日々是好日 さん プロフィール

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日々是好日さん: 日々是好日
ハンドル名日々是好日 さん
ブログタイトル日々是好日
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/okinabe11
サイト紹介文毎日を悔いなく
自由文旅が好き、温泉が好き、沖縄が好き…
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供133回 / 300日(平均3.1回/週) - 参加 2017/05/02 21:49

日々是好日 さんのブログ記事

  • プーリーへ到着(47)インドの旅 1981年
  • カルカッタから夜汽車でプーリーへ到着。プーリーはベンガル湾に面した海辺の街だ。体調悪く、ずっと横になっていた。汽車の中では、子供2人、父母と旅行らしい家族もいた。子供の服も綺麗だった。インド中流の家族だろうか。子供がお菓子ばかり食べてる。レモンの皮、みかんの皮、そこらじゅうに投げ捨て、汽車の床はゴミだらけだ。プーリーの駅に着き、汽車を降りると、リキシャの兄ちゃんがいつものように寄ってきた。安い [続きを読む]
  • 再びサルベーションアーミーへ泊まる(46)インドの旅1981
  • カルカッタでは再びサルベーションアーミーに泊まることにした。昨日インドへ来た人も多く、大勢の日本人旅行者がいて騒然としている。あまり日本人のいない部屋という希望で、おとなしいはにかみ屋のドイツ人と同室。英語は僕と同じくらい低レベルで親しみを感じてしまった。2週間前に、ここサルベーションアーミーで出会った医学生とも再会した。デリーへ行き、昨日カルカッタへ戻ってきて、明日にも日本に帰るという。彼の部 [続きを読む]
  • 再びカルカッタ(45) インドの旅1981
  • ベナレスからカルカッタへの一等寝台は、立派だった。二等と比べて雲泥の差の差だ。インド人の紳士と一緒の部屋になった。きびきびとした動作、きっと上流階級の人なんだろう。彼は夜になって、クルタに着替えて眠った。汽車の中はレモンがベストだ。1つどうぞと綺麗な英語で、いただいた。堂々としたインド人。圧倒されそうだった。路上生活者と、この紳士。貧富の差は、汽車の中でも感じてくる。かつての植民地支配やカース [続きを読む]
  • ベナレス最期の日(44)インドの旅1981
  • いよいよベナレス最期の日。列車事故や洪水などあって、3度目の正直だ。ヒゲさん アグラへ行く。ヒゲさんと、ベナレス駅で出会って3日間は、とても楽しく過ごせたので、さすがに別れは寂しい。名前も知らないので、もう会うことはないだろう。いい旅を。ベナレス駅の構内には牛が何頭も寝そべっていた。いったい何頭いるんだろうかって聞くと、日本人の数ほどいるよっていう答え。街には、いのししも駆け回っている。人と街と、 [続きを読む]
  • (43)非能率 故障 ーインドの旅1981年ー
  • 明日のカルカッタ行きの汽車の予約をする。2等寝台で行くつもりで並んでいたが、あのひどさには参ってしまった。一人に10分以上かかり、あとからあとから割り込んでくるインド人。1時間待っても列は進まない。めんどくさくなって、一等寝台にきりかえる。ルピーで考えると、かなり高いが、円で換算すると、たいした金額でもない。切符売り場も生存競争だ。明日は、ほんとうにカルカッタへ行けるんだろうか。3度目の正直。夕方、 [続きを読む]
  • (42)日本人旅行者に多数会う インドの旅
  • ベナレスのツーリストバンガローの前にあった食堂へ行き、カレー食べる。ここのカレーは辛くなく食べやすい。チャパティーと食べるカレーは美味しい。そういえば、ナンにはお目にかからなかった。カトマンズから来た日本人二人と知り合う。インドは、もう半年近く旅をしているそうだ。飯くるの遅い、大声でバカヤロウと叫んでいる。どうも、そういう態度に抵抗を感じる。旅の途中は、その国の習慣や風習を尊重すべきで、旅をさせて [続きを読む]
  • 汽車動かず(41)インドの旅1981
