yuuji16 さん プロフィール

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yuuji16さん: 20代で両親を癌で亡くした僕の想い
ハンドル名yuuji16 さん
ブログタイトル20代で両親を癌で亡くした僕の想い
ブログURLhttp://yuuji16.site/
サイト紹介文僕は21で母を、29で父を癌で亡くしました。僕の経験や想いを書きます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供101回 / 365日(平均1.9回/週) - 参加 2017/10/21 00:34

yuuji16 さんのブログ記事

  • なんで病院に
  • 仕事中ずっと父が病院に行ったのか気になっていた。父は元から病院嫌いの人だった。僕と兄は3つ違い。僕が高校受験兄が大学受験の時は同時に受験だった。そんな大事な年に父はインフルエンザにかかった。さらに僕が大学受験の時に父はノロウイルスにかかった。だが父は昔から風を引いても頑なに病院に行こうとせず自力で治すスタンスだった。だからこのインフルエンザの時はずっと父を寝室に隔離していた。我が家では伝説だ。では [続きを読む]
  • 行く気力がない…
  • 翌日僕は仕事だった。父が心配でいつもより少しだけ早起きした。父は普段と変わらない様子だった。そんな父を見てひと安心したのを覚えている。支度を済ませて家を出る前に父にもう一度、病院に行くように念押しした。父はボソッと「行く気力がない…」と言ってきた。僕はその言葉の真意がわからずというよりも理解しようとせず父に対してまた怒り気味に「バス停がすぐ近くにあるからバスで行きな」と言った。たしかに歩いて行くに [続きを読む]
  • 寂しそうな父の姿を見て
  • 父が異変を起こし寝てから数時間が経った。僕は逐一、1階で寝ている父の様子を見に来ては、父の気持ちよさそな寝息を聞いて安心し2階の自室へと戻るというのを繰り返した。この頃には僕はもう元気だった。自分で都合の良い診断を勝手に下したおめでたい奴だったから。仮に狭心症だったら心筋梗塞の前触れの可能性もあり急死に至る危険な状態かもしれないのに僕は「癌でなければ良い」というか癌に対して非常に敏感で強い嫌悪感のよ [続きを読む]
  • 自分にとって都合の良い答えを
  • 父が寝たのを確認すると僕は2階の自室へと戻った。そして先程の父の症状を自分なりに調べた。すぐに症状が治まった事呼吸困難だった事この2つが僕の中で大きな症状として印象に残り急いで調べるとある病気に先程の症状と近い症状が書いてあった。この半月後に父は入院しその後、癌だとわかるのだがこの当時の僕はひょっとしたら癌ではないかと一切思わなかったし自分の中で癌という選択肢を出さなかった。もっとも母の死の影響で [続きを読む]
  • 父からのSOS
  • その時は突然やってきた。時は2016年1月。この日も僕は父が作ってくれた夕飯を食べた後、いつものように父にマッサージをした。この日は兄が夜勤の為、深夜1時まで仮眠が必要だった。2階では兄が夜勤に備え寝ている。僕は父に1分でも熟睡してほしいと入念にマッサージをしていた。父はここ最近、背中が痛いからとそこを中心にやってくれと僕に頼んできた。僕はただ単に筋でも痛めたのかもしれないと深く考えずに、父に言わ [続きを読む]
  • お待たせしました 次回より父編スタートです
  • ブログを開設して早1年。今年の5月に母編が終わりいよいよ次回より父編がスタートします。これまで数多くの方に閲覧頂きここまで書き続ける事ができました。また中にはコメントを下さる方も居て本当に励みになっています。同じように大切な人を亡くされた方達からのコメントが多く、頂いたコメントを読んで泣いてしまう事も多々あります。また僕の記事を読んで家族を大切にしなければと再認識できたとおっしゃってくれる方もいま [続きを読む]
  • 休みの日は必ず
  • いつからだろう。いつしか僕は夜、食事を済ませた父にマッサージをするようになった。最初のきっかけは母が体に痛い所がありほぐしてほしいというのでマッサージをするようになった。非力な僕の力加減がちょうど良かったようで母には腰が痛い時など不定期でマッサージをした。僕が学生だった頃は父には仕事から帰って来て食事を済ませて寝る前に毎日のようにマッサージをした。もっとも父の場合は酔っぱらった後白々しくリビングの [続きを読む]
  • 父との約束 〜あと10年は〜
