コテント さん プロフィール

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コテントさん: コテンto名著
ハンドル名コテント さん
ブログタイトルコテンto名著
ブログURLhttp://kotento.com/
サイト紹介文古典と名著のかんたん解説。 ねながら学べる哲学入門。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供45回 / 124日(平均2.5回/週) - 参加 2017/09/18 23:26

コテント さんのブログ記事

  • マズローの人間性心理学(1)欲求段階説
  • 欲求段階説人間の欲求は五段階のヒエラルキー状に構成され、低次階層の欲求が満たされると高次の階層の欲求に昇っていくというものです。第一階層「生理的欲求」生物学的な生命維持のために必要なものへの欲求の段階です。呼吸や飲食や体温調整、睡眠欲や性欲等の本能的欲求です。↓第二階層「安全の欲求」人間は不安定な状態に置かれると非常なストレスを感じます。身体の安全、資財の安定、精神的安心、等を求める段階です。↓ [続きを読む]
  • マルクス・アウレリウスの『自省録』2
  • 1のつづき 今この時を生きる前項においての主題であった想像の産物を排するということは、時間においては未来と過去を排し現在にのみ生きるということに直結します。私たちは現在において与えられたものの明晰な経験の中で生きることを選ぶべきであり、想像の産物である未来の憂いや過去の悔いなどは無意味な苦悩の幻想でしかありません。無限に広がる時間の中では、数百年間名を残す行為も数日間しか人の心に残らぬ行為も、なん [続きを読む]
  • マルクス・アウレリウスの『自省録』1
  • 自省録の概要マルクス・アウレリウスの哲学をいくつかの要素にまとめるとすれば、「世界をありのままに見、自然の摂理を受け入れ、自己の理性に従い、今この時を生きる」ということになるでしょうか。徹底していることは、「現」に今ここにあるものへの信頼です。それは実存哲学の系譜の始まりともいえるストア哲学の根幹にあるものです。「現」に徹し何者の奴隷ともならない主体の哲学は、状況に支配される奴隷または環境因の産 [続きを読む]
  • ニーチェのアポロ的とディオニソス的
  • アポロ的とディオニソス的ニーチェ哲学の基礎を形作った出来事として、若い頃のショーペンハウアー哲学への耽溺とその反動というものがあります。先ずはショーペンハウアーの項を読んでいただきたいのですが、それは世界の根源には混沌とした欲望する意志の塊のようなものが存在し、人間はそれを理性によって分別(形を与え)し合理的に統制することによって、秩序だった世界を認識しているという世界観です。ニーチェはそれを神 [続きを読む]
  • デカルトの『方法序説』
  • 方法的懐疑学問において基本的な前提が間違っていれば、いくら厳密な探究を積んだところで後にそれが大きな誤りとして噴出し倒壊します。そこで自然科学における確固とした基本的な前提を発見し、どんなに高く積んでも崩れない建物の土台を打ち建てることが、デカルトの目的となります。そのために先ずあらゆる既存の常識、学識に対し徹底的な懐疑をかけ、少しでも確実でないものはすべて打ち捨てていきます(方法的懐疑)。例え [続きを読む]
  • ミニマリズムとは何か
  • ミニマリズムの公式ミニマリズムの本質としてよく挙げられる「Less is more.(より少ないことは、より豊かなことだ)」という建築家の言葉があります。この言葉で重要なことは、少ないことが多くあることよりも、より豊かであるということです。分かりやすく公式化してみます。A、少ない・・・量的に貧しい(シンプル)。↓B、多い・・・量的に豊か。↓C、少ない・・・質的に豊か(ミニマル)。A〜Cの順で豊かになっていく訳 [続きを読む]
  • ロジャーズの自己実現 2
  • 1のつづき 自己実現への道カウンセリングを通して、あるがままの自己、いわば主体を取り戻し真の自己を実現していく過程を記述していきます。 1、潜在的な自己を体験する自己の解釈構造に合致しない経験を否認したり、歪曲したりすることなく、体験を自覚することが出来るようになります。例、「私は妹を裏切ったアイツのことを大嫌いだと思っていたが、時々苦しいくらい好意的な感情を抱くことがあることに気付いた」。自分の [続きを読む]
  • ロジャーズの自己実現 1
  • あるがままの私カール・ロジャーズは様々な心の問題をひき起こす根本的な原因として、自己と他者(他人と言うr意味ではなく自己でないもの全般)の間のバランスが崩れ、本来の主体である「あるがままの自己」がそれに呑まれ見失われてしまうことにあると考えます。他者の目や意見や価値観に心を奪われ自分を見失った人、逆に自分の誇大妄想化したエゴの殻に閉じこもり他者を見失った人。客観的な現実のみに心を奪われ自分を見失 [続きを読む]
