傅佑武 さん プロフィール

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傅佑武さん: 広東(広州・深圳)生活、武術修行記
ハンドル名傅佑武 さん
ブログタイトル広東(広州・深圳)生活、武術修行記
ブログURLhttps://ameblo.jp/wudang-gongfu/
サイト紹介文中国広州在住。傅振嵩伝八卦掌と武当派(三豊自然派)武術学習記と武当派の紹介、広州生活などのブログ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供49回 / 332日(平均1.0回/週) - 参加 2017/10/24 18:09

傅佑武 さんのブログ記事

  • 台風のつめあと
  • 9月16日の午後3時頃から夜にかけて、フィリピンでは29人の死者を出した台風22号山竹(英語名MANGKUHUT(マンクフット))が広東一帯に上陸した。香港、マカオはほぼ直撃といってもよく、特に香港の被害が甚大で、続々とネットやテレビで報道がなされている。 中国内で上陸前にネット上にあがっていた比較。左からアメリカのフローレンス、日本の台風21号、そして今回上陸した山竹の順。史上最強の台風、として上陸前からかなりの [続きを読む]
  • 文徳路 都城隍廟と南越王宮博物館
  • 日曜は午前中に文龍先生のところで兄弟弟子の練習を見て、午後からは雨が降ったり止んだりして天気も良くなかったので文徳路と北京路の周りで散歩してきた。 広州都城隍廟 文徳路北側の終わり、中山四路との交差点の北に位置する都城隍廟(du1 cheng2 huang2 miao4)は、明朝洪武三年(1370年)に建立されて以来、明・清時代において嶺南最大の隍廟だった。現存するものは清朝の頃再建されたものだ。※都城隍廟とは道教の二大教 [続きを読む]
  • 北京路さんぽ 南側
  • 日曜日は昼の時間を少しずらして1時過ぎに近所の北京路でランチ。光明広場というモールの9階にある馴染みの烤魚店で。烤魚や酸菜魚にする魚は自分で選べるが、中でも鮰魚という淡水魚が骨もほとんどなく、身が引き締まっていて美味しい。四川では「江団魚」と呼ばれる。平日、週末ともに夜は行列ができて途中で魚が売り切れてしまうことが多いので、日曜日の午後が唯一安定して食べられる日なのだ。 食後、帰りに光明広場のすぐ隣 [続きを読む]
  • 武当三豊自然派 学習記 不争、不理、不解釈
  • 先週土曜は深セン・香港が大雨だったので自分を含めて4人しか来なかった(普段は平均して15人程が学んでいる)。タクシーを降りて練習場所に着くまでの5分程の間にかなり降られて靴の中まで水に濡れた。それでも人数が少ない分、先生からかなり細かい指導を受けることができて良かった。 最近の練習は麒麟鞭、春秋大刀と武当剣、三節混がメインになっていて、最後は先生について武当太極拳の変化を学ぶといった流れになっている。 [続きを読む]
  • 傅文龍師父70歳大寿
  • 昨日は文龍先生が70歳の誕生日だったので、広州在住の兄弟弟子で内々に誕生会が開かれた。場所は先生をはじめ、武当傅家拳関係者行きつけの広東料理店「?燁」(de2 ye4) 先生は最近ヘルニアをやって一時車椅子を使わないと動けない程深刻だったが、2週間ほど按摩や鍼灸の治療と中薬(漢方)を使って調整し、あっという間に歩けるまでに回復した。これからも健康に、長生きしていただきたい。同時に3方向から写真を撮られたので [続きを読む]
  • 東山口さんぽ
  • 日曜日は家族で東山口を散歩してきた。 広州では「有銭住西関、有権住東山(金持ちは西関に住み、権力者は東山に住む)」とか、「西関小姐,東山少爺(西関のご令嬢、東山のご令息)」という言葉が残っている。 明清二つの王朝の頃から、西関は長らく商売をして富を得た富豪達の楽園だった。広州商人は政治に関わることが嫌いで、官僚が西関に住むのを好まなかった。一方で東山口は清末から民国時代にかけて軍の訓練場や広東諮議 [続きを読む]
  • 深セン・広州間の電車に8時間閉じ込められた日
  • 先週土曜に深センで練習した帰り、午後3時31分発、広州行きの電車に乗車したところ、出発後数分で、深セン東駅という本来止まることのない駅の線路上に停車し、そこから動いて広州に着くまで計8時間ほど閉じ込められた。 原因は途中停車駅の常平・東莞間で発生した線路の設備故障らしい。 後のニュースで見たが、丁度15時半頃故障したらしく、出発時には情報が入ってきていなかったのだと思われる。 線路設備の故障だったので、 [続きを読む]
  • 主に辛いもの、食べてます
