傅佑武 さん プロフィール

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傅佑武さん: 広東(広州・深圳)生活、武術修行記
ハンドル名傅佑武 さん
ブログタイトル広東(広州・深圳)生活、武術修行記
ブログURLhttps://ameblo.jp/wudang-gongfu/
サイト紹介文中国広州在住。傅振嵩伝八卦掌と武当派(三豊自然派)武術学習記と武当派の紹介、広州生活などのブログ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供31回 / 172日(平均1.3回/週) - 参加 2017/10/24 18:09

傅佑武 さんのブログ記事

  • 張三豊祠と「武当三豊正宗自然派碑文」
  • 自然派について、いろいろと調べていたら、張三豊の出生地と言われている場所に建てられた祠の紹介と、王先生の師の一人である張奇先生が書かれた文章などを見つけたので、まとめて意訳してみた。 張三豊の出生地と張三豊祠太極拳創始伝説で語られ、武当派を学ぶ者から崇拝の対象となっている張三豊の出生地にはいくつか説があり、有名なものとして古望平県糧漁業、即ち今日の?山県姜屯鎮土城子村が挙げられる。張三豊の祖父、裕 [続きを読む]
  • 勁について 6 走圏④ 趟泥?「前趟」と「平趟」
  • 走圏②の「後趟」では、「掀蹄(踵を地面から離して挙げる)」せず、踵から歩を進める功法を記述した。今回は次に行う「前趟」、そしてその後に続く「平趟」について。 「前趟」「後趟」が踵を中心とした歩行であったのに対し、「前趟」は脚掌を中心とした歩行となる。「後趟」と異なり、「前趟」では若干「掀蹄」し、踵が見えるが、「亮掌(脚掌(前足底とその周り)が見えるように足を降ろす)」はしない。足を降ろす時は、脚掌 [続きを読む]
  • 武当三豊自然派 学習記 武当太極拳 
  • 先週の練習は長穂剣、武当太極拳、鞭、流星錘、八卦双刀、推手・塔手など。 長穂剣今回から始まった長穂をつけた剣の練習。鞭(双頭龍、縄鞭)の練習が進んでいるので、剣穂の扱いも応用でいけるだろう高をくくっていたが、大間違い。びっくりするぐらい長穂が扱えない自分が嫌になった。課題は撩花、勾挂と、それらを行いながら空中(わずかに上げる程度)での剣持ちかえ2種。特に撩花が全くできない…。先に剣穂が来て、その後 [続きを読む]
  • 武当三豊自然派 学習記 「難得的糊涂」 
  • 難得的糊涂 自然派の教学方法などの話は今回で終わりに。 自然派が進む段階的な教学方法をまとめると、①拳、兵器共に連続した招式(パターン練習)の学習を重ねる ※最初の段階では拳種または伝統的な定法(基礎となる形)によって套路も学ぶ②自由に招式を組み合わせること(アドリブ練習)ができるようになる。③套路を編纂できるようになる④攻防においても三拳それぞれの、また武当派の風格(四攻)を持って動けるようにな [続きを読む]
  • 武当三豊自然派 学習記 自分だけの武学
  • 套路はいくらでも創れる 前回からの続き 「套路を套路のまま練習すればそれで何もかも完結してしまう。そこに変化は生まれない。今日動いてみて分かっただろう。習ったものを応用して、自分で套路を創れ」。 套路を創る「法」がある。それは普段先生が言われている「三性(養生、攻防、芸術)」が含まれ、守られていることだ。技の組み合わせが三性に沿ったものであれば、どのような套路であっても正しい。(具体的に細かな方法が [続きを読む]
  • 武当三豊自然派 学習記 アドリブ
