コトちゃん さん プロフィール

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コトちゃんさん: 事代主のブログ
ハンドル名コトちゃん さん
ブログタイトル事代主のブログ
ブログURLhttps://ameblo.jp/indiaindia-27/
サイト紹介文神社仏閣に伝わる伝承から歴史を知るブログです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供115回 / 365日(平均2.2回/週) - 参加 2017/05/10 19:43

コトちゃん さんのブログ記事

  • 千田聖母八幡宮
  • 神武天皇の妻 吾平(あいらつ)媛と素戔嗚尊の妻 櫛稲田媛の生誕地 熊本県山鹿市に神功皇后縁の神社があります。 千田(ちだ)聖母八幡宮通称聖母宮山門扁額には霊廟とあります。拝殿山鹿は神功皇后の領地と考えられる女王山(みやま)に隣接した場所です。 神紋を見てみましょう。拝殿 本殿は共に神功皇后の神紋三五の桐 こちらは恵比寿神の神紋三つ柏 境内社は諏訪神社(猿田彦) 不思議です 安部神社(安部勝村 勝頼) [続きを読む]
  • 狗奴國(弐)
  • 其八年太守王頎到官 倭女王卑弥呼與狗奴國男王卑弥弓呼素不和 遣倭載斯烏越等 詣郡 説相攻撃状 遣塞曹掾史張政等 因齎詔書黄幢  拝假難升米 為檄告喩之 「其の八年、太守、王頎が官に到る。倭女王、卑弥呼は狗奴国王、卑弥弓呼素と和せず、倭、載烏越等を遣わし、郡に詣り、相攻撃する状を説く。塞曹掾史、張政等を遣わし、因って詔書、黄幢を齎し、難升米に拝仮し、檄を為(つく)りて之を告諭す。」ここに記されている [続きを読む]
  • 倭國大乱
  • 正始元年 太守弓遵 遣建中校尉梯儁等 奉詔書印綬詣倭国 拝仮倭王 并齎詔 賜金帛錦罽刀鏡采物 倭王因使上表 答謝詔恩 「正始元年、太守、弓遵は建中校尉、梯儁等を遣わし、詔書、印綬を奉じて倭国に詣り、倭王に拝仮す。並びに詔を齎(もたら)し、金、帛、錦、罽、刀、鏡、采物を賜う。倭王は使に因りて上表し、詔恩に答謝す。」この貢物の中にある絹は現在北九州でしか遺跡は残されていないそうです。この時魏の国王から [続きを読む]
  • 邪馬壱国(四)
  • 其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名日卑弥呼 事鬼道能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國 自為王以来少有見者 以婢千人自侍 唯有男子一人 給飲食傳辭出入居處 宮室樓觀城柵嚴設 常有人持兵守衛 「その国、本は亦、男子を以って王と為す。住むこと七、八十年。倭国は乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち一女子を共立して王と為す。名は卑弥呼と曰う。鬼道に事え能く衆を惑わす。年 [続きを読む]
  • 天日隅宮
  • 日本最古の神社との説のある甘木の大己貴神社のすぐ近くに神話通りかも知れない神社が存在します。 この神社はひぼろぎ逍遥さんに教えて頂きました。 表面上の神社の名前は田神社 一般には天神社と呼ばれています。 大変風通しのいい拝殿です 一般的には天神とは菅原道真公のことをいいますが、ここでの天神社とは埴安彦(大幡主・八幡)を指します。 明らかに面立ちは菅原道真公と違っています。 しかしこの神社の興味深い [続きを読む]
  • 一大率
  • 自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史 王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露 傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯 「女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。常に伊都国に治す。国中に於ける刺史の如く有り。王が使を遣わし、京都、帯方郡、諸韓国に詣らす、及び郡が倭国に使するに、皆、津に臨みて捜露す。文書、賜遺の物を伝送し女王に詣らすに、差錯す [続きを読む]
  • 狗奴国(壱)
  • 其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里 「その南、狗奴国有り。男子が王と為る。その官は狗古智卑狗有り。女王に属さず。郡より女王国に至る。万二千余里。」 邪馬壹國から南 万二千余里には女王国に属さない狗奴国あり官の名前は狗古智卑狗(クコチヒコ)であるとあります。 女王国を朝倉・日田辺りと想定するとその南に位置するのが熊本県菊池市になります。 菊池渓谷 この菊池(鞠智 [続きを読む]
  • 上洗川神社(かみそそかわじんじゃ)
