カムカムビート さん プロフィール

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カムカムビートさん: 歴史のピース
ハンドル名カムカムビート さん
ブログタイトル歴史のピース
ブログURLhttp://isikawagoemon.xyz
サイト紹介文地元を中心に写真とイラストで歴史の跡を辿りたいと思います。是非のぞいて見てください。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供143回 / 332日(平均3.0回/週) - 参加 2017/10/22 17:51

カムカムビート さんのブログ記事

  • 北塚
  • この場所はかつて戦で亡くなった人たちのお墓。敵も、味方も関係なく地元の人たちに手厚く葬られた場所だそうです。丸毛兼利というもともと美濃斎藤家の支配下にあったが織田信長に仕え、本能寺の変後は豊臣秀吉のもとへ、、郷に入れば郷に従えではないですがそれなりにうまいことやっていたようですが天下分け目の大決戦、関ヶ原の戦いの少し前に兼利は福束城城主として西軍についていました。しかし東軍、福島正則が再三東軍につ [続きを読む]
  • 出世の松
  • のちに加賀百万石の大名となり豊臣政権の五大老の一人として強大な力を持つ前田利家。 彼は少年の頃、犬千代と呼ばれ織田信長がまだ尾張を統一する前から側で小姓として仕え萱津の戦いと呼ばれるいくさで初陣を果たし槍の又左という異名を持ち目の下を射抜かれたりしながらも数々の戦いで活躍したそうです。 かぶき者と呼ばれた彼は血の気が多く、短気でキレやすい性格で(ああ、あんまり関わりたくないなぁ、、、) かの有名な正 [続きを読む]
  • 森部合戦の古戦場・薬師堂
  • 斎藤道三が息子の斎藤義龍に討たれたあと 道三の義理の息子である織田信長は斎藤家を討つために美濃攻めに取りかかります。「西濃」と呼ばれる岐阜県の南西部へ侵攻を行いますが 想像以上に義龍は強かったらしい、、、 父から馬鹿にされていた2メートル近い男は 長良川の戦いで父である道三と戦いますが 父は、死ぬ前にこの戦いで斎藤義龍の見事な采配に「しばらくは斎藤家も安泰」と言ったそうです。 そして、、尾張一国を手中に [続きを読む]
  • 村国男依 像
  • 壬申の乱と呼ばれる古代最大の内乱。 もともと天智天皇の弟、大海人皇子が皇太子として次期皇位の継承者だったそうですが息子である大友皇子を溺愛した天智天皇。大友皇子を次期継承者とし大海人皇子を排除しようと画策し不穏な動きがあったようです、、 立場どころか命まで脅かされそうになる大海人皇子は天智天皇が死ぬ前に「天智天皇の直系であるあなたの息子、大友皇子に次の天皇を継がせるのが筋なので」と言い残し出家し吉野 [続きを読む]
  • 小里城 跡
  • 1534年(天文3年)岐阜県瑞浪市にある土岐氏の一族小里(おり)光忠が築城したといわれる山城。 どうせ大したことないだろうと、、つっかけ半ズボンで登ったら途中からどえらいことになりしかも、、、こんな看板がいたるところにあってほんと勘弁してほしい、、、 汗にまみれて、、、なんとか頂上まで、、、、 甲斐の武田信玄がどんどん西へと侵攻する中で尾張の織田信長も勢力を拡大。 その狭間に立つ小里光忠は最初、親戚である [続きを読む]
  • 今川治部大輔義元の墓
  • 駿河、三河、遠江の三国を支配している今川義元、、静岡県にいるゴジラが日本地図を踏み潰していくようにどんどん西へ突き進み、愛知県へ向かうも織田信長がなんとか阻止しようとします。 雨が上がり、桶狭間において今川軍本隊を目にした織田信長軍。狙うは今川義元の首ひとつ。寡兵でもって、織田軍は突き刺すように今川軍本体に突っ込みます。敵も味方も分からないような乱戦の中で義元を発見したという服部小平太。この瞬間、 [続きを読む]
  • 伝 蘇我倉山田石川麻呂の墓
  • 暑くもないのに汗が吹き出る瞬間寒くもないのに手足が震える瞬間何度か経験した覚えありますが、、、、 岐阜県各務原市の僻地にある畑と田んぼが広がるなかでぽつんとこのお墓はありました。あるといってもほとんど整備はされていないようで丘?古墳?のてっぺんにあがるため、、道なき道を登ります。蘇我倉山田石川麻呂という方が眠っておられるらしい、、、。はるか昔の飛鳥の時代のちに聖徳太子と呼ばれる厩戸皇子が死去したの [続きを読む]
  • 関ヶ原古戦場 開戦地
