向けてみたい。それにしてもこの言葉、ずいぶん青年というものを買い被っている人だなあと思えなくもないけれど、少なくとも、この書き手の皮膚感覚では、彼の生きていた時代、青年たちはかつての白樺派のように高邁な「実存的問題」に日々懊悩していたのだ(もちろん個体差は大きい)。そして若さゆえの虚勢であるにせよ学生などは、「栄華の巷低く見て」という調子の旧制…

  • 『世界の名著〈第22〉デカルト』(中央公論社)

    現在の中央公論新社に「世界の名著」という名高いシリーズ(全八一巻)があって、これについて思うと僕はこもごもの感慨をどうしても抑えられないのだ。どれだけ心拍数をあげて読んだか知れないよ。旧約・新約聖書も最初はこれで読んだ。パスカルの『パンセ』もモンテーニュの『エセ―』(抄訳なんだけど)もフロイトの『精神分析学入門』もデュルケムの『自殺論』もマルサスの『人口論』も勿論この叢書で初読した(この「初読」のサ行変格活用はいいね。新しくないか。歴史的用例だよこれは)。この叢書経験はそのまま「世界思想との出会い」だった。桁違いの知性との直面。知的豪傑からの呼びかけ。陳腐な物言いだけれど、「叡智」の存在に気圧…

  • 山本作兵衛『画文集 炭鉱に生きる(地の底の人生記録)』(講談社)

    ちょっと似非文学風にいうなら、頃日、気鬱の虫がやおら集きはじめている。 フランク永井を聴いているときも憂うつだし、モーツァルトの弦楽四重奏曲を流しているときも憂うつ、何か書いているときも憂うつ、ヒカキンとかその他雑多の底辺YouTuberたちを見てケラケラ笑っているときも憂うつだし、『百年の孤独』を読み直しているときも憂うつだし、バッティング練習をしていても憂うつだし、羽生結弦に見惚れているときも憂うつ、同志と形而上的激論を交わしているときも憂うつ、無銭旅行をしているときも憂うつ、アパート裏で勝手に摘んだ柿をかじってみてやたら渋かったときも憂うつだったし、大量のパンと野菜を土産にもらったときも…

  • 島尾敏雄『日の移ろい』(中央公論社)

    ずっとまえ長旅があって、車中、近現代の日本人作家をいかに短く端的に表現できるかという変妙な遊びでずいぶん盛り上がった。判定基準はぜんぶ恣意・直感。全然面白くなくても芯を捉えていれば高得点。名前を聞いた途端に想起されるフレーズをそのまま口にするほうが大体において出来がいい。「いいね」と思うものは決まって変な勘案や技巧を経ていないのだ。反射というか、口を衝いて出る感じ。たとえばこんなの(興に入って長くなってしまった)。 森鴎外⇒「子どもはむかしから高瀬舟ばかり読まされる。一種の国語拷問」 国木田独歩⇒「作品は三流。感度は一流」 徳田秋声⇒「自然主義文学史の学位論文を執筆している学生にしか読まれない…

  • 田澤耕『物語 カタルーニャの歴史(知られざる地中海帝国の興亡)』(中央公論新社)

    たとえば「知られざる~」とか「驚異のOO」「実録! XX」「必見!ーー」のようなすっかり大衆メディアに定着した「表紙語法」は、いまだに多大のハニカミと道化精神なくして使えない。 「極上の味!」とか「究極のマグロ」というふうな看板を自分から掲げているお店は、そんな常人的なハニカミを超越したところにあるのではくて、たんに開き直って不感症になっているだけなのだ。このところ巷には何につけ「!」が多すぎるのですよ。感嘆符過剰警報発令中なのです。こんなのいつごろからなのかな。この数学の確率問題にしか似合わないマークをただ付加するだけで伝え手の情熱を余すことなく表現できるとはよもや思ってはいないだろうけれど…

  • 岩田重則『「お墓」の誕生(死者祭祀の民俗誌)』(岩波書店)