  • 妻が湖南省の出身ということもあり、付き合っている当時から食事は辛いものが多かった。出産前後で一時味覚が変わったらしく辛いものをあまり食べない時期があったが、今は復活して家でも外食でも一品は辛いものが必ずテーブルに並ぶ。 烤魚最近食べ歩いているのは烤魚だ。先に魚を丸ごと揚げて(焼いている所もある)から、鉄板プレートの上に載せて焼く(正確には味付用のスープに半分浸かっているので「煮る」、のような気がす [続きを読む]
  • 息子の卒園式と珠江夜遊
  • 生活のことを全然書いていないので、これからしばらく生活メインでいこうと思う。 卒園式先週の水曜日に息子の卒園式が行われた。卒園証書を渡すようなものではなく、市一宮という文明路近くにある映画館を貸し切って歌や踊りのお遊戯会みたいな感じだった。今日で最後みたいな雰囲気ゼロで、夏休み前のイベントのように行われたので、息子も次の日から幼稚園に行かないんだ、という実感が無いようだった。 夜に微信(We chat、 [続きを読む]
  • 武当剣譜と武当剣③ 六十四勢三百八十四手
  • 剣八法六勢譜同譜では、八剣は左右を両儀とし、「撃」、「刺」、「格」、「洗」の四法を四象として、左右四法あるので八剣となり、また「旋」「転」「探」「摩」「翻」「?」「躍」「換」を八法として、変化の中で八剣に各八法の変化をし六十四勢となる。各勢は6つの手法(招式)から出来ているので全部で三百八十四手になる。「武当剣譜」に記されている剣譜は呪符のような簡易文字である「字」の組み合わせで構成されている。 [続きを読む]
  • 武当剣譜と武当剣考察② 宋唯一「武当剣譜」
  • 宋唯一の「武当剣譜」李景林の従弟である蒋馨山の系統では、蒋が宋唯一に長く習っていなかったにもかかわらず宋の武当剣譜をよく研究し、詳しい解説を文章として残す弟子や孫弟子が出てきている。この文章に書かれていることは、自然派に伝わる飛龍剣が、宋唯一のそれと同様のものであることをより強く感じさせる内容であったので、一部私見を加えながら意訳した。 宋唯一は著書「武当剣譜」の中で、「意外にも、剣法と槍法は似て [続きを読む]
  • 武当剣譜と武当剣考察① 飛龍剣
  • はじめに前回李景林が伝えた武当剣について書いたが、今後数回は宋唯一が「武当剣譜」内に記した武当剣について書こうと思う。まず、最初に現在自分が学習を進めている三豊自然派の剣について、その後いろいろと王先生よりお話を伺う機会があり理解が進んだので忘備録として書き進める。今までも書いた文章は変えてきたが、武当剣については今後かなり加筆・修正を行うつもりでいる。 飛龍剣八路三豊自然派に伝わる「飛龍剣」と [続きを読む]
  • 李景林② 其の剣
  • 体系中国武術のほとんどの門派は南北を問わず、套路での1人練習を中心においているものが多く、対練(対人練習)は後から学ぶが、李景林の伝えた武当剣は、まず先に基本となる「対剣十三勢」を学び、そのあとに「武当対剣」、「活歩対剣」、「散剣法」と学んでいく方法をとっていた。山東国術館では楊式太極拳、八極拳、武当対剣、六合槍が必修科目とされていた。※出自は楊奎山(李が軍人であった頃からの弟子の1人)の弟子、呉 [続きを読む]
  • 李景林① 其の人
  • はじめに武当剣の歴史・技術を紐解くにあたり、武当丹派の伝人である宋唯一や、その弟子である李景林の存在は避けて通れない。宋唯一については以前八卦掌の起源について書いたときに一度触れているので、李景林を中心に書こうと思う。李は人生の大半を軍属として過ごしており、職業武術家ではなかった。弟子は武術の師弟関係であると同時に部下でもあり、大部分が軍属であったので、生前はその武術が人目に触れる機会は少なかっ [続きを読む]
  • 武当三豊自然派 学習記 春秋大刀 
  • 春秋大刀の学習開始先々週から王先生が遼寧省より帰ってこられ、春秋大刀を一部の師兄達に教え始めた。師母が習えばいいと参加を薦めてくれたが、王先生からは「剣の方が大切だから剣をもっと練習しなさい」と言われていたので休憩中に若干眺める程度だった。今回、まだ人が集まらない時間帯に鞭を練習していたところ、「それぐらいにして大刀の練習をするように」OKが出た。 自然派において、大刀は最後に教えるという。理由は単 [続きを読む]
  • 武当三豊自然派 学習記 八卦剣と八卦刀
  • 今月は王先生が一時故郷の方へ帰っておられ、師母(先生の奥様)が代理として教授されている。師母は若い頃に楊式太極拳を習い人に教えられる程にまでなったが、後に低架の練習をし過ぎて膝を痛めてしまったそうだ。後に王先生から武当三豊自然派を習うようになり、膝は大きく改善されたという。師母の打つ楊式太極拳は楊班候の大架を想像させるかなりの低架で、とても60代のものとは思えない。武当太極拳を打つ際も架式が低く功 [続きを読む]
  • 「平起平落」について 1 師兄弟の考察 
