MitsuruFujimaki さん プロフィール

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MitsuruFujimakiさん: 何もかもすばらしい。
ハンドル名MitsuruFujimaki さん
ブログタイトル何もかもすばらしい。
ブログURLhttp://nanimokamosubarasii.blog.jp/
サイト紹介文横浜教会名誉牧師・藤巻充のメッセージ。御年83才、藤巻先生の聖書的メッセージを掲載しています。
自由文クリスチャンの方も、そうでない方も、ぜひ一度お立ち寄りください。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供64回 / 339日(平均1.3回/週) - 参加 2017/05/31 19:53

MitsuruFujimaki さんのブログ記事

  • Ezk.7 全世界に
  • (「教会の使命」エゼキエル書からのメッセージ第七回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)世界に向かって教会の生きた水、生かす水、実を結ばせる水が流れて行くのです。それが家庭であれ職場であれ、どんな職域であったとしても、それが流れ出て行く所、それは人々を生かし、人々に実を結ばせていくのです。この「生ける水」というのは、聖霊のことを指しています。ヨハネによる福音書七章三十七節か [続きを読む]
  • Ezk.6 おおよそこの川の流れる所では
  • (「教会の使命」エゼキエル書からのメッセージ第六回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)アーネスト・キルボルンは電信技士であり、普通の信徒でした。チャールズ・カウマンもただの信徒でした。また、中田重治は神学校も卒業できませんでした。柔道ばかりしていたと言われています。でも、そのような人を神は用いられました。彼らは、東京神田に『東洋宣教会』という看板を掲げて伝道を開始しました [続きを読む]
  • Ezk.5 私たちの痛みの意味
  • (「教会の使命」エゼキエル書からのメッセージ第五回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)神のために役立つような人間が何からできたかといいますならば、「枯れた骨」からできたというのです。いわゆる優秀で、エリートで、すばらしい人間が神の軍隊になったのではありません。私たちは、しばしばそう思います。「いや、あの人は元々こうだったから」。「生まれがこうだから」。「両親がこうだから」 [続きを読む]
  • Ezk.4 人の子よ、これらの骨は生きるのか
  • (「教会の使命」エゼキエル書からのメッセージ第四回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)救いが自分の中だけで止まっていますならば、それは個人プレイに過ぎません。どんなにすばらしい経験でも、その人だけのことに過ぎません。エゼキエルは神から預言者として立てられ、語るべきメッセージを与えられて霊・肉ともに救い出されたときに、先ほど読んでいただきました幻を見て、預言したのでした。三 [続きを読む]
  • Ezk.3 全人的な救い
  • (「教会の使命」エゼキエル書からのメッセージ第三回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)エゼキエルは、語るべきメッセージを与えられたばかりではなく、神が「こうしなさい」と言われたならば、そうしているのです。たとえば、「瓦を持ってエルサレムの模型を作りなさい」と言われました。そこで、作りました。それはエルサレムの崩壊を人々に示すため、行動をもって証ししたのです。あるいは寝る時 [続きを読む]
  • Ezk.2 与えられたビジョン
  • (「教会の使命」エゼキエル書からのメッセージ第二回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)一章一節では「第三十年四月五日に、わたしがケバル川のほとりで、捕囚の人々のうちにいた時、天が開けて、神の幻を見た」とあります。彼が神の器とされました時、彼は異邦の地バビロンに捕虜となり、苦しみ辱めの中、絶望状態にあったのです。その時に、天が開け、神の幻を見たのです。その幻については、四章 [続きを読む]
  • Ezk.1 枯れた骨のような
  • (今回から、七回に渡り「教会の使命」と題し、エゼキエル書からのメッセージを連載いたします。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)「わたしは命じられたように預言したが、わたしが預言した時、声があった。見よ、動く音があり、骨と骨が集まって相つらなった。わたしが見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった。時に彼はわたしに言われた、『人の子よ、 [続きを読む]
