toshiw47 さん プロフィール

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toshiw47さん: 瀬戸の島から
ハンドル名toshiw47 さん
ブログタイトル瀬戸の島から
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/jg5ugv
サイト紹介文瀬戸内海の島々や四国をフェイールドに出会った歴史をお届けします。国会議員増田穣三の評伝もあります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供19回 / 158日(平均0.8回/週) - 参加 2017/07/08 09:34

toshiw47 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 天空(ソラ)のお堂にある庚申塔について
  • 西阿波の庚申塔には、何が彫られているの?天空(ソラ)の集落を訪ねていると、お堂は集落の聖地であり、念仏踊りなどもここで行なわれるなど文化センターでもあったことが分かる。端山巡礼第80番観音堂にやって来た。半田から落合峠を経て祖谷に入っていく街道沿いにあるお堂だ。お堂の前にはカゴノキの巨樹が木陰を作っている。旅人達の休息所だったことが想像できる。その巨樹の前には庚申塔が建っている。建立は天保3年9月 [続きを読む]
  • ソラの集落 穴吹町口山字淵名の古民家を訪ねて
  • ソラの集落 穴吹町口山字淵名の古民家を訪ねて四国一の清流といわれる穴吹川が東に谷を刻むソラの集落 渕名。緩やかに張り出す尾根を選んで民家や畑が散在している。間近に迫った冬に向けて、畑が耕されている。ここには、奥行きの狭い土地に対応した間取りを持つ古い民家が数多く残っている。そのひとつを訪ねて見た。やってきたのは渕名集落の北のはずれに建つ民家。家の前の茅場は刈り取られている。 この地域は南北朝時代に [続きを読む]
  • 穴吹から天空(ソラ)の集落 コエグロを追いかけて渕名・家賀へ
  • 穴吹から天空(ソラ)の集落 渕名・家賀の秋を訪ねてやって来たのは穴吹川の西の尾根沿いの中野集落。ススキが風に吹かれて、おいでおいでをしているように揺らいでいる。これは耕作放棄で荒れた畑にススキが生えているとも見えるが・・・。こちらでは、ススキが刈り取られ、集めて積まれ「コエグロ」にされている。ここにも、刈り取られたススキとコエグロ。そしてその後から新芽を伸ばすススキの株。こんな風景がソラの集落では [続きを読む]
  • 美馬市穴吹町 中野・渕名の天空(ソラ)の集落とお堂を訪ねて
  • 美馬市穴吹町 中野・渕名の天空(ソラ)のお堂を訪ねて、その起源を考える。  端山霊場巡礼を一巡したので、その周辺の天空(ソラ)の集落とお堂めぐりを開始。前回は、一宇のお堂を訪ねた。今回は清流穴吹川の西側の尾根に位置する集落を訪ねてみることにした。穴吹町から小学校の上の道を登っていく。中野集落にある仏成寺に御参りして、ここから上へ伸びる道を歩く。家の前のカヤ場(肥場・肥野・肥山)と呼ばれる採草地から [続きを読む]
  • まんのう町佐文 牛屋口の並び燈籠は、誰が奉納したのか
  • 牛屋口の並び燈籠は、誰が奉納したのか伊予土佐街道は,金毘羅さん石段山腹にある坂町から別れ、谷川町筋を旧墓に沿って谷道を登る。この区間はカゴノキやカシの巨木に鬱蒼とおおわれ昼でも暗く、時代劇にすぐにも使えそうな景観と雰囲気を残していた。しかし、資生堂のレストラン「椿」の営業と共に道路が舗装され、通行には便利になったが時代劇に使われることはなくなった。残念だ。  登り詰めたところが,象頭山と愛宕山との鞍 [続きを読む]
  • まんのう町中寺廃寺跡を江畑道より歩く
  • まんのう町中寺廃寺跡を江畑道より歩く教育委員会のTさんに「この季節の中寺廃寺は紅葉がいいですよ。江畑道からがお勧めです」と言われて、翌日、天候も良かったので原付バイクで江畑道の登山口を目指す。春日と内田を結ぶ中讃南部大規模農道を走って行くと江畑に「中寺廃寺」の道標が上がっている。この道を金倉川源流に沿って登っていく。 すると塩入から伸びてきている林道と合流する。これを左に曲がり砂防ダムに架かる橋を [続きを読む]
  • 金比羅神の草創期研究史メモ書き 
  • 讃岐琴平 草創期の金比羅神に関しての研究史覚え書き 金比羅神については色々なことが伝えられているが、研究者の間ではどのようなな見解が出されているのかをまずは知りたかった。そのために金比羅神の草創期に絞って図書館で見て取れる範囲で、書物にあたってみた。その報告である。まずは、金毘羅大権現についてのお復習い①仏教の神のひとつで、日本では海上の守護神としてひろく信仰。②ガンジス川のワニの神格化を意味する [続きを読む]