    「見渡す限り、お墓が続いています。一体この霊園には何千、何万の人が眠っているのだろう。ただ何々家の墓、とだけ刻まれたお墓はもちろん、生前どんな人だったのか和歌が刻まれたものもあり、思わず立ち止まってしまったけれど、夢という一文字が大きく彫られているお墓もあった。空地になっている一隅は、家名の書かれた木札が並んでいて、まるで宅地予定地のように整然と仕切られている。」 墓の本の話だから、唐突墓の引用から切り出したのだけど、古今東西、引用から文を書き起こす奴にロクなのがいない。ちょうど巻頭にやたらエピグラフを並べまくる作家にロクなのがいないのと同じ。これはいわば禁じ手なのだ。断わりもなく長々と人のフ…

  • シーナ・アイエンガー『選択の科学』(櫻井祐子・訳 文藝春秋)

    奇妙なくらい大胆な表題だったから、この本を「選択」したわけだ。近所のブックオフ。人でいっぱいだ。なんでこんなに人がいるのか分からない、この阿呆みたいな暇人どもは何しに来ているんだろう、と一人一人がみんな頭のなかで思っていることでしょう、さしづめ。大衆というのは、「自分だけは愚鈍な大衆に属していない特別な人間なのだ」と思っている個人の寄せ集めですから。現在日本では二十代の九〇パーセント以上の人間がスマートフォンを所有している。SNS利用率は三十代でも八割を超えている。街で見かける彼彼女らの大半が歩きながらタッチパネルをこすっているのは、この猛烈な普及率からしか説明できない。それでいながら一人一…

  • 小田垣雅也『キリスト教の歴史』(講談社)

    「キリスト教」とは何か、という問題に直面した素朴な日本人は、まず何を読めばいいのか。何でもいいのだ、きっと。概説本でも学術論文でもパウロ書簡でも「聖書物語」でも内村鑑三でも遠藤周作でも佐藤優でも何でもいいのだ。マグダラのマリアが西洋美術ではどう表象されて来たのかみたいなやや渋い切り口の論考から入るのも乙だね(岡田温司『マグダラのマリア』中央公論社)。 日本で偶像視されているアルベルト・シュバイツァーの思想や行動力も、最近人気の高い『カラマーゾフの兄弟』も、マタイ・ヨハネ受難曲も、キリスト教や聖書の知識なしには深く理解できない(はずだ)。 身も蓋もないけれども、キリスト教を知るための最短ルート(…

  • 山本夏彦『完本 文語文』(文藝春秋)

    入力しながら、毎回思うことは、「藝」という字のアラベスク文様みたいな錯綜感。この守旧精神、歴史ある出版社の気負いを見ないでもないし、私も嫌いではない。「文芸春秋」なんて書くと何だか気の抜けたサイダーみたいになって急に安っぽくなる。澁澤龍彦も「渋沢龍彦」と書くと急に凡庸化してあのディレッタンティズムの神秘性が希薄化してしまう。森鴎外の鴎も「鷗」の字でないと駄目みたいだ。内田百閒の「閒」の字に至っては、ときどき「間」と書かれている。これはきちんと活字化された本のなかにもある。月と日は全然違う。パソコン入力は漢字の異形性と多様性を奪い取る傾向があると言えば、それまでだけれど。 漢字の形状から受ける印…

  • ベルクソン『時間と自由』(中村文郎・訳 岩波書店)

    キーボードの前にチンパンジーでも座らせて「無限の時間」むちゃくちゃに叩かせると、そのうち必ず『ハムレット』と全くおなじ文章列が出来上がるだろう、という話がありますね。ピアノの前でむちゃくちゃ弾かせていればいずれショパンのノクターンが演奏される、みたいなバリエーションもたまにはあってもいいとは思うのだけれど、ともかく、こういうちょっと遠大な小話は、前提がやや機械論的過ぎて粗削りなのだけれど、思考実験としてはなかなかよく出来ている。 どうしていきなりチンパンジーの『ハムレット』なのだろう。ベルクソンとはほとんど関係ないのに。きっとどことなく無限感覚に浸りたい気分だったのだ。こういう切り出したかでな…

