清範剛 さん プロフィール

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清範剛さん: 矛・盾 の e-Note
ハンドル名清範剛 さん
ブログタイトル矛・盾 の e-Note
ブログURLhttp://hokototate.blogspot.jp/
サイト紹介文古事記、日本書紀、万葉集など古の出来事を暇が取り柄の老いぼれが徒然なるがままに紐解いた備忘録です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供120回 / 197日(平均4.3回/週) - 参加 2017/05/03 21:45

清範剛 さんのブログ記事

  • 淡嶋と淡道嶋 〔124〕
  • 淡嶋と淡道嶋「淡」が付く二つの島が古事記に表れる。勿論これらは伊邪那岐・伊邪那美が産んだ島であるが、「淡嶋」は何故か「子」の数には加えていない。一方の「淡道嶋」は正式名称「淡道之穗之狹別嶋」であり、決して両者は同じ島ではないことを伝えているようである。しかしながら現在までこれらの区別をした解釈はできておらず、本ブログも曖昧な記述で終わっていた。と言うのもこれらの島が登場する場面は限られており、なか [続きを読む]
  • 品陀の意味 〔123〕
  • 品陀の意味応神天皇の和風諡号は「品陀和氣命」とあり、それに含まれる「品陀」その意味についてはまだ紐解いていなかった。「宇陀」「阿陀」の文字が登場、古事記で用いられている意味は「陀」=「崖」急勾配の山の斜面を意味することが確認した。応神天皇紀を読む限り「陀」に関連するような説話は登場せず、不思議な命名と思われる。応神天皇紀にある「吉野の国主の歌」にその読みは「本牟多(ホム(ン)タ)」であると記述されてい [続きを読む]
  • 再びの難波之高津宮 〔122〕
  • 再びの難波之高津宮古事記が描く壮大な物語りの舞台が何処にあったか、それを示す重要なキーワードの一つ「難波之高津宮」がある。あからさまに語られない故に様々な憶測が生まれて来た。本ブログも九州豊前平野を見下ろす御所ヶ岳・馬ヶ岳山塊の北麓辺りとして読み下して来たが、そろそろその詳細を述べる時になったように感じる。既に記述したものも含めて纏めると、また何か新しい発見があるかもしれない…と期待しつつ・・・。 [続きを読む]
  • もう一つの當摩:咩斐 〔121〕
  • もう一つの當摩:咩斐前記で現在に繋がる「當麻」は正に修験道の世界を示していると紐解いた。それは現在の福智山山塊を修験場とし、山麓に広がる地域であった。英彦山を中心とした古代の修験を示したものとして貴重な記録かと思われる。その世界と現実の世界とに境があるわけでもなく俗世間の営みをも包含した場所であったろう。そんな思いでみると、やはり古事記は書き残していた。前記「新羅の王子:天之日矛の子孫」に現れる「 [続きを読む]
  • 新羅の王子:天之日矛の子孫 〔120〕
  • 新羅の王子:天之日矛の子孫阿加流比賣?を追っかけて倭国にやって来た王子、難波津迄来たのは良かったが、渡の神に許してもらえず致し方なく多遲摩国に向かった。結果的にはそれが幸いしたのか多くの子孫を残すことになった、という前説で例によって子供の名前の羅列が始まる。スーッと読み飛ばしそうなところであるが、いやいやこれが結構な情報を潜めていたのである。多遲摩國での娶りと子孫のことが記述される…古事記原文…故 [続きを読む]
  • 宇遲能和紀郎子 vs 大山守命:戦闘場面の再現 〔119〕
