清範剛 さん プロフィール

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清範剛さん: 矛・盾 の e-Note
ハンドル名清範剛 さん
ブログタイトル矛・盾 の e-Note
ブログURLhttp://hokototate.blogspot.jp/
サイト紹介文古事記、日本書紀、万葉集など古の出来事を暇が取り柄の老いぼれが徒然なるがままに紐解いた備忘録です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供162回 / 365日(平均3.1回/週) - 参加 2017/05/03 21:45

清範剛 さんのブログ記事

  • 袁本杼命の后:目子郎女と御子 〔261〕
  • 袁本杼命の后:目子郎女と御子小長谷若雀命(武烈天皇)には御子もなく早逝した。いよいよ皇統は断絶の危機を迎えたと古事記は記す。やりくりの皇位継承では、やはり限界が見えて来た感じである。そんなゴタゴタを古事記は省略して先へと進むようである。八方に手を尽くして応神天皇五世の「袁本杼命」が即位したと伝える。近淡海国に住んでいたのを探し、仁賢天皇の御子、手白髮郎女を娶らせて大后とし、何とか皇位断絶の危機は回避 [続きを読む]
  • 仁賢天皇の比賣:手白髮郎女 〔260〕
  • 仁賢天皇の比賣:手白髮郎女弟の後を継いだ意祁命(仁賢天皇)には七人の御子が誕生する。ところが男子は唯一人で、六人の比賣達は、娶った地が春日・丸邇であって決して広いところではなく、各地に散らばることになったようである。皇統の継続は、早々と危機に直面するのである。誕生した比賣、これが皇統維持に関わることになる。概略は既に紐解いて来たが、未達のところを述べてみようかと思う。古事記原文…、袁祁王兄・意祁命、 [続きを読む]
  • 顯宗天皇:取父仇之志 〔259〕
  • 顯宗天皇:取父仇之志皇位継承が途切れてしまった、危うし天皇家…と言う場面である。大長谷若建命(雄略天皇)の挙動が引き起こした事件はそれとしても、その後が続かなかったのである。それをひょんなところから針間の志自牟のところに居た市邊忍齒王御子が見つかって皇位に就けたと伝える。古事記は内なる脅威の物語一色に様変わりする。既にそのシナリオを紐解いて来たが、残したところを拾い上げてみようかと思う。また、物語は [続きを読む]
  • 美和河と引田部 〔258〕
  • 美和河と引田部大長谷若建命(雄略天皇)は長谷朝倉宮に坐して天下を統治することになった。大長谷若建王の時代からすると打って変わったような人物像が描かれるのであるが、現職の天皇の暗殺という前代未聞の出来事を背景にした行為と受け止めておこう。従来より台頭する葛城一族の殲滅の側面が語られて来ているが、それも否めない事情であったようにも思われる。二人の比賣を娶るのであるが、誕生したのは男女一人づつの二人のみと [続きを読む]
  • 古事記の『大坂』 〔257〕
  • 古事記の『大坂』御眞津日子訶惠志泥命(孝昭天皇)が娶った尾張連之?奧津余曾之妹・名余曾多本毘賣命が生んだ御子に「天押帶日子命」がいた。なかなかの活躍ぶりでもあるし、名前にもそれを滲ませてある。天押帶日子命の「天押帶」とは何を意味するのであろうか?…「帯=多羅斯(タラシ)」と読むと古事記序文にある。元々は「結び垂らす」なのか、垂れるのは余ったところで「足らす」から来るのか、と言った解釈と思われる。弟の大 [続きを読む]
  • 都夫良意富美と目弱王 〔256〕
