ぺん さん プロフィール

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ぺんさん: ぺんの古墳探訪記
ハンドル名ぺん さん
ブログタイトルぺんの古墳探訪記
ブログURLhttp://pennihonshi.blog.fc2.com/
サイト紹介文古墳巡りが趣味の大学生ぺんによる探訪記。有名な古墳から超マイナーな古墳まで様々な古墳を訪れています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供153回 / 150日(平均7.1回/週) - 参加 2017/05/27 12:19

ぺん さんのブログ記事

  • 依知地区41号墳-43号墳-45号墳-46号墳-47号墳-48号墳-49号墳-50号墳-150号墳
  • ??依知地区41号墳(上原3号墳)こちらは住宅地の一角に存在する6.6×2.2m、0.7mの古墳です。墳丘にはなぜか「上原3号墳(国有地)」と記された看板が存在します。〜??依知地区43号墳-依知地区45号墳こちらは4.3×3.5m、高さ0.7mほどの規模がありましたが1976年時点では既に消滅していたそうです。すぐ南側には4.0×3.5m、高さ0.7mほどの依知地区45号墳がありましたがこちらも消滅しています。〜??依知地区46号墳こちらは依知 [続きを読む]
  • 依知地区35号墳-38号墳-39号墳-40号墳-42号墳
  • ??依知地区35号墳(妙見山)こちらはアパート駐車場脇に存在する9.8×5.5m、高さ1.3mの古墳です。現在は畑のようになっており古墳とは思えない状況になっています。訪れた時にはサトイモが植えられていました...。こちらは別の日に撮影。かつて墳丘には妙見の松が生えており、霊を鎮めるための祭りも行われていたそうです。同じ伝承は依知地区33号墳にもありますが、どちらかが混同して伝わってしまったのでしょうか?〜??依知 [続きを読む]
  • 依知地区30号墳-31号墳-32号墳-33号墳-34号墳-36号墳-37号墳
  • ??依知地区30号墳当古墳は10.0×10.0m、高さ1.0mほどの規模があり、方墳ではないかと考えられているようです。しかし現在は消滅しアパートが建てられています。南側には40基ほどの古墳が連なる中依知古墳群が、北側には10基ほどの古墳が集中する長坂古墳群が広がっていますが、当古墳はそれらの中間に独立して位置しています。〜??依知地区31号墳中依知古墳群の最も北側に存在していた5.0×4.5m、高さ0.5mの古墳です。現在はア [続きを読む]
  • 依知地区25号墳-26号墳-27号墳-28号墳-29号墳
  • ??依知地区26号墳-依知地区25号墳当古墳は3.6×7.0m、高さ0.9mの規模があり、個人宅地内に現存しています。花壇のように見えますが、円形を描いているのが分かります。墳丘北側は道路によって若干削られているようです。同宅地敷地内からは7.2×5.6m、高さ1.0mの高まり(依知地区25号墳)も確認されています。所有者曰く「井戸を掘った時に出た石を積み上げたもの」だそうなので古墳ではないようですね。道路から確認することは [続きを読む]
  • 依知地区21号墳-22号墳-23号墳-24号墳
  • ●依知地区21号墳(山の神様)こちらは依知地区20号墳のすぐ南側、十字路の角に存在する7.1×6.8m、高さ2.3mの古墳です。周囲は道路造成により若干削られコンクリートで保護されています。墳丘北西部を削った際には人骨が出土したそうです。墳丘東側から。墳頂部には祠が存在しています。土台として使われている石が石室の天井石のような平たい形をしていますが、主体部のものなのかは分かりません。〜●依知地区22号墳依知地区21 [続きを読む]
