遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨う さん プロフィール

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遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨うさん: 遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨う
ハンドル名遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨う さん
ブログタイトル遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨う
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/ekimae05
サイト紹介文タイトルはかなり気取ってますが要は現代詩及短詩系文学(短歌俳句)の愛好の皆さんと楽しみいのです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供275回 / 100日(平均19.3回/週) - 参加 2017/09/10 20:28

遙かなる透明という幻影の言語を尋ね彷徨う さんのブログ記事

  • 伊東静雄ノート5
  •   八月の石にすがりて  さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。  わが運命を知りしのち、  たれかよきこの烈しき  夏の陽光のなかに生きむ。  運命? さなり、  あゝわれら自ら孤寂なる発光体なり!  白き外部世界なり。  見よや、太陽はかしこに  わずかにおのれがためにこそ  深く、美しき木陰をつくれ。  われも亦、  雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて  青みし狼の目を、  しばし夢みむ。 [続きを読む]
  • 伊東静雄ノート4
  • いかなれば今歳の盛夏のかがらきもうちにありて、  なほきみが魂にこぞの夏の日のひかりのみあざやかなる。 夏をうたはんとては殊更に晩夏の朝かげとゆふべの木末をえらぶかの蜩の哀音を、 いかなればかくもきみが歌はひびかする。 いかなれば葉広き夏の蔓草のはなを愛して會てそをきみの蒔かざる。 會て飾らざる水中花と養はざる金魚をきみの愛するはいかに。     (「いかなれば」全行) 「いかなれば」とい [続きを読む]
  • 昭和歌謡曲の軌跡
  • 昭和35年に、橋幸夫が「潮来笠」でデビュー。38年舟木一夫が「高校三年生」で、39年西郷輝彦が「君だけを」でそれぞれデビューを果たし、いわゆる?御三家時代?を形成したことは興味深い。ロカビリー歌手が歌謡曲の世界でヒットをとばし、松島アキラ、平野こうじ、井上ひろし、佐川ミツオ、北原謙二、坂本九、吉永小百合と言ったアイドル性を具現した人々がもてはやされたが、?御三家?とよばれる三人はその集大成として登場した [続きを読む]
  • 昭和歌謡曲の軌跡
  • 女流関東節の第一人者で早くから歌謡浪曲に意欲を燃やしていた二葉百合子がキングの専属となって独自の境地をひらき、やがて「岸壁の母」をリバイバル・ヒットさせ、浪曲ファン以外にもその存在を知られることになる。九州熊本在住の文芸浪曲家華井新に師事し華井新十郎として人気を持っていた真山一郎は、昭和32年上京して豊田一男について歌謡曲を学び、、35年キング専属となり「刃傷松の廊下」で脚光をあびる。初代天光軒満月の [続きを読む]
  • 昭和歌謡曲の軌跡
  • 米軍基地立川飛行場拡張に伴う砂川町の第二次測量がはじまった。農民たちの強固な抵抗に、これを支援する労組員・学生と測量隊・警察隊が対峙駕したが、その小康状態の時に、突如、学生側から「赤とんぼ」の合掌が起こり、その歌声は砂川の夕焼けにながれていったという、すごく感動的なシーンであり、歌というものの持つ機能を鮮やかに伝えるエピソードがある。しかし、激しい反対運動の中で35年5月19日、岸内閣は眞安保条約と地 [続きを読む]
  • 昭和歌謡曲の軌跡