  • 久しぶりに上色目熊野神社を訪れた時です。 帰り路に美しい阿蘇の夕日が目に入り写真を撮った時のことです。 路の脇に小さな神社が目に入りました。 洗川妙見神社 これが上洗川湧水です。上洗川神社の由来祭神 阿蘇大明神建磐竜命外当社を妙見社、水神社ともいう。神話伝説によれば、阿蘇大明神が草部吉見神の娘阿蘇都媛を娶られ、阿蘇開拓の緒につき、祭場にて天神地祈り、「峰の宿」にて一夜を過し、此の地の泉にて旅の衣を [続きを読む]
  • 邪馬壹國(参)
  • 自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳 次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國 次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國 此女王境界所盡 「女王国より以北、その戸数、道里は略載を得べきも、その余の旁国は遠く [続きを読む]
  • 邪馬壹國(弐)
  • 矢部川をみやまより更に上ると卑弥呼の祈祷所とも伝わるトンカラリンのある江田船山古墳や山鹿に入ります。 古代の山鹿は古代湖であったそうです。  この場所も「日本書紀」に記されている有名な女神いたとされる場所です。 姉の名前は吾平(アイラツ)姫  神武天皇の正妃であり手研耳(建磐龍命・阿蘇大神)の母です。 吾平神社 妹の名は櫛稲田姫 古代史を御存知で無い方でも八俣大蛇退治で有名な素戔男尊の妻です。 表面 [続きを読む]
  • 邪馬壹國(壱)
  • 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸 「南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所。水行十日、陸行一月。官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮と曰う。七万余戸ばかり。」 投馬国を久留米であると想定するとその南に流れる川は矢部川でありその先には作家の故黒岩重吾氏が卑弥呼であると想定した八女津媛神社が 八女津媛神社 [続きを読む]
  • 投馬国
  • 南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸  「南、投馬国(とうま つま)に至る。水行二十日。官は弥弥(ミミ)と曰い、副は弥弥那利(みみなり)と曰う。五万余戸ばかり。」 私は不弥国(宇美)から南に水行二十日というのは、現在の宇美町と太宰府に流れる宝満川を上流に上ると解釈しました。その上流にある大きな都市というと現在の久留米市があります。皆さん御存知の通り久留米市には高良大社がありその [続きを読む]
  • 不弥国
  • 東行至不彌國 百里 官日多模 副日卑奴母離 有千餘家 「東行、不弥国に至る。百里。官は多摸と曰い、副は卑奴母離と曰う。千余家有り。」奴国から百里行くと不弥国(ふみこく)に入るとあります。官の多摸(タボ)が誰であるかは不明ですが副の卑奴母離はいつもの防衛隊長のことでしょう。私は「魏志倭人伝」の距離は他と同様に考えると一里を短里=434mであると考えます。すると奴国から換算すると東に43,400mと言う事になります [続きを読む]
  • 高千穂神社③
  • ここの神社は素晴らしい杉がおおいですね! 夫婦杉 荒魂神社と四皇子神社 多分神武天皇の兄・三毛入野命夫婦と八柱の御子あわせて十柱とういのは二足す八で八坂神社つまり建速須佐之男命を表すとも云われているようです。 夜神楽についてですが 高千穂の夜神楽(たかちほのよかぐら)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町に伝わる民俗芸能。毎年11月中旬から2月上旬にかけて、町内のおよそ20の集落でそれぞれ氏神を民家等に迎えて奉納 [続きを読む]
  • 高千穂神社②
  • 本殿を見てみましょう本殿右横にある彫刻三毛入野命と鬼八 当社の祭礼に、「猪懸祭」というものがある。高千穂一帯に災いをなしていた「鬼八」という鬼神を、十柱大明神が退治・鎮圧したが、鬼八の霊は幾度も甦り、産業への被害が続いた。そこで、毎年日之影町岩井川の狩場で獲れた初猪を鬼八塚に供え、荒ぶる御魂を鎮めたのが始まりという。 「鬼八」というと他の神社では阿蘇の健磐龍命の配下であったと伝わる悪名高い人物です [続きを読む]
  • 高千穂神社①
  • 阿蘇の草壁吉見神社のすぐ近く現在のところ天孫降臨のテーマパークとして降臨するのが高千穂です。 高千穂峡 そこで夜神楽で有名な神社を御紹介します。 式外社 高智保皇神 続日本後紀旧村社御祭神高千穗皇神 天津彦火瓊々杵尊 木花開耶姫命彦火火出見尊 豊玉姫命 彦波瀲武鸕?草葺不合尊 玉依姫命配祀十柱大明神 三毛入野命 鵜目姫命太郎命 二郎命 三郎命 畝見命 照野命大戸命 靈社命 淺良部命 他七柱を合祀 高千穂宮御由 [続きを読む]
  • 奴国