  • 日勤の仕事に就き気持ちに余裕が持てて父との時間がたくさん取れた。母が居た頃は仕事が休みの週末の昼食と夕食を作るのが父の担当だった。でも逆を言うと洗濯やお風呂洗い、食器洗いなどの家事全般は父は全くやらなかった。しかし母が亡くなってからというものの最初のうちは学生だった僕が自分のできる範囲で母の代わりに家事全般を担当していたが僕も就職してからは少しずつ手が回らなくなりまた気持ち的にも自分の事で精一杯だ [続きを読む]
  • 充実した2015年 〜信ちゃんのおかげだよ^^〜
  • 僕が30年生きてきた中で現時点でこの2015年が一番充実していた。当時もこの2015年が終わりそうな年末に「今年は充実していた年だったな〜」と心の底から感じられていた。こうした充実した1年を過ごせたなと思える年を今後1年でも多く過ごしていきたいと思う。2014年の8月に転職をして日勤の仕事に就けてから1年。仕事も楽しく、人間関係も良く、また休みの日は野球を見に行ったり、近所の河川敷にボールを投げに [続きを読む]
  • 父から聞かされた母の想い ~ゆうじがかわいそうだから~
  • 僕の家のすぐ目の前には畑がある。母方の祖父は地主だった。子供の頃は毎日のように庭や畑でいとこや兄と遊んでいた。だが僕達が子供が大きくなるにつれ子供の時遊んでいた畑にアパートが1棟、そしてまた1棟と新たに建った。だが家の前の畑だけはアパートは建たず畑のままだった。今現在そこには自転車置き場の物置と叔父が買ってくれた物置が置かれている。ちょうど最後の1棟は母が闘病中に建設が始まった。その後母が亡くなって [続きを読む]
  • 知られざる父の苦悩
  • 母が亡くなって早6年。僕は母が亡くなってからしばらく経ってからは僕はもう父と兄を含め人前では決して泣かなかった。自分の気持ちに感情に何重にも何重にも蓋をしてこの6年過ごしてきた。この当時は未だに母が亡くなった事に対して向き合えず受け入れられず母と過ごした時間軸とは別の時間軸で生きているような感覚だった。しかしとてつもなく母が恋しくなるとその蓋が簡単に外れ、誰もいない時は母の仏壇でワンワン泣いた。今 [続きを読む]
  • 生きているうちに見れるのも
  • 意気揚々と花火大会会場へと向かう父。そんな父に面を食らったもののすぐに僕は嬉しい気持ちで一杯になった。言葉にしなくても僕は父と、父は僕と一緒に見に行くのだと以心伝心ではないけれどお互いがそう思い合えた事が嬉しくて。僕も父と深い所でしっかりと繋がっているのだと実感できたから。僕は父のすぐ後ろを歩いた。昔からそうだった。大人になり歩くスピードが父より早くなっても父と一緒に出掛ける時は何故か無意識に父の [続きを読む]
  • よし!行くぞ!
  • 僕には大好きな父とのかけがえのない思い出がある。月日が経てば経つほど僕の心を温めてくれるかけがえのない思い出だ。その年、僕の地元では数年ぶりに花火大会が開催されることとなった。僕はこの日を楽しみにしていた。花火大会当日は休みを申請したので僕は見に行ける事となった。僕はこの花火大会が開催されると発表された時から3人で見に行きたいと思っていた。しかし兄は残念ながら仕事だった。兄が行けなくなった事で僕は [続きを読む]
  • 大雨の中届いた父が僕を呼ぶ声
  • 僕は野球が好きだ。下手くそだけれど子供の頃からボールを投げるのが好き。小中高大学生と兄が家にいる時はよくキャッチボールをしていた。ちなみに今も休みが合えば家の前でキャッチボールをしている。兄が就職してからはキャッチボールをしてくれる相手が居なくなったので僕は近所の河川敷の橋の下で1人でもくもくと1,2時間壁に向かってボールを投げに行くようになった。だが就職して昼夜逆転の夜勤専門で働くようになりその [続きを読む]
  • 父が寝坊した時は
  • 兄が夜勤の時は深夜1時に起きて準備をして30〜40分程度してから家を出て車の運転をする父。兄は父のおかげで十分な休息を取りながら夜勤の仕事に向かう事が出来ていた。基本的には父は自分で起きる。しかしごく稀に深夜1時を過ぎても起きてこない事があった。僕は父が起きてこない時いつも様々な事を考えていた。イビキをかいて寝ている父を起こすのを僕はいつもためらっていた。だいたい父は20時頃から仮眠を取る。深夜1 [続きを読む]
  • 互いが互いを想い合って
  • 転職して数ヶ月。日勤の仕事に就いた事で仕事もプライベートも充実して僕の心は穏やかになった。この当時、僕の記憶では兄はローテーションで1ヶ月に1度(5日連続の)夜勤で働く時があった。兄の夜勤の仕事開始時間は深夜3時。兄の会社は辺鄙な場所にある為電車バスを乗り継いで行かなければならない。その場合、夜の最終のバスに乗るには家を20時半に出なければならない。そして会社には22時に着き深夜3時まで時間を潰さ [続きを読む]
  • 父との時間
