「ミッション・ホープ」斎藤博之 さん プロフィール

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「ミッション・ホープ」斎藤博之さん: 「ミッション・ホープ 」斎藤博之ブログ
ハンドル名「ミッション・ホープ」斎藤博之 さん
ブログタイトル「ミッション・ホープ 」斎藤博之ブログ
ブログURLhttps://ameblo.jp/hnyt/
サイト紹介文聖書を語る。福音活動と障がい者等支援活動を語る。
自由文長年の求道の末、56歳にしてキリストに出合う。そして、聖書に促がされ、弱い立場にある方への支援の為「生活相談サポートセンター」を設立。現在、神から示された「ミッション・ホープ」として、障害者等への支援活動とともに、「ホープ聖書学び会」を毎週開催し福音活動も総合的に行っている。また、活動を通じて多くの神の御わざを実感し、それらの証を通じて神を知ってもらいたく本を発行。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供352回 / 365日(平均6.8回/週) - 参加 2017/05/16 14:23

「ミッション・ホープ」斎藤博之 さんのブログ記事

  • エゼキエル書に、聖霊様のひな形を見る。神様に感謝。
  • エゼキエル書に、新約の今に連なる聖句がある。2:1 その方は私に仰せられた。「人の子よ。立ち上がれ。わたしがあなたに語るから。」2:2 その方が私に語りかけられると、すぐ霊が私のうちにはいり、私を立ち上がらせた。そのとき、私は私に語りかけることばを聞いた。2:3 その方は私に仰せられた。「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの民、すなわち、わたしにそむいた反逆の国民に遣わす。彼らも、その先祖たちも、わたしにそ [続きを読む]
  • 神の御言葉・・・「娘たちの言い分は正しい。」に、スカッとする。
  • 民数記27章の神のみ言葉に、とてもスカッとする。民の罪により、カレブとヨシュアをのぞき、60歳以上の民は、死んでいた。その後継に男の子がいない娘たちからの訴えがモーセにある。27:4 男の子がなかったからといって、なぜ私たちの父の名がその氏族の間から削られるのでしょうか。私たちにも、父の兄弟たちの間で所有地を与えてください。」27:5 そこでモーセは、彼女たちの訴えを、主の前に出した。 主は語られる。27:7 「ツェ [続きを読む]
  • 自己憐憫は、一つのわな。嘆きは、神へぶつけよう。神にあずけよう。
  • 詩篇の3分の1は、嘆きが書かれている。それだけ、生きるという事は、つらい。苦しいこともある。思い通りに行かない。思いがけない不幸が襲うこともある。大きな悩みは人間関係にあるのだろう。裏切りに遭うこともあるだろう。 嘆くのは、嘆いてもよいのだろう。しかし、嘆きが自己憐憫に移行してはいけないと思う。つまり、自分が何と、かわいそうだろうと、思ってはいけないだろう。そこに救いはない。そこに陥る人をよく見てき [続きを読む]
  • 神は侮られるような方ではない。神を畏れているか。
  • ガラテヤ書に、「神は侮られるような方ではありません。」とある。神は、わたし達の心の奥底までもご存知のお方である。6:7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。6:8 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。6:9 善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時 [続きを読む]
  • 生身のわたし達は、本当に頼りにならない弱い人間だと思う。
  • 前日のブログの続きである。神の約束を信じきれているか。あるいは神の約束に安住して、自分の責任を果たしているか。族長が、カナンの地の調査に出かける。彼らは、部族の責任者であり、「イスラエルのかしらであった」と聖書に書かれてあるように、選び抜かれた人達だったのだろう。しかし、生身のわたし達は、本当に頼りにならない弱い人間だとつくづく思う。ヨシュアとカレブをのぞく、10名のリーダーたちが、怖気づく。民数記 [続きを読む]
  • 孤独のきわみの時、わたし達を導き、助けてくれる御言葉。
  • エレミヤは、神様から預言者として召されるが、内容は、イスラエルの滅亡について語ることである。民からは、歓迎されない言葉であり、民からは批判され、暗殺計画までおきる。エレミヤは、孤独のきわみに陥る。そして、神に愚痴をいう。15:18 なぜ、私の痛みはいつまでも続き、私の打ち傷は直らず、いえようともしないのでしょう。あなたは、私にとって、欺く者、当てにならない小川のようになられるのですか。 エレミヤは、神に [続きを読む]
  • タラントのたとえ。神は、わたし達のこころだけを見る。
  • マタイ書のタラントの例え。25:14 天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。25:15 彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。・・・25:22 二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』25:23 その主人は彼に言った [続きを読む]
  • 正義の神は、かわいそうに思ってくださる神である。
  • 神の御性質として、義と愛がある。二つのご性質を、完璧に、兼ね備えておられる。正義の審判者としての神。罪や悪を絶対見逃さず、最終的な審判を下される厳正な裁判官。悪を見逃し、時には大目に考えるような方であっては、神とはいえない。あくまで、不正が寸分もない義なる審判者。 一方で、人をとことん愛してあられる神。いつくしみ深いお方。悩み疲れている我々を、哀れに思われるお方。かわいそうにと、思ってくれるお方。 [続きを読む]