  • 東南至奴国 百里 官日兕馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸「東南、奴国に至る。百里。官は兕馬觚と曰い、副は卑奴母離と曰う。二万余戸有り。」   (伊都国から)東南、奴国に至る。百里。官はシバコといい、副はヒドボリという。二万余戸が有る。 伊都国から東南に向かうとその名の通り那珂川の流域 奴国(那国)に入ります。奴国は現在の春日市と那珂川町を合せた場所に存在したと考えられています。春日市に存在する須玖岡本 [続きを読む]
  • 伊都国
  • 東南陸行 五百里 到伊都國 官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐 「東南陸行。五百里。伊都国に到る。 官は爾支(ニシ・ジシ)といい、副は泄謨觚(セツモコ・セツボコ)、柄渠觚(ヒョウゴコ・セイヒョコ)という。千余戸有り。世、王有り。皆、女王国に統属す。郡使往来し常に駐する所。」 現在伊都国と云われる国は、ほぼ共通して現在の福岡県糸島市を指すようです。伊都国は邪馬台国を [続きを読む]
  • 油すまし
  • 七年ぶりに天草に行くことになり以前から気になっていた場所を調べてみることにしてみました。 その場所は天草五橋を渡り松島を過ぎ天草街道に入ります。 まず見えてくるのが「河童街道」の標識この辺りは河童で村おこしを考えているそうです。 しばらく車を走らせると油すましどんの墓? 油すましって水木しげるの妖怪図鑑や妖怪大戦争のリーダーのこの人のことでしょうか? この妖怪の初出は、地元の民俗研究家であった浜本隆 [続きを読む]
  • 末盧国
  • 又渡一海 千餘里 至末盧國 有四千餘戸 濱山海居 草木茂盛行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺皆沉没取之 「又、一海を渡る。千余里。末盧国に至る。四千余戸有り。山海に浜して居す。草木茂盛し、行くに前人を見ず。魚鰒を捕るを好み、水、深浅無く、皆、沈没してこれを取る。」 最近の研究では末盧国は宗像であると考える方もいらっしゃいますが、遣唐使のルートもやはりこの海路で、末盧国の「まつら」とは現在の松浦であり [続きを読む]
  • 壱岐(一大国)
  • 又南渡一海 千餘里 名日瀚海 至一大國 官亦日卑狗 副日卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴「又、南、一海を渡る。千余里。名は瀚海と曰う。一大国に至る。官は亦た卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。方三百里ばかり。竹木叢林多し。三千ばかりの家有り。やや田地有り。田を耕すも、なお食するに足らず。亦、南北に市糴す。」対馬の次に紹介されている国は一大国 現在の壱岐 [続きを読む]
  • 対馬
  • 始度一海 千餘里 至對海國 其大官日卑狗 副日卑奴母離 所居絶? 方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田食海物自活 乗船南北市糴 「始めて一海を度る。千余里。対海国に至る。その大官は卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。居する所は絶島、方四百余里ばかり。土地は山険しく深林多し。道路は禽鹿の径の如し。千余戸有り。良田無く、海物を食し自活す。船に乗り、南北に市糴す。」 「魏志倭人伝」 [続きを読む]
  • 脱解王
  • 新羅(しらぎ/しんら、前57年- 935年)は、古代の朝鮮半島南東部にあった国家。当初は「斯蘆」(しろ)と称していたが、503年に「新羅」を正式な国号とした。この国の王は、朴・昔・金氏の三氏が世襲し金官伽耶の初代王金首露の誕生時期に初代朴氏から昔氏へと移行されました。この移行された昔氏の初代王 脱解尼師今(だっかい にしきん)は婿養子であり育った場所は伽耶であったそうです。『三国史記』新羅本紀・脱解尼師今紀 [続きを読む]
  • 伽耶韓国
  • 後漢書東の夷伝師升の時代からおよそ100年後、時代は後漢から三国時代に移ります。その頃編纂された中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の中に「東夷伝」倭人条倭及び倭人の記述がある。まず「魏志韓伝」のあとに「魏志倭人伝」へとつづきます。「魏志倭人伝」の倭国の記載には 「倭人は帯方東南、大海の中に在り。山島に依り国邑を為す。旧百余国。漢の時、朝見する者有り。今、使訳通ずる所は三十国 [続きを読む]
  • 安曇蓮
  • 志賀海神社の祭神 阿曇連とは「古事記」では「阿曇連はその綿津見神の子、宇都志日金柝命の子孫なり」と記されている。その他、「新撰姓氏録」では「安曇連は綿津豊玉彦の子、穂高見命の後なり」と記される。 では宇都志日金柝命とは?宇都志日金拆命(ウツシヒカナサクノカミ)はイザナギが黄泉の国から帰ってきたその穢れを祓うために行った禊(ミソギ)から生まれた綿津見神(ワタツミノカミ)…底津綿津身神(ソコツワタツ [続きを読む]