カムカムビート さん プロフィール

  •  
カムカムビートさん: 歴史のピース
ハンドル名カムカムビート さん
ブログタイトル歴史のピース
ブログURLhttp://isikawagoemon.work
サイト紹介文地元を中心に写真とイラストで歴史の跡を辿りたいと思います。是非のぞいて見てください。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供44回 / 216日(平均1.4回/週) - 参加 2017/10/22 17:51

カムカムビート さんのブログ記事

  • 伊東甲子太郎 外数名殉難之跡
  • 油小路事件と呼ばれる慶応3年(1867年)3月20日新選組を離脱し御陵衛士を結成した伊東甲子太郎、、、彼は容姿端麗で風采もよく剣術の腕も勉学の点でも素晴らしくそして人望も高かったそうです。(いうことないですよね、、羨ましい)新選組に加盟して参謀という偉い... [続きを読む]
  • 伏屋城 趾
  • あの有名な墨俣城と同時期に築城されたのにも関わらずあまり日の目を見ない城跡岐阜県、岐南町にあります。こちらも一夜城と呼ばれ織田信長の美濃攻略のために羽柴秀吉が作ったそうです。そしてもう一つ本能寺の変が起こり羽柴秀吉が明智光秀を山崎の戦いで破り賤ヶ岳の戦い... [続きを読む]
  • 黒田城 趾
  • 愛知県一宮市にある山内盛豊という尾張上四群の支配者織田信安に仕えていた彼は息子の信賢に仕えて、、、、浮野の戦いで織田信長軍と戦って死んだか黒田城が夜討され息子の十郎と戦死したのかそれとも織田信賢軍のもとで包囲され岩倉城で死んだのか。いずれにせよ織田信長の... [続きを読む]
  • 安土城址 摠見寺 
  • 浮野の戦いで壊滅した織田信賢軍。彼は居城である岩倉城に敗走しますがすぐさま信長軍は岩倉城を包囲。信賢は降伏し、信長は尾張を統一します。織田信賢。彼の父親、織田信安は何が原因か知りませんが自分の長男である信賢ではなく次男の信家を後継にしようとしたことで信賢... [続きを読む]
  • 浮野古戦場 浮剕首塚 
  • 愛知県一宮市にある合戦跡です。尾張の国の小さな大名の後継として生まれた織田信長。父、信秀が死に家督を継いだのが18歳。どう読めば うぐいすなのか、、、 、、、それはともかく謀略をもって少しづつ彼は尾張の版図を広げようとしている、、、もともと尾張の国の守護... [続きを読む]
  • 養老の滝
  • 壬申の乱という身内との権力争いに勝利し天皇の権力を強めた天武天皇彼の孫娘が天皇として君臨していた時代です。子供の頃は居酒屋のイメージが先行して有名だった気がしますが親孝行の息子がある日滝の水が酒になって父親にたらふくお酒を飲ませてそれを何処かで聞いた天武... [続きを読む]
  • 秀吉公と石田三成公 出逢いの像
  • 三献茶と呼ばれる、有名なエピソードを描いた銅像がJR長浜駅にあります。なんでこんな銅像立てたんだろうかとこのシーンを銅像によくしたなあとなにをどうコメントしていいのかは分かりませんが駅前に凄い銅像を建てたものです。ここから石田三成は秀吉に仕官し彼の右腕とな... [続きを読む]
  • 長浜城 趾
  • 秀吉が初めて築城や城下町の基礎を作ったという長浜城は1574年頃 に無事築城。こんな感じだそうです。水の都とも言えるほど琵琶湖の湖畔にできたこの城は城内に水門があり、直接船で城に入れる様な仕組みだったそうです。ドラクエみたいですね。この頃秀吉は木下の姓から羽柴... [続きを読む]
  • 長浜城と「おかねさん」 碑
  • 金ヶ崎の退き口という有名な撤退戦の殿軍を務めあげた木下藤吉郎秀吉。姉川の戦いから一乗谷城の戦いで朝倉家を壊滅させ小谷城の戦いで浅井家を滅亡させた織田信長より浅井家の旧領を拝領した秀吉37歳は琵琶湖畔に初めて自分の居城として長浜城を築きます。築城の際には長浜... [続きを読む]
  • 竹中伝六喜伯の墓
  • 宝暦治水事件と呼ばれる1754年 宝暦4年に江戸幕府が薩摩藩に命じた濃尾平野の乱発する洪水を止めるべく木曽三川と呼ばれる木曽川と長良川、揖斐川の治水工事。その過程で工事中に薩摩藩士51名が自害。33名が病死というかなりの犠牲を払ったとんでもない事件。薩摩藩の... [続きを読む]
  • 上茜部城 跡 
  • 「名人」とかつて呼ばれ13歳の若さで織田信長に仕えながらも本能寺の変ののちは豊臣秀吉に仕え数々の戦場で活躍した掘秀政の誕生した城跡です。彼は、かなりのイケメンで頭も良くそれを見抜いた信長からも愛され、側近となり本能寺の変ののちは秀吉からも重宝されるスーパ... [続きを読む]
  • 向牧戸城 跡
  • 越中征伐と呼ばれる小牧長久手の戦い後に 徳川家康を屈服させ四国の 長宗我部元親を攻略し少しづつ天下を自らのものにしていく過程で勢いのあった羽柴秀吉。次にターゲットに選んだのは佐々成政。彼は越中富山城を本拠地として抵抗を試みます。同時に秀吉は飛騨攻略を金森... [続きを読む]