  • 宇遲能和紀郎子 vs 大山守命:戦闘場面の再現応神天皇が亡くなられた後その命に従わず大山守命が天下を欲したという筋書きで騒動が起きる。大山守命は応神天皇が高木之入日賣を娶って産まれた御子で、五百木入日子命と前記した尾張の志理都紀斗賣の孫に当たる。主役の宇遲能和紀郎子は丸邇の矢河枝比賣の御子である。陰で糸を引いた大雀命は高木之入日賣の妹の中日賣命の御子という設定である。次期天皇は宇遲能和紀郎子、国の政治 [続きを読む]
  • 尾張の志理都紀斗賣 〔118〕
  • 尾張の志理都紀斗賣尻突きの乙女なんて怪しい名前の比賣…そんなことには興味なく「斗」の文字使いの収集例として挙げてみた。それにしても尾張の何処にいたのか、尾張国の詳細を探ることも併せて面白いことになるようである。古事記中のどの場面に登場するのか…古事記原文…五百木之入日子命品陀和氣命、坐輕嶋之明宮、治天下也。此天皇、娶品陀眞若王之女三柱女王、一名高木之入日賣命、次中日賣命、次弟日賣命。(此女王等之父 [続きを読む]
  • 応神天皇:『蟹の歌』再読 〔117〕
  • 応神天皇:『蟹の歌』再読「木幡村」の位置が全く異なってしまったら「蟹の歌」の読み直しを余儀なくされてしまった。労を惜しまず誤りは速やかに修正すること、と言って少々時が立ったが・・・。改めて原文より掲載。古事記原文[武田祐吉訳]…故獻大御饗之時、其女矢河枝比賣命、令取大御酒盞而獻。於是天皇、任令取其大御酒盞而、御歌曰、許能迦邇夜 伊豆久能迦邇 毛毛豆多布 都奴賀能迦邇 余許佐良布 伊豆久邇伊多流 伊知 [続きを読む]
  • 応神天皇:木幡村再考 〔116〕
  • 応神天皇:木幡村再考思い込み程恐いものは無し、である。出掛けたのだから往路のことしか考えない。落とし穴に嵌ったようにトンデモナイ間違いをしてしまったようである。木幡村、再考である。少々長いが段落全文を掲載する。古事記原文[武田祐吉訳]…一時、天皇越幸近淡海國之時、御立宇遲野上、望葛野歌曰、知婆能 加豆怒袁美禮婆 毛毛知陀流 夜邇波母美由 久爾能富母美由故、到坐木幡村之時、麗美孃子、遇其道衢。爾天皇問 [続きを読む]
  • 迦邇米雷王 〔115〕
  • 迦邇米雷王神の教えを聞かぬ仲哀天皇、熊曾退治が優先との考えに拘泥なされて、息長ならぬ息短になってしまったと古事記が伝える。他の史書では実際に熊曾征伐に出向き、弓矢に当たって亡くなったとの噂もあるほどである。古事記は語らないので、琴を弾きながら息を引取ったとしておこう。そこで大后の息長帯比賣が華々しい活躍をする舞台が設定されることになる。この背景については憶測の域を出ないが、少し調べてみたのが、この [続きを読む]
  • 春日=カスガ? 〔114〕
  • 春日=カスガ?「春日」を何と読む?…とは愚問もいいところと言われそうである。当然「カスガ」で「ハルヒ」「シュンジツ」などと読む方がおかしいくらいになってしまっている。それだけ「カスガ」の読みが浸透しているのである。勿論、「春」「日」にも「カスガ」の読みなど、辞書には見当たらない。というわけで、これも「飛鳥=アスカ」「日下=クサカ」の類である。調べれば、「春日=カスガ」の由来は枕詞とすぐに出て来る。 [続きを読む]
  • 犬上君:稲依別王 〔113〕
  • 犬上君:稻依別王 まさかの出来事、固有の姓ではなかったことが判った、というか気付かされた。滋賀県犬上郡という地名がある。個人名を土地に付けるなら精々、町・村の単位であろう。郡であることもかんがえられなくもないが、ここは地名が個人名になったと推測される。「犬上」の姓を持つ人物が後に登場する。といっても古事記ではなく日本書紀など、古事記が筆を置く直前か、その後の人物である。日本武尊の御子・稲依別王の [続きを読む]
