Aeiou さん プロフィール

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Aeiouさん: ヨーロッパの考古学と歴史
ハンドル名Aeiou さん
ブログタイトルヨーロッパの考古学と歴史
ブログURLhttps://aeiou1288.wixsite.com/archeurope/
サイト紹介文文献、論文、講義等のメモ、発掘について主に更新しています。フランスの古代、中世の話が多めです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供47回 / 351日(平均0.9回/週) - 参加 2017/04/25 19:53

Aeiou さんのブログ記事

  • シャルルマーニュとエクス・ラ・シャペル(アーヘン)②
  • 宮殿から教会へと伸びる回廊は直接Aula(面会室)へと繋がっている。この回廊によって、シャルルマーニュは教会の入り口から入らずとも、他の入り口から直接大理石の王座の間に姿を表すことができ、シャルルマーニュの王としての威厳を引き立たせる構造となっている。さらに王座はミサや祭壇がよく見える配置に配置されていた。上階は管轄教区の教会、下階は共同生活する修行僧の学生のためのスペース(おそらく)だった。 エクス [続きを読む]
  • シャルルマーニュとエクス・ラ・シャペル(アーヘン)②
  • 宮殿から教会へと伸びる回廊は直接Aula(面会室)へと繋がっている。この回廊によって、シャルルマーニュは教会の入り口から入らずとも、他の入り口から直接大理石の王座の間に姿を表すことができ、シャルルマーニュの王としての威厳を引き立たせる構造となっている。さらに王座はミサや祭壇がよく見える配置に配置されていた。上階は管轄教区の教会、下階は共同生活する修行僧の学生のためのスペース(おそらく)だった。 エクス [続きを読む]
  • シャルルマーニュとエクス・ラ・シャペル(アーヘン)①
  • 8世紀末、シャルルマーニュはサクソン(現在のイギリスあたりに住む人たち、ドイツ、スカンジナビアから入植して定住してアングロサクソンとなった)との戦争の真っ最中であった。この頃、サクソン人たちはまだキリスト教徒ではなかったので、シャルルマーニュに改宗を強いられていた。改宗を拒むものは無理やり川に入らされ、それでも抵抗すると殺された。この慈悲のないやり方がもしかすると、スカンジナビアの人々(Viking)を [続きを読む]
  • シャルルマーニュとエクス・ラ・シャペル(アーヘン)①
  • 8世紀末、シャルルマーニュはサクソン(現在のイギリスあたりに住む人たち)との戦争の真っ最中であった。この頃、サクソン人たちはまだキリスト教徒ではなかったので、シャルルマーニュに改宗を強いられていた。改宗を拒むものは無理やり川に入らされ、それでも抵抗すると殺された。この慈悲のないやり方がもしかすると、スカンジナビアの人々(Viking)を南への遠征へと触発した一つの原因と捉えられるかもしれない。そんな時代 [続きを読む]
  • 共和制ローマのバジリカ②
  • フォルム北に位置するバジリカ アエミリアは紀元前179年に二人の執政官によって建てられた。執政官は一年ごとに二人ずつ投票で選ばれた。建物の建設などの権利を持つのはCenseur(検閲官?)という役職で、5年に一度選出される。大カトは自身が検閲官だった時にBasilica Porciaを建設させている。その5年後、Marcus Fulvius Nobilior と Marcus Aemilius Epidusが検閲官だった年に、バジリカ アエミリアは建てられた。バジリ [続きを読む]
  • 共和制ローマのバジリカ②
  • フォルム北に位置するバジリカ アエミリアは紀元前179年に二人の執政官によって建てられた。執政官は一年ごとに二人ずつ投票で選ばれた。建物の建設などの権利を持つのはCenseur(検閲官?)という役職で、5年に一度選出される。大カトは自身が検閲官だった時にBasilica Porciaを建設させている。その5年後、Marcus Fulvius Nobilior と Marcus Aemilius Epidusが検閲官だった年に、バジリカ アエミリアは建てられた。バジリ [続きを読む]
  • 共和制ローマのバジリカ①
  • 古代ローマではバジリカはなくてはならない建造物の一つである。フォルムの区画を整えるだけではなく、様々な機能を担っており、ギリシャでいうストアのようない存在だった。バジリカとはギリシャ語で王の、(royal)という意味を持つが、バジリカそのものはローマで考案された。バジリカがローマで最初に建設されたのはおそらく紀元前2世紀のはじめ頃である。Tite-Liveの文献には、紀元前210年に起きたフォルムでの火事で、フォ [続きを読む]