  • 八丈島といえば八丈島のきょんとかくさやとか、、、 むかし知り合いに八丈島出身の人がいて宇喜多秀家が流罪になったところです、と笑っていてと言われても、、聞いたことのある名前だけど、、くらいでなんだか印象を受けた覚えがあります。 しかしくさやとはどんなもんでしょうか?相当臭いとかはまる人ははまるとか 一度は食べてみたい。 その関ヶ原の戦で西軍の主力として戦い、敗戦後、八丈島に島流しととなる宇喜多秀家。 彼 [続きを読む]
  • 長久手古戦場 勝入塚
  • 小牧 長久手の戦いが始まるまえ、、、 羽柴秀吉が本能寺の変で横死した織田信長の仇討ちのため中国大返しを敢行し疾風のように岡山から京都に戻り山崎の戦いで、明智光秀を討ったのちに清洲会議にて織田家の継承者問題や領地の問題で揉めに揉めているときその男は清洲城のその会議の場にいました。 池田恒興。 彼は小さな頃から織田信長のそばに仕えており桶狭間の戦いから美濃攻略浅井朝倉連合軍との姉川の戦いとか果ては比叡山 [続きを読む]
  • 長久手古戦場 勝入塚
  • 小牧 長久手の戦いが始まるまえ、、、 羽柴秀吉が本能寺の変で横死した織田信長の仇討ちのため中国大返しを敢行し疾風のように岡山から京都に戻り山崎の戦いで、明智光秀を討ったのちに清洲会議にて織田家の継承者問題や領地の問題で揉めに揉めているときその男は清洲城のその会議の場にいました。 池田恒興。 彼は小さな頃から織田信長のそばに仕えており桶狭間の戦いから美濃攻略浅井朝倉連合軍との姉川の戦いとか果ては比叡山 [続きを読む]
  • 川手城 跡
  • かつての美濃守護大名、土岐氏の本拠地革手城とも呼ばれた城の趾です。 土岐悪五郎の兄、土岐頼康が築城したとされ昔はここ一帯が岐阜の中心地でかなり栄えたそうです。応仁の乱の時には公家の人たちが京を追いやられ土岐家を頼り集まり、ここらへんで都文化に花を咲かせ賑やかだったようですが1530年(享禄3年)斎藤道三が稲葉山城に拠点を移したことで廃城となったそうです。 のちに、徳川家康の命により、この城跡の廃材も以前 [続きを読む]
  • 川手城 跡
  • かつての美濃守護大名、土岐氏の本拠地革手城とも呼ばれた城の趾です。 土岐悪五郎の兄、土岐頼康が築城したとされ昔はここ一帯が岐阜の中心地でかなり栄えたそうです。応仁の乱の時には公家の人たちが京を追いやられ土岐家を頼り集まり、ここらへんで都文化に花を咲かせ賑やかだったようですが1530年(享禄3年)斎藤道三が稲葉山城に拠点を移したことで廃城となったそうです。 のちに、徳川家康の命により、この城跡の廃材も以前 [続きを読む]
  • 土岐悪五郎の墓
  • 南北朝の時代、、、美濃守護大名 土岐頼康の弟土岐康貞の通称が悪五郎だそうです。 別に悪は悪党とか悪者とかの現在の意味合いで捉えたわけでなく剛の者として呼ばれたことから悪五郎という異名がついたようで、、、ここ、岐阜墨俣にある明台寺にあり行った時は夕方で、、多分、寺の和尚さん?かな?が草むしりしていたので声をかけたら妙に愛嬌のあるおじさんでこんなところ変わり者しかこないとか言われたりしながらお墓の案内 [続きを読む]
  • 土岐悪五郎の墓
  • 南北朝の時代、、、美濃守護大名 土岐頼康の弟土岐康貞の通称が悪五郎だそうです。 別に悪は悪党とか悪者とかの現在の意味合いで捉えたわけでなく剛の者として呼ばれたことから悪五郎という異名がついたようで、、、ここ、岐阜墨俣にある明台寺にあり行った時は夕方で、、多分、寺の和尚さん?かな?が草むしりしていたので声をかけたら妙に愛嬌のあるおじさんでこんなところ変わり者しかこないとか言われたりしながらお墓の案内 [続きを読む]
  • 河合耆三郎の墓
  • 「ある隊士の切腹」京都におけるたった5年間の活動の中で 新選組で行われていた内部粛清、、この局中法度において 命を散らした隊士の墓です。散らすというには理不尽な死に様で、、 河合耆三郎という播磨国出身で実家は裕福な米問屋だったようで、、、、、(なぜ、新選組に入隊しようと思ったんでしょうか??)池田屋事件でも活躍し隊の勘定方として経理を担っていたそうです。 池田屋の襲撃後の元治元年10月に伊東甲子太郎が入 [続きを読む]
  • 河合耆三郎の墓
  • 「ある隊士の切腹」京都におけるたった5年間の活動の中で 新選組で行われていた内部粛清、、この局中法度において 命を散らした隊士の墓です。散らすというには理不尽な死に様で、、 河合耆三郎という播磨国出身で実家は裕福な米問屋だったようで、、、、、(なぜ、新選組に入隊しようと思ったんでしょうか??)池田屋事件でも活躍し隊の勘定方として経理を担っていたそうです。 池田屋の襲撃後の元治元年10月に伊東甲子太郎が入 [続きを読む]
  • 三十三間堂
