場所にまつわる記憶と省察 さん プロフィール

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場所にまつわる記憶と省察さん: 場所にまつわる記憶と省察
ハンドル名場所にまつわる記憶と省察 さん
ブログタイトル場所にまつわる記憶と省察
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/sagihimon
サイト紹介文時間と空間のはざまに浮き沈みする記憶をたどる旅
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供12回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2017/06/21 21:41

場所にまつわる記憶と省察 さんのブログ記事

  • 東海道と中山道が交差する宿場町、草津
  •  草津は江戸時代以来、東海道と中山道がまじわる宿場町だった。その宿場の状態が現在どうなっているのか以前から興味をもっていた。 今では東海道のローカル線の一駅になってしまっているが、かつての街道筋は宿屋や茶店が並び立ち、さぞかし賑わっていたことであろう。 そんな草津の駅に降り立ってみた。線路と交差するように街の東西を走るメインストリートは、明るく閑静なただずまいだった。街全体に高層ビルがないのがいい [続きを読む]
  • 哀愁漂う、おわら風の盆
  •                  八尾の「おわら風の盆」を一度は見たいと思ってから、ひさしい時が流れていた。そして、その日がついにやってきた。 9月1日からの3日間、いつもは静かな街は人であふれ、哀調をたたえた胡弓の音色と唄にのって、編み笠を目深にかぶった男女が踊りながらせまい街中を練り歩く。                         夕刻6時過ぎ、JR富山駅から高山線に乗る。揺られること20 [続きを読む]
  • かつて北前船交易で栄えた港町・岩瀬
  •  富山市の郊外、富山湾に注ぐ神通川の河口にある岩瀬という地区がある。この地は、幕末から明治にかけて北前船交易で栄えた港町だ。そこは富山駅北口から富山ライトレール富山港線という路面電車で約20分のところにある。 東岩瀬駅という、瀟洒な駅に降りたち、少し歩くと、目の前に閑静な古町があらわれる。街道(旧北國街道)の両側に古風な商家風の建物が立ち並び、いかにも、ここがかって北前船で賑わった地であることをう [続きを読む]
  • 小京都、城端を歩く
  •   越中の小京都と呼ばれる城端(じょうはな)。その雅な響きの街が富山県下にある。地元の観光パンフレッドは「情華舞歩」と書いて城端を紹介している。 あいの風鉄道、高岡駅から城端線に揺られること50分ほどで終点の城端駅に着く。 駅から街中へは10分ほど歩くことになるが、街の北側を流れる山田川を渡り、御坊坂をのぼりつめたあたりから、町並がひらけてくる。 すぐに右手に、いかにも荘厳なたたずまいの寺域が現れ [続きを読む]
  • 姉川古戦場を訪ねて
  •  時は元亀元年(1570)、織田信長率いる織田連合軍が浅井、朝倉連合軍と対峙し、その後激突した場所が姉川である。姉川は大河ではなく、東西に東から西に流れ落ち、琵琶湖に注いでいる。 十一月中旬、私はこの合戦に関係する地を訪ねた。 まず訪れたのが浅井家代々の居城があった小谷城。城は琵琶湖の東、伊吹山系が西に切れるその縁に位置する標高四九五メートルの小谷山の尾根沿いに築城された山城である。守りに堅固なこ [続きを読む]
  • 春、秋の祭りで華やぐ、小京都・城端
  •   越中の小京都と呼ばれる城端(じょうはな)。その雅な響きの街が富山県下にある。地元の観光パンフレッドは「情華舞歩」と書いて城端を紹介している。 あいの風鉄道、高岡駅から城端線に揺られること50分ほどで終点の城端駅に着く。 駅から街中へは10分ほど歩くことになるが、街の北側を流れる山田川を渡り、御坊坂をのぼりつめたあたりから、町並がひらけてくる。 すぐに右手に、いかにも荘厳なたたずまいの寺域が現れ [続きを読む]
  • かつて北前船で栄えた廻船問屋の残る岩瀬
  •   富山市の郊外、富山湾に注ぐ神通川の河口にある岩瀬という地区がある。この地は、幕末から明治にかけて北前船交易で栄えた港町だ。そこは富山駅北口から富山ライトレール富山港線という路面電車で約20分のところにある。 東岩瀬駅という、瀟洒な駅に降りたち、少し歩くと、目の前に閑静な古町があらわれる。街道(旧北國街道)の両側に古風な商家風の建物が立ち並び、いかにも、ここがかって北前船で賑わった地であることを [続きを読む]