  • 即席演武会先週土曜の練習では、久しぶりに顔を合わせた兄弟子が(木曜日に来ているらしいので会うことが少ない)縄鞭の練習中にこれでもかというくらい先生から怒られていた。何年も練習しているのに何故ほかの者と同じことをしているのか?起式と収式がなってない!ということだった。 そこから「起式」、「孕式」、「収式」についての講義と、当日練習していた15人程で即席の演武会が始まった。 以前も書いたが、武当派におい [続きを読む]
  • 武当三豊自然派 学習記 「無為而無不為」 
  • 起式、孕式、収式前回の練習では初めて王先生の打つ自然派の武当太極拳(36式)の変化を拝見した。香港で出版された先生の著書に載っている同じ名称のそれとは似ても似つかない形だった。「定、活、変」における活、変の段階で、太極拳と呼ぶのかどうかも判断できないほど変化していた。絶えず移り変わり、常に過途式(動いている途中)で一つの姿勢になって止まることがない。眼に見える速さも五行(形意拳のことを自然派では五 [続きを読む]
  • 武当三豊自然派 学習記 教学体系への理解 
  • 自然派の教え方は、最初は何が何だか分からず、ただただ先生の功夫の大きさにため息をつくだけだった。2年目に入り、練習しているうちに、まだぼやっとではあるが、全容がはっきりしてきた気がする。 三重螺旋螺旋は練習の段階的な教学体系を指す。円の大きさを功夫に例える。徒手・兵器各種を順々に習うのを、時計の針が時間を1時、2時と刻んでいく様に(円を描くように)見立てる。学習開始が時計の12時とすれば、終わりは再び [続きを読む]
  • 武当三豊自然派 学習記「你能拿到多少,就?回多少」
  • 深圳の練習では、現在八卦掌、武当太極拳、鞭(双頭龍、縄鞭)、それに双截棍(ヌンチャク。1本と両手に2本もって行うもの)あたりを教えていただいている。出来ることも徐々に増えてきて、習ったことがないものがとにかく多いので学びの緊張と喜びを享受している。 食事の前に、先生から「大輔、なんでお前は今日太極拳の練習に参加しなかった?練習したくないのか?」と言われた。 先生からゴーサインが出るまでは太極拳の練習 [続きを読む]
  • 春節中
  • 長沙で春節去年は広州にいたが、今年の春節は妻の実家である長沙で1週間ほど過ごした。特にどこかに行くわけでもなく、親戚回り以外はほとんど妻の実家と実家周りの散策で終わってしまったが、家族と過ごすのが春節ということでゆっくりできて良かったと思う。妻の従妹の嫁ぎ先に挨拶に行き、家の隣にある映画館で久しぶりに映画を観れたのは最高だった。 観に行った 捉妖記2(Monster Hunt 2)。子供がみても楽しめ [続きを読む]
  • 勁について 6 走圏③ 旋(玄)功
  • 玄功とは中国語でこの上ない功績などのことを指し、「玄」だけだととどまることのない変化、遠く、見えない結果などの意味がある。また、深く、簡単には理解できない深奥な道理、深い黒という意味で玄黒という色を表す単語としても使われる。日常生活では「当てにならない」、「嘘くさい」といった良くない意味でも使うことが多いが、功法としてはむろん深奥、神妙な功法、といった意味で使われる。武当八卦掌においては、回転す [続きを読む]
  • 勁について 6 走圏② 趟泥?「後趟」
  • はじめに八卦掌は董海川が世に出して以来200年ほどと、他門派に比べてまだ歴史が浅い。にもかかわらず、董の弟子のほとんどがすでに何等かの武芸を修めてから弟子入りしていた(帯芸投師)こと、また弟子のバックボーンを活かす形でそれぞれ教え方を変えた(因材施教)ために、一人一派と言えるほど多くの分派が生まれた。最大の特徴である歩法についても、門派によって練功の目的や解釈が異なっている。例えば、同じ程派であって [続きを読む]