  • 、、、かつて宮本武蔵が吉岡伝七郎とこの場所で決闘したという、、、、。(あの週刊誌でやっていた有名な漫画は終わってしまったんでしょうか、、、、?あれもう20年くらい前から始まっていますよね、、、、なんとか生きてるうちに続きをみたいな、、、) 正式名称は蓮華王院本堂と呼ばれる仏堂。三十三間堂と呼ばれ造ったのは、、、平安末期の久寿二年(1155年)7月に第77代天皇として即位した後白河天皇。父、鳥羽上皇が崩御し [続きを読む]
  • 三十三間堂
  • 、、、かつて宮本武蔵が吉岡伝七郎とこの場所で決闘したという、、、、。(あの週刊誌でやっていた有名な漫画は終わってしまったんでしょうか、、、、?あれもう20年くらい前から始まっていますよね、、、、なんとか生きてるうちに続きをみたいな、、、) 正式名称は蓮華王院本堂と呼ばれる仏堂。三十三間堂と呼ばれ造ったのは、、、平安末期の久寿二年(1155年)7月に第77代天皇として即位した後白河天皇。父、鳥羽上皇が崩御し [続きを読む]
  • 織田信長公像 清洲公園
  • 若き日の彼の視線の先、、、、、 桶狭間の方向を見据えているというこの凛々しい銅像。現在ある清洲城から橋を渡ると もともとあった清洲城の趾があり これは井戸の跡でしょうか? 高架下を歩くと辿り着く公園の中にありました。 永禄3年5月12日、、、今川義元が尾張を目指し駿府より西進。先進するは今川方である松平元康、、、のちに徳川家康となる男。 その報を聞いた織田信長、、、 清洲城にて籠城か、出撃か、、、 5月19日午 [続きを読む]
  • 織田信長公像 清洲公園
  • 若き日の彼の視線の先、、、、、 桶狭間の方向を見据えているというこの凛々しい銅像。現在ある清洲城から橋を渡ると もともとあった清洲城の趾があり これは井戸の跡でしょうか? 高架下を歩くと辿り着く公園の中にありました。 永禄3年5月12日、、、今川義元が尾張を目指し駿府より西進。先進するは今川方である松平元康、、、のちに徳川家康となる男。 その報を聞いた織田信長、、、 清洲城にて籠城か、出撃か、、、 5月19日午 [続きを読む]
  • 十七条城跡
  • 最近巷で噂になっている映画、、、ようやく岐阜に上陸したので早速観てきました。低予算でこれほどの脚本やアイデアを練ってもちろん役者さんも含めて、、最初はビミョウに混乱しながら、、見終わったあとは、、、 素晴らしい映画を撮ったなあと感じました。こんな映画、滅多に観られないなと思うと同時にこれから先、低予算で映画作る人たちにとってはハードルが上がるほど大変な映画だと感じるくらい凄かった、、もう一度見たい [続きを読む]
  • 十七条城跡
  • 最近巷で噂になっている映画、、、ようやく岐阜に上陸したので早速観てきました。低予算でこれほどの脚本やアイデアを練ってもちろん役者さんも含めて、、最初はビミョウに混乱しながら、、見終わったあとは、、、 素晴らしい映画を撮ったなあと感じました。こんな映画、滅多に観られないなと思うと同時にこれから先、低予算で映画作る人たちにとってはハードルが上がるほど大変な映画だと感じるくらい凄かった、、もう一度見たい [続きを読む]
  • 田代城 跡
  • でんだいじょう、と呼ばれたお城は 今はもう神社となっており、、 1553年、聖徳寺で出会いを果たした斎藤道三と織田信長。2人は帰路をともにしたあとここ、田代城で別れの儀式をし斎藤道三は稲葉山城に戻り織田信長は那古野城へ、、、 この田代城、、城跡なの?と聞きたくなるほどお城の名残は感じられず 城跡であるという看板も探したけどどこにもないなぁ、、、 もっと昔はお寺だったそうですが 、、、この城は1500年代初頭 [続きを読む]
  • 田代城 跡
  • でんだいじょう、と呼ばれたお城は 今はもう神社となっており、、 1553年、聖徳寺で出会いを果たした斎藤道三と織田信長。2人は帰路をともにしたあとここ、田代城で別れの儀式をし斎藤道三は稲葉山城に戻り織田信長は那古野城へ、、、 この田代城、、城跡なの?と聞きたくなるほどお城の名残は感じられず 城跡であるという看板も探したけどどこにもないなぁ、、、 もっと昔はお寺だったそうですが 、、、この城は1500年代初頭 [続きを読む]
  • 桶狭間古戦場
  • 浮野の戦いから尾張を統一した織田信長、、、しかし、間を置かずに東国から大軍を率いてやってくる今川義元。京にいる足利将軍を助けにいき天下に号令をしようとしたとか、、尾張を征服しようと企んだとか、、 いずれにせよ、信長率いる尾張勢との戦いは必至。 永禄3年5月19日、、、今川義元が沓掛城で休息している頃、、 大高城を包囲していた織田軍は攻め入る今川の先発隊と鷲津砦、丸根砦で奮戦するも今川軍は大高城制圧、、、 [続きを読む]