コトちゃん さん プロフィール

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コトちゃんさん: 事代主のブログ
ハンドル名コトちゃん さん
ブログタイトル事代主のブログ
ブログURLhttps://ameblo.jp/indiaindia-27/
サイト紹介文神社仏閣に伝わる伝承から歴史を知るブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供132回 / 365日(平均2.5回/週) - 参加 2017/05/10 19:43

コトちゃん さんのブログ記事

  • 対馬
  • 始度一海 千餘里 至對海國 其大官日卑狗 副日卑奴母離 所居絶? 方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田食海物自活 乗船南北市糴 「始めて一海を度る。千余里。対海国に至る。その大官は卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。居する所は絶島、方四百余里ばかり。土地は山険しく深林多し。道路は禽鹿の径の如し。千余戸有り。良田無く、海物を食し自活す。船に乗り、南北に市糴す。」 「魏志倭人伝」 [続きを読む]
  • 脱解王
  • 新羅(しらぎ/しんら、前57年- 935年)は、古代の朝鮮半島南東部にあった国家。当初は「斯蘆」(しろ)と称していたが、503年に「新羅」を正式な国号とした。この国の王は、朴・昔・金氏の三氏が世襲し金官伽耶の初代王金首露の誕生時期に初代朴氏から昔氏へと移行されました。この移行された昔氏の初代王 脱解尼師今(だっかい にしきん)は婿養子であり育った場所は伽耶であったそうです。『三国史記』新羅本紀・脱解尼師今紀 [続きを読む]
  • 伽耶韓国
  • 後漢書東の夷伝師升の時代からおよそ100年後、時代は後漢から三国時代に移ります。その頃編纂された中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の中に「東夷伝」倭人条倭及び倭人の記述がある。まず「魏志韓伝」のあとに「魏志倭人伝」へとつづきます。「魏志倭人伝」の倭国の記載には 「倭人は帯方東南、大海の中に在り。山島に依り国邑を為す。旧百余国。漢の時、朝見する者有り。今、使訳通ずる所は三十国 [続きを読む]
  • 安曇蓮
  • 志賀海神社の祭神 阿曇連とは「古事記」では「阿曇連はその綿津見神の子、宇都志日金柝命の子孫なり」と記されている。その他、「新撰姓氏録」では「安曇連は綿津豊玉彦の子、穂高見命の後なり」と記される。 では宇都志日金柝命とは?宇都志日金拆命(ウツシヒカナサクノカミ)はイザナギが黄泉の国から帰ってきたその穢れを祓うために行った禊(ミソギ)から生まれた綿津見神(ワタツミノカミ)…底津綿津身神(ソコツワタツ [続きを読む]
  • 志賀海神社中津宮・沖津宮
  • 志賀海神社には宗像大社同様 中津宮と沖津宮が存在します。この中津宮(勝馬宮)は通称中津宮古墳の上に建っています。この古墳は、7世紀ごろ(古墳時代)に造られたもので当地の海人集団の首長墓の墓であったそうです。このあたりは宮地嶽神社と同じです。注連縄?はまるで浦島太郎が巻いていた腰蓑のようです。神紋は三巴です。◆御祭神仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)住吉と共に出現された和多津美三神の一人です。末社遥 [続きを読む]
  • 志賀海神社表津宮
  • 師升の金印が発見された志賀海神社で古くから祀られているのが志賀海神社です。御潮井でまず体を清めるのは海人族の風習でしょうか?弐の鳥居横末社 印鑰社印鑰社とは元々印を保管した場所という意味だそうです。金印のことでしょうか?祭神の久那土神は「来なと」。悪霊邪気の侵入を防ぐ神のことです。一説では素戔嗚尊の息子 長脛彦の別名とも云われます。末社 山之神 社祭神 大山津見神とは越智氏が宮司を務める大三島 [続きを読む]
  • 帥升
  • 金印の発見天明4(1784)年2月23日、今日の暦では4月12日にあたります。花見が終わって、さあ頑張ろうという時節です。しかしこの頃、長雨や大風など異常気象が相次いだと記録にありますから、そうした余裕はなかったのかもしれません。  発見者は一般には口上書を提出した甚兵衛(じんべえ)となっています。しかし1830年代に著された仙崖和尚の『志賀島小幅』には秀治と喜平と書き添えられています。このほか『万歴家内年鑑』 [続きを読む]
  • 金立神社2
