M・ITO さん プロフィール

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M・ITOさん: 邪馬台国と日本書紀の界隈
ハンドル名M・ITO さん
ブログタイトル邪馬台国と日本書紀の界隈
ブログURLhttps://ameblo.jp/yamatai-nihongi/
サイト紹介文邪馬台国熊本説にもとづく邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、一から始める日本書紀研究について綴っています。
自由文邪馬台国については、「魏志倭人伝」後世改ざん説という新説により「熊本説」にたどり着きました。詳細は『邪馬台国は熊本にあった!』(扶桑社新書)にまとめました。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供50回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2017/05/08 13:00

M・ITO さんのブログ記事

  • 魏志倭人伝のいう「道里」とは何か?
  •  今回はこんな例文からはじめます。東京から東北地方の青森まで行った人の報告書が次のようなものだったとしたらどうでしょう。 まず、東京から福島までは北へ250キロメートルです。福島には200万人が住んでいます。次に北東へ70キロメートル行くと宮城に着きます。宮城には230万人います。さらに北へ160キロメートル行くと岩手に着きます。岩手には120万人います。そして岩手から北へ10日行くと目的地の青森 [続きを読む]
  • 新説! 卑弥呼の都への地図があった!?
  •  地図は非常に便利なものです。A地点とB地点との位置関係をひと目でみせてくれます。たとえば、私たちがある施設へ行こうとするときにホームページでみる施設へのアクセス案内は、地図と「○○駅から徒歩○分」という文言がセットになっていることが多いですが、おかげで道に迷うことなく目的地に着くことができます。 ところが、ここで地図が表示されなくなったとしたらどうでしょうか。「○○駅から徒歩○分」だけでは目的の [続きを読む]
  • 改めて「周旋可五千余里」の解釈について:邪馬台国畿内説批判
  •  今回は、久しぶりに邪馬台国の界隈の話です。いま一度「周旋可五千余里」の解釈について書きたいと思います。 これについては、本ブログを始めた頃に「文献解釈上、邪馬台国畿内説が成立しない決定的な理由」の中でも書きました。ただ、ブログでは記事を書き重ねるほど古い記事は埋もれてしまいますので、「本当に伝えたいこと」は定期的に書き記す必要があると思うようになりました。 「周旋可五千余里」の「周旋(しゅうせん [続きを読む]
  • 原日本紀の復元030 倭の五王〈4〉477年の遣使を送ったのは誰か?
  •  興=允恭天皇(いんぎょうてんのう)について考えます。 そのために、451年に済が安東大将軍に進号した後の交渉史をみていきます。 451年〜460年済死す。(『宋書』倭国伝) 451〜462年(460年の可能性大)世子興、遣使。(『宋書』倭国伝) 460年倭国(誰かは不明)、遣使。(『宋書』孝武帝紀) 462年世子興、安東将軍を授号。(『宋書』倭国伝、孝武帝紀) 462〜478年興死して、弟武立つ。( [続きを読む]
  • 原日本紀の復元029 倭の五王〈3〉天皇の系譜からみる済、興の正体
  •  倭王「武」は定説通り雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)で間違いないだろうという結論に達しました。 次は、「興」さらに「済」にさかのぼって考えていきます。『日本書紀』から無事績年を除いた年表と遣使記録の対比表(図1)にしたがえば、おそらく460年〜462年に遣使を送った興は允恭天皇(いんぎょうてんのう)、443年に遣使を送った済は仁徳天皇(にんとくてんのう)ということになります。 それが成り立つのかど [続きを読む]
  • 本ブログ一周年。いつもありがとうございます。
  •  2017年4月29日に最初の記事を載せてから、丸一年経ちました。 私はアナログ人間ゆえ、開設当初は続けられるのか不安でしたが、記事を書いてアップするだけの、アメブロの簡便さに助けられ、なんとか一年間綴ってくることができました。 始めようと思ったときは、原稿を書き貯めていくのを主目的と考えていました。しかし、アクセス数が自動的に算出・表示されるため、どうしても数字に目がいってしまいます。多い日もあ [続きを読む]
  • 熊本は狗奴国ではなく邪馬台国!
  • 本ブログ開始以来、「狗奴国熊本説から邪馬台国熊本説へ!」をはじめとする記事で、邪馬台国熊本説の妥当性を訴えてきました。しかし、残念ながら狗奴国(くなこく)熊本説の壁は厚く、邪馬台国熊本説の認知度はまだ低いので、繰り返しアピールしていくしかないと思っています。今回もそのテーマで書いていきます。  きっかけは、歴博(国立歴史民俗博物館)へ「世界の王墓、日本の古墳」という講演を聴きに行ったことです。歴博 [続きを読む]
  • 原日本紀の復元028 倭の五王〈2〉倭王武は二人いたのか?
  •  前回、中国の史書にあらわれた倭の五王の記述から、讃珍済興武それぞれの王の想定最長在位期間をかなり強引にですが導き出しました。それを、私の考えている無事績年を除いた年表の在位天皇と重ね合わせてみます(図1)。 ■図1 倭の五王と日本の天皇の比較年表  一見して、かなり厳しい状況であることがわかります。この二者に整合性をとることはほぼ不可能ではないかとさえ思えます。やはり、無事績年を除いて「原日本紀」 [続きを読む]
  • 卑弥呼の墓はいつから前方後円墳になった?
  • 桜の新宿十二社熊野神社。記事の内容とは関係ありませんが、最近地味な画像ばかりだったのと、ご利益がありそうなので…。  先日、西日本新聞が「『卑弥呼の墓では』巨大な前方後円墳? 謎の丘陵」という記事を掲載して注目を集めました。 福岡県赤村にある丘陵が前方後円墳ではないかというものです。もし古墳であれば墳丘の全長が約450メートルで、日本最大の前方後円墳「大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)」に迫ります。また [続きを読む]