李 信 さん プロフィール

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李 信さん: 第二生〜苦の消失へ
ハンドル名李 信 さん
ブログタイトル第二生〜苦の消失へ
ブログURLhttp://rishin.ti-da.net
サイト紹介文第二の「生」〜苦の終焉から始まります。。。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供204回 / 159日(平均9.0回/週) - 参加 2017/05/13 15:43

李 信 さんのブログ記事

  • 「第二生」完結編②
  • 「即座の理解と終焉」編 ⅩⅥ「第二生」完結編②わかちゃった人は 何がわかっちゃったのか?私達全員の精神が 永遠に守られていることです。というか 傷つきようもなく 汚れようもなく、救われようもない・・・すでに 最初から救われていて、人の生み出すドラマ自体が、たわいもない 一時的な「茶番」だったことにです。この世界(現実社会)は 根源が一時的に「肉体」にのって、創造の限りを尽くしている「成果」です。或 [続きを読む]
  • 「第二生」完結編
  • 「即座の理解と終焉」編 ⅩⅤ「第二生」完結編たぶんですが、みなさんは 他者の「心ゆさぶるスローガン」に左右されすぎです。私達は「愛」だったんだ。。。と聞かされますと、何か感動の涙を流すような。「あなたはそのままでいい」「大丈夫だよ」「安心」だよ・・・と聞かされますと、ほっとして胸をなでおろすような。・・・で、ワンネスでもひとつでも、私はいないでも 外からの情報(宗教・真理観・人生観・宇宙観)に、「 [続きを読む]
  • 「第二生」3
  • 「即座の理解と終焉」編 ⅩⅤ「第二生」3ま 大丈夫なのに、何故他者への喚起啓蒙を続けるのか?っていうのは 底意地の悪い書き方でしたね(笑)「第二生主張の裏側」私が こうした精神世界観に 入り込み、学びを深めていく中で、随分と 周囲の人達とは「思考回路」が違うなぁ〜と感じてきました。別に同じような個性の全体ですが、思考回路だけが 明らかに、まわりとは「逸脱」していると 思います。思考する回転と展開が [続きを読む]
  • 「第二生」2
  • 「即座の理解と終焉」編 ⅩⅣ「第二生」2勿論 私も「第一生」に生きてきて、そのままで終わることもあったでしょう。「第二生」なんていう「発想」自体が その頃の場面には「皆無」でした。人は 解らない中で 解らないままにその生涯を閉じていくだけの存在である・・・これが 第一生の意識の主観の母体です。で、意識とか自我とか悟りとか覚醒とか、或いは 生きているという「今の状態」が、一斉に理解できるのが、生きて [続きを読む]
  • 「第二生」
  • 「即座の理解と終焉」編 ⅩⅢ「第二生」第二生・・・という新しい観点を書いてみようと思い、書き始めたブログですが、佳境に入ってきました。おわりそうな予感満載ではありますが、ブログで書きたかった「本論」を書いて、閉じていこうと思います。最終編となる「創造編」ですが、まだ 骨子が定まってないので、そこは 落ち着いて仕上げることにします。今日は、終日 合間をぬって、「第二生」なる造語とその観点とを 記して [続きを読む]
  • 「我以外不問」2
  • 即座の理解と終焉」編 Ⅻ「我以外不問」2一瞥した人が 最初に思い込むのは、「大変なことを知ってしまった」・・・なんです。そこで、その個人は あわてふためき、たくさんの人にこの真理(個の正体)を伝えないといけない。いや 是非とも伝えまわりたい。と意識しはじめます。自分は 真理を伝える「ラッパ」ではないのか?もしかしたら「メシア」ではないのか?様々に 自分自身を持ち上げて、ことさら、悟りとか覚醒とかを [続きを読む]
  • 「即座の理解」3
  • 「即座の理解と終焉」編 ⅩⅠ「即座の理解」3少なくとも 私は自分が達成・到達・理解・認識できていないことを、ここに書いてないです。文献からの記述や引用など ほぼないです。一切が 私の中で処理されてきたことだけを 書いています。ぶれたことは ほぼ ないかと思います。自己精神の上で、主義一貫していて矛盾なき 理念、思想、観点を書いている(つもり)です。wそれが 正しいかどうかは別としても、この数年に、 [続きを読む]
  • 「即座の理解」2
  • 「即座の理解と終焉」編 ⅩⅠ「即座の理解」2一切が創造物を経験していることでしかない・・・という「理解認識」がはたして 日常の中で実直に行われるものかどうか。ひとつには 死への想像があります。つまり、死して肉体も神経も残らない事実。死して残らないものへ固執して執着して生きているのが、私達全員ですね。何も 残らないことを事前に知りながら その残らないものに 執着している、状況って、不可思議に思えるの [続きを読む]