  • 更に金立山に登ってみましょう。 こちらは上宮ですべて御影石で出来ていることから「御影のやしろ」と云われています。更にこちらは磐座で道教な思想から男性のシンボルを表していると云われています。男性があるのなら女性もあるはずと作家の梅原猛氏が調査した結果がこれだそうで、陰陽石が見事にそろったようです。 その後徐福は和歌山や富士山で死んだという伝承が残りますが、その後の吉野ヶ里や高良大社に大きな影響を与え [続きを読む]
  • 金立神社1
  • 浮盃から上陸した徐福一行は佐賀に多くの痕跡を残しています。 佐賀で不老不死の研究をした痕跡が富士(不死)町の近くに存在します。 金立神社(下宮) 祭神: 保食神、罔象女命、奏徐福 こちらの神社に保存されていた絹本淡金立神社縁起図(佐賀県立博物館展示)こちらの神社で目を見張るのが、摂社の甲羅弁才天で、佐賀の金立〜久保泉にかけてが初期の高良大社の領域で「こうら」でありその名残が甲羅であるとも云われています。 [続きを読む]
  • 新北(にきた)神社
  • 新北神社は二千二百年前中国の徐福一行が浮盃より上陸され、疲れを癒す為に住まいをもうけられた跡地に建立されているようです。徐福が生活された処を地元の人たちが聖地として護り続けられました。その地に第三一代用明天皇の御代五八六年に新たに北方出雲の国、素盞鳴尊を祀り新北神社が御創立されています             〜以下略〜                      飛龍木この神社でひときわ目を引くの [続きを読む]
  • 浮盃(ぶばい)
  • 紀元前三世紀中国は秦の時代 始皇帝の命を受け一人の法士が不老不死の妙薬を探しに倭国に渡来したと伝わっています。                    徐福は秦に滅ぼされた斉の国の出身であったのですが、始皇帝の命に背くことは出来ず、東方に 仙薬を求めて渡海することを上申しました。このことは、司馬遷の『史記』にも、 東方の遥か海上に蓬ほう莱らい・方ほう丈じょう・瀛えい州しゅうという 3つの神山があり、こ [続きを読む]
  • 山鹿灯篭
  • 久しぶりに山鹿温泉に来ました。 一説では素戔嗚尊の妻 櫛稲田姫はここの生まれだそうです。 今年も山鹿灯篭まつりが近づいてきています。 この起源は幾つかありますが、景行天皇が九州を巡幸しているとき、加茂の浦の湖(現山鹿市内)で濃霧が立ちこめ、一行は進路を見失ってしまった。このとき、地元住民が松明を灯して一行を大宮神社のところまで導いた。この松明がのちに灯籠となって神社に奉納されたという説をとりたい [続きを読む]
  • 倭の記憶
  • こちらのブログは古代史以外にも別の記載も多いことから この度古代史専門のブログを開設したのでどうぞ御利用頂けると幸いです。 まず初回は時系列から倭人のルーツとなるかもしれない話からさせて頂きます。 「倭人は太伯の後裔(こうえい)」 はたして倭人とはどの時代から生きていたのか? 人気ブログランキングにほんブログ村 [続きを読む]
  • 「倭人は太伯の後裔(こうえい)」
  • 時系列で考えると中国の史書に「倭人は太伯の後裔(こうえい)である」との記事がある。「呉」とは中国の周王朝の祖、古公亶父の長子の太伯(泰伯)が、次弟の虞仲(呉仲・仲雍)と千余家の人々と共に建てた国である。虞仲の子孫である寿夢が国名を「句呉」から「呉」に改めた。 紀元前12世紀から紀元前473年夫差王まで続き、越王の勾践により滅ぼされた。 国姓は姫(き)であるという。「倭人が呉の末裔であると解釈できる中国史 [続きを読む]
  • 「倭人は太伯の後裔(こうえい)」
  • 時系列で考えると中国の史書に「倭人は太伯の後裔(こうえい)である」との記事がある。「呉」とは中国の周王朝の祖、古公亶父の長子の太伯(泰伯)が、次弟の虞仲(呉仲・仲雍)と千余家の人々と共に建てた国である。虞仲の子孫である寿夢が国名を「句呉」から「呉」に改めた。 紀元前12世紀から紀元前473年夫差王まで続き、越王の勾践により滅ぼされた。 国姓は姫(き)であるという。「倭人が呉の末裔であると解釈できる中国史 [続きを読む]
  • 水天宮(補足)
  • 筑後で最も古い神社は高良大社と私自身も思っていたのですが、どうもそうではないようです。以前御紹介した神社ですが新しく訂正させて頂きます(。-人-。)正面の狛犬は青銅製です扁額「水天宮」による揮毫は東郷平八郎元帥です。眞木神社梔子窩(くちなしのや) この辺りは以前御紹介したので省略します。全国総本宮 水天宮御祭神天之御中主 安徳天皇 高倉平中宮 二位の尼 私は個人的に水天宮とは壇ノ浦で滅亡した安徳天皇をは [続きを読む]
  • 宇佐八幡宮(宇佐家伝承)
