yuuji16 さん プロフィール

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yuuji16さん: 20代で両親を癌で亡くした僕の想い
ハンドル名yuuji16 さん
ブログタイトル20代で両親を癌で亡くした僕の想い
ブログURLhttp://yuuji16.site/
サイト紹介文僕は21で母を、29で父を癌で亡くしました。僕の経験や想いを書きます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供49回 / 121日(平均2.8回/週) - 参加 2017/10/21 00:34

yuuji16 さんのブログ記事

  • 諦めきれない想い 〜無駄な抵抗だとしても〜
  • 高山病のような症状で酸素が脳に行きにくい状態。いつ亡くなってもおかしくない状態。もう本当に追い込まれている状態だと僕も重々承知していたがやはり諦める事などできなかった。それが無駄な抵抗だとしても僕はまだまだはつみに生きてほしい。インターネットで酸素について調べた。そして酸素をたくさん体内に取り込むためには呼吸の仕方が重要であると発見した。僕は母に「大きくゆっくりと息を吸って、ゆっくりと吐いて」と懇 [続きを読む]
  • 大丈夫!必ず連絡が行くから
  • 次の朝になっても(次に眠ったら…そのままかもしれません…)という言葉が頭から離れない。考えれば考えるほど不安と恐怖で涙が止まらない。母が死ぬのを認めてしまった僕。負けを認めた僕が願う事はただ一つ。「もうこれ以上はつみには苦しまないでほしい…」「死ぬのなら、せめて楽に死んでほしい…」どこか放心状態で母のお見舞いに今日も行く。病室に着くと母は今日も笑顔で迎えてくれる。その笑顔を見るだけで簡単に涙が出て [続きを読む]
  • 納得できるわけ…ねぇだろ…
  • 「次に眠ったらそのまま…かもしれません…。」その言葉が頭から離れない。しかしあまりにも突然で自分の想像を遥かに超える宣告だったからかどこか他人事のような感じで時間が立つにつれ母と普通に雑談ができるような状態だった。しばらくすると仕事を早退して来た父から「病院に着いた」とメールが来た。僕は母を病室に残し、急いで4階のエレベーター前に向かった。エレベーターから父が降りて来た。父と目が合った瞬間、緊張の [続きを読む]
  • おまえの顔を見れば
  • (次に眠ったらそのまま…かもしません…。)その言葉に僕はとてつもない恐怖を感じた。(もう本当にもうすぐはつみが死んでしまう)その残酷な未来がもう目の前に迫っている。その未来はもう近い…。計り知れない恐怖が僕の心を苦しめた。母の病室の前に着いた。何度も何度も気持ちを落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。母には忘れ物を確認しに行っていることになっている。時間が立てば立つほど母に怪しまれる。(早くはつみのところ [続きを読む]
  • 次に眠ったら…
  • 混乱したまま案内された部屋に入るとそこは暗闇に近い部屋だった。しかし僕はすぐに不信感を抱いた。それはいつもの主治医の先生ではなく初対面の先生だったことに。(だれだこの先生は…)僕は余計に混乱した。とりあえず一例をして椅子に腰を掛けた。すると僕の困惑した表情を見てかその先生はしゃべり始めた。いつもの主治医の先生は緊急の手術が入り、その手術を行っているので代わりに自分が説明する。昨日起きた一連の様子は [続きを読む]
  • 僕が負けを認めた日
  • 母の容体が急変し、一時は母の死を覚悟した日から次の日になった。この日は母の闘病生活の中でも母に告知をしたあの日と同じぐらい忘れられない日となる。僕はこの日、大学にレポートを提出しに行った。レポートを提出してまもなく父から着信が入る。ドキッとする僕。前日の事もあり、(何か母に起きたのか!?)と恐怖を感じながら電話に出ると「先生が話したいことがあるらしい。今から病院に行けるか?」僕は父に「今から行く!」 [続きを読む]
  • 好きなだけ泣きたくて
  • 母が一命を取り止めたその日の夜。どんなに願ってもどんなに一緒にいたくても母と一緒に過ごせる時間はもう限られている。母が入院してから初めて本当に母が死ぬかもしれないと目のあたりにしたことで家に帰って自分の部屋に入った時心が震えた。その震えは止まらなかった。好きなだけ泣きたくて僕は禁断のCDに手を伸ばした。それは僕が大好きだった曲のCD。しかしそれは母が腹痛を訴えたあの日から、あえて避けていたCD。でも母と [続きを読む]
  • 生きててくれて
