「死ぬまでに必ず聖書を…」斎藤博之 さん プロフィール

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「死ぬまでに必ず聖書を…」斎藤博之さん: 生活相談サポートセンター 斎藤博之ブログ
ハンドル名「死ぬまでに必ず聖書を…」斎藤博之 さん
ブログタイトル生活相談サポートセンター 斎藤博之ブログ
ブログURLhttps://ameblo.jp/hnyt/
サイト紹介文弱い立場にある方々支援のNPO法人を運営。著書「死ぬまでに、必ず聖書を読んでおく必要性」を発行。
自由文長年の求道の末、56歳にしてキリストに出合う。そして、聖書に促がされ、弱い立場にある方への支援の為「生活相談サポートセンター」を設立し、妻と二人で行動開始。活動を通じて多くの神の御わざを実感する。また、40年以上も前の啓示の意味を知り、神は私(個々人)に対して変わらぬご計画があることを知る。それらの証を通じて神を知ってもらいたく本を発行。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供370回 / 365日(平均7.1回/週) - 参加 2017/05/16 14:23

「死ぬまでに必ず聖書を…」斎藤博之 さんのブログ記事

  • 今日から通信2年コースで、牧師の勉強を始めた。
  • 私は、毎日ふれあっている、障がい者や難病の方々への聖書の学びを呼びかけたときである。私は、特にこの手の学び、特にキリスト教の学びについては、難しいのかなと思っていた。確かに、敬遠される方が、多いのだが、待っていたかのように、「是非、学びたい。」という方がおられ、驚くとともに、うれしかった。やっぱり、心から神を求める人は、いるんだなと思った。そういう人は、熱心に聖書を読み、そして信じた。その心の動き [続きを読む]
  • 私に今できる、愛ある対応をする。
  • 教会の有り様に関して、黙示録の中で、イエスが、7つの教会に対して、具体的に指摘している聖句がある。これは、神様が、自らの教会に対して、判断を示している例として、謙虚に踏まえるべきだろう。7つの教会のうち、5つの教会が非難される。その理由は、信仰、愛の欠如、世的な傾向、なまぬるさ等で、分かりやすい。それは、個人に対する非難、警告であり、心して聞く必要があるだろう。一方、評価された教会は、スミルナ及び [続きを読む]
  • 高等養護学校の生徒さんが、見学に見えられる。私達の責任。
  • 今日、ある高等養護学校の生徒さん、8名が先生二人と共に、事業所見学に見えられた。まだ、1年生であるが、2年後の就労に備えた学習の一環である。皆さん、緊張しながらも、挨拶もきちんと行い、質問もそれぞれ考えてきて、がんばられていた。私が思うことは、彼らに対する責任を果たしたいということです。つまり、養護学校をでて、例えば、私達の事業所の利用者になった場合、やはり、ここが楽しい、やりがいのある仕事場でな [続きを読む]
  • 自分の安心を他者に依存するのは、はかなく空しい。頼るべきは神。
  • 人の評価を気にしないこと。人に期待しないこと。人に良く思われようとしないこと。・・・は、とても大事なことだと思う。例えば、SNSでの「いいね」の数を期待するのは、人からの「承認欲求」だと聞いたことがある。友達がほしい。人から承認されたい、注目されていたい、できれば多くの人に。その気持ちは、わからないわけではないが、本質的に、自分の安心を他者に依存するのは、はかなく空しいだろう。人の評価、ましてネット [続きを読む]
  • 神様がお決めになっている私の生き方、私の走るべき行程。
  • イザヤ14章24にこう書かれてある。「万軍の主は、誓って仰せられた。必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する。」 私達の主、イエス様は、万物を支配する神である事を、本当に知るということは重要である。つまり、自分が世界の中心ではない、ということだ。人間はアダムの子孫であるから、「自分の人生が何よりも大事で、かけがえのないものだ。」と思って生きている。クリスチャンになって、神 [続きを読む]
  • イザヤ書に学ぶ、私たちの地の思い、そして天の思い。
  • イザヤ書は、本当にすごい御言葉が散りばめられている。神は、イザヤを通じて、イエスについて、また未来の御国の様子まで語ってくれる。また、同時に御使いのかしらであるサターンについてもふれている。神が、もっとも私達に戒めるものとして、私たちの高ぶりがあるが、その根源は、サターンにあることがわかる。14:12 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り [続きを読む]
  • 「聖書に書いてあることが、行なえる人になる」為に聖書を読み続ける。
  • 聖書を読み続けることは、私達のように心の移ろいやすい、不安定な人間にとって、とても大事なことであろう。だから、1テモテ4章13節にも、こう書かれてある。「私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。」 パウロは、人間として専念すべきことを、言っているわけだが、まさに聖書を学ぶことの重要性を述べている。つまり、余計な事にわずらわされずに、聖書を読めと。昨日のブログでふれたミカ書6.8も、大 [続きを読む]
  • いのちの書にしるされているか。
  • 私たちが本当に喜ぶべきことは何か。それは、わたしの名が、天に書きしるされていることである。ルカ10.20だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。 天国に行けるかどうかは、重大な関心事だろう。イエスに天に書きしるされていると言われたら、こんなに喜ばしいことはないだろう。私は、イエスに直接、言われたことはな [続きを読む]
  • 人は、コントロールできない。「鼻で息をする人間をたよりにするな。」