  • 都夫良意富美と目弱王現職の天皇が刺殺されるという前代未聞の出来事の件である。その事件の場所等は既に紐解いて来たが、詳細を眺めることにする。前記したところ、この事件についての前書きを再掲すると・・・、その妹、若日下王を大長谷命に娶らせようと安康天皇が画策したところから説話が始まる。記述された通りにそのまま読めば、悪い奴を使いに出したもので全くの誤解で大日下王は命を落とす羽目になる。裏読みは様々あるが [続きを読む]
  • 市邊王之王子:意祁王・袁祁王 〔255〕
  • 市邊王之王子:意祁王・袁祁王大長谷命(雄略天皇)の行動は凄まじい。大江之伊邪本別命(履中天皇)の御子である市邊之忍歯王までに手を掛けたと伝える。都夫良意富美もどうやら葛城に絡む出自を持つと言うわけだから、結果的に雄略天皇の行動は葛城殲滅が目的と推測される。第二代綏靖天皇の時代から見れば、夢のように開拓され、豊かになった葛城の地から天皇家にとって脅威となる状況が生じて来ても不思議ではなかろう。勿論古事記 [続きを読む]
  • 八瓜之白日子王の最期の地:小治田 〔254〕
  • 八瓜之白日子王の最期の地:小治田仁徳天皇が父親の応神天皇から譲り受けた日向之諸縣君牛諸の子、髮長比賣を娶って生まれた波多毘能大郎子、その別名が大日下王であった。百済出身で仁徳さんが切にと望んで拝領した比賣で歓喜したと読み解いた。「波多毘」は現在の北九州市門司区城山町辺り、「大日下」=「大の日の下(ヒノモト)」この地はほぼ山影無く日当たりの良いところに由来すると紐解いた。その妹、若日下王を大長谷命に娶 [続きを読む]
  • 言八十禍津日前・八十禍津日?・大禍津日? 〔253〕
  • 言八十禍津日前・八十禍津日?・大禍津日?男淺津間若子宿禰命(允恭天皇)紀の事績に「味白檮之言八十禍津日前」の文字列が出現する。この天皇の和風諡号そのものが難読なのであるが、この紀に登場する名称も、なかなかに凝った作りが多い。中でも上記の文字列は複雑怪奇とも言えるであろう。通説は「災厄の神」と簡単に処理するが、ここでは「神」が付かない…忘れた?…「日(ヒ)=神霊」とする?・・・「日神」はダブルのでは?・ [続きを読む]
  • 木梨之輕王・輕大郎女 〔252〕
  • 木梨之輕王・輕大郎女大雀命(仁徳天皇)の四男、男淺津間若子宿禰命(後の允恭天皇)の治世に進む。長兄、三男と皇位を継ぐという「乱れ」が生じ、更に四男が続くという、一体何があったのか?…と懸念するところである。勿論古事記は無口で、背景を推し量るのも難しいのであるが、この「乱れ」が更に増幅されることになる。大国倭国、「倭国連邦言向和国」の建国と同時に、その内にある崩壊への兆しが見え隠れする時期に差し掛かった [続きを読む]
  • 筑紫と竺紫 〔251〕
  • 筑紫と竺紫「筑紫」の文字が古事記に登場するのは、伊邪那岐・伊邪那美が生んだ「筑紫嶋、此嶋亦、身一而有面四」である。その「面一」に「筑紫國謂白日別」と記される。筑紫嶋の筑紫国、これが「筑紫」の初舞台である。<筑紫嶋>その他の大八嶋及び六嶋に含まれる島の名前の由来は、その比定に欠かせないことから詳細に述べて来た。が、「筑紫」は状況証拠的に多々あり、深く突き詰めること亡く今日に至ったようである。端的に述 [続きを読む]
  • 伊邪本和氣命:葦田宿禰之女・名?比賣命 〔250〕
  • 伊邪本和氣命:葦田宿禰之女・名?比賣命紐解いた仁徳天皇【説話】を通読してみて、思ったより加筆・修正部が少なかった。それで良いのかどうかは、また繰り返し検討することにして、先に進む。天皇崩御後の生じた日嗣の騒動、墨江之中津王の暴挙(難波之高津宮の焼き討ち)から逃れて大江之伊邪本和氣命(履中天皇)が即位する。履中天皇は一人の后を娶っただけである。古事記原文…、娶葛城之曾都毘古之子・葦田宿禰之女・名?比賣命 [続きを読む]
