みや さん プロフィール

  •  
みやさん: 古都の礎
ハンドル名みや さん
ブログタイトル古都の礎
ブログURLhttps://ameblo.jp/rrerr/
サイト紹介文古都の史跡紹介をしています
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供111回 / 365日(平均2.1回/週) - 参加 2017/08/03 19:02

みや さんのブログ記事

  • =祇園祭 後祭 宵々山 2018年=
  • 2018年7月22日に行われた祇園祭後祭宵々山です。 八坂神社の祭礼、祇園祭。従来、山鉾巡行は旧暦6月7日に先祭、6月14日に後祭が行われていました。明治6年、太陽暦の該当日を巡行日とした後、明治10年、太陽暦の7月14日と7月24日に固定。昭和41年(1966年)、交通規制の問題からすべての山鉾巡行は7月17日に統一されました。平成26年(2014年)、かつて後祭の最後尾を飾り、幕末のどんどん焼きで焼失後居祭を続けてきた大船鉾が復興。 [続きを読む]
  • =祇園祭 先祭 宵々山 2018年=
  • 2018年7月15日に行われた祇園祭先祭宵々山です。 八坂神社の祭礼である祇園祭。神輿の前駆である山鉾巡行は、7月17日の先祭に23基、7月24日の後祭に10基が巡行します。山鉾巡行の前日を宵山、前々日を宵々山、前々々日を宵々々山と呼び、粽やお守りが売られたり、夜店が建ち並んだりします。3日間合わせて宵山とも呼び、町会所が開かれてご神体や副葬品が展示され、間近で鑑賞することができます。1966年より2013年まではすべての [続きを読む]
  • 月読神社〜壱岐氏の神
  • 松室にある月読神社です。 松尾大社の境外摂社。松尾七社の一つ。「日本書紀」によれば顕宗天皇3年、阿閉臣事代に託宣があり、押見宿禰がこの地に祀ったとされます。平安時代の延喜式では葛野坐月読神社とあり、名神大社。もともとは松尾大社とは別であり、松尾大社が秦氏によって祭祀されていたのに対し、この社は壱岐氏によって祭祀されていました。壱岐氏は壱岐国からこの地に移住した氏族であり、壱岐にある月読神社をこの地 [続きを読む]
  • 松尾大社〜亀の井
  • 嵐山にある松尾大社です。 松尾山を御神体とする社。全国にある松尾社の総本宮。松尾山頂上付近に現在も磐座があり、古代より祭祀が行われていたと言います。5世紀頃、渡来系氏族の秦氏が一帯に勢力を持つと、この社も秦氏が祭祀するところとなります。社伝によれば、大宝元年(701年)、文武天皇の勅命により秦忌寸都理が社殿を建造、秦忌寸知麻留女を斎女として祭祀を執り行ったと言います。平安京遷都が行われる賀茂社(賀茂別雷 [続きを読む]
  • 正明寺〜後水尾天皇勅建寺
  • 日野にある正明寺です。 法輪寺正明寺という黄檗宗の寺。古くは天台宗の大寺でした。永禄11年(1568年)、織田信長が六角氏を攻めた観音寺城の戦いで一帯は戦火で焼かれ、寺も焼失。江戸時代初期、永源寺の僧・一糸文守が復興。一糸文守(岩倉具堯の子)は後水尾天皇第一皇女・文智尼(梅宮)出家の戒師であり、後水尾天皇から厚い帰依を受けていました。後水尾天皇は御所建て替えの際、清涼殿を下賜してこの寺の本堂としています。日 [続きを読む]
  • 馬見岡綿向神社〜日野祭
