koyoblog さん プロフィール

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koyoblogさん: 目的地へ行こう
ハンドル名koyoblog さん
ブログタイトル目的地へ行こう
ブログURLhttp://www.koyoblog.com/
サイト紹介文なぜハードな旅をするのか。切りぬけて翌朝が来れば、次に何が起こるのだろうかと期待している。
自由文私は行きっぱなしで帰って来ないとか、半年働いて半年バックパッカーをしているような特別な人ではない。学生として、社会人として限られた時間とお金でバックパッカーをしていた。それでも相当強烈な経験をした。今無事でいるから、不便でよかった、濃い経験ができて良かった、と思える。
これはインドからの帰国後、東南アジアの旅などと併せて書いた手記である。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供73回 / 101日(平均5.1回/週) - 参加 2017/07/09 12:31

koyoblog さんのブログ記事

  • 山羊
  •  その時丁度、儀式の始まりを告げる太鼓が打ち鳴らされた。人が儀式場の回りに集まってきた。儀式場といっても、二十センチ位の低い石に囲まれた六畳程のコンクリートスペースだ。そこに二十センチ位離された高さ一メートル程の木材が二本立てられている。その木材の間には厚い角材が挟まれていて、山羊の首が置かれる台となっている。そして、両側の木材に開けられた穴に棒が通されて、首の上が抑えられる。この穴は上から五つも [続きを読む]
  • カーリー寺院
  •  人リクシャーを捕まえて、地下鉄のパーク・ステーションに向かった。朝のこの時間には、水を浴びる人がそちこちで見える。これはネパールでもそうだった。そして何故そちこちで見えるかといると、道端で浴びているからだ。歩道の途中にいきなり井戸があって、その周りで水を浴びたり、石鹸で身体を洗ったりしている。女の人も薄い着物をまとって浴びたりしていて、少しばかり透けていたりする。一方ではイスラム教の女の人が顔さ [続きを読む]
  • 働いてお金をもらってはいけない、という教え
  •  外に出て、辺りをうろうろしていると、さっき道案内をしてくれた少年がいた。「彼女に会えた?」「ああ、君のおかげだ。ありがとう」 そして、写真などを撮りながら少年と話をしていたが、そのうち彼は言いづらそうにしながら切り出した。「お母さんが病気なんだ。元気をつけるためにミルクが欲しい」本当であれ、嘘であれ彼が道案内という仕事をしたことに変わりはない。金を出してもいいと思った。「君は案内をして働いたのだ [続きを読む]
  • マザー・テレサ
  •  修道女の多くは中庭で洗濯を始めた。そして数人は礼拝場に戻って、読書を始めた。私も折角だから礼拝場で静かに座禅でも組んでみることにした。 過去のことを考えてみようと思った。折角だから。自分の罪深い人生を省みるなんてことはしたこともないし、これからもまずしないだろう。それなら気分の乗っている今、ちょっとやってみようか、と思ったわけである。 私なりに深く罪を反省した。それなりに時間もたった。もうこんな [続きを読む]
  • マザー・テレサが現われた
  •  マザー・テレサは現れた。後ろを振り返ると、旅行者の一人一人に記念品を手渡して歩く彼女がいた。間違いなく‘マザー・テレサ’だ。やっと彼女に会うことができた。 偉大な人、マザー・テレサ。しかし、彼女は小さい。そしてかなりの高齢だ。山折先生は、彼女はてきぱきと動いていた、と話していたが、今のマザー・テレサは老いたのかゆっくり歩いている。 それにしても信じがたい。礼拝している姿を垣間見るだけだろうと思っ [続きを読む]
  • ミッショナリーズ・オブ・チャリティ
  •  そのマザー・テレサはカルカッタにいる。しかも、朝の礼拝の時間に行けば、その姿を見られるらしい。早起きしてタクシーに乗り込んだ。五分程で、大きい教会の前に着いた。運転手は指さして、「マザー・テレサ」と言った。だが、入ってみればその教会には誰もいなかった。一体マザー・テレサはどこに。またもや行きたい所に行けないのか。嫌な予感を感じつつ、手掛かりを探して教会をぐるりと回っていると、庭掃除のおじさんが近 [続きを読む]
  • 祈る、とは
  •  マザー・テレサ。多くの人がその名を知っているだろう。旧ユーゴスラビアからやってきて、修道会‘ミッショナリーズ・オブ・チャリティ(神の愛の宣教者たち)’を創設した。路上で死んでいく人々が人間らしく静かに死を迎えられるように、施設を提供している(1997年没)。さらには、身寄りのない子供を育てたり、ハンセン氏病患者のコミュニティーも作ったりしている。それらの活動は修道女とボランティア・ワーカーと募金によ [続きを読む]