  • 依知地区16号墳-17号墳-18号墳-19号墳-20号墳
  • 今回からしばらく神奈川県厚木市依知地区の古墳を紹介していきたいと思います。依知地区は既に投稿済みですが、その後の探訪や調査により修正したい点がいくつも見つかったため、思い切って新しい記事を投稿することにしました。以前紹介している古墳のため、今回は1日2回(朝7時&夜7時)のペースで投稿したいと思います。なお依知地区の投稿が全て終わり次第古い記事は削除します。〜●依知地区16号墳(勘兵衛塚)当古墳は相模 [続きを読む]
  • 仙芳仙人塚-三変稲荷神社古墳
  • ??仙芳仙人塚こちらは喜多院東側に存在している高塚です。現在周囲をブロックで囲まれており古墳の面影はありませんが、周囲よりだいぶ高くなっているのが確認できます。かつてこの地は海でしたが、仙芳という人物が仙術により干拓し、当古墳に入定したという伝説が残されているようです。周囲には小仙波古墳群が広がっており、こちらもそのうちの1基と考えられています。〜??三変稲荷神社古墳こちらは仙芳仙人塚の南側に存在 [続きを読む]
  • 慈眼堂古墳-日枝神社古墳
  • ??慈眼堂古墳こちらは喜多院境内に存在している前方後円墳とみられる古墳です。一帯では最も大きな古墳ですが墳頂には慈眼堂が建てられており、どちらが前方部でどちらが後円部なのか分からないくらい改変を受けているようです。北側から。調査は行われていないため詳細は不明ですが、全長80mほどの規模があったと推測されます。喜多院公式ウェブサイトによると7世紀初頭に築造されたと記されています。こちらは墳頂部の慈眼堂で [続きを読む]
  • 日吉矢上古墳-日吉台1号墳-2号墳-3号墳-4号墳-5号墳
  • ??日吉矢上古墳日吉矢上古墳は矢上川右岸の丘陵上に存在していた径23m(現地案内板では径20m)の円墳です。画像は丘陵下の低地から撮影したものですが、現在墳丘は消滅しマンションが建てられています。近くの日吉公園内には周辺の遺跡に関する現地案内板が設置されています。昭和11年に発掘が行われ、主体部である粘土床から鼉龍鏡、鉄剣、竹櫛、玉類が、墳丘からは埴輪片が検出されています。これらから5世紀中頃の築造と考え [続きを読む]
  • 観音松古墳-浅間塚古墳
  • ??観音松古墳観音松古墳は矢上川右岸の丘陵先端部に存在していた前方後円墳です。残念ながら1938年に破壊され現在は小学校となっていますが、かつて画像右奥に前方部が、手前に後円部が存在していたそうです。後円部中央から2基の粘土槨が検出され、内行花文鏡1、銅鏃3、紡錘車形石製品3、玉類多数、直刀1、鉄斧1が出土しています。その築造年代は4世紀後半頃とされているようです。1960年代の航空写真には墳丘北側が一部残存し [続きを読む]
  • 赤田1号墳-2号墳-3号墳-4号墳
  • ??赤田1号墳赤田古墳群は田園都市線江田駅北側に存在していた4基の古墳の総称です。現在は全て消滅しています。以前からこの辺りに古墳が存在していたことは知られていましたが、実態は明らかではありませんでした。しかし昭和61年から始まった住宅地開発の発掘調査で、詳細が明らかになっています。赤田1号墳は径20mほどの古墳です。主体部は泥岩切石を用いた横穴式石室で刀、鉄鏃、玉類、須恵器の他、銅鋺が出土しています。7 [続きを読む]
  • 川合次郎兵衛塚1号墳
