yuuji16 さん プロフィール

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yuuji16さん: 両親を癌で亡くした僕が伝えたいこと
ハンドル名yuuji16 さん
ブログタイトル両親を癌で亡くした僕が伝えたいこと
ブログURLhttp://yuuji16.site/
サイト紹介文21で母を、29で父を共に癌で亡くしました。 僕の経験が誰かの役に立つと信じて書きます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供29回 / 53日(平均3.8回/週) - 参加 2017/10/21 00:34

yuuji16 さんのブログ記事

  • 告知(上) 〜今も後悔しているあの日の行動〜
  • 「告知」ついにこの日が来てしまった。癌が見つかり、見つかった時にはすでに手遅れな状態。「母が動揺するから」と綺麗事を言って先延ばしにして自分達が傷つくのが怖くて先延ばしにしていたように思う。それと同時にどんなに辛くてもどんなに目を背けたくてもいつか伝えなければならない、避けては通れない道だとも覚悟していた。母に告知をする事となり、父は休みを取った。兄は仕事に向かった。僕は大学が補講期間の為、休み。 [続きを読む]
  • もう限界
  • 「私がんばったよね!?もう死んでも良いよね?」この母からのショックな言葉から数時間が立った。だがこの母からのショックな言葉は僕の脳裏に焼き付き必死に別の事を考えようとしても頭の中で何回もフラッシュバックした。母はこの日、ずっと怒りを噛み殺したような怖い顔で声をかけられるような雰囲気ではなかったのを覚えている。普段は優しい母だったので余計に怖かった。でも僕は母の横にずっといた。会話は一切なかったし、 [続きを読む]
  • 私がんばったよね?もう死んでも良いよね?
  • 自分の体に少しずつ疑問を持ち始めてきた母。12月初旬に腹痛を訴えたあの日からちょうど1ヶ月が過ぎた。緊急入院、緊急手術、人工肛門、鼻からチューブしかし未だに食事も摂れなければ歩くことも、もっといえば座ることすら自力ではほぼできない。母からすれば治療などを受けて僕ら家族に励まされたりするものの、一向に元の生活に戻れるような兆しが見えない。母のメンタルは限界へと近づいていった。この日も僕は朝から母のお見 [続きを読む]
  • 少しずつ生まれ始めてきた疑問
  • 年末年始が終わり、1月の2週目に入った。その頃には鼻の中から入れていたチューブも取れていた。しかし徐々に母の意欲が無くなってくる。鼻のチューブは取れたものの、体力をつけるためにも引き続き、病棟内を歩いてほしいと先生から頼まれていた。僕は先生に言われた通り、母を歩かせようと「はつみ散歩しようよ」と声をかけても「今日は疲れているから良いや」と歩くことを拒むようになった。僕は(体力が落ちてきたのかな)ぐらい [続きを読む]
  • 最後の年末年始
  • 12月22日に入院し、癌が見つかり、余命宣告を受け人工肛門になり、鼻から管を入れて我が家の2008年は11月までは例年と変わらなかったが12月に入り年末にかけて一瞬にして絶望の年へと変わった。この当時バイトしていた所で毎年恒例の大掃除があったのだが、お母さんのそばにいてあげてと温かい言葉を貰い、休ませてもらった。その事を当時、母に伝えると「良い所で働かせてもらってるね、アルバイトだからって手を抜かずに一生懸命 [続きを読む]
  • 同じ方向を
  • 鼻からチューブを入れ終わり、母が病室に戻ってきた。しかし母は憔悴しきっていてとても会話ができるような雰囲気ではなかった。精神的にも肉体的にも疲れ切っているのが見て取れた。僕ら家族は母が回復するまで1人ずつ交代制で看病した。そして夜になった頃には母もだいぶ落ち着いて会話も普通にすることができた。その頃には家族4人全員揃っていた。そして病室に来た主治医の先生からこのチューブから排液が出てくる。歩くことで [続きを読む]
  • 深い所で
  • 母は腸閉塞を患ったことで食べた物を腸がうまく運べていない状態になり、食事を摂れず、点滴で賄っていた。思えば母は腹痛を訴えた12月上旬から約2週間、何も口にしていない生活を送っていた。そして入院して数日が立ったある日主治医の先生が、母の病室に訪れた。その時、母とお見舞いに来ていた父と僕の3人がいた。主治医の先生から、鼻からチューブを入れて腸の中身を逃がし、腸に掛かる負担や圧力を軽減する治療を行うと説明を [続きを読む]
  • 奮い立つ想い おれがはつみを支えるんだ!
  • 僕の心はボロボロだった...。心の中に「死にたい」「死ねたら楽だろうな..」などと自分の命を軽視する考えが出てきてしまった。この気持ちはたしか2、3日続いた気がする。母の病室で、母の寝顔を見ながら(もしおれが死んだら、父からおれが死んだと聞いてショックを受けるんだろうな〜)と上の空というか無気力でそんなことまで考えてしまったのを覚えている。それほどまでに僕の心はボロボロだった..。そして真っ暗な家に帰って、 [続きを読む]
  • 人生で最初で最後の...
