yuuji16 さん プロフィール

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yuuji16さん: 20代で両親を癌で亡くした僕の想い
ハンドル名yuuji16 さん
ブログタイトル20代で両親を癌で亡くした僕の想い
ブログURLhttp://yuuji16.site/
サイト紹介文僕は21で母を、29で父を癌で亡くしました。僕の経験や想いを書きます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供76回 / 214日(平均2.5回/週) - 参加 2017/10/21 00:34

yuuji16 さんのブログ記事

  • 自分の感情に
  • 兄から言われた言葉に最初は怒りを覚えたものの時間が立つにつれショックに変わった。たしかに兄は僕の前で一度も大泣きしなかった。自分は凄く感情に正直でワンワン泣いていて過ごしてきたので兄と父は凄いなと改めて思ったのと同時に確かにいつまでも自分だけ泣いているのは2人に申し訳ない。‘泣くのは1人の時だけにしよう'と決意した。そして携帯を使って自分の気持ちを相手に見せないためにはどう振舞えば良いのかなどについ [続きを読む]
  • 泣いて何が悪い!!
  • 僕は母が入院した日からずーっと毎日何回も何回も泣いていた。21歳で母を亡くした当時の僕は本当に自分の感情に正直だった。母が亡くなってからも僕は事あるごとに泣いていた。家族以外の人の前では泣かないようにと気が張れていたこともあり大丈夫であったが父と兄の前では遠慮なく泣いていた。父は家の中で泣いている僕を見てもイライラしたり、言葉をかけるわけでもなくそっとしておいてくれた。しかし一方で冷静沈着で優しい [続きを読む]
  • 日常になんて戻れない
  • 母の告別式納骨など一通りのことが終わった。父と兄も忌引きが終わりまた仕事の生活が始まった。僕はというと母が亡くなったのは2月。大学は4月まで無い。昨年の12月から始まった母の異変、癌発見、余命宣告、闘病生活永眠怒涛の2ヶ月間が終わったものの毎日全身全霊で母に寄り添っていたからこそその反動は大きかった。この約2か月間は「母中心の生活」だった。しかしその生活スタイルから強制的に解放された僕は母を失った悲しみ [続きを読む]
  • さよならは  言わないよ
  • 亡くなった母から告別式の朝にもらった言葉僕はその言葉を旨に告別式の斎場に足を運んだ。案の定、僕は告別式でも号泣した。感情の制御が出来ず今自分が置かれている状況、環境が受け入れられずただただパニック状態で号泣した。そしていよいよお別れの儀の時が訪れた。後から兄にからかわれたが僕は泣きながらそして何かに取りつかれた様に母の顔を見ながら何度も生花を入れ「はつみ…はつみ…」と言っていたとのこと。僕が覚えて [続きを読む]
  • 告別式の朝〜母から届いたメッセージ〜
  • 告別式の日の朝。不思議で奇妙な体験をした。それは単なる偶然という言葉では片付けられない出来事だった。そしてそれは間違いなく母からのメッセージだと僕は信じている。母は昔から機械音痴であり、また専業主婦で家にずっと居たのであまり必要性が無いこともあり携帯電話を持っていなかった。でも母が亡くなる半年ぐらい前に母がどうしても携帯電話が欲しいとのことで年配の方でも使いやすいというのがウリな「かんたんケータイ [続きを読む]
  • はつみは今ココにいる!
  • 母の通夜が終わりその日の夜、家族3人で過ごした。僕は通夜でワンワン泣いたのもあり父と兄にこれ以上余計な心配をかけないようにと努めて明るく振舞った。母は身長が低く、ぽっちゃりとした体形だった。僕は母の事をたまに「ブウ」と呼んでいた。「ブウ」とはドラゴンボールに出てくる子供っぽい性格の可愛らしいキャラクターで母にそっくりだと、母に対して悪口というより親しみを込めて言っていた。母の通夜には、僕が思ってい [続きを読む]
  • 当然さ だってこの写真(遺影)は
  • 母の通夜の時が来た。この時の僕は当時21歳ということもあってか親戚や参列者など知らない人達の前で泣くわけにはいかない泣いている姿を見せたくない【人前で泣く=恥ずかしい事】などと考えてしまっていた。僕はそんなことを考えながら喪服に着替え、母が待つ斎場に向かった。斎場に着くと入り口に母の名前が書かれた看板が立っていた。昔からこの斎場の前を通っていてこうして故人の名前が書かれていた看板を何気なく何度も見て [続きを読む]
  • 頑張っている姿を見てほしくて