  • 筒木韓人・名奴理能美 〔249〕
  • 筒木韓人・名奴理能美大雀命(仁徳天皇)が余りにも浮気をするので「其大后石之日賣命、甚多嫉妬」と記述される。ちょっと留守をしていると何と吉備にまでお出かけ、許せませんと言って実家に遁走したと告げられるが、葛城の気位は軽挙妄動を許さなかった、とも伝えている。その説話に登場するのが「奴理能美」という韓人で、そこではちょっと奇妙なものを飼っているらしい。既にこの説話が示す重要な出来事について述べたが、登場人 [続きを読む]
  • 吉備国に関った人々 〔248〕
  • 吉備国に関った人々古事記に「吉備」の文字が初登場するのは、伊邪那岐・伊邪那美の国生み「吉備兒島」である。六嶋に含まれる。古事記の舞台となる場所及びその周辺を示している。後に吉備国となり、多くの人々が関わり、物語が伝えられることになる。倭国への侵攻を目指した神倭伊波禮毘古命(神武天皇)が八年坐したところであり、吉備近隣からは大碓命・小碓命(倭建命)が誕生する(父親は景行天皇、母親は吉備:当時はこの地も含 [続きを読む]
  • 大雀命:茨田堤と堀江 〔247〕
  • 大雀命:茨田堤と堀江前記に引き続き御子達を要所々々に配置した近淡海の国作りで、更に大雀命が施した事業について述べてみよう。既述したように「茨田」⇔「松田」⇔「棚田」であって谷間に作られた田のことを意味すると解釈した。「茨(きちんと並んだ)」⇔「松(松葉の形をした)」⇔「棚(棚状になった)」田と読み解いた。水田稲作によって生きる糧を得て来た最も重要な古代の原風景である。勿論現存するが、低平地の大規模水田が [続きを読む]
  • 大雀命:太后石之日賣命の御子 〔246〕
  • 大雀命:太后石之日賣命の御子古事記の大雀命(仁徳天皇)紀は、出色に内容が豊かである。伊邪那岐・伊邪那美の国生みの島の重要なヒントであり、近淡海国の詳細及び土地・港湾整備、葛城・山代との位置関係、養蚕・紡織・染色など、国が発展・繁栄する様を見事な筆さばきで伝えていると思われる。「多麻岐波流」「蘇良美都」の表現が示すのは、見渡す限り、手が届く世界の充実ぶりを意味していると思われる。倭国を奈良大和に求めて [続きを読む]
  • 天之日矛 〔245〕
  • 天之日矛応神天皇紀の説話部分の見直しに突入したが、概ね手を加えるところも少なく、微調整で済まされるようである。難解な歌に溢れるところ、また何度か見直しを必要とするのであろうが、この度は先に進めようと思う。微調整のところ、こちらを参照願う。さて、これも何度も登場の新羅の王子、天之日矛さん、必要にかられて彼の後裔達の紐解きはかなり進んだようでもあるが、今一度整理をしておこうかと思う。また、現在の比定地 [続きを読む]
  • 吉備之高嶋宮・大年神・伊豫之二名嶋 〔244〕
  • 吉備之高嶋宮・大年神・伊豫之二名嶋何の脈略もないような・・・事実、ありません。共通するところは、完全には納得できていなかった、要するに紐解き不完全な文字列だったのである。普通の文字、聞き慣れた文字ほどそこに潜められた意味を解読することが難しい、その典型的な例であろうと思われる。安萬侶コードに含まれるパターンが見られ、それなりに興味深いところでもある。三つ纏めて述べてみることにする。それぞれの登場場 [続きを読む]
  • 品陀和氣命:葛城と出雲の比賣 〔243〕