  • 倭建命:能煩野・白鳥御陵 〔112〕
  • 倭建命:能煩野・白鳥御陵大英雄のエンディングの場所、ある程度の根拠を持ちながらこの辺りとして来たが、今一度在所を突止めてみようかと思う。更なる情報がきっと埋め込まれていることを期待して…古事記原文[武田祐吉訳](以下同様)…自其地幸、到三重村之時、亦詔之「吾足、如三重勾而甚疲。」故、號其地謂三重。自其幸行而、到能煩野之時、思國以歌曰、夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登 [続きを読む]
  • 倭建命:尾張から甲斐への行程 〔111〕
  • 倭建命:尾張から甲斐への行程倭建命の東方十二道の行程については伊勢、尾津(小津)の辺りは詳細にわかって来たのだがその他は決して明確ではない。要するに地名の情報が少なく、手掛かりが掴めないと言った状況のままで今日に至ったようである。推論を逞しくして挑んでみよう。尾張国・相武国尾張国と相武国についての記述は以下の通りで…古事記原文[武田祐吉訳](以下同様)…故、到尾張國、入坐尾張國造之?・美夜受比賣之家。乃 [続きを読む]
  • 沙本の謀反 〔110〕
  • 沙本の謀反垂仁天皇紀の説話の冒頭に記述される事件である。垂仁天皇は沙本之大闇見戸賣の子の沙本毘賣(別名、佐波遲比賣)を娶った。この比賣の兄に沙本毘古がいた。古事記原文…此天皇、以沙本毘賣爲后之時、沙本毘賣命之兄・沙本毘古王、問其伊呂妹曰「孰愛夫與兄歟。」答曰「愛兄。」爾沙本毘古王謀曰「汝寔思愛我者、將吾與汝治天下。」而、?作八鹽折之紐小刀、授其妹曰「以此小刀、刺殺天皇之寢。」事件の前書きである。巷の [続きを読む]
  • 再びの東方十二道 〔109〕
  • 再びの東方十二道「古事記通釈」なんて作業に取り掛かったら、出て来るは出て来るわ、読み飛ばし、珍解釈・・・何とか気持ちが折れることなく進められているのは、やはり推敲重ねるとそれなりの結果が伴うからで、グルグル回りはこれからも時間の許す限り、であろう。中でも「東方十二道」は古事記そのものの記述も簡単で、登場回数も決して多くはない。倭建命の東方遠征が最後で後は顔を見せない。古事記の設定からすると、舞台の [続きを読む]
  • 赤い丹の穂 〔108〕
  • 赤い丹の穂赤米、黒米(紫黒米、紫米)が登場して彩鮮やかな古代の米の話題が浮かびあがってきた。衣食住の食について古事記が記述しないわけがない筈で、紐解いた結果はその技術にまで立ち入ることとなった。耕作地については「茨田=松田」それには水源(井)の確保と「溝」作りがあり、それは比較的傾斜の緩やかな扇状地に拡げられたところである。急傾斜の地には「池(沼)」を作り貯水と灌漑用水を配備する。それには石垣を積み上げ [続きを読む]
  • 建内宿禰:久米能摩伊刀比賣・怒能伊呂比賣 〔107〕
  • 建内宿禰:久米能摩伊刀比賣・怒能伊呂比賣毎度のことながら我ながら情けなくなるのが、読み飛ばしである。気付けばその時に少しは引っ掛かったという記憶があるのだが、今一歩の突っ込み不足で後日に嘆くことになる。地名を刷り込まれた人名の羅列に圧倒される日々である・・・と、言い訳めいた前置きはこれくらいにして、取り掛かろう。古事記原文…此建?宿禰之子、?九。男七、女二。波多八代宿禰者、波多臣、林臣、波美臣、星 [続きを読む]
  • 紫黒米の垂仁天皇 〔106〕