  • 母が亡くなった当日、僕はアルバイト先に母が亡くなった事と今後のスケジュールを伝えに行った。この時は泣いてしまうと自分でもわかっていたのでタオルを片手に行った。当時のアルバイト先は家から歩いて5分。走れば3分。勤務時間は早番10:45~16:00遅番13:30~18:30どちらの勤務時間でも30分の休憩があった。僕は休憩の時間は家に帰っていた。休憩時間に入る時間が決まっていたので家に帰るといつも母がざるそばなど軽食を用意して [続きを読む]
  • 必ず今ここに
  • 母が1か月半ぶりに我が家に帰って来た。しかし冷たくなった状態で。冷たくなった状態の母が寝ているのは1階のリビングの隣の和室。リビングで父と兄が居て僕はその間ずっと冷たくなった母のそばに居た。ただただ母のそばに居たかった。母のそばから離れたくなかった。いつもなら母が寝ていたらこんなに部屋を明るくしていない。もっといえばこの部屋での母の寝顔を見た事が無い。渦を巻いた線香から独特の匂いがする。今回の腹痛と [続きを読む]
  • 【番外編】こんな些細な事でも
  • 今回は久しぶりの番外編です。なぜ番外編かというと水曜日あたりから体調を崩してしまい3年ぶりの風邪を引いてしまいました。せっかく続きを楽しみにしてくれていた方達には期待を裏切る形となり申し訳ありません…。今は37,5℃まで下がったものの昨日の昼頃から熱が38,7℃まで上がったりと上がったり、下がったりの状態で頭がボーっとしています。普段記事を書くときは自分の当時の記憶を思い出しながらかなり集中をして書いてい [続きを読む]
  • 1か月半ぶりの帰宅 
  • 母が亡くなって1時間半ぐらいが立ちようやく兄が母の元に来た兄は泣くことも取り乱すこともなく気丈に振舞っていた。その後霊安室に運ばれ先生やお世話になった看護師さん達が次々と冷たくなった母の元に来てくれたこの時の僕は心の中で取り乱してはいけないと気を張っていた。だから兄が来てからはもう泣かなかった。兄が来た時も野球漫画のタッチの弟和也が亡くなったシーンを真似て「不思議だろ…死んでるんだぜ…」などとふざ [続きを読む]
  • 母 はつみ 永眠 享年53歳
  • 家族では僕だけが母の最期を看取った母には2回死亡時刻がある。僕が看取った午前8時42分。この時先生は父が来るまで死亡時刻を待ちますと僕に告げた。なので2009年2月2日午前9時11分が母の正式な死亡時刻となった。父が来るまで約30分の間、母が息を引き取ったにもかかわらず僕は泣かなかったというようより泣けなかったこの母が亡くなったという現実が理解できず、また受け止めきれず実感が沸かなかったから。それ [続きを読む]
  • 2009年2月2日午前8時42分
  • 父からの電話で慌てて病院に向かった僕。無我夢中で自転車を飛ばし脅威的なスピードで病院に着いた。4階につくと猛ダッシュで母の病室の扉を開けた。すると…。母はまだ生きていた。しかし…見た事のないようなまるで体のどこかから空気が抜けているような変な呼吸の仕方をしていたそして白目の部分が黄色かったあの時の母の姿は死ぬまで忘れないそれぐらいショックな光景だった脳裏に焼き付くとはまさにこういうことを言うのだろ [続きを読む]
  • 父からの一本の電話 「嫌だよ…はつみ…嫌だよ…」
  • 《その時》は突然やって来た。何の前触れもなく突然やってきた忘れもしない。2009年2月2日月曜日朝8時28分頃。この3分ぐらい前に僕は目が覚めた。ベットの上でウトウトしながら左側に寝がえりを打ち寝たまま手を伸ばしその真正面に置いてあったテレビを付けた。TBSの朝のニュース「みのもんたの朝ズバ」のエンディング。まもなく次の「はなまるマーケット」が始まろうとしていた矢先ウトウトしていた僕の頭は一本の電話で一気に目 [続きを読む]
  • 神様…お願い…
  • お風呂から出て気丈に振舞い夕飯を食べて僕は寝る準備に入った。兄から聞かされた母の想い僕は母が兄に言った「ゆうじが心配」と言葉を思い出し、またその言葉を言っている母の姿を想像して1人ベットの中で声を殺しながら泣き続けた。そして家中が寝静まった夜中僕は2階で寝ている父と兄を起こさないように静かに1階へと降りた。顔を洗い麦茶を飲もうと台所の電気をつけた。冷蔵庫のモーター音壁掛けの時計が秒数を刻む音。ただ麦 [続きを読む]
  • 兄から聞かされた母の想い
  • あれが母との最期の会話になったとはこの時の僕は知る由もなかった。兄は病院に残り、先に帰った僕はお風呂を沸かした。父は夕飯の準備をしていた。お風呂が沸き1番風呂に入った。いつもなら兄が母と何を話しているのか気にならなかったがこの時は湯船に浸かりながらただ純粋に兄と母の会話の内容がとても気になった。そんなことを考えていると門の開く音が聞こえ玄関のドアが閉まった振動が伝わった。兄が帰って来た。兄は手洗い [続きを読む]
  • 母との最期の会話
