皿尾城の空の下 さん プロフィール

  •  
皿尾城の空の下さん: 皿尾城の空の下
ハンドル名皿尾城の空の下 さん
ブログタイトル皿尾城の空の下
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/hisaizuraiden
サイト紹介文写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供137回 / 365日(平均2.6回/週) - 参加 2017/06/20 21:18

皿尾城の空の下 さんのブログ記事

  • 万葉遺跡 防人藤原部等母麿遺跡
  • 関東の石舞台と呼ばれる八幡山古墳の入り口に万葉遺跡として歌碑が建てられている。行田市教育委員会の解説によれば、天平勝宝七年(755)防人を派遣する際、父母妻子との惜別の情を歌ったものが、万葉集に載せられているという。若小玉地区の神社や地名から、この地を藤原部等母麿の遺跡と考察し、昭和36年に歌碑が建てられている。現在は埼玉県の旧跡にしてされている。若小玉古墳郡は近年調査が進み古くは北大竹遺跡として旧石器 [続きを読む]
  • 弘法大師と片萎竹(かたしなびたけ)
  •  行田市指定記念物「片萎竹」は市内藤原町の民家にひっそりと残っている。不思議な竹で節間にできる縦じわと平滑な部分とが半分ずつ節ごとに交互にできるマダケの変種とされている。『かたしなびたけ』と読むそうだ。『忍の行田の昔話』『忍名所図絵』にこのしなび竹にまつわる逸話が記されている。 その昔弘法大師が若小玉の地を廻っていた際、歩き疲れふと見ると丘に竹林があった。農家の与八という男の家で大師は立ち寄り杖に [続きを読む]
  • 谷郷 春日神社②
  • 「埼玉の神社」「忍の行田の昔話」には春日神社の鹿にまつわる不思議な逸話が記されている。宝暦十二年(1762)の四月、青木某という者が畑仕事をしていると、いつものように春日様の鹿がやってきた。「秋の実りでもお願いしようと」手を差しのべると、鹿はさっと避けて逃げてしまう。青木はむきになって、鹿の行方を塞ごうと手にした鋤を鹿の鼻先に放り投げた。鋤は鹿の足に当たり、血を流しながら春日様の森に逃げ込んだ。 翌日、 [続きを読む]
  • 谷郷 春日神社①
  • 成田十五代当主下総守親泰は、成田家の氏神として大和の春日大社から春日神社を勧請している。親泰は、文明年間に児玉重行が居城する忍城を攻めて、児玉氏を追い出し本拠を成田館から忍城に移したとされている。神社の創建もその頃で社の裏の森には大樋が設けられ、これを閉めると忍城の堀と沼の水源が断たれ、佐間の天神社の沼尻の樋を開ければ同じく城廻りの水は干上がるようになっていた。よってこの地は忍城の水の要として重要 [続きを読む]
  • 十日の菊、六日の菖蒲
  • 九月に入り一日、一日と足早に過ぎてゆく。昨日九月九日は重陽の節句。五節句の一つで菊を用いて不老長寿を願うことから菊の節句と呼ばれる。菊は天皇家の紋章。旧暦の九月九日は新暦の十月中頃でまさに菊の美しい季節。時期がずれたためあまり馴染みがないが、古来縁起の良い奇数の重なりの日を祝った五節句においては最も運気の良い日とされたらしい。 そんな菊の節句が過ぎた今日十日に菊の花を用意することを『十日の菊』、同 [続きを読む]
  • 忍城 成田御門跡
  • 行田市立中央小学校の西門入口にある成田御門跡。忍城三の丸入り口には南に面した立派な門があったという。『成田記』によれば忍城は始め亀城と呼ばれていたという。城の周囲の沼には亀が非常に多くいて、亀は縁起が良く喜ばれたのでその名がついたという。亀城がいつから忍城に転じたのかは定かでないが、成田氏入城の頃には忍城となっていたという。 [続きを読む]
  • 兼職とジレンマと
  • どちらを選んでも矛盾や不都合が生まれ悩むこと。ジレンマはギリシャ語らしい。よく耳にはするが、自分ではあまり使わない言葉だ。道理で漢字が当たらないはずだ。サラリーマンも副業が認めらる時代。結局はどっちつかずで中途半端になることも多いだろう。本格的に自分自身兼職になって10年以上経つ。悩み、不安、そしてジレンマ。抱えても、手放しても、尽きることはないように思う。ならば今日一日を大切に過ごす。そういうこ [続きを読む]
  • 市民大学 北武蔵紀行
  • 暑さ寒さも彼岸までと言いますが、9月上旬台風一過で夏日となった今日は、行田市民大学歴史文化班の課外活動として、北武蔵の神社りをしました。夏休み前から予定を立て、メンバー全員参加のもと、加須、大利根の神社を伝承を元に巡ることができました。加須市外野の川圦神社です。水難による人柱伝承が元に勧請された神社です。加須市子供未来館の側にあります。大利根砂原の鷲神社です。同じく利根川決壊に際して人柱が立ったと [続きを読む]