  • いつもどおり僕は毎日時間の許す限り母のお見舞いに行った。少しでも一緒にいたい。少しでも母との思い出を作りたい。少しでも母の笑顔をこの目に焼き付けたい。そんなこと思いながら母との残りの時間を過ごしていた。でもやっぱり母の笑顔を見る度にいつまでもこの笑顔を見ていたいまだ何か手はあるのではないかまだ助かる可能性はあるのではないかなどと諦めることができずにいた。しかしそんな母が恋しい一方、徐々に僕の気持ち [続きを読む]
  • 【番外編】30代の決意
  • 30代がスタートしました。9月下旬にこのブログを始め、約1ヶ月。「ブログを書いていてくれてありがとう」「泣きながら読みました」など最近では心温まるコメントやメッセージを頂けるようになり、自分の想いが確実に誰かに届いていると感じられ嬉しい限りです。また反対に「いつも、ゆうじさんのブログで優しい気持ちに してもらっています。 あなたの深い優しさが伝わるこのブログが大好きです。 」「ゆうじさんのブログ 大好 [続きを読む]
  • 【番外編】天国の母からの誕生日プレゼント
  • 一昨日の誕生日は上司が気を利かせてくれ休みをもらえた。そんな僕に母から誕生日プレゼントを貰えた気がする出来事が2つあった。朝2階で洗濯を干していた時、道路を歩いている人に視線を送ると背丈も体形も服装も母と瓜二つの女性が奥から歩いてきた。おそらく年齢も亡くなった時の母と同じぐらいで母が散歩しに行っていた頃の容姿にそっくりで、帽子を深く被っている所までそっくりだった。僕はまた良い方に捉え、(誕生日に姿を [続きを読む]
  • 【番外編】さよなら20代、よろしく30代
  • 私事ですが今日で30歳になりました。やはりこういう節目の年齢になる時は毎回感慨深いものですね^^20代を振り返ってみると21歳で母を亡くして22歳で就職をして26歳で転職して29歳で父と祖母を亡くしたりと凄い濃い10年間でした…。まさか20代で両親と別れることになるとは夢にも思っていませんでした。僕は独身なので、両親に孫を見せることもできず別れることとなり、親孝行ができなかったのでとても心残りです。30歳になる [続きを読む]
  • 「ごめんね」じゃなくて「ありがとう」って
  • 依然として母は元の元気な体に戻れると希望を持っていた。しかし母も唯一、今回の手術をしたことで今後の生活に不安を持っていることがあった。そうそれは人工肛門。癌細胞が邪魔をして自然な排泄ができなくなった為、便を排泄するために胸の下あたりに人工の肛門を作った。本人には今回の腹痛を招いた原因のひとつであり、それを解消するために人工肛門の処置をしたと伝えてあった。母は当初、人工肛門になったことに少しショック [続きを読む]
  • 【番外編】やっぱり恋しいな
  • 昨日は地元でイベントがあった。今回で3回目。このイベントは市民参加型で3年前に初めて行われた1回目は兄が参加して、父と僕は兄の応援のために一緒に出掛けた。兄を応援しながら、父と2人で楽しく見ていたのが昨日のことのように思い出される。そして去年は僕も兄と一緒に参加することになった。去年は僕も初めての参加だったので、参加することが決まった時は「中学の体育祭の時以来に父に自分の頑張っている所を見てもらえる [続きを読む]
  • 普通が一番
  • 専業主婦の母が入院した事で僕と父、兄の男3人の生活が始まった。当時は父と兄は会社員、僕は大学生。母が家にいた時は家事全般をやってくれていた。母は本当に家族が大好きで家族の為に、家族中心の生活をずーっと送っていた。日中僕らが仕事や学校に行っている間に、近所へ自転車でスーパー等に買い物に行っていた。また特にこれといった趣味もなく、1人でどこかに出掛けることはなかった。そのため、常に家には母がいた。外が暗 [続きを読む]
  • 一緒に寝たいよ
  • 母の癌は必ず治る!と1人で勝手に期待していた僕。先生からの言葉で残酷な現実に戻らされた。期待していた分、そのショックは相当大きかった・・。気持ちの整理がつかず、僕は1階のロビーの椅子に座り気持ちを落ち着かせようとした。今にして思えば、母の前では明るくいなくては!と常に自分自身を必要以上に追い込んでいたと思う。時間にしてどのくらいだっただろうか。水を取りに来たのに、あまりにも時間がかかれば母に疑問を持 [続きを読む]
  • 【番外編】カエルの画像の意味 〜無事カエル〜
