yuuji16 さん プロフィール

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yuuji16さん: 20代で両親を癌で亡くした僕の想い
ハンドル名yuuji16 さん
ブログタイトル20代で両親を癌で亡くした僕の想い
ブログURLhttp://yuuji16.site/
サイト紹介文僕は21で母を、29で父を癌で亡くしました。僕の経験や想いを書きます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供97回 / 302日(平均2.2回/週) - 参加 2017/10/21 00:34

yuuji16 さんのブログ記事

  • 社会人デビュー 父がくれた言葉を胸に
  • 2010年4月1日。僕はこの日、晴れて社会人としての第一歩を踏み出した。内定をもらってからこの4月1日までにアルバイトとしてすでに数回配属先の店舗で働いていた。接客は好きだが人生初めての飲食業。緊張しやすい性格、覚えることが多すぎて頭がパンク。自分ではミスがミスだとわからないぐらいで先輩から毎日たくさんの注意を受けた。学生時代のお世話になっていた家の近所のアルバイト先では人間関係も良好で優しく丁寧 [続きを読む]
  • ブログを書き始めて 〜大好きだよって〜
  • 大事な人を亡くした人ならばあの時◯◯をしてあげれば良かった亡くなる前に◯◯に連れて行ってあげたかったなどと後悔する事がたくさんあるはずだ。親はいつまでも元気だと錯覚し近い存在であるからこそつい照れくさかったり次に会った時に言えば良いやなどと日頃の感謝の思いを先送りにしてしまったり。僕も母の時そういった思いをたくさんした。でもその経験があったからこそ父の事を大事にして父との残りの時間を大切に過ごすこ [続きを読む]
  • お弁当〜僕ら子供の事を一番に〜
  • 僕が生まれる前だったり物心つく前は父は度々、出張に行っていたらしいが僕が物心ついてからは兄と僕が修学旅行に行った時や兄が仕事で帰りが遅くなった時以外は基本的に夜は毎日、家族全員顔を揃えた。それが我が家の日常であり普通の光景だった。しかし母が居なくなったことで父と兄が仕事に行っている日は朝起きた時に「おはよう」と言う相手がいない。大学やアルバイト先から帰って来た時に「ただいま」と言っても「おかえり^ [続きを読む]
  • 思い出が心を温めてくれる
  • 就職が決まり母が亡くなって1年の月日が過ぎた頃僕は家の中の整理をした。就職してしまうとこうした時間が取れないと思ったし就職する前に少し家の中の不要な物を処分したかったから。男3人暮らしだったにもかかわらず父が綺麗好きな人だったのもありきちんと物は整理されていたり掃除機も頻繁にかけてくれていたので家の中はいつも綺麗だった。母が居た頃は母がこうした身の回りの世話をしてくれていたが母が居なくなってからは [続きを読む]
  • 後部座席から見えた宝物
  • 母がまだ生きていた頃。僕が大学に入学した18歳の時、3つ上の兄は大学四年生。その頃、我が家は車を買い替えた。父の趣味はドライブと料理。新車に買い替えた事で父は運転がしたかったのだろう。父が仕事が休みの週末はほぼ毎週家族でドライブに出掛けた。ほぼ毎週、朝5時などに母に起こされまだ暗い中を高速に乗って3〜4時間かけて遠出した。もちろん僕は車の中で寝ていたが。だいたい行きは兄が助手席に座り僕と母は後部座 [続きを読む]
  • 運命の最終面接〜母と共に〜
  • 年が明けた2010年1月。一次試験に合格した僕はこの日、最終面接に臨んだ。(今日で今後の人生が決まる)前年の就職活動を始めて早々に内定をもらった時とは違う感覚。僕は就活用のスーツに着替え家を出る前、母の遺影に向かって「はつみ、約束果たせるように頑張って来るよ」と言った後、母の遺影を手に取り遺影の母の写真を見ながら僕はいつものように遺影を仏壇の方向にクルっと向けて「はつみ、この中入って!」と言って2、 [続きを読む]
  • 自分の事のように
  • 望みをかけた最後の一社の面接に臨んだものの自分の力を出せず落ちたと思った。亡くなる母との約束を自分の愚かな考えのせいで果たせず母の仏壇の前で泣いていると携帯電話が鳴った。番号は企業と僕の間を取り持ってくれた会社の人からだった。今でも覚えているのが僕はこの電話が面接の不合格を伝えるものだと思い母に向かい「はつみ…(不合格の連絡が)来ちゃったよ…」とさらに不安になり同時にとてつもない恐怖で泣いてこの電 [続きを読む]
  • はつみごめん…本当にごめん…
