正浩 さん プロフィール

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正浩さん: 7年半の介護生活「お母ちゃん、よう頑張ったなあ」
ハンドル名正浩 さん
ブログタイトル7年半の介護生活「お母ちゃん、よう頑張ったなあ」
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/okachandaisuki/
サイト紹介文母親の介護を7年半、介護事故により最愛の母親を突然亡くし、一人になった息子の気持ちを綴ります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供234回 / 196日(平均8.4回/週) - 参加 2017/08/06 01:14

正浩 さんのブログ記事

  • 孤独
  • 今日は出勤の土曜日だった。昨日飲んで帰って来たせいか、1日胸焼けが酷かった。そうのうえ2週に1回来る二人だけの職場は・・平日と違い会話が無く静かだ。2人出勤の為、僕が必要な事しか喋らないから、普段は賑やかな人が、僕には何も喋ってこない。相手は1日時間が長かったかも知れない。職場では、「長」の付く仕事をしているが上にも上司が居て、その上司は毎日楽しくコミニュケーションも取っている。逆に、僕は自分の仕 [続きを読む]
  • 「手握って、握ったら痛いなあ〜」
  • 今夜も、組合の職場集会が飲み会を兼ねてあり、母親の介護をしていた頃は、辞退していたが、久しぶりに参加した。男ばっかりの集まりだった為、本音の話しで遠慮が要らない。職場での問題点など話しあった。皆、それぞれ悩みは有る様だ。そして、遊びの話から最終的には家族や子どもの話になる。今日は、それ程気にする事もなく気持ちよく飲んでいたが、飲んで帰る途中、母親の事を思い浮かべた。母親の事が愛おしくて堪らない。ず [続きを読む]
  • 自分が老いたら誰の世話になるのか
  • 今日も仕事の帰りにアルコールを入れたくて何処に入ろうかと思いながら、焼肉屋に入った。カウンターの半個室に入り、又一人焼肉だ。少し贅沢をして高級な肉を頼み、生中は1杯だけ。それでも酔いが回ってきた。最後にお茶漬けを頼んで店を出た。すっかりいい気分だ。このままあの世に逝けたらどんなに極楽だろう・・。嫁さんも子どもも居ない僕は誰も迷惑をかけないだろう。自死さえしなければ・・50も半ばになって目標を失い、 [続きを読む]
  • 残酷な日常、イベントは要らない
  • 「世の中は幸せな人を中心に回っている」この言葉は、色んな方の「死別ブログ」からよく目にする。本当にその通りだ。大多数の人が、1年を通して何度も幸せを感じることが出来る。愛する家族が傍にいる事を実感できる幸せだ。クリスマス、年末年始、お花見、家族旅行・・普段の食事でもそうだ。鍋料理なんかは特に一人では普通しない。今日のイベント、「バレンタインデー」もそう。毎年職場の女性陣から義理チョコをもらう。7− [続きを読む]
  • 両親への思い、2人が生きていたら・・
  • 昨日の夜、再び母親の事を深く考えてとても苦しかった。僕にはこの苦しさから立ち直る事は一生無いと思った。それでも8ヶ月少し、家族がいなくなり独りでやり過ごしてきた。これから先、もっと母親の事を思い出して苦しくなるかも知れない。桜の咲く時期、母親の誕生日、母の日、1回忌・・これから数ヵ月後、毎月の様に訪れてくる。こんな思いを生きている限りする事になるのは自分の性分から確実に言える。一生、この苦しみと共 [続きを読む]
  • 再び苦しみの底に
  • 連休の最終日、再び僕は自分を追い込む様な事をしてしまった。今日は母親の8度目の月命日でもあった。ここ最近の休日と同様、今日も遅めの朝食を昼食と兼ねて済ませた後、大型スーパーの中にあるケーキ屋に寄って、母親によく買ってきていたモンブランのケ−キを買って仏壇に供えた。今日は何の予定も無かったので、風呂に入って身体を温めて、寝ようと思った。寝ている時が一番楽だから。布団に入り、仏壇や、その横にある母親の [続きを読む]
  • もう一度母親の介護をさせて欲しい・・
  • 昨日から月曜日まで3連休になっている。仕事の内容から、年末年始を除き僕には連休は必要ない。仕事の処理がある為、今日は休日出勤伺いを出して昼前から仕事をしていた。広い事務所に僕一人だ。休日は電話も鳴らないので、事務処理が捗る。母親が生きていたなら、3連休は有難かった。土曜日は、前夜に3錠のコーラックを母親に飲んでもらい週に1回の排便の介護をしていただろう。今日の日曜日、日中は少し寒さも和らいでいた。 [続きを読む]
  • 苦しい思いを忘れさせてくれたあの家族