  • 紫黒米の垂仁天皇初国の天皇と言われた崇神天皇の後を引き継いだ伊久米伊理毘古伊佐知命は国の基盤を確立するために様々な手を打ったであろう。ここまで述べてきたように天皇家は大勢力、圧倒的な武力で倭国を支配してきたわけではなく、地元住民との「言向和」そして娶りを繰り返しながら御する地を拡大してきた。いつの時代でも二代目の役割は重要である。一応の目的を果たしたわけだがまだまだ積もる課題が残っているのが常であ [続きを読む]
  • 意富阿麻比賣の麻 〔105〕
  • 意富阿麻比賣の麻崇神天皇が娶った中に「尾張連之?・意富阿麻比賣」がいる。従来、この比賣の扱いが微妙なのである。一つの理由に御子に「大入杵命」がいることもあろうが、「尾張」と「意富」繋がりが唐突であり、島根と愛知を如何にして繋げるかに掛けるか、語らずのパターンに陥ることになる。本ブログは「意富=出雲」という漠然としたものではなく、比賣の名前から、更に出雲の何処に住んでいた比賣かを突止めてみようかと思 [続きを読む]
  • 目から鱗の遠津年魚目目微比賣 〔104〕
  • 目から鱗の遠津年魚目目微比賣御眞木入日子印惠命(崇神天皇)の后の一人に木國造の「刀辨遠津年魚目目微比賣」がいる。木国は度々登場するのであるが、なかなかその詳細が掴めない。残存している地名もあり、判っているようでわからない、といった国のようである。グルグルと古事記の中を彷徨ってると、何じゃこれ、の名前で居場所はその前に木国が付いていれば問題なし、と読み飛ばして来たのが実情である。グルグルと目が回ったの [続きを読む]
  • 近淡海之御上 〔103〕
  • 近淡海之御上開化天皇が丸邇臣之?日子國意祁都命之妹・意祁都比賣命を娶って誕生したのが日子坐王である。日子国そのままを体現したかのような命名で、その通り大変な活躍をなされる。後になるが、「玖賀耳之御笠」一族を退けて丹波国を平定するのである。高志国に行った「大毘古命」に並ぶ将軍であったと伝える。その彼の後裔の記述があり、幾人かの娶った比賣の中に近淡海之御上?以伊都玖天之御影?之女・息長水依比賣がいる。 [続きを読む]
  • 當麻の意味 〔102〕
  • 當麻の意味この言葉に出会ったのが、履中天皇紀、徳天皇崩御の後の兄弟による跡目争いの説話であった。本ブログの全く初期である。遥かなる遠い昔…なんてことを書くつもりはなく、そこで出くわしたのが「當岐麻道」であった。「當麻」と「當岐麻」は異なるのであるが、通説は「當麻路(タギマジ)」とするのである。次男の墨江中王に焼き出されて逃げた道に「當岐麻道」が出てくる。難波宮近辺から倭へ逃げる際に通る道である。通説 [続きを読む]
  • 孝元天皇:内色許比賣 〔101〕
  • 孝元天皇:内色許比賣孝元天皇の娶りに抜けがあった…というか文字の持つ意味が読取れていなかった。反省を込めて書き足して置くことにする。古事記原文…大倭根子日子國玖琉命、坐輕之堺原宮、治天下也。此天皇、娶穗積臣等之?・?色許男命、此妹・?色許賣命、生御子、大毘古命、次少名日子建猪心命、次若倭根子日子大毘毘命。?色許賣命御子に大活躍の説話が記述される大毘古命、次期天皇となる若倭根子日子大毘毘命(開化天皇) [続きを読む]
  • 倭建命:建貝兒王・足鏡別王 〔100〕
  • 倭建命:建貝兒王・足鏡別王本ブログの投稿数100に到達。何とも時間が掛ったものである。そして未だに完を見ない、霧中に居るようなもの…焦らずにボチボチ、である。景行天皇の御子が終わったかと思いきや、小碓命の後裔にそれなりに記述のある御子が残っていた。あらためて娶りと御子の記述を掲げると…、古事記原文…此倭建命、娶伊玖米天皇之女・布多遲能伊理毘賣命生御子、帶中津日子命(仲哀天皇)。一柱。又娶其入海弟橘比賣 [続きを読む]