しべ桜の興味津々 さん プロフィール

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しべ桜の興味津々さん: しべ桜の興味津々
ハンドル名しべ桜の興味津々 さん
ブログタイトルしべ桜の興味津々
ブログURLhttps://harurindou.muragon.com/
サイト紹介文花が好きなのに育て下手な肥後っ子です
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供90回 / 168日(平均3.8回/週) - 参加 2017/04/30 20:38

しべ桜の興味津々 さんのブログ記事

  • 菊池御松囃子能と十月桜観て来ました
  • 5月2日のブログで紹介していた松囃子能です。 国の重要無形民俗文化財に指定されています。 普段はこのように閉じられていますが、秋季大祭の10月13日に開かれ 能が舞われるのです。 奉納神事ですので、菊池神社から懐良親王と良成親王を象徴する 二本の金幣(御幣)がこの頓宮に移されます。横の大木は将軍木です。 道の左側、対面に能舞台があります。 ちなみにここは我が母校菊池高校の正門左ですよ。     「 [続きを読む]
  • 夕日から明かり受け取る月の膳 (しべ桜)
  • 今夜は中秋の名月ですね。お約束通りに愚句をひねりました。 どうしても山の端から上る月を見たくて、俵山高原(西原村)まで 行って来ました。 ちょうどコスモスが満開でしたよ。 夕日が西の金峰山に沈み、待つこと40分、 肉眼ではもう少し周りは明るい感じでしたが 見てください、山頂辺りがほんのりと光に包まれています。 十五夜だけど、満月ではないそうです。 満月は5日です。でも九州は多分曇りなので見ることが [続きを読む]
  • 連歌と菊池万句と秋の草花
  • 連歌とは和歌を五・七・五と七・七に分けて、二人以上で次々と 連続させて詠みあいながらひとつのまとまった美的世界を 創り上げていくものです。 始まりは万葉集とも言われていますがその後の戦乱の時代にも連歌は 人々に愛好され成長発展していきます。 勿論、菊池とて例外ではなく、武士を始め、僧侶や神官なども連歌を 楽しみました。 菊池市史によれば、戦火で荒廃していた藤崎八幡宮を武光の頃より 造営寄進を計画2 [続きを読む]
  • ただ不満を爆発させただけでは無いのです。
  • 明治9年に起きた神風連の乱の志士たちのことです 彼等は真に国の行く末を憂い、事を起こすことで、急速な欧米化により 日本古来の精神性が失われて行くのを守ろうとしたのです。          その行為は決して是とするものでありませんが・・ 熊本市中央区黒髪に桜山神社はあります。 上の文字が小さくなってますがここはしっかりと読んで欲しいところです。 以前に取り上げた高木元右衛門を覚えていますか? 宮部鼎 [続きを読む]
  • 皆さん!山鹿市立博物館を忘れてやしませんか?
  • 1978年開館された山鹿市立博物館です。 大坪眼鏡橋が隣接地に移築されてます。 館内には勿論、貴重な考古資料が展示されています。大人から子供 まで、なるほど納得できるいい施設です。 なのに、この閑散さ・・寂しすぎます。 まだたくさんの箱式石棺がここにはあります。 博物館からは静かな古代への道が続いており、そこを抜けると古墳が 待っています。 ご存知だとは思いますが、熊本県は装飾古墳の宝庫なんですよ [続きを読む]
  • 池田屋で近藤勇と斬り合った志士高木元右衛門
  • 懐良親王ゆかりの将軍木の隣地にわいふ一番舘があるのですが そこに、知る人ぞ知る高木元右衛門の銅像が立っています。     (知らない人は知らないの中に私も入るのですが・・) 居ましたねぇ菊池にも、剣豪が。 ただの剣豪ではありませんよ。学問にも秀でていたのです。 元右衛門は1833年菊池市深川に生まれました。 菊池観光協会のホームページによれば祖先は菊池氏に仕えていたそうです。 代々軍人笛方の家柄で [続きを読む]
  • 夏の菊池遺産巡り、石段と坂道と熱中症との戦い?
  • 猛暑日の中、今回もあちこち行って来ました。 菊池は盆地です。分かってはいたのですが・・負けました ↓↓ でも、この風景を皆さんにぜひ見てもらいたい! 菊池市稗方にある菅原神社です。 怖くない仁王像が迎えてくれます。 狛犬まで愛嬌有りに見えますね。 石製の梅の木と花に石馬の奉納品、なかなかありませんよ。 弁天さまでしょうか。 何より惹かれたのは本殿の珍しさと美しさ。 しかも・・ お気付きですか?本殿 [続きを読む]
  • 有名も無名も隈なく有り難き宮、七城町
  • 菊池兼朝公墓はまだご紹介してませんでしたね。 兼朝はあの武朝の嫡子です。父の意思を継ぎ活躍しますが、その 最中、嫡男持朝に家督を譲り、芦北佐敷に隠居してしまうのです。 何故でしょうね・・と6月のブログにも書いてますが・・ 持朝公墓は隈府町近くの菊池川沿いにあります。 じゃまた七城町に戻りましょう。 台(うてな)台地の足元にある地区を訪ねてみました。 山崎区の玉石垣です。台地へ登る坂道は曲がりくねり [続きを読む]
  • 夏の菊池川上流に行ってみなっせ、涼しかよ〜
  • ♪貧しさに負けた〜♪い〜え暑さに〜負けた〜♪ そこで今日は涼しくなる風景をお届けいたします。 菊池川を鮎のようには遡ることが出来ないと書いたあの日に 行くはずだった滝に行って来ました。 菊池市重味滝にある産さん滝です。 滝の上流では家族連れが水遊びを楽しんでました。 でもしだいに流れが速くなり・・ 大きな岩のあいだを勢い良く流れて行きます。 まるで水のジャグジー〜♪ でも気をつけてくださいね。 こ [続きを読む]
  • 源為朝の妻子伝説が残る神社があった!