  • Joh.3-5 赦された罪人
  • (「罪を取り除く神の小羊」ヨハネの福音書からのメッセージ第五回。最後の回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち最後の一つ、「本書の主題」と題したセクションより書き起こしています。)よくクリスチャンのことを「赦された罪人」と言います。すると、ある人は「クリスチャンでなくても、立派な人はたくさんいるじゃないか」と言われます。私もそれは認めます。でも、違い [続きを読む]
  • Joh.3-4 世の罪をあがなう
  • (「罪を取り除く神の小羊」ヨハネの福音書からのメッセージ第四回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち最後の一つ、「本書の主題」と題したセクションより書き起こしています。)このような罪の問題に対して、イエス・キリストが罪を除いてくださると言っています。神が犠牲の品を用意してくださったというのです。バプテスマのヨハネはイエスさまを見たときに、人々にそれ [続きを読む]
  • Joh.3-3 人間すべての問題
  • (「罪を取り除く神の小羊」ヨハネの福音書からのメッセージ第三回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち最後の一つ、「本書の主題」と題したセクションより書き起こしています。)誰かが「年を取ると子供になる」と言われましたが、年を取ると同じようなエゴが出てくるのです。他人を犠牲にすることが平気になるのです。ですから、キセルしたとか、ただ乗りしたとか、そんなの [続きを読む]
  • Joh.3-2 くもの糸
  • (「罪を取り除く神の小羊」ヨハネの福音書からのメッセージ第二回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち最後の一つ、「本書の主題」と題したセクションより書き起こしています。)今朝もお話しましたが、罪と言うのは確かに、償いの出来る罪と償いのできない罪があります。「償いのできない罪」とはどんなことかと言いますと、心の内で思ったこと、身近な人に言ってしまったこ [続きを読む]
  • Joh.3-1 みかん泥棒 再び
  • (今回から、五回に渡り「罪を取り除く神の小羊」と題し、ヨハネの福音書からのメッセージを連載いたします。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち最後の一つ、「本書の主題」と題したセクションより書き起こしています。)「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」一章二十九、三十五、三十六節これはだれが言ったかといいますと、バプテスマのヨハネがイエス・キリストを紹介すると [続きを読む]
  • Joh.2-4 奇跡の世界へ
  • (「まことの光の到来」ヨハネの福音書からのメッセージ第四回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち、「ヨハネによる福音書の神学的構造」と題したセクションより書き起こしています。)このような呼びかけに対して「あっそうだ!」と従っていきますときに、神は私たちの状況を変えてくださり、そこに質的な変化を与えてくださるのです。自分の人生は最も惨めだと思った人が、 [続きを読む]
  • Joh.2-3 わたしは世の光である
  • (「まことの光の到来」ヨハネの福音書からのメッセージ第三回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち、「ヨハネによる福音書の神学的構造」と題したセクションより書き起こしています。)結婚式が終わって、すぐ離婚するとか、自殺するとかいうことがあります。私たちは「そんなこと…」といいますが、そこに悲劇が起こるのです。やっと大学に合格し、やれやれと思っていたのに [続きを読む]
  • Joh.2-2 その暗闇は常に人生につきまとう
  • (「まことの光の到来」ヨハネの福音書からのメッセージ第二回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち、「ヨハネによる福音書の神学的構造」と題したセクションより書き起こしています。)また、人生にはさまざまな恐怖があります。自然の災害、すなわち、地震とか嵐とかに突然あうこともあります。あるいは「飢え」の問題もあるでしょう。仕事がない、食べる物がない、家族が多 [続きを読む]
  • Joh.2-1 この世界は暗黒である
  • (今回から、四回に渡り「まことの光の到来」と題し、ヨハネの福音書からのメッセージを連載いたします。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち、「ヨハネによる福音書の神学的構造」と題したセクションより書き起こしています。)「すべての人を照らすまことの光があって、世にきた」(一章九節)「ヨハネによる福音書」を「第四福音書」と言ったりします。これはマタイ、マルコ、 [続きを読む]