  • 父親が亡くなったとき、そして母親が亡くなった時に家族全員でお通夜に来てくれた人がいた。父親が認知症になって自宅にいた頃、母親が一人になってしまった時、世話になった40代の夫婦と小学生の2人の息子さんだ。その夫婦が、自宅に晩御飯の招待してくれた。食事の誘いは17時からだったが、今日は、朝から色んな人と話す機会があった。一人目は、小中学の同級生だった昔の友人とだ。毎年、年賀状のやり取りをしていたが、昨 [続きを読む]
  • 苦しみながらも生きていこう
  • お母ちゃんは、あの世から今の息子の僕をどう思うだろうか・・日々、悲嘆に苦しみながらも淡々と生活している僕を。もうイイおっさんだ。人前ではクヨクヨもしていられない。それでもまだ、母親の事を思う時は辛い事ばかりが思い出される。最近は、現実を認める自分と認めたくない自分。ずっとこの繰り返しだ・・何とか1日をやり過ごそうと、なるべく考えない様にする事、それに対して何かの時に母親を思い出し、あの日の無念さが [続きを読む]
  • 生きがいを失った息子
  • 母親の居なくなった寂しいこの世の中・・54年間、いつも傍に居た母親を喪って間もなく8ヶ月。悲しいが、この孤独に慣れてきた自分がいる。どれだけ苦しんで愛おしい母親を思って泣いてももうこの世に戻る事は無い。このマンションの部屋で二度と話しをする事も出来ない。身体に触れることも出来ない。まだ1年も経っていのに3年も4年も経ったような気がする。数ヶ月の間に、僕はどれだけ母親を思い泣いただろうか・・どれだけ [続きを読む]
  • ずっと死にたいと思っていたけど
  • 世の中には、大きな病に罹り生きたくても亡くなっていく人、それに反して、身体は元気でも早く逝きたい人・・人生は上手い事、行かないものだ。早く逝きたい人は、自分自ら命を絶ってしまう・・。悩みに耐えられなくなり、一番最悪の事態を起こしてしまう。ずっと考えていたというよりも、恐らくは衝動的に起こしてしまった方が多いのではないかと思う。お付き合いは、あまり無かったが、会社の人間も有ったし近所の人でも有った。 [続きを読む]
  • 家族っていいなあ。
  • 仕事の帰り道、夕食と一杯を兼ねて焼肉の店に入った。平日なのにかなり混んでおり、断られるかと思ったが、1テーブル空いており、奥の方に案内された。50半ばになり、料よりも質になってきたので上カルビとハラミを頼んだ。後は生中ビールとサンチェと小ご飯だ。ここの店のハラミは特に美味しい。甥や姪にもおごってやりたいが、やっぱり肉が好きだった母親に食べさてやりたい。そんな事を思いながら、一人黙々と食べていたとこ [続きを読む]
  • 母親を傷つけてしまった後悔の数々
  • 母親の介護を7年半、特に転倒してからの1年3ヶ月、手引きで歩けなくなり、その内手すりを持って立つ事も出来なくなり、トイレでの排泄が困難になった時の僕は、介護施設への憎しみと、上手く出来なくなった母親に対して苛立ちを覚えることも少なくなかった。このブログで全ての後悔を残したい。何度かブログにも書きましたが、今まで出来ていた事が出来なくなり、「何で、お母ちゃんこんな事が出けへんのや!」と言って母親の頬 [続きを読む]
  • 消えない苦しみ
  • 四国のお寺参りに行ってから1週間が経った。今日の日曜日は、何の予定も無かった。昨日は仕事だった為、1日だけ休みの週だ。昨日の夜寝るのが遅かった為、今日も目は覚めているのに布団から出られなかった。又2週間前に逆戻りだ。今朝も、昼食を兼ねてレストランに行った。5年前に取得した業務で使う、更新試験があるのだがその場所にテキストを持って食事ができる迄に開いて見るが頭に入らない。ヤル気も集中力も欠けているの [続きを読む]
  • 「ただいま」「おかえり」が無くなってから
  • 世の中には一人暮らしの人も多い。僕も昨年6月のあの時から、一人暮らしになってしまった。それを心配して、その直後から僕に安否確認も含めてメールを毎日の様にしてくれる親戚がいた。父親方の従兄の奥さんだ。母親の事を慕ってくれてもいた人だ。その日々のメールの中で返ってきた言葉がある。「うちのダンナも弟さんも、単身赴任で一人で頑張っています。お兄さんも寂しいと思うけど、おばちゃんが見守ってくれているから元気 [続きを読む]
  • 弁護士からメールがきた
  • 仕事中に自分のスマホにメールがきた。相手は、母親が最初に自宅で転倒事故にあった時、それ以降、一切の責任を取らなかったW事業所について相談した時の弁護士からだった。実に母親の告別式を終えた日から7ヶ月以上となる久しぶりの連絡だった。下記の内容だった。お世話になります。ご無沙汰しております。お気持ちの方はいかがでしょうか。今後のことについてご希望がありましたら仰って下さい。何卒宜しくお願い致します。弁 [続きを読む]
  • 「うさぎと亀」母親の人生は亀の様にゆっくりしていた。