  • 「即座の理解」
  • 「即座の理解と終焉」編 Ⅹ本題から離れた記事が続きました。無という観点を精神のどこかに、置いておくと、顕われている「意識」が見て取れる・・・ところから続けますね。「即座の理解」私達が 知らない間に「継続した意識」を持つこと・・・は、珍しくもなく、誰もが行っています。気がつけば 仕事の段取り、仕事上での失敗や後悔、次の日曜日の計画とか、ある人への非難とかが、脳裏を支配していることが、どなたにでもある [続きを読む]
  • 「我以外不問」
  • 即座の理解と終焉」編 Ⅸ「我以外不問」このブログで みなさまの生きた方や考え方を 左右させて、私の提示する人生観や思想観につき従え・・・とは、思いません(笑)私が 言いたいのは、ひとつです。内面を探り 内面に潜り 内面を精査観察しながら 自己の根源へと その「眼」を向けて欲しい。。。だけです。その精神行為に興味を持ってもらわんがために、苦はなくなるのよ、人生は謳歌され、一切の疑問は消失するのよ・・ [続きを読む]
  • 「意識の基盤『無』」3
  • 即座の理解と終焉」編 Ⅷ「意識の基盤『無』」3内面に確認していける 精神とその状態。思考にはじまって、身体感覚、気分・波長・空間・・・といった 自己確認ができて、認識することが可能な領域、空間か想像の範囲を観ていきますと、自分という意志を構成しているものは、ただ「在る」という感覚に終わります。何も 無いのだけれども、ただ 自己存在とその意識が 在る・・とだけ感じられる場所に行きついて、その先はない [続きを読む]
  • 「意識の基盤『無』」2
  • 「即座の理解と終焉」編 Ⅶ「意識の基盤『無』」2思考・感情・肉体感覚・精神(気分・感性)・・・といった内面に感じられる 思考の動向と気分として感じられる精神のあり様・状態。それらが 感じられる、或いは 認められる、認識されている。客観的に手にとれている。。。とするならばですが、それらの一切が、無い。ということが、どういうことかは、感覚的に解るかと思います。普段、内面に意識を向けてみることを たいて [続きを読む]
  • 「根源という『いつも』」
  • 「即座の理解と終焉」編 Ⅵ「根源という『いつも』」瞑想で 自己確認を進めていきますと、最後には何も 無いです。何も無いと感じる自分の意識があることは、何も無いことには ならず、意識があるはずだ・・・これがね、一瞥とか二度目とか以前にあった「疑問」ですね。つまり 何も無いことを 確認することは、論理的に「無理」。このことが、単に思考回路からきていることが、わかるのが「一瞥」ですね。「無」として表現す [続きを読む]
  • 「意識の基盤『無』」
  • 「即座の理解と終焉」編 Ⅴ「意識の基盤『無』」「からっぽ感」・・・これを常時、精神上に感じるには、根底に何も「無い」と考えることが 必須です。つまり 私達自身の根源根底にある存在感が、例えば「愛」であると信じ込んだ状態では、「愛」の上に 何かがいつも構築されていくことになります。「愛」がいつも その人の精神の根底に根付いている・・・聞こえは とても 良いのですが、からっぽには 遠くなります。「愛」 [続きを読む]
  • 「からっぽで生きる」3
  • 「即座の理解と終焉」編 Ⅳ「からっぽで生きる」3からっぽな精神に生きようよ・・・って 問いかけている訳ですが、からっぽな精神って 何か?難しそうに書けば、瞑想での「空」です。悟りと言われている「無の境地」です。瞑想や悟りによって 至る「内面の状態」っていうのは、日常にもあります。単純に瞑想で「空」に入れるのは、日常にある 雑多な念・思考からしばし 精神統一によって、さよならができているからです。人 [続きを読む]
  • 「からっぽで生きる」2
  • 「即座の理解と終焉」編 Ⅲ「からっぽで生きる」2前記事の内容が、少し先に いきすぎていて、みなさんを戸惑わせたかもしれません。補足しておきます(笑)私が 一番楽な精神の状態が「からっぽ感」です。思考量が多いと 疲れて眠くなることが、ひとつ。対人関係で、相手へのイメージを持ち越していると、いつまでもそのイメージが変わりませんので、相手の持つ深層心理を読み込むことで 相手への理解を深めて 穏便・温和・ [続きを読む]
  • 「からっぽで生きる」
