hakurey さん プロフィール

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hakureyさん: 蟄居汎読記
ハンドル名hakurey さん
ブログタイトル蟄居汎読記
ブログURLhttp://sanobarou.hatenadiary.jp/
サイト紹介文随想性読書記
自由文読書記です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供62回 / 243日(平均1.8回/週) - 参加 2017/04/14 09:11

hakurey さんのブログ記事

  • 『世界の名著〈第22〉デカルト』(中央公論社)
  • 現在の中央公論新社に「世界の名著」という名高いシリーズ(全八一巻)があって、これについて思うと僕はこもごもの感慨をどうしても抑えられないのだ。どれだけ心拍数をあげて読んだか知れないよ。旧約・新約聖書も最初はこれで読んだ。パスカルの『パンセ』もモンテーニュの『エセ―』(抄訳なんだけど)もフロイトの『精神分析学入門』もデュルケムの『自殺論』もマルサスの『人口論』も勿論この叢書で初読した(この「初読」の [続きを読む]
  • 長谷川洋子『サザエさんの東京物語』(文春文庫)
  • 長谷川三姉妹の三女・洋子による回想記を読んだ。ちなみに漫画家の町子は次女。インサイダーである妹のもの語りだから、多少偶像破壊の気味もあって愉快だった。長い間、労苦をともにしたぶん不満も少なくなかっただろうけれど、末女ならではの清濁併せ呑むような書きっぷりがいい。「サザエさん」は、一九四六年から夕刊フクニチに連載された(一九五一年から朝日新聞)。ところでなぜ女主人公がサザエなのか。本書の著者がいう [続きを読む]
  • 山本作兵衛『炭鉱に生きる(地の底の人生記録)』(講談社)
  • 二〇一一年、山本作兵衛の手になる炭鉱の記録画および文書類が、ユネスコの「記憶遺産」として日本で初めて登録された。「記憶遺産」という言葉はたしかに胡散臭い(尤もこの人間界に胡散臭くないものなどありはしないけれど)。その実態云々の前に、あまり近づきたくない種類のものではある。ただ、この種の遺産登録が世界中で政治的小道具化していること自体は、どうでもよい。それはそれでいい。世の中に「完全な客観性」や「非 [続きを読む]
  • 島尾敏雄『日の移ろい』(中央公論社)
  • ずっとまえ長旅があって、車中、近現代の日本人作家をいかに短く端的に表現できるかという変妙な遊びでずいぶん盛り上がった。判定基準はぜんぶ恣意・直感。全然面白くなくても芯を捉えていれば高得点。名前を聞いた途端に想起されるフレーズをそのまま口にするほうが大体において出来がいい。「いいね」と思うものは決まって変な勘案や技巧を経ていないのだ。反射というか、口を衝いて出る感じ。たとえばこんなの(興に入って長く [続きを読む]
  • 岩田重則『「お墓」の誕生(死者祭祀の民俗誌)』(岩波書店)
  • 「見渡す限り、お墓が続いています。一体この霊園には何千、何万の人が眠っているのだろう。ただ何々家の墓、とだけ刻まれたお墓はもちろん、生前どんな人だったのか和歌が刻まれたものもあり、思わず立ち止まってしまったけれど、夢という一文字が大きく彫られているお墓もあった。空地になっている一隅は、家名の書かれた木札が並んでいて、まるで宅地予定地のように整然と仕切られている。」 墓の本の話だから、唐突墓の引用か [続きを読む]
  • 小田垣雅也『キリスト教の歴史』(講談社)
  • 「キリスト教」とは何か、という問題に直面した素朴な日本人は、まず何を読めばいいのか。何でもいいのだ、きっと。概説本でも学術論文でもパウロ書簡でも「聖書物語」でも内村鑑三でも遠藤周作でも佐藤優でも何でもいいのだ。マグダラのマリアが西洋美術ではどう表象されて来たのかみたいなやや渋い切り口の論考から入るのも乙だね(岡田温司『マグダラのマリア』中央公論社)。日本で偶像視されているアルベルト・シュバイツァ [続きを読む]