  • 以前ブログに書いた宇佐八幡宮の石棺(比売大神)について宮司家の出であったとされる宇佐公康氏の著書があったので引用します。 宇佐八幡宮 宇佐公康氏の著書『宇佐家伝承 古伝が語る古代史(木耳社)』より ――引用――〜略〜 なにはともかくも、宇佐神宮は、九世紀のはじめに八幡大菩薩宇佐宮・比売神社・大帯姫廟神社の三社となり、世にいう八幡三所として、朝鮮様式の八幡造りの華麗な社殿の形体がととのったわけである。 [続きを読む]
  • 狗邪韓国
  • 対馬で神道が生まれ壱岐で神社が生まれたのだとすると、その誕生前はその先にある朝鮮半島であると考えざるえません。 そこで普段あまり目にすることの無い「魏志韓伝」に目を向けると以下のような記載があることに気がつきます。 「魏志韓伝」 「韓は帯方郡の南にある。東西は海をもって限りとなし、南は倭と接す。およそ四千里四方。三種あり、一は馬韓と言い、二は辰韓と言い、三は弁韓と言う。辰韓はいにしえの辰国である。」 [続きを読む]
  • 岩屋城の戦い
  • ゴールデンウィークに入り太宰府天満宮は多くの人で賑わっています。 天智天皇の時代 太宰府には大野城という日本初の山城があったことは有名ですが、戦国時代にも同じ山に城があったことは、あまり知られていません。 岩屋城の戦い 九州制覇を目指す薩摩の島津義久は、島津忠長・伊集院忠棟を大将にした20000人を筑前に派遣する。1586年7月、岩屋城・宝満山城のある麓の太宰府に薩摩勢が陣を敷くと、高橋紹運は763名にて岩屋 [続きを読む]
  • 熊野神社・立岩神社(改訂版)②
  • 途中にある末社鳥居の奥には磐座です!立岩神社とあります。 ここには立岩遺跡があり岩式石包丁の製作が行われていたそうです。 また弥生時代中期の堀田遺跡から43基の甕棺が発見され、そのうちの10号甕棺からは前漢鏡6面のほか、きわめて希少で高級な絹に包まれていたとされ、銅矛、鉄剣などの副葬されていたそうです。鏡には銘文があり 日に喜びあり、月に富あり。 母事(ぶじ)を楽しみ、常に意を得。 美人會して、竿瑟(うし [続きを読む]
  • 熊野神社・立岩神社(改訂版)①
  • 以前御紹介した神武天皇の伝承が残る四番目の神社を画像を撮り直したので再度御紹介します。   鳥居の前には 猿田彦大神が並んでいます。 これはかなり大きな磐座ですね!末社  熊野神社縁起  社記ニ曰ク神武天皇御東征の砌り 雷雨俄に起り山嶽鳴動天地咫尺を辨ぜず 時に巨岩疾風の如く飛来して此の山頂に落下す 其状恰も屏風を立てたるが如し 雷光赫々の中 岩上に神現れて曰く 我ワ天之岩戸神名を手力男神と言う 此の処に [続きを読む]
  • 対馬考
  • 対馬の藩主は近年では宗氏 宗氏菩提寺 万松院 それ以前は上総国畔蒜郡発祥の阿比留氏それ以前の県首は津嶋氏ということになります。 対馬の日神の後裔という津嶋氏が姓氏禄では中臣氏に連なるとされる由縁は、宮中卜部の一人として中臣氏の支配下に入ったことから、中臣氏の祖・雷大臣を以て祖神としたものと有ります。 先代旧事本紀は・天日神命を 対馬縣主等の祖、とする。(阿麻氏留神社)月神命を 壱岐縣主の祖、としている [続きを読む]
  • 金田城(対馬)
  • 対馬には日清 日露 太平洋戦争以前、秀吉の時代から遡ること900年前にも防衛となる城が築かれた跡があります。 『日本書紀』に、667年(天智天皇6年)「大和国に高安城・讃岐国に屋嶋城・対馬国に金田城(かなたのき)を築く」と、記載された城である。白村江の戦いの大敗後、 天智天皇の命により東国から召集された防人たちが城山山頂から朝鮮半島を睨み続けたといいます。それから1000年以上の時が過ぎ、忘れられていた [続きを読む]
  • 太祝詞(ふとのりとじんじゃ)神社(対馬)
  • 対馬の海は何処に行っても透明度が高いですね!雷命神社の近く海から森肉変わる道筋に神道で有名な神社が存在します。気持ちのいい森です!狛犬に関してはもうすでに原型がありません太祝詞神社 御祭神太祝詞神 (天児屋根の別名)大詔戸命 久茲麻知命 『大小神社誌』大詔戸命 雷大臣命 『神社大帳』太祝詞命 雷大臣命 『特撰神名牒』 御由緒神功皇后新羅を征し玉ふ時雷大臣命御軍に従へり。新 羅降屬して凱還の後津島縣主と [続きを読む]
  • 雷命神社(対馬)
  • 和多津美神社とは逆方向におよそ50キロ弱南に向かうと最澄が入唐と帰国の際立ち寄ったと云われる場所の近くに恐ろしい名前の神社が有ります。「雷命」と書いて「らいめい」と呼ばれているが古くは「イカツチノミコト」と読みます。名前の割りには可愛らしい狛犬が1頭社殿は新しく全景を写そうとすると木がじゃまになります。 創祀年代は不詳。式内社・雷命神社の論社。祭神・雷大臣命とは、神功皇后の審神者(サニワ)を勤めた中 [続きを読む]