  • まんのう町金剛院 宗教荘園と修験道の里
  • 宗教荘園と修験道の里 まんのう町金剛院土器川沿いの主要道を走っているだけでは見えてこない光景が、まんのう町にはいくつもある。そのひとつが金剛院。この地名に隠された謎を解きに行ってみよう。県道185号を種子から四国の道の看板に導かれて入っていく。法師越の道沿いに何体かの石仏が迎えてくれる。法師越の石仏は、この峠を越える人々を見守ってきた。ところでこの峠を越えたのは、どんな人たちだったのだろう。地元の [続きを読む]
  • まんのう町の法然ゆかりのお寺 真福寺 二度目の移動でここへ
  • 法然ゆかりのお寺 まんのう町岸上の真福寺  最初にこのお寺と出会ったのは、もう何十年も昔。丸亀平野が終わる岸上の丘の上にどっしりと立っていた。この周辺に多い浄土真宗のお寺さんとは立地環境も、境内の雰囲気も、寺院建築物も異なっており、「なんなのこのお寺」という印象を受けたのを今でも覚えている。境内の石碑から「法然ゆかりのお寺」ということは分かったが、それ以上のことを知る意欲と機会に [続きを読む]
  • 高知県室戸市 行当岬不動岩の辺路修行業場跡を訪ねて
  • 行当岬不動岩の辺路修行業場跡を訪ねて原付バイクで室戸岬を五日かけて廻ってきた。「あてのない旅」が目的みたいなものであるが、行当岬には立ち寄りたいと思っていた。ここが辺路修行者にとって、室戸岬とセットの業場であったと五重来氏が指摘しているからだ。五重氏の辺路修行者の修行形態に関する要旨を、確認のために記しておきたい。修行の形態は?1 行道から補陀落渡海まで辺路でいちばん大事なのは「行道」をすること。 [続きを読む]
  • 塩飽諸島 高見島一周ウオーキング NO2 浦集落を徘徊する
  • 塩飽諸島 高見島一周ウオーキング NO2 浦集落を徘徊する梅雨入りには少し早い6月初旬に、高見島を訪れた。思いつきで目的地をころころと変えながら島を「徘徊」する。そして、たどり着いた一軒の豪邸(?)。その家の「ひろな」をのぞき込むと、こんな光景が広がっていた。反対側から見るとこんな感じ・・・・????庭先の白い箱のような中にはいってみると、海を前面に全面の鏡張り。こんな光景が目に飛び込んできます。そし [続きを読む]
  • 塩飽諸島 高見島一周ウオーキング 多度津〜高見島へ
  • 塩飽諸島 高見島一周ウオーキング快晴の青い空を見て山陽汽船の新しい舟に乗ることを思い立ち原付バイクを多度津港に走らせる。桟橋に入り、最後まで行き先を佐柳島か高見島か迷う。そして買ったのは近い方の高見島行きのチケット往復960円。優柔不断さがますます進む今日この頃・・・自覚症状有り・・昨年就航した「なぎさ2」が「いらっしゃ〜い」と迎えてくれる。今治市の大三島の藤原造船で生まれた舟だ。総トン数は88屯 [続きを読む]
  • 讃岐における真宗興正寺派の拡大 まんのう町尊光寺の場合
  • 讃岐における真宗興正寺派の拡大 まんのう町尊光寺の場合 図書館で何気なく郷土史コーナーの本達を眺めていると「尊光寺史」という赤い立派な本に出会った。手にとって見ると寺から新たに発見された資料を、丁寧に読み解説もつけて檀家の支援を受けて出版されたものである。この本からは、真宗興正寺派の讃岐の山里への布教の様が垣間見えてくる。早速、本を借り出し尊光寺詣でに行ってみた。やって来たのはまんのう町炭所東(す [続きを読む]
  • まんのう町出身のもうひとりの国会議員 山下谷次
  • まんのう町出身のもうひとりの国会議員 山下谷次まんのう町からは戦前に、二人の国会議員が出ている。そして、それぞれの銅像が残されている。最初にやってきたのは仲南小学校。体育館から登校する生徒達を見守るように正門付近に立っている。これが、山下谷次像。彼は、まんのう町帆山出身で、「実業教育の魁け」として、東京で実業学校の開設に幾つも関わり、代議士となってからは実業学校の法整備等に貢献した人物だ。  若き [続きを読む]
  • 華道未生流の一派 如松流が伝わるまんのう町佐文
  • 今もまんのうに伝わる如松流華道  増田穣三が宮田の西光寺(法然堂)の住職園田氏実(法号波法橋、流号如松斉)から華道を学び、若くしてその継承者になったことは前述した。代議士を引退した後の穣三は、師範として「活花指導に専念した」と伝えられている。どんな活動が行われていたのだろうか、そしてその後の流派は、どうなっているのだろうか。今も譲三が家元として伝えた「如松流」を掲げる華道の流れ [続きを読む]
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