  • 著書紹介
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  • 厳島−虚実が融合する聖なる島
  •                     船が島に近づくとともに、前方に、鮮やかな朱色を海面に映しだす大鳥居とその奥に控える華麗な厳島神社の社殿が見えてくる。 船はやがて方向を変え、大鳥居を右手にしながら進んでゆく。さざ波の立つ海面からの光を浴びて、鳥居の下半部がほのかに明らんで見える。 神域に近づくというよりか、華やかな過去の記憶が熟成された空間世界に足を踏み入れるような、そんな期待感あふれる厳島 [続きを読む]
  • 伊勢神宮−常世の浪の寄せる、うまし地−
  •  伊勢に行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」 これは江戸時代に唄われた「伊勢音頭」の一節である。かつてはこれほどの熱いまなざしでとらえられていたお伊勢さんであるが、今の時代でも、機会があれば一度は訪ねてみたいという思いを抱いている人が多いのではないか。 そのお伊勢さんを訪ねることになった。   徒歩で伊勢神宮を訪れた時代、参拝は外宮からするのが一般的であった。地理的にみても外宮の方が手前 [続きを読む]
  •  霊山ー 幻の山岳寺院の跡を求めて 
  •   かつて山中に堂塔伽藍が建ち並び、たくさんの信者が訪れたことがあったという霊山。そんな秘められた事実を知れば知るほど、私は霊山への興味をそそられた。 霊山は福島市の東方、相馬市に通じる国道115号線沿いにある。福島市からの交通機関としては、福島交通のバスがあるものの、そのバス便も日に数本行きかう程度で、霊山はお世辞にも便利がよいとはいえないところに位置する。 バスは福島市の町中をぬけるとすぐにひ [続きを読む]
  • 霊山ー 幻の山岳寺院の跡を求めて
  •   かつて山中に堂塔伽藍が建ち並び、たくさんの信者が訪れたことがあったという霊山。そんな秘められた事実を知れば知るほど、私は霊山への興味をそそられた。                             * * * 霊山は福島市の東方、相馬市に通じる国道115号線沿いにある。福島市からの交通機関としては福島交通のバスがあるものの、そのバス便も日に数本行きかう程度で、霊山はお世辞にも便利がよいとは [続きを読む]
  • 比叡山 −霊気ただよう場所が今も−
  •   比叡山延暦寺は比叡の山嶺深くに位置している。天台密教の聖地として歴史にその名をとどめる比叡とはいかなる地なのであろうか。  桜の花が爛漫と咲き乱れ、春の気配が濃くただよう京の町中をバスで北に向かって走ること小一時間ばかりで比叡山中にたどりついた。 染みわたるような青葉の中に降り立った時の印象は、この山の途方もない山深さであった。それも道理である。標高八四八メ−トルの大比叡を主峰とする比叡山塊の [続きを読む]
  • 比叡山 −霊気ただよう場所が今も−
  •  比叡山延暦寺は比叡の山嶺深くに位置している。天台密教の聖地として歴史にその名をとどめる比叡とはいかなる地なのであろうか。  桜の花が爛漫と咲き乱れ、春の気配が濃くただよう京の町中を、バスで北に向かって走ること小一時間ばかりで比叡山中にたどりついた。 染みわたるような青葉の中に降り立った時の印象は、この山の途方もない山深さであった。それも道理である。標高八四八メ−トルの大比叡を主峰とする比叡山塊の [続きを読む]
  • 姉川古戦場を訪ねる
  •   時は元亀元年(一五七〇)、織田信長率いる織田連合軍が浅井、朝倉連合軍と対峙し、その後激突した場所が姉川である。姉川は大河ではなく、東西に東から西に流れ落ち、琵琶湖に注いでいる。 十一月中旬、私はこの合戦に関係する地を訪ねた。 まず訪れたのが浅井家代々の居城があった小谷城。城は琵琶湖の東、伊吹山系が西に切れるその縁に位置する標高四九五メートルの小谷山の尾根沿いに築城された山城である。守りに堅固な [続きを読む]
  • 桜田門の変
  •  JR常磐線の南千住駅を降り西に少し歩くと、賑やかな商店街に出る。その通りはかつての奥州街道で、通り沿いの鉄道高架線そばに、今は本堂が鉄筋づくりになっている回向院の建物を目にする。寺は周囲に住宅街が押し寄せ、かろうじて、その体を保っているといった風に建っている。 以前は、寺域もかなりりあり、その背後には、広大な野ざらしの地が広がっていたであろうことなど想像もできない変わりようだ。 この寺の開基は古く [続きを読む]
  • 明日香村幻想