  • 以下の文章は09年の10月24日に、傅振嵩伝八卦掌における同門の兄弟弟子で10年来の拳友である劉鵬(ネットでのハンドル名は「一画開天」)が自身のブログ内で書いた内容だ。彼は中国武術に関して、特に内家拳系のものに関して信じられない量の情報を有しており、日本の剣術や空手、合気道などについても研究熱心でまさに歩く武術辞典だ。 頭の痛い「平起平落」八卦掌には「平起平落」という口訣があり、ある者はこれが「掀蹄亮掌」 [続きを読む]
  • 清明節のこと
  • 少し前の話になるが、4月5日は清明節だった。清明節は除夕(12月29、または30日。大晦日)、中元(7月15日)、重陽(9月9日)と並び、中国で行われる祭祖(祖先を祀る日)のひとつで、この日は掃墓(墓参り)を行う。※日付はいずれも農歴(旧暦) 広州では毎年4月の中旬から下旬にかけて傅家拳の宗師、傅振嵩祖師爺、ならびに二代目、傅永輝師公の墓参りを行っている。5日が祝日で、連休の初日でもあるので、例年混雑を避けるた [続きを読む]
  • 張三豊祠と「武当三豊正宗自然派碑文」
  • 自然派について、いろいろと調べていたら、張三豊の出生地と言われている場所に建てられた祠の紹介と、王先生の師の一人である張奇先生が書かれた文章などを見つけたので、まとめて意訳してみた。 張三豊の出生地と張三豊祠太極拳創始伝説で語られ、武当派を学ぶ者から崇拝の対象となっている張三豊の出生地にはいくつか説があり、有名なものとして古望平県糧漁業、即ち今日の?山県姜屯鎮土城子村が挙げられる。張三豊の祖父、裕 [続きを読む]
  • 勁について 6 走圏④ 趟泥?「前趟」と「平趟」
  • 走圏②の「後趟」では、「掀蹄(踵を地面から離して挙げる)」せず、踵から歩を進める功法を記述した。今回は次に行う「前趟」、そしてその後に続く「平趟」について。 「前趟」「後趟」が踵を中心とした歩行であったのに対し、「前趟」は脚掌を中心とした歩行となる。「後趟」と異なり、「前趟」では若干「掀蹄」し、踵が見えるが、「亮掌(脚掌(前足底とその周り)が見えるように足を降ろす)」はしない。足を降ろす時は、脚掌 [続きを読む]
  • 武当三豊自然派 学習記 武当太極拳 
  • 先週の練習は長穂剣、武当太極拳、鞭、流星錘、八卦双刀、推手・塔手など。 長穂剣今回から始まった長穂をつけた剣の練習。鞭(双頭龍、縄鞭)の練習が進んでいるので、剣穂の扱いも応用でいけるだろう高をくくっていたが、大間違い。びっくりするぐらい長穂が扱えない自分が嫌になった。課題は撩花、勾挂と、それらを行いながら空中(わずかに上げる程度)での剣持ちかえ2種。特に撩花が全くできない…。先に剣穂が来て、その後 [続きを読む]
  • 武当三豊自然派 学習記 「難得的糊涂」 
  • 難得的糊涂 自然派の教学方法などの話は今回で終わりに。 自然派が進む段階的な教学方法をまとめると、①拳、兵器共に連続した招式(パターン練習)の学習を重ねる ※最初の段階では拳種または伝統的な定法(基礎となる形)によって套路も学ぶ②自由に招式を組み合わせること(アドリブ練習)ができるようになる。③套路を編纂できるようになる④攻防においても三拳それぞれの、また武当派の風格(四攻)を持って動けるようにな [続きを読む]
  • 武当三豊自然派 学習記 自分だけの武学
  • 套路はいくらでも創れる 前回からの続き 「套路を套路のまま練習すればそれで何もかも完結してしまう。そこに変化は生まれない。今日動いてみて分かっただろう。習ったものを応用して、自分で套路を創れ」。 套路を創る「法」がある。それは普段先生が言われている「三性(養生、攻防、芸術)」が含まれ、守られていることだ。技の組み合わせが三性に沿ったものであれば、どのような套路であっても正しい。(具体的に細かな方法が [続きを読む]
  • 武当三豊自然派 学習記 アドリブ
  • 即席演武会先週土曜の練習では、久しぶりに顔を合わせた兄弟子が(木曜日に来ているらしいので会うことが少ない)縄鞭の練習中にこれでもかというくらい先生から怒られていた。何年も練習しているのに何故ほかの者と同じことをしているのか?起式と収式がなってない!ということだった。 そこから「起式」、「孕式」、「収式」についての講義と、当日練習していた15人程で即席の演武会が始まった。 以前も書いたが、武当派におい [続きを読む]
  • 武当三豊自然派 学習記 「無為而無不為」 
  • 起式、孕式、収式前回の練習では初めて王先生の打つ自然派の武当太極拳(36式)の変化を拝見した。香港で出版された先生の著書に載っている同じ名称のそれとは似ても似つかない形だった。「定、活、変」における活、変の段階で、太極拳と呼ぶのかどうかも判断できないほど変化していた。絶えず移り変わり、常に過途式(動いている途中)で一つの姿勢になって止まることがない。眼に見える速さも五行(形意拳のことを自然派では五 [続きを読む]