  • Joh.1-6 いつも光の内に
  • (「神の言葉であるキリスト」ヨハネの福音書からのメッセージ第六回。最後の回です。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち、「著者とその証言」と題したセクションより書き起こしています。)でも、なんで希望が持てるでしょうか。なんで光が与えられるかと言いますならば、「世の光」であるお方の後ろについていくからです。このお方の後についていきます以上、私たちはいつも [続きを読む]
  • Joh.1-5 命あふれる
  • (「神の言葉であるキリスト」ヨハネの福音書からのメッセージ第五回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち、「著者とその証言」と題したセクションより書き起こしています。)「やあ、命はあるじゃないか」と言っても、「命、命」と言っても、ベテスダの池のほとりにいました三十八年間患っていた人。毎日毎日池を見て、天使が池の面を動かす時、最初に入った人が癒されるとい [続きを読む]
  • Joh.1-4 この言葉には命があった
  • (「神の言葉であるキリスト」ヨハネの福音書からのメッセージ第四回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち、「著者とその証言」と題したセクションより書き起こしています。)ヨハネによる福音書の「初めに言葉があった」という個所は、ある訳の聖書には「初めにイエス・キリストがおられた」と訳されています。「イエス・キリストは神と共にあった。イエス・キリストは神であ [続きを読む]
  • Joh.1-3 神さまからのラブレター
  • (「神の言葉であるキリスト」ヨハネの福音書からのメッセージ第三回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち、「著者とその証言」と題したセクションより書き起こしています。)彼は晩年、エペソで過ごしたと言われています。それにもいくつかの説がありますから、明確な事は言えませんが、とにかくギリシャ文化の中に自分の身を置いていたことは確かなことのようです。晩年(彼 [続きを読む]
  • Joh.1-2 愛の人
  • (「神の言葉であるキリスト」ヨハネの福音書からのメッセージ第二回。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち、「著者とその証言」と題したセクションより書き起こしています。)では、ヨハネは本当に変わらなかったのでしょうか。変わらなかったんですよ。激しい性格というのは、変わらなかったのですよ。「じゃあ、イエスさまを信じても最後まで変わらなかったのか」と言います [続きを読む]
  • Joh.1-1 雷の子
  • (今回から、六回に渡り「神の言葉であるキリスト」と題し、ヨハネの福音書からのメッセージを連載いたします。本文は藤巻先生の著書「極みまでの愛」序章に収録されているショートメッセージ三篇のうち、「著者とその証言」と題したセクションより書き起こしています。)「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つと [続きを読む]
  • Hab.9 不可能を可能にする
  • (「現状を変える信仰」ハバクク書からのメッセージ第九回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)現状は変わらないのか。そうではありません。信仰が現実を変えるという意味は、現実が変わらないのにも関わらず、変化が起こる。すなわち、内側が変えられるということです。見る見方が変わるのです。不幸な出来事、いやな出来事が、イエス・キリストを信じる信仰のゆえに、自分自身が変えられることによっ [続きを読む]
  • Hab.8 ざくろを見よや
  • (「現状を変える信仰」ハバクク書からのメッセージ第八回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)いつかも話したと思いますが、ある姉妹が救われました。彼女は先天性小児まひで、体が不自由です。信仰を持ったならば、体が自由になったのでしょうか。そうあってほしいのですが、体は不自由なままです。でも、彼女は私に、「先生。私は自分が先天性小児まひで生まれて感謝です」と。「えっなぜですか」と [続きを読む]
  • Hab.7 変わらない訳がない
  • (「現状を変える信仰」ハバクク書からのメッセージ第七回。本文は藤巻先生の著書「聖書は語る」より書き起こしています。)「見よ、その魂の正しくない者は衰える」(二章四節)。間違ったものは、神の審判を受けるのです。でも、神との関係に生きる者は、その信仰によって生きるのだ。信頼して生きていくのだということが、ハバククへの答えなのです。そして、二章六節以降を見ますならば、「わざわいなるかな」と、五回も神はさ [続きを読む]