  • 何度かブログにも書きましたが、母親は昔の人間には珍しく一人っ子だった為、子どもの頃からおっとりしていた様だ。これは、母の若き日を知る人数人から聞いたことがある。グループの中で喧嘩している人がいてもいつも穏やかに他人の悪口など言わずにこにこしていたそうだ。僕も子どもの頃から母親に叱られた記憶が無い。ただ怒った事が無いというのでは無く余りにも世間知らずの母親に対してボロカスに言う父親に対しては怒って言 [続きを読む]
  • 親の思い出の遺品
  • 早いもので今日で1月も終わりだ。今月も色々有ったなあと思う。介護施設との話し合い、新しい事への行動・・それでも今月は体力的にも精神的にも母親を亡くした直後以来のしんどさだった。寒い時期だから救急車の音もよく聞く。実は母親が亡くなった病院が近くにある。マンションから出ると直ぐ目の前に見えるのだ。僕は、忘れようとも忘れられない環境に居る。これが毎日7ヶ月以上も続くのだから苦しいあの時の感覚が少し麻痺し [続きを読む]
  • お母ちゃん、息子は何とかもがきながらも生きています。
  • 今夜も仕事帰りに一人で飲み屋に寄った。それ程、飲みたいわけでは無かったが、一人でマンションに戻ってのコンビニ弁当が寂しかったのか母親が引っ張ってくれたのか・・。生ビール一杯で今日は酔いが回ってきた。自宅に戻り冷え切った部屋ではあるが、やっと帰って来たという思いだ。母親は居ないが、母親の遺骨が居る。少しのアルコールで、こういう風に思える。見たいテレビも無いがBSの旅番組をかけた。もう何ヶ月もテレビを [続きを読む]
  • 僕は決してあの日を忘れない
  • この先、誰が励ましてくれても仮に残りの人生で素晴らしいことがあっても僕は決してあの時の事を忘れない。良い事では無いかもしれないが、これから母親以上に情を感じる人はいないだろう。ショートステイ先の職員から母親の意識不明を聞かされ出張先の松山から特急列車に乗り込んだ時の僕は客席に座ることも出来ず、車両と車両の連結部分で頭を抱え込みうなだれていた。どうやって帰ってきたのかも覚えていない位で乗り継ぎを間違 [続きを読む]
  • お遍路まいりに行って来ました。
  • どうしようかと10日前まで考えていましたが、旅行会社の主催するバスツアー、「四国お遍路の旅第1回」に参加して来ました。考えていたのは、何をしても今の状態から僕は立ち直れないから何をしても一緒だと思っていたから。ただ、今年に入ってからの休日の過ごし方が僕自身、余りにもだらしないから参加しました。もちろん参加の一番の原因は、この2年に相次いで亡くした両親の供養の為ですが、母親を喪った苦悩が、あまりにも [続きを読む]
  • 僕が母親を7年半も在宅介護ができた訳
  • 母親の介護をしてきた7年半、本当に僕は幸せだった。シルバーカーを押す母親の横で一緒に散歩をした事、100日入院した時に、仕事があっても朝早くから母親を見に行き仕事が終ったら面会時間ギリギリまで居た事、退院後、車いすから車に乗って色んな所に母親と昼ご飯を食べに行った事、良い思い出は数え切れない。一緒に風呂に入って背中を流してあげた、頭も洗ってあげた。濡れた髪の毛をドライヤーで乾かしてあげた。ケーキやプ [続きを読む]
  • お母ちゃん夢でもいいから会いたいよ
  • 今日も同業他社との飲み会で帰りが遅くなった。付き合いだから仕方なく行っている。仕事も何とか毎日をこなしている。自分でも苦しい中でよくやっていると思う。本当は誰にも会いたくないし一人でいたい。飲み会の帰り道、そんな事を考えていたら涙が出てきた。「お母ちゃんに会いたい・・」と声に出していた。何でこんな事になってしまったのか・・。神はまるでルーレットで決めるかのように無作為に選んで死別の苦しさを特定の人 [続きを読む]
  • ひとりで飲むヤケ酒
  • この冬は例年より寒いのか?いや、もっと寒かった年は過去にもあった筈だ。しかしこれだけ寒さが身に沁みるのは初めてだ。身体だけでは無い、母親の居ない今の生活が余りにも応えるのだ。自分の心は冷え切っている。毎日、毎日来る日も変わらず毎日・・僕は孤独だ。寂しいと思うこの感覚を麻痺させたい、この思いと冷え切った身体を温める為、今日も自宅に帰る途中で酒を入れようと思った。今日は一人焼肉と生中ビール2杯だ。ひと [続きを読む]
  • 小さな子どもの様に純粋だった母親
  • 僕は過去ののブログでこんなタイトルを付けた。「可愛いお母ちゃん」http://blog.livedoor.jp/okachandaisuki/archives/3047724.html母親の四十九日を迎える前の当時の自分の心境でした。母親の印象を言葉で並べると「穏やか」「大人しい」「頑張り屋」「前向き」「我慢強い」短所を言うと「世間知らず」「口下手」「内向的」か・・(でも、こうして改めて母親の事を振り返ると短所は僕も一緒かも知れないと思うほど似ている)でも [続きを読む]