  • 共和制ローマのバジリカ①
  • 古代ローマではバジリカはなくてはならない建造物の一つである。フォルムの区画を整えるだけではなく、様々な機能を担っており、ギリシャでいうストアのようない存在だった。バジリカとはギリシャ語で王の、(royal)という意味を持つが、バジリカそのものはローマで考案された。バジリカがローマで最初に建設されたのはおそらく紀元前2世紀のはじめ頃である。Tite-Liveの文献には、紀元前210年に起きたフォルムでの火事で、フォ [続きを読む]
  • ナルボンヌのワイン用アンフォラ
  • フランス、ナルボンヌでアンフォラの工房(des officines)が発見された。 アンフォラ(amphore)は当時、ワインやその他の液体物を入れるのに最もよく使われた容器である。あまり便利なものとは言えず、積み重ねるのも難しく、壊れてしまうことも多かった。 多くのアンフォラが発見され、その製作は規格化され、ひとつの産業として成り立っていたと思われる。1980年台の研究によるアンフォラの分類- 前1世紀。 Dressel 1。 [続きを読む]
  • ナルボンヌのワイン用アンフォラ
  • フランス、ナルボンヌでアンフォラの工房(des officines)が発見された。 アンフォラ(amphore)は当時、ワインやその他の液体物を入れるのに最もよく使われた容器である。あまり便利なものとは言えず、積み重ねるのも難しく、壊れてしまうことも多かった。 多くのアンフォラが発見され、その製作は規格化され、ひとつの産業として成り立っていたと思われる。1980年台の研究によるアンフォラの分類- 前1世紀。 Dressel 1。 3 [続きを読む]
  • 古代フランス(ガリア)での飲み物
  • ①ワイン: ブドウの実と水を発酵させて作られた。一時期は専売権を維持しようとしたローマ人によって、ガリアでのワインは禁止されていた。他の飲み物に比べると、ワインはさほどポピュラーではなかった。しかし、ワインに関する考古学的資料は比較的見つけやすい。例:アンフォラ。ギリシャ人やローマ人がワインを輸出していた。主に宴会で飲まれていた。ガリアではワインを水で割らず、そのまま飲んでいた。これは、水で割って [続きを読む]
  • 古代フランス(ガリア)での飲み物
  • ①ワイン: ブドウの実と水を発酵させて作られた。一時期は専売権を維持しようとしたローマ人によって、ガリアでのワインは禁止されていた。他の飲み物に比べると、ワインはさほどポピュラーではなかった。しかし、ワインに関する考古学的資料は比較的見つけやすい。例:アンフォラ。ギリシャ人やローマ人がワインを輸出していた。主に宴会で飲まれていた。ガリアではワインを水で割らず、そのまま飲んでいた。これは、水で割って [続きを読む]
  • 歴史・文化・表象―アナール派と歴史人類学
  • フランスのアナール派の歴史家たちの講演や対談を記録したもの。主にテーマはタイトル通り、20世紀初頭から70年台ぐらいまでのフランスでの歴史学と人類学の研究動向について。70年台の講演などもあり、翻訳出版されたのは90年台。講演者はルゴフやデュビー、ラデュリーなど。ちょっと中世史家が多い気がする。正直中盤は眠かった。特にアナールの編集部の人部分。序盤のルゴフやデュビーは実例も多く出るし、家族だとか妖 [続きを読む]
  • 歴史・文化・表象―アナール派と歴史人類学
  • フランスのアナール派の歴史家たちの講演や対談を記録したもの。主にテーマはタイトル通り、20世紀初頭から70年台ぐらいまでのフランスでの歴史学と人類学の研究動向について。70年台の講演などもあり、翻訳出版されたのは90年台。講演者はルゴフやデュビー、ラデュリーなど。ちょっと中世史家が多い気がする。正直中盤は眠かった。特にアナールの編集部の人部分。序盤のルゴフやデュビーは実例も多く出るし、家族だとか妖 [続きを読む]
  • Le château de la butte au Diable
  • 今年の夏スタージュで参加予定のシャトーについて事前勉強。・ 位置情報Le château de la butte au DiableはHaute-Normandie地方のSeine-Maritime県、Maulévrier-Sainte-Gertrudeというコミューンにある城跡。泥土地帯であるコー(Pays de Caux)地方にあり、二筋の川によってできた谷沿いに位置する。近くにはCaudebec-en-Cauxというコミューンや、セーヌ川沿いの谷がある。Le château de la butte au Diableというのはもちろ [続きを読む]
  • アヴィニョン小旅行
