リングビスケット さん プロフィール

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リングビスケットさん: ヘブライ語 ve フォークダンス
ハンドル名リングビスケット さん
ブログタイトルヘブライ語 ve フォークダンス
ブログURLhttp://folkhebr.seesaa.net/
サイト紹介文イスラエルのフォークダンスの歌詞をテキストにしてヘブライ語を独学中です。
自由文「マイム・マイム」他、イスラエルのフォークダンスの歌詞を訳します。イスラエルのフォークダンス曲は、素朴な音楽が独特の魅力、歌詞も味わいがあります。語学が主目的ですが、踊り方もあわせて紹介したいです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供103回 / 322日(平均2.2回/週) - 参加 2017/10/19 17:54

リングビスケット さんのブログ記事

  • レコンキスタとユダヤ人
  • レコンキスタとユダヤ人レコンキスタとは『718年から1492年までに行われた、複数のキリスト教国家によるイベリア半島の再征服活動の総称』です。1492年にイベリア半島からイスラム王朝を完全に追い出したので、それで完遂となります。イベリア半島は、711年にイスラム帝国に征服されてからは、キリスト教徒は最初は北部の山地でアストゥリアス王国を創るだけでしたが、その頃からレコンキスタを続け、徐々に徐々にと南部へ領土を広 [続きを読む]
  • 14世紀〜15世紀のユダヤ人
  • 14世紀〜15世紀のユダヤ人十字軍が一段落しても、ユダヤ人にはまだまだ困難が続きます。フランスでは、「アヴィニョン捕囚」のフィリップ4世による1309年のユダヤ人追放の後、その9年後の1315年には息子のルイ10世がにユダヤ人を呼び戻しました。ユダヤ人の貸金業者の方が良かったという世論があり、また王としてはユダヤ人の財産を再び奪いたい、という希望があったようです。その時も、ユダヤ人であることを明示する丸い [続きを読む]
  • グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その8
  • グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その8グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その7はこちら。1971年には、イスラエル国内の少数民族の民族文化を研究・保存する機関も設立され、カドマンさんも協力しました。イスラエル国内の少数民族には、アラブ系のドゥルーズ人やコーカサス系のチェルケス人などの非ユダヤ人がいます。その他にも様々な地域からのユダヤ系移民がいました。例えば、イェメン系、ベル [続きを読む]
  • 十字軍とユダヤ人
  • 十字軍とユダヤ人十字軍とは、『11世紀から13世紀、エルサレムをイスラム教徒の手から奪還,防衛することを名目としたの西ヨーロッパのキリスト教徒による東方遠征』です。1095年のローマ教皇ウルバヌス2世による呼びかけから始まります。十字軍とはまた、それ以前からイベリア半島で起きていた「レコンキスタ」を含むことがあります。またスラブ人やバルト人などのまだキリスト教化していない異教徒への征服活動、及び、キリ [続きを読む]
  • 欧州のユダヤ人
  • 欧州のユダヤ人イタリアのローマには前139年にユダヤ人が存在し、フランスのリヨンでは39年、早期のユダヤ人の記録があるそうです。https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_Jews_in_France#Roman-Gallic_epochローマ帝国の属州であったパレスチナにあったユダヤ王国ヘロデ朝、その後継ぎであるヘロデ・アンティパスは、ローマ皇帝に嫌われて39年に追放されましたが、追放先はリヨンであった、とのことです。なので上記、39 [続きを読む]
  • イスラム帝国でのユダヤ人
  • イスラム帝国でのユダヤ人7世紀、アラビア半島で622年にムハンマドがイスラム教を創始すると、イスラム帝国は急激にその領土を広げました。イスラム帝国は642年にササン朝ペルシアを破り、旧ペルシア領だったパレスチナ・シリア・エジプト地域もイスラム帝国の領土になりました。661年からのウマイヤ朝時代の最大領土は、アラビア半島から西はパレスチナ〜北アフリカ〜イベリア半島、アラビア半島から東はメソポタミア〜イラン高 [続きを読む]
  • グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その7
  • グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その7グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その6はこちら。1963年、65才となったカドマンさんは極東への普及の旅に出かけます。最初は「日本フォークダンス連盟」に招待され、約一か月間、日本各地へ赴いて、3千人の日本人にイスラエルのフォークダンスを教えました。その中には「天皇の弟」つまり「故三笠宮殿下」もいらした、と書かれています。日本フォークダンス [続きを読む]
  • 東ローマ帝国でのユダヤ人
  • ユダヤ人がローマ帝国内で行った「ユダヤ戦争」と「バル・コクバの乱」の結果、ユダヤ人はエルサレムから追い出され、ディアスポラ(離散)しました。ローマ帝国は、ユダヤ属州をパレスチナと命名しました。東ローマ帝国でのユダヤ人ローマ帝国は392年にキリスト教を国教とし、395年に東西に分裂しました。東ローマ帝国は、コンスタンティヌス大帝が建設した旧称ビザンティオンを、新都コンスタンティノープルとしたので、ビザンツ [続きを読む]
  • グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その6
  • グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その6グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その5はこちら。カドマンさんは50年代も精力的に活動しました。1952年には、論文『Yemenite Dances and Their Influence on the New Israeli Folk Dances』も書いています。第四回「ダリア・フォークダンス・フェスティヴァル」は1958年で、建国10周年と重ねて盛大に行われたようです。ここで一旦、ユダヤ人の歴史を最初か [続きを読む]
  • グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その5
  • グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その5グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その4はこちら。第三回「ダリア・フォークダンス・フェスティヴァル」は1951年に開催されました。この時のテーマは「離散の集合」(キブツ・ガルヨット)でした。カドマンさんのねらいは、様々な地域からの移民、特にイスラム圏からの移民の文化に焦点をあてよう、というものでした。多民族の「るつぼ」の中で、ミズラヒム( [続きを読む]
  • グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その3
  • グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その3グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その2はこちら。第一回「ダリア・フォークダンス・フェスティヴァル」の成功をきっかけに、イスラエルの人々はより多くのイスラエル・ダンス及びヘブライ語の歌を求めるようになり、何百もの新ダンスが創作されました。カドマンさんは、1945年以降も精力的にイスラエルのフォークダンスの普及活動、指導者の育成、民族舞踊団 [続きを読む]
  • グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その2
  • グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その2グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その1はこちら。第二次世界大戦が、ヨーロッパや環太平洋地域で荒れ狂っていた時代、パレスチナでは初の大フォークダンス祭り「ダリア・フォークダンス・フェスティヴァル」が開催されます。予定どおりの1944年7月、色々な議論を経て、困難も乗り越えて、いざ蓋を開けたら出場者2百人、観客は3万5千人という大盛況でした [続きを読む]
  • グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その1
  • グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その1これからの一連の記事は、グーリット・カドマンさんについてのヘブライ語版WikipediaをGoogle翻訳し、それを元に補足を加えてまとめました。(注記)は日英ウィキペディア等を参考にしました。グーリット・カドマンさんは、1897年ドイツ・ライプツィヒに生まれました。ひい祖父さん(父の母の父)はドイツでは有名な改革派のラビ(ユダヤ教の宗教学者)でヘブライ語聖書をド [続きを読む]
  • 「ホラ・アガダティ」関連
