Hiroko さん プロフィール

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Hirokoさん: ゆっくりと、遠くまで
ハンドル名Hiroko さん
ブログタイトルゆっくりと、遠くまで
ブログURLhttp://yukkuritooku.blogspot.jp/
サイト紹介文日々のヨガを通して思うこと、暮らしの中に取り入れているヨガ哲学や仏教のこと、心に残る言葉など。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供11回 / 144日(平均0.5回/週) - 参加 2017/05/12 22:17

Hiroko さんのブログ記事

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  • 他力と自力
  • マイソールの朝何かを習うということは、先生に指導してもらうとはいえ、自分自身が努力をして何かを身に付け、変化していくということだと思う。でも、皆が皆、そんな覚悟を持ってヨガのクラスに来ているとは限らない。身体を動かしてもっと健康になりたい。体重を減らしたい。身体を柔らかくしたい、筋力を付けたい。不調を改善したい。心を落ち着けたい。何らかの変化を求めてクラスに来ていることはたぶん、共通している。でも [続きを読む]
  • マイソール、という練習方法
  • アシュタンガが生まれた南インド、マイソール市の顔、マイソールパレスヨガのクラス、と聞いて大抵の人が思い浮かべるのは、生徒さんたちの前に先生がいて、先生がしたポーズを生徒全員が真似て、といった光景だろうし、それで概ね間違っていないと言えると思う。でも、アシュタンガヨガの、本来の練習方法であるマイソールクラスの景色はそれとは違っている。まず、生徒のやって来る時間がまちまち。来た人から、黙ってマットを敷 [続きを読む]
  • プラクティス、とは?
  • たまにはポーズの写真載せてみます。マイソールにて。ヨガを始めたばかりの頃、スタジオに通いながらも、モヤモヤしていることがあった。どのクラスを受けても、先生のガイドに従って、毎回違うポーズをするだけ。始めて習ったうまくできないポーズも、1回して終わり。次の週に同じクラスに行っても、そのポーズが出てくるとは限らない。長い間、同じことを何度も繰り返して身に付けていくダンスの練習に馴染んできた私は、違和感 [続きを読む]
  • ご縁が繋がるところ
  • ブッダガヤのお釈迦様が悟りを開かれた場所に立つマハーボディ寺院2011年の暮れから2012年の年明けにかけて、ダライ・ラマ法王のカーラチャクラ灌頂に集まった人々で大混雑するブッダガヤにいた。お釈迦様が悟りを開かれた聖地、とはいえ田舎町で、参加者用のテント村なども用意されるけれど、世界中から集まった人を収容するだけの宿泊施設はない。そんな中、私は仏心寺と言う日本の小さなお寺が併設するゲストハウスで快適に過ご [続きを読む]
  • 甘いお菓子と生存確認
  • 久しぶりに会った友達がくれた手土産。くまさんのイラストの黄色いパッケージから、くまさんの形のフィナンシェが出てきた。一口づつ味わいながら、ぽつぽつと、昔のことを思い出す。初めて会ったのは高校生のとき。そのあと、ずっと音信不通だったのが、20代半ばで思わぬ再会をして、でも連絡先も交換しないままだったのに、さらにまた思わぬ場所で再開して、それからは、こうして数年おきに会っている。改めて考えたことがなかっ [続きを読む]
  • 耳を傾ける
  • ヨガの練習をしていると、自分の身体の声を聞いて、というアドバイスをよく耳にするし、自分もよく口にする。大切なことだけれど、自分の身体が今どんな状態なのか感じることって、意識してこなかった人にはとても難しい。何ができて、何ができないのか。どこまでならできて、どこから無理なのか。今日は昨日とどう違うのか。どこが、なぜ、緊張しているのか。何が快適で、何が不快なのか。それがわからないと、自分で自分の面倒を [続きを読む]
  • アタマとカラダの距離
  • ヨガ(この場合ポーズの練習という意味)やダンスや、その他のどんなスポーツでも武道でも、身体を使ってすることには、身体でわかる、という感覚が要る。身体をあまり積極的に使ってこなかった人には、この感覚がない。そんな感覚があることすら知らない。あるいは、忘れてしまっている。かつて、運動全般得意でなかった私がまさにそうで、18歳でダンスを始めてから、まずこの感覚を知るまでに長い時間がかかった。でも、身体でわ [続きを読む]
  • カルマヨガと夕焼け
  • 最寄駅から置いてあった自転車に乗って家に向かう。ヨガの大先輩から、彼女がインドの先生から学んだことをシェアしてもらった帰り道。テーマであったアヴィヤーサ(無執着)についてのお話が一旦終わったあと、話題がカルマヨガになったことを思い出していた。自分に与えられたことを、何も期待せず、報いを求めず、結果を問わずにやり抜くのがカルマヨガ。ここでもやっぱり無執着が鍵なのだなあ、などとぼんやり考えながらペダル [続きを読む]
  • 犀の角のように
  • 大乗仏教の、できる限り他者を助けなさいという考え方が好きで、だからいつも、人との関わりの中で自分にできることがあるなら、歓んでしたいと思っている。でも、ときに、ただ相手に都合よく使われ、磨り減ってしまうこともある。と言って、自分の身を守ろうと、自分の利益になる関係だけを選ぶ、というのは違う。いつも、この2つの間でゆらゆらしてきた。『犀の角のようにただ独り歩め』「ブッダのことば」第1章の「犀の角」で、 [続きを読む]
  • ブッダ・プルニマに
  • ダライ・ラマの本などは読んでいるけれど、シンプルなブッダの言葉にこれまで触れたことがなかった。中村元さんの訳も初めてだ。もう少しスラスラと読めるかと思っていたら、本の厚みの半分近くが訳者の註で、原文のパーリ語でなんと表現されているかを交えながら、翻訳面の解説、哲学面の解説が入り混じっている。本文と註を行ったり来たり、なかなか進まない。でも、これが予想外の面白さだった。ヨガの哲学や、その背後にあるイ [続きを読む]
  • 「何も心配しなくていい。」
  • 「何も心配しなくていい。」時々思い出す、安養寺のご住職の言葉。今朝もふと思い出し、そしてその通りになった。昨日の憂鬱の種が、洗い流されたように綺麗に取り除かれて。必要なものはやってくる。そうでないものは去っていく。寄り添ってくれる全ての人に感謝。今日はその安養寺で、月1回のヨガの日。多くはないけれどリピートしてくださる人が出てきて、ありがたい。ヨガのあと、いつものように参加してくれたメンバー数人と [続きを読む]
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