  • 菊池市役所に行ってガイドブックを頂きましたよ。 菊池市史を読んで気になっていた神社が幾つかありましたから。 そう、この神社気になりますよねぇ。で、この暑い中行って来ました 菊池神社大鳥居前を過ぎたら旧道に入り石橋を渡り北上します。 数分走ると平野部が狭くなり左側に岩の崖が多くなります。 そしてこの滝に出会いました。落差数mですが、白糸の滝の ミニ版みたいです。実物はとても爽やかな感じですよ。 滝を [続きを読む]
  • 川の両側に海津見神社と綿津見神社があるのです
  • 七城町に海津見(わだつみ)神社があると知って興味津々、 早速行ってみました。 だって菊池は内陸部ですよ。 今月12日のブログに載せた川です。 この川下の左岸に海津見神社、右岸に綿津見神社、どちらも わだつみ神社といいます。 こちらは七城町の神社です。 創建したのは菊池武朝です。 夜毎、川の底にキラキラと光っていたのを家来が潜って拾いあげて 見たら、二つの白い石だったとか。 昼太陽の光に当たって輝く [続きを読む]
  • 渋江家の由来と逸材を辿ります
  • 菊池市隈府が第二の故郷だと言いながら、菊池に多大な功績を 残された渋江家を危うく素通りするところでした。 ♪あの日〜あの時〜あの場所で〜♪ 雨がそぼ降る中、ふと目に留まった神社、何か気になって車から 降りて写真を撮りました。 ちょうどその時渋江宮司さんが車で来られたのです。 偶然は必然、本当にそうですね。 これより以下は菊池市史(下巻)編纂の中からのご紹介となります。 渋江家の祖先橘島田丸(麻呂? [続きを読む]
  • 天地元水神社の宮司渋江家は橘諸兄が始祖です!
  • 覚えてますか?この神社を。偶然通りかかったんですけどね。 6月30日のブログに乗せました。 この時おられた宮司さんが渋江さんでした。 7月16日に神事があるので良かったらどうぞと言ってくださり 先日、伺いました。 天地元水神とは、天にあっては国狭槌命(クニサツツチノミコト) 地にあってはミヅハメノミコト、神代において水を司り給う神 天地初生の神と水神とを合わせて言われる神、 だそうです。 太鼓の音 [続きを読む]
  • 台城(うてなじょう)へ行ってみましょう→
  • 台城の足元の水田地帯です。 ここで、水島の戦いは行われました。 台城から山鹿市方面を見ると、 今川了俊が陣を置いた日の岡山が(鹿本町)見えます。 中央奥の右側の山です。この写真の道の右上に台城があるのです。 本丸はこの奥です。 このうてな台地は今は平に整地されていますが、大小の古墳が 多く存在していたと聞いています。 円墳の上に石碑が建ててありました、台城祉と。 少しでも遠くが見えるように櫓があっ [続きを読む]
  • 地震、雷、火事、豪雨、災難続きの故郷たちです。
  • 今回の豪雨災害本当にひどかったですね。 今の日本どこに住めば安心して暮らせるのか、我が故郷も昨年地震が 起こり、甚大な被害を受けました。その4年前はやはり北部九州豪雨で 被災しています。 安心安全な所なんてもしかしたら無いのかも? でも、故郷は何があっても故郷です。例え住めなくなったとしても 心の中にある故郷を忘れず生きていたいし、また生きていってほしいと 思います。 ここに書くだけでは何の足しに [続きを読む]
  • 菊池武朝申状 後編 仍て言上件の如し
  • さて、今日は武朝申状のご紹介でしたね。 漢文体で書かれていたそうです。 菊池市史に掲載してある読み下し文を紹介します。 武朝の心中を察して難解な漢字にめげることなく読んで下さいね。   ※ 菊池右京権大夫武朝申す代々の家業の事 右今度勅使、将軍の宮に申さるるが如くんば、当家の忠孝は、元弘の 忠志に過ぐベからざるか、ここに因りて群党の訴えを閣かれ難しと 云々。 謹んで当家忠貞の案内を検するに 中の関 [続きを読む]
  • 菊池武朝申状 前編 侮られてたまるか
  • 北部九州が今大変な事態となっていますが、熊本に居る身としては 一日も早く収まり元の暮らしに戻られることを切に願っております。 では話をさせて頂きます。 あの南北朝動乱はあまりにも長すぎました。 足利将軍義満の時代1392年にやっと合一します。 しかしその動きは10年以上も前から始まっていたのでした。 幕府は早く朝廷を一緒にして権力を確たるものにしたかったし、 南朝方も、戦う武士たちは次第に追い込ま [続きを読む]
  • 嵐に翻弄される樹々を見ていて想うこと・・
  • いきなり台風がきました。写真では良く分からないですが、 左右に大きく揺さぶられる樹々たちです。 自然には逆らえないと、つくづく思い知らされますよね。 でも翻弄するのは自然ばかりではないことは皆様ご承知のはず。      故郷に今夜ばかりの命とも             知らでや人の我を待つらん これは菊池武時が博多探題に討ち入りする前に、嫡男武重に 託した辞世の歌です。 有名な袖ヶ浦の別れです。負 [続きを読む]
  • 懐良親王の晩年は筑後矢部でも御陵は八代?
