今日も まっ晴れ! さん プロフィール

  •  
今日も まっ晴れ!さん: 今日も まっ晴れ!
ハンドル名今日も まっ晴れ! さん
ブログタイトル今日も まっ晴れ!
ブログURLhttps://etopirikahouse.muragon.com/
サイト紹介文こちらには主に鉄道写真をアップします。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供39回 / 198日(平均1.4回/週) - 参加 2017/11/02 08:28

今日も まっ晴れ! さんのブログ記事

  • 通票閉塞の話し
  • 山陰本線 須佐駅に下りの気動車が到着しました。 下り列車から降車した乗客が 急ぎ足で改札口に向かっているように見えます。 この写真からでは判り難いですが、この下り気動車が持って来た江崎−須佐間の通票を持った駅員さんの後姿が左端に写っています。 やがて上りの普通客車列車(DF50牽引)が到着して、先ほどまで下り列車を利用する乗客が往来していた乗降者用の通路を塞いでしまいました。 この状態では下り列車 [続きを読む]
  • 宿南信号所
  • 山陰本線 八鹿駅を出発したDD54貨物列車が宿南信号所で対向列車待ち合わせのために停車しました。 貨物列車が停車して暫くすると、上りの気動車急行が豊岡方面からやって来て離合しました。 急行列車は前から3両目にグリーン車のキロを連結しているので、おそらく急行《いなば》であるように思われます。 撮影日:1972年6月 他に約30分ほど後を行く 急行《白兎》であるとも考えられますが (弘済出版ダイヤエー [続きを読む]
  • 八鹿駅にて
  • 1972年6月 梅雨の晴れ間に誘われて出掛けてみると、山陰本線八鹿駅でDE10 1105とDF50 522の重連(単機)を発見! (◎ ◎))ゝ DE10 のキャブには たくさんの乗務員らしき人たちが乗っています。これはDE10の訓練運転をしていたのでしょうか? それともDE10は真新しい塗装だったので機関車の試運転を行っていたのかもしれません。 そして、この重連の機関車列車が出たあと直ぐに無火の [続きを読む]
  • 矢田川橋梁にて
  • 山陰本線 香住駅下り方の信号が通過を現示しています。時刻表から見て旅客列車のスジではなさそうです。急いで鎧方面の矢田川橋梁の袂で待っているとDD5429が下り貨物列車を牽いて矢田川橋梁上に姿を現しました。 矢田川沿いの未だ未舗装の細い道路は、舗装されて今もこのままの経路で残っています。 撮影:1975年3月 [続きを読む]
  • 斜光線に輝いて
  • 撮影:1973年8月 特急《出雲》仕様のDD54 34がローカル列車を牽いて温泉津駅に入って行きます。 1972年10月に米子区のDD54が3両(16・17・30)も福知山区(播但線の無煙化用)に配転されにも係らず、1973年春には出雲市−浜田間にあった唯一の下り蒸機列車833レが無煙化され、島根西部にもDD54牽引のローカル列車が目立つようになっていました。 近頃の鉄道専門誌では、DD54が特急 [続きを読む]
  • 日野川橋梁のDD54
  • 残雪の大山を背景に、山陰本線の日野川橋梁上にDD54牽引の客車列車が現れました。 この列車は伯備線のローカル列車です。 DD54が伯備線に入ったのは僅か一年ほどの間でした。 今度は山陰本線の上り貨物列車が通り過ぎて行きます。 撮影当時、このようにDD54は山陰本線では最もポピュラーな機関車だったような印象があります。 撮影日 : 1972年3月29日 [続きを読む]
  • マンモス機EH10のこと
  • 昭和48年ごろ、貨物列車牽引機の中でも一際異彩を放っていたEH10 車体の大きさや無骨さ・カラーリングから「熊ん蜂」とも呼ばれていました。 気動車特急《まつかぜ》と並んでもキハ82がまるまる一両分が隠れてしまうほどの長さで、その大きさが想像されます。 初期型はパンタグラフが車体中央寄りに配置されています(EH10 3) 撮影の昭和48年頃でも運用は少なくて、来る貨物列車の殆どはEF60やEF65の [続きを読む]