  • 今朝から、旧約の通読が、イザヤ書になる。イザヤは、本当にスケールの大きい預言者だ。2章22節にひかれる。鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値打ちがあろうか。残念ながら、この世は、人間関係の渦の中にあり、影響を受けざるをえない。私も、会社で働いていた時は、好むと好まざるとにかかわらず、多くの人間関係の中にさらされる。ブログを読まれている方々も、人間関係で悩まれている方も多いと思う。私 [続きを読む]
  • あらためて噛みしめる「求めなさい。そうすれば与えられます」
  • 「求めなさい。そうすれば与えられます。」は、有名な聖句である。マタイ7.77:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。7:9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。7:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでし [続きを読む]
  • 神を本当に畏れているか。貴重な神からの開示の宝庫。
  • 神は、愛の方であるとともに、恐れるべきお方である。ヨブ記の最後に、とうとう、神がヨブに語り始める。ヨブ38章2知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。 私たちも、論争の中で、多弁に自己主張を重ねていく時、そうなっていく傾向がある。私の論理は、まさに小ざかしい、真理からは程遠いものになっていく。私が、注目するのは、聖書に中で、とても珍しく、神が多弁に、おのれを語ってくださっている。自分 [続きを読む]
  • 立場や肩書は関係ない。正直ベースで生きること。
  • 加計、森友学園に関する国会対応等に、うんざりされている方は多いだろう。私もその一人である。高級官僚及び首相を始めとした政治家の答弁には、正直呆れるばかりである。なぜ、そう思うかというと、そこには、真実が感じられず、嘘があり、誠意が微塵もないからである。単なる言葉の羅列であり、揚げ足を取られないための論法に徹しているだけであり、一番大切な正直さが、欠けているからである。私は、三十代後半に、北海道信漁 [続きを読む]
  • 「神の光のうちに、光を見る」機会を逸しないように。
  • ウオッチマン・ニーは、私にとって聖書の先生だと思っている。「霊の巨人」と言われることもあるようだが、まさにそうで、最も深いことを、明快に教えてくれる。さて、彼が、聖書上で、とても重要な聖句とあげていたのが、詩編36章9節です。「いのちの泉はあなたにあり私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。」 彼は、神より来る光がある時だけ、私たちは何事かを知り、何事かがはっきりわかり、そして、見る、という [続きを読む]
  • 砕かれた心は、何と遠い道のりか。しかし、何と大切な事か。
  • 朝の散歩のときに、感じたことです。砕かれた心、砕かれた霊という御言葉があるが、その道は、何と遠いことか。また、自分にはまだまだ遠いながら、何と大切な事か。皆さんは、どう感じているかはわかりませんが、自分はそう感じている。 それを阻むものとして、人間には、自負心がある。クリスチャンになっても、神を中心に置くことを理解しても、あるいはそのように努めても、どこかに、自分が根強くある。だから、良きクリスチ [続きを読む]
  • イエスのあわれみ深さに感謝。だから、期待に応えようと張り切る。
  • イエスのご性質の一つに、「あわれみ深い」がある。そのおかげで、私達は、ずいぶんと助けられている。そもそも、私達には、問題があり、神から離反していたものである。ある時に、神から特別のあわれみをいただいた。そして神は、私達に召しまで与えてくださった。パウロもⅠテモテに、こう書いてある。1:13 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので [続きを読む]
  • 生活保護を受けている親子からの相談とアドバイス。そして結果良し。
  • 聖書の力は、大きい。私が、今の活動を始めたのは、聖書ルカ10章25節からの「良きサマリア人の例え」による。イエスが「あなたも行って同じようにしなさい。」といわれたことを、自分のこととして受け止めた。そして、生活困窮者の相談サポート活動を始めた。聖書、つまり神からの促がしは強かった。それなしには、今の活動はありえない。その活動を通じて、社会の諸課題を知り、障がい者支援活動等に、活動を拡げてきた。活動の原 [続きを読む]
  • 私たちも、時に弱りはて、恐れ、おののく存在だと、まずは踏まえよう。
  • 詩篇34章の冒頭には(新改訳聖書)、こう書かれてある。「ダビデによる。彼が、アビメルクの前で気が違ったかのようにふるまい、彼に追われて立ち去ったとき」気が違ったかのように、ふるまわざるを得なかったダビデ。人を恐れ、神により頼んでいないように思えるダビデ。少年ダビデのころは、恐れを知らなかった、あのダビデでさえ、そうなるのだ。それだけ、人は弱い。私たちも、時に弱りはて、恐れ、おののく存在なんだと、まず [続きを読む]
  • 神の自分へのご計画を知るためには「聖書を真摯に読む習慣」だけでよい。
  • その通りだと思う、私の好きな聖句。ヨブ23.1323:13 しかし、みこころは一つである。だれがそれを翻すことができようか。神はこころの欲するところを行なわれる。23:14 神は、私について定めたことを、成し遂げられるからだ。このような多くの定めが神のうちにある。 そうなのだ。神のご計画は、私たち一人ひとりにあり、その方針は変わらない。私が、こうなりたいと、いくら願ったからといっても、神の計画は変わらない。神のご計 [続きを読む]
  • この世のかん難は、つらいが一時的。永遠の平安と栄光が待っている。
  • 自分は、正しく生きているつもりなのに、経済面や健康面で、この世的には幸せとはいえない。まして、自分はクリスチャンなのに、神の祝福を充分には得ていないように思う。・・・このように、思われている方もいるかもしれない。一方、神を信じていない、しかも悪人でありながら、お金もあり、健康で、家庭に恵まれ、幸せを享受しながら死ぬ人も実際にいる。つまり、この世においては、必ずしも悪人が苦悩する、善人が苦悩から免れ [続きを読む]