  • 忍の時鐘櫓跡
  •  九月に入り、幾分暑さも和らぎましたが台風も近づく中昼間は蒸し暑さを感じます。長かった夏休みも終わり、今日から子供たちも学校へ通うようになり普段の生活が戻りました。部活の練習に行くと言って学校まで送り届けた途中、市役所裏の忍の時鐘櫓跡に目が留まります。 現在忍城の時鐘は市の指定文化財となり、郷土博物館に展示されていますが、元あった場所に初めて気づきます。鐘自体は博物館の常設展示室の脇で見ることがで [続きを読む]
  • 流水刻石
  • 残暑厳しい中、地域によっては稲刈りが始まっています。共同体に属する以上、助け合いがある反面しがらみの息苦しさもあるのも事実です。田舎でも都会でも、人間関係から離れることはできないものです。 「掛けた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め」自分のしてきたことは、鼻にかけてしまいがち。助けてもらったことは、安易に忘れがち。そうした生き方にならないように願います。 自分の時間や価値観を犠牲にして、その場を凌 [続きを読む]
  • 忍城三の丸跡
  • 忍城三の丸城代家老屋敷跡。忍中学校の南西、野球のバックネット裏にあり、中学の時フェンスを越えるとこの辺りまでボールを探しに来ていた。藩主と居宅の二の丸とほぼ同じ大きさであったといい、城代家老の権力の大きさを物語っているという。中学校の正門と反対側にあり、車通りも少ないところで気づかず通り過ぎようとしていた... [続きを読む]
  • 14インチのテレビの前で
  •  サッカーワールドカップロシア大会が盛り上がっている。もちろん日本が初戦を勝利したおかげだ。小学校6年生の時にTVでキャプテン翼が放映されていた。野球小僧だった自分も夢中で見ていた。中学に入り野球部に入ったが、クラスの友達のサッカーの実力に驚いた。まさしくカルチャーショックだった。ボールが足に吸い付くようなドリブルを見たとき、翼君を見た気がした。 大学に入るころJリーグが開幕し、KAZUやラモスを応援し [続きを読む]
  • 長野口御門跡
  • 長野口御門跡は城下町行田の東北隅にあたり、行田船着場として出入りの激しい要所であった。忍川と六ツ門から本町北を流れる川とが合流し、沼をなしたという。その沼に二つの島があり、西の島にお堂があって小沼堂といい、東にも島があり、小沼橋がかかり長野桜町へ向かった。橋から北は一面葦に覆われ、沼の上を秩父線が走ってゆくのは不思議な感じであったという。 天正十八年(1590)忍城水攻めの失敗後、六月二十七日長野口か [続きを読む]
  • 深谷 楡山神社
  • 以前深谷市内を営業車に乗って廻っていたころ、帰り道は深谷商業前を通って、明戸からバイバスに抜けて熊谷の営業所まで帰っていた。途中原郷という田舎道の信号に「楡山神社前」と表記があったが、ここが延喜式式内社ということを知らなかった。原郷といふ地名は「幡羅」から転じたとされるが、鎮座地の八日市は昔郡の中心であったことを示している。『風土記稿』によれば当社は熊野神社であり、郡の総鎮守として土地の人が楡山神 [続きを読む]
  • まちカフェとセルフサービス
  • 本格的な梅雨の季節。今朝から1日ずっと寒かった。この気温だとコーヒーはホットがいい。仕事の行きも帰りもCVでコーヒーを飲んでしまう。ローソンは、セブンイレブンと比べてややくせのある感じがいい。カフェラテは最高に美味しい!しかも店員がいれてくれる仕組みを続けている。(一部セルフサービスの店もある)流通関係の記事にも書かれていたが、お客の立場からすれば、むしろセルフサービスでコーヒーを入れたほうが、気兼 [続きを読む]
  • 忍城 太鼓門跡
  • 忍城十五門のうち、一番奥藩主居住の二の丸の入り口にあった。両面が太鼓の両面に張られた皮のようにどちらが正面かわからないので、太鼓門といった説と、櫓上に太鼓を置いて急を告げたとする説がある。現在忍中学校の正門前にあり、中学生の敷地内は二の丸の平屋が十数軒並んでいたとされている。石碑が建てられたのは、昭和54年。中学三年間毎日この前を歩きながら通っていたが、当時は気にとめることもなかった。 [続きを読む]
  • 第四回講座はまちづくり②