  • 言葉は無かったけれど僕の事を許してくれた父。仲直りした僕らはそれから穏やかな時間を過ごせた。母は寝たきりになっていたけれど体調は悪い感じはなく父と仲直りしてから兄が来るまでの間3人で何を話したかは覚えていないけれど本当に穏やかな時間を過ごせていたのだけははっきりと覚えている。そしてついに僕と母の『最期の会話』の時を迎える…。忘れもしない。時刻は面会終了間際の20時頃。仕事を終えた兄が病室に来た。母が [続きを読む]
  • ゆうじがもう来てくれない
  • 僕が取った不謹慎で軽率な行動によって僕と父は喧嘩をした。母の病室でお互い怒りで沈黙をする。全ては僕がいけないのに…。でも変に意地を張ってしまい母にもそっけない態度を取ってしまった。僕は「誰も洗濯してくれないから家に帰って洗濯干してくる!」と病院に来てまもないにもかかわらず帰ろうとしてしまった。そんな僕の態度を見て母は僕が母の事を嫌いになってしまったのかと不安を感じ始め父の方を向かい、泣きそうな声で [続きを読む]
  • 母が亡くなる前日〜僕が取った不謹慎で軽率な行動〜
  • 僕には母に告知をした夜と同じぐらい後悔している日がある。それは母が亡くなる前日に取った僕の不謹慎で軽率な行動によって父を激怒させ、母を不安にさせ、そして悲しませてしまうこととなる。これまで仲が良かった家族だったのに家族全員で過ごせた『最後の日』となったにも関わらず僕のせいで父と軽い喧嘩をしたことで微妙な距離感が生まれてしまった。あんなことをしなければ良かったとずっと後悔している。2009年2月1日日曜日 [続きを読む]
  • 母が僕に託した最後の願い
  • 母に感謝の思いを告げることができたこの日反対に母からお願いをされた事があった。それは母が僕に託した最後の願いであった。当時、大学3年生の21歳。いよいよ4年生になると就職活動が始まる。余談ではあるけれど3つ上の兄は真面目で慎重な性格上もあり手あたり次第、面接を受けたりせず自分が生かせる、自分がやりたい事をしっかりと吟味していた為、就職が決まったのが結構、卒業間近で決まった。ちなみに兄はその会社に大学卒 [続きを読む]
  • 生きているうちにどうしても母に伝えたかったこと
  • 母が緊急入院、緊急入院をして余命3ヶ月を宣告されたあの日から僕には母が亡くなるまでに『絶対に伝えたい事』がひとつだけあった。でもそれは母が亡くなる直前になったら言おうと心に決めていた。その伝えたい事とは『はつみの子供で幸せだよ』という言葉。この言葉だけはどうしても伝えたかった。母が生きているうちに母に感謝の思いを伝えたい。ただの自己満足かもしれないけれどこれだけは伝えたいと思っていた。そして母が亡 [続きを読む]
  • おまえには無理だ^^
  • いよいよ母と過ごせる残りの時間もあとわずか母の口から死を受け入れた発言を聞くようになりこのあたりから本当の意味で僕も『その時』を真剣に考えるようになった。だから僕は母が生きているうちに伝えたいことを伝えなければと決心した。この日僕は母に会う前から緊張していた。それは母の体調に関してではなく、自分の事でだった。それは母にこれまで一度もしたことのなかった『好きな人がいる』というのを伝えること。僕は30歳 [続きを読む]
  • 母からもらった大切な言葉 〜どうして目は〜
  • 事実上、母が死を認めた事諦めた事、負けを認めた事は僕にとって凄くショックだった。翌日僕ら3人は母に言われた通りAOKIに礼服を買いに行った。礼服と言っても、実際は間もなく訪れる母の通夜、告別式で着るための喪服だ。父が運転する車でAOKIで礼服を買った後僕だけ病院の前で降ろしてもらい父と兄は一旦家に帰った。この日は家族3人休み。交代交代で母のお見舞いをしようということになった。僕は母に会うと、昨日の事がショッ [続きを読む]
  • 母が負けを認めた日 〜悔し泣きした僕〜
  • 酸素が脳に行きにくくなり次に眠ったらそのままかもしれないという予断を許さない状況と言われたものの特にそんなことはなかった。脳に酸素が行きにくい事で上の空になったり、ボケたりすることもなく母は亡くなるまで普通に会話もでき何も変わらなかった。そしてある日の夜。僕は母の前で悔し泣きをした。僕と兄が知らない所で父と母はまむなく訪れる今後の事を2人で話し合っていた。僕と兄がその事を聞かされたのは家族が全員揃 [続きを読む]
  • 明日も生きてほしい
  • 前日渡したはつみコレクションのMD。昨日病院に行く前にこのMDNにコブクロさんと綾香さんのコラボ曲「あなたと」とという曲を1曲だけ追加しておいた。この曲もまたJULEPSさんの「旅立つ日」同様に母が癌が見つかった事で歌詞の捉え方が180度変わった。この曲はまさに当時の僕の気持ちを代弁してくれているような曲だった。特に僕の気持ちだったのが歌詞の中の"君を傷つけたくない" この言葉に逃げていた本当は誰より自分が一番 傷 [続きを読む]