正浩 さん プロフィール

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正浩さん: 7年半の介護生活「お母ちゃん、よう頑張ったなあ」
ハンドル名正浩 さん
ブログタイトル7年半の介護生活「お母ちゃん、よう頑張ったなあ」
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/okachandaisuki/
サイト紹介文母親の介護を7年半、介護事故により最愛の母親を突然亡くし、一人になった息子の気持ちを綴ります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供116回 / 75日(平均10.8回/週) - 参加 2017/08/06 01:14

正浩 さんのブログ記事

  • 出張中の母親の世話を弟に断られ、初めてショートステイへ
  • 母親は元々、口数の少ない人でしたが転倒して依頼、以前の様な母親らしい笑顔が少なっていました。手引きで歩けなかくなったショックもあったかと思いますが、僕自身が施設へに対する怒りや母親が足腰の踏ん張りが無くなった事に対するショックが大きく、自らも笑っている時間が無かった事で母親からも笑顔が消えていってしまったのかと思います。7年半の介護生活の中で、楽しみながらやっていた時期は母親の転倒事故を境に、苦し [続きを読む]
  • 母親を叩いてしまったあの頃・・
  • 転倒事故以降、母親は介護度が要介護4になり手引き歩行ができなくなった。お風呂も入れてあげることが出来なくなった。そして何よりも大変だったのが、トイレ介助だった。手引き歩行が出来た時は、前後にコケないように脇を少し持ったりするだけで、それとなく方向転換も出来ていた。何秒かはフラフラしながらも立つことも出来ていた。それらが全て出来なくなった。車イスでトイレの入口まで連れて行き、ほぼ抱える様な感じで、便 [続きを読む]
  • 母親の転倒事故を起こしたヘルパーは交通事故も起こしていた
  • 平成28年3月15日、一人のヘルパーの無責任な行動により、母親は転倒した。そして10日後、施設は訪問ヘルパーの業務を4月末で辞めると一方的に言ってきた。何故、あの時にもっと責任追及をしなかったのか未だに悔いが残る・・・。あの転倒事故依頼、悪いシナリオが見事に始まった。それ迄来てもらっていたヘルパーは、8人から4人になった。その中に事故を起こしたヘルパーはいない。(自粛中だと思っていた)残りのヘルパ [続きを読む]
  • 久しぶりに母親の話しをしていると、どうしても泣けてくる。
  • 昨日の夜、従兄に誘われて仕事は元々休日出勤だった為、早めに切り上げて自宅に一旦帰ってから私服に着替えて従兄と駅前の店に飲みに言った。この従兄と行くのは、母親の初盆以降3回目だ。従兄は体調を崩してから飲まなくなりノンアルコールのビールだ。僕だけが酔っていい気分になり本音で次々と喋る。仕事の事、職場の人間関係がまずい事や、先日の失敗など・・そして両親の死について、従兄は父親の甥にあたる。母親は兄弟がい [続きを読む]
  • 介護事業所のとんでもない言い訳
  • 母親が昨年の3月15日に転倒して以来、手すりを持って一人で立ち上がることも出来なくなりトイレへの移動も手引き歩行から車イスでの移動になりました。もちろん息子が生きがいの様にやっていた母親を風呂に入れてあげることも出来なくなりました。2週間経った3月31日、やはり母親を整形外科で、骨折がないか診てもらいたいと思い、その週末にw事業所の責任者が訪問ヘルパー業務を急に辞める事になった原因を説明に来る約束 [続きを読む]
  • 人の身体をどう思っているんや
  • 最愛の母親を亡くし、毎日辛い気持ちの中で母親の事を忘れる日などない。事故直後は、施設へに気が狂いそうな精神状態をぶつける事でバランスを保っていたが、何ヶ月かかるかもしれないが相手からの動きを見ることにした。そして仕事がとんでもなく忙しくなり集中する事で親のいなくなった寂しさを紛らしていたが大きな失敗をしてしまい、一度に緊張の糸が切れた瞬間、数年ぶりの風邪を引いてしまった。本当にしんどい。毎日、時間 [続きを読む]
  • 身体の限界、心の限界
  • 母親が亡くなり、人生の中で感じたことの無い深い哀しみを経験した。その思いはずっと続いている。知人と食事したり、話しをする事で一時的に気が晴れることは有っても、もうこの世の何処を探しても母親がいない現実は変わる事ない。ただ、ひたすらに仕事を打ち込む事で少しでも気持ちを切り替えられるようにやってきました。半月休まず休日出勤も繰り返し、おまけに朝は6時30分夜は21時30分頃まで仕事してきたが、却ってそ [続きを読む]
  • 2度目の失敗