  • 団鬼六『美少年』(新潮社)

    美少年とは何か。これは極めて難しいけれど大変麗しい問題だ。一度は落とし処をさぐっておきたいテーマでもある。 ただ、美少年を思想のように語るのは間違っている。鼻や顎にノギスを当てたり人体は本来何等身が美しいのだなどと美学談義を始めるのも間違っている。ミケランジェロとかレオナルドダヴィンチの作品をやたら援用して論じたてるのも間違っている。昔の美輪明宏や羽生結弦がどの程度美少年であるかなどと評定まがいの俗談を始めるのも間違っている。間違っているというよりも、ひどく野暮におもえるのだ。そしてその野暮なことをこれからやろうとしている。 確かに「美少年」という存在者はむかしから人間の理想美を観念的肉体的に…

  • 小松和彦『日本の呪い(「闇の心性」が生み出す文化とは)』(光文社)

    日本史の古層を掘り下げてみれば、さまざまな「呪い」の痕跡がある。桓武天皇の遷都、犬神憑き、崇徳天皇や菅原道真の怨霊、丑の刻参り、「呪詛」の染み込んだ項目は存外少なくないようだ。怨霊とか呪詛などというと、いわゆる「トンデモ本」の守備範囲みたいに思われかねないけれども、現代に固定されたカメラをずっと引いて人類史全体を見回してみると、呪いの感情が生々しく実感されていた期間の方が圧倒的に長いのではないかと思う。 いまだって、「呪い」の感覚は形をかえて根強く残っている。 婚礼で「お開き」とか言ったり受験生の前で極力「落ちる」などと言わない忌み言葉の慣習、4と9の付く部屋番号を作らない社会合意の例などはむ…

  • 山本七平『「空気」の研究』(文藝春秋)

    日本人論は戦後色々書かれてきて、下らないものから秀逸なものまで玉石混交の観を激しく呈し続けているけれど、本試論はその中でもかなり長く熱心に読み継がれ厳しい批評の洗礼を潜りぬけてきたものの一つで、今でも一読に値すると私は思っている。 そもそも、この「場の空気」とは何なのだろう。誰がつくり、なぜ醸成されてしまうのか。そしてその「空気」支配に敢えて疑念を混入させる「水を差す」という行為とは。山本書店の主は問い掛ける。 民衆による「現人神」認識や、日本軍敗退の背景には、何かしらの悪しき空気支配があったと著者は語る。 そもそも当時の日本軍がアメリカ軍を相手にして勝てる見込みなど最初からなかった。まともな…

  • R.F.ジョンストン『紫禁城の黄昏』(入江曜子・春名徹・訳 岩波書店)

    イギリスの官僚で、宣統帝溥儀の家庭教師として紫禁城に迎えられることになったR.F.ジョンストン(1874~1938)の書いたこの名高い記録本を読む前に、清朝の簡単な系図や辛亥革命以後の政治動静を、あらまし確認しておいた方がいいかもしれない。 私などは、中国の近現代史にとても疎かったので、段祺瑞(だんきずい)とか張勲(ちょうくん)とかいったような軍閥関連の人名がなんの説明もなしに頻出すると、ちょっと頭が痛くなった。派閥の力関係や辛亥革命の内実をそれなりに知っていないと、読み進めるのは苦しい(尤もこの苦労が読む快楽でもあるのだけれど。読書マゾヒズム)。 この手の記録本に当たるとき、そうした「予習」…

  • 小野塚カオリ(団鬼六・原作)『美少年』(マガジン・マガジン)

