場所にまつわる記憶と省察 さん プロフィール

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場所にまつわる記憶と省察さん: 場所にまつわる記憶と省察
ハンドル名場所にまつわる記憶と省察 さん
ブログタイトル場所にまつわる記憶と省察
ブログURLhttps://blog.goo.ne.jp/sagihimon
サイト紹介文時間と空間のはざまに浮き沈みする記憶をたどる旅
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供22回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2017/06/21 21:41

場所にまつわる記憶と省察 さんのブログ記事

  • 天橋立探訪
  •    「大江山 いくのの道は遠ければ まだふみもみず天の橋立」の歌で知られる天橋立を訪ねてみた。天橋立は東北の松島、広島の宮島と並ぶ日本三景のひとつで、全長36km、幅20〜170mの美しい砂嘴が天橋立である。かつて雪舟の「天橋立図」なるものを観てから、一度は訪ねたいと思っていた。 雪舟の水墨画が描く天橋立の景観は、何か、この世のものとは思えない雰囲気を醸し出していた。現実の姿ではないことは分かってい [続きを読む]
  • 赤穂義士ゆりの地探訪
  •  コース:①皇居東御苑(旧江戸城本丸跡・松の廊下刃傷の地)〜②東京駅八重洲口(吉良邸江戸上屋敷跡)〜③両国橋(大高源吾句碑)〜④本所吉良邸(討入りの地)〜⑤義士アジト跡〜⑥堀部安兵衛の碑〜⑦永代橋〜⑧浅野家上屋敷〜⑨間新六の墓(西本願寺)〜⑩浅野内匠頭自刃跡〜⑪仙石伯耆守屋敷跡(日本消防協会)〜⑫毛利家上屋敷(テレビ朝日)〜⑬寺坂吉右衛門の墓(麻布曹渓寺)〜⑭細川家下屋敷〜⑮泉岳寺① 松の廊下刃傷 [続きを読む]
  • 旧千住宿探訪
  •  最近は大学の移転などで、かつてのイメージを払拭しつつある千住。江戸四宿の一つといわれる千住宿は、じつは三つの地域に分かれていた。 隅田川の南側の旧小塚原町と中村町を含む千住南組(現在の南千住5、6、7丁目の一部)、それに隅田川の北側にある中組(現在の橋戸、河原、仲町)と北組(北千住1〜5丁目)とがそれである。中町と北組を総称して大千住と呼んだ。 秋の一日、かつて大千住と呼ばれた、中組、北組の旧街 [続きを読む]
  • 谷中寺町巡り
  •  谷中の寺町をはじめて訪ねた時、東京にも京都のような雰囲気の場所があるあるのを発見して、意外の感があった。 ところで、谷中という名はどこから生まれたものなのか。 上野の山の麓には琵琶湖に見立てられた不忍池がある。市の不忍池は昔は今よりずっと広く、かつては雪見と月見の名所だった。この不忍池に注ぎこんでいた細流を藍染川と言った。この川が遡った谷が谷中であった。 上野と本郷の二つの台地の間に入り込んだ、 [続きを読む]
  • 谷中(五丁目)界隈散策
  •  JR日暮里駅の北改札口を出て、左手、西方向に歩くと、そこは御殿坂と呼ばれる傾斜の強くかかった通りになる。御殿坂というみやびた名前の由来は定かではないが、通り沿いには佃煮屋や和菓子屋など、昔からの店が散見される。 すぐに、右手、緑に覆われた寺があらわれる。寺名は本行寺。別名を月見寺という。台地の縁に位置する寺だけに月見に絶好の場所であったのだろう。 由来によれば太田道灌ゆかりの寺といい、狭い境内には [続きを読む]
  • 江戸切絵図」を携えて 団子坂〜根津神社
  •  東京メトロ千代田線の千駄木駅を降り、目の前の交差点を左に曲がると、そこは千駄木の町である。 さっそく、勾配のやや強い団子坂の坂道をまっすぐに上ってゆく。それにしても団子坂とは変わった名前である。 昔、この坂の途中に団子屋があったところからその名がついたというが、これには異説があって、ここで転ぶと、団子のように転げ落ちるところからつけられた、という説もある。 坂を上るほどに小体な古民芸の店や小料理 [続きを読む]
  • 千住のお化け煙突ー幻影
  •   それはずっしりとした存在感があった。子供心に恐ろしいものに見えた。お化け煙突と呼ばれた、高さ83メートルもある四本の黒い煙突は、町のどこからも遠望できた。その高さは尋常ではなかった。鉱物的なその煙突のかもしだす風貌は、つねに威圧的であった。  お化け煙突と呼ばれる、その煙突は、じつは、火力発電所であった。四本の煙突が、ちょうどひし形に立ち並んでいるために、眺める場所によって、その本数をさまざま [続きを読む]
  • 「切絵図」を歩く 本郷通り〜白山
