ねぷた絵(弘前・津軽)の話 川村 岩山 さん プロフィール

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ねぷた絵(弘前・津軽)の話            川村 岩山さん: ねぷた絵(弘前・津軽)の話            川村 岩山
ハンドル名ねぷた絵(弘前・津軽)の話 川村 岩山 さん
ブログタイトルねぷた絵(弘前・津軽)の話 川村 岩山
ブログURLhttp://ganzan-kawamura.blog.jp/
サイト紹介文弘前ねぷた絵の第一人者として活躍した長谷川達温師のねぷた絵技術等の伝承を目的としたサイトです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供126回 / 334日(平均2.6回/週) - 参加 2017/10/24 06:15

ねぷた絵(弘前・津軽)の話 川村 岩山 さんのブログ記事

  • 弘前ねぷた絵199 壽一和尚のねぷた その5
  • このところ何かと忙しく、ブログがおろそかになってしまいました。そろそろ落ち着くと思うのでご容赦下さい。 さて、今回も壽一和尚のねぷたです。1982年(昭和57年)の弘前ねぷたまつりから壽一和尚が描いた2台をチョイスしました。1台目は、弘前市樹木の花和尚です。昭和57年弘前市樹木 花和尚奮戦図  弘前市長賞 壽一和尚画花和尚の絵としては珍しく、北斎派ではない歌川派の歌川国芳の絵を元にしています。参考 [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵198 壽一和尚のねぷた その4(大鰐ねぷた)
  • 今回は、昭和54年頃の壽一和尚が描いた大鰐町のねぷたです。壽一和尚は。黒石市をはじめ大鰐町や藤崎町、田舎館村など弘前市周辺のねぷたを先生にかわり、一手に引き受けていました。晩年は周りの影響でそうでもなくなりましたが、ねぷた鏡絵の余白を気にかけ、長谷川先生を交え良く話し合ったものでした。先生は、余白に薄墨や淡い色を塗るなどして実験していましたが、今は隙間なく描くことが良しとされているようです。私はゆ [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵197 壽一和尚のねぷた その3(黒石ねぷた)
  • 忙しい日が続き少し間があきました。今回も前話に引き続き、壽一和尚と黒石のねぷたの話しです。壽一和尚とは黒石のねぷたについて結構話をする機会がありました。非常に研究熱心な方で、かなり細かく技術的なところまで突っ込んで教えて頂きました。昭和54年 黒石緑ヶ丘町内  鏡絵 水滸伝 黒旋風李逵  壽一和尚画 昭和54年 黒石緑ヶ丘町内  見送り 唐美人 壽一和尚画 壽一和尚はいつも丁寧にねぷたを描いておいで [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵196 壽一和尚のねぷた その2(黒石ねぷた)
  • 今回も全話に引き続き、壽一和尚と黒石のねぷたの話しです。壽一和尚は、1975年(昭和50年)にねぷた絵師として完全デビューしました。少し遅いように感じますが、先生のねぷた絵の前ねぷたや袖絵など、全般をフォローしていたので私には随分前からねぷたを描いていたように思われました。一方では、先生の弟子が描いたねぷたにも積極的にアドバイスをしてくれる等面倒見の良い方で、弟子仲間でもその力量に一目も二目も置い [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵195 壽一和尚のねぷた その1(黒石ねぷた)
  • 今回から、私のねぷた人生に大きな影響を与えて頂いた、正伝寺先代の壽一和尚について思い出話を交えながら話を進めて行きたいと思います。「弘前ねぷた絵」というくくりからは少し逸脱しますが、今回は黒石のねぷたについてです。私が黒石のねぷたを最初に見たのは、私が20歳の時、先代の壽一和尚に連れていってもらったのが最初でした。先代お勧めのねぷた鑑賞スポット、黒石市市の町と横町の角で鑑賞しました。予め予備知識と [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵194 唐花その2
  • 前回に引続き「唐花(からはな)」の話しです。 このねぷたの唐花は、あくまでも牡丹との組合せで使うのが絶対条件です。また、ねぷたでは牡丹の花と鬼型の兜を図案化したものを交互に使うことも良くあります。下の唐花模様は、竹森節堂先生がA4版位の和紙に「牡丹絵」と「唐花」と「雲漢の字体」等を整理して下書きした用紙からの抜粋です。この節堂先生の下書きは、早くから長谷川先生の手元にあって、私も中学生の頃に直接手 [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵193 唐花その1
  • 今回は唐花(からはな)です。先ず唐花の下絵の写真から。 それでは、唐花とは、「大陸起源の花文で、蓮(はす)または牡丹(ぼたん)を図案化したもの。奈良時代以来みられ、平安時代には和様化され単純なものになった。中心から四方へ花弁を対称に配したものが多い。(大辞林)」です。また、唐花紋は唐花を紋章化したものです。唐花という植物が実在しているわけではなく、遣唐使により伝えられた花模様です。平安時代に上流階 [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵192 雑談 ねぷた絵を描く為の小道具