  • 「これだけはお伝えしました。」御使いが伝えたかったすべて。
  • イエスが、復活されたことを、御使いが女たちに告げる。マタイ28:6 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。28:7 ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えし [続きを読む]
  • わたし達は、神からの命令や約束の「いいとこ取り」をする傾向がある。
  • ルカ4:17でイエスはこう語る。4:17 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。4:18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、4:19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」 この箇所 [続きを読む]
  • 詩篇に学ぶ。腹いっぱいの嘆き、のろいも受け止めてくださる神。
  • 詩篇は、神への賛歌、感謝にあふれている。励まされる。感謝は事です。一方で、嘆きの詩、あるいはのろいの詩、までも書かれている。88章のように、暗い絶望だけの詩もある。しかし、これらの詩篇があるということ自体が、すばらしいことではないか。聖書のすごいところではないか。つまり、神にお行儀よくせねばならない、ということでない。神を賛美ばかりしなければならない、ということではない。時に、腹いっぱいの嘆きあるい [続きを読む]
  • 神への誓いを、思い出し、初心に立ち、果たして行く。
  • 詩篇116章12節からこう書いてあります。116:12 主が、ことごとく私に良くしてくださったことについて、私は主に何をお返ししようか。116:13 私は救いの杯をかかげ、主の御名を呼び求めよう。116:14 私は、自分の誓いを主に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。 ダビデは、自分がいかに、神に愛され特別に、取り扱ってくれたことを、よく知っていた。当然であろう。単なる羊番の少年が、神に見出されて、引き上げてくださった。 [続きを読む]
  • 自力では、何もできない私。新約の今に感謝。
  • やっぱり、新約の時代に生まれて、感謝な事です。レビ記11章にこう書かれている。11:44 わたしはあなたがたの神、主であるからだ。あなたがたは自分の身を聖別し、聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。地をはういかなる群生するものによっても、自分自身を汚してはならない。 聖なるものになるよう、神に命じられる。しかし、ごくわずかの偉人を除き、多くの民は、神の命令に従いきれない。最初は、従おうとするが、なか [続きを読む]
  • レビ記に学ぶ「すいません」ではすまない、罪の性質。
  • 罪について、再認識するには、レビ記に限るのでしょう。レビ記5章に,比較的軽いと思われる罪について、このように書かれている。5:1 人が罪を犯す場合、すなわち、証言しなければのろわれるという声を聞きながら――彼がそれを見ているとか、知っている証人であるのに――、そのことについて証言しないなら、その人は罪の咎を負わなければならない。5:2 あるいは、人が、汚れた獣の死体でも、汚れた家畜の死体でも、汚れた群生する [続きを読む]
  • 私達の優先順位とは違うイエス様。
  • イエスは、私達の見本で、私達がイエスに似たものになるように、求められている。そういう中で、マルコ6章にこのような光景がある。6:31 イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。6:32 そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。6:33 ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと [続きを読む]
  • あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。
  • 神のもっとも深い御性質として、あわれみがある。神のあわれみは、聖書の中心テーマと言っていいのでしょう。十人のツァラアトの冒された人が、イエスに「イエス様、先生、どうぞ、あわれんでください。」(ルカ17:13)に応答し、彼らを癒す。イエスは、時々、「かわいそうに思い」とおっしゃる。原語では、「内臓する」であり「内臓がかきみだされるような哀れみを感じ」との強烈な思いである。イエスは、自分ではどうするこ [続きを読む]
  • 私達の神であり、わたしの個人的な神である。
  • 神は、私達の創造主であられ、私達を愛していただいている。いつも、私達とともにいてくださる。そのように、聖書に書かれてある。何と感謝な事か。それはそれですばらしい特権なのだが、その方が、「わたしを愛している」「私と個人的に寄り添って、親密に付き合ってくださる」という事実がある。わたしを愛している。まるで、わたし一人の為の神。いつも、わたし一人のことを考えていてくださる神。わたしに好意を持ってくださっ [続きを読む]
  • モーセの覚悟、責任感に学ぶ。
  • リーダーの姿勢をモーセに学ぶ。民が、偶像神である子牛を造る罪をおかし、神が怒った時である。出エジプト32:31 そこでモーセは主のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。32:32 今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら――。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください [続きを読む]