硬派な生き方を選択しながらも、都会の生き方を忘れず さん プロフィール

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硬派な生き方を選択しながらも、都会の生き方を忘れずさん: 硬派な生き方を選択しながらも、都会の生き方を忘れず
ハンドル名硬派な生き方を選択しながらも、都会の生き方を忘れず さん
ブログタイトル硬派な生き方を選択しながらも、都会の生き方を忘れず
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/azest-boss884
サイト紹介文誰かがやらなければならない社会貢献がある。利他主義を貫く信条を主張するボスの独り言!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供70回 / 243日(平均2.0回/週) - 参加 2017/04/14 22:38

硬派な生き方を選択しながらも、都会の生き方を忘れず さんのブログ記事

  • 寂しいね…
  • そんなゴルフ仲間のオヤジ達も 突然の死を迎える…まずは町内会コンペに誘ってくれたショウちゃん…ショウちゃんは、大のビール好きでゴルフの時も 食事の際には必ず瓶ビールをガブガブ飲み、私の席に来ては新たに瓶ビールを振舞ってくれた。毎度毎度の事だ。家でも毎晩のようにビールを飲んでいる…よほど好きなのだろう。体のケアも欠かさない人だった。遠く離れた整骨院で鍼灸をやり 体をもみほぐすのは 月に何度行 [続きを読む]
  • ゴルフで学んだこと…
  • 町内会のゴルフは 心底楽しかった…越してきてから、サッカーも引退した頃 呆然自失な日々を送っていた。体が 悲鳴をあげていたのもある。ガキの頃からスキー サッカーしか知らない訳だが、そこそこの腕前に自信はある(スキー)決して運動神経が悪いわけではないが、ことゴルフだけは勝手が違った…止まっているボールを打てない悔しさ…これには毎日 毎日朝から寝るまで理論理屈を勉強した。弾道や飛距離に影響す [続きを読む]
  • 久しぶりに「ゴルフ」の話…
  • この地に来てから 真剣にゴルフを始めた…来た当初は、養護施設などでサッカーを指導していた。驚いたのは、総合支援センターの子供達?を指導していた時だ。子供?と書いたのは、年配者もいるという事…総合支援センターは、精神障碍者を中心に支援する行政施設を言う。従って 親から見放され何十年も在所する訳で 年齢も私と変わらない人もいる。サッカーを指導していて思ったのは、彼らは「文句」や「グチ」を一切言 [続きを読む]
  • 限界が近い…というか
  • 義母の認知症が原因という訳ではないが いささか人生に疲れた…正直 1年ほど いやそれ以上前からかも知れないが「死」を考えている。人に騙され 企業に商取引を齟齬扱いされ 心底疲れた。人と言うのは正直で、金も地位も財産も底が見えてきた対象者から 自然と離れていくものだ…それは家族・親戚縁者も同じだ。宝くじでも当たって 突然億万長者にでもなれば、皮肉にも 遠回しにこちらが存じ上げない方たちも集まっ [続きを読む]
  • 皮肉な結果・・・
  • 今 私は義母と一緒に暮らしています。義母は認知症…義父は数年前に亡くなりました。私にとって最大の理解者であった義父とは、よく食事や酒を酌み交わし 雑談や野球の話(義父が好きだったので)、あるいは政治の話まで多岐にわたって会話を楽しんでいたものだ。ややもすると、認知症の初期症状が始まったころだ。公務員を全うして引退した義父は 真面目で几帳面、生粋の保守で自民党政権を推挙していた。丁度 民主党 [続きを読む]
  • 未熟児…と聞かされて
  • 人生60年もやってると どこかしら「故障」じみてくるものだ。大きな病気は経験がないが、サッカーとスキーでケガ三昧だったことは間違いない。よくそこまで挑戦的にできたものだと思う・・・母から聞かされていたのは、『超未熟児』だったこと。ほんの肉の塊程度で生まれた私は、母乳を飲めずに「米汁」を真綿で湿らせてチュウチュウと吸って生き延びたらしい。体も小さく 弱体質だったことは、幼い頃のコンプレックスと [続きを読む]
  • 給食…
  • TVで脱脂粉乳の事をちらっとやってまして、昭和40年代生まれのヒトには全く理解できない飲み物のようです。私の小学校時代は、低学年の頃は脱脂粉乳で高学年には委託乳といって 一見牛乳瓶に入っているので「100%牛乳」に思えますが、実際は「牛乳が3で粉乳が7」の比率の混合乳でした。翌年には、混合率が5:5 になり100%牛乳になります。6年生の頃になると、テトラクラシックと言って 三角のテトラポッドのよ [続きを読む]