  • 絵師それぞれに違いますが、ねぷた絵を描く時に使うものは、筆の他に様々小道具があります。今回は、その中から三種類とりあげます。先ず第一に、ボタン刷毛(髪の毛や髭、眉毛を描く時の簡易な刷毛です)です。 少し大きい刷毛から、ご覧のような細いとても小ぶりのものまで、数種類揃えなければ絵になりません。写真は状態が良い(新しい)ボタン刷毛ですが、長谷川先生は少し使いこんで、毛先が広がった(歯ブラシを連想して下 [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵191 昔のねぷた9 昭和49年その2
  • 今回は昭和49年の長谷川達温先生のねぷた絵です。前回は「三役そろい踏み」で、故石澤龍峡先生と故阿部義男先生のねぷたに登場していただきました。私の中学生までは、この三人の先生に故竹森節堂先生が加わっていたのです。四天王と言う言葉がピッタリでした。今回は、私が見てとても参考になる昭和48・49年のねぷたから、49年の長谷川達温先生のねぷたの特集です。 鏡絵「祝融夫人」、見送り絵「鍾馗」、袖絵が牡丹に [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵190 昔のねぷた8 昭和49年その1
  • 今回から昭和49年のねぷた絵です。前にも書きましたがこの昭和49年は、私個人的には最悪の年でした。春から浪人生活に突入し、「大学に入る迄ねぷたは中止、勉強しなさい」的な話ばかりでした。親だけではなく、先生や奥様からも同じようなことを言われ、静かに暮らし?ました。ただねぷた絵は、前の年と同様にあたり年と言って良い位、私にとって勉強になった年でもありました。 相撲で言う「三役そろい踏み」からスタートで [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵189 昔のねぷた7  昭和48年その3
  • 今回は、前話の予告通り長谷川先生のねぷたの登場です。大きいねぷたは後からの例え通り、理屈抜きで昭和48年その年の先生の絵です。 水滸伝 一丈青扈三娘 見送りは、董貴妃と桜河野通有(こうのみちあり)奮戦の図 (有)嶽開発(現在嶽開発㈱)これは、カラー写真があります。元寇(弘安の役)の伊予の御家人「河野通有」を描いたもので、見送りは神風が吹いて蒙古軍が混乱している図です。元寇は、肥後の御家人「竹崎季長 [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵188 昔のねぷた6  昭和48年その2
  • 昭和48・9年になると彩色についての振り返り(祭り終了後の検討)は、カラーフィルムが身近になってき始めたので助かりましたが、モノクロ写真しかない時は大変でした。それでもカラー写真は貴重で、私の弘前高校卒業アルバムは見開きのみカラー写真ですが、後は全部モノクロでした。小学校・中学校の卒業アルバムは、もちろん白黒写真オンリーでした。「ねぷたガイド(路上社)」がない時代でしたから、ねぷたを資料として残す [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵187 昔のねぷた5  昭和48年その1
  • 今回は、私のねぷた絵人生で、ある意味転換年となった、1973年(昭和48年)のねぷたについて振り返ります。また、長谷川先生ご自身にとってもこの年前後が一つの転換期でなかったかと思われるほど、重要な年でした。最初に、長谷川達温先生に弟子入りしてどう教えてもらったのかをおさえておきます。振り返ると、自分で書いた絵について直接指導されたという記憶があまりありません。というのは、描いた後・見てもらった時に [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵186 昔のねぷた4
  • 今回も昔の昭和40年以前のねぷたを追いかけます。 大さて、相撲で、横綱・大関に推挙されその伝達の場で、推挙された力士が難しい四字熟語を使って受諾するということ(口上)がブームとなったことがあります。極め付きは横綱に推挙された時の貴乃花の「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」です。この意味は「仏道のために身も命も惜しまないこと。身や命をささげて惜しまないこと。身を顧みないこと。仏教語。「不惜」は惜しまな [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵185 昔のねぷた3
  • お詫びして訂正です。前話で長谷川先生の絵とお伝えしたものは吉崎微笑さんの描いたねぷたの由、玄龍庵事務局をお願いしている高松さんから教えていただきました。彼によると、吉崎さんはそのねぷたを描いた後京都に移住したそうですが、1990年代後半に帰弘して紺屋町のねぷたを再び描いたそうです。高松さんは、ねぷたの生き字引のような方で、そばにいてもらえてラッキーです。この場を借りて御礼いたします。なお、ブログは [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵184 昔のねぷた2