  • 綺麗な町
  •  歩いてニューマーケットの方をぶらついてみた。Timestarから二百メートル程の所だ。そこは色々な小店舗が立ち並ぶ、庶民的な繁華街だった。カセットテープ屋、サリー屋、路上の風船屋。目が会えば、‘見ていけよ’と合図する人もいたが、声をかけてくる人は誰もいなかった。カメラを出したときだけ、何人かが注目したが、寄っては来ない。デリーではうるさくてしょうがないと思っていたが、今度は物足りなく感じてきた。勝手では [続きを読む]
  • 綺麗な町
  •  サダル・ストリートにまた戻り、博物館を二時間程覗いてから(半分は椅子で休んだりうたた寝をしたりしていた)、歩いてニューマーケットの方をぶらついてみた。Timestarから二百メートル程の所だ。そこは色々な小店舗が立ち並ぶ、庶民的な繁華街だった。カセットテープ屋、サリー屋、路上の風船屋。目が会えば、‘見ていけよ’と合図する人もいたが、声をかけてくる人は誰もいなかった。カメラを出したときだけ、何人かが注目し [続きを読む]
  • 洗濯
  •  外はすっかり暗くなっていた。Timestarに向かう細い道に入った。そこには何やらうごめく影。闇に紛れたインド人たちだ。一人の白目が月に反射して輝いた。憎しみに満ちた目が、じっとこちらを見据えた。いつものように、なに食わぬ顔で、胸を張り、足早に通り過ぎた。今日はもう外に出ることはやめよう。そう思った。 宿での夜は、服と身体を洗う時間だ。服はシャワー室や水道を使って洗う。石鹸をつけごしごしと手揉み洗いをす [続きを読む]
  • 多様な人々
  •  カルカッタで中心的な道路となるチョーロンギー通りには、地下鉄が走っている。カルカッタを動くには、この地下鉄を使うとすごく便利だ。サダル・ストリートの近くにはパーク・ストリート駅があった。まずは、その駅に向かった。 Timestarからは二分も歩けばチョーロンギーに出る。そこは片側二車線の大通りだ。歩道も五メートルはある。その歩道にでかい絵を描いているおじさんがいた。キリストの絵だ。縦二メートル半、横一メ [続きを読む]
  • 鉄格子の部屋に泊まる
  •  Timestarのこの安い部屋に居座るならば、トイレは耐え得るものであるかどうか見極めねばならない。今は悪臭を放っている。しかし、まずは百二十の部屋が空くまでだ。それなら問題はない。「とりあえずここでもいいよ」そう言うと使用人は下に戻って行った。Timestarを探すのに汗をぐっしょりかき疲れていたので、服を脱ぎ捨てベッドに横になった。 すぐにうとうとしだした。だが、悪臭はだんだん鼻につき、それとともに気分が悪 [続きを読む]
  • 悪臭
  •  Timestarは細い道からさらに奥に入った所にあった。ドアなどない。でかい入り口の目の前がフロントだった。そこにはターバンを巻いたでかい男が座っていた。落ちつきはらって、わずかにこくりと頷いた。貫祿がある。「部屋を探している」「どの位の部屋がいいんだ」「百だ」「あいにくだが、百二十の部屋は今塞がっている。だが、今日中には一つ空くだろう。もう一度来てくれ」残念ながら時間をかけてここに来た甲斐はなかった。 [続きを読む]
  • 注射器
  •  なんとも寝苦しい夜だった。窓を開けたが、六階の部屋でもわずかな風すら吹いていない。シャワーを浴びてすっきりさせたが、それもカルカッタの湿気には無駄な抵抗だ。頭を拭いている間に、体は汗が混じってますます濡れた。 部屋は、値段が高いだけあって広めでシャワールームもましだった。トイレもそれなりだったし、電気も明るかった。しかし、枕は、カルカッタの湿気に汗を流した人々の数だけ、脂ぽかった。その脂で頭周り [続きを読む]
  • 暗闇〜その2
  •  町らしき明かりが見えて来たときは、正直ほっとした。まだ開いている食堂があった。大丈夫だ。何とかなる。もう少しで無事宿を見つけるだろう。ようやく自分の一時間後が想像できるようになってきた。そんなとき、町の明かりが通りで蠢くものを薄く照らした。何だ。人だ。路上で寝る人々だ。しかも、十人やそこらではない。切れ目を探して目を先に進ませても、ずっと蠢く人々は続いている。手でも伸ばせば隣に届いてしまうほどぎ [続きを読む]
  • 暗闇〜その1
  •  飛行機がカルカッタのダム・ダム空港に着いた頃は、夜十一時を回っていた。急がねば。当然のことだが外は真っ暗だった。そして、‘むっ’とした空気が私を迎えた。飛行機から足を踏み出して直ぐに感じた。蒸し暑い。ひどく蒸し暑い。名古屋の蒸し暑さも比べ物にならない。気持ち悪いくらいの生暖かい水分を感じる。デリーは暑かったが、蒸してはいなかった。この蒸し暑さが、もっと騒がしく、もっと不衛生で、もっと混乱したもの [続きを読む]