  • 人を育てる…
  • 昔から「人を育てた者が優秀だ」…とか言われた時代があった。しかし、私は考え方が違った。いつ頃からだろう…と思いだすと、はるか若いころに行きつく。それは、20歳代前半だろうか…今でも教えられる側や 客観的な評価として言われるのは、「覚えが悪い」とか 「頭が悪い」などと個人的な主観で終わることが多いのではないだろうか。それって全てが 教える側の勝手な論理でしかない。私が「教わる側」として若い [続きを読む]
  • 基本…
  • 伊勢丹では、「仕事とは何ぞや…」を骨の髄まで学んだ。お客様から聞かれた事全てに対応することは勿論だが、返答に「NO」がない事…いかに質問に対して的確か 店舗で扱っていないモノにも、ニアイコールの返答をできるか否か…そのためにも近隣の商店や飲食街の情報も持っている事が求められる。一般の百貨店では、まず考えられない事だ。時に「伊勢丹相模原店」では、『掃除に始まり 掃除で終わる』が徹底されていた [続きを読む]
  • 「金バッジ」…
  • しばし ナカトウは多少の反省もあったのか、ナリを潜めていたが 根本的に変わるはずはない。この男の性根は 遠い昔から腐っている…なので、改心など縁のない事なのだ。私への暴言やイジメや中傷は 減ったが、それは意図的に接触を減らしているに過ぎなく 陰口は頻繁に聞こえてきた。私は全く気にもせず、言わせておけばイイ…くらいの気持ちでいた。本社へ来ることも回数が減り、会議やよほどの理由がなければ「伊勢丹 [続きを読む]
  • ナカトウ事件…
  • 伊勢丹相模原店で起きた「ナカトウ事件」…当時 例の頭山(トウヤマ)店長は、ダーバンブランドの「ブルーノ・ピアッテリ」というイタリアブランドを愛用していた。それも一般的な「ネイビー(紺)」と違い 染めが品よく深いのだ。デザインもカッコ良い…当のトウヤマ店長もスタイルが良く、大変オシャレな方だった。同じスーツを必ず2着購入するのが ルーティン。ある時、スーツの品番を言ってきて いつものように [続きを読む]
  • まだ 勢いはあった…
  • 既に会社は、東証一部で年商も740億円を超えるほど勢いがあった。思えば、レナウンニシキ…という小さな会社がスタートで、着々と業績を伸ばしてきた経緯がある。ライバル企業は、当初からずっと「オンワード樫山」だ。販売の現場にいると、とにかく「喧嘩」が多かった。ダーバンの場合は、何かとスネに傷を持つ男性が多い…気が荒い奴が多かった。女性もそうだった…実績主義…という魅力に引き付けられ、多くの挑戦者が入社し [続きを読む]
  • 念願の伊勢丹…だが②
  • ソウちゃんとは、上手く行っていたが 問題は「トウヤマ」店長だ。彼は、大学時代に自分の名前がどの程度知られているのか…を確かめるために、北海道の北端 宗谷岬から鹿児島まで 金を持たずに到達した…という逸話がある。呼び方で「トウヤマ」ではなかなか通じないのかも知れないが、「頭山」と字を見れば知る人ぞ知るという事に変貌する。彼は若くして伊勢丹の取締役になった。おそらく世の中に怖いものはないのだろ [続きを読む]
  • 念願の伊勢丹…だが①
  • やはり予想は当たっていた…伊勢丹相模原店…チーフに決まった。本来であれば、既存の伊勢丹本支店からの異動か 格上げでスタッフが選ばれるのだが、実情は「誰も行きたがらない」…が実態だ。伊勢丹出向者であれば、皆知っている事で「マツダ ソウイチ」や「トウヤマ ミツル」とはとてもじゃないが命が幾つあっても足りない…そんな感情だ。当時配属された時、まだ開店前の「準備室」だった。小田急線の相模大野駅を降りて [続きを読む]
  • 営業時代…②
  • ナカトウ次長には、とにかく意地悪をされた思いでしかない。私以外でも、相当いじめられた地方出身者(地方から本社へ転勤族)がいた。とにかく底意地の悪さは類をみない。広島出身者は 皆このような性格なのか? と疑ったこともある。普段から よほど暇なのか、部長が不在の時は、決まって各課をウロウロ歩き回っては仕事の邪魔をする。月末の多忙な時ほど 鼻につくのだ。ある時、出張の販売員がお土産を持ってきて [続きを読む]
  • 営業時代…
  • ナカトウ次長の「バカな逸話」は、後の私の職務と関連があり時系列でいうと かなり数年後なので、改めて記します。その前に 私の営業時代の破天荒な行動を幾つか…私の営業担当は、「そごう百貨店」だった。マンモス巨艦 横浜そごうもあれば、小さな有楽町そごうもあり 新規オープンの大宮そごうもあった。中でも、老舗の八王子そごう…紳士服課長は、桜田課長…愛称は「チェリー」だった。男前で、人情味もあり物わかりの良 [続きを読む]