  • ??川合次郎兵衛塚1号墳木曽川左岸の低位段丘上に存在している古墳です。一辺29.5mの二段築成の方墳で、画像からも分かるように3基の横穴式石室が南側に開口しています。このような例は全国でも稀なようです。墳丘自体は調査後に整備が行われ、築造当時の姿に復元されています。芝生を植えるくらいなら兎も角、ちょっと復元されすぎな気もしますが...現在は南側の一角に築造当時の墳丘が僅かにのぞいているのみとなっています。現 [続きを読む]
  • 熊野古墳-身隠山古墳群その他
  • ??熊野古墳熊野古墳は比々利川と可児川に挟まれた丘陵上に存在している径31mほどの古墳です。現地案内板には「円墳と推定される」と記されていますが、可児市史では円墳もしくは方墳とされており明らかでないようです。北側から撮影。東側は道路によって削られているのが確認できます。再び南側へ回って横穴式石室を撮影。前庭部は中世の溝により若干破壊されているものの、全長13.3m、玄室幅2.1m、高さ2.8mの規模があります。ま [続きを読む]
  • 身隠山白山古墳-身隠山御嶽古墳
  • ??身隠山白山古墳当古墳は可児川と久々利川に挟まれた丘陵上に存在する径42m、高さ4.5mの円墳です。墳頂部。当古墳の墳頂部にはかつて白山神社が建てられていましたが、明治35年の修理工事の際に主体部が発見されています。主体部は竪穴墓礦で木棺が納められていました。さらにここから内行花文鏡1、だ龍鏡1の他、石剣1、車輪石1、鍬形石4、紡錘車1、筒型石製品1、三輪玉様石製品1、鉄斧2、直刀5、巴形銅器2が出土しています。築 [続きを読む]
  • 乙塚古墳
  • ??乙塚古墳当古墳は土岐川右岸に存在している径27m、高さ5.8mの方墳です。すぐ西側には段尻巻古墳があり、訪れた際に草刈りをされていた保存会の方曰く「一帯は整備して古墳公園になる予定」だそうです。墳丘北側から。墳丘の規模は土岐市内で最大のものです。現地案内板。当古墳の南側には石室が開口しています。全長18.6m、羨道幅2.1m、高さ2.6m、玄室幅2.6m、高さ2.8mと非常に大規模なものです。通常立ち入ることはできません [続きを読む]
  • 段尻巻古墳
  • ??段尻巻古墳当古墳は土岐川右岸に存在している径12.8m、高さ3.6mの円墳です。横穴式石室は柵が設けられており普段は入ることはできませんが、訪れた際ちょうど保存会の方が草刈りをしており、石室を案内していただきました。土岐市教育委員会による現地案内板。こちらは墳丘脇に設置されている味のある現地案内板。石室は全長8.9m、玄室長3.3m、幅1.7m、高さ1.76m、羨道部長2.73m、幅1.1mを測ります。玄室内を撮影。中央に置か [続きを読む]
  • 戸狩荒神塚古墳
  • ??戸狩荒神塚古墳当古墳は土岐川右岸の丘陵先端部に位置する円墳です。径60m、高さ8mと、岐阜県内の円墳としては最大規模の古墳となります。現地案内板。崇神天皇の皇子である八坂入彦命と繋がりを持った人物の墓であるとの言い伝えがあるそうですね。墳丘東側から。出土している埴輪により、古墳時代中期の築造とされています。岐阜県東濃に存在する古墳の多くは後期に築造されたものであり、中期の古墳は非常に珍しいそうです [続きを読む]
  • 山の神古墳
  • ??山の神古墳(山の神2号墳)山の神古墳は木曽川左岸の台地上に存在している古墳です。径15m、高さ3mほどの円墳で、墳丘からは葺石も確認されています。かつて当古墳の北側にも古墳(山の神1号墳)があったと伝えられていますが、既に消滅しているようです。墳頂部に設置された現地案内板。木曽川を挟んだ対岸からは多数の古墳が確認されていますが、こちら側ではほとんど見つかっていません。墳丘南側斜面には気になる穴を発見 [続きを読む]
  • 稲荷塚古墳