  • 晩秋の11月のある日、ローカル色あふれる飛鳥駅に降り立つ。朝の光が満ちる前の、夜明け間もない時刻であった。爽やかな風が頬をなでて過ぎる。 駅を出て周囲を見渡した時の最初の印象は、この地が想像していた以上に山勝ちだ、ということだった。早速、昼下がりののどかな田園風景の中を東に向かって歩きだす。辺り一帯に雅やかな色香が漂う。 陽はようやく山の端から離れ、朝の光が東の方角から満ちあふれてきている。私は歩き [続きを読む]
  • 秩父最奥の地・栃本
  •  栃本は中山道と甲州路を結ぶ脇街道--旧秩父甲州往還のほとりにある。現在の地番でいうと、秩父郡大滝村大字大滝字栃本となる。 そこは白泰山から東に重々と連なる山稜の南斜面にあり、村の南側は深く切れ込んだ荒川がV字谷をなしている。かつてそこは宿場もあり、関所のある場所として重要な役割を果たしてきたところであった。最盛期栃本の賑わいはどれほどのものだったのだろうか。旅人が行きかう街道は、つねに活気に満ちあ [続きを読む]
  • 「今戸、浅草の切絵図」を歩く
  •  まず、はじめに訪れたのは浄閑寺。町場の真ん中にそこだけ緑濃い一角があった。門をくぐり、あまり広くない境内に足を踏み入れると、そこはすでに異界のような雰囲気に満ちていた。投げ込み寺の名で知られるこの寺は、かつて新吉原に囲われていた遊女が死ぬと、引き取り手がない場合は、この寺に埋葬されたところからの名前である。それを伝える新吉原総霊塔なる記念碑が墓域の奥にひっそりと立っていた。この寺には、じつに2万 [続きを読む]
  • 偏奇館跡ー東京の原風景を訪ねて
  •   偏奇館跡ー東京の原風景を訪ねて 麻布市兵衛町一丁目、現在の地番でいうと六本木一の六の五、そこに作家永井荷風の住んでいた偏奇館はあった。 生前、荷風が幾度かその住まいを替え、移り住んだ場所のなかでも、いちばん長く居を構えることになったところだ。大正九年から昭和二十年の、およそ二五年もの間、荷風はそこに住み、名作『墨東綺譚』などを著した。 今そこには、マンションが建ち、その建物の前に過去の記録を伝 [続きを読む]
  • 懐かしのおばけ煙突
  •  それはずっしりとした存在感があった。子供心に恐ろしいものに見えた。お化け煙突と呼ばれた、高さ八三メートルもある四本の黒い煙突は、町のどこからも遠望できた。その高さは尋常ではなかった。鉱物的なその煙突のかもしだす風貌は、つねに威圧的であった。  お化け煙突と呼ばれる、その煙突は、じつは、火力発電所であった。四本の煙突が、ちょうどひし形に立ち並んでいるために、眺める場所によって、その本数をさまざまに [続きを読む]
  • 宵宮祭り
  •  宵宮の闇が訪れると、各町内から引き出された神輿が勢揃いする。神輿はあやしくも美しく飾られて、それを担ぐ担ぎ手たちが群れ集まる。若い女の声も入りまじり、「そいや、そいや」の掛け声も勇ましく、高く、低く、ある時は大きく傾き、神輿はハレの装いで町中を練り歩いてゆく。担ぎ手たちの連帯の意気込みに支えられて、神輿は重々しく、かつ、神々しく輝いて見える。 神輿はそれぞれに独自の顔をもっている。それはその町の [続きを読む]
  • 真間川、国府台、矢切の渡し
  •    市川という地が歴史に登場するのはかなり以前のことになる。万葉時代にすでにその名があらわれ、そこを訪れる人がいたということである。 そんな市川の地を、晩秋の、暖かい一日訪れた。 この地は、作家の永井荷風が、戦後の一時期住んだことのある町で、荷風は、当時のありさまを随筆に詳しく書き残している。 実を言うと、この地を訪れたのは、はじめてでない。たしか、中学生時代に、クラブの担当教師と訪ねたことがあ [続きを読む]
  • ニコライ堂来歴
  •  お茶の水界隈にあるランドマークといえば、まず、駿河台の台地上にあるニコライ堂をあげることができよう。駿河台下からJRお茶の水駅へ向かうゆったりした坂道を上って行くと、左手に緑色がかったドームを目にする。周囲の近代的な建物の間からひっそりと姿を覗かせている円屋根。そのさまは、東京の猥雑な町並みに絶妙に溶けあって気品ある美しさをたたえている。  ニコライ堂の正式の名は、「日本ハリスト正正教会教団東京 [続きを読む]
  • 彰義隊無残
  •  三ノ輪の円通寺には彰義隊にちなんだ史跡がある。彰義隊士二百六十六名の遺骸を埋葬したとされる墳墓がそれだ。 その関係か、ここには幕末期、上野の山の出入り門のひとつであった木戸が移築されている。それは通称、黒門と呼ばれる黒塗りの門で、時は経ているものの、今も堂々とした風格で立ちつづけている。 上野戦争の際、この門を盾にして、彰義隊と官軍双方が戦闘を交えたといういわくのある門である。近寄ってよく見ると [続きを読む]