コロッケ さん プロフィール

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コロッケさん: 双極性障害 目指すは完治ではなく寛解
ハンドル名コロッケ さん
ブログタイトル双極性障害 目指すは完治ではなく寛解
ブログURLhttp://korokkechan.hatenablog.com/
サイト紹介文双極性障害ですが、寛解が見えてきたかも。その経験を書きます。発病前から働いていた職場で仕事してます。
自由文アラフィフ♀です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供37回 / 140日(平均1.9回/週) - 参加 2017/06/26 20:35

コロッケ さんのブログ記事

  • うつのドツボでどう考えるか
  • うつが長く続き、もうこのまま一生上がらないんだ、と思えた、そんな時のことを思い出しながら、考えたこと。双極性障害と言うのは、ある程度、遺伝子が関係しているという。ということは、この病気の人は、ばばぬきで、遺伝子というばばをたまたま抜いちゃった、ってことかも。抜いて、たまたまババを抜いちゃったから、本当はだれも持っていたくないばばを所持している。それは、結構大変な仕事だ。なんのため?1 [続きを読む]
  • 気分屋的生き方をすると気分が安定する
  • 「目指すは完治ではなく寛解」というブログだが、実は、薬を飲まなくてもよい、という段階に至る人も、世の中にはいるらしい。それは、完治といってもいいかも?そのためにどうすべきか、ということに興味があれば、神田橋條治先生の著作に関心を持つとよい。とはいえ、神田橋先生はかなりご高齢で、著作というより、語録などの方がすぐ読めたりする。たとえば、神田橋語録など。また、神田橋先生は、この病気の常識である「 [続きを読む]
  • 補足〜トラウマからの回復について
  • 双極性障害の人は、発症したとき、何らかのライフイベントがあったことが多いと思う。平たく言えば、ストレス。脳の病気なので、それが直接の原因というより、ストレスが脳の脆弱性を刺激した、と解釈した方がよいみたい。とはいえ、多くの人は、発症のきっかけとして、辛い出来事を経験していると思うし、自分もそうなので、私が経験した大きなストレスと、そこからどのように回復してきたかを書いておこうと思う。 父が自殺した [続きを読む]
  • 双極性障害〜病気と気質、世の中に役に立つ性質も
  • 双極性障害の病前性格として、循環気質・発揚気質・マニー親和型性格、あるいは執着気質などとよく言われる。それぞれの気質については、いろいろなところで解説がなされているのでそれを見ていただきたい。こうした気質は、実は役に立つよい性質でもあるということを述べておきたい。例えば「循環気質」は、「社交的で明るい、ユーモアがある。明るく談笑し、気配りも上手で、つねに周囲の人の潤滑油的な役割を果たす」と言 [続きを読む]
  • 薬の副作用と偏見の問題
  • 私は、双極性障害 かつ バセドウ病である。バセドウ病も、完治への道のりはかなり長い。双極性障害は、完治はないと思っていた方がいい。なので、薬は欠かせない。でも、薬を飲みたくない、という人もいるようだ。薬は私に、普通の生活をもたらしてくれてはいるものの、副作用は毎日ある。副作用と薬理とを天秤にかけて、薬理の方が勝っているから、薬を飲む、という発想が正しいのかもしれない。副作用でよくあるのは、口渇 [続きを読む]
  • 気分の波乗りに役立つ自己管理の方法
  • 時々このブログで「自分をモニターする」という言葉を使っている。しかし、漫然と自分を見ていてもあまり客観的にはならないかもしれない。医師が勧めてくれる活動表もあり、それはとても良いのだと思う。しかし、自分にはちょっと続かない気がする。できたら、もう少しアバウトなものがよい。そこで、私はエクセルに病院を受診した日時やその時の出来事、症状、処方されたくすりなどを一覧にして見られるようにしている。 [続きを読む]
  • 躁鬱の波をどう乗りこなすか
  • このようなわけで、私は躁・鬱のパターンを知るに至った。また、その経過の中で、自分に有効な薬も見つけることができた。あとは、自分をよくよくモニターして異変があったときには病院に行く、ということになる。そのようにして、数年経過したが、年ごとに、躁鬱の波が小さくなってきているように思う。だからなのか、休職せざるを得なかったのは一応1回だけ。やはり、そのためには、「躁鬱の波を乗りこなす」技が必要だ。 [続きを読む]
  • 気分安定薬を飲んでから〜躁のパターン