  • 又やってしまった。全ては自分が悪い。休日返上で仕事をしていたが、既に9月末にキャンセルになっていたものをそのままにしていた。10日以上前から最終確認を流していたが、1ヶ所だけが返事が無かった。3日後の仕事だった。受け入れ先には、事情を説明して今回はキャンデル料を免除していただいたが明日午前中に、お詫びに行こうと思う。自分が一番やってはならない事をしてしまった。数日前より事は重大だった。なぜこんな事 [続きを読む]
  • 久しぶりの休日、独り身の孤独と唯一の心の拠り所
  • 半月ぶりに丸1日休んだ。5月に配置転換になり、1ヶ月ちょっとの引継ぎで前任者が13年間やっていた手配の仕事を一人でこなしている。前任者も1ヶ月ちょっとでは無理だといっていた。それで9月に同業他社の人間がサブで来ることになっていたのに8月の半ばに断ってきた。代わりに派遣会社から12月初めまでという事で事務処理でやってきたが、話が違う。当初の予定と異なり、通常の時間内では到底こなせるはずが無い。世間で [続きを読む]
  • 母親の転倒事故、その10日後に信じられない事が・・
  • 母親の転倒理由が、訪問ヘルパーが歩行介助の時に完全に手を離した事によるものと翌日になって母親自身の発言によりわかり、原因を作った本人も含め施設の3人が謝罪に来ました。「あってはならない事です。」と窓口のヘルパーは頭を下げました。しかし当の本人は、その間も下を向いたままでした。、母親に「ごめんなさいね。」と、帰り際に一言だけでした。まるで母親のズボンにお茶をひっくり返して汚してしまった程度の侘びでし [続きを読む]
  • ヘルパーの無責任な行動で母親が転倒
  • 平成28年になり今年は良い年である事を願った。父親は大きな病気により亡くなってしまったが、母親とふたり穏やかな年になる事を願った。1月の末には父親の四十九日を盛大にした。一つの区切りになると思っていました。この当時にスマホで撮った母親と息子の姿は二人だけになってしまいましたが、仲良くやろうなという事がわかる動画でした。母「今日は(ヘルパーさんの)誰か来るの?」息子「今日は誰も来へんよ、寂しいか?」 [続きを読む]
  • お母ちゃんは正浩の女神さんや〜
  • 母親が介護の必要な身体になってから介護事故で亡くなるまでの7年半、父親が重い病気になるまでの5年4ヶ月は父親が、父親が母親の世話ができなくなってからの2年2ヶ月は2つの事業所のヘルパーさんが母親の身の回りの世話をしてくれていました。そして息子の僕は、平日夜、自宅に帰ってから朝仕事に行く迄の間、母親の風呂介助や睡眠時の寝返りの介助を、ずっと続けていました。仕事の休みの日は、朝から晩まで母親中心でした [続きを読む]
  • 仕事の手配ミス
  • ここ数日とんでもない仕事の量で、今の自分ではこなせていない。必死にやる事で親を喪った苦しみをその間、忘れる事は出来ていたが、あまりの量でオーバーワークになっている。自分が過労死するなら仕方が無いが余裕が無い事で、失敗して他人に迷惑をかけてはどうしようもない。今夜、自分の手配ミスである人に迷惑をかけてしまった。日程の間違いだ。その人はその日に合わせて仕事の調整をしてくれていたのだが、その日、ポッカリ [続きを読む]
  • 母親からの緊急電話
  • 父親がまだ元気で母親の事を介助していた時、もし母親に何か有れば、父親は動くことができる。しかし逆に父親に何か有った時は、母親は一人で動く事が出来ない。そんな時の為に、僕は母親の座る場所には、ソファーの横にも親電話を、ダイニングテーブルには子機を置いていた。万一の時に、直ぐに簡単に電話がかけられる様にワンタッチダイヤルに僕の携帯番号を登録していた。電話のかけ方の予行演習も何回かした事もある。母親の側 [続きを読む]
  • 母親と息子、親子二人だけの生活
  • 父親が亡くなったのは平成27年12月18日。年賀状を少しづつ書き初めていた頃だったが、それを喪中はがきに変えた。亡くなってからの手続きは単身赴任先から帰っていた弟と分担して行った。貯金や預金は全て母親の口座に振り替えた。父親が亡くなってしまった事について、9割はあの時にああすれば良かったの思いもあったが、好きな事をして仲間も多かった父親は、良い人生だったと思う。認知症でありながら、まともな事も言っ [続きを読む]
  • 父親の死を母親に報告、その時母親は
  • 平成27年の年始は、日本列島が台風の上陸で大荒れの天気となった。仕事柄、台風が接近する時は仕事に行かないといけない職業の為、この年は元日から仕事を出る事になった。毎年元日は弟家族が、親の家に新年の挨拶に来ていたが、僕はこの年、両親とも甥や姪ともゆっくり正月を楽しめなかった。「1年の計は元日にあり」と言われる様に、今年は何か知らないが、忙しい年になるのかと思っていたら父親が4月に大きな病が発覚、そし [続きを読む]
  • 父親との最後