  • 大学4年の6月にスーパーを経営する会社から早々に内定をもらった僕はそこで就職活動を一旦終わらせた。内定先があるというだけで父も兄もそして周りの人もとりあえずは安心してくれたので特に問題は無かった。この当時の僕は就職活動を舐め切っていた。というか「就職する」ということがいまいち理解できていなったしその事から逃げていたのかもしれない。「その会社で何がしたいか」「その会社で自分がどうやっていきたいか」な [続きを読む]
  • 【番外編】家族って良いな
  • 久しぶりの番外編。時間が立つのは早いもので母が亡くなり9年父が亡くなり1年の月日が流れたけれど歳を重ねる事で一緒に居た頃に気づけなかった事や子供の頃の事や過去の事など改めて話したい、聞きたい事があっても聞けないもどかしさなど両親に対しての想いは募るばかり。僕は両親が大好きだ。そして両親も僕の事が大好きだった。だからこそ両親は今も必ず傍に居てくれていると信じているし信じられるので言葉は正しいかはわか [続きを読む]
  • 誕生日の奇跡〜母が帰って来てくれた〜
  • 2009年11月9日。この日は母が亡くなって初めて迎えた僕の誕生日であった。僕はこの日、免許の更新に行くことにしていた。免許を所得して初めての免許更新。勝手もわからず気疲れもして帰って来てしばらくリビングでグターっとした。そして夕方になり2人が帰ってくる前に浴槽にお湯を張らなければと浴室に入ると…浴室の床が濡れていた。まさか浴槽の床が濡れているとは思わず靴下のまま入ってしまい靴下が濡れて冷たくて気 [続きを読む]
  • 母が子を想う気持ちは
  • 僕が15年間応援し続けている涌井選手。その応援する気持ちは15年立っても変わらない。その理由はもちろん怪我に強く同じ野球経験者としてプレースタイルに惚れたから。そしてもう一つ僕が涌井選手を応援し続けるには理由がある。それは涌井選手が西武ライオンズに入団した2005年に遡る。好きな選手が好きな球団に入る。僕にとってその事がどれだけ嬉しかった事か。僕は前年の2004年から主に西武の2軍が練習や試合を行 [続きを読む]
  • 僕にとっての永遠のヒーロー
  • 僕の心の支えとなってくれたプロ野球選手。その1人は涌井秀章選手だ。年齢では涌井選手が僕の一つ上だ。僕は中学生の頃ずっと西武の松坂選手の大ファンだった。松坂選手の母校は横浜高校。その影響でプロ野球は西武、高校野球は横浜高校のファンだった。僕は春と夏の甲子園が大好きで高校に入学する直前に行われていた春の選抜を見ているとテレビの向こう側で明徳義塾高校相手に投げる一人の投手に心を奪われた。そうそれが涌井選 [続きを読む]
  • 家族と野球があったからこそ
  • 僕は野球が大好きだ。1995年母が当時オリックスにいたイチローのファンとなり我が家はあっという間に野球好きな家族になった。翌年の1996年の3月20日、東京ドームで行われた巨人対オリックス戦を家族全員で見に行った。これが家族全員初めて生でプロ野球の試合を見に行った日だ。なぜこんなに鮮明に覚えているかというと今も住んでいる実家にこの日撮ったイチローの写真がずっと貼られているからだ。その後も両親にたくさんプロ野 [続きを読む]
  • 面接官がくれた言葉〜あなたは心が〜
  • 母と別れて2ヶ月が立ったこの頃僕は大学4年生になった。大学4年生ということは何といっても今年は「就職活動」をしなければならない。絶対にフリーターにはならない。なぜならそれは母との最後の約束だったから…。でも正直この時の僕は「就職活動」の意味をはき違えていた。決して来年以降の就職した自分の姿を想像したりその会社で何をしたくて、どう自分の長所を生かせるかどう成長できるかなど就職後の自分を考えはせず(とり [続きを読む]
  • 母のありがたみが身に染みて
  • 男3人の新たな生活が始まって約2ヶ月ぐらい立った。そんなある日、僕はある事で母のありがたみが身に染みて涙が出た。母は専業主婦で心配性な性格だった。そんな母の性格を表しているのが日用品のストックの多さ。我が家にはティッシュやトイレットペーパーなどが常に豊富に在庫があった。その為、母が生前の頃は薬局でよくある「お1人様2点限り」などの安売りの日に僕が家にいると僕にも買いに行ってとよく頼まれたのを覚えている [続きを読む]
  • 僕が今でも許せない人
  • 僕にはどうしても許せない人がいた。母が亡くなり49日が過ぎたこの日僕はその人と1対1で会わなければいけなかった。その人物とは葬儀屋の人間だ。白髪交じりの50代後半の男性。母が亡くなったあの日、家に冷たくなった母が帰って来て数時間後、そこには父と兄と僕と叔父とそしてその葬儀屋の男性がいた。忘れもしない。母の葬儀について話し合いが行われる直前叔父が何気なく葬儀屋の男性に仕事について「最近どうですか?」と聞い [続きを読む]
  • ありがとな