    ウォルト・ホイットマンは、その詩集『草の葉』の序文(初版)のなかで、「合衆国そのものが、本質的には最大の詩編なのだ」(酒本雅之・訳)と高らか言い放った。 同じように、「美少年」という現象をポエジーそのもののとして讃称することは、少しも突飛なことではない。 『パイドロス』に出てくるソクラテスがエロースを情熱的に讃美しているとき、彼の頭脳裏に具体的なイメージとしてあったのは、「美をさながらにうつした神々しいばかりの顔立ちや、肉体の姿」(藤沢令夫・訳)だった。 『ヴェニスに死す』でアッシェンバッハが端麗無比の少年タッジオを見て暫し恍惚境に浸ったとき、「言葉というものは、感覚的な美をほめたたえることが…

  • 『谷崎潤一郎随筆集』(篠田一士・編 岩波書店)

    この谷崎潤一郎(一八八六~一九六五)という巨頭について語ろうとするのに先ずその文章の上手さから入り込むのは、どうにも「今更」といった感じがする。 王貞治は野球が上手だ、とか、リチャード・ド-キンスは遺伝子に詳しいといった類の物言いと同じで、間違ってはいないけれども、それだけで口を閉じてしまうのであれば、どこか間が抜けている。 だから、間抜けにならないために、少しだけでも、彼について書かなくてならない。 私の素朴な谷崎観によれば、彼は第一に畏怖すべき一人の文章家であって、ストーリーテラーではない。 上手いとか上手くないとかいう評価の仕方は短絡的かもしれないけれど、それでも「上手い文章」というもの…

  • 西村本気『僕の見たネトゲ廃神』(リーダーズノート株式会社)

    ネトゲ廃人。一時期「社会問題」のような形で話題になりました。あれからも課金制のゲームなんかが次々出てきて、夢中の人が中々多いみたいです。 なんでこう、なんでもかんでも「社会問題」にしたがるのだろうな。「ニート」だろうが「引きこもり」だろうが、放っておけばよいと思うのだけれど。だって彼彼女らは平和の象徴ですよ。 こんな人たちを探し出して無理やり「社会問題化」したがる人々は、一体どれだけ暇で、どれほど立派なのだろうね。このお節介な物見高さ。「現実から逃避している」連中も「現実に逃避している」連中も結局、同じ穴のムジナですよ。人間というものは押し並べて、現実との距離感を取り損なっているものなのだ。そ…

  • 水波誠『昆虫 驚異の微小脳』(中央公論社)など

    「岩波新書」「講談社現代新書」「中公新書」。 これらは誰が決めたのか俗に三大新書と呼ばれている。個人的には平凡社新書や集英社新書、ちくま新書などからも面白い本が少なくないのだが、大事なのは権威と質量なのだ。 私は必ずしも新書の熱心な読者ではないけれど、優れた質の新書にはこれまでも度々世話になってきた。 以下ほんのちょっぴりだけ新書に纏わる雑感を書き連ねたい。 この三新書、それぞれ固有の起源と伝統を持っているのだろうが、概して岩波新書は世界の潮流を相当強く意識していて、中公新書はそれに比べると些か時代色が薄く我が道を行くという超然たる趣がある。講談社現代新書はとにかく読みやすさに力点を置き、近頃…

  • アンデルセン『絵のない絵本』(大畑末吉・訳 岩波書店)

    デンマークのアンデルセン(一八〇五~一八七五 *1)は一般に、『人魚姫』や『親指姫』『マッチ売りの少女』のような、短くて時々やや感傷的な童話の作者として世界中にその名が通っているけれど、実は、紀行文(彼は生涯外遊ばかりしていた)や戯曲も多く書き、日本では『即興詩人』の訳題で知られる長編も残している。 殊にこの『即興詩人』は近現代の日本文学史を辿る上でも極めて重要な位置を占めている。 この作品は一八九二年から一九〇二年にかけて、明治の文豪・森鷗外の秀訳を以て文芸雑誌に紹介された。 その雅語と漢語が混淆した超絶的文体は美妙な抒情的香気を湛え、翻訳とはいえ、それ自体がひとつの浪漫文学の精華として現在…

  • 井口俊英『告白』(文藝春秋)

