うのん さん プロフィール

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うのんさん: 奈良薬師寺近くの本のある喫茶店 うのん
ハンドル名うのん さん
ブログタイトル奈良薬師寺近くの本のある喫茶店 うのん
ブログURLhttps://unon.muragon.com/
サイト紹介文奈良薬師寺南門から徒歩5分にある多くの本ある小さな喫茶店
自由文奈良の歴史 社寺仏閣の本 写真集 随筆集等など 専門家の方からお子様まで読んで頂けるもの揃えました。飲物とスイーツで一息出来る喫茶店初めました
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供186回 / 233日(平均5.6回/週) - 参加 2017/05/14 16:14

うのん さんのブログ記事

  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№17
  • 大和の溜池②  溜池の形は正方形か長方形で古代における条里制と密接な関係があります。しかし山麓や馬見丘陵には谷の一方をせき止めた不規則型のものがおおくあります。中でも馬見丘陵」は殆ど一筆のごとく「つぼ池」といわれる小さい池が無数に散在しています。  平地部の池はほぼ形が整然としているのに対し丘陵や山麓は不規則型のもので 両社は全く地形上の相異や発生の要因が異なるためです。この溜池の分布は盆地の北部 [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№16
  • 大和の溜池① 現在の奈良新聞に「大和の自然」の中から池についての記事がありそのまま記します。  奈良盆地は全国でも有名な溜池灌漑が発達しているところで 讃岐平野 大阪平野とともに溜池が多い。  溜池の総数は15,000分の1の地形図で見ると約3,000であるが小さい溜池を入れると総数13,800に達する。溜池による灌漑面積は13,480町歩 72%河川灌漑は26% 天水地下水が2%で奈良盆地の稲作 [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№15
  • 大和の農業用水 一般に稲作に必要な水の量は 雨の量に換算して2000?と言われています。大和平野の穀倉地はいずれの場所も条件に合いません。また古代大和の土地は他の地方よりも早くから開け東洋では中国西安についで多くの人口をかかえ、飛鳥 奈良の都は五穀の一台消費地でもありました。しかし五穀の豊穣を期待する絶対量の「水」はいつも不足していた為安全供給を計るため多くの 池が造られました。日本書紀第五崇神天 [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№14
  • 旱魃から池造りにはげむ 1 A B c A・Bの図は気象庁観測技術資料によって描いたもので A図は 年平均降水量分布 B図は稲作期間5月から9月としたときに5ヶ月間の合計平均降水量分布図を示したものです。C図は昭和28年奈良に測候所(以前は橿原市)が移転後梅雨期 小雨1位の降水量の記録です。(ちなみに梅雨期奈良では360?程度の雨が降ります。昭和33年は63?程でありました。) ご覧になって解ると [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№13
  • 奈良における旱魃の記録は多くあります。 その中で江戸時代4中期 享保9年(1724年)夏の大旱魃 月堂見間集には 6月上旬より(中略)大坂 奈良の辺りは70日余も雨降り不申候 とあって 2ヶ月に及ぶ日照りを報じています。 明和3年(1766年)7月分ー9日大仏池 (東大寺図書館長堀池春峰氏註 現在の正倉院の池を指す)水 明日十日より切申度旨 芝辻 油坂両村役人届来了 一 17日大仏池水出切候段 芝 [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№12
  • 奈良盆地には溜池が多くあります。稲作には水が多量に必要であるためです。自然の力が重要であるからです。 旱魃と雨乞  暴風雨 洪水 旱魃 他幾多の気象災害が現代まで続いています。ここでは少し旱魃について触れていきます。  推古天皇33年(625年)の旱魃 元亨釈書 夏天下大旱 詔灌祈雨 灌著青衣講三論大雨便下 と扶桑略記には 天下旱魃 高麗僧恵灌祈雨 とあっ雨乞資料としては最も古いものです。しかし  [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記№11