  • 僕らが病室に着いた頃には母は意識が戻っていて落ち着いていた。僕は母の姿を見ると安堵して緊張の糸がほどけ目が真っ赤になった。母はまず父と兄と話をした。僕はその間、母に背を向け母から見えない位置に立ち何回も深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとした。すると母が「ゆうじもこっちへ来て」と弱々しい声で僕を呼んだ。僕はその母の声を聞いて込み上げてくるものがあり涙を貯めながらも母の元に向かった。母も目に涙を貯め [続きを読む]
  • 避けられない現実へと
  • 母が病棟に響き渡る悲鳴を上げてから数時間が立った。その頃には僕ら兄弟は病棟のロビーで待機をしていた。生きた心地がしないとはまさにこういうことを言うのだと思う。僕はこの時、本当に母がこのまま死んでしまうのでないかと思っていた。もっと言えば7割は諦めていた…。それが正直な気持ちだった。自分で勝手に悪い方へ悪い方へと考えてしまい、考える度に恐怖や悲しみで涙が止まらなかった。自分で自分を追い込んでしまって [続きを読む]
  • 病棟内に鳴り響く母の悲鳴
  • 1月も後半に入り、大学の冬休みが明けた。当時僕は21歳、大学3年生。後期のテストが行われたりテストがない講義はレポート提出が課せられていた。僕は母のお見舞いや家に帰ってから簡単な家事の傍らレポートを書いた。ただ幸いな事にテストの講義は記憶があいまいだが2科目しか無かった気がする。なので母のお見舞いが終わった後に夜寝る前の時間を使って平均2000字ぐらいのレポートを書いた。3、4科目がレポート提出だったと思 [続きを読む]
  • 僕らは「家族」
  • 告知を受け、ショックを受け計り知れない恐怖と戦う母。一方、ようやく自分の過ちに気づいた僕。かける言葉は見つからないが、母の病室へと戻った僕。僕も気が動転していたのでこの時、母とどんな会話をしたか覚えていない。ただ覚えているのは半日、ほとんど会話は無く、母は険しい顔、僕はひたすら下を向いて泣いていた。でもこんな状況でもこういった時間は長くは続かなかった。元々僕ら家族は、凄く仲が良くてどんな問題にぶつ [続きを読む]
  • 【番外編】幸先の良いスタート 〜父からの激励〜
  • 番外編ばかりですみません><新年早々、幸先の良いスタートが切れました^^昨年の両親がいなくなってから初めて迎えた僕の誕生日の時のように母が亡くなってから何度か不思議な出来事を経験した。母とはお互い恋しいまま別れたのでそういった不思議な出来事は多々あるが、父が亡くなってからは父からのそういった何か不思議な事は無かった。でもそれは母の時と違って父の事をしっかりと送り出せたと心の底から思えているからそうい [続きを読む]
  • 【番外編】ブログタイトルを変更しました
  • 「20代で両親を癌で亡くした僕の想い 〜心の宿り木を目指して〜」ブログタイトルを変更しました。「両親を癌で亡くした僕が伝えたいこと」このタイトルでブログを書き続けて来ました。ブログを書き始める頃はまさかこんなに多くの方に読んで頂けて、かつ応援して頂けるとは思っていませんでした。僕は両親を癌で亡くしました。最初は癌で親を亡くした方や現在癌で闘病中の方やそのご家族の方に僕の経験が役に立ってくれればという [続きを読む]
  • 【番外編】パソコンの向こう側から
  • 新年となりました。皆さん昨年はお世話になりました。本年もよろしくお願い致します。両親がいなくなって初めて迎える元旦。昨年までは父と紅白やガキの使いを見ながら年越しそばを食べて新年を迎えていたのに…なんだか不思議な感覚です。さて新年最初のブログは番外編として音楽について書きます^^このブログはパソコンから書いているのですがその際、集中力を高めるためにパソコン版のYouTubeでその時の気分で好きな曲を検索 [続きを読む]
  • 【番外編】今年1年を振り返って
  • 今年は人生で一番早く1年があっという間に過ぎたと感じた年だった。2月に父を亡くし10月に祖母を亡くした。こんなに簡単に1年前の出来事を鮮明に思い出せるのは初めてかもしれない。兄に今年は人生で一番、1年が早く感じたと話したら「今年はバタバタしていたからそう感じるのだよ。 おれも早く感じた1年だった。」と言われ納得していた。でもその一方で(父が亡くなったのは2月だからな〜)(亡くなったのが秋とかだったらわかるの [続きを読む]
  • 告知の日、そこにあった真実
  • 取り乱した母。その姿にショックを受ける僕。告知を受けた前日はこんな姿では無かったのに一体母に何があったのか、聞くのが怖かったけれど僕は覚悟を決めて母の担当看護師の方に昨日の告知の時と僕らが帰った後の夜の様子を聞いた。看護師の方いわく告知を受けた母は先生に自分の残りの時間を尋ねた。先生から告げられた現実を聞いて母は目に涙をためて、睨むような厳しい顔をして鼻息が荒くなり、体が震えていたらしい。でも隣に [続きを読む]
  • お母さんが…お母さんが…
