カムカムビート さん プロフィール

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カムカムビートさん: 歴史のピース
ハンドル名カムカムビート さん
ブログタイトル歴史のピース
ブログURLhttp://isikawagoemon.xyz
サイト紹介文地元を中心に歴史の跡を辿りたいと思います。是非のぞいて見てください。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供131回 / 365日(平均2.5回/週) - 参加 2017/10/22 17:51

カムカムビート さんのブログ記事

  • 尾張 松倉城跡
  • (adsbygoogle = window.adsbygoogle || ).push({});越中征伐と呼ばれる小牧長久手の戦い後に 徳川家康を屈服させ四国の 長宗我部元親を攻略し少しづつ天下を自らのものにしていく過程で勢いのあった羽柴秀吉。次にターゲットに選んだのは佐々成政。彼は越中富山城...向牧戸城 跡 - 歴史のピースかつて愛知県と岐阜県の県境にあった今はもう川の中に埋もれたといわれる城日本のどこかしらかに同じ名前の城があったようで、、、 [続きを読む]
  • 千畳敷遺跡 織田信長居館跡
  • (adsbygoogle = window.adsbygoogle || ).push({});豊臣秀吉のサクセスストーリーとして欠かすことのできない城のひとつ(この地に築いたかどうかは不明な点が多いらしいですが行ってみると地元の人には申し訳ないですが何にもない堤防沿いにおっ!城や!とかなり目...墨俣一夜城 - 歴史のピース岐阜城金華山の麓にある織田信長の居館跡。今も多分発掘調査が行われているようで、、かのポルトガル宣教師戦国時代に日本でイエスズ会 [続きを読む]
  • 飯沼勘平長資の墓
  • 「関ヶ原の合戦」と呼ばれる天下分け目の合戦に至る前にはきっと数多くの調略や戦いがあり、、歴史に名を残す戦でもいろんなドラマがあるんだ、、とつくづく思います。通り道の石碑とか少し触れてみるだけでも歴史の影に隠れたような人たちがたくさんいるんでしょう...大塚権太夫の塚 - 歴史のピース1600年8月22日池田輝政率いる東軍と西軍の織田秀信軍、、ここ、米野で大激戦が繰り広げられるなか東軍、一柳直盛の家老大塚権太夫 [続きを読む]
  • 大塚権太夫の塚
  • 関ヶ原の前哨戦として岐阜城攻略のため東軍 池田輝政、山内一豊らの進軍を阻止しようと西軍 岐阜城城主織田秀信(織田信長のまご  織田信忠の嫡男です)の指示のもと百々綱家らが防戦した戦場になります。今堤防沿いにいますが車がビュンビュン走ってます。(雨...米野の戦い 跡 - 歴史のピース「関ヶ原の合戦」と呼ばれる天下分け目の合戦に至る前にはきっと数多くの調略や戦いがあり、、歴史に名を残す戦でもいろんなドラマ [続きを読む]
  • 長久手城趾
  • 本能寺の変で信長が死に山崎の戦いで主君の仇を討った羽柴秀吉の野望が水面下で動いていきます、、、、 1583年賤ヶ岳の戦いと呼ばれる柴田勝家との戦いの中で清洲会議で、柴田勝家が織田家の後継にと推していた信長の三男 織田信孝も秀吉を討つべく勝家につき、ともに挙兵。、、しかし秀吉側についていた信長次男の織田信雄により居城である岐阜城を包囲され柴田勝家が北ノ庄城で自害すると信孝も降伏し、、のちに切腹します。 そ [続きを読む]
  • 学習院長官舎
  • このへん(岐阜)に住んで、つくづく良かったなと思うのは、やっぱり、、「明治村」があることでしょうか。愛知県犬山市にある博物館?とも言えないほどの広大な敷地の中で明治時代の歴史を感じられるテーマパーク。1日では回れないほどの巨大な規模で様々な建築物が保存されよくドラマや映画の撮影の舞台ともなっているようです。ちょこちょこあっ、これ明治村やんとか行ったことある人はわかると思います。 このへんに住んでいる [続きを読む]
  • 血天井
  • 河田渡河の戦い、米野の戦いと西軍を打ち破り徐々に岐阜城に近づく東軍。池田輝政が 岐阜城を攻める前に休んだと言われる松だそうです。乃木希典像があった八剣神社内にあります。池田輝政、、、織田信長の部下、池田恒興の次男と生まれ長久手の戦いで父と兄が戦死し...池田輝政 鎧掛けの松 - 歴史のピース岐阜城の北側、長良川を渡った位置にある崇福寺。1582年 本能寺の変ののち織田信長の仇をとるため豊臣秀吉は備中高松城略 [続きを読む]
  • 桃太郎神社
