M・ITO さん プロフィール

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M・ITOさん: 邪馬台国と日本書紀の界隈
ハンドル名M・ITO さん
ブログタイトル邪馬台国と日本書紀の界隈
ブログURLhttps://ameblo.jp/yamatai-nihongi/
サイト紹介文邪馬台国熊本説にもとづく邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、一から始める日本書紀研究について綴っています。
自由文邪馬台国については、「魏志倭人伝」後世改ざん説という新説により「熊本説」にたどり着きました。詳細は『邪馬台国は熊本にあった!』(扶桑社新書)にまとめました。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供52回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2017/05/08 13:00

M・ITO さんのブログ記事

  • 邪馬台国があるのは「会稽東治」の東? 「会稽東冶」の東?
  •  邪馬台国論争において昔から争われている論点として、「会稽東治(かいけいとうち)」と「会稽東冶(かいけいとうや)」のどちらが正しいかということがあります。 これは、中国から見て邪馬台国がどのあたりにあると考えられていたかということに関連しています。それが、『三国志』(「魏志倭人伝」)と『後漢書』で異なっているのです。 『三国志』計其道里當在会稽東治之東(女王国〈邪馬台国〉までの)道里を計ると、まさ [続きを読む]
  • 「魏志倭人伝」最後の国「黒歯国」はどこにあった? 〜船行一年の罠〜
  • ***【お知らせ】************************総合オピニオンサイト「iRONNA」に論文が掲載されました。タイトルは〈「邪馬台国は熊本にあった」魏の使者のルートが示す決定的根拠〉です。ぜひ、本ブログとあわせてお読みください。*********************************  先日、『甦る三国志「魏志倭人伝」』(彩流社/2012年)の著者である中島信文氏とお会いする機 [続きを読む]
  • 有年原・田中遺跡の1号墳丘墓は前方後円墳の原型か?
  •  有年原・田中遺跡は、兵庫県の南西部、播磨地方の中でも最も南西部に位置する赤穂市にあります。忠臣蔵の赤穂浪士(赤穂義士)や製塩で有名な市で、西側はもう岡山県です。その北部にある有年原・田中遺跡は、弥生時代から中世にまでつながる集落遺跡ですが、弥生時代後期の遺跡や出土物の重要性が注目され、史跡公園として保存されています。 【有年原・田中遺跡入口】  有年原・田中遺跡が有名になったきっかけは、やはり1号 [続きを読む]
  • 原日本紀の復元042 神功皇后〈3〉女帝の摂政期間はなかった!
  •  神功皇后の人物像は、「魏志倭人伝」の卑弥呼をトレースしているという検証を行ってきました。しかし、それらの記述のほとんどは仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)紀と神功皇后摂政前紀の中に記されています。また、神功皇后が九州におられる期間にいたっては、ほんの1年ほどということになっています。その短い期間に、熊襲(くまそ)征伐や朝鮮半島遠征・三韓征伐などが、濃厚に凝集されているのです。いかにも不自然です。   [続きを読む]
  • 原日本紀の復元041 神功皇后〈2〉卑弥呼像と比較検討してみる
  • 【神功皇后陵(狭城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ))】古墳名は五社神古墳(ごさしこふん)。墳丘長は267メートルの前方後円墳で、全国12番目の大きさとされています。築造時期は4世紀末から5世紀初頭ぐらいと考えられているようです。これだけの規模の古墳ですから、もし神功皇后が創作上の人物だったとすれば、いったい誰の御陵だったのでしょうか。それもおいおい考えていかなければと思っています。 [続きを読む]
  • 魏志倭人伝のいう「道里」とは何か?
  •  今回はこんな例文からはじめます。東京から東北地方の青森まで行った人の報告書が次のようなものだったとしたらどうでしょう。 まず、東京から福島までは北へ250キロメートルです。福島には200万人が住んでいます。次に北東へ70キロメートル行くと宮城に着きます。宮城には230万人います。さらに北へ160キロメートル行くと岩手に着きます。岩手には120万人います。そして岩手から北へ10日行くと目的地の青森 [続きを読む]
  • 新説! 卑弥呼の都への地図があった!?
  •  地図は非常に便利なものです。A地点とB地点との位置関係をひと目でみせてくれます。たとえば、私たちがある施設へ行こうとするときにホームページでみる施設へのアクセス案内は、地図と「○○駅から徒歩○分」という文言がセットになっていることが多いですが、おかげで道に迷うことなく目的地に着くことができます。 ところが、ここで地図が表示されなくなったとしたらどうでしょうか。「○○駅から徒歩○分」だけでは目的の [続きを読む]
  • 改めて「周旋可五千余里」の解釈について:邪馬台国畿内説批判
  •  今回は、久しぶりに邪馬台国の界隈の話です。いま一度「周旋可五千余里」の解釈について書きたいと思います。 これについては、本ブログを始めた頃に「文献解釈上、邪馬台国畿内説が成立しない決定的な理由」の中でも書きました。ただ、ブログでは記事を書き重ねるほど古い記事は埋もれてしまいますので、「本当に伝えたいこと」は定期的に書き記す必要があると思うようになりました。 「周旋可五千余里」の「周旋(しゅうせん [続きを読む]