  • 昨日のブログに書き忘れたことがありました 稲の枝分かれの時期には 十分な水を与えることが重要でその役割が 梅雨です ジメジメした気候は生活には不便ですが 稲作には恵みの雨です。 歴史時代 気象が原因と考えられる災害の数 多くの歴史書くの研究 古文書の解析 日記類の整理と照合が進み重ねられた結果から 気象が起こしたと考えられる災害をまとめてみました。 推古7年(599年)から昭和31年(1596年) [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記
  • 水田について 「延喜式」の大抜詞では 畔放 溝埋 樋放 を天津罪の筆頭にあげています。 水田破壊は 社会犯罪の最たるものとされたわけで 高天原説話においても スサノオノミコトはこれを犯したために 手足の爪を抜かれた上で 国外追放となっています。 稲作と梅雨 イネはもともと熱帯産の水草であるから 多量の水と高温を必要とします。 特に育ち始めの枝分れの時期には多量の水が必要です。この時期に水が不足する [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記
  • 外部資料 水稲栽培 大陸の稲作民が日本に移住して来た時 彼らは同時にトータルシステムの一環として 五穀も持ってきたと考えられます。純粋に稲作だけという農耕はなく またイネだけでなく 五穀もこの国土で自生した形跡は全く見られません。    しかし この国土に定着した農耕の主力は やはり初めから水稲であったと思われます。「田」という字は漢語では本来陸田を意味し 水田に対しては特に「水田」と言わなければ [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記
  • 弥生時代 同じものが続きますが 本文との関係があるところを大きくしました。 弥生時代は 水耕耕作が西から東へ さらに東から北へ向かって広がった時代です。稲作 特に水稲耕作の展開は その後の二千年間の日本の文化を決定しました。今日我々が日本文化と呼ぶものは 第一次生産様式から始まって 文学 宗教 芸術」に至るまで さらには日本人のもつ意識構造や情緒をも含めて そのことごとくが水稲耕作を基盤として成立 [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記
  • 縄文時代 縄文時代のはじめは 気温はなお引き続いて上昇を続け 今から約6千年前最も暖かくなり、以降今日に至るまで 何回となく寒暖の波を繰り返してながらも 全体としてはゆっくり下降しつつあるかのように見えます。昨日添付したモノと同じです 縄文時代の寒冷期が終わると 気候はふたたび温暖化し 縄文晩期の数百年間は 気温はほぼ今日の状態 あるいはもう少し高かったと思われます。この温暖化とともに 日本列島の [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記
  • 昨日のブログ約2万年前から 全体的に地球の気温が上昇を続け海面もまた上がりつづけました。 この結果 最初にまず津軽海峡が切れて 1万8千年前後 すぐ続いて朝鮮海峡(対馬西水道)が切れ 次に対馬海峡(対馬東水道)が切れ 1万6千年前後 これで 黒潮の分流は対馬海流となり日本海に流れこみ 地球の自転の転向力で右にそれ 本州の日本海岸沿いに北上することになりました。このため山陰 北陸の気温は大いに温和化 [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記
  • この図は一昨日とおなじです 海図を元にして 水深140?の等深線を描いたものです。我々の国土はひと続きの回廊となり 丁度 古代人が腕輪に使っていた釧(くしろ)のようなかたちで 北と西で大陸につながっていました。 昇温期 二万年前を過ぎた頃から 北半球の気温は少しづつ上がり始めました。大陸氷床や山岳氷河は徐々に融けはじめ海面がゆっくり上がってきました。この後三回ほど ほぼ三千年ぐらいの間隔で気温の低 [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記
  • 昨日投稿したブログが うのんのブログで出てこないので再度書きます 1月5日分 気象現象は気圧配置と地理 地形でほぼ決まりますが その場合海面の広さや 水温分布が大きな影響を持ちます。例えば北陸の冬の大雪は日本海の水温分布が重要な役割を演じています。その日本海の現在の水温分布は日本と大陸との間が海峡で切れることによって今の姿になりました。同じく冬 九州の北岸や西岸は 北陸や山陰に次いで天気が悪いがこ [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 気象歳時記