  • 躁は毎年9月に始まるようだ。7~8月は割とフラットな感じで過ごすことができるが、問題はそのあとだ。といっても、気分安定薬を飲む前とは違う。そもそも、やってくる時期がわかっているし、前兆もわかる。いわゆる軽躁状態である。頭がやけに回転する。いろいろなことに気づく。いろいろなことに興味を持つ。おしゃべりが止まらない感じ。人の気持ちにとても共感する。周囲に「できる」と思われ、頼りにされる。頼まれる [続きを読む]
  • 気分安定薬を飲んでから〜鬱のパターンを知ってコントロール
  • 気分安定薬を飲んでから、初めての鬱がやってきた。しかしそれは、前回の地獄の10丁目うつよりはだいぶベターな鬱だった。その鬱とは、具体的に言えば、例えばいろいろなことに対する不信感。今まで信頼してきたもの。人への不信だった。今までと違う自分に、自分が戸惑う。また、信頼していた相手への感情が変わるから、態度に出てしまう。すごく迷惑をかけると思う。それを避けるために、なるべく近づかないという対策を立て [続きを読む]
  • 気分の波を乗りこなす努力の始まり
  • 「寛解したかも」というタイトルのブログなのに、ここまでは激しい症状と悪化の一途をたどった様子を書いてきた。流れを振り返ると、だいたい以下の通り。精神的なダメージによるうつ状態・バセドウ病の発症バセドウ眼症の治療としてステロイドパルス療法ステロイド後の精神症状(躁と鬱が一緒に来たような?薬剤性躁病)躁が治まったとたんにうつ状態へこのまま何年も経過。少し元気になったこともあったが、基本的に鬱自分で [続きを読む]
  • 地獄の番外地!その後の躁状態② じゅうたん爆撃
  • どうにも収まらない躁の嵐を見て取った主治医は、「じゅうたん爆撃だな」と言って、薬をどんどん増やしていった。集中砲火じゃないんですか?と訊いた私に、いや、じゅうたん爆撃、と。リーマスは最高量の1200mg、さらにクエチアピンも50mgだった。それでも、私の躁の高まりはとどまらなかった。ラモトラギンも入ったが、効いていないね、と言って外した。私はがっかりした。薬疹さえ出なければ、ラモトラギンは、リーマ [続きを読む]
  • 地獄の番外地!その後の躁状態①
  • 激鬱から持ち上がって来た私。 もう退職しかないと思っていたはずのに、いい感じで生活ができていた。 その頃、私は気づいたことがあった。今まで全然できなかった仕事が、すいすいとできるようになっている!?ということ。 できなかったこと、というのは、職場で相手にする子どもの気持ちを汲み、子どもの気持ちに沿いながら遊ぶこと。私はこれが苦手だった。 私は大人だ。子どもの気持ちなんて、わかるか。 ところが、激鬱の後 [続きを読む]
  • 今度同じ鬱が来たら死ぬ!双極性障害を自分で疑う
  • その後、2か月は完全に休職し、少しずつ回復してきたのに合わせて短時間の勤務をさせてもらい、完全に復帰したのは休職してから3か月後だったと思う。今思えば、激鬱の時には絶対に復帰など無理と思っていたのだから、結構早い復帰だったかも。この時の鬱は、「時がくれば上がってくる」というものだったのだろう。「波」だ。躁・鬱の波。最強の激鬱状態から回復した私は、またこの鬱に襲われたら、今度こそ死ぬ!と思った。今 [続きを読む]
  • 最悪の鬱〜地獄の10丁目
  • その後、私はだいぶよくなった。そう思った。睡眠薬をかなり減らしても、ちゃんと眠れた。気分的にも、とても機嫌のよい春を迎えていた。主治医も、「いいね。よくなってきたぞ。」と言っていた。そうか、これで私もようやく回復できるのか。こうやって、父の死を乗り越えられるのかな。そんなことを考えたりした。ところが、その後私は急激に、最悪の激鬱に堕ちた。今思えば、春に元気だったのは、軽躁だったのだろうか。躁といえ [続きを読む]
  • うつ病?双極性障害?鑑別について
  • あるときには、結構元気になった。少しよくなったのかな、などと思っていた。主治医は、「うつが治る過程で、軽躁状態になることはよくある。そういうときに自重すること。好きなことでも嫌いなことでも打ち込まないこと。だらだら過ごすこと。」と言った。軽躁状態があるからって、躁うつ病ってわけじゃない、とも言っていた。前にも書いたが、私は自分で、うつが長く続いたここから先のしばらくの時期を「うつ病的時代」と呼んで [続きを読む]
  • 他人に迷惑をかけることは、病むことの本体の一部
  • 私は、激鬱のときには、仕事は全部キャンセルするしかなかった。同僚と部下に任せた。みな、自分の計画を台なしにしたことだろう。本当に申し訳のないことだった。他人に迷惑をかけること、それは病むことの本体の一部である。それは他人にとって迷惑であるだけでなく、迷惑をかけてしまったと申し訳なく思う自分の思いからくる苦痛である。それは、実はお互い様であって、私はそれまで、だれかが何かの事情で仕事ができないとあ [続きを読む]
  • うつ状態〜生きている意味がわからない