  • 八代市にある懐良親王御陵です。 明治11年に公式に認められたそうです。 亡くなられた場所とお墓がだいぶ離れているのに何故でしょうか? 涼し気な川と緑あふれる山に囲まれた静かな所です。 天皇の勅使が御陵参拝後にこの石段を上って悟真寺に行かれたとか。 説明板によると、良成親王の命で菊池武朝が懐良親王のお墓と 菩提寺悟真寺を創建したということでしたね。 少し納得できましたが、でも亡くなられたのは筑後矢部 [続きを読む]
  • 菊池川を遡って・・でも鮎じゃないのでムリ・・
  • ここは菊池川が山あいを抜け出て、平野に流れ始める所です 同じ場所から川下を見ると、ね、広いでしょ。 今日は、この川の上流にあると聞いた可愛い滝を目指しました。 途中立ち寄ったのがここです。 菊池氏は山越えして襲ってくる大友氏に備えて砦城を何か所も 作っていました。 道をかなり進むといよいよ渓谷らしくなってきましたよ。 高架橋から下を見ると吸い込まれそうです。 滝の近くまでは行けたのですが、下へ降り [続きを読む]
  • どうしても書いて置きたい十四代武士のこと
  • 菊池武士(たけひと)は勇将武重と猛将武光との間に惣領に なった人です。 武重が亡くなり、武士が当主になって菊池氏は混乱状態に なりました。 征西府将軍懐良親王が九州に西下されるので、お迎えする為の 準備をせねばならない時期です。 しかも武家方が対抗するために絶え間なく攻撃をして来ます。 尊氏は菊池に近い泗水の寺を安国寺と定めました。 つまり武家方の寺ということです。 二十三代菊池政隆が自刃した寺で [続きを読む]
  • 肥後三轟水、宇土轟水源は城跡のすぐそばです。
  • 宇土古城の上からは宇土半島の峰々がすぐ近くに見えます。 その麓に轟水源があるのです。 犬の散歩に来られていた方が、地震のあと水量が増えたようだと おっしゃってましたが、あれだけ揺れれば水脈への影響もある かも・・ 時々行く西原村の水源です。 ここも相変わらずの湧水量で安心しましたが、近くの堤と 橋が壊れて、ちょっとだけ遠回りして来ます。 あの道の向こうが大切畑の堤だったんですが、地割れのため 水が [続きを読む]
  • 国指定の中世宇土城跡を見に来ませんか?
  • 今回じっくり見学して来ましたが、正直驚きました。 とにかく説明板を読んでください。 千畳敷にある建物跡地です。 頂上部からは、360度見渡せたでしょう。 今は木がありますが・・ この城跡は古墳時代にも建物があったのでしょうか? 土師器や箱式石棺も出ていますし・・ 何世紀にも渡り活用されていたということですね。 菊池一族だった宇土為光が菊池能運と戦い敗れたあとに、名和氏が 八代から宇土城に入りました [続きを読む]
  • もっと早く行けば良かった大慈禅寺です
  • この山門を見た時、どうして傷つく前に、お参りに来なかったのか 初めて訪ねたお寺の痛々しい姿に自分を責めました。 仁王像も地震で倒れてたそうです。 本堂もご覧の通り修復中です。 御本尊もたぶん・・ 大智禅師の師である寒巌義尹は順徳天皇の皇子だったのですね。 国宝である梵鐘はもちろん外されてましたが、鐘楼は無傷でした。 地震で落ちた瓦だと思います。 二基の層塔も倒れていました。 寒巌和尚も生前には経験 [続きを読む]
  • 一休さんみたいな幼少期、名僧大智禅師
  • 今日は、菊池氏が心の師と仰いだ大智禅師への興味津々です。 禅僧の生涯が如何なるものであったのか紐解いてみましょう。 大智は熊本の不知火町の農家に生まれますが、子供の頃から 仏に興味を持っていて、坊さんになりたいと言い出したのが 七歳の時です。 川尻町の大慈禅寺の寒巌義尹和尚は連れて来られた大智を見て 只ならぬものを感じます。 幼名を万仲と聞いた和尚は饅頭を出して食べさせ、聞きました。 「お前の名は [続きを読む]