  • 母に告知をした日から次の日の朝。言葉は正しいかはわからないが僕は母にもう嘘をつかなくて良い事に嬉しくなり、久しぶりに目覚めの良い朝を迎えた。そして朝10時からアルバイトへ向かった。アルバイト先は歩いて5分程度の所のグッズショップ。(病院着いたら母に何と言って今後に向けて励まそうかな^^)など前向きな気分で仕事をしていた。この時の僕は本当におめでたい奴だった。ただ僕の考えていた事は浅はかで最低だった。一番 [続きを読む]
  • 【番外編】もしタイムマシーンがあったら
  • もしタイムマシーンがあって人生の中で1日だけ戻れるとしたら僕は即答で、はつみの余命宣告の日を選ぶ。もっと前に戻れば、癌が発症する前にはつみに伝えられれば今も生きれているかもしれない。でも僕はそれはルール違反だと思う。人にはそれぞれ生まれた時から寿命が決まっているのではないかと思うから。それに仮にはつみに癌が発症がする前に伝えて生き延びたとして、僕だけが幸せになるのはずるいと思う。はつみには申し訳な [続きを読む]
  • 告知(下) 〜今も消えぬ、人生で一番後悔した夜〜
  • 余命宣告を受けてから数時間が立った。僕はもう母に嘘をつかなくて良い事に解放感を覚え、一番大事な母の想いに目を向けられずに一緒にいた。この日に貰った巨人の大田選手のサインボールを見せ、貰った時の感想などを母に話したのを覚えている。父は夕食の準備などをしに一旦家に帰った。父は元々料理が好きで、仕事がある日もだいたい19時には病院に来てくれていた。だから母が入院中も外食やコンビニ弁当ではなくほぼ夕飯は手作 [続きを読む]
  • 告知(中) 〜母の想いに目を向けられなったあの日〜
  • 告知の日。僕はジャイアンツ球場にいた。ジャイアンツ球場で大田選手にサインを貰おうと待っている。でも母の事が頭から離れない。今この瞬間にも母はどうしているのだろう。(もう終わったかな…?)(はつみは大丈夫かな…?)(おれは最低だ…何してんだよ…)考えることは母の事とそして父と母に対する罪悪感。自分で選んだ決断だが次第に増していく罪悪感。かと言ってあの場に同席する覚悟も勇気も僕にはない…。一番傍に居てあげ [続きを読む]
  • 告知(上) 〜今も消えぬあの日の後悔〜
  • 「告知」ついにこの日が来てしまった。癌が見つかり、見つかった時にはすでに手遅れな状態。「母が動揺するから」と綺麗事を言って先延ばしにして自分達が傷つくのが怖くて先延ばしにしていたように思う。それと同時にどんなに辛くてもどんなに目を背けたくてもいつか伝えなければならない、避けては通れない道だとも覚悟していた。母に告知をする事となり、父は休みを取った。兄は仕事に向かった。僕は大学が補講期間の為、休み。 [続きを読む]
  • もう限界
  • 「私がんばったよね!?もう死んでも良いよね?」この母からのショックな言葉から数時間が立った。だがこの母からのショックな言葉は僕の脳裏に焼き付き必死に別の事を考えようとしても頭の中で何回もフラッシュバックした。母はこの日、ずっと怒りを噛み殺したような怖い顔で声をかけられるような雰囲気ではなかったのを覚えている。普段は優しい母だったので余計に怖かった。でも僕は母の横にずっといた。会話は一切なかったし、 [続きを読む]
  • 私がんばったよね?もう死んでも良いよね?
  • 自分の体に少しずつ疑問を持ち始めてきた母。12月初旬に腹痛を訴えたあの日からちょうど1ヶ月が過ぎた。緊急入院、緊急手術、人工肛門、鼻からチューブしかし未だに食事も摂れなければ歩くことも、もっといえば座ることすら自力ではほぼできない。母からすれば治療などを受けて僕ら家族に励まされたりするものの、一向に元の生活に戻れるような兆しが見えない。母のメンタルは限界へと近づいていった。この日も僕は朝から母のお見 [続きを読む]
  • 少しずつ生まれ始めてきた疑問
  • 年末年始が終わり、1月の2週目に入った。その頃には鼻の中から入れていたチューブも取れていた。しかし徐々に母の意欲が無くなってくる。鼻のチューブは取れたものの、体力をつけるためにも引き続き、病棟内を歩いてほしいと先生から頼まれていた。僕は先生に言われた通り、母を歩かせようと「はつみ散歩しようよ」と声をかけても「今日は疲れているから良いや」と歩くことを拒むようになった。僕は(体力が落ちてきたのかな)ぐらい [続きを読む]
  • 最後の年末年始
  • 12月22日に入院し、癌が見つかり、余命宣告を受け人工肛門になり、鼻から管を入れて我が家の2008年は11月までは例年と変わらなかったが12月に入り年末にかけて一瞬にして絶望の年へと変わった。この当時バイトしていた所で毎年恒例の大掃除があったのだが、お母さんのそばにいてあげてと温かい言葉を貰い、休ませてもらった。その事を当時、母に伝えると「良い所で働かせてもらってるね、アルバイトだからって手を抜かずに一生懸命 [続きを読む]