  • 夜勤の飲食店勤務から日勤のホテル業に転職した事で僕の生活は一変した。飲食店の頃は夜勤明けの休みだと日中寝て20時や21時に起きる。起きて父が用意してくれた晩御飯を食べ酔っぱらった父と少し話すものの父はすぐ寝てしまう。そして父と兄が寝ている夜中に僕は1人起きて自分の部屋でパソコンをして過ごすのが休みの日の過ごし方だった。しかし日勤の仕事に転職した事で勤務スタイルは10〜19時か12〜21時の8時間労 [続きを読む]
  • 心境の変化 転職
  • 新卒でこの会社に勤めて早くも4年が過ぎた。入社前に心に決めていた3年間続けるという目標をクリアして3年目を過ぎた事からずっと転職したいと考えていたものの次にやりたい事、自分に合っている仕事が見つけられず、ずっと行動に移せずにいた。僕はずっと転職するなら「前向きな転職をしたい」と考えていた。今の仕事が嫌だからと逃げ出すような形で転職するのではなく、「この仕事をやってみたい!」と心の底から思えたものが [続きを読む]
  • 向こう30年おまえと兄ちゃんが
  • 築25年の我が家は父の独断で屋根と外壁とお風呂のリフォームを行った。僕と兄は家のメンテナンスなどに対して興味がないというか関心が無かった。というか父に任せっきりであったし父が考えた事なら僕は間違いないと思っていた。父の口からリフォームを行うことにしたと聞いた時は多少驚きはしたもののまあたしかに25年も立っていたらどこかしらボロが出てくるだろうと思いすんなりと受け入れた。そして無事にリフォームが終わ [続きを読む]
  • 隠された父の想い
  • 就職して3年半が立った2013年11月。勤務先の店舗が改装することとなり約一ヶ月休業となった。その間、人が不足している店舗にヘルプで働く事となった。僕は元々就職した時からこの会社で長く働こうとは思っていなかった。もちろん卒業ギリギリで採用してくれたこの会社と何より面接で嬉しい言葉をかけてくれた社長に対して恩義があったのでとりあえず3年は働こうと思っていた。ただ店長になれば人不足な店舗に配属になった [続きを読む]
  • 父からの愛情 
  • 就職して約2年半が過ぎた頃僕はようやくこの仕事に慣れて来た。調理がなかなかうまくできなかったが異動した3店舗目で事実上の夜の責任者を任されたことで嫌でも調理をしなければならない環境になった。僕は臆病者でなかなか一歩目が踏み出せないタイプ。自己評価が低いのでやる前から「自分にはできない」と決めつけてしまうタイプ。だからこうやって嫌でも調理をやらなければならない環境が自分を成長させるには打って付けだっ [続きを読む]
  • 父が声を荒げた日 〜もう少しこの会社で頑張るよ〜
  • 東日本大震災が起きた日、僕は休みだった。明くる日、電車は動いていたものの5つ先の駅から終点までの折り返し運転のみ行っていた。当日の早朝ようやく店舗に電話がつながり昼の12時から来るように言われた。僕は自転車でその駅まで行くことにした。しかし僕は方向音痴。5つ先の駅まで自転車で行ったことがなかった。基本的には線路に並走していけば着くのはわかってはいたが途中何度か線路から離れて走らなければならない。そ [続きを読む]
  • 母が守ってくれた震災の日
  • 2011年3月11日。東日本大震災。僕はその日休みだった。この日は金曜日。金曜日は1週間の中で一番忙しい。その為社員は必ず出勤するというのが暗黙の了解であった。現に僕はこの会社に4年半お世話になったがこの日以外で金曜日に休んだ記憶がない。それにアルバイトが大半を占める職種でもありまたそのアルバイト達が突然休んだり体調不良で早退するなど多々あった。その為、休日に突然呼び出されたり家に帰って寝ている時 [続きを読む]
  • 両親を馬鹿にされ悔し泣きした日
  • 社会人生活もスタートして半年ぐらいが過ぎた頃だろうか店長が替わった。ただまだ半年、徐々にではあるが好きな接客ができるホール業務は視野が広がり少しづつ手応えを感じ始めてはきたがまだ調理の方は全くと言って良いほどできなかった。もっとも調理が最低限できるようになったのは3年目半立ったぐらいなのでこの時は本当に全くできなかった。調理が苦手でもありできない事は自他ともに認める事だった。僕が厨房に入る時は簡単 [続きを読む]
  • 何度も奮い立たせてくれる僕の座右の銘
  • 何気なく見始めた榮倉奈々さん主演ドラマ「泣かないと決めた日」入社前にアルバイトとして働き始め約1ヶ月。毎日失敗ばかりでうまくいかずもどかしい日々を過ごしていた為か僕はこのドラマにあっという間に引き込まれてしまった。主人公は悪意に満ち溢れた嫌がらせなどを受け入社前に描いていた社会人生活とは違い打ちのめされていた。悔しさのあまり屋上で泣いているとタバコを吸いに来た藤木直人さん演じる上司が現れた。主人公 [続きを読む]