  • 気候変動№2 日本の気候 我々は毎年 春の強風 梅雨の長雨 夏の炎天 秋の台風 それに冬の大雪と この国土の四季の気象の移り変わりを、我々が体験するようになったのは今からおよそ1万年前からです。 最近の地史学の示すところによると 現在我々が住むこの国土が大陸から切り離され 今見ような弧状の列島となったのは 一万年前だからです。 [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 大和の気象歳時記
  • 気候変動 はじめに 平成6年4月28日付け毎日新聞に 気象庁「以上気象レポート」と題し次の様な記事が載っていました。内容は温暖化傾向続くという見出しで1,990年の冬は平年を1.4℃上回りました。またこの100年間で地上気温が0.5℃上昇 この様な状態は続き2,025年には平均気温は現在より1℃上昇する とありました。です。  このことを奈良といゆ地点に当てはめてみると 現在奈良の年平均気温は14 [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 大和歳時記
  • 外部データーです 奈良の気候 奈良県は山に囲まれた土地である事は昨日のブログで書きました。 冬から書いていきます。 冬特徴的なことは日照時間の少ないことです。例として1月は大阪と比べて21時間 東京と比べて55時間も少ないです。西高東低の冬型気圧配置では午前中は晴れていても午後には雲が発生して太陽を隠すことが多くあります。しかし夜になると晴れ上がって奈良盆地はきつい冷え込みとなります。雪については [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 来月の予定です
  • 薬師寺近くの 本のある喫茶店 うのん 元旦 2日 3日は午前9時から5時半まで営業いたします お休みは 4日(木) 5日(金)      15日(月)      22日(月)      29日(月)  イベントのおしらせ      パーソナルカラリストによる      パーソナルカラー講座&診断       日程   27日(土)午後1時半から3時半       募集人数 5人 予約お願いします。 [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 大晦日
  • 大晦日の日清らかな山砂(川砂の所もあります)を氏神様から家まで引き 門家から母屋へ牛小舎 納屋 などのお正月神様の通道と作ります。 今は殆ど見ることがなくなった この辺り(西ノ京)風習です ブログお越し頂きありがとうございます 来年が皆様にとって 幸多き年になりますようにお祈りいたします。 また よろしくお願いいたします。 [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 春日若宮おん祭
  • 後宴の能 12月18日午後1時 於御旅所 さしもの大祭も終わりを告げた御旅所ですが午後1時からは 奉納相撲 そして芝舞台では神事奉仕者の慰労のため 仮御殿を背にして能が三番狂言が二番執り行われます。これを古くから「後日の能」といって冬の春日野に今年1年の別れを告げる大和の風物詩として風情の深いものです。 後宴の能 [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 春日若宮おん祭
  • 御旅所祭 12月17日午後3時より午後10時半頃まで 於御旅所  仮殿前の芝舞台では 本祭りの中心行事である御旅所祭が執行されます。この時献じられる神供は特に御染御供と称される美しいものです。宮司の奉弊 祝詞奏上に続いて日使が祝御弊を棒げ祝詞を奏上します。この頃参道では大和士の差配によって流鏑馬が執行されます。各所役の拝礼のあと芝舞台では、神殿神楽をはじめに華麗な古典芸能奉納の幕は切っておとされま [続きを読む]
  • 薬師寺近くから 春日若宮おん祭
  • おん祭お渡り式 「南大門交名之儀」なんだいもんきょうにょうのぎ 12月17日午後1時頃より於興福寺南大門までを下の渡り一の鳥居より御旅所までを上の渡りといいます。南大門に衆従が出仕し所役に遺漏れなきかを確かめます。特に興福寺に縁故の深い役柄は名乗のことがあります。 松の下式 12月17日午後頃より 於一の鳥居内 一の鳥居内南側にそびえる影向の松は、能舞台の鏡板に描かれている松の原型であり、春日大明 [続きを読む]