  • 三江北線 時代
  • 2018年3月31日をもって廃止が決まった三江線ですが、今から46年前の1972年春、浜田からの荷物を持って終着の浜原に向かうC56貨物列車を見て誰がそんな終末を迎える事を予測できたでしょうか。 三江(北)線 粕淵−浜原 391レ C56 106[浜]1972年3月30日 [続きを読む]
  • ボンネット型電車のこと
  • L特急《しおじ》には151系の出力を上げた181系が使われていました。 パーラーカーの元クロ151や 狭軌のスピード記録を作り、その記念プレートを持った車両まで運用に入っていたので放課後のチョイ撮りでさえも、次はどんな車両が来るのか?けっこう刺激的な撮影でした。 こちらは九州特急の485系《みどり》 スカートの部分が何かに衝突したようでデコボコしています。修理する間もなく運用に就いていると言うのは [続きを読む]
  • D511のこと
  • 撮影:1972年 8月 9日 普通貨物列車861レが鎌手駅で貨車の入れ替え作業をしているのが見えています。この861レは時刻表では鎌手駅が通過になっているのですが、以前にも鎌手で貨物の入替をしていたので、どうやら荷物がある時は停車して入れ替え作業をするようです。牽引機はD51の初期型(ナメクジ)であるのが確認できたので、これはD51のトップナンバーの可能性が大です。大慌てで鎌手から石見津田方面に向 [続きを読む]
  • EF58と82系
  • 朝の神崎川橋梁上で82系気動車特急《はまかぜ1号》とEF58夜行急行《日南2号》が離合します。 EF58がギラリと光った瞬間にシャッターを切りましたが、《はまかぜ1号》がもう少し進んだ位置だったら絶妙のタイミングだったのに・・・昔から中々100%納得した写真は撮れないものです。 撮影:1973年9月 東海道本線 塚本−尼崎 [続きを読む]
  • 583系 特急《なは》
  • 尼崎港線のオーバーパスをくぐり特急《なは》が上って来ました。     背景には薄く雪化粧した六甲の山並みが見えます。左のほうに一際白く見えている山は東おたふく山、右上には六甲の最高峰を望み、六甲名物のパラボラアンテナが未だ健在なのがわかります。  撮影:1983年1月 東海道本線 立花−尼崎 [続きを読む]
  • 山陰本線の名勝
  • 今や山陰本線を代表する名所の五十猛−仁万の田尻海岸を見下ろせる丘ですが、現役蒸機が走っていた頃、この丘は何方も来られないような全く無名な所でした。 但し、別冊週刊読売1971年7月号に広田尚敬氏が中望遠レンズで同所からと思われる写真を掲載されて居られます。 同じ五十猛−仁万間の名撮影場所と言えば 宅野の大築堤が有名で、同区間へ時間を作って訪れるならば殆どの方が宅野の築堤を目指したものです。 そう書 [続きを読む]
  • 山陰のDF50
  • 春爛漫の石見路にDF50のローカル貨物列車がやって来ました。 この辺りには見事な梅林があったのですが、良い撮影場所を探し出せなくて、遂に梅の花と山陰本線の列車を絡ませて撮ることは叶いませんでした。 山陰本線 浅利−黒松  1973年3月 [続きを読む]
  • 北海道炭礦汽船 真谷地炭鉱の記憶
  •  私が夕張線沼ノ沢から真谷地方面に分岐する北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用線を初めて訪れたのは1974年の年末(12月27日)で、既にE型タンク機5055や5056の姿はなく、そんなに古いお話しではありません。  初めて訪問した時から31年ほど経った2005年10月3日のことです。道東に帰る途中で、真谷地炭鉱のことを思い出して、衝動的に少し寄り道をしてみました。  廃墟と化した真谷地炭鉱跡地には、微か [続きを読む]
  • 三江北線 浜原駅にて