  • 行田市民大学二年生第四回講座は、まちづくりについて。講師はものつくり大学の田尻要先生です。6月に入り、キャンパスの紫陽花もたくさん咲いています。私は欠席しましたが、先月末には、友好都市福島県白河市に視察ツアーに行っていて、その土産話も聞かせてもらいました。 ものつくり大学では埼玉県都市整備部と連携して、上尾シラコバト団地のコミュニティ活性化事業を推進しています。これまで行政は、主にハード面での問題 [続きを読む]
  • 響けTrombone②
  • 中学の部活がスタートして早くも2ヶ月。初めての演奏会がありました。場所は久喜市文化会館。一年生にとっては人前で披露する初めてのステージです。勿論仕事で見に行くことはできませんが、ビデオに撮ってきてもらいました。曲目はパイレーツオブカリビアン(他2曲)本人曰く、「Tromboneてこんなに響くんだ!」演奏している中で聞くと自分より回りの音か耳に入るようです。まだまだ先輩のレベルに及びませんが、日に日に上達する [続きを読む]
  • 三田ヶ谷 八幡神社
  • 羽生市三田ヶ谷の地名は豊かな土地を称える「御田」とする説と、蓮台寺の鐘銘の写しに「正保二年阿弥開経堂」とあることから、阿弥陀如来を祀り地名としたとする二説があるそうだ。村の鎮守として崇められ、御祭神は誉田別命、気長足姫命。本殿裏には抹社として天神、鷲神社を祭る。広々とした境内地には杉の木が伸びていた。八坂神社の神輿も安置され、八雲神社の天王様の祭りにも出るようだ。今年の羽生夏祭り天王様は7月14日。 [続きを読む]
  • 6月10日の校内放送
  •  小学校六年生の頃、放送委員を務めていた。週に何回か校内放送で学校生活の注意事項などしゃべった記憶がある。優等生的なところがあって先生の覚えもよかったと思う。「6月10日は時の記念日です。皆さん時間を守って行動しましょう」のようなことを台本通りに話したと思う。もちろん時の記念日がどうしてその日なのか疑問に思うこともなく。 戦前生活改善運動として、時間を守り欧米並みに生活の改善、合理化を図ろうと制定さ [続きを読む]
  • 三県境と道の駅きたかわべ
  • 道の駅きたかわべは埼玉県北東端に位置し、佐野古河線沿線渡良瀬遊水地に面したスーパー堤防の上に建っている。見晴らしもよく駅内にはスポーツ遊学館などもあり、人気のスポットだ。夏至も近く日も一年で一番長いため、仕事の帰りに寄ってみた。残念ながら夕方5時で施設は閉館していたが、近くにある三県境まで歩くことができた。三つの都府県が一ヶ所で交わる地点は全国48ヵ所あるが、ほとんどは河川か山中にあり、歩いて着ける [続きを読む]
  • 忍の昔話 皿尾庚申様②
  •  小高い丘の上に建つ庚申様は霊験あらたかで、地元の人々にも信仰されている。その昔近くに住む小学校に上がる前の子供が、皿尾の庚申様の近くで遊んでいたとこのこと。庚申様の前で下駄の鼻緒が切れてしまったので手拭いを出して鼻緒をすげ変えようとしたがしゃがむのが面倒なので、庚申様の上に下駄をおいて鼻緒をすげかえた。夕方になって仲間と別れて家に帰り、家の上りはなから座敷に上がろうとすると、急に腰が抜けてしまっ [続きを読む]
  • 忍の昔話 皿尾庚申様①
  • 皿尾城は永禄四年忍城を攻めるため上杉謙信が羽生城主広田直繁の弟木戸忠朝に守らせた平城とされる。現在皿尾久伊豆大雷神社がその跡地と考えられているが、城の中心はそのさらに南にあったとも考えられている。忍城と同じくあたりは深田の水田で自然の要塞の様に機能していたのだろう。久伊豆神社の南には現在も庚申様と呼ばれる小さな石の社が建っている。古墳を思わせる小高い丘の上だ。 郷土史研究の人が訪れることも多いとい [続きを読む]
  • 星宮村の成立
  •  明治二十二年(1889)の町村制施行により、池上村、下川上村、上池守村、下池守村、中里村、小敷田村、皿尾村の七村が合併し、北埼玉郡星宮村が成立した。当時の星宮村には村内を流れる星川と古宮用水路があり、その「星」と「宮」を一文ずつ取り星宮村としたという。また当時七つの村が合併したことから北斗七星になぞられたという意味もあったという。 昭和三十年(1955)七月行田市に編入。また同年10月には池上地区、下川上 [続きを読む]
  • 武蔵国の筆比べ 忍藩硬筆編
  • 梅雨に入り登下校も傘の出番が増えるようになりました。運動会も終わりプール開きも済んだようですが、雨が多いと子供たちも元気をもて余してしまいます。この時期の恒例行事として、書写硬筆の選考会がありました。校内で金賞をもらい、市内の選考会に出展するため練習しています。硬筆、毛筆共に県の展覧会が大々的に続いているのは埼玉だけのようです。硬筆専用の消しゴムも購入し、8B,6Bの鉛筆と共に準備は万端です。四年生か [続きを読む]