  • ??稲荷塚古墳稲荷塚古墳は都幾川左岸に位置する円墳です。現在の規模は径20m、高さ3mほどですが、かつて墳頂に稲荷社が祀られていたことや、横穴式石室の前室が崩されていることから、かつてはこれより大きな規模があったと考えられています。現地案内板。墳丘北側から撮影。南側には横穴式石室が開口しています。開口部すぐ南には宅地が建てられている上、墳丘の草木が予想以上に元気だったため全体を撮影することができません [続きを読む]
  • 円墳大塚古墳
  • ??円墳大塚古墳(皆野大塚古墳)当古墳は秩父盆地、荒川右岸に存在している径18m、高さ5mほどの円墳です。保存状態は良好で、ちょっとした公園として整備されています。東側から撮影。現地案内板。墳丘には階段が設けられており、墳頂に上がることができます。階段の脇には南側へ向けて開口した横穴式石室が存在しています。柵の間から撮影。羨門付近は破壊されていましたが、現存する全長は9.1m、玄室長5m、幅3.15m、高さ2.9m、 [続きを読む]
  • 子母口富士見台古墳-明津水塚古墳-井田古墳
  • ??子母口富士見台古墳子母口富士見台古墳は台地の最高地点付近に存在している古墳です。周辺を住宅が囲み、古墳は公園として保存されています。北側から。道路工事やそれ以前の耕作により四方を削られた影響で径17.5m、高さ3.5mほどの規模となっていますが、かつてはこれよりも更に大きな古墳であったと考えられています。現地案内板。当古墳には日本武尊の妃である弟橘姫の陵墓であるという言い伝えも残されているそうです。墳 [続きを読む]
  • 中河原古墳-寺の側古墳-愛宕側古墳-千蔵塚古墳
  • ??中河原古墳(西中原6号墳)入間川右岸の台地上には南大塚古墳群が広がっていますが、当古墳は唯一その台地下の低地に存在している古墳です。径13m以上の規模がある円墳で画像奥の茂みの中にあります。舗装された小道が通っており藪を掻き分ける必要なく見学することができますが、訪れた際にはどれが墳丘かよく分からず見落としてしまいました...。〜??寺の側古墳(もしくは西中原8号墳?)寺の側古墳は台地辺縁部、マンショ [続きを読む]
  • 菅原神社東古墳-永久保1号墳-2号墳-二ッ塚古墳
  • ??菅原神社東古墳当古墳は南大塚古墳群に属する径10m以上の円墳です。現在墳頂には菅原神社が建立されており古墳の面影は残されていません。しかし裏手に回ると、古墳の封土が露出し周辺より高くなっているの確認できます。画像右奥の建物が菅原神社本殿です。かつて当古墳から直刀が出土したとの言い伝えがあるようです。〜??永久保1号墳(永久保古墳・大東公民館脇古墳)こちらは径8m以上の規模を持っていた円墳で、既に消滅 [続きを読む]
  • 山王塚西古墳-西中原1号墳-中原古墳
  • ??山王塚西古墳山王塚西古墳は山王塚古墳のすぐ西側に存在していた円墳です。大正5年の開墾によって消滅、その際にたくさんの礫が出土したそうです。その後山王塚古墳の調査に伴い再び発掘され、径32mの円墳であったと判明しています。主体部は全長11.5mの横穴式石室で多数の副葬品が出土しています。7世紀初頭の築造と考えられており、山王塚古墳の周溝により削られていることも明らかになっています。〜??西中原1号墳こちら [続きを読む]
  • 山王塚古墳
  • ??山王塚古墳山王塚古墳は入間川右岸の台地上に存在しています。全国でも数基しか知られていない上円下方墳で、かつ下方部一辺63m、上円部径47m、高さ4.5mと上円下方墳の中で第1位の規模を誇っています(かの石舞台古墳が一辺55mなので、それを凌駕する大規模なものです)。築造年代は7世紀後半。現地案内板。当古墳は平成24年の調査で上円下方墳であることが実際に確認され、その後も毎年発掘調査が進められてきました。南東部 [続きを読む]