  • また事故だ。またプーリーへ行けない。なんてことだ。洪水か事故かで汽車はストップした。しかたないので、ヒゲさんとツーリストバンガローに泊まる。A/C付き(水冷式)で、二人で45ルピー(1300円)インドで、こんな豪華なホテルは初めてだ。ヒゲさん けっこうお金持ってるんかもしれない。きれいな部屋で、日本のユースホステル並みで、シャワー、トイレ、ベッドも綺麗だ。ベナレスからのプーリー行きの列車は1週間に2便しかな [続きを読む]
  • (40)プーリーへ行こう インドの旅
  • (40)プーリー目指す海辺でのんびり過ごそうと、ベンガル湾沿いにあるプーリーという街に、行くことに決めた。ベナレスからカルカッタ経由で、南下していく。汽車の予約をした当日、鉄橋が雨のため壊れ、汽車がストップしてしまう。どうしようと、駅でウロウロしてたら、ヒゲ面の汚い浮浪者がニコッと近づいてきた。インド人か日本人かわからない。日本語で話しかけてきたので、日本人旅行者とわかる。汽車が動かないので、ヒゲ [続きを読む]
  • インドの旅 1981年 (39)交通事故
  • (39)交通事故リキシャでベナレス大学の近くの河岸へ行き、フェリーに乗って対岸へ行くことにした。ところが待っても待ってもフェリーは来ない。30分待っても来ないので、諦めて帰ることにする。帰りのリキシャで交通事故にあう。前から、猛スピードで自動車が近づいてきた。あっと思った瞬間、体が投げ出され、吹っ飛ぶ。リキシャのおっちゃん、大丈夫かなと思い、立ち上がって見ると、頭から血を出し、ぐったりのびている。ぶつ [続きを読む]
  • インドの旅 1981年(38)ベナレス帰って宿探し
  • (38)ベナレスへ帰るベナレス駅近くで、宿を探す。ツーリストバンガローがあったので、今日空きがあるか聞いてみると、12時にチェックアウトなので、今は予約できないと言われた。諦めて、隣にあった宿にする。ベッドは二つあり、室内は陽がさささず真っ暗だったが、交渉してそこに決めた。1泊12ルピー(360円)リキシャでガンジス川へ再び行ってみた。宿やリキシャの値段の交渉は、だいぶ慣れてきた。とんでもないふっかけ値段も [続きを読む]
  • インドの旅 1981年 (37)再びベナレス オート三輪
  • (37)オート三輪インドに来て、まだ10日しか経っていない。毎日毎日が驚きとショックの連続だ。カルカッタからベナレス、サルナートと回り、この5日間は日本人旅行者と会っていない。今回思ったことは、荷物の量が多すぎたこと。ザック、シュラフ、水筒、正露丸、サビオ、抗生物質、痒み止め、それくらいでいい。あとはインドで調達できる。荷をかるくすること。これにつきる。サルナートのツーリストバンガローの前にオート三 [続きを読む]
  • インドの旅1981年(36)サルナート 午後
  • (36)サルナート 午後サルナートでは、路上生活者も少なく、バクシーシと手を出す人達が少なかった。久しぶりにホッとして、落ちつける時間を持てた。夕食に、小さな店でマサラドサを食べるが、まだインド料理には慣れない。出された料理の不潔さが徹底的に食欲を減退させる。胡麻だと思ったものが蝿だった。蠅を払い、それでも食べる。食べる前に腹痛を起こしてしまいそうだ。それでも、夕方から夜にかけてのサルナートは素敵だ [続きを読む]
  • インドの旅 1981年(35)サルナートへ
  • (35)サルナート午後になって、サルナートへ行ってみることにした。ベナレスから約10kmだ。釈迦がブッダガヤで悟りを開いて、最初に説法された場所として知られている。鹿野苑と呼ばれて、仏教遺跡が、かなり多い。ベナレスのバス停で待っていても、バスが来ない。同じように待っていたインドの娘さん家族と一緒にオート三輪で行くことにした。たった5ルピー(150円)で行くことができた。ひととおり見学して、今夜はサルナートへ [続きを読む]
  • インドの旅 1981年 (34)ベナレス近景