  • 念願の本社勤務…その前に
  • 地方の百貨店で実績を積み上げ、高評価をもらいながらその地で頑張る方法もある。様々な生活環境の要素も考慮して それを選択する先輩たちも多かった。もう一つは、本社勤務とは基本的に営業だ。現場(販売)にいると、営業に求められる高いスキルや「頭の良さ」を充分知っているからこそ、本社へは行かない…というのがほとんどの考え方ではないだろうか…体育会系とはいえ、生粋の本社勤務(営業や企画など)の人間は、相 [続きを読む]
  • 努力の証…
  • 銀座の寿司は美味かった…自分の給料では行けない場所だ。遠慮しながらも、大トロ・イクラ を充分満喫した。課長やバイヤーも 「ショップ展開」について言及してきたのは、今回のご褒美だろうか…ショップを作ってくれるなら、何処でも良いのだが いっそワガママを言ってみた。エスカレーターを昇ってすぐ左側から 下りエスカレーターまでの広いスペース…ダメもとで提案してみたのだ。銀座松屋は、エスカレーターの向 [続きを読む]
  • 東京生活の復活…
  • 久しぶりの東京…と言っても、住居は横浜市だ。あの頃は、緑区というのがあり田園都市線の「藤が丘」という駅で下車していた。今では、青葉区に統合されたようだが…このマンションは、友人(会社の同僚)に探してもらったのだが、なんて事はない…彼のマンションの向かいにあった建物だ。当時のダーバンという会社は東証二部から一部へ移行しただけに、勢いがあった。しかし、地方の店の販売員から本社扱いの異動には 並大 [続きを読む]
  • 更なる高みへ…
  • 旭川での生活や仕事は充実していた…部下もいつの間にか10名を超え、カジュアル部門やラルフローレンのPOLOショップなど、必要なブランドを展開するすることができた。しかし、ここまでは大変な道のりだった…当初帯広から転勤の時、旭川の地元には私と同年代の男性スタッフが数名いたのだ。歓迎会ではないが、急遽現地へ入った時 地元のメンバーらと酒を飲む機会があった。もう一つの地元百貨店のスタッフも同席してい [続きを読む]
  • 本社出頭命令…
  • 現在お付き合いのある映画会社の担当者に言われました…「いっそ ご本人の人生をドキュメント化させて映画化した方が宜しいのでは?」…笑っちゃいましたネ。 確かに…と。ただ、このブログの内容も 現在まではまだまだ序の口です。激変する人生は これからが本番!精神が破壊されているかも…と感じる方もいらっしゃるほど命がけの人生が待ってます。徐々に書いていきますが…時系列で書かなければ、おそらく理解できない [続きを読む]
  • 雨の中、3時間の土下座…
  • 昔の話で知っている方も少ないと思うが、「イクシーズ」というヤング・ブランドがあった。1980年頃だ…当時は、センセーショナルなブランドで若い人たちのライフステージを一手に賄える…という画期的なブランドだった。学用品から靴・自転車・ベッドなど、生活に必要なアイテムが全て揃う。札幌でも2店舗ほどしか展開していない新しいブランドだった。本社側の要求は、何とか旭川で「どでかいショップ」を作れないか? と [続きを読む]
  • ゼロ いやマイナスからのスタート…
  • 時節は夏の終わり…一次産業 特に農業は収穫の季節になる。そこに目を付けた。先日の居酒屋でヒントを見つけ、早速長靴と作業着・タオルを数枚買い込んだ。市内の郊外には、青々とした緑地地帯が広がっている。出たとこ勝負…とばかりに、一軒 一軒に声をかけて回った。要は、稲刈りや牧草の準備など農業や酪農家は「猫の手も借りたい季節」になるが、究極の人手不足に悩んでいる。ある農家にたどり着いたとき、高齢のご [続きを読む]
  • 宴会部長…
  • 幼い頃から賑やかな光景をたくさん見てきたせいか、客観的な思考から能動的な参加型 しいてはいつの間にか私自身が先導役となっていた。炭鉱のマチは、いつ命を堕とすか分からないだけに「祭りごと」を好む習慣がある。月産の目標採炭量を達成すれば お祭り騒ぎの酒宴…毎月達成すれば子供たちは おちおち寝てもいられないほどだ。男たちからすれば「生きがい」を感じている瞬間なのだが…あとは、夏祭りや地域対抗の運動会 [続きを読む]
  • いざ 帯広へ…
  • 2月の極寒時期の転勤だった…引っ越しの最中、お祝いでもらった瓶ビールの箱を開封し あとで飲もうと二重になっている窓の間のスペースに冷やすために4本ほど置いていた。ものの30分程度だったろうか…瓶ビールと窓ガラスが破裂した。想像を超える急冷に暴発したのだ。エラい処に来ちゃったなぁ…が 最初の印象だ。車も当然のように、ワイパーを立てておかなければ翌日の朝には使い物にならない。ワイパーのゴムがフロント [続きを読む]