  • 関ヶ原 島左近 陣地
  • 石田三成にはもったいないと世間から言わしめたほどの男が笹尾山の麓で陣を張り人生最後の戦いを迎えます。慶長5年9月14日徳川家康率いる東軍の部隊が続々とここ、関ヶ原に集まってきます。決戦前日には西軍の士気をあげるため島左近と宇喜多家家臣の明石全登らが杭瀬川で奇... [続きを読む]
  • 竹中半兵衛重治公の像
  • 岐阜県垂井町JR垂井駅前、小さなロータリーの真ん中に座っていました。さすが秀吉から三顧の礼で迎えられた威厳を感じます。両兵衛と呼ばれた黒田官兵衛とともに羽柴秀吉の参謀として支えた有名な軍師です。最初は斎藤義龍に仕え、その息子斎藤龍興にも仕えますが斎藤龍興は... [続きを読む]
  • 天の岩戸 恵利原の水穴
  • 三重県志摩市にある洞窟です。弟、スサノオノミコトの乱暴をみかねて天照大神が隠れてしまった岩戸隠れの舞台です。天の岩戸伝説って日本各地にあるそうですね!天照大神が岩の中に隠れてから世界は真っ暗闇になってしまったそうですがアマノウズメの踊りでなんとか天照大神... [続きを読む]
  • 板垣退助 遭難の地
  • ここで板垣退助が暴漢に襲われ有名な名言を残した場所です。近くには岐阜城下織田信長居館跡があります。板垣退助ってなんとなく有名なのになんだかよくわからないけど何した人なんだろうってよくよく調べたら自由民権運動の主導者としてそれまで藩閥での政治であった日本を... [続きを読む]
  • 太閤井戸
  • こんばんは。随分さぼっていました。すみません。また少しづつやっていきたいと思います。長浜城の近くにある井戸の跡です。水量によって碑が沈んだり、そばに歩いて行けるようです。 かつて浅井長政を滅ぼしたのち羽柴秀吉が織田信長から所領した今浜と呼ばれたこの地を長... [続きを読む]
  • 墨俣一夜城
  • 豊臣秀吉のサクセスストーリーとして欠かすことのできない城のひとつ(この地に築いたかどうかは不明な点が多いらしいですが行ってみると地元の人には申し訳ないですが何にもない堤防沿いにおっ!城や!とかなり目立ちます。)尾張から美濃への侵攻のための重要な拠点として墨俣という、陸とも川ともつかない荒地に砦をつくれと織田信長の命を受け、佐久間信盛、佐々成政ら築城を試みるも失敗 、、、、そこで藤吉郎秀吉が蜂須賀小 [続きを読む]
  • 池田輝政 鎧掛けの松
  • 河田渡河の戦い、米野の戦いと西軍を打ち破り徐々に岐阜城に近づく東軍。池田輝政さんが 岐阜城を攻める前に休んだと言われる松だそうです。乃木希典像があった八剣神社内にあります。池田輝政さんですが織田信長の部下、池田恒興の次男と生まれ長久手の戦いで父と兄が戦死したため家督を継ぎ美濃大垣城主岐阜城主←以前住んでいた城を攻めているんですよね。なんかスゴイ。となり、豊臣政権下で様々な戦に参加します。そして秀吉 [続きを読む]
  • 河田渡河戦 跡
  • 前紹介した米野の戦いと同日に行われた関ヶ原前哨戦岐阜城攻略のための木曽川渡河の戦い跡です。木曽川を隔てて今の愛知県と岐阜県の境を分け西軍にとっては重要な防御線だったと思います。各務原市川島町の位置から撮りましたが微妙に岐阜城が見えます。ええ、、、、、見えます?、、、、、、、、、なんとなくこんな距離感です あの時代のひとたちにとっては近いのか遠いのか 判断つきません。遠そう。ここで織田秀信率いる西軍 [続きを読む]
  • 乃木希典 像
  • 岐阜県岐南町、八剣神社境内にありました。なぜここにあるのかはわかりませんが、立派な像です。彼は学者になりたかったそうですが幕末の動乱から明治維新に巻き込まれていき軍人として西南戦争や日清戦争に従軍。そして日露戦争での旅順攻略戦において日本軍第3司令官として60000人近い死傷者を出しながらもこれを攻略。しかしその戦場で二人の息子を失ったそうです。(なんともいえないですよね、、、)戦後は多数の死傷者を出し [続きを読む]
  • 宮後城 跡
  • かの豊臣秀吉の部下蜂須賀小六が住んでいた城の跡です。蜂須賀小六(正勝)といえば盗賊の親分として秀吉に仕えたそうですが実際は盗賊ではなかったそうですね。しかし名前からしてちょっと怪しげなイメージは払拭できない感じもします。(いい意味で、本当の悪党ではなさそ... [続きを読む]
  • 御手洗池 岐阜
  • 関ヶ原の前哨戦として木曽川を境に張っていた西軍は破られ後退。東軍は岐阜城に攻め込むことになります。そして岐阜城城主織田秀信は西軍についていたため抵抗するも1日で岐阜城は陥落してしまいます。そのとき、岐阜城の奥女中たちは「生きて虜囚の辱めを受けず」かこの池に... [続きを読む]
  • 安東伊賀守守就戦死の地 跡
  • 美濃三人衆と呼ばれたもともと斎藤家に仕えていた三人が斎藤家を見限り、織田信長が稲葉山城(岐阜城)を攻略するときに織田信長に内応し稲葉山城攻略を決定的にした三人を美濃三人衆と称するとのこと。稲葉一鉄「頑固一徹」の一徹の由来のかたとの噂。頑固だったんでしょう... [続きを読む]