  • 「ホラ・アガダティ」の成り立ちについて「ホラ・アガダティ」の歌詞&踊り方はこちらイスラエルのフォークダンス情報が集められている下記のサイトのデータによると、「ホラ・アガダティ」は最も古いイスラエル・フォークダンスです。http://www.israelidances.com/「ホラ・アガダティ」は「アガダティ(さん製作)のホラ」という意味です。アガダティさんとは、Baruch Agadatiという人で、Wikipediaに項目があります。アガダティ [続きを読む]
  • 第26課「ホラ・アガダティ」
  • 第26課「ホラ・アガダティ」(Hora Agadati) 第27課へ進む 第25課へ戻るイスラエルのフォークダンスの中では、データとしては最も古い1924年に創作された踊りです。「agada」という名詞は「伝説」という意味で、「agadati」は「伝説的な」という形容詞ですが、ここでは踊りの作者である「アガダティさん」という名前で、「ホラ・アガダティ」は「アガダティ(さん製作)のホラ」という意味です。歌音源その1(Miryam Avi [続きを読む]
  • 「アスペクト」について
  • 「アスペクト」について1)文法的アスペクト現代ヘブライ語では、動詞は「過去・現在・未来」という時制に従って変化するという事になっています。古典ヘブライ語では同じ変化形の事を、過去形じゃなくて「完了形」、未来形じゃなくて「未完了形」だ、という説明がなされます。では現在形は何形なのか。ヘブライ語の動詞で人称で語形変化をするのは、過去形(完了形)と未来形(未完了形)だけです。現在形は人称で変化しないので [続きを読む]
  • 私の翻訳論
  • 素人で翻訳まがいのことをやってみた、その感想を書きました。意訳と直訳の間意訳のひとり歩き各国語で訳語が異なる実例=「エレヴ・シェル・ショシャニム」関連意訳になる理由 [続きを読む]
  • 意訳になる理由
  • イスラエルのフォークダンスは世界に広まっているのでネット上には歌詞情報も多いです。ヘブライ語の原文はもちろん、各国語での翻訳も豊富です。歌の音源もYouTubeにあるので聞き取り練習もできます。独学するための教材に関してならば、ヘブライ語は非常に恵まれています。ただひとつ難点は、ネット上にあるそういった翻訳が常に正しいとは限らない、という事です。中には、よく分からないからテキトーに訳したんだろうな、と思 [続きを読む]
  • 「エレヴ・シェル・ショシャニム」関連
  • 「エレヴ・シェル・ショシャニム」はワールドワイドに愛されている歌なのでWikipediaにも項目があります。残念ながら日本語版「ウィキペディア」にはありません(2018年4月時点)。以下英語版Wikipediaを参照しました。 「エレヴ・シェル・ショシャニム」の歌詞はこちらこの歌のメロディーはユダヤ人の結婚式の時の音楽としてよく使われるそうです。ユダヤ人社会の風習では、「フッパー(Chuppah)」という天蓋を作り、その下で結 [続きを読む]
  • 歴史コラム
  • イスラエルのフォークダンスの歴史、及び、ユダヤ人とイスラエルの歴史について、インターネットで拾い読みしたことなどをまとめます。「ホラ・アガダティ」の成り立ちについて(イスラエル最初のフォークダンスの成り立ち)グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その1(ユダヤ人のパレスチナ移住の歴史)グーリット・カドマンさんのフォークダンス人生・その2(イェメンのユダヤ人の歴史)グーリット・カドマンさんの [続きを読む]
  • 世界で愛される「エレヴ・シェル・ショシャニム」
  • 世界で愛される「エレヴ・シェル・ショシャニム」・リンク集フォークダンスで親しまれている「エレヴ・シェル・ショシャニム」は、昔は「バラの夜」と呼ばれていましたが、現在は「バラの夕べ」と訳される場合が多いです。作詞はMoshe Dorさん、作曲はYosef Hadarさんによる1957年公開の作品です。「エレヴ・シェル・ショシャニム」の歌詞、及び、イスラエル国内歌手の歌音源はこちらこの記事では、イスラエル外で愛された「エレヴ [続きを読む]
  • フォークダンスと政治
  • フォークダンスは純粋な娯楽活動なので政治は全然関係していないです。稀にはフォークダンスパーティなどで地元の議員が来て式典タイムで何か喋ってるという事を経験しましたがその程度です。ここにいる全員がその議員を支持してる訳でもないのに迷惑だなと思った程度です。フォークダンス団体は公的な施設を使うから政治家に媚びておく必要があったのかもしれないですが、もしもそうでもしないと不公平な扱いをされるとしたら、そ [続きを読む]
  • 第25課「エレヴ・シェル・ショシャニム」
  • 第25課「エレヴ・シェル・ショシャニム」(Erev Shel Shoshanim) 第26課へ進む 第24課へ戻る前の課の「エレヴ・バ」と時間設定の一部が同じである「エレヴ・シェル・ショシャニム」を訳します。こちらは、しっとり系ラブソングです。「エレヴ・シェル・ショシャニム」は、フォークダンスでは「バラの夜」として親しまれていましたが、「エレヴ」は夜じゃなくて夕方だという認識が広まるにつれ、今では「バラの夕べ」と訳さ [続きを読む]