  • 私には、生きている意味がなかった。少なくとも、そう感じた。何もかもが億劫だった。何にも興味がわかなかった。生きていても、何の楽しみもなかった。意味のない生だと思った。しかし、私には死ぬことは許されていない。父があのような形で死に、遺族がどのような苦しみを負うかを私は身を持って知っているのだ。知っているのに自分が父と同様に死んだらまた同じことが起こってしまう。そういう意味で、死ぬわけにはいかなかった [続きを読む]
  • あたりだったのか不明 抗うつ剤による治療
  • 週末明けの月曜日、病院に駆け込んだ私は、デパゲンを飲みきること、と言われ、それと同時に、抗うつ剤を飲み始めた。トフラニール。オレンジ色で三角の錠剤。可愛いけど、副作用はかわいくなかった。やたら口が渇くのだ。初めて飲んだ抗うつ剤だった。副作用が強いのに、薬はどんどん増やされた。食欲ゼロ。食べることが大好きだったのに、食べられない。家族が、私が好きなものやさっぱりしたものを準備してくれたりしたが、だめ [続きを読む]
  • うつ病時代?の始まり
  • 2月に始まったひどい躁鬱混合状態と思われる時期が過ぎ、落ち着いてきたころ、主治医が「そろそろよし。差し迫った感じもなくなった」と言った。私は徐々に仕事に復帰し始めた。6月下旬だった。治まったとはいえ、主治医は、「まだまだ用心だ!このままうつに落ちたら大変だ!ステロイドというのは、恐ろしいんだぞ!」と言った。へぇ、そうなんだ。確かに恐ろしい経験をしたけど、もう治まったじゃん、と思っていた私は、改め [続きを読む]
  • ステロイドパルス後 精神症状②
  • 精神科を訪れると、精神科医は、私のバセドウ病のことをどこかから訊いていたらしく、「足の痛みがバセドウ病の前駆症状だったことを見逃してしまった、申し訳なかった」と語った。私は、そんなことを向こうから言われることに少し驚きつつも、「・・・そういうわけで、バセドウ病だったわけですが、その後目がおかしくなりまして。ステロイドパルスを受けたら、なんだか知らないけど、めちゃくちゃなことになりまして」と話し始め [続きを読む]
  • ステロイドパルス後 精神症状①
  • 前回のブログから間が開いてしまった。躁状態の自分の状態を整理するというのは、思っていた以上に時間がかかった気がする。躁状態とは、本当に手が付けられない。前回のブログは身体症状について述べたものだった。でも、少し精神症状についても触れている。例えば、「寝てなどいられないのだ」「目を閉じているのが一番楽だったが、そうはさせない自分がいた」「痛みを自覚しないというのはおかしいが、痛みを自覚するセンサー [続きを読む]
  • ステロイドパルス後 身体症状②
  • ステロイドパルス療法を1月に受けたその年の暮れ、私はこのように記している。「今年一年は・・・、ステロイドとの戦い。 私の主観としては、冷静な自分とアタマがへんな自分との対決。 心の荒野とでもいうか、幻の嵐の中でうろうろしてた。」「アタマが変」とはつまり、本格的に精神科にかかり始めたことを意味する。でもその前に、身体症状について、まとめておきたい。前回のブログを書いてから、ステロイド後のことをま [続きを読む]
  • ステロイドパルス後 身体症状①
  • 退院後、仕事を再開しつつ、ステロイドの錠剤を飲んで脱ステロイドを図りながら、放射線治療を行った。放射線は、たしか2週間ほどだっただろうか。そのころから、体がおかしくなってきた。それは、放射線ではなく、ステロイドによるものだと、あとで気づいた。まず、体中の筋肉がなくなってしまったような感覚。実際、ステロイドパルスで筋力が落ちるのだ。車を運転すると、ハンドルを切ったつもりが、切れていない。車線変更 [続きを読む]
  • 入院してステロイドパルス療法
  • 入院して受けた治療は「ステロイドパルス療法」という。化学療法の一種で、ステロイド剤を大量に一度に点滴でぶち込み、それをぱっとやめる。ぶち込む・やめるを繰り返すので、鼓動に例えて「パルス」と言うらしい。ステロイドはもともと副作用が強いことで有名だが、それを大量に使うのでリスクを伴う。そのため、個室に入院し、状態をモニターしてもらいながら治療を進める。入院前に、A4のプリントにぎっしり書かれた副作 [続きを読む]
  • バセドウ眼症の治療の始まり
  • 目の治療の話が続く。私の場合は、これが精神病の始まりをもたらしたので、関係ないようだけど、関係ある。さて、前回の続き。医者には仕方がないといわれても、これでは生活にならない。本やネットで調べると、ちゃんと治療法があるではないか。そこで今度は眼科を受診した。眼科医は、通り一遍の目の検査をして、「バセドウ病?ま〜、目が腫れるのはしかたないね」と、内科医と同じことを言った。あれ?眼科も相手にし [続きを読む]