  • 最近話題のスポットです。きゅう師をしていた方に夢のお告げがあったそうでそれから5年後の1954年に完成しました。どこからみても不思議な景観で電車から見ると通り過ぎる大仏がまわりの風景とあまりにそぐわず、余計非現実的なものに見えます。(子供の頃は衝撃を受...布袋の大仏 - 歴史のピース神話の時代に国を産み神を生んだイザナギとイザナミ二人は夫婦として日本の島々、石やら木やら風やら色々なものをつくったはいいです [続きを読む]
  • 岩村城
  • 「霧ヶ城」とも呼ばれるこの城は日本三大山城の一つとして数えられ源頼朝の時代から室町、戦国時代また江戸時代から明治時代に至るまで数多くの城主が入れ替わり立ち替わり、、、、、時代のうねりに巻き込まれながらも明治の廃城令で解体されるまでかなり古い歴史を持った城だそうです。(あとから思えば壊すなんて、、なんと勿体ないことしたんだろう、、、しかたないけど、、)今は石垣が綺麗に残っています。 またこの城の城下 [続きを読む]
  • お蛇ヶ様
  • (adsbygoogle = window.adsbygoogle || ).push({});岐阜県岐南町、八剣神社境内にありました。なぜここにあるのかはわかりませんが、立派な像です。彼は学者になりたかったそうですが幕末の動乱から明治維新に巻き込まれていき軍人として西南戦争や日清戦争に従軍。...乃木希典 像 - 歴史のピース日本各地によくある蛇にまつわる伝説とか昔話とかそこらへんにあると思います。有名なのはヤマタノオロチとかパッと思い浮かびますが [続きを読む]
  • 十九条城 跡
  • 美濃の戦国大名斎藤義龍が急死した2日後に織田信長は美濃を侵攻。森部の戦いで急襲し大勝利を得た織田軍はそのまま突き進み墨俣の砦を奪い 美濃攻略の拠点として墨俣北西のこの地に城を築きます。 もともと1526年(大永6年)に斎藤利良という美濃守護代が時の守護大名、土岐頼純の命により信長の父、織田信秀を警戒して造ったそうですが土岐氏滅亡から斎藤道三が美濃を支配してからは一度廃城となり再び、美濃尾張戦線の重要な要と [続きを読む]
  • 承久の乱 合戦供養塔
  • 子供の頃によく父親に連れて行かれたおぼえが何度かあり岐阜県各務原市の木曽川沿い近くにある愛岐大橋を渡れば愛知県この川沿いにある前渡のお不動さんと親しまれている小さな山の中腹に承久の乱合戦供養塔はあります。、、いいクニを作ろうと平氏を滅亡に追い込み鎌倉幕府を開いて征夷大将軍となった源頼朝は1199年に落馬し亡くなってしまいます。しかし任命から僅か7年程しか経っていません。頼朝は子供の頃、平清盛の命により [続きを読む]
  • 犬山城
  • 別名白帝城と呼ばれる愛知県犬山市にある城天守は国宝にもなっています。去年か一昨年くらいに、雷が当たり屋根のしゃちほこが破損したニュースもありました。写真撮ったけどどこかにいってしまった、、、1469年(文明元年)に織田広近が砦を築き 織田信長の叔父である織田信康が砦を改修したことから城として築いたそうです。 天守のてっぺんから見ると木曽川を越えた西には伊木山城、、、東には木曽川を越えれば鵜沼城橋の左上の [続きを読む]
  • 北塚
  • この場所はかつて戦で亡くなった人たちのお墓。敵も、味方も関係なく地元の人たちに手厚く葬られた場所だそうです。丸毛兼利というもともと美濃斎藤家の支配下にあったが織田信長に仕え、本能寺の変後は豊臣秀吉のもとへ、、郷に入れば郷に従えではないですがそれなりにうまいことやっていたようですが天下分け目の大決戦、関ヶ原の戦いの少し前に兼利は福束城城主として西軍についていました。しかし東軍、福島正則が再三東軍につ [続きを読む]
  • 出世の松
  • のちに加賀百万石の大名となり豊臣政権の五大老の一人として強大な力を持つ前田利家。 彼は少年の頃、犬千代と呼ばれ織田信長がまだ尾張を統一する前から側で小姓として仕え萱津の戦いと呼ばれるいくさで初陣を果たし槍の又左という異名を持ち目の下を射抜かれたりしながらも数々の戦いで活躍したそうです。 かぶき者と呼ばれた彼は血の気が多く、短気でキレやすい性格で(ああ、あんまり関わりたくないなぁ、、、) かの有名な正 [続きを読む]
  • 森部合戦の古戦場・薬師堂
  • 斎藤道三が息子の斎藤義龍に討たれたあと 道三の義理の息子である織田信長は斎藤家を討つために美濃攻めに取りかかります。「西濃」と呼ばれる岐阜県の南西部へ侵攻を行いますが 想像以上に義龍は強かったらしい、、、 父から馬鹿にされていた2メートル近い男は 長良川の戦いで父である道三と戦いますが 父は、死ぬ前にこの戦いで斎藤義龍の見事な采配に「しばらくは斎藤家も安泰」と言ったそうです。 そして、、尾張一国を手中に [続きを読む]
  • 村国男依 像