  • 品陀和氣命:葛城と出雲の比賣品陀和氣命の娶りと御子関連では最後となるが、既に投稿済で加筆・修正のないところは省略して、二人の比賣について述べてみよう。併せて謀反人となる大山守命が祖となった地について見直し結果を付記する。古事記原文…「又娶迦具漏比賣、生御子、川原田郎女、次玉郎女、次忍坂大中比賣、次登富志郎女、次迦多遲王。五柱。又娶葛城之野伊呂賣此三字以音生御子、伊奢能麻和迦王。一柱」娶った比賣は「 [続きを読む]
  • 品陀和氣命:若野毛二俣王の娶りと御子 〔242〕
  • 品陀和氣命:若野毛二俣王の娶りと御子引き続き品陀和氣命が息長眞若中比賣を娶って誕生した若沼毛二俣王(若野毛二俣王)の娶りと御子の物語である。応神天皇紀の最後、付記される形で登場するのであるが、得てしてそんな場合は重要なことを述べているのである。加えて人名が多数羅列されており、勿論全て地名に関わることなのである。既に一部は紐解いて述べたが、詳細を纏めてみようかと思う。天皇の坐した輕之明宮の周辺、それは [続きを読む]
  • 品陀和氣命:丸邇之比布禮能意富美之女 〔241〕
  • 品陀和氣命:丸邇之比布禮能意富美之女引き続いて品陀和氣命(応神天皇)の娶りと御子の物語であるが、「丸邇」の所在地は現在の福岡県田川郡香春町柿下と比定した。古事記では若倭根子日子大毘毘命(開化天皇)の段で登場する「丸邇臣之?日子國意祁都命」が初出となる。「丸邇」=「丸に近い」壹比韋の近隣にあるところと紐解いた。垂仁天皇紀から始まった「丹」に関する記述は、丸邇一族がしっかり「独占生産販売」していたと伝えて [続きを読む]
  • 品陀和氣命:高木之日賣の御子 〔240〕
  • 品陀和氣命:高木之日賣の御子高木を言向和した天皇、先ずは娶りである。適齢の比賣三人、纏めて…十三人の御子が誕生したと伝えている。勿論全て高木に坐することになる。角鹿での和平交渉の成果であったと記されているようである。御子達の居場所は既に紐解いたが、品陀=伊奢という視点から改めて調べ直してみよう。古事記原文…、品陀和氣命、坐輕嶋之明宮、治天下也。此天皇、娶品陀眞若王之女三柱女王、一名高木之入日賣命、 [続きを読む]
  • 品陀和氣命:宮と陵 〔239〕
  • 品陀和氣命:宮と陵香坂王・忍熊王の謀反を鎮めた建内宿禰が幼い御子、大鞆和氣命を引き連れて角鹿の血浦に禊祓えに向かった。そこで地の神、伊奢沙和氣大神と出会い、名前を交換したという。何だか生臭い説話なのだが、既に「血浦」の場所、地の神が貰った「氣比大神」(現在の気比大社の主祭神)及び大鞆和氣命が貰った「品陀和氣命」の由縁を読み解いた。この説話の意味は、伊邪那岐・伊邪那美が生んだ伊豫之二名嶋の面四(伊豫国 [続きを読む]
  • 物部とは? 〔238〕
  • 物部とは?古代氏族の中で最も有名なものの一つであるが、古事記が語るところが少なくその発祥の地などを詳らかにできていなかった。既に幾度か引用した「邇藝速日命、娶登美毘古之妹・登美夜毘賣生子、宇摩志麻遲命。此者物部連、穗積臣、婇臣?也」の記述と竺紫之石井君に関連する段で「物部荒甲之大連」として登場するのみである。とは言え、何とかこれを見出さなければ落ち着かないのも事実、他の二つ「穂積」「采女(婇)」の紐 [続きを読む]
  • 河?惠賀之長江陵・狹城楯列陵〔237〕
  • 河?惠賀之長江陵・狹城楯列陵古事記の仲哀天皇紀(神功皇后関連を含む)の見直しが漸く終わりに近付いた。筑紫国の詳細が語られた神功皇后の「凱旋」帰国は多くの情報を提供してくれたのだが、見直しが豊か…と言うことは、それだけ読めていなかった…であった。古事記の言う筑紫国は現在の小倉である。博多湾岸では決してない、そこは後の世の筑前であった。「筑紫の前」ではなく、筑前と名付けられた地名である。「筑紫」という実 [続きを読む]