  •   本郷三丁目の交差点から、さらに本郷通りを北上すると、右手通りの向こう側に、唐破風の番所を設けた薬医門形式の朱色の門が見えてくる。赤門である。 赤門といえば東大の代名詞になっているが、ここはかつて加賀百万石、前田家の上屋敷があった場所である。 この赤門は、徳川11代将軍、家斉の息女が前田家に輿入れする際につくられたもので、正式には御主殿門という。御主殿門というのは、将軍の娘が、三位以上の大名に嫁 [続きを読む]
  • 「江戸切絵図」を携えて 本郷三丁目〜菊坂
  •   このコースの出発点は東京メトロ丸ノ内線本郷三丁目。駅正面の商店街を抜けるとそこは本郷通りだ。通りに沿って北方向にすすむと、すぐに広い交差点に出る。 交差点の角に大きな文字で「かねやす」と書かれた店を目にする。今は7階建てのビルになっている洋品店だが、江戸時代、「かねやす」(兼安)は、蔵を備えた瓦屋根の町家だった。 この店が「本郷も兼安までは江戸の内」と江戸川柳に詠われた小間物を扱う老舗である。 [続きを読む]
  • 『江戸切絵図本郷』 御茶ノ水〜湯島天神を歩く
  •   東京メトロ丸の内線、御茶ノ水駅駅の改札をぬけ、地上に出ると目の前に日本医科歯科大学の高い建物が目に入る。 この敷地は、「江戸切絵図本郷」によれば、江川太郎左衛門掛鉄砲鋳造所とある。ここは江川太郎左衛門が所管する工場地であったことが知れる。 その広い敷地をかこむ石垣に沿いながら聖橋の下をくぐる。この辺り石垣と石塀が長々とつづく。このやや下り勾配の坂を相生坂と呼ぶ。 ほどなく左手に、こんもりとした [続きを読む]
  • 木彫りの里・井波を訪ねて
  •   砺波平野の南端にある井波という街は、「井波彫刻」で知られる木彫りの里である。その井波彫刻の粋を見たいと思い、1日そこを訪ねてみた。 北陸新幹線、新高岡駅からJR城端線で城端駅下車。さらにバスに揺られること20分ほどで井波に着く。 バスを降りると、どこからともなく木槌の音と木の香りがただよってきた。さっそく、古い街並みが左右に連なる八日町の通りへと歩を進める。まっすぐに連なる、風趣ある通りの尽き [続きを読む]
  • 「江戸切絵図」を携えて、三ノ輪〜旧吉原〜浅草へ
  •  地下鉄日比谷線の三ノ輪駅で降り、まず、はじめに訪れたのは浄閑寺だった。 町場の真ん中にそこだけ緑濃い一角があった。門をくぐり、あまり広くない境内に足を踏み入れると、そこはすでに異界のような雰囲気に満ちていた。投げ込み寺の名で知られるこの寺は、かつて新吉原に囲われていた遊女が死ぬと、引き取り手がない場合は、この寺に埋葬されたところからの名前である。それを伝える新吉原総霊塔なる記念碑が墓域の奥にひっ [続きを読む]
  • 東海道と中山道が交差する宿場町、草津
  •  草津は江戸時代以来、東海道と中山道がまじわる宿場町として発展した。その宿場の状態が現在どうなっているのか以前から興味をもっていた。 今では東海道のローカル線の一駅になってしまっているが、かつての街道筋は宿屋や茶店が並び立ち、さぞかし賑わっていたことであろう。 そんな草津の駅に降り立ってみた。線路と交差するように、街の東西を走るメインストリートは、明るく閑静なたたずまいだった。街全体に高層ビルがな [続きを読む]
  • 哀愁漂う、おわら風の盆
  •                  八尾の「おわら風の盆」を一度は見たいと思ってから、ひさしい時が流れていた。そして、その日がついにやってきた。 9月1日からの3日間、いつもは静かな街は人であふれ、哀調をたたえた胡弓の音色と唄にのって、編み笠を目深にかぶった男女が踊りながらせまい街中を練り歩く。                         夕刻6時過ぎ、JR富山駅から高山線に乗る。揺られること20 [続きを読む]
  • かつて北前船交易で栄えた港町・岩瀬
  •  富山市の郊外、富山湾に注ぐ神通川の河口にある岩瀬という地区がある。この地は、幕末から明治にかけて北前船交易で栄えた港町だ。そこは富山駅北口から富山ライトレール富山港線という路面電車で約20分のところにある。 東岩瀬駅という、瀟洒な駅に降りたち、少し歩くと、目の前に閑静な古町があらわれる。街道(旧北國街道)の両側に古風な商家風の建物が立ち並び、いかにも、ここがかって北前船で賑わった地であることをう [続きを読む]
  • 小京都、城端を歩く
  •   越中の小京都と呼ばれる城端(じょうはな)。その雅な響きの街が富山県下にある。地元の観光パンフレッドは「情華舞歩」と書いて城端を紹介している。 あいの風鉄道、高岡駅から城端線に揺られること50分ほどで終点の城端駅に着く。 駅から街中へは10分ほど歩くことになるが、街の北側を流れる山田川を渡り、御坊坂をのぼりつめたあたりから、町並がひらけてくる。 すぐに右手に、いかにも荘厳なたたずまいの寺域が現れ [続きを読む]