  • 前話から、かなり昔のねぷたを追いかけています。昔と今のねぷたの最大の違いは、今の紙に描いたねぷた絵はなかなか破れないということではないでしょうか。ねぷたを7日間も引っ張って歩けば、奉書をつぎ継ぎはぎして描いた昔のねぷたは、どこかしらノリがはがれたり、予期せぬ「たるみ」がでたり等でよく破れたものです。しかも雨が降ればもう悲惨でした。今では一般的にビニールでねぷた全体を覆って雨から絵を守りますが、当時 [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵183 昔のねぷた1
  • 今回から少し昔のねぷたについて考察してみます。私は1955年(昭和30年)の生れなので、幼い頃のアルバムをみても色付きの写真は全くなく、カラーのものは、わずかにスライドが数枚ある程度です。現在のような「弘前ねぷた速報ガイド(路上社)」もカラー写真もない時代に、ねぷたを勉強するには、モノクロ写真を手掛かりにすること以外すべはありませんでした。 長谷川達温先生の話を思い出しながら、私が生まれた頃のねぷ [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵182 団扇
  • 今回は団扇(うちわ)の話しです。長谷川先生はねぷた絵をメジャーなものとするために、色々なことを考え、それを実行に移された方でした。先生が考案したねぷた絵を展開したものには、水あめの入れ物(缶)、今では一般的になった半纏(はんてん)や手拭の他、浴衣(ゆかた)も嶽開発有限会社(現嶽開発㈱)が自社のねぷた運行時に使用したものにねぷた絵を展開したり、着物の帯(お太鼓部分に組み絵を展開)、買い物袋、行燈( [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵180 見送り絵の題材 羅夫仙 
  • 今回は私の一番好きな見送り絵の羅夫仙(らふせん・luó fū xiān)です。「羅夫仙」というのは確かなようですが、出典や「羅夫仙」の読み方もピンイン表記からあてたもので私にとっては正確ではありません。ただ、「皆そうだと言うからそうなんだろう」という題名不明と同じレベルで、「じゃあ何か説明して」といわれると詰まってしまいます。私は、もともと題名が不明な見送り絵の下絵が数種類あって、ブログで目立たないよう順次 [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵179 見送り絵の題材 李 師師
  • 今回は水滸伝から李 師師(り しし・lǐ shī shī)です。水滸伝の中に登場しますが、梁山泊の首領「宋江(そうこう・sòng jiāng)」同様、実在した人物で名妓(芸や容姿がすぐれた有名な芸妓)として知られ、徽宗(きそう・北宋8代皇帝)の寵姫でした。 徽宗は、「書画の才に優れ、北宋最高の芸術家の一人と言われる。一方で政治的には無能で、彼の治世には人民は悪政に苦しみ、水滸伝のモデルになった宋江の乱など、地方反乱 [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵178 見送り絵の題材 乙姫
  • 最初に前話で約束した月仙女・嫦娥(じょうが)のことですが、これも中国神話で、お馴染の西王母が登場します。「もとは仙女だったが地上に下りた際に不死でなくなったため、夫が西王母からもらい受けた不死の薬を盗んで飲み、月に逃げ、蟇蛙(ヒキガエル)になったと伝えられています。」(ウキペディア) さて、今回は乙姫(おとひめ)です。最近ほとんど聞かなくなりましたが、おとぎ話「浦島太郎」に登場する竜宮城の乙姫です [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵177 英語表記と拼音表記
  • 前話で題名不明だと紹介した絵ですが、教えてくれた方がいて(コメントを頂戴しました)、何十年ぶりかで解決しました。「月仙女・嫦娥(じょうが)」というそうです。 ありがとうございました。詳しいことは次の178話でお話しします。今回は、三国志等の英語表記の話しを少しします。「三国志」と言う単語を例にとってみます。「三国志」と「三国志演義」は、英語表記すると前者は「Three Kingdoms」と後者が「The Romance of [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵176 見送り絵の題材 題名不明1
  • 今回は題名がよくわからない、ちょっと変わった見送り絵の紹介です。長谷川先生も一度ねぷたに描いておいでですが、先代の壽一和尚が好きで、よく私に絵のポイントや自分で工夫した点等を話して頂いた記憶があります。なお、その時から題名は不明でした。 昭和49年 長谷川先生の見送りこの年は浪人していたので、ねぷたの写真撮りも自粛して静かに暮らしていました。 近年、ねぷた祭りそのもの人出が少なく感じています。はっ [続きを読む]
  • 弘前ねぷた絵175 見送り絵の題材 一丈青扈三娘2
  • 前話に引続き一丈青扈三娘ですが、今回は見送り絵に限らず扈三娘を絵に採用したねぷた絵の話しです。ねぷたは1972年(昭和47年)8月」に長谷川達温先生が描いた「立正佼成会弘前教会」のねぷたを材料にします。理由は、一丈青扈三娘が鏡絵の主役なことと、カラー写真の資料(当時はまだモノクロが主流で、カラーは貴重な時代でした)を持っているので、長谷川先生の彩色具合を併せて紹介できるからです。 さて、最初に前話 [続きを読む]