    国債とか為替相場とか株式売買というようなものを、私は室内のカメムシと同じくらい好んではいないけれども、そのメカニズムや歴史については常々関心を持ってきた。 素朴に考えれば、銀行というものは不思議な存在だ。 いまだに私はなぜだか、銀行という現代の神殿に馴染めていない。 銀行のない国があったそこに移り住みたいくらい、銀行のそばにいると落ち着かなくなる。 銀行のなかにいると不思議な疎外感と不愉快感を覚える。 ガチャガチャお金を呑み込んだり吐き出したり、女性の録音ボイスを垂れ流したりしているATMの前にいると、人間が子孫を残してきたということがまるで嫌になる。 私は、決して反時代的で粗野な人間などでは…

  • 小林安雅『海辺の生き物』(山と渓谷社)

    人間も余りあるほど変態な生物だけれど、地球とりわけ海辺には今日も、実に奇妙で実に見定めがたい生物たちが犇めき合って生きている。 ウミウシとかホヤの鮮明過ぎる写真をみていると、どこか感極まってくる。能登半島の海岸沿いで育ち、フナ虫やクラゲに見慣れていた私でさえそう思うのだから、初めてこうした生物を見たり触れたりする都市生活者は一体何を思うのだろうな。むしろそっちの方に興味がある。 さしずめフナ虫など海岸版のゴキブリにしか見えないだろうし、カニの「正しい」持ち方を知らない為に血を見たりしそうだ。つつくと噴出するアメフラシの紫汁には怪しい感動を禁じ得ないだろうな。岩に密集してへばりついている有象無象…

  • 加藤尚武『ジョークの哲学』(講談社)

    ジョークとは何か。 ジョークらしいものを終日垂れ流す人々は少なくないけれども、ジョークについて「そもそも論」を立てる人は思いのほか少ない。 辞書なんかは、ジョークとは冗談や洒落のことだと、実に通り一遍で淡白な説明を下している。それでは冗談とは何であって洒落とは何であるかと続けざまに問う。そうなると、なんだか急に難しい話に聞こえてくる。原理論はとかく厄介なものなのだ。 この本で議論されているみたいに、いざジョークのなかに哲学的厚みをみようとすると、かえってジョーク特有の軽妙な味わいが損なわれてしまうのではないか、という危惧も分からなくもない。けれども読後の印象として、感心すること頻りだった。ジョ…

  • ダン・ローズ『コンスエラ 七つの愛の狂気』(金原瑞人/野沢佳織・訳 中央文庫)

    言うまでもなく、巷に狂気はありふれている。 人間が生きるということは、狂気を生きるということだ。 多少の狂気なくしては、人間など一時間だって生きられない。 世界は一塊の終わりなき悪夢でありますから。 狂気といっても、俗悪な狂気もあれば、人畜無害の狂気もある。 たとえば酔っ払いという狂気はうんざりするほど平凡だ。だから放っておこう。 嫉妬や喧嘩という狂気も、やはりいい趣味とはいえない。 (そうした狂気も集団レヴェルになると大義となるようだから面白い) 人畜無害の狂気の筆頭は、マニアと呼ばれるものだろう。 牛乳瓶のフタや読めない外国語書籍の蒐集に生涯大金を投じ続ける狂気は、いと愛すべきものだ。 私…

  • 大澤武男『青年ヒトラー』(平凡社)

    歴史の「常識」においてはヒトラーは負のレッテルにまみれているので、彼の中に人間味や友情感覚があったことを実感するのは並大抵のことではない。 けれども彼も人間であって、超人でもなければ悪魔の使者でもない。多感な少年時代もあったし青年時代もあった。恋もしたし失意のどん底さえ経験した(それも凄まじい失意のどん底を)。アドルフといえども反ユダヤ思想を鼓吹しながら生まれて来たわけではない。誰もがそうであるように、無力な生命個体として泣きながら生まれて来た。 それゆえ、その生い立ちをしることは、彼の近現代史上の途方もない役割を知る上で、きわめて重要のことだ。 この本は主として、ナチ党に入党するまでのヒトラ…

  • 石井淳蔵『マーケティングの神話』(岩波書店)