  • カルカッタへの準備
  •  リクシャーを拾って空港行きのバスが出ているターミナルに向かった。そこは近郊だけでなく、長距離の色々なバスが出ていて、どこに行けば空港行きがあるのかさっぱり分からなかった。どうやって見つけようかと考えていると、おじさんが寄ってきて教えてくれた。その人はただのバス待ちのおじさんだったが、自ら寄ってきて教えてくれたのだ。しかも場所は合っていた。こんなことインドでは初めてだ。 バスは直通ではなく市バスだ [続きを読む]
  • 旅先の勘
  •  チャンドニー・チョウクはメインバザールに車道がついたようなものだ。服屋、雑貨屋、食堂などが並ぶ。どの店も小さい。小さな店に沢山置こうとするから、服なんかは二段、三段、四段と上に上にとつり上げられている。店が並ぶ中に寺院もあって、入り口前で足を洗った人々が、裸足のままで入って行く。この通りも混み合って騒がしい。車道には車とリクシャーが走り、歩道から溢れた人々も歩いている。何故か男が大半で、買い物を [続きを読む]
  • ココナッツ
  •  ラール・キラーは赤い城という意味だ。アグラ城と同じで赤砂岩でできている。しかし、油断をすればすぐに割り込まれてしまう混雑した売り場から切符を奪い取るように買って入ってはみたものの、特に何があるわけでもない。時間は二時を回っていた。暑さと空腹でへたばっていた。移動中だから重いバッグを背負っているし、おまけに中は広々としていて結構歩く。ついに途中で嫌になり戻ってしまった。とりあえず飲み物が欲しい。と [続きを読む]
  • スラム
  •  汚染された砂と分かると、舞う土埃が気になってきた。しかし、私は一時的な通過者に過ぎない。スラムの人々はこの埃の中で暮らしているのだ。痩せた牛が池の水を飲んでいる。人はその牛の乳を飲み、肉を食べるのだろう。子供が泥土にまみれて遊んでいた。身体に害を及ぼすかもしれないことを住人は知っているだろうか。いや、たとえ知っていたとしても、彼らの住む場所は他にはないのだ。 すぐ先に、今度はかなりまとまった数の [続きを読む]
  • 精悍な顔つきの人リクシャー 運転手
  •  ラージ・ガートは独立の父、マハートマ・ガンジーが荼毘にふされたところだ。礼儀として入口で靴を脱がねばならない。そこには男が座っていて勝手に靴を見張っている。彼の目の前に靴を置けば金をとられる。これは彼の仕事である。でも、私には必要ない。だから、三メートル程離した。中に入ると石畳が続くが、太陽に熱せられているので皆脇に避けて芝生の上を歩く。しかし、荼毘にふされた台の周囲では石の上を歩かねばならない [続きを読む]
  • 少年の大きく澄んだ目
  •  フィリピンに行ったのはピースボートのツアーだった。ピースボートは、1983年に日本の戦争の跡を見て回ることから始まったNGOで、国際交流のツアーを主催する。そのフィリピンツアーでは、日本のODAによる開発で環境破壊が進んでいる地域や、孤児院、日本人が共に生活をしながら仕事を教えている貧しい地域などを回り、人々に触れてきた。その時、孤児院や貧しい人達に使い古しの服も寄付してきた。自分なりに彼らを少しでも手助 [続きを読む]
  • 諦めた目
  •  昨日行き損ねたラージ・ガートに向かった。リクシャーが信号で停まると、物乞いの親子が近づいてきた。少年が左側から、乳飲み子を抱えた母親は右側から手を差し延べた。少年は大きく澄んだ目でしっかりと私を見つめた。母親は視線が定まらず、周囲を見回し、疲れ切った諦めた目を持っていた。諦めた目。この目を一度持ったら、元に戻るのは難しい。ネパールで見た諦めた目は未だに忘れられない。 ポカラからカトマンズまで、 [続きを読む]
  • フルーツジュース屋
  •  シルバーパレスに別れを告げて、メインバザールに出ると、また無性にフルーツジュースが飲みたくなった。小気味よくミキサーをかけるおじさんは、私が近づいていくと、‘まあ中に入れよ’と招き入れた。中は三人入れば一杯になってしまう狭さだ。すでにいた二人に詰めてもらって腰掛けた。今度はパイナップルジュースを頼んだ。小さな空間でともにフルーツジュースをすする三人のうち一人は、イギリスから来たインド系の人だった [続きを読む]
  • 帽子を持って行った少年
  •  「両替はできたか」KUMAR が私を迎えた。「ああ、大丈夫だ。ありがとう。金も返すよ」「リクシャーは幾らで行った?」「教えてもらった通り、五十ルピーで行ったよ」二人で雑談をしているときに、一昨日深夜まで待っていてくれた少年が来た。日本でいえば中学生ぐらいで、すばしっこそうだ。この少年も私の帽子がすぐに気に入ってしまった。今度は嫌な予感は、あまり、しなかった。また彼にも貸してやった。「写真撮ってやろうか [続きを読む]