  • 大学が夏休み(厳密には試験結果と追試待ちの中休み)に入ったので、友人たちとアヴィニョンへ日帰りで行ってきました。                アヴィニョンの町並みアヴィニョンはアヴィニョン捕囚時の教皇庁で有名な中世都市です。当時のものかは定かではないですが、街を取り囲む城壁もそのまままるごと残されていました。                  教皇のパレ今回は考古学科の友人とではなく、法学部の [続きを読む]
  • アヴィニョン小旅行
  • 大学が夏休み(厳密には試験結果と追試待ちの中休み)に入ったので、友人たちとアヴィニョンへ日帰りで行ってきました。                アヴィニョンの町並みアヴィニョンはアヴィニョン捕囚時の教皇庁で有名な中世都市です。当時のものかは定かではないですが、街を取り囲む城壁もそのまままるごと残されていました。                   教皇のパレ今回は考古学科の友人とではなく、法学部の [続きを読む]
  • 研修@パリの考古学と建築の歴史研究所
  • 今回の研修先は、教授に紹介してもらったパリの考古学と建築物の歴史研究所でした。これはパリ市庁の文化部門のひとつで、パリに関する文献や資料、出土品の保管と研究、パリ市内での発掘や建物の保全、修復などを主に行う課と、パリに関する古い地図や地形図、文献を保管し研究する課があります。職員は考古学者、修復師、技術写真家、文書館員などがいます。私の研修の責任者は土器の専門家だったので、主にシャルル5通りの発掘 [続きを読む]
  • スタージュ2016@パリ
  • 今回のスタージュ先は、教授に紹介してもらったパリの考古学と建築物の歴史研究所(Département Histoire de l'Architecture et Archéologie de Paris)でした。これはパリ市庁の文化部門のひとつで、パリに関する文献や資料、出土品の保管と研究、パリ市内での発掘や建物の保全、修復などを主に行う課と、パリに関する古い地図や地形図、文献を保管し研究する課があります。職員は考古学者、修復師、技術写真家、文書館員などが [続きを読む]
  • 古代ケルト人の墳墓の発掘(Lavau)
  • 2014年、L’INRAP(Institut national de recherches archéologiques préventives)が、Aube県、Lavauで、紀元前5世紀頃のものと思われる墳丘を発見し、現在も発掘作業が進められている。上空から写真によると、墳墓は堀で取り囲まれていて、墳墓の直径はおよそ40mあるということが分かった。死体は墳墓の中心にある部屋(広さは14m2)から見つかった。専門家たちによると、今まで発見されたこの時代(ハルシュタッ [続きを読む]
  • 古代ケルト人の墳墓の発掘(Lavau)
  • 2014年、L’INRAP(Institut national de recherches archéologiques préventives)が、Aube県、Lavauで、紀元前5世紀頃のものと思われる墳丘を発見し、現在も発掘作業が進められている。上空から写真によると、墳墓は堀で取り囲まれていて、墳墓の直径はおよそ40mあるということが分かった。死体は墳墓の中心にある部屋(広さは14m2)から見つかった。専門家たちによると、今まで発見されたこの時代(ハルシュタッ [続きを読む]
  • 中世ヨーロッパの教会②
  • 空間を形成する役割としての教会本来、修道院とは砂漠のような人里離れた場所に位置するのが理想とされる。しかし、実際には修道院の周辺には多くの人々が住み暮らしていた。なぜなら、修道士はしばしば領主としての役目も担っていたからである。修道士たちは領主のように土地と農民を所持し、農民は修道院に税金を治める必要があった。修道院周辺には多くの人が集い、職人が工房をかまえたり、商人が市場を開いたりした。このよう [続きを読む]
  • 中世ヨーロッパの教会②
  • 空間を形成する役割としての教会本来、修道院とは砂漠のような人里離れた場所に位置するのが理想とされる。しかし、実際には修道院の周辺には多くの人々が住み暮らしていた。なぜなら、修道士はしばしば領主としての役目も担っていたからである。修道士たちは領主のように土地と農民を所持し、農民は修道院に税金を治める必要があった。修道院周辺には多くの人が集い、職人が工房をかまえたり、商人が市場を開いたりした。このよう [続きを読む]
  • Le Pavillon des Sessions
  • Le Pavillon des Sessions とは、ルーブル美術館の一角に存在するアフリカ、アジア、オセアニア、そしてアメリカ地域の美術品が展示されている部屋である。イタリア絵画やフランス絵画のゾーンの賑わいが嘘かと思うぐらい人が少なく、がらんとしているので、落ち着いて作品を見ることができる。私の大好きなイースター島のモアイ像も普通に展示されているのでびっくりする。部屋は凹字型になっていて、それぞれの地域ごとにゾーン [続きを読む]