  • 勁について 6 走圏① 姿勢と掌型・掌式
  • 歩き始める前の姿勢と掌形 姿勢足は肩幅程の間隔で立ち、内扣歩(つま先を若干内側に向けたハの字)にする。両足裏は側面から足底あたりに重心を持っていき、膝は若干外側に開くようにして、股関節は合わせる。小腹を上に向けるように、臀部を引っ込めて収腹し、命門部分を突き出す。姿勢を作ったら、馬歩転腰の容量で中、上盤を回して後ろを向くが、掌式は青龍探爪をとる。 掌式「青龍探爪」と「丹鳳朝陽」・掌型「刀形」と「剣 [続きを読む]
  • 勁について 5 基本功 馬歩転腰
  • 馬歩転腰基本練習で行う馬歩からの転腰は八卦掌の特徴でもある横勁を打ち出す強固な下盤(下半身)と、常に勁力を保った状態を維持するための訓練だ。王先生からは初日に連環掌と合わせて習い、その後何度も矯正してもらった。 下盤は馬歩になっているので八卦掌でいう「剪子股」よりは、太極拳でいう「圓襠」や、意拳の「争力」といった言葉の方がしっくりくる。 両足掌は真っすぐ前か、ややハの字にする。左右側面からやや土踏 [続きを読む]
  • 半圏、整圏、満圏
  • 自然派の武当八卦掌(宋唯一伝剣形八卦掌)では八つの手の形を作って歩く「定勢八掌」から、両手を回して走圏する「八大圏手」という練習に移っていく。 両手を回す動作の中には、打つ、攻撃を遮る、引き込む(呑吐)、擒拿(関節技)などの要素が含まれており、非常に重要視される。この手で描かれる円の軌道と、八卦掌の歩法における基本動作である擺扣?を「半圏」という。 また小擺大扣、傅振嵩伝八卦掌で旋風掌、転旋風と呼 [続きを読む]
  • 勁について 4 臥虎功と鉄板橋
  • 武術のプランク系体幹トレーニング、「臥虎功」(フロントブリッジ)と、 「鉄板橋」(バックブリッジ) 臥虎功同功法は、その名の通り虎などのネコ科が伏せをしている様子に見立てて臥虎と呼んだことに由来する。少林寺七十二芸に記載があり、現在国内で行われている似たような功法はここから派生したものらしい。武当派でも工夫を加えて練習している。内容としては体幹トレーニングのフロントブリッジのバリエーションの一つで [続きを読む]
  • 振嵩体育倶楽部の開館について思うこと
  • 振嵩体育倶楽部12月から、広州の傑師兄が常設の武館(道場)を開いた。 まだプレ・オープンで、1月から本格的に開業であるとのことだった。 文龍先生は、弟子の武館開設を喜んでおられ、今後土曜日の練習は場所をすべて師兄の武館へ移して行うこととなった。開設したのは師兄だが、館長は文龍先生がつとめられている。 広州では師公の武館が閉じられて以来の常設武館となるため、繁盛し、長く存続して欲しいと思っている。思って [続きを読む]
  • 武当派諸派について 9 松溪派②
  • 北宋の張三峰と明の張三豊 張松溪に内家拳が伝わるまで、宋朝の張三峰と張松溪の間には300年あまりの隔たりがある。黄宗羲は儒学者としてだけでなく、浙東(浙江省東側)における史学の権威でもあったので墓石の記載に書き間違いなどの不備があるとは考えにくい。黄が記した北宋の張三峰は最後の一文字を「峰(feng1)」としている。 「明史・方伎伝」の中では武当山道士である張三豊の名前が伝わっている。ここに記されている最 [続きを読む]
  • 武当派諸派について 9 松溪派①