  • 鈴木大拙の禅 2
  • 1のつづき 即非の論理悟りの境地へいたるための道はいくつもありますが、特に禅の根幹となる論理として「即非の論理」というものを挙げます。「AはAだというのは、AはAでない、故に、AはAである」公式化すると、「AすなわちA、Aすなわち非A、故にAすなわちA」。具体的にいうと、「竹は竹である、竹は竹にあらず、ゆえに竹は竹である」。言葉だけを捉えれば、矛盾だらけで何を言っているのか分かりません。そこで先ほ [続きを読む]
  • 鈴木大拙の禅①
  • 二に分かれる前の一を見る鈴木大拙のよき生徒であった現代音楽の巨匠ジョン・ケージは、巧みなイメージによってこの世界観を説明します。私たちがぼんやり無数の星が瞬く夜空を見上げるとき、それはひとつの全体としての星々を見ています。それを、二に分かれる前の一、分割以前の世界ということで「無分別界」とイメージしてください。その星空全体から、星座という一定の形あるものを分割し切り出した世界が、二に分かれた世界 [続きを読む]
  • パースのプラグマティズム
  • 行為としての思考生物は基本的に混沌を嫌います。生物の多くの当為は、混沌とした環境世界を秩序立て、安全な生活世界を作り出すことだからです。動物実験や戦時の監獄における実証研究のように、物事が決定されない不安定な状態に生物は非常に強いストレスを感じます。私たちの日常経験で例えるなら、合否や将来の進路が決定しない不安な受験生、病院の診断の結果を待つ患者、海外の見知らぬ土地で迷った時の強い焦り、等々。そ [続きを読む]
  • エイゼンシュテインのモンタージュ論
  • 組み合わせとしてのモンタージュモンタージュというと、一般的には顔写真をパーツごとに切り貼りした犯人の顔というイメージでしょうか。基本的にはそれと同じで、様々な映像や画像を切って貼って合成したものです。この合成によって生まれる力を映画において利用しようとするのが、エイゼンシュテインのモンタージュ論です。切り取ったあるものAにあるものBを合わせるのと、あるものAにあるものCを合わせるのとでは、Aの意 [続きを読む]
  • ジェームズの『プラグマティズム』
  • 変化と運動としての真理一般的に真理というものは、絶対普遍の確固とした安定的なものと理解されています。しかし、実際は現実的にそうなっているでしょうか。例えば、私たちは学校で教科書を正しいこと(真理)として教えられます。学校においてはまさに教科書がバイブルです。けれど、今を生きる私たちが百年前の教科書を読むと、間違ったことばかりが書いてあって笑ってしまいます。「人間と恐竜が一緒に生きていた?まるで原 [続きを読む]
  • 相対主義とは何か
  • 私たちは一般に、世界はひとつであり、人間はみなその中に生きていると思っています。ひとつの頂点があって、下に向かって系統樹のように枝分かれしていく秩序のピラミッドの中に住むイメージでしょうか。物理的に言えば、世界は皆が共有するひとつの同じ時間と空間があって人々はその中で生きているという、ニュートン的世界観です。真実はひとつであるという確信のなかで生きる世界です。しかし、相対主義はそれらを全て反転し [続きを読む]
  • メディアリテラシーとは何か
  • わたしたちの経験の大半は、メディア(音声、文字、映像など)を通して得たものです。人との会話からテレビのドキュメント番組まで。リアルタイムで実体験できることには、今、ここ、一日24時間、等の限界があるため、それ以上の経験を望むならばメディアを通すしかありません。しかし、メディアを通して得る体験は、つねにメディアの発信者によって編集されています。親とのケンカ話を友人に聴かされるとき、親子双方のすべての [続きを読む]
  • プラグマティズムとは何か
  • かなり単純化して言うと、理念的なものより実利的、実践的なものを重視する考え方です。 例えば、来客があった時、客人が1、「お茶をいただきたいのですが」2、「いえ、お構いなく。お茶などけっこうですので」3、「お茶だせ!」のいずれかを言ったとします。理念的には1と3が「お茶が必要」という同じ意味の言葉で、2はそれらとは逆の意味で「お茶が不要」となります。しかし、実際には、1と2ではお茶が出てきますが、3 [続きを読む]
  • エリクソンのアイデンティティとライフサイクル②
  • ①のつづき 4、「学童期・勤勉性の発達」システマティックに道具を扱う世界に順応する時期です。遊びとしての道具である玩具から、何らかの社会的目的のために機能的に道具を扱うことを学ぶ、社会化へ向けての訓練をします。生産的なものの達成が目的となり、無目的な気まぐれである遊びに取って代わります。遊びにおける刹那的な快楽が、忍耐強く勤勉に目的を達する充実感や有能感、計画的で持続的な喜びとなります。手足をばた [続きを読む]