  • 撮影:1972年3月29日 次の浜原10時53分発の328D江津行に乗って街に出掛けるのでしょうか? 散髪仕立ての坊やが、当時は中々買って貰えなかったであろうジュースを片手に、浜田から貨物列車を牽いてやって来たC56を興味深げに眺めていました。 まだ三江線の終着駅が浜原駅だった三江北線時代の頃の一コマです。 下記のYouTubeにも少しだけですが同じ場面を記録しています。 国鉄時代の三江(北)線 [続きを読む]
  • 気動車急行《さんべ1号》
  • 朝の大田市駅に気動車急行さんべ1号が進入します。 大田市駅の上りホームにはC57[浜]牽引の東舞鶴行き客車544レとD51[浜]牽引の鳥取行き貨物560レが待機しているのが見えています。 キロ28(グリーン車)を含む下り急行さんべ1号は米子始発(6:30)⇒小倉行(14:01)の、今では考えられないくらいの長距離を走る気動車急行でした。  撮影:1972年8月8日 [続きを読む]
  • 気動車急行《だいせん1号》
  • たった2両で益田を朝8時30分に発った《だいせん1号》が、浜田でキロ(グリーン車)を含む3両を増結し、海沿いの石見路を快走します。 出雲市駅では大社線より724Dの4両(キロ1両を含む)を増結、豊岡からは更に2両を加えた堂々の11両編成となり大阪を目指します。 山陰本線  田儀−小田  1973年8月  [続きを読む]
  • 米子駅 西方
  • まだ米子駅構内の上空には大きな空が広がっていた頃の事です。 キハ55系下り急行《美保》が米子駅を出て来ました。 画面右上には夜行客車急行《さんべ》号の編成が留置されているのが見えます。 長い間 出区を待たされていたD51488が貨563レ牽引のため、新鋭のDD51の横を通って米子操車場に向かいます。 撮影:1974年10月 [続きを読む]
  • 米子駅 西方
  • まだ米子駅構内の上空には大きな空が広がっていた頃の事です。 キハ55系下り急行《美保》が米子駅を出て来ました。 画面右上には夜行客車急行《さんべ》号の編成が留置されているのが見えます。 長い間 出区を待たされていたD51488が貨563レ牽引のため、新鋭のDD51の横を通って米子操車場に向かいます。 撮影:1974年10月 [続きを読む]
  • EF58と113系がデッドヒート
  • 18:40 大阪駅を同時に発車してきた宮崎行の《彗星1号》と姫路行113系快速電車がデッドヒートを繰り広げながら神崎川橋梁に現れました。 上り線を折しも842M草津行快速がすれ違います。通勤電車にも係らず未だ冷房装置は装備されておらず、快速電車の窓が少し開けられているのが分かります。 撮影:1974年7月 [続きを読む]
  • 165系 急行とも
  • 急行《とも》は大阪−三原 を結ぶ山陽急行で、運転期間は1968年3月から1972年3月の4年間でした。 撮影は1971年9月28日  東海道本線 尼崎−塚本 背景にキリンビール尼崎工場の回転式換気塔ハウベが写っています。 [続きを読む]
  • 冬の湿原号 試運転
  • 「冬の湿原号」の下り試運転列車は夕陽のなかを走る設定になっていたので、日没時刻と睨めっこして、五十石−塘路間にやっとの事でギラるジャストの場所を見つけ出しました。 思い通りの光景!シャッターを押した瞬間「やったぁ〜」と思わず小躍りしてしまいました。デジタルカメラが未だ普及する少し前の事。巻き上げてはシャッターを切る“一発勝負”の時代。 感材はRDPⅡ この場所も今は灌木が茂り、鉄道撮影には不向きな [続きを読む]
  • キクカナの大カーブを行くPF富士はやぶさ
  • 通常はEF66牽引で運転される24系《富士・はやぶさ》ですが、牽引機の不都合(鹿と衝突?)によりEF66仕業のやり繰りがつかず、前日の夜にEF65PFがヘッドマークも付けないで《富士・はやぶさ》を牽いて下関に下った、と言う情報を得て、急遽、翌日の早朝にキクカナの大カーブへと向かいました。 冬至間近で日の出前の通過となるので露出の厳しい状況でしたが、なんと! 期待していなかった《富士はやぶさ》のヘッ [続きを読む]