  • 姉川古戦場を訪ねて
  •  時は元亀元年(1570)、織田信長率いる織田連合軍が浅井、朝倉連合軍と対峙し、その後激突した場所が姉川である。姉川は大河ではなく、東西に東から西に流れ落ち、琵琶湖に注いでいる。 十一月中旬、私はこの合戦に関係する地を訪ねた。 まず訪れたのが浅井家代々の居城があった小谷城。城は琵琶湖の東、伊吹山系が西に切れるその縁に位置する標高四九五メートルの小谷山の尾根沿いに築城された山城である。守りに堅固なこ [続きを読む]
  • 春、秋の祭りで華やぐ、小京都・城端
  •   越中の小京都と呼ばれる城端(じょうはな)。その雅な響きの街が富山県下にある。地元の観光パンフレッドは「情華舞歩」と書いて城端を紹介している。 あいの風鉄道、高岡駅から城端線に揺られること50分ほどで終点の城端駅に着く。 駅から街中へは10分ほど歩くことになるが、街の北側を流れる山田川を渡り、御坊坂をのぼりつめたあたりから、町並がひらけてくる。 すぐに右手に、いかにも荘厳なたたずまいの寺域が現れ [続きを読む]
  • かつて北前船で栄えた廻船問屋の残る岩瀬
  •   富山市の郊外、富山湾に注ぐ神通川の河口にある岩瀬という地区がある。この地は、幕末から明治にかけて北前船交易で栄えた港町だ。そこは富山駅北口から富山ライトレール富山港線という路面電車で約20分のところにある。 東岩瀬駅という、瀟洒な駅に降りたち、少し歩くと、目の前に閑静な古町があらわれる。街道(旧北國街道)の両側に古風な商家風の建物が立ち並び、いかにも、ここがかって北前船で賑わった地であることを [続きを読む]
  • 著書紹介
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  • 厳島−虚実が融合する聖なる島
  •                     船が島に近づくとともに、前方に、鮮やかな朱色を海面に映しだす大鳥居とその奥に控える華麗な厳島神社の社殿が見えてくる。 船はやがて方向を変え、大鳥居を右手にしながら進んでゆく。さざ波の立つ海面からの光を浴びて、鳥居の下半部がほのかに明らんで見える。 神域に近づくというよりか、華やかな過去の記憶が熟成された空間世界に足を踏み入れるような、そんな期待感あふれる厳島 [続きを読む]
  • 伊勢神宮−常世の浪の寄せる、うまし地−
  •  伊勢に行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」 これは江戸時代に唄われた「伊勢音頭」の一節である。かつてはこれほどの熱いまなざしでとらえられていたお伊勢さんであるが、今の時代でも、機会があれば一度は訪ねてみたいという思いを抱いている人が多いのではないか。 そのお伊勢さんを訪ねることになった。   徒歩で伊勢神宮を訪れた時代、参拝は外宮からするのが一般的であった。地理的にみても外宮の方が手前 [続きを読む]
  •  霊山ー 幻の山岳寺院の跡を求めて 
  •   かつて山中に堂塔伽藍が建ち並び、たくさんの信者が訪れたことがあったという霊山。そんな秘められた事実を知れば知るほど、私は霊山への興味をそそられた。 霊山は福島市の東方、相馬市に通じる国道115号線沿いにある。福島市からの交通機関としては、福島交通のバスがあるものの、そのバス便も日に数本行きかう程度で、霊山はお世辞にも便利がよいとはいえないところに位置する。 バスは福島市の町中をぬけるとすぐにひ [続きを読む]
  • 霊山ー 幻の山岳寺院の跡を求めて
  •   かつて山中に堂塔伽藍が建ち並び、たくさんの信者が訪れたことがあったという霊山。そんな秘められた事実を知れば知るほど、私は霊山への興味をそそられた。                             * * * 霊山は福島市の東方、相馬市に通じる国道115号線沿いにある。福島市からの交通機関としては福島交通のバスがあるものの、そのバス便も日に数本行きかう程度で、霊山はお世辞にも便利がよいとは [続きを読む]
  • 比叡山 −霊気ただよう場所が今も−
  •   比叡山延暦寺は比叡の山嶺深くに位置している。天台密教の聖地として歴史にその名をとどめる比叡とはいかなる地なのであろうか。  桜の花が爛漫と咲き乱れ、春の気配が濃くただよう京の町中をバスで北に向かって走ること小一時間ばかりで比叡山中にたどりついた。 染みわたるような青葉の中に降り立った時の印象は、この山の途方もない山深さであった。それも道理である。標高八四八メ−トルの大比叡を主峰とする比叡山塊の [続きを読む]