  • 天津羽衣は昭和24年に「山びこ学校」で歌謡浪曲を試みている。また三代目天中軒雲月は26年に永田とよこの本名で「涙の娘浪曲師」で歌手としてデビューしている。こうした中で32年、テイチクから「メノコ船頭さん」で三波春夫がデビュー、つづいての「チャンチキおけさ」「船方さんよ」がヒットして、一躍脚光を浴びる。 この年12月には浅草国際劇場デワンマンショー、34年には日劇、大劇でワンマンショー、翌35年3月、大阪新歌舞 [続きを読む]
  • 昭和歌謡曲の軌跡
  • ■浪曲調歌謡の復権昭和32年12月10日、伊豆天城山中で、学習院大学生であった愛親覚羅慧生と同級生大久保武道のピストルによる心中死体が発見された。もと満州皇帝薄儀の弟を父とした慧生であったため、大久保との結婚をゆるされなかったことが原因であった。二人の間に交わされた書簡集『われ御身を愛す』覇ベストセラーになったが、片方、講和後の消費革命の中で、戦争体験をもつ人々は忘れていた過去を苦く思い出した。たとえば [続きを読む]
  • 昭和歌謡曲の軌跡
  • 日活は昭和32年の57本の作品を制作。33年には85本となり、同業6社中第三位の成績をあげ、毎月一本は必ず裕次郎映画を配信すると言う条件で専門館政策を推進し、32年度末の160館から、33年度末には399館と伸長する。「勝利者」などの演技で32年度ブルーリボン新人賞を授賞した裕次郎は、33年も「陽のあたる坂道」の4億円を筆頭に、連続して2億円以上のは配収をあげるという前人未踏の記録をうちたてた。歌手としても、主演映画のほ [続きを読む]
  • 昭和歌謡曲の軌跡65
  • 日活は昭和32年の57本の作品を制作。33年には85本となり、同業6社中第三位の成績をあげ、毎月一本は必ず裕次郎映画を配信すると言う条件で専門館政策を推進し、32年度末の160館から、33年度末には399館と伸長する。「勝利者」などの演技で32年度ブルーリボン新人賞を授賞した裕次郎は、33年も「陽のあたる坂道」の4億円を筆頭に、連続して2億円以上のは配収をあげるという前人未踏の記録をうちたてた。歌手としても、主演映画のほ [続きを読む]
  • 伊東静雄ノートⅡ−3
  • 原田は次のように述べる。  「だが、なぜ、それを詩のなかでやらなかったのだろう。藤村だけではない。日本の詩人は,伊東のやってくまで、『冷たい場所で』うたうことこそ、詩の任務で あることに思い及ばなかった。朔太郎はそれを識っていた稀な一人で、さればこそ伊東を発見し,高く評価しえたのだ。」原田のよ  うに「冷たい場所」を詩の任務としてつまり詩人の身の置き所としてとらえているようだが、先述の富士正晴の文 [続きを読む]
  • 昭和歌謡曲の軌跡
  • 石原慎太郎の『太陽の季節』は文学的のみならず倫理的規範に基づく論議が巻き起こり、ジャーナリズムは「太陽族」世代の出現と騒ぎ立て、慎太郎はそのヘアースタイルまで真似される映画スターなみの人気を得た。それは文学も大衆社会の渦に巻き込まれざるを得ない状況を示していた。岩崎昶は『映画史』の中で「それは文学ではなく、ひとつの世代の爆発であった。それはそれ自身としてではなく、それが代表しまた誘発したもののゆえ [続きを読む]
  • 昭和歌謡曲の軌跡
  • 昭和20年11月22日、宇津秀男構成、灰田勝彦、笠置シヅ子、橘薫らによるグランドシュー「はいらいと」で戦後の幕を落としてから、笠置シヅ子、石井亀次郎、林伊佐雄、服部富子、暁テル子らの「ジャズ・カルメン」松島歌子、内田栄一、石井亀次郎らの「ポッカチォ」などをいち早く上演。ショーのゲストとっして灰田勝彦、笠置シヅ子、暁テル子、淡谷のり子、越路吹雪、高英男、などが活躍した。また、江利チエミ、三橋三智也、橋幸夫 [続きを読む]
  • 伊東静雄ノートⅡ−2
  •   「伊東君の抒情詩には、もはや青春の悦びは何処にもない。たしかにそこには藤村氏を思わせるやうな若さとリリシズムが流れて居る。だがその『若さ』は春の野に萌へる草のうららかな若さではなく地下に堅く踏みつけられ、ねじ曲げられ、岩石の間に芽を吹かうとして、痛手に傷つき歪められた若さである。……これは残忍な恋愛詩である。なぜなら彼は、その恋のイメージと郷愁とを氷の彫刻する岩石の中に氷結させ、いつも冷たい孤 [続きを読む]