  • 山本夏彦『完本 文語文』(文藝春秋)
  • 入力しながら、毎回思うことは、「藝」という字のアラベスク文様みたいな錯綜感。この守旧精神、歴史ある出版社の気負いを見ないでもないし、私も嫌いではない。「文芸春秋」なんて書くと何だか気の抜けたサイダーみたいになって急に安っぽくなる。澁澤龍彦も「渋沢龍彦」と書くと急に凡庸化してあのディレッタンティズムの神秘性が希薄化してしまう。森鴎外の鴎も「鷗」の字でないと駄目みたいだ。内田百?の「?」の字に至っては [続きを読む]
  • ベルクソン『時間と自由』(中村文郎・訳 岩波書店)
  • キーボードの前にチンパンジーでも座らせて「無限の時間」むちゃくちゃに叩かせると、そのうち必ず『ハムレット』と全くおなじ文章列が出来上がるだろう、という話がありますね。ピアノの前でむちゃくちゃ弾かせていればいずれショパンのノクターンが演奏される、みたいなバリエーションもたまにはあってもいいとは思うのだけれど、ともかく、こういうちょっと遠大な小話は、前提がやや機械論的過ぎて粗削りなのだけれど、思考実験 [続きを読む]
  • 団鬼六『美少年』(新潮社)
  • 美少年とは何か。これは極めて難しいけれど大変麗しい問題だ。一度は落とし処をさぐっておきたいテーマでもある。ただ、美少年を思想のように語るのは間違っている。鼻や顎にノギスを当てたり人体は本来何等身が美しいのだなどと美学談義を始めるのも間違っている。ミケランジェロとかレオナルドダヴィンチの作品をやたら援用して論じたてるのも間違っている。昔の美輪明宏や羽生結弦はどの程度美少年であったかなどと考えるのも間 [続きを読む]
  • 小松和彦『日本の呪い(「闇の心性」が生み出す文化とは)』(光文社)
  • 日本史の古層を掘り下げてみれば、さまざまな「呪い」の痕跡がある。桓武天皇の遷都、犬神憑き、崇徳天皇や菅原道真の怨霊、丑の刻参り、「呪詛」の関わっている事柄は少なくないようだ。怨霊とか呪詛などというと、いわゆる「トンデモ本」の守備範囲みたいに思われかねないけれども、現代に固定されたカメラをずっと引いて人類史全体を見回してみると、呪いの感情が生々しく実感されていた期間の方が圧倒的に長いのではないかと思 [続きを読む]
  • 山本七平『「空気」の研究』(文藝春秋)
  • 日本人論は戦後色々書かれてきて、下らないものから秀逸なものまで玉石混交の観を激しく呈し続けているけれど、本試論はその中でもかなり長く熱心に読み継がれ厳しい批評の洗礼を潜りぬけてきたものの一つで、今でも一読に値すると私は思っている。そもそも、この「場の空気」とは何なのだろう。誰がつくり、なぜ醸成されてしまうのか。そしてその「空気」支配に敢えて疑念を混入させる「水を差す」という行為とは。山本書店の主は [続きを読む]
  • R.F.ジョンストン『紫禁城の黄昏』(入江曜子・春名徹・訳 岩波書店)
  • イギリスの官僚で、宣統帝溥儀の家庭教師として紫禁城に迎えられることになったR.F.ジョンストン(1874〜1938)の書いたこの名高い記録本を読む前に、清朝の簡単な系図や辛亥革命以後の政治動静を、あらまし確認しておいた方がいいかもしれない。 私などは、中国の近現代史にとても疎かったので、段祺瑞(だんきずい)とか張勲(ちょうくん)とかいったような軍閥関連の人名がなんの説明もなしに頻出すると、ちょっと頭が痛くな [続きを読む]
  • 『谷崎潤一郎随筆集』(篠田一士・編 岩波書店)
  • この谷崎潤一郎(一八八六〜一九六五)という巨頭について語ろうとするのに先ずその文章の上手さから入り込むのは、どうにも「今更」といった感じがする。王貞治は野球が上手だ、とか、リチャード・ド−キンスは遺伝子に詳しいといった類の物言いと同じで、間違ってはいないけれども、それだけで口を閉じてしまうのであれば、どこか間が抜けている。だから、間抜けにならないために、少しだけでも、彼について書かなくてならない。 [続きを読む]