  • 父の言葉につい取り乱してしまい洗濯物を持って勢いのまま2階へと駆け上がった僕。洗濯物を干す部屋で怒りに震える僕。しかし次の瞬間声を出して泣き始めた。父に取った先程の自分の言動を後悔して涙が止まらなかった。(なんであんな態度を取ってしまったんだ…)(はつみが悲しむことをしてしまった…)いつもならどんなに自分が悪いと自覚していても自分を正当化してしまうのだがこの時の僕は違った。時間にして5分程度だっただ [続きを読む]
  • 父に感情を爆発させた夜
  • 僕は涙もろく家族が大好きだ。僕は怒ると無口になる。口論するのが嫌いだし相手を傷つけたくないし何より自分の心が傷つくのが怖いから。僕は昔から家族と喧嘩をした時は少し口論になるとすぐに無言になりその場を離れブツブツ言いながら自分の部屋に逃げていた。喧嘩をしても時間が解決してくれるので翌日になれば元通り。お互いに根に持ったりしないので本当に良い環境だった。僕は今回の母の入院から亡くなるまでの間にたくさん [続きを読む]
  • 僕が父と兄を「ちゃん」付で呼ぶようになった理由
  • はつみが生きた証を残したくて洗濯物の干すタイミングお風呂を入れる時間母と同じタイミングや方法を取る事で母を感じられて僕の心の中にいつも母がいた。そして僕にはもうひとつ母が亡くなってから母の真似をしてある習慣を変えた。それは父と兄の呼び方だ。このブログでも時折書いているのでいつも読んでくれている方はご存知かと思うが僕は母が生前の頃父と母と兄それぞれを下の名前で呼び捨てにしていた。信幸はつみ洋平家族以 [続きを読む]
  • はつみの習慣だから
  • 母が亡くなって男3人での新しい生活が少しずつ、そして確実にスタートし始めた。父と兄は仕事。兄は土休日も仕事があるので家族3人休みはほとんどない。父が食事を担当してくれた。朝はご飯と味噌汁と魚が準備してあり僕はレンジでチンするだけで良かった。そして仕事から帰ってくればすぐに僕の夕飯の食事を作ってくれ本当に僕ら子供達の為に尽くしてくれた。父は元々料理を作るのが好きで母が居た頃も土日の仕事が休みの日は父が [続きを読む]
  • 自分の気持ちに正直に
  • 前夜兄から言われたあの言葉に傷つきながらも今後の自分の振舞い方を決意した僕。だがそれはどこか意地のようなものでだったらこうすれば良いんだろ、と強がって決めたのかもしれない。この当時、父と兄は仕事がある日は朝6時半には2人とも家を出ていた。僕が起きる頃には当然2人もいない。父は4時に起床して夕飯用の米を研いでくれていた。そして夕飯で使う食材を僕が買いに行っていた。その為の購入リストが書かれたメモ書きがい [続きを読む]
  • 自分の感情に
  • 兄から言われた言葉に最初は怒りを覚えたものの時間が立つにつれショックに変わった。たしかに兄は僕の前で一度も大泣きしなかった。自分は凄く感情に正直でワンワン泣いていて過ごしてきたので兄と父は凄いなと改めて思ったのと同時に確かにいつまでも自分だけ泣いているのは2人に申し訳ない。‘泣くのは1人の時だけにしよう'と決意した。そして携帯を使って自分の気持ちを相手に見せないためにはどう振舞えば良いのかなどについ [続きを読む]
  • 泣いて何が悪い!!
  • 僕は母が入院した日からずーっと毎日何回も何回も泣いていた。21歳で母を亡くした当時の僕は本当に自分の感情に正直だった。母が亡くなってからも僕は事あるごとに泣いていた。家族以外の人の前では泣かないようにと気が張れていたこともあり大丈夫であったが父と兄の前では遠慮なく泣いていた。父は家の中で泣いている僕を見てもイライラしたり、言葉をかけるわけでもなくそっとしておいてくれた。しかし一方で冷静沈着で優しい [続きを読む]
  • 日常になんて戻れない
  • 母の告別式納骨など一通りのことが終わった。父と兄も忌引きが終わりまた仕事の生活が始まった。僕はというと母が亡くなったのは2月。大学は4月まで無い。昨年の12月から始まった母の異変、癌発見、余命宣告、闘病生活永眠怒涛の2ヶ月間が終わったものの毎日全身全霊で母に寄り添っていたからこそその反動は大きかった。この約2か月間は「母中心の生活」だった。しかしその生活スタイルから強制的に解放された僕は母を失った悲しみ [続きを読む]
  • さよならは  言わないよ
  • 亡くなった母から告別式の朝にもらった言葉僕はその言葉を旨に告別式の斎場に足を運んだ。案の定、僕は告別式でも号泣した。感情の制御が出来ず今自分が置かれている状況、環境が受け入れられずただただパニック状態で号泣した。そしていよいよお別れの儀の時が訪れた。後から兄にからかわれたが僕は泣きながらそして何かに取りつかれた様に母の顔を見ながら何度も生花を入れ「はつみ…はつみ…」と言っていたとのこと。僕が覚えて [続きを読む]