  • 日野にある馬見岡綿向神社です。 古代、綿向山を御神体として崇拝した社。平安時代の延暦15年(794年)、綿向山頂上の神霊の里宮として創建されたとされ、現在も綿向山山頂にある大嵩神社を奥宮と称しています。延喜式に馬見岡神社二座とされるうちの一座に比定されています(もう一座は近江八幡の馬見岡神社か)。蒲生家が氏神として信仰し、日野城主・蒲生定秀が祭礼を復興、蒲生賢秀が社殿を寄進しました。江戸時代には日野商人た [続きを読む]
  • 雲雀野公園〜蒲生氏郷公銅像
  • 日野にある雲雀野公園です。 馬見岡綿向神社の御旅所が置かれ、毎年8月14、15日には火ふり祭りが行なわれます。日野ゆかりの戦国武将・蒲生氏郷の銅像があります。 蒲生氏郷(1556〜1595)は戦国時代の武将。日野城主・蒲生賢秀の子。母は、側室・りき。幼名・鶴千代。父賢秀は近江の守護大名・六角義賢・義治に仕えていましたが、永禄11年(1568年)、義賢・義治は観音寺城の戦いで織田信長に敗れ、主城の観音寺城を捨て逃亡。賢秀 [続きを読む]
  • 法雲寺〜蒲生賢秀墓
  • 日野にある法雲寺です。 天正山法雲寺という浄土宗の寺。蒲生賢秀の菩提寺として日野城(中野城)内に創建された法雲庵が始まりであるといいます。蒲生家転封後、元和6年(1620年)、仁正寺藩が立藩。日野城三の丸跡に仁正寺陣屋がおかれたため、現在地に移転となりました。寛永11年(1634年)、伊予藩主・蒲生忠知の死をもって蒲生家は断絶。この寺も荒廃したといいます。延宝4年(1676年)、浄土宗の僧・還譽が復興して法雲寺とし、こ [続きを読む]
  • 信楽院〜蒲生家菩提寺
  • 日野にある信楽院です。 佛智山信楽院という浄土宗の寺。貞和5年(1349年)、信楽の古仏を小御門城主・蒲生高秀が貰い受け、小御門城の馬場に創建したのが始まり。文明応仁年間、音羽城を築いた蒲生貞秀はこの寺を城内に移し、蒲生家の菩提寺とします。寺名は貞秀の法名「信楽院殿大弐法眼知閑大徳」からとられました。貞秀は合戦に出るとき、冠子に入れた本尊を槍の先に引っ掛けて出陣したため引っ掛け本尊と呼ばれるそうです。音 [続きを読む]
  • 日野城(中野城)跡〜蒲生氏の居城
  • 日野にある日野城(中野城)です。 蒲生定秀・賢秀・氏郷の居城。近江国蒲生郡日野に本拠地を置いた蒲生氏は、鎌倉時代初期頃から領主を勤め、当初は小御門城に拠点を置きました。文明応仁頃、蒲生貞秀が音羽城を築城、居城とします。貞秀の次男・高郷は守護・六角定頼に仕え、長兄の秀行が没すると高郷は家督を望みますが、貞秀の意向で秀行の遺児・秀紀が当主となりました。高郷の娘が秀紀の正室となりしばらく平穏が続きますが、 [続きを読む]
  • 音羽城跡〜蒲生氏の居城
  • 日野にある音羽城跡です。 蒲生貞秀・秀行・秀紀の居城。蒲生氏は近江国蒲生郡日野に本拠地を置く土豪。鎌倉時代初期頃から領主を勤め、当初は小御門に居館を構えていました(小御門の名は南朝・守良親王が匿われたためといいます)。室町時代の文明応仁年間頃、足利将軍に仕えた蒲生貞秀が音羽城を築城。延徳2年(1490年)、室町幕府9代将軍・足利義材が六角氏を征討した延徳の乱では、貞秀は将軍に味方して所領安堵を受けます。 [続きを読む]
  • 篠原神社〜餅の宮
  • 野洲にある篠原神社です。 大笹原神社の境内にあります。本殿は室町時代の建造物で重要文化財。祭神は、石凝姥命。石凝姥命は石の鋳型で鏡を作る老女の神。鏡餅の発祥の地として餅の宮の別称があります。 篠原神社;滋賀県野洲市大篠原 [続きを読む]
  • 大笹原神社〜牛頭天王総社