  • 今日は番外編です。まず皆さんにお礼を言わせてください。おかげさまでこのブログを始めて約1ヶ月。文章力も構成も乏しいにもかかわらず、おかげさまでたくさんの方にご覧頂き、1日平均200人の方に訪問いただき1日平均1200PVになりました。これもひとえに皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。これからもどうかお付き合いのほどよろしくお願い致します。また嬉しいことにLINE読者に2名の方が登録下さっており [続きを読む]
  • 打ち砕かれた浅はかな考え
  • 目が覚めると悪夢の前日から次の日の朝になっていた。涙のせいで枕が湿っていてなんだか気持ち悪かった。僕はベットの上でこれからのことを自分なりに色々と考えた。母が入院している病院は家から自転車で10分以内の所にある。面会の時間までまだ時間はたくさんある。そこで僕はさらに考えた。まだ死ぬと決まったわけじゃない何か治る方法があるはず先生は3ヶ月と言ったけれどまだなにか手はあるはずだこの時の僕は母の為に何かで [続きを読む]
  • それぞれの
  • 手術が終わり、病室に戻って来て少し落ち着いた頃にはすでに19時半を過ぎていた。母が「色々とみんなも疲れただろうからそろそろ帰りな」と僕らの事を心配してくれたので、その言葉に甘え僕らは帰路に着いた。ただ母の病室から出た後はみんな、ほとんど会話をしなかった。というよりあまりにもショックが大きすぎて、会話をする気にすらならなかった。家に着き、食事やお風呂を済ませた後いつもどおり父は一人でビールを飲んでいた [続きを読む]
  • [番外編]僕の考え方
  • どんなに金持ちだろうとどんなに人望があろうとどんなに貧乏だろうがとどんなに嫌われていようと人生でどれだけ凄い事をしようと人は必ず死ぬ。それがどんな人間だろうと平等だ。だからこそ今この瞬間、瞬間をできる限り大事に過ごしたい。1分でも多く、1時間でも多く、1日でも多くだなんて言わない。「今日も良い1日だったな〜」なんてなかなかそう実感できる事は僕にはほとんどない。でもこんな僕でも疲れてお風呂に入っている瞬 [続きを読む]
  • [番外編]おばあちゃんへ
  • 今日祖母の葬儀が営まれた。葬儀にはたくさんの方に参列していただき、祖母もきっと喜んでいたことだろうと思う。葬儀中、祖母の遺影を見ながら、色んなことを考えた。1つ目はは祖母は果たして幸せだったのだろうか。祖母が66歳の時に祖父と、87歳の時に娘(僕の母)と死別し果たして幸せだったのだろうか。祖父と娘に先に旅立たれ、どんな想いで残りの人生を時間を過ごしてきたのだろうか。無念だったのか、幸せだったのか祖母は自 [続きを読む]
  • [番外編] 結局は
  • 今回は母の闘病記ではなく、リアルタイムの出来事を書きます。一昨日、祖母(母方)が他界しました。96歳でした。僕が生まれる4ヶ月前に祖父は他界して祖母はそれからずっと広い家に1人で住んでいました。と言っても叔父家族が隣に住んでいて我が家からも徒歩30秒程度なので何かあればすぐに祖母の所に行ける環境でした。祖母は、僕ら孫達をいつも見守ってくれていてどんな時でも優しく包み込んでくれるそんな存在でした。ですが [続きを読む]
  • 希望に満ち溢れた母、絶望に堕ちた僕
  • 突然の悪夢の告知から数時間後、今度こそ手術が終わるとのことで、僕ら家族は先に9階の病棟に案内された。僕は9階のロビーで、ただただ途方に暮れていた。重苦しい空気の為、父も兄も誰一人口を開かなかった・・。もうまもなく母が病室に来ると案内され、僕ら3人は母に「末期の癌であること」「残り時間が残されていないこと」を絶対に気づかれないようにしようと、急にスイッチのようなものが入った。それはもはや暗黙の了解で [続きを読む]
  • 覚悟決めてください
  • 母の手術が始まり、時間にして1時間ぐらいたった頃、父が合流した。父は兄から一連の経緯を聞き、父もまた安堵した様子だった。予定では手術は2、3時間で終わるとのこと。僕はその間、兄と談笑したり、母が入院中、学生の僕が家事をやらなければと思い、自分なりに頭の中で家事についての予習、復習をしていた。幸い、今日は2008年12月22日。明日から大学は冬休みなので、母のお見舞いと家事に専念できる。母の入院中の生活に不 [続きを読む]
  • 緊急入院、緊急手術
  • 次の日の朝になると母は多少動けるようになっていた。検査の結果が出るのは明後日なので、僕ら家族は母を家に残し、父は仕事に行き、兄は昨晩からの夜勤、僕は朝から大学へとそれぞれ自分の予定通りに行動した。母の事を気にかけつつ、大学内で過ごしていた。そしてあれはたしか午後の講義が始めってすぐだった気がする。講義中に突然兄からメールが来た。(あれ?こんな時間にメールって何だろう?)僕はメールをすぐ開いた。する [続きを読む]