  • 壬申の乱と呼ばれる古代最大の内乱。 もともと天智天皇の弟、大海人皇子が皇太子として次期皇位の継承者だったそうですが息子である大友皇子を溺愛した天智天皇。大友皇子を次期継承者とし大海人皇子を排除しようと画策し不穏な動きがあったようです、、 立場どころか命まで脅かされそうになる大海人皇子は天智天皇が死ぬ前に「天智天皇の直系であるあなたの息子、大友皇子に次の天皇を継がせるのが筋なので」と言い残し出家し吉野 [続きを読む]
  • 小里城 跡
  • 1534年(天文3年)岐阜県瑞浪市にある土岐氏の一族小里(おり)光忠が築城したといわれる山城。 どうせ大したことないだろうと、、つっかけ半ズボンで登ったら途中からどえらいことになりしかも、、、こんな看板がいたるところにあってほんと勘弁してほしい、、、 汗にまみれて、、、なんとか頂上まで、、、、 甲斐の武田信玄がどんどん西へと侵攻する中で尾張の織田信長も勢力を拡大。 その狭間に立つ小里光忠は最初、親戚である [続きを読む]
  • 今川治部大輔義元の墓
  • 駿河、三河、遠江の三国を支配している今川義元、、静岡県にいるゴジラが日本地図を踏み潰していくようにどんどん西へ突き進み、愛知県へ向かうも織田信長がなんとか阻止しようとします。 雨が上がり、桶狭間において今川軍本隊を目にした織田信長軍。狙うは今川義元の首ひとつ。寡兵でもって、織田軍は突き刺すように今川軍本体に突っ込みます。敵も味方も分からないような乱戦の中で義元を発見したという服部小平太。この瞬間、 [続きを読む]
  • 伝 蘇我倉山田石川麻呂の墓
  • 暑くもないのに汗が吹き出る瞬間寒くもないのに手足が震える瞬間何度か経験した覚えありますが、、、、 岐阜県各務原市の僻地にある畑と田んぼが広がるなかでぽつんとこのお墓はありました。あるといってもほとんど整備はされていないようで丘?古墳?のてっぺんにあがるため、、道なき道を登ります。蘇我倉山田石川麻呂という方が眠っておられるらしい、、、。はるか昔の飛鳥の時代のちに聖徳太子と呼ばれる厩戸皇子が死去したの [続きを読む]
  • 関ヶ原古戦場 開戦地
  • 八丈島といえば八丈島のきょんとかくさやとか、、、 むかし知り合いに八丈島出身の人がいて宇喜多秀家が流罪になったところです、と笑っていてと言われても、、聞いたことのある名前だけど、、くらいでなんだか印象を受けた覚えがあります。 しかしくさやとはどんなもんでしょうか?相当臭いとかはまる人ははまるとか 一度は食べてみたい。 その関ヶ原の戦で西軍の主力として戦い、敗戦後、八丈島に島流しととなる宇喜多秀家。 彼 [続きを読む]
  • 長久手古戦場 勝入塚
  • 小牧 長久手の戦いが始まるまえ、、、 羽柴秀吉が本能寺の変で横死した織田信長の仇討ちのため中国大返しを敢行し疾風のように岡山から京都に戻り山崎の戦いで、明智光秀を討ったのちに清洲会議にて織田家の継承者問題や領地の問題で揉めに揉めているときその男は清洲城のその会議の場にいました。 池田恒興。 彼は小さな頃から織田信長のそばに仕えており桶狭間の戦いから美濃攻略浅井朝倉連合軍との姉川の戦いとか果ては比叡山 [続きを読む]
  • 長久手古戦場 勝入塚
  • 小牧 長久手の戦いが始まるまえ、、、 羽柴秀吉が本能寺の変で横死した織田信長の仇討ちのため中国大返しを敢行し疾風のように岡山から京都に戻り山崎の戦いで、明智光秀を討ったのちに清洲会議にて織田家の継承者問題や領地の問題で揉めに揉めているときその男は清洲城のその会議の場にいました。 池田恒興。 彼は小さな頃から織田信長のそばに仕えており桶狭間の戦いから美濃攻略浅井朝倉連合軍との姉川の戦いとか果ては比叡山 [続きを読む]
  • 川手城 跡
  • かつての美濃守護大名、土岐氏の本拠地革手城とも呼ばれた城の趾です。 土岐悪五郎の兄、土岐頼康が築城したとされ昔はここ一帯が岐阜の中心地でかなり栄えたそうです。応仁の乱の時には公家の人たちが京を追いやられ土岐家を頼り集まり、ここらへんで都文化に花を咲かせ賑やかだったようですが1530年(享禄3年)斎藤道三が稲葉山城に拠点を移したことで廃城となったそうです。 のちに、徳川家康の命により、この城跡の廃材も以前 [続きを読む]
  • 川手城 跡
  • かつての美濃守護大名、土岐氏の本拠地革手城とも呼ばれた城の趾です。 土岐悪五郎の兄、土岐頼康が築城したとされ昔はここ一帯が岐阜の中心地でかなり栄えたそうです。応仁の乱の時には公家の人たちが京を追いやられ土岐家を頼り集まり、ここらへんで都文化に花を咲かせ賑やかだったようですが1530年(享禄3年)斎藤道三が稲葉山城に拠点を移したことで廃城となったそうです。 のちに、徳川家康の命により、この城跡の廃材も以前 [続きを読む]