  • (34)ベナレス近景午後もガート前で過ごした。1日中、ガンジス川を眺めている。また舟に乗った。単純に舟が好きなのと、川の上は風も吹き、暑さを忘れる。若い青年が漕いでくれた。彼は英語を話さないし、僕も数あるヒンズー語の一つも理解できない。ナマステだけ。でも、見つめあって手振りだけで、会話ができるもんだ。感じのいい青年だった。 [続きを読む]
  • インドの旅 1981年 (33)ガンジスでボート
  • (33)ボート1日中、ガンジス川を眺めていた。あれだけ多くの人の死を見て、焼かれガンジスに戻される風景を見てると、誰だって死って何だろうと考えてしまう。無い頭で死ぬことの意味を、いっぱい考えた。無い頭なので、何もわからなかった。夕方、宿へ帰って、そこら辺で食事する。あまり食欲ない。夜、暑くて宿の前で夕涼み。椅子が置いてあり、座って街行く人をぼーっと眺めていた。翌日、起きて、再びガートへ歩いて行 [続きを読む]
  • インドの旅 1981年( 32)久美子の家
  • (32)久美子の家ガンジス川の岸辺に久美子の家と日本語で書かれた建物があった。あとで知ったことだが、インド人と結婚した久美子さんが 営む格安の宿だそうだ。日本人のバックパッカーがよく利用するらしい。そういえば、ここベナレスでまだ日本人と会っていない。日本人の利用しない宿に泊まれば、会うこともない。ここベナレスでは、あんまり日本人旅行者には会いたくないような気分になっていた。 [続きを読む]
  • インドの旅 1981年(31)ガンジス
  • (31)ガンジスマニカルニカーガートへ行ってみた。火葬場があった。10体ほどの死体がサリーに包んである。赤いサリーに包まれた死体は女性の、白いサリーに包まれた死体は男性だそうだ。火葬場のある広場には、焚き木が組み合わされ、その二つが灰色の煙をあげていた。人の焼ける匂い、その側で犬が何かをガツガツと食べている。犬の目つきは鋭い。サリーにまとわれた死体が、ガンガの水に浸って放っておかれていた。火葬場の順番 [続きを読む]
  • インドの旅 1981年 (30)ガート
  • (30)ガートリキシャでツーリストオッフィスへ行き、ヴァーラナーシー市内の地図をもらった。ここ、ヴァーラナーシーはカルカッタと違い、リキシャも値段をふっかけてこない。それとも、汚い格好をしてるので、貧乏旅行者と思われてるのか。1ルピー(30円)だった。ガートへ行ってみる。本によると、人は死ぬためにヴァーラナーシーへやって来るそうだ。遠いところから、汽車に乗り、あるいは何ヶ月もかけて歩いてやって来る。ガ [続きを読む]
  • 1981年はじめてのインド (28)ヴァーラナーシー
  • (28)ヴァーラナーシー汽車がヴァーラナーシーの駅に着いた。ガヤから運賃が45ルピー(1300円)だった。ホームに降りると、リキシャのおじさんが多数ついてくる。無視して外へ出ると、押しの強いおじさん。宿引きだった。これから宿を探すのもめんどうだし、とりあえず部屋を見てから決めることにした。一緒にリキシャに乗り込む。今まで泊まった宿よりはるかに綺麗だ。Tourist villa 1泊20ルピー(600円)少し高いが、疲れていた [続きを読む]
  • 1981年はじめてのインド 27ヴァーラナーシーへ
  • 27ヴァーラナーシーへいつまでもブッダガヤへ滞在したいが、たった1ヶ月のインドなので、次の街を目指すことにした。ブッダガヤから5時のバスに乗ってガヤから630の汽車に乗るつもりが寝過ごしてしまった。仕方なくオート三輪でガヤへ出る。20ルピー(600円)も取られてしまう。一人で乗ったので仕方ない。7:20に汽車が来る。ホームが変更されていて、どの列車がヴァーラナーシー行きなのかわからない。そこに昨日まで泊まっていた [続きを読む]
  • 1981年はじめてのインド 26露店
  • 26 露店ブッダガヤの中心広場には露店が多かった。食べ物や装飾品の店が並んでいる。バナナ買った。まだ体調が戻らないので、チベット寺の門にいる巡礼者にあげた。ジュースばかり飲んでいる。生水は危ないので、ジュース多量摂取がよくないのかもしれない。live21という肝炎の薬を買った。夜、涼しくなって、この辺りを歩くのは気持ちいい。ベッドと小さな窓しかない石の部屋で夜を過ごすのは暇で仕方ないので。夜は、巡礼者がい [続きを読む]