  • 野洲にある大笹原神社です。 平安時代の寛和2年(986年)、越智諸実という人物が社領を寄進し創建したと伝えられます。近江源氏・佐々木氏がこの社を庇護し、現在の本殿は室町時代の応永21年(1421年)、近江源氏佐々木氏の支流で嫡流の六角氏に仕える岩倉城主・馬淵定信が寄進しました。幕末までは牛頭天王を祀り、牛頭天皇総社と称していました。明治時代、現在の社名になっています。 拝殿。 本殿。国宝。室町時代、応永21年の建 [続きを読む]
  • 生和神社〜藤原忠重を祀る社
  • 野洲にある生和神社です。 平安時代、一帯は富波之荘という藤原氏の荘園でした。当時、一帯は沼や池の多い地域で、富波之荘の領主・生和兵庫介藤原忠重が干拓を行います。この沼には人さらいの大蛇が住んでいて、忠重は大和から春日大社をこの地に勧請して大蛇退治を祈願。忠重は大蛇を退治したものの、蛇の毒が回り亡くなったという伝説があります。忠重に感謝した村人たちが、春日社の隣に藤原忠重を祀る社を創建したといいます [続きを読む]
  • 大行事神社〜円光寺の鎮守社
  • 野洲にある大行事神社です。 かつて円光坊が開かれたとき、日吉大社より日吉二十一社のうちの新行事社(現在の日吉大社摂社・新物忌神社)を勧請し、鎮守社として創建されたといいます。戦国時代、円光坊は長福寺と合併して円光寺となり、その鎮守社となりました。神仏分離令により円光寺より独立していますが、現在も円光寺境内にあります。 拝殿。 拝所。 本殿。重要文化財。祭神は、高皇産霊神。 大行事神社;滋賀県野洲市久 [続きを読む]
  • 円光寺〜石造九重塔
  • 野洲にある円光寺です。 歓喜山長福院円光寺という天台真盛宗の寺。もとは聖観音菩薩像を本尊とする長福寺と、阿弥陀如来像を本尊とする円光坊という別々の寺でした。戦国時代に戦火により堂宇が焼失。焼け残った長福寺本堂に、円光坊の仏像が移され、両方の寺が合併したといいます。びわ湖百八霊場105番札所。 本堂。重要文化財。鎌倉時代、康元2年(1257年)の建造物で、旧長福寺のもの。表本堂に本尊・聖観音菩薩像(旧長福寺本 [続きを読む]
  • 若宮神社〜御上神社摂社
  • 野洲にある若宮神社です。 御上神社の摂社。御上神社本殿の向かって左隣に鎮座します。 本殿。鎌倉時代の建造物で、重要文化財。祭神は、伊弉諾命と菅原道真公。天石戸別命、天御鉾命、野槌之命を合祀します。 若宮神社(御上神社摂社);滋賀県野洲市三上 [続きを読む]
  • 御上神社〜御上山を御神体とする社
  • 野洲にある御上神社です。 近江富士とも呼ばれる三上山を御神体とする社。一帯は古代、近江国野洲郡三上郷と呼ばれ、古代豪族の三上氏が祭祀を行っていました。養老2年(718年)、元明天皇の命により三上山麓の現在地に藤原不比等が社殿を造営したと言います。平安時代編纂の「延喜式」で明神大社。 楼門。重要文化財。室町時代の建造物。 拝殿。重要文化財。鎌倉時代後期の建造物で、本殿の古材が用いられているとのこと。 本殿 [続きを読む]
  • 龍王寺〜雪野寺
  • 竜王にある龍王寺です。 雪野山龍王寺という天台宗の寺。雪野山の西麓にあります。この地には、かつて白鳳時代に創建され、奈良時代に興隆したという雪野寺がありました。発掘調査により法起寺式伽藍が確認されており、多くの塑像が出土。この地に勢力を持った渡来系豪族・安吉勝氏との関係が推測されているそうです。現在の龍王寺は雪野寺の後身寺院とされています。龍王寺の名は境内の梵鐘が火災の際に水を吹いたり干ばつの際に [続きを読む]