  • 張松溪張松溪は明代鄞県(浙江省寧波に属する)の人で、武当松溪派(松溪内家拳)の創始者である。孫十三に指示し、その技は元代の張三豊から伝わったものと自称した。嘉靖年間(明の第十二代皇帝世宗在位中の元号。1522〜1566)同内家拳の伝承は寧波府一帯で広く知られていた。 中国の武侠小説に興味のある人は金庸の小説「倚天屠龍記」中に登場する「武当七俠」と呼ばれる張三豊の7大弟子のうち4番目の人物として聞いたことがあ [続きを読む]
  • 武当派諸派について 8 終南山隠仙派
  • 紫霞真人 高虎臣武当山から北に伝わった道教、武術を隠仙派と呼ぶ。その中の一つが終南山の邋遢派だ。この派は南太極と並んで北太極と呼ばれており、またの名を終南山剣仙派と言う。同派で広く名をはせたのは紫霞真人の道号を持つ高虎臣だ。 高虎臣(1816〜1952)は、煉丹術、医学、易学に精通し、武当太極丹剣に優れ、136歳まで生きたと言われている。高は1821年、5歳の時に終南山で無名仙人の道号を持つ道士が諸国漫遊を終えて [続きを読む]
  • 勁について 3 面壁蹲墻功
  • 勁力を高めるために欠かさず行っている練習がいくつかある。 打座(静座、仏教でいう座禅)、站椿、如鳥之振翼上下飛動、走圏、束展・開合、蹲墻功、各種基本功、圧腿、?虎功・鉄板橋などだ。面壁蹲墻功                    蹲墻功は蹲(dun1しゃがむ)、墻(qiang2壁)の文字通り、壁に向かってスクワットする功法だ。古い楊式太極拳で練られており、傅家拳でも一部古参で練習している者がいる。自分が具体 [続きを読む]
  • 中国道教の宗派について 1 概要
  • 中国では道教の〇〇派というのが非常に多いが、道教の各宗派は分派の過程が比較的はっきりとしており、ある程度伝承を追うことが可能なようだ。 武当山の道教宗派道教内部の門派は煩雑で数が多い。中でも武当山は多くの名目で異なる門派を形成している。武当清微派、全真派、正一派、茅山派など。張三豊を始祖とする武当道派には、真武玄武門、自然派、三豊祖師自然派、三豊祖師日新派、日新派、三豊祖師蓬莱派、三豊派など。他に [続きを読む]
  • 勁について 2 易筋太極拳と旋腰太極拳
  • 易筋太極拳(中級太極拳)発における基本練習で最初に体得すべきは束展(呑吐)と開合だ。足掌(涌泉穴)から股関節(胯)へと力を繋げる前に、まず脊椎のうねりと開合だけでも力を打ち出すことができることを知らなくてはならない。 足と股関節を繋げるのは後からでも良い。発ができない人のほとんどは大体上で緊張、停滞するからだ。 この時点ではまだ強い意念は必要としない。 傅家拳の太極拳は、初・中・高級とありいずれも81 [続きを読む]
  • 碧氏三侠と董海川
  • 以前八卦掌の源流が董海川にないという説で、宋唯一に触れて書いた董の師についてだが、張野鶴→宋唯一→李景林→楊奎山の系統を伝える呉志泉氏が師である楊奎山から聞いた話と、黄万祥の師である万良が伝えたという話を元に(楊、万は師兄弟で、ともに李景林、孫禄堂という共通の師に学んだ)、実際に董が習ったとされる九華山に調査に赴いた人が書いた文章があったので、概要をまとめて翻訳してみた。このような説もあるというこ [続きを読む]
  • 信仰と練功は分けるべきか
  • 武当派の武術を学んでおいて、信じることが大切だと書いておいてなんだが、個人的には信仰と練功は分けるべきだと考えている。 弟弟子の中に、ある門派の道士に拝師して、道家の気功を習っている者がいる。彼の師公に当たるのが、160歳まで生きたとされる呉雲青だ。彼はこれを信じている。資料から実際は1896年6月5日生まれ、1998年9月24日に羽化したので享年102歳だったことが分かっている。打座したまま逝去し、死後20年近くた [続きを読む]