  • 僕は結婚もしなかったけど50過ぎまで両親と一緒に暮らせて幸せだったと心から思う。それでも2人共が元気な頃は、それが当たり前だと思っていた。特に父親に対しては、人付き合いもよく体裁を気にする面があった分、母親の事を上から見ているところもあったのでおとなしい母親の味方をする事が多かった。母親の平日日中の世話は、父親が頑張ってしていた。父親は、もし自分が先に母親より死んだら息子は、母親の為に会社をやめる [続きを読む]
  • どれだけ耐えればいいんだろう・・
  • シーズンを迎えて仕事が忙しい。配置転換になってから初めての忙しい時期を迎えるのに加えシステムが9月末に替わって使い慣れない。僕一人だけが慣れない仕事の為片付かない。結局、土・日の連休を2日共出勤する事になった。今日は事務所が完全な休みの為、たった一人でのデスクワークだ元々集中して早く片付けたい方なのに全く出来ない。先週も祝日の土曜日出勤したから50半ばになってオーバーワークになっている。母親の介護 [続きを読む]
  • 認知症の父親が息子に言った有難い言葉
  • 平成27年7月に自宅では父親を見ることが出来ずに老健施設に入ってもらってから2ヶ月経った9月のある日、H苑に父親の外出願いを出して、父親を囲んで食事会をしようと思った。6月に両親と3人で行った和食処だ。父親がええとこやなあ〜と言っていた場所だ。父親の面会に毎週来てくれていた従姉の姉さん二人と子供、孫そして姉さんの母親で、父親の10歳違いになる90歳になる姉だ。この叔母さんとは、兄弟の中でも父親が一番仲 [続きを読む]
  • 父親と母親を別々にさせてしまった半年間
  • 僕は父親と母親と、親子3人が共倒れにならない道を選んだ。父親は、大きな病院で手術する事もできないまま、老健施設に入った。平成27年7月18日の事だった。病院から自宅に帰ることもなく、そのまま施設のH苑に入所した。3階の認知症の方ばかりが集まる場所だった。初日に施設長に会った。いきなりそいつに言われたのが「予後は?」父親のカルテを見て、元医師の施設長は、父親が横に居る前で息子の僕に聞いてきた。「そん [続きを読む]
  • 父親が再入院、そして老健施設へ
  • 父親が最初の入院から、認知症の進行防止の為に一旦自宅のマンションに帰って来た時に、僕は初めて「介護ノート」を作成しました。それまでにも母親の訪問リハビリの方や、4月から来てもらっていた訪問ヘルパーの方の報告記録書は別にありましたが、認知症で癌と糖尿病もあった父親が、帰ってきた事でリハビリやヘルパーにも、父親の事を伝えていました。そしてこちらからの1日のお願い事項として、母親の事と間も無くお世話にな [続きを読む]
  • 父親が急にいなくなった日
  • 平成27年6月の週末、土・日と会社の連休の日でした。僕は土曜日の夕方、父親も誘って母親と3人で外食しようと思いました。父親が入院していた前の月にオープンした駅前の和食処の個室を予約して車で3人で行きました。夕方5時頃に着いて、車から降りて母親を車イスに乗せると父親が母親の車椅子を押してくれ店内に入りました。母親はいつもと変わらず穏やかで淡々としていましたが、父親も大きな病気があるとは思えず、とても [続きを読む]
  • 父親が認知症である事を近所の人に話した時の反応
  • 癌と認知症を同時に告知され、ひどい糖尿病があった父親でしたが、母親と3人でいる時は今までと変わりませんでした。退院した時に父親を車での帰り道、散髪屋に連れて行きました。散髪が終わるとさっぱりした顔で、店の人に「ありがとう」と言いました。3週間ぶり位にマンションに戻ったら、よく話をしていたマンションの女性管理人のNさんから「お父さんお帰りなさい」と言ってもらっていた。嬉しそうだった。社交的で気配りの [続きを読む]
  • 父親を取るか母親を取るか・・
  • 父親をやっと大きな病院へ転院させる事ができた。これで前立腺癌や認知症の事も安心して調べてもらえると思っていた。転院する日、単身赴任先から又帰ってきていた弟と弟の嫁が父親を連れて行ってくれていた。さすが県立の大きな病院だ。個室も綺麗だ。前のM病院と違って個室だから当たり前にトイレもあるし、ホテルの部屋の様だ。しかし父親は1日目の晩から、部屋を出ようとしてしまい昼間付き添っていた弟夫婦が看護師から呼び [続きを読む]
  • 父親の糖尿病、癌の進行そして認知症による言動
  • まさかの思いだった・・。自分の事はもちろんの事、親戚やご近所の他人様の世話も出来る人付き合いの良い社交的で、何でもこなせた父親がアルツハイマー型の認知症になるとは思っていなかった。むしろ要介護3迄になり、外部との接点がなくなっていた母親に対して、そちらの方は心配していたが・・糖尿病で血糖値が高くなっていても「好きな物を食べるのを辛抱してまで長生きしたくない」と言うような父親で、甘いものを好んで食べ [続きを読む]