  • 「即座の理解と終焉」編 Ⅱ「からっぽで生きる」一番楽な精神の状態・・・これが「からっぽになってるトキ」です。それ以上に 楽な精神の状態を 私は知りません。「からっぽ」っていうのは、財布の中身でなくて(ここ笑える人は純粋な人です)勿論、思考の浮かばないことです。昔から 考え事が好きで、妄想や空想に耽る時間が多かったのですが、ここ最近っていうのは、ほとんど空想(妄想)しないです。思考をフルに回転させて [続きを読む]
  • 「即座の理解と終焉」
  • >「苦の消失」「自我の仕組み」「即座の理解と終焉」「自我の創造」・・・この4編が、人としての経験が終わり、本来のスガタとなる「経過」です。大まかにですが、書いてしまえば、人が終わり 人がはじまり・・・そして「何も始まりがなく、どのような終わりもない」ことが、地上での「悟り」ですね。「即座の理解と終焉」編 Ⅰ「即座の理解と終焉」この章は 私の得意分野です(笑)何を どう思い、どう考えることが「得策」 [続きを読む]
  • 自我の仕組み総集編
  • とびとびに書いたりしてるので、自我の説明だけを とりまとめてみます。って いつも 最後は脱線してますがね(笑)私は 私よ、あなたは あなたよ・・・って 思えるのは 今だけです(笑)あっちに還ると、あなたという 登場人物が出てきません。神様か エンマ大王様がでてきて、信よ 地上で世の善人たちをたぶらかし、神の名を消したこと 重罪に処す。30宇宙光年の間地獄で もがけ(笑)とかって 言われないです。誰も [続きを読む]
  • 「生命の奇跡」〜自我の仕組み完結
  • >死んだらあのまんまだったのか・・・?私は 気を失った経験があります。全くそのトキの状態がとんでいました。気がつけば病院のベッドの中でした。熟睡して目が覚めるまで、自分を失っている状態・・・も、誰もが経験していますよね?記憶に何も残らない、意識が何も無い状態。・・・って、違うんです。そうじゃなくて 自分としての側の意識が、明確にあるから 根源に帰還していることが解ります。一瞥とかは みな そうした [続きを読む]
  • 「自我の仕組み」
  • 第二生〜自己意識編Ⅸ「自我の仕組み」改めて、自我の仕組みについて 書き下ろしてみます。色んな書き方や説明の仕方はあるでしょうけど、私の見識を まとめてみますね。自我について 自我が書く(笑) ま、自分について書いているのと同じです。私は こうこう こういう人間です。よろしく・・・みたいな、自己紹介に等しいですねw自我という自分について 書くとすれば、思考感情反応意志記憶知識理解力社会的な立場環境状 [続きを読む]
  • 「根源との接触」完結編
  • 第二生〜自己意識編Ⅷ「根源との接触」完結編ある日ある時に、自我意識の層を「ぽんっ」と抜けて、素の存在自己に戻る。その後、再び 自我意識の層に支配されて、素の自分っていうのは、イメージになってしまって、何故、素のままの自分(存在自己)で生きられないのか?が、疑問と困惑と苦悩を伴って、しばし、息苦しさの中で、今までの経験と記憶が創り出してきた「個性」について、改めて見直しをする期間が自然に生まれて、自 [続きを読む]
  • 「根源との接触」後編
  • 第二生〜自己意識編Ⅶ「根源との接触」後編「私達は、いつも『それ』でしかない」・・・よく 聞かされる「格言」ではありますね。或いは宗教でしょうか。信じるか否かの選択肢ですね。人間的な判断に対しては、判断する人は、いない・・・とも 聞かされます。観察者は(最初から)いない・・・ともね。『それ』→「観察者」→「体験(精神)」→「思考(記憶含)」→「自我(個体意識)」ま、おおざっぱには このような図式が  [続きを読む]
  • 「根源とのコンタクト」
  • 第二生〜自己意識編Ⅵ「根源との接触」一瞥の後に自覚できるようになった「根源との接触」の経験を書きます。ふとした瞬間に「歓び」がこみあげてきて、そのうれしさ故に笑える。或いは ほくそ笑む。そんなことが、たまに起きています。根源に触れる「瞬間」は、誰にでもあります。そこの自覚があるかないかですが、たいていの人は その瞬間を「安堵感」「リラックス」「安らぎ」として脳内処理してしまうので、せっかく?の根源 [続きを読む]
  • 「存在確認」
  • 第二生〜自己意識編Ⅴ「存在確認」できれば、あらゆる人に思い出してもらいたい。他者への期待で、これを書いています。ですが、思い出すことは、必須の事項でも何でもない。自分がどういった存在かは、生きていれば気にする局面は ほぼないですね。目先の快楽や生活、趣味とかレジャーとか仕事や地域の人間関係といった「現実」が日々に展開していくものです。生きる上での悩み事や心配事、うまくいかない自己実現への焦りかいら [続きを読む]