    洗濯用コンパクト洗剤「アタック」(花王)や日立製作所の洗濯機「静御前」のようなヒット商品の裏には綿密なリサーチやマーケティング理論があると思われがちだが実はそうではない。市場に厳密な理論などは本来通用しないものだ、と概ねこんなことが議論されている本で、「新しい商品はこうやって売り込め」というふうに自分の華々しい成功譚をゴーストライターの筆を通して垂れ流す「俺に見習え本」でもなければ、「サーベイリサーチの極意」を律儀に伝授してくれる類のノウハウ本でもない。 ホンダや日産の人気車種や過去のヒット企画(「不思議、大好き」のコピーで有名なエジプト展)など、聴き馴染んだ事例が各章に引かれてあるので、その…

  • ブラックウッド他『怪奇小説傑作集Ⅰ』(平井呈一・訳 創元推理文庫)

    怪奇小説のアンソロジーで、殆ど知られていないものから半ば名作化したものまでいい按配に寄せ集められている。全部で五巻構成らしいけれど、私はこのⅠとⅡしか読んでいない。平井呈一の訳文が些か古風でしかも凝ってもいるので、この手の作品集にあまり食指が動かされなかった私もつられるように読みいってしまった。傑作集といいながらも中々渋い作品も取り上げているので、結構に気に入った。 「夜が明けた。文目もわかなかったものが、しだいに鳩羽色になり、やがて赫奕たる光の壮観が空いっぱいにひろがりだしてきた」(E・F・ベンスン「いも虫」) こんな具合の文章に私は小さな興奮を覚える。「鳩羽色」など今の人はほとんど使わない…

  • 中村計『甲子園が割れた日』(新潮社)

    松井秀喜はほとんど毎年金沢市に来て、様々な恒例イベントを真面目にこなしている。星陵高校(松井の出身校)の山下さん(もと監督にして松井の「恩師」(引用符なしでは使いたくない言葉だ)と面会するシーンはローカル放送の定番といってもよく、石川県人には説明不要の風物詩だ。 松井ファンではないが野球愛好者の一人である私も、割合近くからその姿を「拝見」して、満足したことがある。当時既にヤンキースに在籍していた彼をナマでみたのは初めてだったので、現実感がなかった。スーパースターの周りにはとかく人が金魚の糞の様について回るもので、サインペンと色紙をもった野球少年がキャッキャッと小猿のように騒いでいた。 一昔前、…

  • ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』(千野栄一・訳 集英社)

    「存在の耐えられない軽さ」。巷には、こんなタイトルをもじったものがおびただしくある。 本人は得意になっているのだろうけれど、実にまずい。凡庸極まるね。 いきなりニーチェの「永劫回帰」(*)だ。 文豪のなかには、こうした「哲学風エッセイ」を物語のところどころに挟みたがる人たちがいる。 トルストイの『戦争と平和』が一部に不人気なのは、たぶん(周期的に開陳される)彼の抽象的な歴史観が素朴な読者(ロマンチックな)を辟易させてしまうからかもしれない。性格はずいぶん違うけれども、(私の好きな)ロベルト・ムジールの『特性のない男』などはそうした例の極北かもしれない。地の文も会話文もやけに理屈っぽく難解で、作…

  • 佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社)

    『月と六ペンス』のストリックランドは、モームがゴーギャン(フランスの後期印象派の画家)の生涯に想を得てつくりだしたものだ。その真否や細部の程はともかく、あくまで伝説上ではゴーギャンはヨーロッパ文明を否定してタヒチ島に避難したことになっている。 世の中には擬似ゴーギャン的逃避願望を弄んでいる人が少なくない。 都会を逃げたい、あらゆる束縛を脱して自由になりたい、鮨詰めという表現では鮨に無礼ではないかというような通勤電車を逃れ出て自分探しの旅に出たい。こんなふうな一昔前の青臭いロックンローラーでも恥ずかしくて叫べないような「内なる声」は、どの時代のどの階層にも一定の割合でみられるのかもしれない。 殺…

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