  • 西村本気『僕の見たネトゲ廃神』(リーダーズノート株式会社)
  • ネトゲ廃人。一時期「社会問題」のような形で話題になりました。あれからも課金制のゲームなんかが次々出てきて、夢中の人が中々多いみたいです。なんでこう、なんでもかんでも「社会問題」にしたがるのだろうな。「ニート」だろうが「引きこもり」だろうが、放っておけばよいと思うのだけれど。だって彼彼女らは平和の象徴ですよ。こんな人たちを探し出して無理やり「社会問題化」したがる人々は、一体どれだけ暇で、どれほど立派 [続きを読む]
  • 水波誠『昆虫 驚異の微小脳』(中央公論社)など
  • 水波誠『昆虫 驚異の微小脳』(中央公論社)「岩波新書」「講談社現代新書」「中公新書」。これらは誰が決めたのか俗に三大新書と呼ばれている。私は必ずしも新書の熱心な読者ではないけれど、優れた質の新書にはこれまでも度々世話になってきた。以下ほんのちょっぴりだけ新書に纏わる雑感を書き連ねたい。この三新書、それぞれ固有の起源と伝統を持っているのだろうが、概して岩波新書は世界の潮流を相当強く意識していて、中公 [続きを読む]
  • アンデルセン『絵のない絵本』(大畑末吉・訳 岩波書店)
  • デンマークのアンデルセン(一八〇五〜一八七五 *1)は一般に、『人魚姫』や『親指姫』『マッチ売りの少女』のような、短くて時々やや感傷的な童話の作者として世界中にその名が通っているけれど、実は、紀行文(彼は生涯外遊ばかりしていた)や戯曲も多く書き、日本では『即興詩人』の訳題で知られる長編も残している。殊にこの『即興詩人』は近現代の日本文学史を辿る上でも極めて重要な位置を占めている。この作品は一八九二 [続きを読む]
  • 井口俊英『告白』(文藝春秋)
  • 国債とか為替相場とか株式売買というようなものを、私は室内のカメムシと同じくらい好んではいないけれども、そのメカニズムや歴史については常々関心を持ってきた。素朴に考えれば、銀行というものは不思議な存在だ。いまだに私はなぜだか、銀行という現代の神殿に馴染めていない。銀行のない国があったそこに移り住みたいくらい、銀行のそばにいると落ち着かなくなる。銀行のなかにいると不思議な疎外感と不愉快感を覚える。ガチ [続きを読む]
  • 小林安雅『海辺の生き物』(山と渓谷社)
  • 人間も余りあるほど変態な生物だけれど、地球とりわけ海辺には今日も、実に奇妙で実に見定めがたい生物たちが犇めき合って生きている。ウミウシとかホヤの鮮明過ぎる写真をみていると、どこか感極まってくる。能登半島の海岸沿いで育ち、フナ虫やクラゲに見慣れていた私でさえそう思うのだから、初めてこうした生物を見たり触れたりする都市生活者は一体何を思うのだろうな。むしろそっちの方に興味がある。さしずめフナ虫など海岸 [続きを読む]
  • 加藤尚武『ジョークの哲学』(講談社)
  • ジョークとは何か。ジョークらしいものを終日垂れ流す人々は少なくないけれども、ジョークについて「そもそも論」を立てる人は思いのほか少ない。そのへんの辞書を開いてみれば、ジョークとは冗談や洒落のこと。それでは、冗談とは何であって、洒落とは何であるか。そうなると、なんだか急に難しい話に聞こえてくる。原理論はとかく厄介なものなのだ。この本で議論されているみたいに、いざジョークのなかに哲学的厚みをみようとす [続きを読む]
  • 大澤武男『青年ヒトラー』(平凡社)
  • 歴史の「常識」においてはヒトラーは負のレッテルにまみれているので、彼の中に人間味や友情感覚があったことを実感するのは並大抵のことではない。けれども彼も人間であって、超人でもなければ悪魔の使者でもない。多感な少年時代もあったし青年時代もあった。恋もしたし失意のどん底さえ経験した(それも凄まじい失意のどん底を)。アドルフといえども反ユダヤ思想を鼓吹しながら生まれて来たわけではない。誰もがそうであるよう [続きを読む]