S.K. さん プロフィール

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S.K.さん: 天津大連散歩帳
ハンドル名S.K. さん
ブログタイトル天津大連散歩帳
ブログURLhttp://tianjin-dalian.blog.jp
サイト紹介文ディープ天津、ディープ大連、ディープチャイナ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供6回 / 189日(平均0.2回/週) - 参加 2017/08/07 22:58

S.K. さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 伊集院彦吉と天津日本人学校
  • 19世紀後半、天津には諸外国の租界が相次いで設けられました。日本も1898年に租界を天津に設けます。義和団事件鎮圧以降、租界に住む日本人の数は徐々に増え、彼ら日本人は子供の教育問題に直面します。1900年頃、日本国内での児童の就学率は9割を超えていたにも関わらず、天津には児童を教育する学校がありませんでした。1902年、在天津の日本のキリスト教団体が私塾の形式で学校を設けます。しかし、この学校はボランティアで成 [続きを読む]
  • 田村俊次と東亜医院
  • 天津の租界内に初めて病院が設立されたのは一九〇二年。ちょうど租界に移り住む日本人が増えてきた頃です。この病院は共立病院という総合病院で、当時の最先端技術であるX線機器を備えていたほか、娯楽室や新聞・雑誌を患者に提供するなど、サービスの充実した病院でした。この病院を皮切りに、相次いで天津に日本人の病院が開業します。これらの多くは退役した軍医が個人で開業したもので、小規模なものでした。いわゆる「町医者 [続きを読む]
  • 堀内干城と麻薬取締
  • 日本で天津と言えば「天津甘栗」が有名ですが、天津は栗の産地ではありません。これは河北省一帯の栗が天津に集められ、天津から輸出されていたために「天津甘栗」と名付けられたにすぎません。このように十九世紀末から二〇世紀初期の天津は、北方最大の商業・貿易都市として中国各地から様々なモノが集められ、諸外国に輸出されていました。その中にはアヘン・麻薬などの薬物も含まれています。一九二〇年代初頭における天津の風 [続きを読む]
  • 天津日本人学校と伊集院彦吉
  • アロー戦争(1858年)で敗れた清は、諸外国と天津条約を結びます。この条約によって天津は開港し、急速な発展を遂げます。そのため、諸外国が相次いで天津に租界を設け、日本も1898年に租界を天津に設けます。義和団事件鎮圧以降、租界に住む日本人の数は徐々に増え、彼ら日本人は自分の子供の教育問題に直面します。1900年頃、日本国内での児童の就学率は9割を超えていたにも関わらず、天津には児童を教育する学校がありませんで [続きを読む]
  • 天津に都落ちしてきた溥儀
  • 和平区鞍山道にひっそりと佇む「静園」。ここがラストエンペラーこと愛新覚羅溥儀(1906〜1967)の故居であったことはご存知の方も多いかと思います。しかし、そもそも溥儀はどうして天津にやって来たのでしょうか?実はこれには日本人が大きく関与しています。 清朝最後の皇帝である溥儀は辛亥革命(1911〜1912)によって皇帝から退位します。皇帝退位後も皇室に対する優待条件によって、それまで通り紫禁城内に暮らしていました [続きを読む]
  • 天津日本租界の成り立ち
  • 〜日本租界の成り立ち〜 19世紀中ごろ、清朝は第二次アヘン戦争(アロー戦争)で英・仏連合軍に敗れ、天津条約を締結。この条約によって天津が開港される。江戸幕府が黒船に驚いて横浜や神戸を開港させたようなものだ。天津は開港後、諸外国との貿易で急速な発展を遂げる。西洋列強は天津に目をつけ、19世紀後半から次々と天津に租界を設置するようになる。天津に拠点を置いて、自国との貿易を強化するためである。租界を設置した [続きを読む]
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